放課後。
 まばらまばらに人の数が減っていく教室。
 当然、俺もその一人だ。
「浩之ちゃん、早く帰ろ」
「あぁ、そうだな」
 教科書類を鞄に詰め込み、あかりと一緒に教室を出た。
 廊下を進み、靴箱を通り、校門を抜けていつもの下り坂へ。
 ここまでは普通の、極平凡な学校帰りだった。
 そう、ここまでは。



ある放課後に


「浩之さーん、待って下さーい」

 どこかで聞いた事のある声が坂の上から俺を呼び止める。
 あかりと俺はほぼ同時に振り向いた。
 声の主は、こちらに全力疾走してくるマルチだった。

「浩之さーん!」
「おぅ、なんだマルチ?」

 手を振りながら応える。
 マルチは尚もこちらに走ってくる。
 いや・・・違う。

「あ、あわわわ!? 止まりませせんんん!!!」

 必死に腕を振って抵抗している。
 しかしマルチは急に止まれない。これは今までの経験上分かり切っている事だ。
 俺は鞄から手を放し、腰を落として全力疾走中のマルチを受け止めた。

「ひゃっ!?」
「お、おい、大丈夫か?」
「うぅ、なんとか大丈夫みたいですぅぅぅ・・・」

 マルチは俺の腕に支えられたまま、頭の上にヒヨコを回していた。
 どこをどう見れば平気に見えるんだこれが・・・

「まあ取りあえず、落ちついてから用件を話してみろ」
「は、はい」
「・・・」
「・・・」

 荒い息遣いも大体収まり、そしてマルチは急に俺の肩を揺さぶった。

「た、大変なんです! 大変なんですよ!」
「あぁもう、分かったからゆっくり話てみろ。な?」
「ゆっくりしてる暇なんて無いですぅ!」

 俺はマルチに片腕を引っ張られ、半ば引きずられるように走った。
 ここまで慌ててるって事は、何かとんでもない事をやらかしたんじゃないだろうな・・・。
 そんな内心の不安を気づいてか気づかずか、マルチは俺の方を向いた。

「セリオさんが大変なんです!」
「セ・・セリオが?」
「はい! 大変ですから急いで下さいです!」

 セリオってーと・・・あの西音寺女子学院に通ってるあのメイドロボだ。
 確かマルチの妹だったな・・・慌てるはずだ。

「あかり! 寺女に行くぞ! しっかり着いて来いよ!」
「う、うん!」

 俺は後方で走っているあかりにそう告げてから、今度は反対にマルチを引っ張るようにして走った。
 寺女なら前にマルチと行った事があるので、場所は分かる。
 俺は記憶だけを頼りに――そんな大袈裟な事でもないが、走った。


 前に見た事がある校舎が目に映る。
 門柱に掛けられた青銅のプレートには『西音寺女子学院』と浮き彫りされている。
 うーん。さすがお嬢様ガッコー。うちの学校とはスケールが違う。
 等と思うのも束の間、マルチが校舎内に入っていくのを見て、俺は我に返った。

「なぁマルチ、お前セリオのクラス知ってるのか?」

 ピクッとしたリアクションの後、マルチの動きが止まった。
 ったく、まあこうなる事は予想の内だったが。

「誰かこの学校の生徒に聞いてみねーか?
 メイドロボの運用テストなら、噂にならないはずは無いからな」
「さ、さすが浩之さんです! 私には思いも付きませんでしたぁ」
「伊達にマルチより長く生きちゃいねーぜ」

 しかし、俺が話し掛けたその場所には既に姿が無く、道行く生徒に声をかけるマルチが視界の隅の方に映った。

「浩之さん、場所分かりました!」
「・・・。了解、じゃあ行くぞ!」
「はい!」

 と、意気込み十分で俺とマルチは廊下を走り抜けた。
 階段を上がり、廊下を右に曲がり、渡り廊下を通って・・・。
 到着したそのクラスには、何重の輪のように人垣が出来あがっていた。
 恐らくセリオが中心だろう。
 横ではマルチがピョンピョンと跳ねて先を確認しようとしているが、見えそうにない。
 人ごみを掻き分けて入るしかねぇか・・・。
 そう思い一つ目の輪に手を入れようとした瞬間、人垣が分かれ、そこから「見るからに」という格好をした研究員たちがセリオを抱きかかえて出てきた。

「セリオさん!」

 咄嗟に叫ぶマルチ。
 しかし、セリオは糸の切れたマリオネットのように手と足を垂らしたまま動かない。

「あの、セリオさんに何があったんですか?!」

 マルチが研究員の一人の腕を掴む。
 研究員はその手を振り払おうとしたが、耳のセンサーを見て、事態を理解したようだ。

「綾香お嬢様から詳しい事をお聞き下さい。今は一刻を争っていますので」

 マルチに対して敬語を使うって事は・・・恐らく下っ端の研究員だろう。
 それだけを告げ、後を追うように急いで教室を出て行った。
 残されたマルチは、ただ呆然とその場に立ち尽くしている。
 先ほどまでセリオに集っていた野次馬の視線は、今はマルチに向けられていた。

「あう・・セリオさん・・・ひっく・・・ひっく」

 すすり泣くような声が聞こえてくる。
 俺は見るに見かねて、マルチの肩を抱いた。

「大丈夫だって、そんな心配しなくても。
 バッテリーが切れたとか、ねじが一本緩んだとか、そんなんだろきっと。
 ほら、泣いても何も始まんねーしさ」
「・・・はい」

 ふぅ、なんとか収まった。
 俺はマルチの頭を軽く撫でてから、野次馬に視線を向けた。
 睨むだけで数人の生徒は我先にとその場を去って行く。
 その中の女子生徒一人を掴まえて、綾香の居場所を訊ねる。
 女子生徒はしどろもどろになりながら、指を俺の後方に向けた。

「・・・綾香!? 先輩も!?」

 教室の戸の先には、正反対の性格を持つ姉妹――綾香と芹香先輩がこちらを見ていた。

「浩之ちゃん、先に走って行かないでよ。追いつけるはず無いじゃない」

 言葉とは反対に微笑みを浮かべ、あかりが顔を出す。
 その横には、相変わらず暑苦しそうな顔をした来栖川家の執事長ことセバスチャンもいる。

「でも、何かに必死になると『形振り構わず辺り気にせずただがむしゃらに』ってところが浩之ちゃんらしいんだけど」
「う・・・」

 そう言えば、あかりの事をすっかり忘れていた。

「さてと。マルチ、あんたもセッカチねぇ。
 姉さんの車に乗ってこれば、わざわざ走る必要もなかったのに」
「うぅぅ・・・」
「あ・・・、マルチちゃん一生懸命だったから気づかなかったんだよね」

 綾香の突っ込みに再び泣き出しそうになったマルチだが、あかりがフォローを入れてくれたおかげで、後一歩の所で泣き止んだ。
 さてと・・・これからどうするかな。

「取りあえず、セリオに何があったか教えてくれねーか?」
「掃除中にどっかのバカが蹴ったボールが、セリオの横顔にぶつかったのよ」
「・・・それだけなんですか?」
「それくらいで壊れるようなのを造ってないわよ、天下の来栖川グループは。
 ただ打ち所が悪かったのとボールの威力が強かったのとでバランス崩して、思いっきりロッカーに頭をぶつけて、耳カバー破損及び頭部に亀裂。
 で、ブレーカーが落ちちゃったんだけど、一向に回復しないからこうやって開発の研究員が来たってわけ」
「・・・やっぱり何かヤバい事あったんじゃねーか!」
「浩之ちゃん!」

 あ・・・しまった。
 言い終わって、俺はマルチの方を向いた。
 涙を流すのを堪えている――そんな感じだった。

「だ、大丈夫だってマルチ。何せ天下の来栖川グループだぜ? そう簡単に壊れはしねーぜ。
 それはお前が身を持って証明してるだろ?」
「う・・・そうですけど・・・でも・・・」
「さっきも同じような事言ったけど、くよくよしてても何も始まらないぜ。
 お見舞いというか何というか、ほら、研究所に戻ってセリオの傍に居てやったらどうだ?
 きっと喜ぶぜ」
「・・・は、はい! 私、そうします」

 俺はセリオが喜ぶ事ってあるのだろうかと思ったが、あえて追求するのを止めた。
 まあ、表情に出さないだけで、実際はマルチみたいに人間のような心を持っているだろうしな。

「さてと、そう言うことで。先輩、マルチを研究所まで連れていってくれねーか?
 さすがにバスに乗って付き添うには時間が無いしな」

 そう言うと、先輩はコクンと頷いた。
 そしてセバスチャンと一緒に車へと向かう。

「あう、待って下さーい」

 マルチも慌てて後を追う。
 それを見届けた綾香が、急に真剣な顔をしてこっちを向いた。

「さてと・・・。じゃあ本当の事を話しましょうか」
「あぁ、そうしてくれ」
「・・・え? どう言うこと?」

 一人話について来れていないあかりが俺の袖を引っ張る。

「これで何度目か知んねーけど、天下の来栖川グループのメイドロボがそう簡単に『頭部に亀裂』なんてあると思うか?
 大方、外部は異常無し。内部に異常有りってとこだろ」
「ご名答。さすが浩之」
「え・・・じゃあセリオさんは一体――」
「来栖川グループのメイドロボは、人間とほぼ同じような構造で造られてるの。
 勿論、それは内部も同じ。
 人間の心臓がある部分に動力炉。脳味噌がある部分には・・・メモリとCPU」
「・・・それって、つまり」
「映りの悪いTVが叩けば綺麗に映るって事、あるでしょ。
 それなら、叩いて悪くなるってのも当然有るわけ。
 外見は全く壊れてなくても、叩いただけで綺麗に映ったりノイズが混ざったり――」
「で、今のセリオは、強く叩きすぎてノイズだらけって事か」
「そう言う事。マルチには内緒にしておいてね」
「あぁ、分かってるよ。それより・・・」
「それより、何?」
「セリオ、直るのか?」
「・・・来栖川家の、プライドに掛けても」
「・・・それを聞いて安心したぜ」

 ・・・その後、俺とあかりは綾香たちと分かれ、今度は何事もなく帰宅した。


 そして、数日後――。

 ピーンポーン

 俺とあかりがテスト勉強に燃えている時に、インターホンが鳴った。
 赤のマーカーペンを置き、玄関へと向かう。

 ピーンポーン

 再び鳴るインターホン。

「はいはい、そんなに鳴らさなくても今出ますよ」

 俺は適当なサンダルを足場にして、ドアを開けた。
 そのドアの先に居たのは、芹香先輩とマルチ・・・が、二人。

「・・・?」
「浩之さん、こんにちわです。・・え? あ、はい。芹香さんも、こんにちわ、と言ってますぅ」
「こんにちわ」

 先輩は軽く頭を下げ、マルチ1号は元気良く手を振り、マルチ2号は深く礼をする。
 そのマルチ2号の仕草は、どこか心当たりがあった。
 少し考え、そして――ようやく理解出来た。

「無事、だったんだな」
「はい。ご迷惑おかけいたしました」
「浩之さんが凄い心配そうにしてたって綾香さんから聞きましたので、なるべく早く知らせようって思ったんです」
「あぁ、ありがとう、マルチ。・・・え? 先輩、もう少し大きい声で・・身体の方は今修理中です? あぁ、了解りょーかい。
 まあ、これで一件落着、だな」
「はいっ」

 マルチは満面の笑みで、力強く頷いた。

「浩之ちゃん、どうしたの?」

 部屋からあかりが出てくる。

「え・・あ・・・あれ?」

 そして二人のマルチを交互に指差し、一人こんがらがっていた。
 その表情が何だか可笑しくて、俺は思わず笑みをこぼした。
 マルチ2号も、ほんの少しだけ微笑んだ。
 セリオの顔が重なって見えたような気がした。




おわり  

学 e-mail:peru@pluto.dti.ne.jp


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