紅い花弁が散る場所で私は一人佇んでいる。 
 夢は夢でしかありえなく。私はいつも夢を見る。夢と現の世界。
 誰かが私を呼ぶ。哀しい声音でそれはとても懐かしく胸の痛くなる声。
 だけど。
 私はその声から耳を塞ぐ。
 オネガイ。
 ヨバナイデ。
 オネガイ。
 ワタシヲホオッテオイテ。
 くるくると紅の花びら。手に掬う。これは私の罪の証。
 下弦の月と闇。
 紅い花弁が散り、紅く染まった場所へ眠り込む。
 此処は私が眠る場所。手を血に染め、誰からも愛されない私の眠る場所。
 永遠の眠り、それも悪くない……。とろりと又夢へと戻る。


プロローグ〜硝子細工の夢〜

 白い天井。点滴。白いシーツ。ベッド。
「またか……。又失敗しちゃったな……。綾波、そっちへ行けなかった……。
アスカも一緒に連れて行こうと思ったんだ、そうしたら又三人で楽しくやれたのにね……」
 サード・インパクトから三ヶ月。奇跡的に助かった二人は病院に収容され、そして家族で
ある葛城ミサトを待ち続けていた。あの三人で過ごしたマンションで。
 ふわりと春を告げる優しげな風がカーテンを揺らす。サードインパクトは世界に異変をもたらし
ていた。セカンドインパクトで失われた四季が戻ってきたのだ。
 白いカーテンが揺れ、ふわりとシンジの視界を横切る。そしてふっと気付く。
横に立っている少女の存在に。いつも自分が病院で目覚める時居てくれた少女の名を呟く。
「あやなみ……?」
 それは希望。微かな願いを込めて呼ぶ、淡く儚げな薄幸の少女の名を。
変りに雫が零れる。それはもう一人の少女のモノ。
 向日葵を想わせるくるくると表情豊かな、けれど硝子のように繊細な壊れやすい少女。
視界に入ったのは茜色の長い髪。そして鮮やかな日々の中で豊かな色彩で溢れていた蒼の双眸。
その双眸は涙で溢れていた。
「ア……ス……カ?」
 ようやっとシンジは声を出す。アスカと呼ばれた少女は涙混じりに少年を罵倒する。
「バ……カ……シンジ!あんた……又死のうとしたわね!」
「そうかアスカも僕も生き残っちゃったんだ。又……」
 シンジの投げやりにも等しい言葉にアスカはびくんと反応する。昨夜、少年の出したコーヒー
を飲んで眠たくなった。その瞬間のほんの刹那、アスカは見た。シンジの絶望的な底のない瞳。
心底ぞっとした。必死に電話に手を伸ばして救急車を呼んで。意識が闇に呑まれた。
「ええっ、どうもおかげ様で意識が戻ったわよっ!ったくあんたはやっぱり馬鹿よ!馬鹿シンジ!」
「……アスカ。頭に響く……」
 この少女の元気のいい声を聞くのは久し振りだ。少なくとも半年以上は聞いてなかった。
そして少女はひっくひっく……と泣き始めた。
「お願い……。アタシを置いて死なないで。シンジが居ないとアタシどうすればいいの?ミサト
が戻ってきた時にアタシ、顔見せ出来ない。アンタが死にたいなら一緒に死んであげる。でも
シンジ、ミサトはまだ生きているのよ!病院で眠り続けてるのよ。加持さんが居ない、今アタシ
たちがいなくてミサトが目覚めたら一人なのよ!!」
 何度も何度もアスカはこの言葉を紡ぐ。シンジに否、己に言い聞かせる為。
今死に救いを求めているこの少年をどうしたら止められるのだろう?自分だって死にたいと
思う、だから心中というか死への連れに選ばれたのだろうが。まあ、ファーストと三人であっち
で過ごすのも悪くないとは思ったのだ、少しは。あの笑うことを知らない。人の幸せを知らない
まま逝った戦友。アスカはシンジと綾波レイの繋がりを知らない。
 シンジをぐるぐると取り巻くゼーレとネルフとエヴァンゲリオンの螺旋。抜けることの出来ない
迷宮。その中に自分が居ることも。幸福な少女は知らない……。
 造られしチルドレン、その生き残りであり、唯一少年が心開ける存在。
 何故自分が生き残ったのか?それは少年が少女を選んだから。
 少年の心を少女は知らない、それは幸福なのだろうか?
 それが未来に於いて少女を苦しめ続ける螺旋となる。ぐるぐると回り回る世界の中。
 今はまだ知らない、幸福な少女。少年によって螺旋に巻き込まれた、少女。
 だから知らず言葉を紡ぐ、その久遠にも近き誓約を。そして少女は迷宮へ近づく。
「サードインパクトはアンタだけのせいじゃないわ。アタシはその中にいたのに自分の
ことばかりで何も出来なかった。エヴァに乗っていたのに……。もしアタシが自分のこと
だけじゃなくてもっとシンジやファーストやミサトや加持さんのことや他の事を知ろうと
していたら何か変っていたのかも知れない。最近、そう思うの……」
 するりとシンジを抱きしめるアスカ。それは暖かくて優しい子どもを抱きしめる母親の抱擁。
「『気持ち悪い』って言ってごめんね……。アタシ、あの時首締められて恐くて……
混乱していた……」
 ずきんとシンジの胸が痛む。シンジの中から永遠に抜けない棘。アスカがサードインパクト
で吐いたシンジを否定する言葉が少年の脳裏を巡る。
 そして、又一つ。
『あんたが全部私のものにならないなら。私……何もいらない』 
 あれはどういう意味だったのか?
『……でもあなたとだけは絶対に死んでも嫌』
 拒絶?それとも。
 アスカの手がシンジの頭を撫でる。まるで幼子をあやすかの如く。そしてその温もりが離れた。
アスカはシンジの頬を手で触れた。あの時と同じ。サードインパクトの時と。
シンジは動けない。でもアスカの表情は穏やか。蒼の双眸は空と同じ澄んだ眼差し。
「生きるの……。ミサトはアンタを守るために死にかけて……。いいえ一度死んだのよね?
ファーストは消えた。フィフスも。フォース、いいえ鈴原は足を失ったわ。アンタは皆の想い
と願いの上に生きてるのよ、命を粗末にしないで……」
 白い花のような可憐な笑み。柔らかく慈愛深い微笑みがシンジに注がれる。
 否。
 少女は必死だった、少年をこの世に繋ぎとめるのはどうすればいいのか。
 是。
 少年を愛するのだ、この少年は自分と同じで大人たちの思惑に利用され尽くした犠牲者。
 同じ。
 だから愛せる。何よりこの少年が好きなのは自覚している。ファーストと一緒に歩く彼、穏やかに笑い合う二人を見て
 何であんなに苛々したのか、それはこの少年を好きだったからだ。我ながら幼稚で大人気ないとは思うがファースト
と違って自分は彼にちょっかいを出して喧嘩することで感心を惹こうとしていたのだ。
 少年の無言の視線。それは問いかけ。
 だからゆっくりとアスカは伏せていた睫毛を上げて視線を少年へと合わせ、はにかむように笑う。
「アタシ、アンタのこと憎んでる……」
 その言葉にシンジはアスカから怯えるように顔を背けた。
「でもね……。アタシ、アンタのこと好きだわ……」
 シンジの表情はわからない、でも多分戸惑ってどう反応すればいいか躊躇しているとアスカ
は理解していた。
 くるくると螺旋。少女は少年を取り巻く地獄に足を踏み入れた。
 その言葉は誓約となり、少女を縛る。これが始まり。全ての始まり。



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