THE END OF INCOMPLETE EVANGELION Episode : Ext / Nobody Knows. but...

現実は甘くない。
そんな事は中学生であるシンジにも十二分に理解でる事だ。
目の前で行なわれている事に干渉しようとも思わなかった。いや、ただ勇気が無かっただけなのかもしれない。
シンジは車中ずっとウォークマンを聞きながら寝たふりを続けている。時々、薄く目を開けながらその後の進展を盗み見ているだけだ。
久しぶりにポップスのS-DATを買いに行った後の電車での出来事。
目の前の女性が痴漢に襲われている…。
彼女は声を出せず恐れるだけで、後ろに居るであろう男の行為の言い成りになっているのだ。
「…ん!」
それでも、敏感な所を触られていて我慢出来ないのか、イヤホン越しにでも彼女の呻きとも喘ぎとも取れない声が聞こえてきた。
シンジの隣の客も、彼女の周りに居る人間達も、彼女が受けている屈辱の事は分かっている筈だ。だが、誰も止めようとはしないし、その状況を見ているに他ならない。
誰も助けてはくれないこの電車と言う世界。
彼女が自分で行動を起こさない限りは、何も解決されず、ただ受け入れるしかない。
…現実は甘くない。
何故、誰も助けないんだ?
その疑問は誰も思っている事だろうし、その言葉は直ぐに自分自身に返ってくるものだ。
面倒だから、時間が無いから、係わり合いになりたくないから…
様々な理由があるだろう。全く個人的な理由が。
シンジもその一人である事は、自分でも理解しているつもりだ。
エヴァには乗りたくもないのに、誰も助けてくれない。エヴァに乗って使徒と戦っている時は、ミサトさんでさえも助けてくれないだろう。だから、僕は助けない。自分で何とかしないと…。
「…や…止めて…」
シンジの耳だけでなく、その本人でさえも言ったかどうか分からない程の小さな声で、抗議する女性。
だが、そんな努力も報われる事無く、男の責めぎは益々エスカレートしていくばかりだ。
そして、電車は駅に着く。
『お降りの際は…』
聞きなれたアナウンスが流れる。
その女性は天の助けが来たとばかりに、急いで電車から降りようとした。振り向いて相手の男を見ようともせず、ただひたすら逃げる様に。
シンジも同じ駅で降りる。
ホームに移り、辺りを見上げた時にはその女性の姿は無かった。
発車のベルが鳴り、ドアが締まる。
窓越しに、その痴漢の犯人であろう男が、やや残念そうな顔をしてはいるが、平然とした態度で乗りつづけていた。
シンジは暫くそれを見送る。
彼は彼で、何か得る物があったのだろうか。
まだ女性と言うものを知らないシンジに取っては、理解し難い行為である。
…帰ろう。
ともかく、一つの世界が過ぎ去っていった。彼にとっての日常の世界がこれからまた待っている。
そんなに甘くない現実と言う、また違う世界に。






番外編・我、泣き濡れて



「ただいまぁ…。」
駅から帰ってくる途中から、ぽつぽつと雨が降り始めた。幸い家に着くまでに本降りにはならなかったが、頭と肩の辺りが少し濡れてしまった。あと、数時間もすれば、本格的に降り始めるだろう。
「ん〜。」
アスカはリビングでおかしを食べながら雑誌を読んでいた。いつもそうだが、見る事のないテレビは点けっぱなし。
電気代が勿体無いとは思うが、注意するほどの事でもないとシンジは考えているので、いつも何も言わないでいる。
「あれ?ミサトさんは?」
「んー、今日も遅くなるって。ご飯要らないってさ。」
振り返る事は無い。雑誌のページを捲りながらアスカは答える。
「…そう。」
それだけ聞いて、シンジは自分の部屋に入っていった。
少し濡れた服のままでは風邪を惹くかもしれないので、手ごろなタンクトップに着替える。そして、洗面所に行き、濡れた服を洗濯籠に入れ、乾いたタオルで頭を拭いた。
そしてまた自分の部屋に戻る。
ミサト程では無いが、アスカも家では結構ラフな格好で居る事が多い。最初の内は、ヘンに意識してしまうから、なるべく見ない様にと自分の部屋に居る事が多かった。
今でもやはり自分の部屋にいる事が多い。それは最初の時の様な理由ではなく、今は何故かアスカと一緒の空間に居る事自体に、何か違和感を感じてしまう所為だ。
理由は分からない。何時からそうなったのかも覚えてない。気が付いたらそうしていただけだ。
だが、やる事自体は然程変らない。曲を聴いてるか、本を読むか…。どちらにしても、それを一人でゴロゴロするのか、二人でやるのかの違いだけだ。
唯一違うのはテレビを見る時ぐらいだろう。
幸いな事に、アスカとシンジは似たような番組を選んでいる。二人とも片方が見ている番組で満足している。チャンネル争いは無かった。
今日もそんな時間帯はある。多分、夕食を取り終えた後ぐらいの、そう9時頃から見たい番組が一つだけあった。
それまでシンジは、自分の部屋で、やはり雑誌を読みながらゴロゴロしている事になるだろう。

玄関の呼び鈴が鳴る。
多分、アスカは出ないだろう。来客の相手はいつもシンジの役目だった。
雑誌を置き、玄関へと向かう。
「よ、葛城は帰ってきたか?」
ラフなジャケットに身を包んだ加持がその来客である。
「あ、ミサトさんは今日は遅くなるって言ってたみたいです。」
「そうか…。」
何やら少し深刻そうな顔をして俯いた。
その少しの間を置いて、リビングから黄色い声が響く。
「あ!加持さぁ〜ん!!」
バタバタと走ってきて、加持に容赦無く飛びつく。
加持はある程度予想していたのか、よろめく事無くアスカを受け止める。
「ねぇねぇ、上がっていってよぉ!今、ヒマしてたんだ!」
言いながら、強引に家に入れようと加持のシャツを引っ張っている。
加持は少し困った顔をしながらも、アスカの素直な招待を丁寧に断る。
「いや、残念ながら余り時間は無いんだ。済まないな、アスカ。」
笑いながらアスカの頭を撫でる。彼女はそれが少し気に障ったのか、表情が一変しむくれてしまう。
「…また、そんな子供扱いして。」
何時もシンジはその言葉に対して、無言の反論を出す。
まだ子供じゃないか…。
「じゃ、またな。葛城には俺が来たって言わなくていいよ。」
それだけ言い残し、加持はこの家を後にした。
アスカは加持が来ないのが分かると、そのむくれたままの表情を固定したまま、またさっきまでいた場所に戻っていった。
シンジも同じ。加持を見送ったあとはまた自分の部屋に戻ろうとした。だが、その時ふと見た時計がシンジが思っていたのよりも少し進んでいた。
自分の部屋に戻る事を諦め、キッチンへと向かう。夕食の準備をしなければならない時間になっていた。

「あの国語の宿題終わった?」
「うん、一応…。」
「アタシ、あの授業他の事考えて殆ど聞いてなかったから、あとでデータ頂戴。」
「うん、いいよ。」
「…」
「…」
「で、見つかったの?」
「何が?」
「探してた曲。」
「うん、あったよ。」
「後で聞かせて。」
「うん、いいよ。」
「…」
「…」
夕食の時の会話はこれくらいだった。
途切れ途切れにアスカが聞き、シンジが答える。そんな素っ気も無い会話がテーブルの上を通過していく。
「ごちそうさま。」
食べ終わった皿をさげて、直ぐに片付けてしまう。残って保存出来るものは冷蔵庫に入れる。あと、ミサトの分も直ぐに食べられる様にラップで包んでテーブルの隅に並べておく。
アスカは既にテレビの前でくつろいでいる。シンジも片付けが終わり次第、その隣に行く。
そして目的のバラエティ番組を見る。
アスカは横になって、シンジはアスカのやや後ろであぐらを掻いて座りながらテレビを見ている。
よくあるバラエティ番組。大笑い出来る程ではないが、些細なことは忘れてしまう程度の笑いは出来る内容だ。
シンジは理由も無しに、その番組が好きだった。何も考えず、何も悩む事が無い唯一の時間なのかもしれない。
だが、今日は違った。シンジはアスカの死角に居る事を無意識で捉えているのか、テレビのフレームではなく、ずっとアスカの背中を眺めていた。
そしてまた理由も無く、様々な事を考え始めた。
…アスカが今日の電車の女性だったらどうしただろう…。
それは直ぐに答えが出た。容赦無く相手の足を踏みつけ、「このヘンタイ!」と大声で叫び、犯人は警察に突き出すだろう。
…加持さんには素直になれるのは…。
アスカだけでなく、ミサトでさえ惚れた男である。男してシンジから見た場合でも、はやり「大人」と言う雰囲気を十分持ち合わせているのは見とめざる得ない。きっと色々な事があったのだろうが、その経験を十分自分の物にし、それを他人に分け与える余裕がある程の人だ。アスカが惚れるのも分かる。嫉妬する気も起きないくらいに差はあるだろう。
…アスカは何時も元気だ…。そう学校では言われている。
だが、家に居る時は友人を前にしている時の様に明るく振舞う事はない。むしろ大人しいと言うべきだろうか。家では略無言でゴロゴロし、あまり外出もしない。ミサトと三人で居る時は、今みたいに大人しいとは限らないが。多分、同性のミサトがいるから少しは気が楽になるからだろうか。
かと言って、シンジに対して気を使っている訳でもない。
…アスカは今、幸せなんだろうか?…。
それだけは考えても無駄、自分が考えた所で何にもならない、そう先に結論が出ていても色々考えてしまう。
そうこうしている内に、番組は終盤になりスタッフロールが流れ始めた。そして、CMになる。
「…何故、アタシを見てるの?」
アスカは振り向かずテレビの方向を見たまま、シンジに問い掛けた。
シンジは一瞬焦ったが、少し間を取ってから答える。
「…別に…」
「そう…。」
それ以上は追従されない。
「お風呂、先に入るわよ。」
「うん。」

アスカのシャワーの音ではない。どうやら今頃になって、雨が本降りになったようだ。
シンジは殆ど居る事の無いこのリビングで、一人で居る事を満喫していた。毎日の様にあるこの時間ではあるが、シンジは何故か貴重な時間と思ってしまう。
テレビは点けられたまま、何やら報道番組をやっている。
それは見られる事はなく、ただ擬似的な存在感を出しているだけのものになっていた。
シンジは大の字でカーペットの上に仰向けになっている。ゆっくり息をしながら、天井をボーっと眺めているだけ。
いくら慣れたとは言え、やはり納屋を簡単に改造しただけの部屋は狭い。この広々とし、自分の自由に出来る空間は、やはり大切な物かもしれない。
唯一迷う事があるのは、アスカの風呂の時間である。長ければ、当然ここに一人で居られる時間は長くなるが、風呂に入る時間が遅くなってしまう。また逆であれば、この貴重な時間が極端に短縮されていしまう点だろう。
だが、それもシンジにとっては賭けの一つとして自分自身で遊んでいた。今日は長いのか短いのか…。
「…今日は長い…かな?」
その予想は裏切られてしまう。賭けは敗れた。
ほんの数十分程でアスカは出てきてしまう。
「ねぇ、シンジ!見て見てぇ!またアタシの胸、大きくなったんだよぉ!」
流石にシンジも驚いた。バスタオルを巻きつけただけの姿で、アスカは浴室から出てきたのだ。
「な、なんて格好してんだよっ!!」
一瞬にして顔が赤くなってしまう。
「ね〜ね〜、見たい?見せてあげよっか?」
「い、いいよ!別にっ!!」
「無理しちゃってぇ…ホラッ!!」
そう言って、アスカは大胆にバスタオルを魔術師の様に投げ出した。投げられたバスタオルはシンジの顔に当たり、そしてゆっくりと床に落ちる。
タオルを当てられた事に腹が立つ事は無く、ただ視線はアスカの胸に集中した。
だが、それも裏切られる。
胸に更にもう一枚のタオルを巻きつけ、ブラの代わりにしていた。当然下の方も既にショートパンツが履かれている。
「ざぁ〜んねん。アタシのハダカはそう簡単には見れないわよ。」
だが、ショートパンツにタオル姿も、なかなか南国っぽく色気がある。それはそれで、シンジは少し得した気分になった。
アスカは驚いたシンジの顔を暫く見つづけ、思った通りの反応を示したのが嬉しかったのか、鼻歌を歌いながら浴室に戻っていった。
「さぁ、着替えないっとね〜。」
アスカの姿が見えなくなると、シンジは下に落ちたバスタオルを眺めた。
…どうして僕をからかうんだろ?
本人に聞けば「別に。ヒマだったから。」と言う答えが返って来るのは容易に想像出来る。
毎日からかわれる事は無いが、アスカは偶に今のようにシンジをからかっては面白がっている。
「シンジぃ!お風呂あけたからねー!」
向こう側から声がした。
アスカは自分の部屋に戻る。
シンジは風呂に入るべく、自分の部屋に戻り、着替えを用意し始める。
もうこれで、起きている内にミサトが帰って来るまでは、アスカと顔を逢わす事は無い。
アスカは自分の部屋で寝るまで過ごし、シンジも風呂から出れば同じだ。ミサトが帰ってくれば、シンジはミサトの食事の支度や片付け、アスカは来り来なかったりだが、気まぐれでミサトの話し相手をしていたりする。
それが日常。いつも繰り返されている世界。
明日になれば、また学校に行き、放課後は他の生徒より早く帰り本部へ出向する。そしてエヴァの訓練かテスト、でなければ身体検査か運動測定がある。
エヴァに乗るのはリツコに言った通り大分慣れた。戦闘に対する恐怖も今では大分和らいでいる。度重なる訓練とテストのお陰かもしれない。
それに、余り病気もしなくなった。体力も程ほどつき始めている。学校でのスポーツは少しまだ苦手だが、基礎体力や戦闘に使う筋肉はだいぶ強くなってきているみたいだ。これも、検査や本部の運動設備のお陰かもしれない。
それもこれも、日常の中にある。
成り行き任せ…。そう考えられなくも無い。いやシンジにとっては、父親にこの街に呼ばれてからは、殆ど成り行き任せで過ごしているのかもしれない。
他の変化は差ほど求めない。理想や希望はありながらも、全て自分の妄想の範囲内で収めてしまっている。
他人に傷付けられる事無く、他人を傷つけず。当たり障りの無い世界の日常だ。深く考えなくても、その日常は「成り行き任せ」で流れ去っていってくれる。
シンジは、自分にとって都合の良い世界かもしれない、そう考えてしまう事がしばしばある。それはとても面白みの無いものであるが。
レイにキスされる、アスカに抱かれる、クラスメートの女子にちやほやされる…、学校中の人気者で、勉強も運動もバツグン。
シンジでもそんな途方も無い事を想像したりする。だが、それはどこまで行っても妄想の範囲内。今この現実とはかけ離れた世界。
「…なったらいいね。」
希望と言うよりは、単なる想像。現実として有り得ない事だと言うのは、自分自身が一番良く知っている。
「もう、寝よう…」
風呂に入っている時から布団に入るまで続いた妄想の世界に幕を下ろし、今日一日を自分自身で終わらせる。
結局、ミサトは帰らず、アスカとも顔を会わせる事は無かった。



EPISODE:Ext / Nobody Knows. But...





「おはよ!」「…おはよう。」「おはよう。」
同じ言葉でも色々な表情がある。
運が良かったのか、昨晩の雨は一旦上がり、雲模様の空ではあるが登校するまでは雨は降らなかった。
一応義務づけられている三人での登校。レイとアスカ、そしてシンジは教室に入ると、呪縛が取れた様にそれぞれの行動に移る。
自分たちの席に行き、朝の支度を始めながら、それぞれの友人と朝の挨拶を交わし雑談に耽っていく。
唯一違うのはレイだけだ。レイは自分の席に行き朝の準備をするのは他の二人と同じ。その後は誰と話す事も無く、まだ呪縛が残っているかのように本を広げ、それに読みふける。
シンジはチラっとレイの方を見、その行動を確認すると、またトウジとケンスケに顔を戻した。
「シンジ、この前のネガが焼けたよ。」
「わしもさっき見せてもろたんやけど、先生、結構才能あんなぁ〜!」
度胸があるのか、よく考えてないのか分からないが、ケンスケとトウジは学校の「美少女」と言われる女子生徒の写真を撮っては、それを売りさばいているのである。それにシンジを巻き込みやっているのだ。
シンジも最初は仕方なくやっていた。その理由はアスカである。常に一緒に居る事が一番多いシンジにケンスケは土下座しながらも頼み込んだ過去がある。トウジも一緒なのが何故か可笑しい。
「スマン、シンジ!一度でいいから!!」と。
シンジは本人の承諾なく、そういう事をやるのに抵抗があった。「反対されれば、それでいい。」と思い、アスカに相談した所、
「別にエッチな写真じゃなければいいわよ。…その代わり…分かってるんでしょうね?」
それがアスカの答えだ。利益を分配する事により、本人の承諾が得られた。
ケンスケ達に頼まれた後、シンジとアスカは暇を見つけて、近くの公園や山に行って写真撮影をする。本部内では流石に撮れないが、偶の休みにはそうして二人で休日を過ごす事がある。
それが無ければ、今でも二人は休日を十分過ぎる程に持て余していた事だろう。
シンジは受け取ったネガを窓からの光にさらして眺めてみる。
小さなフレームの中に、元気なアスカの姿が羅列されている。確かに綺麗に映っている。
その最後のフレームの一枚だけ、違う人物が映っていた。シンジ本人である。何時の間に撮ったのか、大きなあくびをした平和そうな顔をした自分がそこには居た。
「欲しかったら、一緒に焼くよ。」
笑いながらケンスケは行った。
そのまま受け入れるのも辺だし、断るのも違う気がしたシンジは苦笑しながら小さく頷いた。
もう一度、ネガを見てみる。
本人が聞いたら怒るのは必至だろうが、これで性格も大人しく「可憐」と言うそのままの表現が似合う少女であれば、言う事は無いだろうなと考えてしまった。そんな少女と四六時中一緒であれば、幸せかもしれない、とまた途方も無い事を想像した。
フレームの中の少女は、見る者に無条件で笑顔を見せている。無論、作られたものであはあるが…。
担任の教師が教室に入ってくる。
三人は慌ててネガやらプリント写真やらをガサゴソと隠し、自分たちの席へと戻っていった。
そして、学校生活というまた少し別の世界が始まる。

毎日、同じ様に過ごすこの世界にも些細な変化は付き物だ。
昼休みに本部から携帯に電話が入る。
「ちょっち、問題が出たから今日の訓練はナシよ。家でゆっくりしていて頂戴。」
少しだけ慌てているミサトからの電話だった。
多分、アスカやレイにも同じ電話があったとは思うが、シンジは確認と連絡をする。
「そう。」「ふ〜ん…」
二人の反応だ。
シンジもその程度のものでしかない。多分、他の二人も特に用事があるわけでなく、家に帰ったら何しよう、と考えたに違いない。

そして、今日の変化は出尽くしたと言わんばかりに午後の授業があり、放課後になる。
レイは授業が終わるやいなや、すぐさま帰宅した。義務付けられているとは言え、シンジやアスカとは違う家に住んでいるし、そもそも待っている事を考えてないのだろう。
シンジはアスカを探したが、その姿は見えない。鞄はまだ机に置かれているので何所かに行っているのかもしれない。
別段家でやる事があるわけじゃないシンジは、暫くアスカを教室で待つ事にした。
ポツ、ポツと人の姿が少なくなっている。
「なんや先生。今日は訓練無いんかいな?」
トウジが帰り際に声を掛ける。
「うん。」
「それやったら…、妹の見舞いの後、ケンスケの家にお邪魔させて貰う事になっとるんやが、センセも来るか?」
「いや、いいよ。」
折角のトウジの誘いだったが、シンジはそんな気分じゃなかった。行ったら楽しいのは分かっているのだが、なんとなく、その単純な理由だけだった。
「そっか。そんなら、また次やな。」
笑いながらトウジは帰っていった。
それぞれ部活に行くなり、帰宅するなりして、残っている生徒は数える程に少なくなっていた。
だが、そのまま教室でボーっとしているのも飽きてきたので、シンジはアスカを探しに行く事にした。
別に置いていって先に帰っても良かったのだが、自分でも分からない内に教室を出てしまいいる。
「…何所、行ったんだろ?」
皆目検討も付かないまま、構内を宛ても無く探し始める。


「ボ、ボクと付合って下さい!!」
昔から変らないスタイル。校舎裏での恋の告白。
この男子生徒は仲間を裏切り、アスカを自分のものにする為、今日思いきってアスカに告白している。

シンジは予想外の所でアスカを見つける。いや元々検討も付かない所をただウロウロと探してただけだが。
声を掛け様としたが、もう一人人影が見えたので慌てて止めた。
アスカの背中越しに男子生徒の姿が見えた。どうやらその男はアスカに告白しているのはシンジにも分かった。
そのままその様子を見るのも悪くないかな、とは思ったもののやはり少し罪悪感を感じるので、その場を立ち去ろうとした。

「アタシ…こういうの苦手だから。」
アスカはこの男子生徒の台詞に苦笑し、またこういった事に自分の時間を費やされてしまった事への憤慨があからさまに顔に出ている。それでもアスカは気を押さえて、自分では穏便に言ったつもりだった。
「こ、こういうのって??」
その男子の予想の中のアスカとは違う答えが返ってきた事に、動揺を隠せなかった。
「だから…、アンタとは付合うつもりは無いって事よ。」
理解に疎い事に、更に不快さが増してしまった。最後の方の語尾は強過ぎたかもしれない。
「でも、俺、惣流さんの事、誰よりも好きで…!」
その男子も必至だ。ここで断られてしまうと、この少女が他の誰かの手に渡ると考えてしまうと、嫉妬の渦が倍々に膨れ上がってきてしまう。それが更なる動揺を増していった。
「そんなのアタシには関係無いでしょ!?…帰る!」
これ以上付合ってたらきりが無い。その男子にはハッキリ断った事だし、この場に居るのも不愉快になってきたので、早々にアスカは背中を向け去っていこうとする。
だが、今度はアスカが裏切られた。
その男子生徒は後ろからアスカに襲いかかり、押し倒してしまう。

口論の声が耳に入り、シンジはその場に留まった。少しの間考えた末、ちょっとだけ様子を見ようとした。その時、アスカは男子に後ろから押し倒されてしまったのだ。
シンジは助けに入ろうかとも思ったが、昨日の電車での一件を思い出してしまう。
アスカなら抵抗するだろう。助けたら余計なお世話と言われるのが想像出来た。
命を落すまでの事は無い。浅間山での使徒との戦闘とは訳が違う。それくらい、容易に抜け出せる状況だろう。
シンジは今度こそその場に背を向け、立ち去ろうとした。

その男子は一瞬躊躇いはあったものの、無理やりアスカをあお向けにする。馬乗りになり、アスカの両手を押さえ付け抵抗出来ない様にした。
アスカは一瞬何が行なわれているのかを理解出来ず、その男子の思うままにされてしまった。
男子も自分で何をしているのかを理解してない様だ。「混乱」と言うそのままの顔で、取り押さえたアスカに次に何をすべきかをあれこれと考えている様だ。顔は青ざめ、小粒の汗が顔全体にちりばめられている。
目線はアスカの驚きの顔から、胸の方に落ちていく。そして震える手でアスカの制服を脱がしに掛かった。だが、その制服の構造をよく知らないのか、手間いながらリボンを外す。
アスカは漸くその状況を把握する事が出来た。だが、手は完全に封じられ、ある程度まだ自由が利く足も相手に打撃を与えるには届かない。
「や、止めなさいよ!!このヘンタイっ!!」
なんとか身を捩りながらも抗議の声を発するアスカ。
だが、アスカの言葉は相手の耳には入らない。男子生徒は自分がやっている事が理解できず、また理解しようともせず、ただアスカを自分のモノにすべく、全身を使っていた。
青ざめた顔。そして荒い男の息づかい。
その息がアスカの顔や身体に当たる度に、悪寒と憎悪が全身に駆け巡る。
…姦られる!!
このままでは確実にそうなる事を理解した。
アスカはもう一度全身に力を込め、抵抗を試しみる。だが、この成長期の男子には敵わない。男は男で全身の力を使い、アスカを押さえ込んでいる。

「た、…助けて!」
その声は確かに聞こえた。ハッキリと耳に届いた声だ。
それも今まで聞いた事の無い、か細いアスカの叫び声。
振り返ると、とても現実とは思えない情景がシンジの目に入った。男が馬乗りになり、アスカを襲っている。
抵抗する筈じゃなかったのか?逃げられる余裕はあったんじゃないか?何故、助けを求める?
だが、シンジの予想とは裏腹に、抵抗出来ないまま、その男にいいように襲われているアスカの姿がる。

「助けてっ!!」 今度は思いっきり出した声で叫んだ。
その声を聞き、男子生徒は余計に焦ったのかアスカの頬を平手打ちする。
「ああっ!!」

その音と声でシンジの思考は停止した。
気が付いた時には、既にその二人の姿は目の前にある。
シンジは男をアスカから引き離し、思いっきり殴りかかった。男はその勢いで倒れこんでしまう。
男は自分の身に何が起こったのかを理解できず、殴られた頬に手を当ててボーっとしていた。
シンジは容赦なく男を引き上げ、もう一度殴りかかる。
再び男は土の上に倒れた。その倒れた男に今度は蹴りを入れる。胸、腹、そして足に何度もシンジは蹴りを入れた。
やがて男は、結局何が起こったのかを理解出来ないまま気絶してしまう。
シンジはそれを確認し、男への暴行を止めた。我に返ると荒く息をしながら、その男を睨み付けている自分が居る事に気づく。
そして、アスカの存在を思い出し振り返る。
そこには、土で汚れ乱れた制服を身に纏って、呆然とシンジの事を見ているアスカが居る。
だが、シンジと目が会うと、アスカは咄嗟に逃げ去っていった。
ポツ、ポツと音がし始める。
シンジの制服と、倒れた男の制服に小さな水の染みが浮き出てきた。
そしてそれは直ぐに大きくなり、雨が降り始める。


暫く男の傍らに立ち、ボーっとしてしまった所為か、随分雨に濡れてしまった。
グラウンドからは雨に濡れた体操着の生徒達が一斉に校舎へと戻っていく。そんな生徒達で構内はごった返した。その人込みを掻き分けながらシンジはアスカを探したが、姿が見えない。
随分探しまわって、下校時間も過ぎ様としていた頃、やっとの事でその姿を見る事が出来た。
選択肢の中で、一番最後に残った屋上。アスカは一人雨に打たれながら壁に背をつけ、凭れ掛かっていた。
ずっと床を見つめ続け、シンジが屋上に上がってきたのは分かったのだが、シンジの方を見ようともせず、ひたすら床を見つめてた。
シンジはゆっくりとアスカの目の前に立つ。
暫くの沈黙。雨がそれぞれの場所に当たる音だけが辺りを支配した。
「…見てたの?…」
「……うん。」
アスカはだらしなく足を広げている。シンジが目の前に来てもそれを直そうとしない。シンジに語りかけてはいるものの、依然、視線は床に向けられたままだ。
「…どうして、逃げなかったの?」
シンジもアスカの姿をずっと見つづけるのは悪いと思い、アスカが見ているであろう床を立ったまま眺めた。
コンクリートの罅割れにそって流れている雨水。
「…」
答えは無い。確かに押さえ込められる前に逃げる事は出来た筈だ。アスカは自分でもそれを理解している。だが、出来なかった。恐かったから。
それをシンジには言えなかった。癪だから、悔しいから、そう言った理由もあるが、大きな別の理由でアスカはシンジには言えなかった。それが何であるのかは、自分でも分からない。
「なんとかなるかも…って思った。でも、どうしようもなかった…」
弱音を吐きたくはなかったが、つい口からはそう零れてしまった。
一度零れてしまったものは、止まらない。言いたくない気持ちとは裏腹に、口からは零れ続けてしまう。
「…他人に助けを求めるつもりは無かったの…。自分自身で何とかするつもりだった…。でも……。」
「助けて…って言ったよね…。」
「…」
アスカは顔を上げシンジの顔を見た。
シンジは余りにもアスカが複雑な顔をしたので、思わず後ろを向いてしまう。怒り出しそうでもあり、また泣き出しそうな顔だった。
今、この場で泣かれたら、自分はどうすればいいのかシンジは迷う。
アスカはゆっくりと立ち上がり、シンジに近づいた。そして自分も後ろを向き、シンジの背中に寄りかかった。
シンジの背中にアスカの背中が合わさる。
一瞬驚いてしまったが、長い沈黙と共にそれは慣れていってしまう。
やがて、耳からではなく、背中を通じてやっと聞こえてくる程の、か細い声でアスカは話し始めた。
「誰かに助けて貰おうなんて思わない…。誰かに縋って生きていこうなんて思わない…。アタシは一人で生きていこうって思った。」
そしてまた沈黙。
互いの肌の暖かと、降りしきる雨の冷たさが微妙に交じり合う。
日も落ち始め、段々と暗くなっていく学校。下校していく生徒達の傘を広げる音、そして賑やかに返っていく声が薄っすらとまぶされている。
アスカの力が少し抜けたのか、シンジに寄りかかる重さが少し増した。
シンジは倒れない様に、その場に踏みとどまる。
「………世の中……一人で生きていける程…甘くは無いわね。」
アスカの肩が少しだけ震えているのが分かる。笑っているのだろうか?
次の瞬間、アスカはシンジから離れた。軽くなった背中に驚き、シンジは振り返る。
…現実は甘く無い。
だが、一人で生きていける程、現実は甘く無い、そうアスカは言った。
シンジはそこまで結論は出せなかったが、アスカが自分と同じ事を考えていた事に驚いた。
育った国も違えば、教育も違う。既に大学でさえ卒業しているこの少女が、平凡な環境で育った自分と同じ考えを持つとは思えなかったからだ。
「…一応、礼は言っとくわ。…ありがと、シンジ。」
アスカはまたシンジに近づく。だが、さっきとは違い、シンジの目の前に顔を持ってきた。
そしてゆっくりと目を閉じる。
その意味合いはシンジも分かった。だが、戸惑う。こんなアスカは見た事も無いし、ここにいる人物がアスカなのかを疑ってしまうくらいだ。
何より、これは現実なのだろうか?
しかし、そのままの状態でアスカを放っておく訳にもいかず、シンジは覚悟を決め、アスカの顔に自分を近づける。
だが、非常にゆっくりと。
少し気になり薄目を開けて、アスカの顔を見る。アスカは少し震えていた。
それが、寒さの所為なのか恐がっているのかは分からない。
いつまでも近づかない事を疑問に思い、アスカも薄めを開けてシンジの顔を見た。
シンジも同じく少し震えている。違うのは顔が赤くなっている事ぐらいだろう。
「あは…あはは…」
何故か可笑しい。どこからともなく、笑いが出始めた。
アスカはそのまま額をシンジにくっ付け笑い始めた。
「あははは…、あはははははは!」
「あはは…」
シンジの目の直前にあるアスカが大きく笑い始めた。シンジも訳が分からずに、その笑いにつられてしまう。
笑いながらアスカはシンジのシャツを引っ張り、シンジの胸の中に顔を埋める。少し震えながらもシンジの胸の中で笑い続けていた。
シンジは顔を空に向け、アスカの笑いを胸で受け止めている。雨が顔に当たり、痛い。
「あはは……あは…」
やがて笑いつかれたのか、アスカは静かになっていった。
少しだけの沈黙。
アスカはシンジから離れ、後ろを向いてしまう。
そんな彼女の一貫性の無い行動にシンジは戸惑うばかりだ。だが、ここで自分がする事は何も無い。出来ないのかもしれない。
ただ、アスカの背中を眺めているだけだ。
「…帰ろう。」
「……うん。」

服が重い…。
雨水が十分すぎる程染みこんでしまった制服。
二人は重々しく、そして離れながら屋上を後にした。






終劇
後書き

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