『仕組まれた女神』 −第七部−

くらしろ


 

   #12

 

村人達の歌はいつの間にか止んでいた。

あたかも、アスカ、レイ、シンジの三人にしかこの空間にはいないように思えた。

 

「碇君、私を信じてくれないのね...。」

突然レイはその目に涙を浮かべた。

「......。」

シンジは返答に困惑する。

その時、アスカの声がレイに届いた。

「綾影、何下手な芝居を打ってるのよ!」

アスカからはレイの後ろ姿しか見えない。

だが、その声色、そしてレイの肩を震わす仕種で、彼女が今どのような表情を浮かべて

いるかを想像するのは容易い事であった。

「あ、綾波...。」

そして、シンジの声も震えていた。

「碇君、私は悲しい...。

 ...だから、私は私自身の力で自分の願いを叶える。」

レイの言葉が決意を持ったような響きに変わる。

「漸く本性を現したわね!」

アスカはレイに吐き捨てるように言った。

だが、レイはそんなアスカの台詞に構う事なく、右手を天高くあげた。

その手にはいつの間にか短刀が握られていた。

アスカが息を飲む。

「あ...。」

シンジはその言葉を詰まらせる。

レイは左手を右手に添えて、シンジの胸に狙いを定める。

その瞳は先程までの慈愛に満ちた物ではなく、何かに取り憑かれたような欲情の炎で輝い

ていた。

「碇君、心配しないで。あなたは私の中で永遠に生き続ける事になるのよ。

 私達はいつも一緒になるのよ...。」

レイはその冷たく、そして欲情に燃えている視線をシンジに向け、そして目を閉じた。

シンジの目は驚きで見開かれたままである。

そして、その瞳孔も感情に押し流されて、光彩一杯に開かれていた。

 

「待って、綾影!」

その刹那、アスカが叫ぶ。

「どうしたの、惣流さん。」

レイは短刀を振り上げたまま、背中越しにアスカに問い掛ける。

「綾影、分かったわ! 私を先にやって!!」

「ア、アスカ...。」

あまりの唐突なアスカの台詞に、シンジは彼女の名前を呼ぶ事しかできない。

「駄目よ、惣流さん。 碇君が先よ。」

レイは微動だにせず、その凍てついた声でアスカの申し出を断る。

「それでいいの、綾影。 いや、綾波レイ!」

「どう言う事?」

「あなたにとってはシンジは特別な存在じゃないのかしら?」

「いえ、碇君も惣流さんも私にとっての大切な貢ぎ物。」

「そうかしら? あなたはシンジと接吻を交わした。

 それは、あなたの中の意識がそうしたいと望んだからじゃない?」

「......。」

「それに、あなたはシンジと一緒になりたいと言った。

 私には三人で一つになるとしか言わなかったのにね!」

「......。」

「それならば、あなたとシンジとの邪魔な存在である私を先に殺して、その後で、

 シンジを煮るなり焼くなり好きにした方が都合がいいんじゃなくて?」

「アスカ、何言ってるんだよ?」

シンジが割って入る。 だが、アスカとレイは彼の制止など関係なく会話を続ける。

「...、そう。 分かったわ、惣流さん。

 それならば、望み通り惣流さんを先に始末してあげる。」

レイは振り翳した両手を下ろして、ゆっくりとアスカの方を振り向く。

アスカにレイの顔が向けられた。

アスカが見たレイの瞳には涙が浮かんでいた。

だが、その色はレイの瞳の色と同じ赤く染まっているように見えた。

「あ、綾波...。」

シンジがレイの背中に話し掛ける。

「心配しないで、すぐ戻るから...。」

レイはシンジにそう答えると、アスカの方に歩き始めた。

彼女の装束がゆっくりと揺れる。

「綾波、どこに行くんだよ!」

シンジにはレイの姿が闇に溶け込むように見えていた。

まるで、月が地球の影に隠れるように...。

そして、暗黒と沈黙がシンジの周りを覆った。

 

 

アスカの許にレイが近寄ってくる。

緩やかに、そして、一歩ずつ。

その体には華麗な異国の衣装が、その手には邪悪な短刀が、その瞳には狂気があった。

「さあ、綾影! いらっしゃい!!」

アスカはありったけの勇気を振り絞って、その少女に言葉を投げ付けた。

レイはその言葉に答える事もなく、悠然とアスカに近づく。

その瞳はアスカを見据え、そして彼女の前で立ち止まった。

「来たわね!」

「......。」

レイは何も答えない。 ただ、アスカの瞳を見詰めている。

「さあ、あなたの好きなようになさい!」

「......。」

「どうしたの!? 折角この私があなたの願いを叶えてあげようって言ってるんだから、

 何か返事したらどうなの!?」

「......。」

「それともまだ何か不満でもあるの?」

「......。」

「どうやら、何も答えられないようね! そうでしょ!!」

「......。」

「そんなひ弱な人間に私を殺す事はできないわ!」

「......。」

「ほら、何も言えやしない!

 あなたの今まで言って来た台詞も、その短刀も所詮ハッタリね!」

「......。」

「そうでしょう、綾影、いや、綾波レイ、それとも他の名前で呼んで欲しいのかしら?」

「...あなたの好きな呼び方でいいわ...。

 ...それに私は自分の願いを成就させるために行動するだけ...。」

「その願いってシンジとの接吻も含んでいたのかしら?」

レイが漸くその口を開く。 だが、アスカは構わずに続けた。

「良かったわねぇ! 願いが成就して! もっとも、私はそんなのお断りだけどね!!」

「...違うわ...。」

「何が違うのよ!?

 アンタがシンジにやった事はアンタ自身の本性が生み出した行為そのものだわ!!」

「...私は碇君の意識と一つになりたかっただけ...。」

「聞いて呆れるわ! そう言うのを正当化って言うんじゃない?

 だいたい、キスの一つでで心が一つになれるぐらいなら、この世の中に恋愛で苦労する

 人はいなくなるわ!!」

「...違うわ、あなたが言っている行為は表面的なものに過ぎないわ。

 私が行った事は心の触れ合い。 

 そして、そのために行った行為は、飽くまでもその手段...。」

「へ〜へ〜、所詮俗物的な私にはそんな哲学的な事は分かりませんよ!」

「もうすぐ、惣流さんにもに分かるわ...。

 ...惣流さんが私の命の一部になれば...。

 ...そして、私の願いが遂に叶う...。」

「あっそう! じゃあ、あなたの願いって何なのかしら?」

「私は自分が本当の神になる事を望んでいるの。」

「それは、綾波レイのどれかしら? それとも綾波レイでない他の何かかしら?」

「...分からない...。」

「分からないって、バカじゃあないの?

 あ〜あ、そんなのに殺されたら私も浮かばれないわねぇ!」

「どうでもいいわ...。 私には変わりないもの...。」

「どうでも良くないわよ!

 そんな気持ちでアンタは私を殺そうと思っているの!?

 そんなのが神になるって聞いて呆れるわ!!」

「もういい...。 もうあなたに話す事は何もないわ...。」

「フン! 自分の都合が悪くなったら黙んまりを決め込むとはいい度胸してるわ!

 これ以上アンタに悪態を突いたって無意味って言う訳ね!!」

「...気が済んだ...。」

「まだ気が済んだ訳じゃないけど、これ以上話しても時間の無駄。

 アンタもそう思っているんじゃないの?」

「私はいい...、惣流さんが気が済むまでいつまでも待っているわ。」

「フン、ありがたいお話で!」

「だって、私には時間が十分にあるんですもの...。」

「お〜お〜、気が長いことで。

 でも生憎、私はそんなに気が長い方ではないのよ!」

「...。」

「さあ、さっさとアンタの気の済むようにやって頂戴!」

「...分かったわ...。」

 

一瞬の沈黙の後、レイは徐に右手を天に翳し、左手を右手に添える。

「惣流さん、覚悟はいいわね...。」

そんな残酷な台詞とは対称に、レイの表情は全く変化がない。

レイの両腕に力が入った。

「これで、あなたの意識も私の一部になるのよ...。」

 

(意識が一つ...、そうだわ!)

アスカの脳裏に一つの考えが閃く。

(でも、これは...、いいえ、これしか残された方法はないわ!!)

彼女は一つの賭けに出ようとしていた。

 

レイが短刀をアスカの胸目掛けて振り下ろそうとした刹那、アスカの声がそれを遮る。

「待って!」

レイの動きは止まらなかった。 短刀がアスカの胸に向けて空気を切り裂く。

だが、その切っ先がアスカの胸に触れた時、レイの腕が止まった。

アスカの胸からは一筋の血が流れ落ちる。

「...どうしたの、惣流さん...。」

レイは相変わらず表情を変えずにアスカに問い掛ける。

「あ、綾影...。」

アスカは声を詰まらせながら、レイの無感情な問いに答える。

顔には苦痛の表情が浮かび上がっていた。

「...、最後に一つ頼みがあるわ。」

「...何...。」

「シンジに聞かれるとまずいの。 大きな声では言えないわ。」

「大丈夫よ。 今の碇君には私達の姿も見えないし、声も聞こえないわ。」

レイのその言葉を聞いてアスカはシンジの方を見る。

シンジの姿は凍り付いていた。

「アンタ、シンジに何をしたのよ!?」

「私は碇君に惣流さんの最期の姿を見せたくないから、そうしているのよ...。

 ...少しでも碇君を悲しませたくないから...。」

「フン、十分悲しませているわ!」

「そう...、分からない...。

 それで惣流さん、最後の頼みって何かしら...。」

「だから、あなたの耳元で言うわ! これは私の気持ちの問題なの。いいでしょ!」

「そう...。」

レイはアスカの頼みを聞こうとしたのか、短刀をアスカの胸から離すと、自身の顔をアス

カの顔に近づける。

「もっと、近くに来なきゃ話せないわよ!」

「そう...? もう十分聞こえると思うわ。」

「こう見えても、私は照れ屋なのよ!

 こんなに離れてちゃまだ大声になってしまうじゃないの!!」

レイは素直にさらに顔を近づけた。

「これでいいでしょ...。」

「もうちょっとだけ。」

高まる感情を抑え、小声で答えるアスカ。

レイはその声に応え、アスカの顔すれすれにまで近づく。

レイの短い髪がアスカの頬に触れる。

「ゴメン!」

アスカは目を瞑り、レイの唇に自分の唇を合わせた。

 

 

   #13

 

もし、彼女が同性にこのような事を突然されたら、躊躇うことなくその者の頬を打つであ

ろう。 そして、もし彼女がこのような光景を目撃したら、躊躇いなくその者たちを軽蔑

するであろう。

だが、アスカは敢えて自分の嫌悪する行為をレイに行った。

なぜなら、それしかレイをシンジを、そして、自分自身をこの危機から救う方法を彼女は

思い付かなかったからである。

 

レイのそして、アスカの動きが止まった。

二人はまるで氷細工の如く動こうとしなかった。

アスカは唇にレイの冷たい唇の感触を感じた。

それと同時に、彼女の意識の中にレイの、いや、レイの体をを今操っている者の意識が流

れ込んで来るのを感じた。

それは悲しく、そして一方では邪悪な二つの心を持った意識であった。

 

  何これ?

  これが綾影の意識?

  違う! 綾影じゃない!!

  え? これは...、これは...。

  これは何? 人間じゃない...?

  これは...、これは本当に神!

  女神...、月の女神?

  月の女神の意識が綾影に!?

  でもなぜ?

  いや、もしこの意識が女神だとしても、これは違う!

  感じる...この感じは暗黒の意識そのもの...。

  女神はこんな邪悪な思いを持っているはずがないわ!?

  じゃあ、この意識は何?

  もう一人の月の女神!?

  いや、感じる。 もっと邪悪なものがこの意識の奥に...。

  これは...、これは人? それも多くの...。

  じゃあ、この感じは何...。

  嫉妬の心? 猜疑の心? 恐怖の心? 欺瞞の心? 嫌悪の心?

  そうじゃない、これはもっと奥が深い意識...。

  それは、怨恨...? そう、人を呪い、恨む心。

  人の心の奥底に潜む邪悪な意識!

 

  ...人の恨み?

  その恨みが女神の意識を変えたの?

  女神は悪魔になったの?

  もう一つの意識に?

  人が女神を悪魔に変えたの?

  人の持つ呪いの心、恨みの心が女神の心を変えてしまったの?

 

  ...でも、どうして綾影に?

  ...え、綾影の意識が呼んだ?

  でも、綾影は何考えてるか分かんないけど、そんな邪悪な意識なんかないもの!

  もう一つの綾影の意識?

  人が誰でも持つ正義と、邪悪な意識?

  悪魔になった女神が綾影のその意識を呼んだの?

  それとも、綾影が呼んだの?

 

  女神はどこに行ったの?

  闇の中に飲み込まれたの?

  人の邪悪な意志は神でさえ悪魔に変えてしまうの?

 

  そして、女神は、いやかつて女神と呼ばれた悪魔は何を望んだの?

  何を叶えようとしたの?

  ...女神が呼ぶ者の意識を共にすればその願いが叶う?

  女神が呼ぶ者? 私、そしてシンジ?

  その命を共にした時、永遠の支配者となる?

  復讐? この世を支配する闇の女神、本当の悪魔として?

 

  分からないわ! 何もかも!!

  ねぇ、綾影! 答えて!

  どうすれば、元の綾影に戻れるの!?

  ねぇ、答えて!

  月の女神はどうすれば、元の女神に戻れるの!?

  分からないわ!!

  みんな、元に戻って!!

  私はまたシンジと綾影と三人で旅をしたいの!

  お願い!

  みんな、元に戻って!!

  お願い!!

 

  え? 私を呼んでる?

  何? そして、誰?

  もう一人の自分?

  いえ、この感じは違うわ。

  では、誰? ...綾影?

  違う...。

  誰なの? 答えて...、答えて....、答えて!

 

 

      惣流さん、惣流・アスカ・ラングレーさん、アス影さん

            あ り が と う

 

 

  あ、あなたは...。

 

 

 

アスカとレイの体は、崩れるように倒れて行った。

 

                          <続く>

 



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