慟哭の刻

 

 

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                 3.

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  シンジには聞こえた、何かが砕け散る音が。一つの結晶が砕けるような済んだ高

 い渇いた音だった。

  レイは感じた、何かが崩れさるのを。地の底から響いてくるような暗く重い音が

 どこかでしていた。

  アスカには見えた、二人の心が切り裂かれる様が。見えない傷口から決して止ま

 ることのない血が流れ続けていた。

 

 僕は何のために生きてきたんだろう?こんなに辛い思いをしてまで。

 私は何のために生まれてきたんだろう?こんなに悲しい思いをしてまで。

 私達は何のために戦ってきたんだろう?こんなに苦しい思いをしてまで。

 

  3人が戻ってこないことを不審に思ったミサトが部屋に入ったとき見たのはそん

 な3人の姿だった。

 

  即日、3人は入院した。完全に外との接触を断ってしまったレイ、医者や看護婦

 どころかミサトと会うことさえも恐怖に震えるシンジ、2人には手の打ち様もなか

 った。一番早く安定を取り戻したアスカは当然の事ながらミサトの質問を受けた。

 ミサトの質問は当然ではあるが最も残酷な物だった。

 

 「一体何があったの?」

 

  アスカの返事はなかった。

 

  翌日からアスカは2人の個室を見舞った。だがレイはアスカにさえ反応を見せず、

 シンジはアスカの視線からも言葉からも逃れようとした。その時アスカは理解した。

 何故自分があの部屋に呼ばれたか。この2人とは違いゲンドウにより運命を強制さ

 れていないはずの自分が。

 

 (2人を・・・苦しめるため。2人に知らせた事実を否定させないため)

 

  シンジとレイにとって最も近い存在はアスカである。その彼女に事実を知らせる

 ことにより、事実を認めざる得ない状況を作り出したのだ。事実を否定する、そん

 な悲しい逃避の仕方さえも認めないと言うことらしい。もはや彼等に残されている

 のは現実世界から逃避するか、状況を受け入れるか、状況に立ち向かうか・・・・

 だがそのどの道を取っても苦しみが癒されることはないだろう。

 

 

 「他にも方法があったのではないのか?」

 「何がだ?」

 「チルドレンの扱いの事だ!」

 「今更何を。人類のためなら全てを犠牲にする、そうではなかったのか?」

 「不必要な悲劇を強制することはあるまい」

 「我々には時間がない」

 「審判の時まではまだ間が有ろう。それとも各国政府や国連のことか?確かに我々

  の動きを感じ始めているようだが」

 「いや、それだけではない。冬月、お前は最近のゼーレの動きをおかしいとは思わ

  んのか?人類補完計画の発動機である初号機、増幅器であるリリス、共に我らの

  手の内にあるというのにそのことについて何も言ってきはしない。それどころか

  端末であるエヴァシリーズの配備を進めている。我々が既に志を異にしているこ

  とは奴等も気づいているはずだ。まるで補完計画が奴等の手に戻ることを確信し

  ている様には見えんか?」

 「初号機もリリスも無しでか?・・・・・まさか・・・・・・」

 「可能性は十分だ。ゼーレが奴を支配することを可能としたならば我々の勝ち目は

  薄い。そうなる前に手を打たねばならん」

 「だが、あの子達を追いつめる必要性が何処にある?我々のしようとしている事の

  意味を説明してやれば十分だったろう。あれでは反発や自己崩壊を誘発しかねん

  ぞ」

 「子供の安っぽい正義感などに関わってる時間を省略したまでだ。それに、反発は

  できんさ。レイにとって私は唯一絶対の者だ。そしてシンジにとってはただ一人

  の肉親。幼き日より肉親の愛情という物に飢え続け、幻想を抱いてきた者が心の

  底から実の父親を否定できるはずもない」

 「お前にとって肉親と言うことは、自分に反発させない為の切り札という以上の意

  味を持たないのか・・・」

 「自己崩壊にしてもそうだ。レイの自己崩壊はむしろ歓迎すべき事、シンジは自己

  崩壊することすらできん。」

 「何?」

 「その為に補完計画の真の姿を教えてやったのだ。シンジが自らの処遇を嘆いて殻

  に閉じこもるというのなら、『実の父がしたこと』を無視することになる。彼奴

  が私のしたことを嫌悪するのならその為に犠牲になった人々、これから我々の手

  により補完される人々の事から目を背けることはできん。自分の身に起きること

  からは逃げようとしても、人の身に起きることからは逃げられない。シンジはそ

  の様に育ったという報告を受けている。つまり、シンジは逃げることも反発する

  こともできはしない。彼奴の思惑がどうあれ従う以外の道は用意されていないの

  だ」

 「・・・・もういい、お前のシナリオは完璧だ。何の問題もない!」

 

 はき捨てるように言葉を発した冬月をゲンドウは冷笑を浮かべながら見ていた。

 

 

 

  ミサトは疲れていた、疲れはてていた。信じていた物も失い、正しいと思ってい

 たことにも自信がもてず、最愛の者さえ失った。彼の意志を継ぎ全てを明らかにし

 ようと画策する毎日が続いたが、事の全貌はいっこうに見えてこない。そして今、

 彼女に唯一残された家族さえも彼女の安らぎにはなってくれない状態にある。

 

  確かにミサトはシンジ達のことを心配していた。だがその中に疲れはてた自分の

 心を癒してくれる場所が欲しいという自己中心的な考えがなかったとは言えない。

 

 

 

 

  数日が過ぎ、ようやく落ちつきを取り戻したシンジ。だがその瞳は現実を受け入

 れてはいなかった。

  アスカは一日のほとんどをシンジの側で過ごしている。レイのことが嫌いなわけ

 ではない。傷ついている彼女を助けてやれればとも思う。だが、アスカ自身、今は

 弱い存在だった。一人で居ることに恐怖を感じる彼女が自分の存在に何の反応も見

 せないレイの側にいることは、耐え難い苦痛であった。例え拒絶の反応でもシンジ

 の側にいる方が安息を得られた。

  2人の心を救えぬ彼女が、自らの安息を望んだとしても責められることではない

 が、アスカは自分を責めていた。それが分かっていながらも何もできない臆病な自

 分を恥じていた。

 

 

 

 「どう、シンジ君の様子は?」

 「相変わらずよ、ただ怯えているだけ」

 

  ミサトも一日一回はシンジ達の見舞いに来る。だが、シンジの怯えはミサトの前

 では一層激しくなるため長い時間は居なかった。そしてそれはミサトの疲労に一層

 の拍車をかけるのであった。

 

 「それじゃ、後はお願いね。あなたも無理しちゃダメよ」

 「うん」

 

 その時、部屋を出ようとしたミサトに声が掛かった。

 

 「ミサトさん・・・・話が有るんです」

 「シンジ君?」

 「シンジ?」

 

  それは入院後初めてシンジの意志で発せられた言葉だった。アスカの助けを得て

 ベッドに半身を起こしたシンジは改めてミサトに話かけた。

 

 「一つ聞きたいんですけど・・・ミサトさんは知っていますか?セカンドインパク

  トの起きた本当の原因を・・・ミサトさんのお父さんの死んだ本当の訳を」

 「シンジ・・・ちょっと待ってよ、ダメ、ダメよ!」

 「アスカ・・・ミサトさんには知る権利があるよ。そして僕には話さなければなら

  ない義務が有るんだ」

 「でも、だって、そんなこと・・・・」

 「シンジ君、アスカ、一体何のこと?セカンドインパクトってリツコが言っていた

  事と違うって言うの?説明して」

 

  なおも止めようとするアスカの手を握りしめながらシンジは静かに語りだした。

 

 「父さん達は、人類補完計画で人の心を奪って支配しようとしているです。その支

  配のためには人数が多すぎるって言う理由だけでセカンドインパクトを起こし、

  20億の人達を殺しました。そして計画に反対しているって言う理由だけでミサ

  トさんのお父さんも殺したんです」

 

  シンジは父から聞いた全てを語った。クロノスのこと、ゼーレのこと、人類補完

 計画のこと、そして自分とレイが生まれ育ってきた意味も。

  全てを聞き終えたミサトの目は今までシンジ達の見たことのない色を帯びていた。

 そこには一片の優しさも愛情もなかった。その目は激しいまでの怒りと憎しみに満

 ちていた。

 

 「あなたは・・・・あなたはそれを知っていて今まで黙っていたというの!私の父

  への気持ちを知りながら欺いてきたの!あなたは、碇指令が私の父を殺したとい

  うのに何食わぬ顔で家族のふりをして平然と一緒に暮らしていたのね、私は父の

  敵の息子と一つ屋根の下で過ごし、保護者の真似事までしてきたのね。まるで道

  化者だわ。さぞかし面白い見せ物だったでしょう!大した子だわ、さすが碇指令

  の息子ね。」

 

  裏切られた・・・・ミサトの心をその想いが支配した。彼女に唯一残された安ら

 ぎ、彼女が最後に縋るべき家族、それさえも彼女を裏切ったのだと彼女の心の黒い

 部分が囁いた。疲れはてた彼女にそのことを熟考する余裕も否定する気力もなかっ

 た。

 

 「ミサト!」

 

  アスカはこらえきれずミサトの頬を激しく打った。その顔は激しい怒りを宿して

 いたが、一瞬後には涙とともに崩れ落ち、悲しみに震えだした。

 

 「酷い、酷いよミサト。シンジが一体何をしたって言うの?何かミサトにしたって

  言うの?何もして無いじゃないの!シンジはいつだって誰にだって優しかったじ

  ゃないの!ミサトのお父さんを殺したのは碇指令でしょ、それもシンジが悪いっ

  て言うの?シンジはその話を聞いたから、それで傷ついたからこんなになっちゃ

  ったんじゃないの。それなのに・・それなのに・・・酷い、酷すぎるわよミサト。

  シンジが、シンジがあんまり可哀想じゃないの・・・」

 

  アスカは「酷い」と繰り返しながらシンジの膝の上に顔を埋めた。シンジはそん

 なアスカの髪をそっとなでてやっていた。その様子を見ながら、アスカの言葉を思

 い返しながらミサトは愕然としていた。

 

 (私・・・私は一体何を言った?シンジ君を責めた?父さんが死んだのをシンジ君

  のせいにした!?シンジ君が家族のふりをして私を欺いているといった!?何て

  ・・・何てことを・・・私は・・・私は・・・・)

 

 「ご、ごめんなさいシンジ君。本当にごめんなさい。いくら驚いたとはいえあんな

  こと言うなんんて・・・分かってるわ、シンジ君が悪いんじゃないって。シンジ

  君のせいじゃないって。ただ、さっきは気が動転して思わず心にもないことを口

  にして・・・ごめん、ごめんねシンジ君・・・」

 

  2人の様子に変化はなかった。ミサトも理解していた。一度口から出た言葉は取

 り消すことは出来ないことを。決して口にしてはいけない取り返しのつかない一言

 を口にしてしまったことを。

 

 ミサトはもう一度「ごめん」と言うと部屋を後にした。

 

 

 

 

  誰も居ない部屋の中でミサトは放心していた。

 

 (・・・・私にはもう何もない。父さんも逝った、加持も逝った。そして私に唯一

  残された家族も今日失った。悪いのは私・・・それは分かっている。何の罪もな

  いシンジ君をあの男の息子だと言う理由だけで憎み、罵ったのだから・・・例え

  一瞬の感情だとしても。

 

   あの子が傷つきやすい子だと知り、傷ついてるのを知っていながら何故あんな

  事をしたんだろう・・・淡々と話すシンジ君があの男とダブったから?傷ついて

  いる彼に何を望んでいたの?シンジ君が感情を押し殺した話し方をするのは本当

  に辛いときだって知ってるはずでしょう!・・・・本当、本当に酷い女ね)

 

 

 

  夜の闇が朝焼けに舞台を引き渡そうとする頃、ミサトは部屋を出た。手にしたカ

 バンの中には、愛用の拳銃を忍ばせて有る。

 

 (せめて・・・せめて父さんの仇だけでも・・それが私の最後の望み・・)

 

 

 

 

  ミサトが司令室に入るのを咎める者は誰も居なかった。作戦部長の彼女が司令に

 会いに行くのはそれほど不自然なことではない。彼女の心の内を知らない限りは。

 

 「何の用だ?葛城三佐」

 

  部屋にはいつもと変わらぬ様子でゲンドウが座っており、その横には冬月が控え

 ていた。ミサトは無言で銃を取り出し、狙いを付けた。やや離れてはいるが、ろく

 に狙いを付けなくても外し様のない距離である。

 

 「何の真似だ?」

 「碇指令、あなたに確かめておきたいことがあります。セカンドインパクトを起こ

  したのはあなた方だと言うのは本当ですか?父を殺したのはあなた方なのですか?」 「それを聞いてどうする?」

 「無論、父の敵を討たせてもらいます!・・・ついでに人類補完計画などと言うお

  ぞましい計画も潰します」

 「全ては人類が生き残るためだ」

 「そんなこと言い訳になると思っているの!人類のためなら何をしても良いと言う

  の!そんな物父を殺した理由にはならないわ」

 

 指先に力を込めようとするミサトの動きをゲンドウの一言が止めた。

 

 「葛城三佐、君にその様なことを言う権利はない。なぜなら君も我々と同じ事をや

  っているからだ。我々は皆人類を救うために他の物を犠牲にしてきた。君も例外

  ではない。君は人類のためだと言いチルドレン達に戦いを強制してきたのではな

  いのか?まさか、使徒との戦いが完全に安全だと信じていた訳でもあるまい?」

 「ち、違う!私はあなた達とは違う!」

 「何処が違うのだ?人類のために君の父親を犠牲にした我々と、人類のためにチル

  ドレンに戦いを強要した君と何処が違う?答えたまえ」

 

  銃身が震えた、狙いもおぼつかなくなった。

 

 (同じ?私とこの男が?父さんを殺したこの男と・・・でも・・・)

 

  完全に否定することは出来なかった。戦いを嫌がるシンジに戦闘を強制したのは

 間違いなく自分だ。『人類のため』そう信じて。そして一時の感情のためとはいえ

 平気で人を傷つけられる自分を昨日見つけてしまった。その思いが彼女を苦しめた。

 

 

 「葛城三佐、落ちつきたまえ。君の言いたいことも分かる、だが落ち着いてもう一

  度話し合おうではないか」

 

  いたわるような冬月の言葉はミサトの感情を逆の方向へ刺激してしまった。

 

 「例え・・・例えあなた達が正しいとしても、私にはもう何もない、私はもう引き

  返せないのよ!」

 

  ミサトは絶叫と共に顔を伏せたまま引き金を引いた。2度、3度・・・・全弾を

 撃ち終わった後、引き金を引き続ける音が部屋に流れた。

 

 

 

 

 

 「私だ、警備班をここに来させろ。葛城三佐が反乱を起こした」

 

  落ち着き払ったゲンドウの声に思わず顔を上げたミサトが見た物は、無傷のゲン

 ドウと冬月、傷一つ無い調度品だった。

 

 「な、なぜ?・・・・」

 

  ゲンドウは黙って机の脇にあるボタンを押した。鈍い音を立てながらミサトとゲ

 ンドウの間にあった透明の敷居が上がっていく。

 

 「防弾・・・・」

 

  部屋には入って来た警備員にミサトは抵抗することもなく連れ去られた。

 

 「碇、どうにかならんのか?このままでは新世紀を迎えられたとしても人が足りな

  くなるぞ」

 「必要なき者に残ってもらうつもりはない。それよりも計画を急がせろ。サードチ

  ルドレンが使える様になるまでまだしばらくかかるだろう。それまでにリリスを

  使えるようにさせておけ」

 

 

  だが、ゲンドウの思惑と現実の間には、少しだけ差があった。彼の息子は想像よ

 りもほんの少し強かったのかもしれない。あるいはほんの少し傷つく事に慣れてい

 たのかもしれない。

 

 

 

 

 

  その日の早朝、シンジは一晩中彼のために泣き、泣きつかれて眠ってしまったア

 スカの肩に手を置きながらつぶやいていた。

 

 「否定することも、ごまかすことも出来ないって言うのなら・・、受け入れてやる、

  認めてやるさ!僕が父さんの息子であることを、父さんの血を引いていることを

  ・・・悪魔の血を引いていることを」

 

  シンジは一歩を踏み出すことに成功した。だが、それは破滅とほぼ同じベクトル

 の一歩だったのかもしれない。彼の踏み出した道はこう表現するのが最もふさわし

 いだろう。

 

  ナイフエッジのタイトロープ と。

 

 

 《続く》

 



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