The West End of Eden

第3話  襲撃

「騒ぐな、騒げば今ここで殺す。」

冷たい銃口をシンジのこめかみに押しつけ、男がシンジの耳元でささやいた。

先ほどからシンジと会話をしていた、3人の中ではリーダー格と思われる男の声だ。

先ほどと変わりなく、むしろ丁寧だと感じるくらい、その男の声は静かであった。シンジを無理に脅そうとした、変な気負いがその声には全くない。

しかしその静かな声の中には、同時に冷たい刃も潜んでいた。

言うことを聞かねば即座に殺す、という男の明確な意志が、その声には十分すぎるほど現われている。

「自分が子供だから撃たれないなんて期待は持たないことだ、死んで後悔することになる。」

男が拳銃の撃鉄を起こした。

その腕の中でもがいていたシンジの動きが凍りつく。

「いい子だ。しばらくそのままにしていてもらおう。おい。」

男が後ろの仲間二人に目配せした。

残る二人の男は一度外の様子をうかがい、誰にも見られていないことを確認すると、玄関の扉を閉め、腰の拳銃を引き抜き、機敏な動きで家の中を探りだした。足音をたてずに各部屋をまわり、シンジの他に誰かこの家にいないか調べている様子だった。その動きには無駄がなく、彼らがこのようなことをこれまで何回も行ってきたことを如実に物語っていた。

ほどなく、男達が家の中を探索し終え、シンジが捕えられている玄関口へと戻ってきた。そして、このリーダー格の男に首を振る。

「他には誰もいないぜ。」

疑念を含んだ男達の視線がシンジに注がれる。

「おい・・・・、今からこの手をどけるが、大声を出すんじゃないぞ。どうなるかはわかっているはずだ。」

シンジの口を押さえつけているリーダー格の男が、シンジに言った。

表情をこわばらせてシンジがうなずく。

それを見た男がゆっくりとシンジの口を覆っていた手をどけ、そして聞いた。

「母親はどうした?」

シンジの表情に微かな戸惑いの色が浮かんだ。男達はまだユイが死んだのを知らないらしい。

「答えろ!」

「・・・・・・いません。」

緊張のためにかすれた声でシンジが言った。

「どこへ行った。」

「死・・。」

一瞬、シンジは本当のことを言いかけ、口をつぐんだ。

「どうした。」

「・・・往診に・・・・、出かけました・・・・。」

「・・・こんな夜中にか? 嘘をつけ。」

「本当です。今朝はやくに急病人がでて・・・、それで出かけたままなんです。」

「・・・・・いつ帰ってくる。」

「わかりません・・・・・。」

その言葉に男達が顔を見合わせた。

「ヘッ・・・。」

男達のうちの一人が低い声で笑った。さっき家の中を探った二人のうちの一人で、酷く顔色の悪い痩せた男であった。どことなく生気の感じられない雰囲気の中にも、冷酷で残忍という印象だけは、はっきりと感じられる男である。

「要はこのガキを殺せばいいんだろう。」

男はそう言い、自分の手に持った銃の銃口をシンジの右目に押しつけた。そして薄笑いを浮かべながら、その銃口をグリグリとシンジの目に押しつけていく。

「グッ・・・・。」

眼球に銃口が食い込み、その痛みでシンジがうめいた。

男はそのシンジの苦悶の表情を喜々として眺め、そして今度はシンジの髪を鷲掴みにすると強引にシンジの顔を上向かせた。

「母親がいねえんなら、早いとここのガキを始末してズラかろうぜ。」

そう言って引き金にかかる指に力を込めた。

「よせ、ここで銃を使うのはまずい。」

リーダー格の男が言った。

「銃声を聞かれたら、町の者が駆け付けてくる。葛城 ミサトもな。」

「・・・・なら、ナイフを使うか。」

「いや、このままここで母親が帰ってくるのを待つ。この小僧はそれまで人質だ。」

痩せた男の顔に納得がいかないという表情が浮かんだ。

「絶対に母親も始末してこいとは言われなかったぜ。」

「万一ということがある。母親も一緒に始末しておいた方がいいだろう。」

「ちっ。」

舌打ちしながら忌ま忌ましそうに、痩せた男が銃口をシンジの顔から離した。

「となると問題は、葛城 ミサトか・・・。」

三人のうちの別の一人がリーダー格の男に言った。

ミサトの名前が出た途端、男達の表情に緊張が走る。

「どうする?」

「・・・今奴は馬小屋にいて俺達が来たのをまだ知らない。不意を襲えばいくらあの女でもどうすることも出来んだろう。」

「・・・・・・。」

しばらくの沈黙の後、リーダー格の男のその言葉に残る二人もうなずいた。

「よし、俺はこの坊やを見張る。お前達はあの女を始末してこい。いいか、出来るだけ静かに殺せ。何度も言うようだが町の奴らに気づかれたら面倒だ。」

「わかった。」

男達はうなずき、先ほどシンジに示された、裏庭へと通じるドアへと向かって歩きだした。

「ま、待って・・・・。」

ミサトを襲撃に向かう男達を止めようと、シンジが無意識のうちにその背に声をかけた。そのこめかみに銃口が食い込む。

「声を出すなと言ったはずだ・・・・・。」

そう声が告げるやいなや、いきなり拳銃の握りの部分がシンジの頭に降り下ろされた。鈍い音がし、シンジの体が床に崩れ落ちる。シンジの見張りのために残ったリーダー格の男の仕業だ。

「もし声を出したらどうなるかとも、俺は聞いたはずだ・・・・・。」

足元に倒れうめくシンジを見下ろし、男が言った。その目に暗い炎がゆれている。

「勘違いするなよ。俺がお前を殺させなかったのは、お前にまだ利用価値があったからだ。」

「馬鹿だね、そいつは俺達の中で一番おっかないんだぜ。」

すでに背を向け歩きだしていた例の痩せた男が首だけ振り返って、肩越しにシンジに視線を送りながら言った。その口もとには例のうすら笑いがはり付き、シンジの苦しむ様子をさも愛うしげに眺めている。

その笑い顔が朦朧としたシンジの意識の中で醜く歪む。

「安心しろ、お前もじき後を追わせてやる。」

そう言い残し、男が再びドアに向けて歩き出した。

「か、葛城さん・・・。」

シンジが男達の後ろ姿に向けて手を延ばす。

その手の甲が無残に踏み付けられる。

シンジが力無く見上げると、見張りの男がその頭上に立っていた。

「また・・・・、言いつけを守らなかったな・・・・・。」

男がつぶやくように言うと、不意にシンジの手にかかっていた荷重が消えた。シンジの右手を踏つけていた足が、シンジの頭部めがけて走る。

爪先がシンジの額にめりこんだ。

シンジの視界が暗黒に染まった。

 

母屋から出た男達二人は、それぞれ銃を片手に、裏庭を足音をたてずに注意深く、馬小屋を目指して進んでいた。男達にとって幸いなことに、ちょうどその時、月は雲の影に隠れ、あたりは暗闇と化していた。

その暗闇の中を進む男達の口もとに邪悪な笑みが浮かぶ。

『俺達はツイている。』

そんな思いが二人の心中から込み上げ、それが笑いとなって現われているのだ。

最初二人は、母屋の扉をくぐる時、今夜が満月であったことを思いだし、己の運の悪さを呪った。しかしいざ外に出てみると、申し合わせたように月が雲の影に隠れてくれた。でなければ、その身を月光の下にさらしながら、馬小屋に近づくという危険を冒す羽目になっていたところだ。

『まったく、今日は本当についている。』

男達の唇の端がさらにつり上がる。

先ほどシンジの家を訪問した時のことを思いだしているのだ。

応対にでた小僧の口から葛城 ミサトの名が出た時は正直、生きた心地がしなかった。ところがどうだ、肝心のミサトの奴は馬小屋の中で眠りこけ、小僧は今自分達の手のうちにある。

なんという幸運か。

小僧を始末すれば大金が手に入る。それどころか今こうしてあの女を始末すれば、俺達はこの世界では一目置かれる存在になる。そうすれば仕事の依頼は思いのままだ。最低でもこれから数年間は食いはぐれることはない。葛城 ミサトを倒すとはそれだけの価値があるのだ。その甘い果実が、俺達の手の届くところにぶら下がっている。これを幸運と言わずして何を幸運と呼ぶのか。

そんな思いが男達の心中から聞こえてくる。

これまで一度も神を信じたことのない男達であったが、今宵だけは神に感謝したい気持ちでいっぱいだった。

『今日の俺達はツイている。必ずあの女を殺せる。』

男達が馬小屋の入り口に辿り着き、その両脇の壁に身を隠したとき、男達の邪悪な思考は遂にそこまで達していた。

馬小屋の扉は開け放たれていた。

そこから男達が用心深く顔を出し、馬小屋の中をのぞき込む。

男達の前に、暗闇がひろがっていた。

その闇の奥から時々馬の息づかいが聞こえてくるが、その他には何も物音がしない。

彼らが襲撃すべき相手、葛城 ミサトがどこにいるのか、そこからでは見当のつけようがなかった。

男達が互いを見やる。その顔に何事か覚悟を決めた表情が浮かんでいる。

一気に飛び込み決着をつけるつもりだ。

人間だろうが馬であろうが関係なく、暗闇の中に飛び込んだら、動くものを見つけ次第有無を言わさず撃つ気でいる。先ほどリーダー格の男に出来るだけ静かに、と言われたが、この際そんなことは気にしていられない。

いくら油断しているとは言え、相手はあの葛城 ミサトだ。

まともにやり合えば、勝てる見込は薄い。万一、グズグスしていて奴に気づかれでもしたらそれこそこちらの身が危うくなる。

男達が視線を交わし、うなずきあった。

それを合図に男達の体がバネのように弾け、馬小屋の中に飛び込んだ。

「あら・・、」

男達が飛び込んだと同時に、陽気な女の声が聞こえた。男達の前方の闇からではなく、背後から。

町角で偶然友達を見かけて声をかけた様な響きが、その声には含まれていた。

男達の体が、飛び込んだ時の姿勢のまま凍りついた。

「こんな夜更けに殿方がしのんでらっしゃるなんて光栄だわ。」

よく通る美しい声が二人を捕える。

「でも惡いけど二人とも趣味じゃないのよね・・・・」

どこか残念そうな言い方をする声の主に向かって、男達が今になってやっと気づいた様に、あわてて後ろを振り向いた。

そこに、一人の麗人が立っていた。

男達が己の幸運の象徴とした雲は去り、いつしか夜空には真円の月が再び輝いていた。その銀色に輝く月の光を、黒の旅行帽とロングコートに浴びながら、そこに葛城 ミサトは立っていた。その両手を自然に下に垂らし、その美しい顔には不敵な笑みが浮かんでいる。

ミサトの美しい唇が動いた。

「だから退散してもらいましょうか。」

男達の手が弾かれた様に動き、持っていた銃をミサトに向けた。

それを待っていたかのように、ミサトの着ているロングコートが翻った。電光のごとく右手が腰のガンベルトに走り、ホルスターの中の銃が引き抜かれる。

コンマ何秒かの時間に生命を賭けねばならない拳銃の抜き撃ち勝負では、撃鉄を起こし、照準をつけ、そのうえで引き金を引いて弾丸を発射させるというシングルアクション式拳銃の通常射撃のセオリーは通じない。一瞬でも早く銃を抜き、弾丸を敵にぶち込むためには、それらの動作は邪魔にしかならないからだ。要はいかに早く銃口を敵に突きつけ、撃鉄を落としてシリンダー内の火薬を撃発させるか。そのことのみを追究した様々な抜き撃ち法がガンマン達によって磨かれてきた。時には暴発し、自らの生命さえ危険にさらす両刃の技である。

それが出来ないガンマンに明日はない。

しかしミサトはこの抜き撃ちを電光のごとく素早く、しかも冷静かつ精確におこなった。

銃を引き抜きざま、ミサトは銃を握る右手の親指を撃鉄に掛け、電光のスピードで動く銃口が敵を捕えた瞬間、掛けていたその指で撃鉄を弾いた。既に引き金は、銃を握った時点で人差し指で引き絞られている。そのため弾かれた撃鉄はフル・コックの位置で静止せず、指から加えられたエネルギーを維持しつつもとの位置へと弾き返された。そのエネルギーがシリンダー内の火薬に伝わり、撃発が起こる。火薬ガスの圧力が鉛の弾丸に死のエネルギーを与えて、それを一気に銃口から押し出した。

その弾丸が敵の体に食い込む時には、すでに第二弾が残るもう一人の敵めがけて発射されていた。初弾が発射された後も銃口は躊躇することなくスライドし、それが目標を捕えた瞬間、既に始動していた左手が再び撃鉄を弾いたからだ。

銃声が轟き、男達二人が同時に胸を射ぬかれて後方に吹っ飛んだ。

男達がミサトに銃を向けてからそれまで、瞬きするほどの時間も経っていない。男達に発砲する暇も与えぬほどのミサトの早業であった。

しかも、彼女の銃が発した銃声はただの一発でしかない。

あまりに素早くミサトが連続して射撃を行ったために、ズレて聞こえるはずの二つの銃声が融合し、一発の銃声となって聞こえたためだ。

男達にしてみれば、先に撃たれたのが自分なのか、それとも相棒なのか分からなかったであろう。

銃を頼りに生きている者でも、滅多に出来ない銃の高等技術である。

世間ではゲット・オフ・ツー・ショットと呼ばれている技だ。

男達の体が仰向けに、ドオと地面に倒れた。

しかしその時にはもう既に、ミサトの姿は男達の前にはなかった。敵が死んだかどうか確認するはおろか一瞥もしていない。

彼女は銃を発砲し終えた瞬間には男達に背を見せ、ロングコートを翻して疾走していた。シンジのいる母屋に向かって。

 

外から聞こえてきた銃声でシンジが気を取り戻した。

しかし、シンジはその銃声を、ミサトを殺しに行った男達の銃から発せられたものと思った。

茫然とした表情がその顔に浮かぶ。

「バカヤロウ、あれほど音を立てるなと言ったのに。」

シンジを捕えている男が吐き捨てた。彼もシンジと同様に考えたのだろう。

男は荒々しくシンジの肩に手を掛けると、床に倒れていたシンジの体を力任せに引き上げ、その背を壁に押しつけた。力ない人形の様にシンジの体がそれに従う。男がシンジの肩を掴んでいた手を離すと、その体は壁を伝ってズリ下がり、ドスンという音とともに床に尻餅をついた。糸の切れた操り人形の様に、その顔はうなだれ、肩は深く沈んでいる。

「坊や、本当はもう少し生かしておいてやりたかったが、事情が変わった。あんまり長居出来なくなっちまってな。」

男はそう言うとシンジの頭に銃口を押しつけた。

シンジはそれにどの様な反応も示さなかった。無抵抗というよりも、生きていく気力さえも失っているように見える。自分の死が目前に迫っているのに身じろぎすらしない。

「葛城さん・・・・。」

シンジの口からつぶやきがもれる。

「悪く思うなよ、ボウズ。」

引き金に掛かる指に力がこもった。

その瞬間。

けたたましい音とともに、ドアが破られた。先ほど男達がミサトを襲撃すべく出ていった裏庭に出るためのドアだ。シンジ達からはちょうど廊下をはさんだ反対の位置にあたる。

そして勢いよく開いたそのドアから、人影が家の中に飛び込んできた。

黒の旅行帽に灰色のロングコート、ミサトだ。

「てめえ!」

家の中に飛び込んで来たのがミサトだとわかった瞬間、男は襲撃が失敗したことを悟った。男は叫び、シンジに突きつけていた銃をミサトに向け直し、たて続けに銃を撃った。

その銃撃をミサトは廊下を転がりながらかわし、手近にあった部屋の中へと飛び込んだ。

「ちっ」

男が舌打ちし、ミサトが逃げ込んだ部屋の入り口に銃を向ける。

「葛城さん!」

シンジが叫んだ。その表情には先ほどまで失われていた生気が甦っている。

男が慌ててシンジの頭に銃を向けた。

「立て、小僧!」

男が座り込んでいるシンジの腕をとり、強引に立ち上がらせた。

そしてその左腕を後方からシンジの首に巻きつけると、シンジの体を盾にするようにして、ミサトが隠れた部屋に向き直った。

「観念なさい!」

その部屋からミサトの声が届いてきた。

「もうあんたの仲間は来ないわよ。」

落ち着いたミサトの声が家の中に響く。

「それに今の銃声を聞いて町の人達が駆けつけてくるわ。どっちみちあんたに逃げ場はもうないのよ。シンジ君を離して銃を捨てなさい。そうすれば命だけは助けてやるわ。」

返事の代わりに男が銃をぶっぱなした。ミサトが隠れていると思われる、部屋の入り口の壁に弾があたり、穴を開けた。

「来い!」

男がシンジの首を引っ張り、後方へ下がるように動きだした。

廊下を出て、最初シンジがいた台所を兼ねた居間に入る。

「バカヤロウ! まだ終っちゃいねえぜ。こっちにはまだ人質がいるんだ。このボウズがいるかぎり誰も手だし出来やしねえ。」

男が大声で叫んだ。隠れているミサトに聞かせるためだ。

男は銃をシンジの頭に押しつけたまま、ゆっくりと後方に下がるように、居間の奥へと移動して行く。

「楽々と逃げ切って見せるぜ!」

「あんたバカじゃないの? それとも私の銃の腕をみくびってるのかしら?」

居間の入り口にミサトが姿を現した。

現われた瞬間には手に握られた銃がまっすぐに男の額に向けられていた。

男はシンジに銃を突きつけたままだ。

「人質? 盾にするにはその子は小さすぎるわ。丸見えよあんた。」

ミサトは銃を男に向けながら冷静に言った。撃鉄は既に起こされている、後は引き金が引かれるのを待つだけだ。

微動だにしないその銃口が、シンジの頭の上にある男の頭を狙う。男はシンジを盾にすべく彼を体の前においていたが、シンジの身長は男の胸ぐらいまでしかなく、その肩から上の部分はミサトから丸見えになっていた。その距離数メートル。ミサトの腕を持ってすれば、その部分を撃ち抜くのは動作もないことだろう。

「俺を撃ったら、このボウズも死ぬぜ。」

男がシンジに突きつけている銃を示した。

「問題ないわ。その銃の引き金をあんたが引く前に、即死させてやるから。」

「俺が引き金を引く前にだと・・・・、ヘッ、よく見ろ!」

ミサトの言葉に男は動じることなく、逆に薄笑いを浮かべてミサトに言った。

ミサトが油断なく視線を下に移し、男の銃を観察した。

その表情が少し固くなった。

「どうやらわかったようだな。」

男が言った。その右手の親指が銃の撃鉄に掛かっている。その意味をミサトは理解したのだ。

銃から弾を撃ちだすには、起こした撃鉄を落し、火薬を撃発させればよい。一般的には撃鉄をフル・コックの位置まで起こし、引き金を引いて撃鉄を落せば、弾丸は発射される。

しかし発射のタイミングを引き金によらずに弾を撃ち出す方法がある。先ほどミサトがやったような、抜きうち勝負で用いる撃鉄を弾く方法だ。

あらかじめ引き金を引ききり、撃鉄を指や反対の手で弾いてやる、そうすれば撃鉄はフル・コックの位置で静止せずにリリースされる。

今男は人差し指で引き金を引ききり、親指で撃鉄を起こしていた。この状態では、いわば男の親指が引き金の役割を果たしているのである。もしミサトがこの男を撃てば、その指がはずれ、撃鉄が落ち、弾丸が発射される。

銃を突きつけられているシンジの命はない。

「どうした、俺を即死させるんじゃないのか。」

男が笑った。勝ちを確信した時にでる余裕の笑いだ。

ミサトは表情を固くし、銃口を男に向けたままでいる。

「銃を捨ててもらおうか。」

ミサトは動かない。

「この坊やが死んでもいいのかい?」

ミサトがシンジを見た。

「銃を捨てろ!」

男が怒鳴った。

ゆっくりと・・・・、ミサトが銃を下げた。

「葛城さん、だめだ。」

「黙ってろよ、小僧。」

銃を下げるミサトを制止しようとシンジが声をあげた。

男がシンジの首にまわした左腕に力を込めた。シンジの顔に苦悶の表情が浮かぶ。

「待って、その子に手を出すのは止めて。」

ミサトが言った。その言葉に男が薄笑いを浮かべ、左腕の力をゆるめた。

「ピンカートンの腕利きで通ってる葛城 ミサトも、ただの女か・・・・。」

男が声を出して笑った。その笑い声を黙ってミサトは聞いた。

「葛城さん・・・。」

そんなミサトを見つめ、シンジが呟いた。

「さて、今度はその銃をそのテーブルの上に置いてもらおうか。ゆっくりとな。」

男が居間の中央にあるテーブルに顎をしゃくった。

ミサトは言われたとおりに銃をそのテーブルの上に置いた。

「そのまま手を上げて、後ろの壁まで下がりな。」

ミサトは言われた通りにし、壁を背にして立った。

「クックックック、考えてみれば楽な仕事だったよな。」

勝利の確信に満ちた声で男が言った。

「ガキを一人殺すだけで大金がもらえて、おまけに葛城 ミサトまで殺れるんだからな。」

それを聞くミサトは無言だ。

「あんたみたいな美人を殺すのは趣味じゃないが、これも仕事だ。あばよ。」

男がそう言って銃口をミサトに向けた。

その瞬間、シンジが男の爪先に向かって、自分の右足を踏み下ろした。

「ぐあ。」

シンジの靴の踵が男の爪先に食い込み、男が悲鳴を上げる。

撃鉄に掛かっていた男の指が外れ、その銃口から弾丸が発射された。

しかし、男が痛みで体をくの字に折ったので、その照準は大きく外れ、ミサトの足元の床に穴を開けただけだ。

シンジは男が怯んだ隙に、男の腕を振りほどき、男の横手に向かって逃げた。

「このガキ。」

男は憎悪と痛みでその顔を歪ませ吐き捨てると、走り去るシンジの背中に銃口を向けた。

その瞬間、男の視界の端で影が動いた。

男が視線を巡らせその方向を見ると、ミサトがその身を踊らせてテーブルの上に置かれた銃に飛びつき、それを手にしようとしているところだった。

「クソ。」

男がそう罵ってミサトに銃を向け直すのと、ミサトがテーブルの上の銃を取り、空中で身をひねってそれを男に向けるのとがほぼ同時であった。

互いが銃を向け合い、そして同時に銃口が火を吹いた。

男が胸を射ぬかれて後方にのけ反る。

それと同時にミサトの体がドオと床に落ちた。

落ちた姿勢のまま、ミサトの体に起きだす気配はなかった。

「葛城さん!」

蒼白の表情でシンジが駆けより、膝まづいて倒れているミサトの体をゆすろうとした。その時、

「ウッヒャー、今のはちょっちやばかったわね。」

緊張感の感じられない、どこかとぼけたミサトの声が聞こえ、倒れていた体がモソリと動きだした。

「か、葛城さん、怪我は・・・・・」

体を起こし、尻餅をついたような格好で床に座りこむミサトにシンジが聞いた。

「大丈夫・・・・、だけど一帳羅がだいなしね。これじゃ。」

ミサトがそう言ってシンジに着ているロングコートの襟の部分を示した。そこには小さな穴が開いていた。先ほどの銃撃で出来たものらしい。

ホッとシンジが溜息をついた。

「それよりシンジ君はどう? その頭の傷は?」

ミサトがシンジの額から薄く流れる血を見ながら言った。先ほど男に拳銃で殴られた時に出来た傷によるものだった。

「たいしたことありません。」

「そう、よかったわ。」

ミサトが笑った。しかし、その笑顔も次の瞬間には消えていた。

倒したはずの男の呻き声が聞こえてきたからだ。

ミサトは素早く立ち上がると、シンジをその場に残し、銃を構えながら仰向けに倒れている男に近づいていった。

見ると、男の胸からは大量の血が吹き出し、それが男のスーツを真っ赤に染めていた。まだ息があるようだが、もはやそれが消えるのも時間の問題であることは明らかだった。

ミサトが男の傍らに膝まづき、その肩を軽くゆする。

男が薄く目を開けた。

「あんたにシンジ君を殺すよう命じたのは誰?」

先ほどのシンジとの会話からは想像も出来ないような、酷く乾いた声でミサトが聞いた。

「・・・・・・。」

男はそんなミサトを無言で見つめた。

「死ぬ前に一度くらい人に感謝されることをしたら。今更遅いかもしれないけど、天国の門が開くかもしれないわよ。」

男は無言でいたが、しばらくしてその唇が動いた。何かをミサトに言いたそうなそぶりを見せる。

ミサトが耳を男の口に近づけた。

「・・・・・さ、先に地獄で待ってるぜ・・・・・。」

そう言って男が笑った。口の端から血を吹き、目を血走らせた壮絶な笑みであった。その笑みを浮かべたまま、男は事切れていた。

その笑みを見つめ、ミサトが小さな溜息をついた。その表情にどこか疲れた感じがただよう。

「葛城さん・・・・。」

倒れた男の顔を無言で見つめたまま動かないミサトに、シンジが近づき声をかけた。

「死んだんですか、その人・・・・。」

「ええ。」

気だるい声でミサトが答える。

「この人はいったい・・・、ピンカートンの探偵じゃないんですか?」

「ちがうわ。」

「・・・・・でも、何だっていったいこんな・・・・。強盗なんですか?」

「殺し屋よ。」

「殺し屋って・・・・。」

「あなたを殺すように命じられたのよ。」

「・・・・・。」

ミサトのその言葉を聞き、シンジは言葉を失った。

そのシンジの様子を沈痛な面持ちでミサトが見つめる。

「シンジ君・・・・・」

そしてシンジに何かミサトが語りだそうとした時、居間の入り口に人影が現われた。

その手にはライフル銃が握られ、その銃口をミサトに向けて構える。

それを見たミサトが反射的に拳銃をその男に向ける。

「待って!」

銃口を向け合う二人の間にシンジが割って入った。二人が打ち合うのを制止すべく、その左右の手のひらをミサトと、入り口の男の両方に向けた。

「葛城さん、この人は敵じゃありません。」

シンジがミサトに向かって言う。

「銃を下ろしてください。」

しかし、ミサトは銃を下ろさない。無言で銃を構え続けている。

シンジはやむなく入り口の男に声をかけた。

「この人は敵じゃありません。だから銃を下ろしてください・・・・・、ジャックおじさん。」

居間の入り口に、碇家の隣人、ジャックが立っていた。

しかし、ジャックもシンジの言葉が聞こえないように、その銃口をミサトに向け続けた。

「おじさん・・・」

「あんた昼間の・・・・・」

再び声をかけようとしたシンジを無視するように、ジャックがつぶやくように言った。

昼間、墓地から帰る途中出会った旅人が、銃を向けている相手だと気づいたようである。

「ここで何をしている。」

ジャックがミサトに問う。

「さっきの銃声は何だ。」

対するミサトは無言。

「銃を捨てろ。」

ジャックが言った。もしここでミサトが銃を捨てなければ、本当に撃ち合いをする気でいるような口調だった。

「捨てろ!」

ジャックが怒鳴る。

「葛城さん・・・・。」

シンジが懇願するような表情でミサトを見た。

ミサトが肩をすぼめた。そしてゆっくりと銃を床に置くと、手を上げて後方にさがり、壁を背にするような格好で立った。

ミサトが壁際に立ったのを確認した後、彼女が銃を置いた所までジャックは移動し、彼女の銃を拾い上げると、それをズボンのベルトにねじ込んだ。そこまでしてようやくジャックが銃を下ろす。しかしいぜんとしてその目は油断なくミサトを監視している。

「いったいこれはどういうことなんだね、シンジ君。」

ジャックが床に転がっている男の死体を見ながらシンジに聞いた。

「それが、僕にもよくわからないんです・・・・・・。」

そう言ってシンジはミサトの方を向いた。それを見たジャックもミサトを見据える。

「あんたなら、この事態の説明ができるのかね。」

その問にミサトは静かにうなずいた。

その時、

「おーい、ジャック大丈夫か?いったいどうなってる。」

玄関の方から、数人の男達の声が聞こえてきた。シンジの聞き覚えのある、町の男達の声であった。

「大丈夫だ。シンジ君は無事だ!」

ジャックが振り返って叫んだ。どうも様子からすると、シンジの家から銃声がしたので男達が銃を手に駆けつけ、中の様子を探るため、ジャックが代表して家の中に飛び込んだらしかった。

「町の連中がこの家の前に集まってる。とりあえず君が無事なのを皆に知らせてくるが、その後で何があったのか聞かせてもらうよ。いいね。」

「はい・・・・。」

ジャックがそう言い、シンジがうなずいた。

「それにあんたにも聞きたいことが山ほどある、それも聞かせてもらう。」

そうミサトにも言い残すと、ジャックは部屋を出ていった。

後に残されたシンジとミサトには、気まずい沈黙がおとずれた。

「葛城さん・・・・。」

その沈黙の中、シンジが声をかけた。

「葛城さん、まだ僕になにか隠していることがありますね。」

ミサトを見つめながら、シンジが言った。

「ええ。」

沈痛な面持ちでミサトが答えた。

 

<第四話へつづく>

 


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