そもそも人の価値とは何だろう。

 

ここに誰もが認める優秀な人間がいたとする。

その人はそれをアイデンティティに誇りをもって生きてゆけば良い。

だが更に優秀な人間が現れたとする。

自分に変化があった訳でもないのにその人が現れたことで、彼は2番目になり地団太踏んで悔しがるだろう。

更に優秀な人間が一人、また一人と増えて続け、自分より優秀な人間ばかりになってしまったら、一体どうなってしまうのか。

逆に世の中に存在するのが自分一人だったらどうなるのだろう。

たった一人しかいない世界で人の価値なんて存在するのだろうか。

 

 

最初に断っておくが僕は頭がおかしい訳でも何でもない。

実はかつて巨大ロボットに乗って戦っていてことがある。

いや、本当なんだから仕方が無い。

僕は中学時代ある組織が開発した巨大ロボットに乗って、攻めてくる正体不明の敵と戦った。

それまで取りたてて特技もなく自分に自信を持てなかった僕だったが、戦ってみるとロボットの操縦は滅法うまかった。

 

仲間に女の子がいた。

容姿端麗、頭脳明晰、スポーツ万能、性格明朗、自信満々、ただしちょっと我侭だったが非の打ち所がない女の子だった。

頭から僕を馬鹿にしていたが、如何せん何故かロボットの操縦だけは不思議と僕に勝てない。

ショックを受ける彼女を見ているとなんだか悪い事をしているようで随分気を使ったが、結局プライドの高い彼女には効果がなかった。

当時は責任を感じたが今となっては一体誰が悪かったのかも良く分からない。

彼女はその後ふてくされて故郷のドイツに帰ってしまった。

だがそんな僕も一連の戦いが終わってみると普通の学生に逆戻りだった。

 

 


 

 

今僕は第二東京大学の大学院生だ。

第二新東京にあるこの大学は一応日本の最高学府で世の中に知られている。

 

と言っても、僕の場合は真面目に勉強していたら大学院まで来てしまったので程々にやっているだけだ。

真面目にと言っても積極的に好奇心をもって勉強している訳ではないく、授業に出席すること、言われたレポートを期限に提出すること、テストで及第点をとること、この程度をこなしていれば進学くらいはなんとかなるものだ。

つまるところは社会人になるよりは大学に残った方がなんとなく良いのではないかと考えてずるずると居座っている。

研究室は古めかしい建物の中にある、これまた古臭い薄汚れた壁に囲まれた汚い部屋だ。

乱雑に積み上げられた書籍類とあちこちに散乱するゴミが秘密の隠れ家のような雰囲気を作ってくれて中で佇んでいると居心地は悪くはない。

 

さて、こう言うと今度は随分やる気のない人間だと思われそうだが、そう情けない奴でもないと思っている。

こう見えてもそこそこ要領は良い方だし、集中力も人並み以上にある方だ。

最近は講義もなくなり時間があるので研究にも多少精を出すようになった。

研究内容はそれなりに最先端だし、意外に適性もあるようで、この分野については僕が一番詳しいという自負も持っている。

 

私生活についても無趣味という訳ではなく、休日には友達とあちこちと繰り出して遊んでいる。

人生の目的はまだはっきりとはしないが、少年の時のように訳の判らない不安を抱え込んでいる訳でもない。

 

 

僕は、そう、何という事もない平凡な毎日を送っているのだ。

 

 


 

 

ところで話は変るが、先日アパートのキャビネットの整理をしていたら、奥から一枚の葉書を見付けた。

どうという事もない平凡な葉書、だたしエアメールなのが普通とは少し違う。

裏には夕暮れ時の街に火が灯ったドイツの教会の風景が印刷さており、その下には手書きで短くこう書いてある。

 


 

シンジ、元気かしらね。

私は元気よ。

 

私もアンタみたいに強く生きようと思ってる。

 

またいつか一緒にランチしましょうね。

それじゃ、またね。

 

惣流・アスカ・ラングレー

 

 


 

見ての通り社交辞令とも取れるし、そうでないようにも取れる、そんな文面だ。

葉書を見て感慨にふけるなんて随分と感傷的だと笑われそうだが、僕にとっては浸るだけの価値があると思っている。

といっても、ロボットに乗って死にそうな目にあった思い出ではない。

人間とは不思議なものでそんな生死に関わる事件よりも、日常のちょっとした出来事が大きな印象を残す事がある。

そう、だから人生は面白いのだと思う。

 

ひょっとしら皆さんには面白くない話しかもしれない。

だが、僕にとっては今もって思い出すだけで甘酸っぱい、そしてちょっと胸が痛くなる思い出だ。

いや、本当の話、僕だってこう見えてもそのくらいの経験はあるのだ。

 

僕が言いたいのは、まあそういうことだ。

 

 

 

 


ランチを御一緒に

Neon Genesis Evangelion - After Story

by K.Maehara


 

 

 

 

彼女に再会したのは日差しの柔らかくなり始めた秋の日だった。

この日は12時過ぎまで教授との打合わせが入っていて、混雑する食堂に行くのを避けて予め買っておいたパンを日当たりの良い講堂の前のベンチで食べるつもりだった。

研究室のある建物は講堂のすぐ側で、その正面は花壇を中心にしてベンチが円形に配置されておりちょっとした公園のようになっている。

 

雲一つない透き通った青空が広がってる。

キャンパスの並木が柔らかい日差しに包まれて黄色く色づいた葉がキラキラと光っている。

今日の天気の良さに感謝しつつ、少し涼しくなった秋風に吹かれながら空をのんびりと眺める。

 

大学の中には色々な種類の人間がいる。

教授、助教授連中は疲れた顔をしているし、学部生は天真爛漫というか遊ぶ事しか考えていないような顔をしている。

僕のような大学院生はそれなりにアカデミックを志しつつも、責任が無い気楽な身分だ。

見渡すと今日はこの気持ちの良い天気を楽しむためか、いつもより大勢の人がベンチに腰掛けて思い思いの昼休みを過ごしているようだ。

食事をする人、本を読む人、友人と話をしている人。

行き交う人もどこかこの柔らかな天気のせいか、何故か優しげに見える。

 

その時僕がふと視線を右にやると、下の小道からこちらに続く階段を上って来る金髪の女性が目に入った。

別に外国人の研究者なんて学内では珍しくない。

ただ階段の折り返しの手前にいるため顔が見えないのだが、遠目に見てもスタイルのよいその後ろ姿は何故か僕の目を引付けた。

だがこんな時振り向いた顔を見ていつも落胆することを思い出すと、どうせ後ろ姿美人だと考え直して気にしないことにした。

 

忘れてしまおうと視線を青空に戻すが何か心に引っかかるものがある。

八頭身のスラリとしたスタイル、胸をはった堂々とした歩き方、赤みかかった揺れる長い金髪。

僕はかつての仲間を思い出しながらもう一度階段の方を見ると、彼女がこちらに折り返して顔が見えた瞬間、幻を見ているような錯覚に陥った。

 

「アスカ!」

 

思わずベンチの上に置いておいたパンの袋を手に掴むと僕はすぐに駆け出した。

ビニール袋を持ったまま血相を変えて駆け寄ってくる男に驚いたのだろう、彼女はしばらくポカンと口を開けていたが、やがて僕の正体に気がついたらしく声を漏らした。

 

「...シンジ?。何やってんの、こんな所で。」

 

いや、それは驚いた事に惣流・アスカ・ラングレーだった。

彼女は怪訝そうな顔をしてこちらを見てる。

 

「まったく、こんなとこであんたに会うなんてね。あたしに会いたくて付け回してんじゃ無いでしょうね。」

「人をストーカーみたいに言うなよ。アスカこそこんな所で何してるんだよ。ドイツに帰ったんじゃなかったの?」

「研究のためにね、長期出張よ。先月から半年の予定でこっちにいるわ。」

「ふうん、そうなんだ。僕は大学院にいて博士課程への進学がつい先月決まったところだよ。」

「そう、学者にでもなるつもり?。」

「はは、それも悪くないと思ってるよ。」

「ところであんたって、いつも一人で寂しくご飯食べてんの?。」

「今日だけさ。普段は皆と食べるけどたまたま打合わせがあったから。」

「そう、あんたが未だに孤独な青年なんじゃないかって心配したわよ。」

「少しは変わったよ。アスカこそこんな所ウロウロしてどうしたの。ナンパされるの待ってるの?」

「...あんた、喧嘩売ってんの...?。」

 

僕等は笑った。

挑発的な話し振りは相変わらずだったが、会話する内に彼女の眉間は段々と和らいでくる。

 

「シンジもうご飯食べちゃったんだ。」

「いや、今これを半分食べただけだから。まだ食べてないんだったら一緒にどう?。」

「ホント?、ラッキー!。一緒に食べてくれる人いなくて寂しかったんだ。」

「じゃあ、ここじゃなんだから外に出ようか。」

 

一瞬考えた末、僕はうちの学生が良く使う学外の小さなレストランに向かうことにした。

歩きながら、なんだか彼女印象が柔らかくなったな、そんなことを考えた。

 

 


 

 

秋のキャンパスは銀杏の並木が奇麗で散歩するには良い景観だ。

今の時間は丁度食堂の方に人が集中して雀の鳴き声だけが静かなキャンパスに響いている。

ふと横に並んで歩く彼女を一瞥して気が付いたが、彼女は昔よりずっと綺麗になっていた。

透き通るような白い肌に施した極薄いファンデーションと、唇のルージュ、目元の淡いアイシャドー、そして耳元のシルバーに輝く小さなイヤリングがとても素敵だった。

実際、勉強のこと以外気にしない女性が多いのか、学内できちんと化粧をした女性に出会うことは今まであまりなかった。

 

(こんなところでも手を抜かないのはやはりアスカらしいな)

 

そう呟きながら、もう一度彼女を見るとこちらを見上げている。

 

「あんたさあ、随分背伸びたんじゃない?。」

「ああ、180cmあるから。」

「くそう、あんたに負けるなんて、たとえ身長だとしても悔しいわね。」

「しょうがないだろ。自然に伸びたんだから。」

「全く、男はずるいわね。」

 

そういうアスカも身長は170cm近くあり、日本人と比べての話だが、かなり大きい方だ。

柔らかそうな赤みかかった金髪がふんわりと揺れていい匂いが流れてくる。

シャンプーの香り?

僕は心が微妙にくすぐられるのを感じていた。

 

レストランは正門を出て3分程歩いたところにあり、表通りに面した煉瓦作りの外観を持ったこじんまりとした店だった。

木枠にガラスがはめ込まれたドアを開けると時間が遅かったせいか比較的混雑している。

僕たちは空いているテーブルを見つけると狭い店内を縫うように進んで席にありついた。

安い洋食のメニューが中心だが味はそう悪くない。

ウェーターがメニューと水、そしておしぼりを置いて帰っていった。

何を食べようかと考えている僕にアスカはいきなりポンポンと命令する。

 

「ほら、こういうときは直ぐレディーにおしぼり渡しなさいよ。紳士のマナーってやつでしょ。」

「ごめんごめん、アスカがあんまり奇麗になってたんでボーとしてたんだよ。」

「あ、あんた何いってんのよ。」

 

本当はメニューのことを考えていたのだが、とっさに返した僕の一言にアスカは顔を少し赤くして照れている様子だ。

とりあえず会話の主導権を奪われずに済んでほっとする。

 

 

それから僕と彼女は近況を語り合った。

彼女は研究のため日本に滞在していて学内の研究室にいるらしい。

詳しくは判らないが研究分野は情報伝達理論に関するもので、かつてのマギ技術の関連だそうだ。

一方僕は脳神経メカニズムの一般化理論を研究しており、研究テーマは似ていると言えば似ていなくもない。

 

「こっちの生活はどう。」

「まだ1ヶ月なんだけどなかなか友達も出来なくってね。研究室の人達は優しくて一緒に仕事するには良いんだけれど、やっぱり食事は仕事以外の人としたいじゃない。女の子も少ないしね。」

「しょうがないさ、理系なんてそんなもんだよ。」

「ヨーロッパはこれほどひどくないんだけどねぇ。女性の社会進出が遅れてるのかしらね、全く日本人ってのは。」

 

 

食事も終わり、食後のコーヒーが出てくる。

白地に青い模様のはいったコーヒーカップ。

さっきまでランチタイムでごった返していた店内は段々と人も減り静寂に包まれて行く。

スプーンでコーヒーカップをかき回す時にぶつかるカチンという音が耳に響く。

そしてどちらともなく昔の話しを始めた。

お互い思い出したくない話。

だがここではっきりさせておかないと、後で言い出せなくなる気がして嫌だったのだ。

 

「あの頃は悪かったね。アスカに酷い事ばかりした。」

「誰にだって間違いの一回や二回あるわよ。あたしだって酷いこと言ったわ。」

「でもきちんと謝ってなかったから。」

「...お互い様よ。お互いもう忘れて良い頃よ。」

「そうだね。この話しはこれでお終いにしよう。」

 

僕はそこで話を打ち切った。

 

「そんなことより、あんた最近何かやってないの。」

「そうだね。まあ色々ほっつき歩いてるよ。」

 

最近の僕の趣味といえば山歩きや冬はスキーだったりする。

第二新東京は元々山が近い街なので行く先には苦労しない。

背中に20kg近いリュックを背負って歩くため大分体力もついたし、山男の我侭さも結構良い勉強になった。

一方日本でスキーが出来るなんて子供の頃の常夏の気候を考えると不思議な話しだが、サードインパクト後は季節が20世紀に戻っている。

最初は一人でも出来て気楽だからという理由だったが、一旦始めると仲間が出来て意外に面白い。

 

 

アスカにこの間の夏休みに山に登った話しをした。

夏の山の美しさ、標高が高くなるに従って変化する生態系、一緒に行った仲間のこと、途中の山小屋で黙ってトイレを借りたら管理人が後からどなりながら追いかけてきた事、後で仕返しにこっそり落書きして見つかりそうになって大急ぎで逃げたこと事。

アスカは腹を抱えて笑っていた。

 

「あっはっはっは、なぁんだ、あんた随分逞しくなったじゃん。」

「そりゃね。何時までも繊細な少年でもないさ。」

「はん、繊細?。いつもボケボケっとしてただけじゃない。」

 

アスカが悪戯っぽくジト目で笑う。

 

「あの頃はやりたいことなんて無かったから。目的がないから人から受け入れてもらうことばかり考えていたから。」

「そう...。それはあたしも同じね。」

「でも今は自分が何がしたいか、何をしなくちゃならないか、人に言えるようにしなくちゃと思ってる。」

「強くなったね...、シンジは。」

「...また、へんな話し持出しちゃったね。」

「ね、ねえ、シンジ。良かったら毎週こうやって食事しない?」

「うん、いいよ。別に毎日でも構わないけど。」

「あたしもそうしたいけど、実験の都合で確実にこっちにいるのは木曜の昼だけなのよ。」

「そうか、じゃあ毎週木曜日はランチの日。どうかな。」

「OK。よろしくね。」

 

そう、お互いにギクシャクする以前、僕等はこうやって微笑んでいたんじゃないか。

彼女の顔には10年前失われたと思っていた笑顔が輝いていた。

 

 


 

 

その日僕は、12時前に終わるはずの教授への報告が長引いてイライラしていた。

このままでは遅刻してアスカに怒鳴りつけられてしまう。

今日は天気が良いから外で食事をしよう、電話で朝のうちに約束をしていた。

既に10月に入り少し肌寒い季節だが、天気が良ければ日差しの下はまだポカポカと暖かい。

だが今現在の天気は先程までの好天が嘘のように厚い曇が空を覆い、何時の間にか冷たい風まで吹きすさんでいる。

僕はパンと飲み物を購入すると待ち合せの池の側のベンチに急いでいた。

講堂の斜め横下にある池はちょっとした林で囲まれていてキャンパスの中であるにも関わらず静かなのが良いところだ。

舗装していない下りの階段を駆け下りようとするが、足元に滑りやすい石が多くスピードが出せない。

ようやく一番下の段までたどり着いた時にはもう既に10分近く約束の時間をオーバーしていた。

 

「ごめんごめん。」

「あんた、あたしを待たせるなんて良い度胸じゃない。」

「いや、悪い悪い。教授が離してくれなくてさ。」

「それって、言い訳してるつもり?。」

「そんなに怒んないでよ。これでもアスカに会いたい一心で全力疾走してきたんだから。」

「へぇ、あんたその割には、あんまり汗かいてないわね。」

「き、今日少し寒くなっちゃったね。」

「全くよ。あたし冷え性なんだからね。こんなに待たされて死んじゃったらどうするのよ。」

 

まったく、こいつが寒さくらいで死ぬもんかと思いつつ、僕等は食事を始めた。

毎週こうやって食事をするときは、共通の話題である研究の話をすることが多い。

今彼女がやっている研究はかつてのマギの実績があるだけに日本が先行している部分も多い。

だがやはり言葉の壁は大きく、日本の資料の収集ともなると一部の国際会議の英語論文以外はドイツでは殆ど手に入り難い状況で、結局行動力のあるアスカが直接乗り込んできたと言う訳だ。

 

「それにね、やはり論文を書いた本人に直接質問しに行けるってのは、結構メリット大きいのよ。」

 

それは僕もそう思う。

論文なんてきれいにまとめられているだけに、裏に隠れた「本当はこんな話しがあって」という部分が影響を及ぼすことが多い。

学会などの公式な席だと構えてしまって教えてくれない偉い先生も1対1で質問すると意外と親切に教えてくれるものだ。

 

「この間なんて、シミュレーションにつかうコンパイラのバージョンで精度が1%も違うってことが判ったのよ。これってどうかしてると思わない?。」

「それって、ひょっとして○○のソフトハウスが作ったやつじゃない?。」

「あ、知ってるんだ。あたしもおかしいと思ってたんだけどね。こっちじゃ皆知ってるのかな。」

 

そんな話で盛り上がっていたのだが、僕はふと彼女に聞いてみたくなった。

 

「でも、人の話しを聞こうとするなんて、アスカも謙虚になったじゃない。」

「別に謙虚になったって訳じゃないのよ。ただ、一人で力んでても空回りするだけって判っただけ。」

「空回り?。」

「出さなくちゃいけない結果があって、追いつかなくちゃいけない状況があって、結果がついていかなくて落ち込む自分がいて。でも落ち着いて考えてみれば自分は本当に何がしたいのか判らないことばかりなの。そういう時に落ち着いて、私は一生懸命やってるんだし他人だってそうだって考えるの。」

「うん。」

「そうしたら、精一杯やってだめなら人に道を譲っても良いんだって思えるようになったのよ。だって、自分以外の人間の努力や才能を認めないなんて、自分にしか興味の無い寂しい人間の言うことじゃない?自分は自分なんだから、責任感とやる気だけきちんと持って、焦るのは止めようと思ってる。それだけよ。」

「...アスカ、変わったね。」

「ううん。変わったって言うより、...自分がそんなに強くないって判ったのよ。」

「そんなことないと思うけど。」

「シンジこそ...。」

「えっ、」

「ん、何でもない。」

 

 

多分、自分の優秀さを誇示することに夢中だった昔の彼女ではないと思った。

これなら一緒にいるのも楽しいな、そう思って彼女を一瞥した瞬間、蒼いその瞳は少し上目遣いに僕の方に向けられいた。

 

肝心な時に適当な言葉が出てこないことが悔しかったが、考えれば考える程言葉が逃げて行くような気がする。

 

沈黙が、流れた。

 

「クシュン」

 

それは突然のアスカのくしゃみで遮られた。

 

「あ、あれ。そんなに寒かった?」

「うん、ホントに体が冷えてきたみたい。」

「そう、じゃあこれ着てるといいよ。」

 

僕は着ていた上着を脱ぐとアスカの肩に掛けてやった。

 

「あ、ありがと。」

 

アスカは逆らうでもなくすんなりと僕の好意を受け入れてくれた。

そして僕は、少し赤くなって目を逸らしながらいそいそと羽織る彼女を見ながら気が付いた。

アスカの体は小さい。

身長が10cm近く違うのだから当たり前なのだが肩幅と袖口がダブダブだった。

 

「あ、あんた、優しいのね。」

「べ、別にそんなんじゃないけどさ。」

 

それから僕等は再び今やっている研究の話しに花を咲かせた。

時間は瞬く間に過ぎてゆく。

昼休みがこんなに時間が短いとは、今まで気づかなかったことだ。

 

「じゃあ、また来週。寒いから今度からはまた学外のレストランで食べよう。」

「ええ、そうね。寒いのは真っ平よ。」

「そうだね、僕も苦手だよ。」

「... ごめんね、上着貸してくれて。」

「い、いや、そういう意味じゃないんだ。アスカが寒そうだったから。」

「へへ、そうやって言い訳してる方がシンジらしいわよ。あんまりさり気なく着せてくれるからまるで加持さんみたいだなって思っちゃった。」

「なんだよ、それ?。」

「なによ。誉めてんじゃないの。ちょっとは良い男になったかな、って。」

 

この期に及んでまだ比べるのか、僕はそう思うと少し悔しかったが彼女なりの誉め方なんだと思うとこれは素直に喜ぶべきことなのだと考え直した。

僕等はそこで別れて研究室に戻った。

 

 


 

 

一ヶ月が経っていた。

僕等はその後、再び最初に二人で行ったレストランで食事をするようになった。

最近は冬色のどんよりとした雲に空が覆われる日が多くなっている。

めっきり寒くなったため通りを行き交う人の服装も段々と暖かそうなものに変って行くのが分かる。

その日は時間をずらして来ているだけあってレストランは空いていた。

 

「ごめん、今日はあたしあんまり機嫌よくないんだ。」

 

髪を少し茶色に染めた若いウェートレスが窓際の席に案内するとアスカは開口一番そう言った。

表情が硬く、どこかイライラしているように見える。

折角の木曜日なのに彼女がこんな機嫌のまま食事をすることが勿体無く思われた。

 

「何かあったの?」

「別に。」

 

そう言うなり彼女はドスンと椅子に座った。

彼女はぞんざいな態度でメニューを取上げるとパラパラとページをめくっている。

明らかに心ここに在らずという様子だった。

僕はといえば最初は少し驚いたのだが考えてみれば昔の彼女は何時もこんな感じで話し掛ける度に何か覚悟をしなければならないような相手だったことを思い出すと気にせずにおこうと密かに決心した。

 

結局彼女はパスタ料理を、僕はミックスフライにサラダのついたランチセットを注文した。

注文が終わると沈黙がやってきたが、耐えられないのはやはり僕の方だった。

 

「ねえ、昨日の雨ひどかったね。」

「そうね。」

 

いや、実際昨日は季節はずれの大雨の影響か、かなりひどく降ったのだ。

この付近も車道に溜まった水を車が撥ねるたびに通行人がびしょ濡れになって、行き交う人が皆イライラしているのが良く判った。

おかげで昨日学校に行く時は何人もの人とぶつかってやたらと苦労した。

だがそんな話しを振っても彼女は乗ってこない。

やはり今日は本当に機嫌が悪いんだ、そう考えると僕もこれ以上突っ込むのはやめて窓の外の景色を見ている事にした。

人間誰だって機嫌の良い日もあれば、そうじゃない日もある。

 

アスカは黙々とパスタをフォークで口に運んでいる。

日本人と違ってフォークの使い方がうまいな、でもドイツ人ってパスタ食べるんだろうか、そんなことを考えていた時だった。

 

「ああ、黙ってると体に悪いわ。あんたちょっと聞きなさいよ。」

 

アスカは突然顔を上げるとこちらを見据えて言った。

 

「今日あたしが不機嫌な理由。」

「ああ。何だよ、なにかあったの?」

 

とりあえずカップの底に残った最後のコーヒーを啜りながら答えると彼女は続けた。

 

「メールが来ないのよ。」

「メール?。」

「そう、メールよ。ハンスって奴がいてあたしに毎日電子メール送ってきてたのよ。毎日よ、月火水木金土日。」

「そう、それで。」

「それがここ最近たまにしか送ってこなくってさ。この3週間は週に2、3回よ。それが今週になって1回しか送ってこないのよ。」

「うん。」

「で、あたしが文句のメールを送ったらわざわざ電話掛けてくるのよ、国際電話で。バッカじゃないのと思って、言ってやったわよ。『あんたなんで最近メール送んないのよ。ちょっと気合抜けてんじゃないの』って。そしたら『だってアスカは全然返事返さないじゃないか。返事の帰ってこないメール書くのがどれくらい寂しいか判る?』っていうのよ。」

「それで 。」

「で、あたしが言ってやった訳。『大体あんたが先に始めたことでしょうが。そのくらいで止めるなんて男として恥ずかしくないの?』ってね。するとあいつは『寂しいのに男も女もあるもんか。アスカが大変なのは判るけど、人の気持ちも考えてよ』って言うのよ。だからこう言ったのよ『あんた男でしょ、男がそんなこと言うんじゃない!女と違って男は泣かないんだからって。』って。」

「ふん。」

「そしたら怒っちゃってさ、しばらく口利いてくれないのよ。どうしたの、電話切るよって言ったらさ、『あのさ、男だって泣く時は泣くんだよ。好きな女からつれなくに扱われたら尚更だよ。』なんて言うのよ。」

「...。」

「あたしそれで怒って電話切っちゃったのよ。でもその後「男だって泣くんだよ」って言葉が頭から消えなくてさ。電気消して寝たら急にあたし酷い事言ったような気がして涙がボロボロ出ちゃって。悲しくて、寂しくて寝れなかったわよ。それで今日はイライラしてるって訳。」

「...。」

「あたしあいつに酷いこと言っちゃたかな。シンジ、どう思う?」

「どうって...。」

 

突然アスカに返事を求められた僕は戸惑ってしまった。

とりあえず急いで考えをまとめようとするがどうにも気の利いたセリフが思い付かない。

仕方なく思ったままのことを言う事にした。

 

「そりゃアスカが悪いさ。」

「どうして。」

「その人のメールずっと返事書かなかったんだろ。相手の気持ち考えてあげなよ。」

「だってあいつが勝手に送ってくるのよ。男がそんなことでグチグチ言うんじゃないわよ。」

「男ってそういう時結構純粋になっちゃうものだと思うよ。」

「...、そうかな.。だって男だよ。泣かないでしょ、普通。」

「泣くよ、男だって。」

「...、男は強いから泣かないもんだと思ってた...。」

「...、謝った方がいいよ、きっと。」

「...そうね、そうする。シンジ、ありがと。」

 

急にしゅんとしおらしくなったアスカを前にして僕の胸の中にはなんとなく重苦しい苦い思いが広がっていた。

 

「ねえ、一つ聞いていい。そのハンスって人どんな人なの?。」

「えっ、」

 

アスカは急に赤くなって視線を下に落とすと指先を弄りはじめモジモジしている。

明らかに動揺している。

 

「向こうに置いてきた、か、彼氏、よ。」

「...。」

「あいつったらさ、なんか何時もボケボケっとしてて、頼りないところあって、朴念仁てってゆうかおめでたい奴ってゆうか、要はバカなのよ。...だけどいいとこもあるのよ。人の気持ち判るし、自分のことより他人のことを優先するし、芯が強いっていうか。...それに、何より優しいの。」

「...。」

「昔、あたしがドイツに帰ったばっかりの時にね、つらかったのよ、自分は何のために生きてるんだろうって。それでいろんな事に手を出したんだけどやる事なすこと空回りでさ。自分にはやっぱり価値が無いんじゃないか、そんなふうに悩んでたんだ。そんな時あいつに出会ってね、最初はあいつのこと馬鹿にしてたんだけど、ある時人に誤解されて意地はって喧嘩してたときにあたしを庇ってくれたんだ。」

「...。」

「で、なんでこんなお節介なことするのよ、って言ったらね、『アスカはそんな人間じゃないから』って言うのよ。純粋な人だって。あたしは買い被るのは止めてってどなってね、自分がどれだけ酷い女か、今の自分がどれだけ嫌いかって白状しちゃったの。何やってもうまくいかないんだって。そしたらあいつ、『今のアスカのままでいいよ。自然のままのアスカがいいよ。』って言ってくれたんだ。笑顔がすごく優しくて。あたし救われたような気にがして...。それからなんだ、何だか気持ちが楽になって。人に優しくなれるようになったっていうか。」

「...、好きなんだ。その人のこと。」

「へへ、結構ね。これでも一途なのよ、意外と。」

「そうなんだ。」

「実はね、結構そいつシンジに似てるのよ。だからあんたとこうして食事するのすごく嬉しかったんだ。」

「そ、そうかな。僕もアスカの役に立ったのなら嬉しいよ。」

 

僕はその時一体どういう顔をしていたか判らないが、きっと情けない顔をしていたのは確かだろう。

そんな僕をよそにアスカは照れ隠しの笑いから急に表情を暗くして続けた。

 

「で、実はね、ドイツに帰ろうって決めたんだ。あいつと離れて暮らすようになって判ったの、あたしって自分で思ってるよりすごく弱い人間だったんだって。最近涙もろくなってさ、夜急に泣いたりしてさ。本当は余計に寂しくなるからわざとメールの返事だってしなかったんだけど、あいつを怒らせちゃったと思うと研究なんか手に付かなくて。仕事は大体終わったし丁度良いかなって。」

「...そうだね。その方が良いよ。」

「シンジも頑張ってね。...男の人は頑張れば何だって出来るよ。言い訳しないで世界一の学者になりなさいよ。」

「ははは。」

「...ゴメンね、変な話して。あたしがこんな話出来るの、シンジしかいないから...。」

 

アスカは再び笑顔になっていた。

正直言って何がなんだか判らなかった。

これが自分が知っているアスカだろうか。

気が強くて、高慢で、自信過剰で、他人を見下して、でも努力家で、忍耐強くて、人に頼らないで、そして孤独だったアスカ。

それが何時の間にか弱い自分を認めて人から優しくされることを学んでいる。

そう、それは素直になる事。

 

「へへ、でも男も泣くってのは今回勉強になったな。」

「そうだよ。泣くよ!。」

「な、何よ、怒ってんの?。あたし何か気に触ること言った?。」

「別に。」

「何よ、変な奴。...あ、ひょっとしてあたしと会えなくなるのが辛いのかな?」

「な、何言ってんだよ。」

 

彼女はおどけた調子で悪戯っぽくジト目で僕を見ている。

目をそらして柱の壁掛け時計を見ると何時の間にかお昼の時間は終わろうとしている。

そろそろ出よう、僕はアスカにぶっきらぼうに促した。

荷物を手にすると店を出て研究室への帰途についた。

二人の研究室は異なる建物にあり別れるところまで約5分はかかる。

僕はその間何を言おうかと考えたがどうにもまとまらなくて結局黙って歩く事になった。

ただ歩道のアスファルトだけが目に入ってくる。

どうしてアスファルトは黒いんだろう、そんなとりとめの無いことが頭に浮かんでは消えていく。

そしていよいよ別れ際という段になってアスカが話し掛けてきた。

 

「多分、これでお別れね。しばらく合う事もないと思うけど、ドイツに来る事があれば寄ってね。」

「うん、一緒にランチができて楽しかった。有り難う。」

「こっちこそ付き合って貰って嬉しかったわ。」

 

そう言って笑うアスカは本当に奇麗だった。彼女は続けた。

 

「シンジは何だか強くなったわね。あたしが太鼓判押すけど、結構いい男になったわよ。」

「アスカこそすごく奇麗になったよ。それに優しくなった。素直っていうか。」

「へへ、恋をすると女は変わるのだよ、碇シンジ君。」

 

そう言い残すと彼女はくるりと振り向き去っていった。

栗色の髪が揺れると淡いシャンプーの匂いがする。

鼻の奥に広がる香りは僕をうっとりさせると共に、何ともやりきれない気分にさせた。

その後ろ姿は何時の間にか少女のそれではなく大人の女性になっていた。

 

そう言えば僕も24歳、もうとっくに大人じゃないか。

 

結局これが僕と彼女の最後の出会いとなった。

 

 


 

 

あっという間に師走になっていた。

冬休みを前にして皆がクリスマスや正月の帰省の準備で慌ただしい。

帰る実家もない僕はこの季節は手持ちぶさたで暇に任せて年賀状の準備をすることにした。

研究室の連中と、中学、高校の友人。

去年まで年賀状を数十枚も出せる相手がいることに自己満足を感じていたが、今年はその嬉しさも何故か沸いてこない。

考えるのを止めてつまらないTVの画面に目を戻した瞬間閃いた。

 

(アスカにクリスマスカードを送ろう。)

 

今からドイツに送ったらギリギリ間に合うんじゃないか、そう考えた僕は近くのコンビニにクリスマスカードが売られていたことを思い出すと直ぐに出かけた。

いざ書いてみると悪戦苦闘だった。

何が困ったかというと、最近の僕は研究論文以外の文章を書いたことがない。

人に気持ちを伝える文章を綴るなんて未だ殆ど経験したことがない作業だった。

こんなことなら普段から手紙を書くクセを付けておけば良かったと後悔したが今更遅い。

最初は素直にクリスマスを祝う文面を考えていたが段々と内容が膨らみ、アスカと出会ってからの僕の気持ち、迷惑を掛けたことへの謝罪、再開したことが嬉しかったこと、そして幸せになって欲しいこと、その他もろもろを一枚の葉書にびっしりと書き込んで満足したのだった。

結局書きあがった時は深夜の3時過ぎで僕はようやく眠る事にした。

 

カーテンからは奇麗な月が見えていた。

やがて眠りにつくと、アスカとユニゾンの特訓をした頃の夢を見た。

夢の中で僕とアスカはミサトさんの指導で練習をしている。

やがて二人は心を通じあわせてリズムを取れるようになる。

一緒に踊っていると心のどこかに隠していた寂しさを忘れることが出来た、そんな気がした。

 

「ありがとう、アスカ。」

 

すぐ目の前のアスカにそう語り掛けた時、僕は布団の中で目を覚ました。

まるでアスカが隣に寝ているような気がした。

何故か瞼が熱くなった。

 

再び眠り込んだ僕が目を覚ますと既に日は高く11時を周っている。

口の中が乾いて気持ちが悪い。

洗面所で顔を洗うと、口をすすぎ、今日一日やるべきことを考えた。

 

(今日は、葉書を出すくらいかな。)

 

そう考えると僕はアスカのために書いた葉書を手に取ってみた。

恥ずかしい!。

読んでいて顔から火が出る。

夜書いた文章は恥ずかしいと誰かが言っていたのを思い出すと、これは書き直さなければと考え直す。

いそいそと着替えを済ませて朝食の買い出しも含めて再びコンビニに向かう。

その日は一日文面を考え直すことに時間を費やした。

ああでもない、こうでもないと悩んだ挙句、結局シンプルなのが一番だろう、そう考えてこんな文面にした。

 

 

Merry Christmas,アスカ

 

日本にいる間、一緒にランチしてくれて有り難う。

アスカが元気なのを見て安心しました。

 

体に気をつけて。

 

碇シンジ

 

 

本当は最後に「奇麗になったね」、とか、「彼氏によろしく」とか書こうと思ったのだが結局止めてしまった。

そして何週間かして帰ってきたのがあの返事と言う訳だ。

 

 

シンジ、元気かしらね。

私は元気よ。

 

私もアンタみたいに強く生きようと思ってる。

 

またいつか一緒にランチしましょうね。

それじゃ、またね。

 

惣流・アスカ・ラングレー

 

 

僕は、何となく思うのだ。

 

彼女は本当に幸せで今という時間を楽しんでいるんだと。

昔の自分を後悔しながらも、今の自分を素直に認めることが出来るようになったのだ、と。

それは苦しかった過去との決別、そしてこれから人生への明るい希望かもしれない。

 

だが一方でこんなことも考える。

彼女は僕の気持ちに気が付いていたんじゃないか、と。

エヴァの操縦で僕に負けたり、色々と傷ついたことを今でも忘れていないんじゃないかと。

そして、実は自分の幸せを見せつけることで僕に悪戯っぽい復讐をしているんじゃないか、と。

だけどそれはそれで良いと思う。

それがささやかな復讐だと思えば思うほど、彼女に幸せになって欲しいと思えるのだ。

 

どちらが本当なのかは判らない。

ただちょっと胸が痛いのだが、それはきっと時間が解決してくれるだろう。

僕だってそれを我慢するくらいには大人になっている。

 

 

12月ともなれがそろそろ寒さがこたえる。

僕は殺風景なアパートでそんなことを考えながら、暖かなコタツでうたた寝をしているのだ。

 

 

 

FIN

 



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