The West End of Eden

第五話  Trail


西部では、街道のことをトレイルと呼ぶ。

英語ではTrailとつづる。本来は足跡、航跡というぐらいの意味の言葉だ。

それがいつの頃からか辺境に点在する町々を結び、荒涼とした原野を走る道を指す言葉として使われるようになった。

そうなった理由は、一度トレイルに立てばわかる。

街道と言っても、そこに道などないからだ。

あるのは馬の蹄の跡や馬車の轍の跡だけ。

それが寒々とした荒野にどこまでも続いている。

人が原野を行き来しているうちに自然に踏みならされて出来た道・・・・、それがトレイルなのである。

そこには道しるべもない。

難所も多い。

道中で病に倒れれば、その身は朽ちて路傍に屍をさらすことになり、時には盗賊さえも出る。

常に死の危険と隣り合わせの道・・・・・

しかしそんな苛酷で危険な道のことを、それでも『トレイル』と西部の人々は畏敬と親しみの念をこめて呼ぶ。

何故か?

それはまた彼らもトレイルを旅してきた者たちであり、トレイルを旅した者にしかわからない想いを知っているからだ。

遠い日、遥かな旅に乗り出そうとした時に感じたその想い・・・・

この前方にかすむ遥か地平線の向こう・・・・、果てしなく広がる荒野の向こうに何が待つのか。

何が自分を呼ぶのか。

それを確かめたくて故郷を後にしたあの日。

その胸の内に夢と、勇気と、希望と、野心をたぎらせ、まだ見ぬ世界を目指して旅立ったあの日のことを・・・、トレイルという言葉は思い出させるのである。

トレイル・・・・・

そんな先人たちの熱い想いがこめられた道。

そこに残された足跡を踏む時、それを大地に刻んだ先人たちの声が聞こえる。

『我につづけ。』、と。

「・・・・今やシンジ君もそのうちの一人、という訳ね。」

馬の背に揺られながら、横に並ぶミサトがそう言って笑う。悪戯っぽいその目がシンジのことを見つめている。

「・・・・そんなに格好いいことありませんよ、僕は・・・。」

シンジが苦笑を浮かべながら言う。

その頬がほんのりと赤い。

照れているのだ。

その照れを隠すようにシンジはその視線をミサトから離し、周囲を見渡した。

自分を取り囲む光景に、おもわず小さな溜息がもれる。

・・・・・・何もない。

その周囲、前も後ろも右も左も、360度全てに見渡す限りの荒野が広がり、その果てで地平線が空の青さと交わっている。

町はおろか人の住む家すら見えない。

悠久の時を経て形成された、人の手の及んでいないありのままの大地がそこにあった。

そう・・・、ここは雄大な西部の大地に遥かにのびるトレイルの上。

その上を、まるで大海原の真ん中を漂う木の葉ように、シンジとミサトは今、東に向けて進んでいるのだった。

 

シンジがブルークリークを旅立ってから、今日で3日。

その間、シンジとミサトの二人は昼間は馬を走らせ、日が沈むと適当な場所を見つけて眠るという生活を続けた。

朝は日の出とともに起き、夜は火を囲んで食事をし、そして毛布に潜り込んで夜空の星を見ながら眠りに落ちる。

そして翌日もその繰り返しだ。

時には荒野の苛酷な環境が辛くなることもあったが、それでもシンジはこの旅を結構楽しんでいた。

命を狙われていること、父のこと、それらの暗い事実を時々思い出すこともあったが、雄大な西部の自然はそれらを忘れさせてくれた。

この広大な荒野の中に身をおくと、それらの暗い事実がまるで別世界のことのように思えてくる。

心の傷が癒されてゆく。

それに幸いなことに、シンジの命を狙う刺客たちの襲撃もこれまでのところまだない。

そのこともシンジの心を多少なりとも軽くしてくれていた。

運がいいと言えばそれまでだが、そのことについてシンジはミサトの力に拠るところが大きいのではないのかと思いはじめている。

彼女自身はあっけらかんとしてそんなそぶりは微塵も見せないが、シンジの知らないところで彼の身を守るべく、彼女は細心の注意を払っているのではないだろうか。

刺客が襲いやすいような場所を避け、絶えず周囲に気を配っているのでは?

キャンプを張る場所の選択についてもそうだ。

『今日はここにしましょうか・・・・』

その場所を決めるのはいつもミサトだ。

何の気なしに行き着いた所を選んだように振る舞ってはいるが、あらかじめそう言う場所を探しておいたのではないか?

夜、自分が眠っている間も彼女はその周囲に目を光らせているのでは?

そうシンジは思いはじめている。

思ってはいるがそれを彼女に聞くわけにもいかない。聞いてもミサトは笑ってごまかすと思うからだ。

だから聞かない。

聞かない代わりに、シンジはミサトのために食事をつくる係りを引き受けることにした。彼女のために食事をつくることで、多少なりともミサトに対して恩返し出来るのではと考えたからだ。

ミサトの張り詰めた神経が少しでも休まるようにと、シンジはそんな願いをこめて食事をつくった。

食事といってもこんな荒野の真ん中でのこと、用意できる物はたかが知れている。

小麦粉に重曹を混ぜて焼いたソーダビスケットに、ベーコンを焼いたものと豆を煮たものを添える。それぐらいだ。

それが荒野を旅する者の常食である。

それでもシンジの作る料理をミサトは気に入ってくれたようだ。

「シンジ君の奥さんになる人って幸せになれるわね・・・・・。」

初めてシンジの料理を口した時、ミサトが目を丸くしてそう呟いたことを思いだす。

実はそれ以前一回のみミサトが食事を用意したのだが、正直言ってそれを口にした時のことをシンジは生涯忘れないだろう。

まずい。

もはやどこがどうとか、ここをもっとこうしたらとか、そう言うレベルを越えたまずさだった。

もとより荒野の真ん中で作る、たいして手間のかからない簡単な食材である。どこの誰が作ってもたいして味に違いが現れるはずはない。

それを、”どうやったらここまでまずくなるのか!”、と言うほどの料理をミサトは作ったのである。

『ミサトさんの旦那さんになる人って苦労するだろうな・・・・・・』

何とかその料理を食べ終えた後、毛布にくるまって夜空の星を見上げながらシンジは思った。

ともあれそうした理由もあって、以後、食事はシンジが作ることになった。

もともとブルークリークに居たころも、母のユイが往診や診療などで帰りが遅くなることもあったので、食事を作ることには慣れていたのだ。

そうした日常を繰り返しつつ二人は東へ東へと進み、そして町を出て3日目に二人はオレゴン・トレイルへと合流したのである。

オレゴン・トレイル・・・・、大西部に横たわるトレイルの中でも最も雄大かつ有名なトレイルの名前である。

その全長は約3200キロに及ぶ。

アメリカ合衆国中央部の町ミズーリ州インディペンデンスを起点に、カンザス、ネブラスカの大草原地帯を横切り、ララミー砦を経由して、ワイオミングの大高原、ロッキーの天険を越え、遥か太平洋を臨む西海岸の町オレゴン准州アストリアへとのびる長大な街道だ。

この西部への道が開かれたのは19世紀の初頭。この道を辿ってこれまでに何百万という開拓民が新天地を求めて旅をした。

西部開拓史の根幹を成す街道である。

そのオレゴン・トレイルの上を今、シンジとミサトは東へと向けて進んでいる。

場所で言うとカンザスとネブラスカの州境を少しネブラスカ側に入ったところである。その地点を一路、ミズーリ州インディペンデンスに向けて二人は進んでいることになる。

そのオレゴン・トレイルを進むシンジの前に、人の踏み開いた道が地平線の彼方にどこまでも続いている。

「オレゴン・トレイル・・・・、開拓者の道・・・・・、母さんもここを通ったのか・・・・・。」

目を凝らしてその行く手を見つめるシンジの胸に、感慨深い想いが去来する。

この道を、かつては自分も母に連れられて通ったはずなのである。

まだ生まれて間もないころ、まだ目が開いて間もないころに自分はこの景色を見たはずなのである。

その道を今こうして進んでいる。

『母さん・・・・』

シンジは瞳を閉じ、新天地を求めこの広大な荒野を旅する母の姿を思い浮かべようとした。

14年前・・・、このトレイルを西へ西へと進んで行く開拓民を乗せた幌馬車隊・・・・

それらがトレイルの向こうから、こちらに向かって進んでくる光景がシンジの脳裏に浮かぶ。

約30ぐらいの馬車のうちの一台を操っているのは、黒い瞳と髪を持った美しい女性だ。

馭者台に座り、手綱を握り締め、毅然としたその瞳は遥か荒野の果てを見つめている。

そしてその馭者台にはもう一人、生後まだ間もない赤ん坊が、毛布にくるまれ、馬車の揺れをゆりかご代わりに眠っていた。この寂寥とした荒野にあって、安らかな寝息をたてられるのは彼の母がそばにいるからであろうか。まるで母の胎内にいるかのように、心地良げに眠っている。いったいどんな夢を見ているのであろう・・・、その寝顔に時々笑みが浮かぶ。

幻影の母と自分を乗せた幌馬車が、トレイルを行くシンジと擦れ違っていった。

シンジは振り返り、その遥か14年前の思い出を見送る。

『・・・・・僕も来たよ、母さん。母さんも旅したこのトレイルに・・・・・』

荒野の果てに消え行く幻影を見つめ、シンジが呟いた。

 

その日の夕暮れ・・・・

シンジとミサトは小川を見つけ、その川原にキャンプを張ることにした。

旅装を解き、さっそく二人は砂埃にまみれた顔や腕をその小川の水で洗った。

「ふー、生き返るわねえ。」

心地良げなミサトの声が、シンジの横あいから聞こえてくる。旅の疲れがいっぺんに取れたといったような感じの声するであった。

「ええ・・・・」

シンジもミサトの声にうなずく。

と・・・・・

ミサトの方を向いたシンジの視線が彼女の胸元に止まった。なにかしら不思議な表情がシンジの顔に浮かぶ。

「ああ・・・・これね。」

ミサトがシンジの視線に気付き、シンジの視線の注がれたそれを手にとって見せた。

ミサトが手にしたのは銀色に輝く十字架のペンダントであった。

「いつもは服の下に入れてるんだけど・・・、こういう時わね。」

そう言ってミサトが微笑む。

ミサトはハンカチを小川の水で湿し、それでえりもとを拭いていたのだが、そのためにシャツのボタンを2つほど外したので、ふだんはその下に隠れているそのペンダントが出てきたのだった。

「奇麗なペンダントですね。」

「ありがとう。でも変よね、教会にもめったに行ったことないのにこんなもの着けてるなんて・・・・・。だからいつもは服の下に入れているの。」

ミサトがそう言い、感慨深げに手にしたペンダントを見つめる。これまでシンジの見たことのない表情が、その顔に浮かんでいた。

「そのペダント・・・・、ミサトさんの大切な物なんですか?」

「・・・・私のお父さんの形見・・・・」

ペンダントを見つめながらそっと囁くように言ったミサトの言葉に、一瞬シンジはハッとした。

思えばそれがミサトのことについてシンジが知ったはじめてのことであった。これまで一緒に旅を続けてきて、いろいろなことを話したりしたが、ミサトの過去に関してはほとんど聞いたことがない。

「・・・・・・ミサトさんのお父さん亡くなられたんですか?」

「私がシンジ君ぐらいの年にね・・・・、その時母も一緒に・・・・。」

「・・・・ごめんなさい、変なこと聞いちゃって・・・・。」

「いいのよ。もう昔のことだもの・・・」

そう言ってミサトが明るい表情で笑う。

「でもね、これって相当年季の入った代物らしいわよ。私のお父さんもお祖父さんからこれをもらったって言ってたし、お祖父さんもその父親からもらったらしいの。」

「へえ、凄いですね・・・・」

「父がいつも言ってたわ、『このペンダントは我々の種族の歴史を見てきたんだ』って・・・・。」

「・・・・僕たちの・・種族か・・・・・」

シンジがつぶやく。

ミサトが言う『我々の種族』とは、またシンジの種族でもあった。

黒い瞳と髪を持ち、その姓を名前よりも先に呼ぶことを習慣とする人々・・・・。彼らはもとは同じ一族を起源として現在に至っている。

「・・・・・・シンジ君は知ってるの? 昔、私やシンジ君の先祖がどうやってこの国に来たのか、どうして今私達がここにいるのか。その理由を。」

こくんとシンジがうなずいた。

「母さんから聞きました。」

「そう・・・・、私は父から聞いたわ・・・。」

ミサトが再びペンダントを手にとり、遠くを見るようにしてそれを見つめた。

「その歴史の中をこのペンダントも旅してきたのね。」

ミサトがつぶやく。

そのミサトの手にする銀の十字架をシンジもまた見つめていた。かつて母から聞かされた遠い祖先の話を思い浮かべながら。

 

シンジとミサトが歩むこのオレゴン・トレイルは、彼ら黒い瞳と髪を持ち、その姓を名前よりも先に呼ぶことを習慣づけられた人々、いや種族にとっても縁の深い道であった。

シンジやミサトより数世代前、その父祖たちはこの道を辿り、広大な大陸の各地へと散っていったからだ。

彼らはもともとこの大陸に先住したきた民の子孫ではない。

良く似た顔だちをしてはいるが、彼らの祖先もまたヨーロッパからの移住者たちと同じく大洋を渡ってきた者たちである。

遥か太平洋の彼方にある小さな島国が、彼ら種族の故郷であった。

彼らがこの大陸に第一歩を印したのは古くおおよそ西暦1600年頃、シンジたちより二百数十年ほども前である。

ちょうどそのころ、大陸を隔てた東海岸ではヨーロッパからの移住が開始されはじめたところだ。

しかし、この2つの文明から来た種族は大陸の西と東の海岸に居住し、そのお互いの存在を長い間知らぬままに時が過ぎた。

しかし約200年の年月を経て、二つの民族は遂に接触することになる。

時は西暦1805年、場所は現在のオレゴン准州付近。

そして初めてこの黒い瞳と髪を持つ種族に接触したヨーロッパ系種族の者こそ、かのルイスとクラークの二人であった。

 

メリウェザー・ルイスを隊長、ウィリアム・クラークを副隊長とした西部探検隊が組織され、一行が当時千名に満たない人口であったセントルイスを出発したのは1804年の5月のことであった。

当時まだ西部一帯はヨーロッパ人種には全くの未知の世界であり、ごく少数のマウンテンマンと呼ばれるビーバー等の毛皮を捕る猟師たちがこの世界に入り込んではいたが、まだまだその情報は圧倒的に不足しており、秘境と言う名が最も似合う地域とされていた。

折しもそれより数か月前、アメリカ合衆国はフランスよりミシシッピー川以西の広大な土地を譲渡され、その領土を一気にそれまでの倍近くに膨張させていた時期である。

独立戦争を戦い抜き、新たな国家の建設に向けて邁進する人々の目は、否応なくこの地図上の空白地帯へと向けられていた。

そんな気運の中、このルイスを隊長とした西部探検隊が組織されたのは当然のことと言える。

またこの探検隊を全面的にバックアップしたのは第三代大統領トーマス・ジェファーソンであったが、この独立宣言を起草したことで有名な人物には密かな焦りがあった。

その理由は、この未知の土地への探検が他国でも急速に進んでいたからに他ならない。

カナダではすでに1773年に探検隊が苦難を乗り越え太平洋岸に陸路到達していたし、ロシアもアラスカから南下の機会を狙っていた。

彼にしてみれば、今後アメリカという国を形成していく上で、西部一帯の土地と資源はどうしても必要な物であったのだろう。それを手に入れるために、ここで自国の者がこの土地の調査を行うことは、このうえない利益をもたらすと考えたに違いない。

そんな人々の期待に後押しされる形で、ルイス隊長率いる探検隊はセントルイスを出発し、ミシシッピー川へと流れ込む支流の一つ、ミズーリ川を遡り西部の最深部へと分け入っていったのだった。

その船旅は当然のごとく苛酷を極めた。

調子の良いときには一日に川を数十キロ遡ることもあったが、途中に待ち受ける急流や不意に起こる増水などによって船はしばしば破損し、その航程は遅々として進まなかった。また岸に上がれば毒蛇やグリズリー等の脅威が彼らを襲い、風土病等の衛生面でも彼らは頭を悩ませた。

そしてさらに彼らにとって最大の脅威となったのが、旅の途中で出会うネイティブ・アメリカンの各部族であった。

スーやシャイアンなど、勇猛をもってなる部族の住む土地を横断して行くのである。当然彼らとの軋轢も生じる。東部の部族と違い、まだまだこのあたりの部族は白人に敵対する意識が旺盛であり、ちょっとした誤解が即命のやり取りに発展しかねない。

ルイスは彼らとの交渉に際し辛抱強くことにあたり、酒や銃などかねて用意しておいた贈り物を送って何とかその行軍を続けることに成功した。

そして出来うるかぎり彼らとの間に友好関係を築き、彼らから様々な話を聞くように努めた。もともと探検隊一行の目的の一つに、彼らネイティブ・アメリカンの情報を収拾する、というのも含まれていたからである。

そしてその旅の途中立ち寄ったスー族のとある村で、ルイスはその村の酋長から不思議な部族の話を聞いたのである。

『ここから遥か西に向かうと大きな泉に出合う。そこで私は我々に良く似た不思議な部族の者に出会った。』

通訳を介して伝えられる酋長の重々しい言葉に、ルイスは興味を覚えた。

「不思議な部族ですか?」

『そうだ。あれはまだ私が酋長になる前、次の酋長になるための試練として前の酋長に西への旅を命ぜられた時のことだ。』

すでに年老いた酋長は語った。

「どんな部族だったのです?」

『顔は我々に良く似ている。しかし言葉は通じない。我々が部族の間で話し合いをする時に使う手話も通じなかった。』

「・・・・・・・・」

『また彼らは我々とは違う神を崇めている様だった。』

「それはどんな神だったのです?」

『わからん・・・・。しかし彼らは今君がしているのと同じものを首からぶら下げていた。』

酋長がルイスの胸元を指差した。

ルイスが自分の胸元に視線を落とす。自分の首にかかるそれを見たルイスの顔に、とまどったような表情が浮かんだ。

「これを・・・・ですか?」

『そうだ。』

酋長が重々しくうなずいた。

ルイスはその返答を聞き、あらためて自分の胸に輝くその金属を疑念の目をもって凝視した。

彼の胸には銀の十字架が輝いていたのである。

 

そのスー族の村を辞した後も、ルイス一行の西への旅は続いた。数々の困難を克服し、ようやくのことでロッキー山脈を越えてコロンビア川を河口まで下り、そしてついに彼らはその眼前に漠然と広がる太平洋を見たのである。

場所は現在のオレゴン州アストリアの付近、時に西暦1805年12月3日のことであった。

セントルイスを出発して実に1年半の月日が経過していた。

これでこの探検の目的はほぼ達成されたのであるが、ルイスには一つ気にかかっていたことがあった。

スー族の村で聞いた例の不思議な部族のことである。

自分たちと同じ宗教を持つ、異世界の種族。そのことが頭にあってどうしても離れない。

その正体を突き止めてみたい。

その思いが彼に、隊をもと来た道を引き返させずに、このまま海岸線を南下させる命令を出させた。

そして一行はその数日後、眼前の海岸に高度に発達した町を発見するのである。

その時の模様をルイスはその日記の中でこう語っている。

『・・・・・その町を一目見た時、我々は自分たちが今どこにいるのかその確証が持てなかった。我々は確かにこの一年半の間この辺境の地を旅してきたのであるが、この町を目にした今、それが間違いであったと他人に言われても、私はそれを否定できなかったであろう。我々が目にした町は、おおよそセントルイスの比ではない大きさであった。町には異国を思わせる木造の家屋が並び、道を行く人の数と言えばボストンのそれを彷彿とさせる。また海岸に開かれた港からは船が出入りし、船が入港する度にその船底からはたくさんの魚が排出された。そしてその町の郊外には整然とした農園が広がり、そこで採れる作物の量は、おおよそこの町の全ての人々の食欲を満たしてなを有り余るものと予想さる。いったいこのような町を目のあたりにして、ここが辺境であると言うほうが他人より奇異の目で見られるのではないだろうか。』

ルイスら一行はしばし呆然とした面持ちで、眼前に広がる町を眺めていた。

町の方でも彼ら異世界からの訪問者に気付き、町外れに多くの住民たちが集まり、遠巻きに一行を眺めていた。

その住民たちの風貌を見てルイスは思った。

彼らの持つ黒い瞳と髪、それらはこれまで接してきたネイティブ・アメリカンの人々と同じである。しかし明らかにそれとは異なる人種であろう。どちらかと言えば、話に聞いた東洋の種族を彷彿とさせる風貌を彼らは有している。

しかしこのままにらみ合っていても始まらない。とにかくここまで来た以上彼らとどうにか接触を果たさなければ・・・・・、それにはどうしたものか、とルイスが考えあぐねていると・・・・。

その群衆の中から、一人の男が近づいてきた。

男はどこか修道士をイメージさせる黒い衣服を着、その胸にはスー族の酋長の言葉どおり銀の十字架が光っていた。

男は近づきルイスらに笑いかけ、なにか言葉を喋った。

しかし、その言葉の意味がルイスにはわからなかった。

同行のネイティブ・アメリカンの通訳の者を振り返ってみたが、彼にも言葉が理解できないらしく、呆然とした顔つきでその場に立ちつくすのみであった。

こうなれば仕方がない、ルイスは意を決して英語で彼に語りかけることにした。

「何と・・・、おっしゃったのですか?」

ルイスは緊張した面持ちでたずねた。

「『ようこそ・・・・、我等の町へ』、と。」

それに答える声があった。目の前の黒い瞳の男ではなく、ルイスの後方からその声は聞こえた。

ルイスが振り返ると、そこに隊員の一人が呆然とした様子で立ち尽くしていた。

「わかるのか! 彼らの言葉が!」

勢い込んで聞くルイスにその隊員はひきつった面持ちでうなずいた。

「・・・ええ、多少はわかります。・・・・ただ訛りが強いようで・・・・」

「訛り?」

「・・・・彼はスペイン語を話しているようです。」

「スペイン語だと・・・・」

「・・・・はい。」

ルイスは混乱していた。この辺境に現れた近代的な町。そしてそこに住む黒い髪と瞳を持つ人々。そして彼らは自分たちと同じ神を信じ、スペイン語を話している。

訳がわからない。

ルイスはしばらく混乱した頭を落ち着かせようと深呼吸を繰り返し、その後このスペイン語がわかる隊員に言った。

「では君から彼らに聞いてくれ。あなた達は何者でどこから来たのかと。」

隊員はルイスの言った言葉を訳し、黒い瞳の男に言った。

男はその言葉を理解出来たらしく、海を指差して二言三言なにか言った。

「『我々は昔、この海を渡ってきた者たちの子孫である。』と言っています。」

隊員が訳した。

「どうしてこの海を渡ってこられたのか?」

ルイスは男に向かって言った。

男が答える。

『新天地を求めて。』

 

豊臣 秀吉がキリスト教信者、いわゆるキリシタンへの禁圧政策を開始したのは西暦1596年のことである。

その政策は政権が徳川に移った後も続き、1614年ついに幕府は禁教令を発した。

さらに1635年には日本人の海外渡航及び渡航者の帰国を禁じた海外渡航禁止令が発せられ、これにより日本は世界の情勢から身を引き長い眠りにつくことになる。

いわゆる鎖国の開始であった。

この禁教令から鎖国に至る約20年の間に、多数のキリスト教信者が国外へと出た。

その階級、出身は様々であったらしい。

その中には高山 右近のような高名な戦国武将もいたし、名もない足軽もいた。

農民もいたろうし、大工、商人、漁師もいた。

彼らの共通点は一つ、自らの信じる神を捨てることが出来ないということであった。

信仰の力は彼らに故郷を捨てさせ、海を渡らせた。

そんな彼らの行き着く先の多くは、当時東南アジア各地に見られた日本人町であったという。海外に進出していた日本人の手によってすでに戦国時代末期から形成されていこれら集団居留地は、日本人による自治制をとり、日本のアジアにおける交易の重要拠点でもあった。マニラ、アユタヤ、フェフォ、ツーラン、プノンペンなどに造られたものが特に有名である。

未知の世界に旅だった彼らはそれらの地に落ち着き、数々の苦労の果てにそこで新たな生活を開始しだした。

しかし歴史の流れは、またも彼らを苛酷な状況へと追いやる。

それら日本人町が次第に衰退しだしたのである。

もともと貿易拠点として栄えたこれらの町である。本国日本が鎖国に入ることによってその存在基盤が揺らぎ始めたのだ。訪れる本国の朱印船の数は激減し、そしてついにそれは途絶えてしまった。

人々は生活の糧を得る手段を失い、かつての繁栄が夢であったかの様に、それら日本人町は歴史の渦の中へと消えていった。

残された人々の運命も同様である。

当時各国の勢力が割拠していた東南アジアにあって、力を失った種族の辿る運命は決まっていた。他国人との確執と闘争、それが彼ら種族の衰退を速めた。

もしそのまま行けば、かつて自分達がどこの国から来た何者であるのかを覚える者もいなくなり、彼らの存在もまた歴史の闇に消えるはずであったろう。

しかし・・・・・

『新天地を目指しましょう。この大洋を渡り、遥か彼方の新世界で新たな国を造りましょう。』

そう唱える男がいた。

男はスペインの宣教師であった。その名は伝わってはいない。布教のために訪れた日本を禁教令によって追放され、その後彼ら故郷を捨てた者たちと行動をともにしていたらしい。

彼は言う。

『私の祖国はかつてこの東に広がる大洋の果てに広大な大陸を発見した。そこは海の様に大地がひらけ、まだ人の手のついていない土地がたくさんある。そこへ行き、そこで我々の国を造りましょう。』、と。

すでにこの時マゼランの世界一周から1世紀が経っていた。かつてコロンブスが大西洋を横断して発見したアメリカ大陸へ、アジアから太平洋を越えて到達する航路がすでにスペイン人により開拓されていたのだ。

くしくもこれよりも少し前、この同じ航路を辿った日本人がいる。奥州の雄、伊達政宗がメキシコ経由でヨーロッパへと派遣した支倉常長らである。彼らもまたこのスペイン人の開拓した黒潮航路に乗り、メキシコとの貿易を成就させるべくこの大海を渡っていたのだ。その航路を辿り、この宣教師は新大陸へ渡ろうと言うのである。

もちろん多くの者がその考えに疑念を持った。いかに誰の手も及ばない新天地だとはいっても、そこに至るにはこの遥かな大洋を越えねばならない。到底無理な話である。出来るわけはない・・・・・。ほとんどの者がそう思った。

だが・・・・、彼らのうちのごく一部、ほんの少数ではあったがその途方もない計画に賛同する者たちがいた。彼らは東南アジア各地に散らばった同胞に呼びかけ、その計画の素晴らしさを説き、その計画への賛同を促してまわった。

彼らは言った。

『この海の向こうにこそ、我々の約束の地があるのだ。』、と。

すでに故郷を捨て、もはやこの地にも未来は無い。

例えそれがどんなに困難な旅であるとしても、そこに一縷の希望があるのならそれにすがってみたい。

かつてモーゼがイスラエルの民を引き連れ遠く約束の地を目指した時のことを、彼らはあるいは自分たちにだぶらせていたのかもしれない。

そしてその努力が実を結び、しだいにその計画に賛同する者の数は増えていった。

その数約1000人。彼らはとある日本人町に集い、そこで残る財の全てをかき集めて15隻の帆船を建造した。

そして彼らはそれらの船に乗り込み、新たな世界を目指して芒洋と広がる太平洋にこぎだしていったのである。

船団は一度日本近海まで北上し、その後黒潮に乗って東へと向かうコースをとった。

しかしその航海もまた、モーゼの旅と同じく苛酷なものであった。

暴風雨が船団を襲い、数隻の船をその乗員ごと波間に沈めた。

飲み水や食料の不足が彼らから体力を奪い、衛生面の悪さがさらに追い撃ちをかけた。

航海の途中で大勢の人々が病に倒れ、そして死んでいった。

その他にも様々な試練が彼らを襲い、その数は次第に少なくなっていった。

そんな苛酷な航海を彼らは約8ヶ月もつづけ、そしてついにその水平線の彼方に緑なす大地を発見するのである。

その時には乗員の数は6割まで減り、残った船も傷ついて、もはや航海に耐えられない状態になっていた。

生き残った彼らは海岸へと上陸し、神への感謝の気持ちを胸に、その地に新たな自分たちの町を建設することを誓ったのである。

そして年月は流れ、200年が過ぎた。

 

『それが・・・・我々の歴史です。』

そう言って、ルイスらを向かえた男が語るのを終えた。

場所は彼らの町の教会の中、四角いテーブルをはさんで、男とルイス一行が向かい合って座っている。

男はこの町の神父であると言った。

かつて彼らをこの大陸に導いたスペイン人の宣教師からかぞえて8代目の神父であるという。そのために、たどたどしいながら自分はスペイン語が喋れるのだと、彼は説明してくれた。他の者たちは母国の言葉を使っているが、神父だけはその宣教師が残した聖書、その他の書物を読むために、スペイン語を学ぶことが義務づけられているというのだ。

男の語る彼ら種族の歴史に、しばしルイスは言葉を失った。

なんという遥かな時間、なんという遥かな距離を経て、この町は形成され、この種族たちは現在にいたったのか。

『よくぞ・・・・ここまで・・・・・』

そうルイスは胸の内でつぶやく。

よくぞこの地にこれだけの町を200年もかけて築いたものだと思う。

資材も食料もほとんど無い状態から、よくぞこれだけのものを・・・・・、その過程の困難さがルイスには痛いほど良く理解出来た。

これまで彼も道なき道を辿り、ここまで旅をしてきた者である。その苦労は身にしみてわかっているつもりだった。

「あなた方種族の勇気と行動力に、敬意を表します。」

ルイスが男に言う。

『ありがとうございます。・・・・ですが、それももう終わりです。』

男が静かに答えた。

「終わり? どういう意味です?」

『我々のこの町も、そう遠くない未来に消えてしまうでしょう。』

「何故この町が消えるというのです?」

『あなた方が来られた・・・・。それが理由です。』

男が静かにルイスを見つめて言う。

『あなたが来られたと言うことは、この後あなたの同胞の方々がここに来られるということです。もう・・・・、これまでのような生活は我々には送れないでしょう。』

「待って下さい! 確かに今後、我々の同胞はこの地に多く来るでしょう。確かに私はその先鋒としてこの地に来ました。それは認めます。ですが、だからと言って我々はあなた方の生活を乱すような真似は・・・・・」

ルイスの抗弁に、男が静かに首を振る。その顔に慈愛に満ちた微笑みが浮かんでいた。

『私が言いたいのは、歴史の流れについてです。かつて我々の祖先は祖国を捨て、そしてまた移住した地も捨ててこの地に来ました。全ては歴史の流れ、人の力ではあらがえない大きな流れの中で起こったことです。そして今、外の世界からあなた方がやって来られた。時が流れ、人が変わってゆく。それだけのことです。』

「しかし・・・・」

ルイスがさらに抗弁しようとするのを、男が制した。

『もうよしましょう、ここでいつまで言ってもしかたの無いことです。いずれ時が経てばわかることです。』

男がにこやかに笑いながら言った。

『それよりも、あなた方の世界のことをお聞かせ願えませんか。できれば私だけでなく、町の者たちの前で。』

男が部屋の窓から外に目をやった、そこに町の者たちが集まっていた。

彼らの先祖がこの地に辿り着いた時には600人程度であった人口も、この200年の間に約1万人にまで増えたという。その瞳が窓越しにルイスたちを見つめていた。その視線の中にはどれも、ルイスら異世界からの訪問者に対する好奇心と警戒心が混同したような光がたたえられている。

その中には男もいた、女もいた。老人もいた、子供もいた。彼らはこの200年この地で苛酷ではあったが平和に暮らしてきたのだ。その平和を自分たちの到来が壊すことになるとは、ルイス自身思いたくなかった。

「・・・・・信じてもらえないこととは思いますが、約束いたします。私は私の国に帰った後、私の国の代表にこの地をあなたたちに与えるよう進言するつもりです。」

『ありがとうございます。』

男が微笑む。

『ですがそうあまり気を使わないでいただきたい。さっきも申しましたが、この地を我々が離れるようなことがあったとしてもそれは歴史の流れなのです。あなたがこの地に来られたのもすべて・・・・。ですから仮にそうなったとしても、あなたが気にやむ必要はないのです。』

「・・・・・・・」

『新たな芽が出るためには、古い種は死なねばならない。種がその生と姿に固執すれば、新たな芽は生まれない・・・・・。我々にもその選択をする時期がきたのかもしれません。』

そう言う男の笑顔が、ルイスの心に深く染みた。

 

しかしルイスの願いも空しく、歴史の流れは男の予想したとおりになる。

ワシントンに帰りついたルイスは一躍、国の英雄に祭り上げられる。そして彼の辿った世界が東部の者たちに伝えられ、西部への人の流入が一気に加速した。

日進月歩で西部に至る道が開拓され、ついにそれは彼ら黒い瞳と髪を持つ種族の住む現在のオレゴンへと至った。

その道が後年、オレゴン・トレイルと呼ばれるようになる。

それを辿って怒涛の様に人の波が押し寄せ、木々を切り、土地を切り拓いていった。

やがて入植者たちの町が出来、そして今度はそこに住む者を守るためと称して軍隊が送り込まれた。彼らは現在のアストリアの付近に砦を築き、そこを拠点にさらに勢力を拡大させていった。

その力はやがて黒い瞳の種族にもおよび、かつて歴史が何度も繰り返したように闘争という名の炎が生まれた。

それでもその炎は小さなものであったらしい。ごく少数、数人の犠牲者を彼ら種族に出しただけで、本格的な闘争は回避することが出来た。もしそれが出来なければ、それとは比べものにならないくらいの流血を見ただろう。

そうならなかったのは、彼らが全面的に恭順の姿勢をとったからだ。

いざこれから町への突入を試みようとする軍隊の前に、一人の男が進み出で来た。かつてルイスがこの地を訪れた際、彼ら種族の歴史をルイスに語ったこの町の神父であった。男は自分に向けられた何十という銃口に怯みもせず、後方に控えている隊の指揮官に言った。

『抵抗するつもりはありません。あなた方が望まれるなら我々はこの土地を去りましょう。』

それを降伏の意思ととった指揮官は、戦わずして町を手に入れられたことを喜んだが、男の次の言葉に彼らが恐怖のあまりついに気が触れたのかと思った。

男は言った。

『ただし条件があります。我々がこの地を離れる前にあなた方の指導者、大統領に会わせていただきたい。』

 

彼ら種族の代表である神父と合衆国大統領との会見は、奇跡の起こる様な確率で実現した。

それにはかつて彼らの町を訪れたルイスの尽力があったらしい。

ともかく会談は成立し、二人の間で協議がもたれた。

会談はわずか10分程度で終了した。

その席で神父が言ったのは一言。

『我々に合衆国市民としての権利を保証していただきたい。それと引き換えに、我々が今住んでいる土地はあなた方に差し上げましょう。』

その要求を大統領は受諾した。その受諾がどのような根拠でなされたのか、正式な理由は伝えられていない。同じ神を崇める者同士憎しみ合うことはないという友愛の精神によるものか、それよりも広大な土地を戦わずして手に入れられるという冷徹な算段のためであったのか、大統領の胸の内を知ることはできない。

ともあれ数奇な運命に翻弄された彼ら種族は、二百数十年ぶりに祖国を持つにいたった。彼ら全員に市民権が認められたのである。

 

そしていよいよ彼らが自らの町を出てゆく日・・・・・・

町を取り囲む軍隊に見守られながら、彼ら一族は先祖代々住み慣れた町を後にした。

町を出立するに際して住民たちにたいした混乱もなく、その作業は整然とそして淑々と行われた。

やがて、住民たちを乗せた幌馬車の列がオレゴンの深い森の中へと消えていった。

「・・・・・案外簡単にいきましたな。私はまた多少の抵抗でもあると思っていたのですが・・・・・。」

その行進を見つめていた軍人の一人が、何か物足りなそうな声で隊の指揮官に言った。

「うむ。長年住み慣れた土地だというのに・・・。奴らにはこの土地への愛着というものがないのか?」

憮然とした表情で指揮官もその副官の言葉にうなずく。

「我々の武器を見て、もはや抵抗しても無駄だということを悟ったのかもしれません。」

「まあいい。確かに少々物足りなくはあるが・・・、これでこの町が我々の物になるのであれば文句を言う筋あいのものでもなかろう。」

「ところで、もうそろそろ隊を町に入れた方がよろしいのではないかと・・・・。」

「そうだな・・・。」

隊長がうなずき、そう命令を出そうとした瞬間、町から突然火の手が上がった。

火は瞬く間に燃え広がり、その紅煉の炎が町を一瞬にして飲み干した。

「こ、これは・・・・・」

隊長が驚愕して、ただちに兵士を町に突入させる命令を下した。しかし時すでに遅く、兵士たちが町の入り口に殺到した時には火の手の勢いは一層激しさを増し、人が飛び込めないほどの猛火に包まれていた。

兵士たちはその指揮官を含め、その町が焼け落ちる様を呆然と眺めるより他なかった。

すると・・・・

猛火に包まれた町から一人の男が歩み出てきた。

その黒い衣服は所々焦げ、その顔は黒い煤に覆われていた。その胸にかかる銀の十字架が、紅煉の炎に照り映えている。

この町の神父であった。

「おい、いったいこれは何の真似だ!」

出てきた神父を取り押さえ、眼前に引き出した隊長が怒鳴った。

『火をつけたのです、私がね。』

神父が静かに答える。

「何!」

『火をつけたのですよ。よく燃えるように油をまき、それに火をつけました。』

「貴様どうしてそんな真似を!」

『せめてあの町の最期を見取ってやりたかったのです。あなた方に蹂躪され、踏み荒らされる前にね・・・・・。あなた方には損をさせて申し訳ないとも思いましたが・・・・。』

”損をさせる・・・・”、その言葉は、町に入った兵士たちが、町に残った物を略奪しようとしていたことを暗に告げていた。

「貴様!」

隊長が神父を殴りつけた。神父の体が後方に吹っ飛ぶ。

「こ、こんなことをして貴様、ただですむと思っているのか。放火は重罪だぞ、縛り首だ!」

『どうぞ好きになさればいい・・・・。しかしあなたにはわからないでしょう。今ごろこの炎を眺めている我が同胞たちの胸の痛みを。自分たちがこれまで暮らし、育ててきた町を自分たちの手で葬らねばならないこの苦しみを、あなた方にはわかるまい。』

「この男を連れていけ!」

兵士が神父を捕らえ、その両手を縛って引きたてる。

連行される神父の目が、同胞たちの消えた深い森の方に向いていた。

『どうか・・・生き延びてくれ・・・・』

深い悲しみをその目にたたえながら、神父が呟いた。

その事件の後も彼らの土地に流入するヨーロッパ人種の数は増えつづけ、やがてその土地はオレゴンと呼ばれるようになった。

そして数十年の時が過ぎ、かつてそこに暮らした黒い瞳の種族に関する記憶も薄れた頃、それら一帯の土地はオレゴン准州として正式に合衆国に合併されたのである。

時に西暦1848年のことであった。

かくして、黒い瞳と髪を持つ種族は住み慣れた故郷を捨て、この広い大陸の各地へと散って行ったのであるが、その後の境遇は各自様々であった。困難な旅の果てに辿り着いた先で、苦労の末成功を収めて財をなす者。また一方で苦しい生活に破綻し貧窮を極める者・・・・。

しかし彼らは生き抜き、今もなおこの広大な大地の上に存在している。

その子孫が、碇 シンジであり、葛城 ミサトであった。

 

「その時の流れの中を、このペンダントは渡ってきたのね・・・・・」

ミサトが胸のペンダントを手にとり、それを見つめながらつぶやく。ゆらゆらと燃えるキャンプファイヤーの炎に照らされて、そのペンダントがほのかに光る。

あたりはすっかり暗くなっていた。

河面で顔を洗った後、二人は食事を済ませ、その後の穏やかなひとときを先ほど話題になった彼らの種族のことについて話した。

彼らの親から聞かされたその歴史・・・・

それを二人は語った。

何故、シンジとミサトの二人はこの広大な荒野の中にいるのか。

なぜこうして旅を続けるのか。

その理由の一端はその歴史の中にある。

「ミサトさん・・・・」

シンジがつぶやく。

「その話をはじめて聞いた時、どんな風に思いました?」

「さあ・・・・、どうだったかしら? もうずいぶん昔のことで忘れちゃったわ。」

「・・・・・・僕はとっても悲しかったのを覚えています・・・・。」

「そう・・・・」

「でもその時母さんがこう言ったんです。『生きてさえいれば、どんなに辛い時でも人は幸せになることが出来る。』って。」

「・・・・・・」

シンジのその言葉を最後に、二人の会話はしばらく途絶えた。

その沈黙の中、火の爆ぜる音だけが二人の耳に届く。

シンジは膝を抱えてゆらめく炎を眺め、そしてミサトはそんなシンジのことを見つめている。

「シンジ君は幸せになりたい?」

不意にミサトが口を開いた。

「・・・・・・・・なりたい、・・・多分そうなりたいんだと思います・・・。でもそれがどんなものなのか・・・・、それが本当にこの世にあるのかどうか、僕にはよくわかりません・・・・・。」

しばらくして、炎を見つめながらシンジが答えた。

「今までに、自分は幸せだと感じたことはないの?」

ミサトの言葉に、シンジは亡き母のことを思った。今はもう遠い、故郷のブルークリークを思った。だがしかし、それらのいずれも今のシンジにはない。

「・・・・前はそうだって思えたこともありました。でも今は・・・・・。もし・・・・これから先僕が幸せに思えるようなことがあったとしても、それもいつかは消えてしまう・・・・そんな気がします。」

「・・・・・・」

その後、二人の会話が再開されることはなかった。

やがて夜も更け、

「さあ、明日も早いからもう寝なさい・・・・。」

ミサトがそう言い、シンジは毛布の中に潜り込んだ。

しかし、シンジはそのまま眠る気にはなれなかった。

夜空に輝く星々を見上げる。

『この夜空を、その人たちも見たんだろうな・・・・・』

シンジは思った。

故郷を追われ、このトレイルを旅した彼ら黒い瞳を持つ種族の人々も、こうして夜空の星を見上げ、そしてどんな思いをその胸に抱いたのであろう。

遥かなる故郷の町のことであろうか。それともこれから向かうまだ見ぬ世界のことであろうか。

シンジは思う。

かつて父祖たちや母が辿ったこのトレイルを自分もいま旅をし、そしてこうして夜空を見上げている。

彼らと同じく、自分もまたこのトレイルの果てに人生を見いだすために、旅をしている。

その先になにがあるのか、そこになにが待つのかそれはわからない。

でもそれでも行かねばならない。

この先の道を行かねばならない。

かつてこの荒野を旅した母や祖先たちがそうであったように・・・・・

そう思い夜空を見上げるシンジの瞳に、流れ星が一つ尾を引くのが見えた。

この時・・・・

かつてその父祖たちがトレイルを辿った時そうであったように、碇 シンジもまた人生という名のトレイルのいまだ途上にいたのであった。

 

<第六話へつづく>

 


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