慟哭の刻

 

 

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                 5.

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 「あきれたものね・・・未だに登録が抹消されていないなんて」

 「私達の存在なんて問題にされていないって事ね」

 

  今、ミサトとリツコはネルフ本部に来ていた。ゲートは2人は持っているIDカ

 ードであっさりと開いたのだ。

 

 「つまり、これから私達がしようとしていることも問題にされていないってこと?

  司令部のみんなに全てを話したらどうする気かしら?」

 「・・・・おそらく司令部の者全員を切り捨てるんでしょうね。司令部の人間はネ

  ルフの表の顔、使徒や対外的な処置を受け持っているだけだからもう必要ないで

  しょうしね」

 「結局は何処まで行っても司令の掌の上って事か・・・・ま、いいか。それなら踊

  ってやりましょ、道化者のダンスを」

 

  投げ遣りな口調で言葉を交わす二人の目の前の扉が開いた。彼女達の職場、人類

 の最後の砦だと信じた場所、そして今は彼女達にとって茶番劇の舞台でしかない場

 所であった。

 

 

 

 

  その日もアスカは目覚めると同時にミサトの部屋へと向かった。ここの所毎日で

 ある。そしてミサトの部屋でパソコンの画面を見つめている少年に怒鳴りつけるの

 も日課となってしまった。

 

 「こら、シンジ!あんたまたろくに寝もしないでこんな事して!」

 「ああ、アスカおはよう」

 

  シンジは少しやつれていたが、微笑む顔から優しさは失われていなかった。

 

 「あんたねえー、毎日言ってるでしょ!ミサト達の情報を読むのも大事かもしれな

  いけどその前にぶっ倒れたりしたらどうするのよ。大して体力もないくせに無理

  すんじゃないわよ」

 「うん・・・・だけど今日からミサトさん達ネルフで直接動くって言ってたから、

  それまでには今までのことだけでも」

 「無理に決まってるでしょ!」

 

  ミサト達が今までに知り得た事実、それだけでも膨大な量になる。おまけに信憑

 性に乏しい情報や断片的な情報も数多く含まれていた。専門的なことに関してはリ

 ツコがかみ砕いた注釈を加えてくれたが、それでも天才的な頭脳を持っているわけ

 でもない極普通の14歳の少年、シンジにとっては質量ともに理解できる範疇を遥

 かに越えるものだった。

 

  アスカは言い終えるとシンジの隣に腰を下ろした。シンジが無理をすることには

 今更腹も立たない。ただ言わずに居られなかっただけだ。

 

 「アスカ」

 「ん?」

 「お腹空いてない?」

 「少しね」

 「ごめんね、これ読み終わったら朝御飯にするから。何が良い?」

 「今日はお味噌汁が飲みたいな」

 

  しばらくの間流れる沈黙の間アスカはシンジの顔を眺めていた。シンジが退院し

 て全てを知ろうとしてからしばらくが過ぎた。その間のシンジは決して情報読解に

 没頭して他の者を省みないと言うことはなかった。食事も朝夕ともシンジが作って

 いる。側にアスカが居るときはシンジの方から話しかけてくることも多くなった。

 さっきの様な取り留めのない会話がほとんどであったが。だが、アスカには分かっ

 ていた、そのことにアスカがどれほど救われているかを。自分にはまだ「一人では

 ない」と感じさせてくれる存在が必要なのだと。

 

 (本当なら・・・私がシンジを支えてやらなきゃならないのに・・・私なんかより

  シンジはずっと辛いはずなのに、苦しんでるはずなのに。なのにまだダメ、まだ

  私は入院していた頃の私に比べて強くなっていない。まだシンジに頼ろうとして

  いる・・・私がシンジにしてあげられる事って何か在るのかしら?)

 

  アスカ自身も気づいているように、もしシンジがアスカに気遣いを示さなくなっ

 ていれば、アスカは再び自分を見失うことになっていたかもしれない。自分より辛

 い目に遭っている者が居ると言うだけで心の傷が癒されるとは限らないのだ。

 

 

 

 

  司令部のドアが開いたとき、その場にいた全員の顔に驚きが走った。当然である、

 反乱が伝えられたミサトとリツコが居たのだから。

 

 「葛城さん!」

 「赤木先輩!」

 「久しぶりね、みんな。何か変わったことあった?」

 「・・・・・どういうことですか?」

 「ん、なにが?」

 「葛城さんも赤木博士も・・・その・・・反乱を起こして捕まったって聞いてたん

  ですが・・・・」

 「そうよ、でもこの通り釈放されたし、カードが生きて居るって事は解任されたわ

  けでもなさそうね。日向君、私達の解任の連絡は来てた?」

 「い、いえ・・」

 「じゃ、問題ないわね。早速で悪いけど集めて欲しいデータがあるの。リツコ、そ

  っちはお願いね」

 「ええ、マヤ、手伝って。MAGIからデータを抜き出すから」

 

  当然ながら皆の疑問が消えたわけではない。だが、そこに何か聞いてはいけない

 物が存在しているように感じ、誰も聞けなかった。ある意味それは賢明な判断だっ

 たのかもしれない。己の心の平安を望む限りは。

 

 

 

  ここの所のシンジの一日の行動は決まっていた。朝起きるとすぐに情報読解、朝

 食後はネルフへ赴き午前中はレイの病室で過ごす。

 

 「おはよう、綾波」

 

  レイの返事はない、シンジは落胆の中にかすかな安堵の色を交えてベットの側に

 腰を下ろした。反応があって欲しいと思う一方で反応があったときどういう態度を

 示せばいいのかと言う迷いもあったからだ。それでも、ここに来ない訳には行かな

 かった。例え自分が必要とされていなくても、レイにとってマイナスの要素にしか

 なり得なくても。他には誰もこの部屋を訪れようとする者も居ないのだから。

 

  午後一杯はシンクロテストである。

 

 「初号機シンクロ率84%、安定しています」

 「シンクロレベルを上昇させろ」

 「しかし・・・」

 「84%ごときではまるで意味がない。早くしろ」

 「了解」

 

  外部から強制的にシンクロレベルがアップされる。当然ながらその負荷はパイロ

 ットにかかってる。

 

 「シンクロ率80%・・・・安定しません。パイロット状態イエロー」

 「シンクロレベルを元に戻せ。医療班、サードチルドレンの状態を確認。異常がな

  ければ十分後にテストを再開」

 

  かなりの強行軍でテストは続けられている。あまり長時間の訓練は好結果をもた

 らさないと言う過去のデータがなければ、おそらく一日中訓練をさせられていたで

 あろう。この訓練の間ミサトとリツコの姿はない。彼女達の立場は自由が与えられ

 ていると言うよりも放置されているという方が近いかもしれない。

 

  そして夕食後は再び情報読解となる。最近はリツコもこちらで寝泊まりすること

 が多くなった。専門的知識を持つ者として彼女の存在が不可欠だからだ。この作業

 もかなり遅くまで続けられる。当然アスカは一日中片時も離れずシンジの側にいる。

 シンクロテストの間はモニターを見ているだけだが。エヴァに乗ることを受け入れ

 ることはもはや出来なかった。

 

 

 

  久しぶりにネルフでの一日を終えた二人はリツコの私室でくつろいでいた。監視

 カメラやマイクが仕掛けられている可能性は高いが今更どうでも良いことだった。

 どちらにせよ承知の上で道化を演じているのだから。

 

 「マヤには話したの?・・・・全てを」

 「あなたと同じよ。話してもどうにもならない事実なら・・・知らない方が幸せっ

  て言うものよ。ところでどうなのミサト、正直なところ私達が十分な情報を持っ

  て行ってあげればシンジ君、あの男に勝てると思うの?」

 「無理ね」

 

  ミサトはにべもなく言ってのけた。リツコもそれに反論する気はないらしい。ミ

 サトはリツコにと言うより自分自身に対して言い聞かせるように語を継いだ。

 

 「もし・・・シンジ君が完全に目的を成し遂げようとすれば思想的にも実行段階に

  置いても多くの壁が在るわ。人類補完計画の人類を救うと言う大義名分を越える

  だけの理由を考え、碇指令とゼーレの補完計画を残らず潰し、人類を救う為の何

  かをする・・・・・どれも不可能に近いわ。世界最大のコンピュータが何年もか

  けて出した結論を上回る発想を出せるはずもないし、何処に在るとも分からない

  ゼーレやエヴァシリーズを潰せるはずもない、おまけに結論が出たとしても実行

  する力さえもない。一個人じゃどれも無理な話よ」

 「じゃ、私達のしている事って何なのかしら?」

 「例え不可能なことでもシンジ君はまだあきらめていない・・その日が来るまで、

  あきらめがつくまで精一杯やらせて上げたいのよ・・・例え無駄だと分かってい

  てもね。・・・さっ、帰りましょ。シンちゃんが晩御飯作ってくれてるはずよ、

  食べてくんでしょ?」

 

  この時ミサト達の目にはシンジのしていることが無駄なあがきにしか映っていな

 かった。それがまだ子供故に理解できないでいるのを暖かく見守っているつもりだ

 った。自分で理解できるまでやらせてみよう・・・その思いは彼女達があきらめる

 ことを知るのが大人になることだと感じているせいかもしれない。

 

 

  キッチンのテーブルには4人分の食事が用意されていた。シンジは帰ってきた二

 人を笑顔で迎え、労をねぎらった。今のミサト達にとってシンジの笑顔はまぶしか

 った。

  夕食の間も席には会話が絶えなかった。その中心にいるのはシンジ、以前には考

 えられないことだが。ボロボロに傷ついた人々の中でもっとも傷ついたはずの少年

 が場を繋いでいるのだ。

  シンジが煮物を取りに席を外している間にリツコがつぶやいた。

 

 「シンジ君・・・強くなったわね。まるで別人みたい」

 「私もあの子があんなに強く成れるなんて思ってもみなかったわ。最初にあった頃

  の、状況に流されるだけの、逃げてばかりのシンジ君とは大違いね。でも、皮肉

  なモンね、だからこそ、苦しまなくてはならないなんて・・・・・昔のままだっ

  たら、今ほど苦しまなかったでしょうに・・・・」

 「でも、今の彼は目標を持っている、大丈夫じゃないかしら。目標を持ってる人間

  は強い物だから」

 

  目標を失い弱くなったことを自覚している彼女達は苦笑しながら残ったビールを

 飲み干した。

 

 「シンちゃーーーん、ビールもう一本お願いねえーーー」

 「こっちにももらえるかしら」

 

  アスカは二人の言葉を黙って聞いていた。何となく落ち着かない。未だ片時でも

 シンジがそばを離れると落ち着かないアスカだが、今回はそれだけではなさそうだ

 った。

 (ミサト達の言ってることは分かる。確かにシンジは強くなったわ・・・・・でも

  ・・・でも・・・・)

 

 

  数時間後、シンジ達は酔いつぶれた二人をミサトの部屋まで引っ張って行った。

 この日の限らず、二人が潰れることはほとんど毎日だ。肴も必要ない、彼女達の今

 までの人生、それを思うだけで酒などいくらあっても足りなくなるのだから。

 

 「アスカぁ、お茶でも飲む?」

 

  シンジの入れたハーブティーがかぐわしい香りを立てていた。シンジと二人で過

 ごすくつろぎの時、今のアスカにとってはまさに至福の時のはずであった。だが、

 今日のアスカはこの時間に酔えなかった。

 

 (シンジは強くなった、それは認めるわ。でも、それでもシンジがそんなに強いは

  ずがない、絶対!だって・・・だって・・シンジなんだから)

 

 「シンジ、一つだけお願いがあるの」

 「なんだい?」

 

  シンジはいつものように優しい笑顔で答えた。

 

 「泣いて・・・今だけでも」

 「・・・・何で?」

 「シンジが強くなったのは分かってるわ。そのおかげで私も立ち直れたんだもの。

  でも、私はシンジが強くないのも知ってるのよ。いくら平気そうにしてても、元

  気に振る舞っていても、なんともないはず無いじゃないの。みんなが居るところ

  でそうやって笑っているのは良いわ、でも、せめて二人で居るときだけでも無理

  するのはやめてよ、本当のシンジの心を見せてよ、シンジの弱さも見せてよ。私

  じゃ何もして上げられないかもしれないけど、でも・・・だって・・・」

 

  自分でも何が言いたいのか分からなくなったアスカは言葉を詰まらせて俯いてし

 まった。そんなアスカの耳にシンジの声が響いた。

 

 「アスカ、僕からも一つだけお願いが有るんだ」

 「・・何?」

 「泣いても良いかな?情けないとは思うけど、しばらく甘えさせてよ」

 

  シンジの言葉に思わずアスカが頭を起こすと、そこには悲しみに歪んだシンジの

 顔があった。テーブルに俯せて嗚咽を漏らし始めたシンジをアスカは背後からそっ

 と抱きしめて一緒に泣いていた。

 

 「シンジ・・・・シンジ、私に何かできること無い?何かして上げられること無い?

  少しでも・・・少しでもシンジの支えになりたいの。何でも良いから言って、何

  でもする、シンジのためだったら何でもするから」

 「・・・・いてよ・・・側にいてよ、ずっと、ずっと僕の側にいてよ。僕はやっぱ

  り弱虫なんだよ、誰かに・・・側にいてもらわなくちゃ・・・生きてく事さえ出

  来そうにないよ。一人じゃ何もできないよ・・・」

 

  シンジの心の傷を想ってアスカは泣いた。それと同時に押さえきれない嬉しさが

 溢れてくるのを感じてもいた。そう、アスカは嬉しかった。シンジが自分の知って

 いるシンジでいてくれたことが、シンジが自分に心を開いてくれていることが、シ

 ンジが自分の前で泣いてくれたことが、そして何より自分の事をこんなにも必要と

 してくれていることが。

 

 (私・・・シンジの役に立ってるの?人に何かして上げられるの?シンジが私が側

  にいることを、以前のような関係でいることを望んでいるのなら、そうしてあげ

  る。ずっと側にいてあげる)

 

  次の日からアスカは以前の調子を取り戻していた。昔のようにわがままを言い、

 何かと注文を付けてくる。シンジはまだアスカが「以前のアスカ」を演じているの

 だと気づいてはいたがその心遣いが嬉しかった。

 

  そんなある日のことだった、初号機とリリスの最終調整のため訓練が休みになっ

 たのは。

 

  もう計画は最終段階まで来ている、なのに未だになにもできていない・・・・

 そのことに激しい焦りを感じているシンジは、その日をミサトの部屋で過ごすつも

 りだった。しかし、アスカは無理矢理シンジを外に連れ出した。家とネルフを往復

 するだけの毎日、そんな束縛された生活を送る事が人として生きることか?そう問

 われるとシンジにも反論はできない。

 

  幸いにも街の復興は進んでおり、住人達も戻ってきていた。だが・・・・シンジ

 達の友人は誰も戻っていない。戻ってきたのはこの街の本当の住人、他に行くとこ

 ろもない人々だけである。

 

 

 

 

 

  街を歩いた後、二人は一軒の喫茶店に入った。シンジとアスカが向かい合って座

 っている。ウェイトレスの女性の目にはそれが何かに落ち込む恋人を励まそうとす

 る女の子と映り、微笑みを誘った。だがその笑みは一瞬にして凍り付いた。アスカ

 が口にした一言を耳にしたために。

 

 「私達がエヴァのパイロットだからって、シンジが碇司令の息子だからって、私達

  が悪い訳じゃないでしょ。そうなにもかも抱え込んじゃ・・」

 

 (エヴァのパイロット?この子達は・・・)

 

  彼女は表情を凍り付かせたまま2人の席へ向かった。

 

 「・・・・お客様・・・失礼ですが・・お二人がエヴァンゲリオンのパイロットだ

  と言うのは本当でしょうか?」

 

  シンジは不審げに彼女を見たが、自分達の会話が聞かれたのだと気づくと軽く頷

 いた。次の瞬間彼女はコップを掴むと中の水をシンジにかけていた。

 

 「この人でなし!よくも・・よくもこんな所でのうのうと・・・何人殺したと思っ

  てるの?自分達は悪くないですって?」

 

  激情に駆られた彼女はシンジ達を罵った。突然の行動にビックリはしたものの、

 彼女の目の中の怒りの色を見るとシンジはもちろんアスカさえも何も言えなかった。

 ようやく店のマスターらしき人が出てきて彼女をなだめた。だが、状況が変わった

 わけではなく、言葉の主が変わったに過ぎなかった。

 

 「出ていってくれないか、代金はいらん。あんた達と関わり合いたいとも思わん。

  この娘はな、あんた達の戦闘のせいで、両親と多くの友達を失って居るんだよ。

  この娘だけじゃない、この街にいる者の多くは誰か知り合いや家族を失っている

  よ。あんた達のせいでな。何が地球を救う英雄だ、おだてられていい気になって、

  好き勝手暴れてその影で何人の人達が死んでいると思っているんだ?その家族や

  友人がどれだけ悲しんでいると思っているんだ?世界を救うためなら俺達のこと

  なんかどうでも良いってわけか?とっとと出ていけ!」

 

  それは謂れのない批判である、だが反論の余地はまるでなかった。以前ならばア

 スカは反論したかもしれないが、今は2人ともエヴァで戦うことが正義だと思えな

 かった。そして自分達の知らないところで犠牲になっている人達の事を真剣に考え

 ていたという自信もなかった。

 

  シンジはミサトの資料にあった死者の数を思い出していた。初号機の暴走で破壊

 された家屋の下敷きになった人、弐号機の頭部に押しつぶされたシェルターにいた

 人、自爆した零号機に巻き込まれた人・・・シンジはその人々のことも使徒による

 被害者だと認識していたのだが、当事者達にとっては自分達を害したのはエヴァン

 ゲリオンだった。自分達の存在を無視して戦い、被害を広げていったのはエヴァン

 ゲリオンだった。

 

 「・・・・行こう」

 

  アスカもシンジに促されて立ち上がった。はっきり言って二人とも逃げ出したか

 った。これ以上傷つきたくない、これ以上大事な人が傷つくのを見たくない。だが、

 わずかに遅かった。マスターとシンジ達との会話のを聞いた客が表で待ちかまえて

 いたのだ。近所の者達にも話は伝わったらしく次々に人は増えていき、二人は十数

 人の人々に取り囲まれた。

 

 「お前達か、エヴァンゲリオンのパイロットは」

 「人類を救いたいなら普通に戦えばいいじゃないか、何故俺達を巻き込む?何故街

  で戦うんだ?」

 「無謀な戦い方ばっかりして!あなな達が普通の戦い方をしていれば家の子は死な

  ずに済んだかもしれないのに!」

 

  暴力を振るおうとする者は居なかったが、浴びせられる言葉が容赦なく心を引き

 裂いていた。シンジの手がアスカの手を痛いぐらいきつく握りしめていた。

 

 「・・・ごめんなさい」

 「何言ってやがる!謝って済むことか!謝るぐらいなら何でもっと周りの者の事を

  考えなかった!」

 

  ようやく絞り出した言葉も人々をなだめるどころか、さらに神経を高ぶらせる結

 果にしかならなかった。

  騒ぎを聞きつけた人が寄ってくることで人の輪はふくれあがってきた。黙ってシ

 ンジ達を見つめる者、罵る者、様々だが好意的な目は一つもなかった。その時、や

 たら皆を煽動していた中年の女性が、子供連れの一人の女の人が近づいてくるのに

 目を止めた。

 

 「風野さん、あんたとこのご主人もこいつらの為に死んだんだったよね。何か言っ

  てやりなよ」

 

  だが彼女は他の者達とは違った行動をとった。黙ってその者の頬を張ったのだ。

 いきなりの行動にその場にいた全員の目がそちらに向いた。

 

 「な、・・・」

 「あなた達、恥ずかしいとは思わないんですか?確かに知り合いや家族が死んだの

  は悲しいことでしょう、でもそれがこの子達のせいですか?この子達は私達大人

  が出来ないことを精一杯やっていただけじゃないですか。・・・生前主人はよく

  こう言っていました。

 

  『確かに俺の今の仕事は危険な仕事だ、いつ死ぬかも分からないほどの。だが

   な、俺はこの仕事に満足している、誇りを持っている。若い頃からぶらぶら

   していた俺が人類を救うための手助けが出来るなんて素晴らしい事じゃない

   か。この手でお前達の未来を守ってやることが出来るんだからな。お前達に

   は苦労を掛けることになる。だが、これは俺が選んだ道なんだ。後悔せずに

   歩むことが出来る道なんだ。分かってくれ』

 

 

  主人はこうも言っていました。

 

  『俺はいい。自分で選んだ道だし、若い頃からやりたい放題やってきたし、お

   前達を残していくことになるかもしれないがそれ以外そう後悔があるわけで

   もないからな。だがな、実際に戦うエヴァのパイロットは、あの子達はまだ

   14歳だぞ。これから人生を楽しむときなのに、やりたいこともいっぱいあ

   るだろうに戦わなくちゃならないんだぞ。しかも聞いた話じゃ自分の意志と

   関係なくやらされているそうじゃないか。こんな悲しい話があるか!俺達大

   人があんな子供に戦わせて何もしないで居て良いわけないだろ。・・だから、

   俺は俺なりにあの子達の手助けが出来るように頑張る。もし・・もし俺に万

   が一のことがあったら、お前と子供達であの子達を守ってやってくれ。何せ

   まだ子供だ。俺みたいなやり方じゃなくても出来ることはあるだろうしな』

 

  と。主人は後悔していないと思います。あなた達も良く考えてみたらどうですか?

  本当にこの子達が悪いと思いますか?本職の兵隊でもない子供達がだれ一人犠牲

  にせずに戦えると思いますか?そしてそれが出来なかったことを責める権利が私

  達にありますか?この子達に辛いことや苦しいことを押しつけた分、何かをして

  きたと胸を張って言える人がいますか?」

 

  毅然とした物言いに周りの人々も動揺していた。その時、母親の側でじっとシン

 ジ達を見ていた男の子が近寄ってきた。

 

 「お兄ちゃん達エヴァンゲリオンのパイロットなの?」

 「・・・・そうだよ」

 「じゃあ、僕が守ってあげるね、お父さんと約束したんだ、お母さんと僕とでお兄

  ちゃん達を守ってあげるって。僕、まだ小さいけどすぐに大きくなるから、強く

  なって守ってあげるからね」

 

  シンジには何も言えなかった。

 

 「あ、でも僕達だけじゃないんだ。お母さんのお腹の中に僕の弟か妹が居るんだよ。

  名前は決まって居るんだ。「ミライ」ていうの。お父さんが決めたの。だから僕

  とお母さんとミライの三人でお兄ちゃん達を守るね。」

 

  シンジはひざを折って顔をその子と同じ高さに持ってきた。

 

 「君の・・・名前は?」

 「ユーキ、風野ユーキ!」

 「ありがとう・・・ユウキ君」

 

  シンジはしっかりとユウキを抱きしめた。その目からは抑えきれない涙が溢れて

 いた。

 

 「だめだよ、お兄ちゃん、男は簡単に泣いちゃダメだって言われたことない?僕は

  しょっちゅう言われてるけどなぁ」

 「・・ごめんね、僕は弱虫の泣き虫なんだよ。だから君やお母さんやミライちゃん

  に守ってもらわなくちゃいられないんだ・・・」

 

  シンジ達を取り囲んでいた人々は一人、また一人と去っていった。確かにエヴァ

 のせいで死んだ人、傷ついた人は大勢居た。そのことでシンジ達を責めるのは間違

 いかもしれないが、人は親しい人が死ぬのを仕方無いで済ませられるものではない。

 だが、そのことを指摘されてもなお、自らを恥じないほど愚かでもない。

 

  気がつくとそこにはシンジとアスカ、風野親子しか居なかった。ユウキは母親の

 元へ駆け寄りシンジ達に微笑んでくれた。

 

 「ありがとうございました」

 

  礼の言葉を受けた母親は少し困った様な顔で言った。

 

 「えらそうなこと言ったけど、最初は私もあの人達と大差はなかったの。主人が死

  んだ時はあなた達を恨んだわ。何故あなた達は生きてるのに主人は死んだのかっ

  て。でも、主人は出撃前にいつも遺言を書いていたようなの。それを同僚の人が

  届けてくれたわ。そこにはいつもと同じように自分は精一杯の事をするから後の

  ことは頼むとあった。そのおかげで、その時持っていた気持ちが筋違いだったと

  気づけたの。後は時間が解決してくれた・・・・・・ごめんなさいね。あの人達

  もその内分かってくれるわよ、時間さえ掛ければきっと」

 

  シンジは2人に頭を下げはっきりと言った。

 

 「ご主人のことは本当に申し訳ないことをしました。謝って済まされることではな

  いですけど。だから・・だから僕は僕に出来ることをします。ご主人の行動が、

  意志が無駄ではなかったと証明して見せます。そして・・・今度こそ守って見せ

  ます。ご主人の守ろうとされた物を!」

 

  彼女は優しげに微笑んで頭を下げた。それは女としての、妻としての、母として

 の強さを持つ女性の顔だった。

 

 (父さん・・・・父さんの補完計画がこの親子の幸せを奪う物だとしたら、この子

  の父親の意志や願いを踏みにじる物だとしたら・・・・僕にはそれだけで十分だ。

  その理由だけで補完計画を否定できる)

 

  もう迷いはない。今のシンジには胸を張って言える「人類補完計画を潰す!」と。

 

 

 《続く》

 



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