慟哭の刻

 

 

 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

                 10.

 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 

 

  誰も言葉を発しない・・・発せなかった。少しでも動けば目の前の出来事が現実

 だと認めることになりそうで。しかし永遠にそうしていても何の解決にもならない

 事に最初に気づいたのはミサトだった。

 

 「日向君、至急全探査システムを使って初号機の痕跡を探って。出来るだけ広範囲

  で。世界各国のネルフ支部、国連軍、関係機関にも協力要請よ」

 「え?」

 「初号機が・・・シンジ君が死ぬはず無いわ・・・絶対、絶対にどこかにいるはず

  よ。初号機の中にいるのがシンジ君のお母さんなら・・・自分の子の死を望むは

  ずはないわ。事実これまでも初号機は何度もシンジ君を守ってきた。だから今度

  も・・・・初号機はダメでもシンジ君だけでも。世界のどこかには必ず」

 「はい!」

 

  皆が一斉に動き出した、自分の担当の機器をフル動員して何かの痕跡を見出そう

 とした。

 

 「ドイツ支部とコンタクト完了、協力要請を受け入れてくれるようです」

 「マヤ、MAGIの全システムを回して」

 「国連軍にも連絡!基地周辺の肉眼確認はまかせるわ。出動要請の理由?適当にで

  っち上げときゃいいのよ」

 「私にも出来ること無い?」 

 「私も」

 「今はいいわ。いいからまかせなさい」

 「ちょっと待って下さい先輩。通信が入ってきてます」

 「どうせどこかのお偉いさんでしょ。ほっときなさい、今はそれどころじゃないわ」

 「それが、違うんです。コード:CH−003、発信者:S.IKARI・・・・

  シンジ君です!」

 「なんですって!?メインに繋いで、早く!」

 

  皆が息を潜めて待つ。部屋に声が流れ出した、紛れもなくシンジの声が。

 

 「みんな聞こえる?」

 「シンジ!あんたあーー!」

 

  すかさずアスカが怒りの声を上げる。喜びの成分も十二分に含まれてはいたが、

 それでもやはり怒りの声だった。アスカの怒りは誰も良く分かる。だが、シンジの

 声はアスカなどお構いなしに言葉を紡いだ。・・・・実際アスカが発した声はシン

 ジに届いていないのだから。

 

 「僕は今、エヴァの中にいるんだ。さっきATフィールドを反転させたからもうあ

  んまり時間はないだろうけど。これからどうなるのか僕にも分からない。アダム

  みたいに消滅しちゃうのか、ディラックの海に落ち込むのか、どこかよその世界

  に送り込まれるのか・・・・・・・・・・・・みんながこの声を聞いてる頃には

  もうそんなことになってるんだろうな。みんなには最後に何も言えなかったから、

  母さんが僕の最後の想いを音声に変えてそっちに送ってくれるって言うんだ。頭

  の中で思ってることがそのまま行くんだからきっと無茶苦茶だろうな。それでも

  届いてくれたら嬉しいけど」

 

  マヤは思わずディスプレイを見た。その表示は「REPLAY」。通信モードで

 はなくボイスメッセージを受け付けているだけであったのだ。

 

  あまりにも続けて起きる衝撃に人々は反応することを忘れてしまったかのようだ。

 凍り付いたように誰も動かなかった。それとも今出来ること、しなくてはならない

 ことを無意識のうちに感じていたのかもしれない。彼等に出来る唯一のこと・・・

 シンジの最後の言葉を一語一句も聞き逃すまいとする事。

 

 

 「多分みんな僕が馬鹿な真似をしたと思って居るんだろうね。そうかもしれない。

  他に方法もあったかもしれない。でもこれ以外思い付かなかったんだ。僕も・・

  母さんも。エヴァの一欠片も残しちゃいけないって前に言ったよね。使徒なら倒

  せばいいし、細胞ならさっきみたいに潰すこともできるけど、初号機だけは・・

  初号機を潰す力なんて初号機以外持ってないし、その為には僕はここにいなくち

  ゃならなかった。・・・しかたなかったんだよ」

 

  シンジは少し息を継ぎ、少し落ち着いた口調で言葉をつなげた。

 

 「ミサトさん・・・・・今まで本当にありがとうございました。ミサトさんが居な

  かったら僕はとっくに逃げだしてた。そして楽しいことも何も知らずに、守りた

  い物にも大切な物にも出会えなかった。補完計画が実行されるその時まで家族の

  暖かみさえ知らずにいたでしょう。全部・・・全部ミサトさんが居てくれたから

  こそ手に入れられたんです。ありがとうございましたミサトさん。僕の初めての

  家族で居てくれて。家族で居させてくれて」

 

  ミサトは涙を流していた、だが嗚咽は漏らすまいとした。シンジの声を聞き逃さ

 ないように。

 

 (私はあなたを確かに引き留めた・・・でもそれはあなたにとって良いことだった

  の?楽しいこともあった替わりに苦しいこともあったじゃない。家族だって言う

  こともそう。私が欲していただけかもしれない。だって私はあなたにあんな事を

  ・・・それなのに・・・・何でありがとうなんて言えるのよ。それだけ優しかっ

  た・・・・シンジ君・・・)

 

 「リツコさん・・・・協力してくれてありがとうございました。おかげで僕はここ

  にたどり着くことが出来ました。正直言って綾波の事を聞いたときはリツコさん

  のことを恨みました。綾波の事ももちろんだけど何でそのことをわざわざ僕に言

  ったりするのかって。そのことで随分悩んだりもしたけど・・・今では話してく

  れたことに感謝しています。おかげで僕は最後は逃げずに済みました。自分の意

  志で動くことが出来ました。・・・・大切な者を守ることが出来ました。だから

  ・・・感謝しています」

 

  リツコは顔を伏せていた。シンジの言葉が胸に突き刺さる。自分のしたことが許

 されることではないことは彼女自身が一番良く知っている。そしてそのことに対す

 る償いをまだしていないことも。だから、罵られることも恨まれれることも覚悟し

 ていた。だが感謝されることには・・・・シンジの言葉は罵倒されること以上にリ

 ツコの心を深くえぐった。

 

 「日向さん、青葉さん、伊吹さん・・・それに他のオペレータのみんなさん、今ま

  で戦闘中なんか色々手助けしてもらってありがとうございました。以前は基地ご

  とそこを潰そう何てこと考えてすいませんでした。今思うと無茶でしたよね・・

  みんなも巻き込むことを考えてなかったんだから。今でもあのことは許せないけ

  ど。今度のことでも迷惑掛けちゃいましたね。僕がしたことの意味、父さんのし

  ようとしたこと、そして皆さんが担っていた役割なんかはミサトさん達から聞い

  て下さい。・・・出来たらその後で考えて下さい。ネルフのしてきたことを。そ

  うすれば僕の気持ちが、自分が正しいと思っていたことがとんでもないことだっ

  た時の気持ちが少しは分かってもらえるかもしれない。ご迷惑をおかけしました」

 

  彼等はその言葉を神妙に聞いていた。当然彼等は細かい事情など知らない、シン

 ジやゲンドウなどの言葉からある程度の予測が出来るだけだ。だが・・何故か自分

 達が責められてるような気がした。無論シンジの言葉にその様な響きはない。責め

 ているのはシンジではないのだ。責めているのは・・・・自分自身。

 

  まだ明確に意識していないが気づき始めていた。彼等もまた逃げていたことに。

 正義の名の下にしてきたことを考えることから、そしてその正義の本当の姿を見極

 めようとする事から。後に真実を知ったとき彼等は「自分達は人類のためと信じて

 してきた、それが間違いだったとしても非難される謂れはない」等という言葉を漏

 らすことは決してないだろう。

 

 「綾波・・・綾波には言いたいこといっぱいあるんだけど。もっと話したかったな、

  綾波とは。僕も綾波も無口だったからね。たぶん今時間を与えられてもお互い何

  も話せずに過ごしちゃうんだろうね。

 

   そうだ、前に綾波は自分はATフィールドを張れるから使徒に近い存在なんだ

  って言ったことがあったよね。あの時は答えられなかったけど、今ははっきり言

  えるよ。綾波は使徒なんかじゃない、間違いなく人間だよ。だって使徒だったら

  さっきの共振で潰れちゃってるだろ。

 

   母さんが教えてくれた、あの時のセントラルドグマはカヲル君、初号機、弐号

  機と強力なATフィールドが幾つもあった上に増幅器でもあるリリスまで居た。

  おまけにあの頃は制御がまるでされていなかったから、力がでたらめに混ざり合

  って漂っているような状態だったんだ。そんな力の奔流の中にいたから、ATフ

  ィールドの使い方を知っていた僕達には制御する事が出来たんだって。自分の力

  でATフィールドを張った訳じゃないんだよ。多分僕やアスカがあそこにいたっ

  て同じ事が起きたはずだよ・・・・父さんはそのことを知っていて綾波を縛り付

  ける材料にしたんだと思う。

 

   今まで黙っていてごめん。でも、言葉だけじゃ信じてくれなかっただろ?それ

  に・・・これを知ったときは綾波はそれどころじゃなかったし・・・・とにかく、

  綾波は普通の人間だよ。他の人達と同じごく普通の人間だよ。だから・・・・・

  だからさ、綾波、生きてよ、精一杯。普通の人として。・・・・僕が出来なかっ

  た分まで普通の人として生きてよ。お願いだからさ。ペンペンの世話・・・・・

  よろしく頼むね。それじゃ・・・・さようなら」

 

  以前レイは涙を流すことを不思議なことだと感じた。だが今はそのことを不思議

 と思わない。哀しかったから、心から哀しかったから。彼女は哀しいという感情が

 どういう物か良く理解することが出来た。だがもし選べるなら、一生感情を知らず

 に送るか、今の状況かを選べるなら決して迷わなかっただろう。

 

 (感情なんていらない・・・・・いらないから、居て欲しかった・・・)

 

  レイは激しい後悔にさいなまされた。彼女は知っていたシンジが如何に優しいか

 を、シンジがどれだけレイのことを気にかけていてくれたかを。・・・なのに彼女

 は拒絶してしまったのだ、シンジを。シンジのせいではないと知っていながらも受

 け入れられなかったのだ。そのことを謝ることが出来なかった。感謝する機会は無

 くなってしまったのだ。腕の中のペンペンさえも今の彼女には何の意味も持たない。

 今彼女をかろうじてつなぎ止めているのは流れるシンジの声だけだった。

 

 

 「アスカ・・・・アスカ・・・・きっと怒ってるだろうね。でも、僕が昨日した約

  束は勝つことだけで帰るとはいわなかった・・・・何て言ったら余計に怒られる

  かな。ごめん。本当にごめん。アスカの側にいてあげたかった、僕なんかでも必

  要としてくれたアスカの側にずっと居てあげたかった。そして・・・僕もアスカ

  の側にいたかった。アスカに側に居て欲しかった。

 

   ありがとうアスカ・・・・ずっと僕の側にいてくれて。アスカが居てくれなか

  ったら、楽しかった事なんて見つけられなかったかもしれない。家族でも居てく

  れたし、それ以外の大切な者でも居てくれた。無理矢理いろんな事もさせられた

  けど、おかげで自分の世界に入り込んでる暇もなかった。今思うとそのことにど

  んなに救われたか。僕が本当に辛い目にあった後でもアスカが支えてくれた。

 

   だから・・・・だからなのかな?今こんな気持ちになってるのは。こんな事言

  ったら怒られるかもしれないけど、いや、アスカにとってはどうでもいいことか

  もしれないけど・・・今いわなきゃ言う機会も無いし・・・僕は・・・・・僕は

  アスカのことが好きだった・・・・んだと思う。今気づいたんだけど。

 

   いつもいつも僕の側にいてくれて、僕の支えになってくれたアスカが。人とし

  て生きてるとは言えなかった僕に人であることを教えてくれたアスカが。ごめん、

  迷惑だよねこんな事言っても。アスカ・・・ありがとう。居てくれて、僕の側に

  いてくれて。心から・・・感謝・・・している。ありがとう・・・・さようなら」

 

 「シンジのバカーーーーーー!」

 

  アスカが突然叫び床に伏せ号泣しだした。

 

 (いつだってバカなんだから。側にいてくれたのはどっちよ、それで助けられたの

  はどっちよ!いつだって鈍いんだから。支えになってくれたのはシンジでしょ、

  シンジが言ってくれた言葉を私が迷惑がるわけ無いでしょ!いつだって度胸無い

  んだから。何でもっと早く言わないのよ、何で私の顔を見て言わないのよ・・・

  どうして・・・・どうして・・・・行っちゃうのよぉ・・・・)

 

  アスカの心からの悲しみの声・・・・慟哭にだれも声をかけられなかった。

 

  ミサトは揺れているアスカの栗色の髪を見て胸を突かれた。その美しい髪の内一

 房から完全に色が抜け落ち白髪と化していたのだ。そこには純粋なシンジへの想い

 が込められているようだった。

 

  シンジの声も途切れていた。アスカが泣き出すのが分かっていたのだろうか?こ

 れで終わりなのかと考え始めた者が出始めたとき、声が繋がった。

 

 「・・・・・・今思ったんだけどさ、クロノスって確か自分の生み出した子を恐れ

  て殺そうとして、逆にその座を追われた神様の名前じゃなかったけ?それじゃ・

  ・・・クロノスの計画によって生み出されたエヴァは・・・この初号機はゼウス

  なのかな?だから補完計画は失敗したのかもね。

 

   父さん、補完計画は止めたよ。もっと恨み言でも言いたくなると思ってたんだ

  けど・・・何かどうでも良くなっちゃった。だけど・・・・せめて、せめてこの

  世界を見届けてよ、本当に人には補完されることが必要だったのかだけでも。僕

  にも・・・母さんにももう出来ないことだから」

 

 

  割合と軽めのシンジの声は急に途切れた。そこまでが彼の心の限界だったようだ。

 最後まで皆に気を使う心優しき少年はまた14歳の弱き存在でもあるのだから。

 

 「い・・・や・・だ、いやだよ、やっぱり嫌だよ。死ぬなんて絶対に嫌だ!ここに

  いたいんだよ。今ここでこの世界でみんなと一緒に暮らしたいんだ。アスカ達と

  もまだ話したいこともあるんだ、死にたくない、別世界なんかにも行きたくない。

  いや・・・だよ・・助けてよ・・・・・・・・・・・・・・・・・・分かってる、

  分かってるよ母さん、こうするしかないって。これが・・・僕の選んだ方法なん

  だから。それに母さんを独りぼっちに何てしないさ。一人の辛さは僕も分かって

  るつもりだから。一緒に行くよ」

 

  シンジの悲しみの声は皆の心をえぐった。彼は決して望んでこんな事をしている

 のではない。分かってはいたが、それを目の当たりにすることは辛すぎた。

 

 「・・・・・・・・そう・・・・・・・・みんな、母さんがね、最後にMAGIに

  僕達が何処かに行けたとしたら、みんなの声をそこに送れるシステムを残してく

  れるって。どれくらい遠い世界か分からないし、MAGIの全機能を使ってもど

  れくらい送れるか分からないそうだし・・・・・第一、他のどこかにいけるとは

  限らない・・・・このまま・・・死んじゃうのかもしれないし。でも、邪魔にな

  らないようだったら声、送ってよ。死なずに済んだら、みんなの声が聞きたいか

  ら」

 

  再びシンジの声が途切れたかと思うと、かすかにノイズが混じりだし、そして途

 絶えた、今度こそ完全に。しばらくの間人々は自分に投げかけらた少年の最後の言

 葉を反芻していた。

 

 

 

 

 

 「碇・・・・・終わったな。全てが終わった。お前の・・・・いや我々の負けだ」

 「負けただと?冗談ではない。シンジごときがどうあがこうとも補完計画を止めら

  れはしない」

 「まだ諦めない気か?・・・・分からないでもないがな、お前の数十年にも及ぶ理

  想が達成を目の前にして崩れさったのだからな。だが今更何が出来る?エヴァも

  使徒ももう居ないのだぞ。素直に負けを認めろ。負けたんだよ、シンジ君に」

 「黙れ!例え・・例えエヴァが居なくても我々にはまだMAGIがある。MAGI

  には今までのエヴァの全研究結果が残っている。例え今は解析不能でも何年、何

  十年かかろうとも全てを明らかにしてみせる。その時こそ我々は無限の力を使い

  こなすことが出来るその時こそ人類補完計画が行われるときだ」

 

  冬月はあきれると言うよりも感心した。この執念、この意志の力、少なくてもゲ

 ンドウが並の者とは違うことだけは認めねばならなかった。

 

 「見ろ!これを・・・・シンジお前のしたことは無駄なことだ。負けたのはお前だ」

 

  ゲンドウがキーを叩くとモニターにエヴァのデータが流れた。それを眺める冬月。

 だが、ゲンドウが感情を表に現す今の姿は、自ら負けを認めているような物だなと

 言う冷めた目だった。その時だった、モニターに異変が起きたのは。流れていたデ

 ータが止まり、逆進し始めたのだ。

 

 「なんだこれは!?」

 

  データは見る間に遡り、最初まで戻ると画面が消えた。唖然とする人々をよそに

 異変は続いた。司令部各所のモニターランプなどが次々に消えていったのだ。

 

 「何?どうなってるの?」

 

  アスカ達にとってこのような異変など今は何の意味も持たないが、それ以外の人

 達にとっては動揺させるに足る状況だ。

 

 「ひょっとして・・・ゼーレが何か仕掛けてきたのか?」

 「でも・・・MAGIの防衛システムを素通りしてこんな事出来るはずが・・・」

 「分かるもんか!前にだって乗っ取られそうになったことあっただろうが!」

 「でも・・・・アレは使徒の・・・そうだ!MAGIの状態は?」

 

  オペレータの一人が残っているモニターにMAGIの状態を映し出させた。半ば

 予想していたことだが、MAGIの半分以上が浸食されていた。以前使徒がMAG

 Iを乗っ取ろうとしたときのように。ただ一つの大きな違いはMAGIの制御権を

 示すランプが色を変えているのではなく、消えているという事。MAGIは乗っ取

 られようとしているのではなく、消去されようとしているのだと言うこと。

 

 「MAGIが・・・・消えていく・・・・」

 「赤木先輩!いいんですか?早く手を打たないと」

 「何の・・・・・・・為に?」

 「え・・・・・でも、MAGIは赤木先輩の・・・・」

 「そう、私にとってMAGIは母さんの形見、母さんそのもの。でも、同時に母さ

  んから受け継いだ呪縛。今消えるのが・・・・最もふさわしいのかもしれない。

  MAGIはもうその役目を終えたのだから」

 

  消えていくMAGIを見つめるリツコの目は、大切な物を失う寂しさと呪縛から

 解放される安堵感を含んでいた。

 

  意識しているにせよ、していないにせよ誰もがこれが誰の意志によって起きた物

 かを理解していただろう。何重にもプロテクトを掛けているMAGIの全てを消去

 するなど、ゼーレにも不可能だ。クロノスをも凌駕する力がいるはずである。そう、

 使徒のような全てを凌駕する力が。

 

 「シンジ・・・・これも貴様の仕業か・・・」

 

  冬月はゲンドウの肩に手を置き、諭すように話し出した。

 

 「なるほどな・・・・・大した徹底ぶりだ、初号機が消えた後作動するプログラム

  でも残していたのか?それとも気づかぬ内に少しずつ浸食されていたか・・・・

  碇、もう良かろうお前が完全に無力なことをもう認めろ。お前には責任者として

  やらねばならないことがまだ残っているだろう。ゼーレが進行してくるまで、も

  うそう時間もあるまい。まだ間に合うかもしれん、降伏を申し出ろ。MAGIを

  失った以上防衛システムも役にたたん。素直に負けを認め、職員の身の・・・・」

 

  空気が弾かれるような音がした。

 

 「い・・かり・・・」

 

  冬月がよろめきながら後ろに下がる。腹を押さえる手の間から鮮血が流れ落ちて

 いた。いつのまにかゲンドウは拳銃を手にしている。

 

 「冬月・・・・お前も所詮敗北者か。失望させられたよ。覚えておけ、私は敗北者

  に用はない・・・・もっとも、もう覚えておく必要もないだろうがな」

 

  床にへたりこんだ冬月は息も絶え絶えに言葉を続けた。

 

 「どう・する気・だ・今更・何が残っている?」

 「MAGIがダメならばクロノスがある!ゼーレもエヴァを失っている。勝ち目は

  ある。ゼーレを滅ぼし、クロノスの全てを奪い、もう一度補完計画を実現させる」

 「冷静に・なれ。通常兵器で・勝ち・目はな・い。全・滅するぞ」

 「全滅するのはゼーレの方だ。戦闘部署の者は皆私に忠誠を誓っている。皆が死を

  恐れずに戦う以上勝機はある」

 

  冬月もゲンドウがゼーレと対決する日のためにネルフの保安部、監査部、諜報部

 等、主だった機関を配下に収めていることは知っている。唯一ゲンドウが手を伸ば

 していないのはこの司令部と研究機関だけである。だが・・・・・

 

 「お・前がこれほど・愚かと知ってい・れば、ここま・で付き合わずに・済んだか

  もな・・・・」

 「どういう意味だ冬月?」

 

  その時ゲンドウ達の居る一画のドアが開き、数人の武装した保安部員が入ってき

 た。

 

 「情報封鎖は解けたのか?・・にしても遅い、何をしていた?・・・・まあ良い、

  そこにいる死に損ないを始末しておけ、各部に連絡だ至急戦闘準備、ゼーレとの

  ・・・」

 

  ゲンドウは最後まで言葉を続けられなかった。保安部員の銃口はゲンドウの方を

 向いていたのだ。

 

 「どういうつもりだ!」

 「我々は人類補完計画に賛同したのであって、あなたに忠誠を誓った覚えなどあり

  ません」

 「このまま負けるつもりか?貴様達も敗北者か」

 「なるほど、我々は確かに敗北者かもしれない、しかし今の状況で勝てると思うほ

  ど愚かではない。自分の欲望のために無謀な戦闘を強いる者に付き合う気はない

  ということです」

 「なぜだ!何故だれも私の計画を邪魔する」

 「碇・・・・お前がだれも信じようとしなかったからだよ。お前は誰も信じなかっ

  た。だから誰もお前を信じなかった。私を含めお前と行動を共にした者も皆お前

  にではなくお前の計画や能力に従ったにすぎん。ユイ君や赤木君親子だけはお前

  を慕ったようだが・・・・私には未だに理解できんな。だが彼女達にさえお前は

  完全には心を許さなかった。赤木君親子にはお前の計画のための駒であることを

  求めただけ、ユイ君に対しても自分の理想を理解し、協力し合えるパートナー以

  上の物を求めなかっただろう?少なくとも一己の人間としての、女性としての彼

  女を理解しようとしたようには見えなかったな。

   碇・・・お前は愚かで可哀想な奴だ。お前は今まで誰も信じなかった。そして

  誰にも心から求められることも、必要とされることもなかった。人として哀しす

  ぎる人生だな。人を信じる事を選んだシンジ君とは対称的だ」

 「だまれ、愚かなのは貴様だ!」

 

  逆上したゲンドウは冬月に再び銃を向けた。数発の銃声が響く。だが、血を流し

 倒れたのはゲンドウだった。

 

 「貴様ら・・・・」

 「あなたのおっしゃったとおりです。我々は生き延びるために他の者を犠牲にしな

  くてはならない。だから碇司令、我々のための犠牲となっていただきます。ゼー

  レが攻め込んでくる前に和睦するにはあなたは邪魔だし、副司令にはまだ死んで

  もらっては困るんですよ」

 「愚か者め・・・・シンジ・・・この愚かな者達をお前は信じるか?やはり人類は

  滅ぶ。お前のせいでな・・・・」

 

  かつて彼を愛した者は居た。信じた者も頼った者も居た。だが、今は居ない。彼

 の死は孤独に充ちていた。だがより不幸なことは、彼は自分が孤独であることが不

 幸だと気づきもしなかったことだろう。人としての幸福と不幸を理解せず、求めな

 かった男は息を引き取った。人類全てを巻き込む計画を後一歩で実現させられる所

 までまとめあげた男にとってその死に様は惨めで寂しいものだが、最もふさわしい

 ものだったかもしれない。自らのエゴのために人を殺め、傷つけてきた者の最後は

 他者のエゴによるものだったのだから。

 

 「副司令大丈夫ですか?」

 「ああ・・・幸い急所を外れていたようだ。まあ、私もいずれは碇と同じところへ

  行くのだろうが、少しの間だけでも奴と離れられるのは幸いと呼ぶに値するな」

 

  通信が入ってきた。どうやらMAGIを介さなくても使用可能なシステムは生き

 ているらしい。

 

 「ゼーレからです。碇司令を出せと言っていますが・・・」

 「私が出よう。メインモニターにまわせるかね?」

 

 モニターにゼーレのキール議長が映った。

 

 「お久しぶりです、キール議長」

 「冬月か・・・・碇はどうした?」

 「碇は・・・・・・・・責任をとりました、この度の騒動の」

 

  冬月は背後に横たわるゲンドウを見た。それはキールにも見えているはずだ。

 

 「碇が責任だと?・・・・・フム、ではそう言うことにしておくか。普通ならあり

  えん事だが、あの後ならば何が起きても不思議はないからな。初号機のあの行動

  には流石の我々も驚いた。一体何があったのだ?・・・いやその件は後だ」

 「ご用件は?」

 「貴様なら分かるだろう。何があったのかはしらんが初号機も消え去った様だ。全

  てのエヴァを失ったとはいえ、通常兵器だけでも我々には十分な戦力がある。勝

  負は見えているぞ」

 「そうでしょうね」

 「それが分かっているならば・・・・どう出るつもりだ?」

 「降伏します」

 「何?」

 「我々は全ての力を失いました。エヴァも無い上にMAGIまで失っては通常兵器

  の制御さえままなりません。これ以上無駄な犠牲は出したくありませんからね、

  クロノスの立てた戦略に付け入る隙があるとも思えませんし」

 「・・・MAGIもか?・・・クロノスを潰したのは貴様達ではないのか?」

 「クロノス?・・・・・クロノスが潰れたのですか?」

 「勘違いするな一時的にシステムが乱れただけだ。第一クロノス抜きでも我々の優

  位は動かん」

 「・・・・・ひょっとして、登録データが次々と抹消されて行ってはいませんか?

  もしそうならばクロノスは完全に消滅するでしょうね」

 「・・・・何処まで知っている?やはり貴様らの仕掛けなのか?それともこれを仕

  掛けた者を知っているのか?」

 「・・・・なるほど・・・ゼウス・・・・か」

 「ゼウス?神がやったとでも言う気か?ばかばかしい」

 「いえ・・・・これをやったのは只の人間ですよ。何の変哲もないごく普通の一人

  の中学生です」

 

  シンジの言葉に出てきた「ゼウス」と言う言葉。その意味がようやく分かった気

 がする。文字どおり「クロノス」を倒したのだ。だが冬月にはその行動を神に例え

 るより人に例えるべきだと言う気がしていた。

 

 

  ゼーレはネルフがあまりにもあっさりと降伏に応じたことに疑念を抱いたようだ

 が、それを受け入れた。モニターが消えたとき、よろめいた冬月を保安部員の一人

 が支えた。

 

 「大丈夫ですか?副司令」

 「ああ、すまんが医療室まで運んでもらえるかね?まだ死ねそうにないのでね」

 

  確かにこれからの冬月がせねばならないことは多いだろう。ゼーレが反乱者に容

 赦をするとも思えない。ネルフという組織をずたずたに引き裂こうとしているのは

 目に見えている。一人でも多くの者をゼーレの力の及ばぬようにしてやりたい。そ

 れは冬月の償いと言うよりも副司令の責任感が持たせる想いだった。

 

 

  保安部員に運ばれる前に冬月はもう一度部屋に横たわったままになっているゲン

 ドウを目に留めた。

 

 「碇め・・・・最後の最後まで私に面倒を押しつけおったか」

 

 

 《続く》

 



メリーさんの部屋に戻る

inserted by FC2 system