慟哭の刻

 

 

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                 6.

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  冷たい水が頭から体を伝い流れている。それが、シンジの火照った体と心を心地

 よく冷やしていた。自分の体の中に自然と力が充ちてくるのがシンジには良く分か

 った。自分が向かうべき道が明確な形を持つということがこんなにも心強いとは彼

 は今まで思いもしなかった。

 

 (もう遅いかもしれないけどね)

 

  弱気とも取れる想いが頭をよぎる。確かに今日でエヴァとリリスの調整は完全と

 なったはずだ。後はシンジがエヴァとのシンクロ率を上げれば全てが終わる。そし

 て心は決まっても出来ることは何もない。しかし・・・

  シンジはシャワーの水を止め、濡れた黒い前髪を軽く掻き上げた。その下にある

 顔には微塵のためらいも戸惑いもない。

 

 「勝負は、これからだ」

 

 

 一週間後

 

 「シンクロ率93%安定中、パイロット、機体ともに問題有りません」

 「ほう・・・」

 

  ゲンドウにしては珍しい声を漏らした。聞き様によっては感嘆とも取れる。この

 一週間のシンジの進歩はめざましい物がある。この短期間で、しかもこの高率で9

 %もの伸びを示すとは誰一人想像していなかった。

 

 「このペースで行けば間に合いそうだな」

 「ああ、人類の新しい歴史が始まる日は近い」

 

  満足げなゲンドウとは対照的にアスカは心配そうであった。彼女には理解できな

 かった。補完計画を潰そうとしているシンジが何故積極的にシンクロ率を高めよう

 としているのか?他に選択肢がないとはいえ、納得できなかった。本来ならば逆に

 シンクロ率を落として時を稼ぐべきではないのか?

  そこまで考えたアスカは、自分がシンジが自在にエヴァを操ることを当然のこと

 と受けとめており、しかもそのことに対して嫉妬していないことに少しの驚きと満

 足感を覚えた。自分はもうエヴァ無しで生きていけることを確認できたことは嬉し

 い、しかし・・・それさえも意味を持たなくなるかもしれないのだ。

 

 (何考えてるのよシンジ、補完計画潰すんでしょ!)

 

 

  夕食後、シンジはリビングで目を宙に泳がせていた。もうミサト達の集めたデー

 タには目を通していない。新しく注目すべき情報が有れば知らせてくれるように頼

 んであるだけだ。もう時間がない、悠長に全てのデータを知ろうとしているだけの

 暇はないのだ。今しなくてはならないのは考えること、補完計画を潰す術を考える

 ことだった。

 

 「あのさ・・・シンジ・・・・」

 「・・・・・・・・」

 「ちょっと!シンジ!」

 「ああ、ごめん。何?」

 「あんた、今何でエヴァのシンクロ率あげようとしているわけ?そんな事してもメ

  リット無いでしょ?補完計画早めるだけなんだから」

 「かもしれない。でも、エヴァに乗ることが、たった一つ僕が持っている力なんだ」

 「力?」

 「補完計画を潰すには力がいる、巨大な力が。どうすればいいのかまだ決まってい

  ないけど、少なくともネルフとゼーレと真っ向から戦えるだけの力はいるだろ?

  ・・・僕にそんな力があるとすればエヴァしかない。エヴァを完全に操れるよう

  にするしかないんだ」

 「でも・・・・・それって危険な賭じゃない?成功しても計画に利用されるだけ、

  失敗したらまた前みたいに・・・」

 「うん、わかってる。でもそれこそ他に方法がないだろ?」

 

  シンジはアスカを安心させるために軽く笑ってみた。だが、アスカの顔から不安

 の色が消えないところを見ると、失敗したようだ。

 

 (さすがアスカ、鋭いや)

 

  今シンクロ率が急激に上昇しているわけをアスカには言わない方がいいだろうと

 シンジは思った。この一週間シンジはエントリープラグの中で念じ続けていた。エ

 ヴァの心を見ようと、エヴァの全てを感じようとエヴァに呼びかけていた。同時に

 自分の心も全てさらけ出した。時折冷たい感触が体の中をはいずり回っているよう

 に感じたこともある。心を覗かれ汚される、体を取り込まれ存在を消される・・・

 過去に二人が体験した恐ろしい恐怖を彼はもう一度体験するかもしれない。いや、

 むしろそうなることを望んでいる。そうしなければエヴァの全てを知ることは出来

 ない、そうしなければ補完計画を潰すことは出来ない。

 

 (心を汚されても、体を奪われても必ず戻ってきてやる!そうしなきゃ何もできな

  いから。だからねアスカ、何も心配は要らないんだよ)

 

  言葉に出来ぬ想いを胸にしたシンジに出来ることは笑うことだけだった。

 

 

 「一応今までの調査結果を簡単にまとめるわ。実現の可能性、データの信憑性、細

  かい数値なんかはこの際置いて置くわよ。

   まずはネルフの補完計画、これは使徒を倒したことによって発生した余剰エネ

  ルギーを全世界に配備して有るエヴァシリーズを用いて取り込みリリスへと送る。

  そして初号機が命令のような物をリリスへ発信。蓄えられたエネルギーを元に増

  幅された思念はエヴァシリーズへとフィードバックされ、全世界を取り巻く。

   次にゼーレの補完計画、基本的にはネルフの物とほとんど同じだと思われるわ。

  ただし、今までの動きから想像して奴等は初号機やリリスのことは計算に入れて

  無いと見ても良さそうね。代わりの何かがあるのかしら?」

 

 「つまり・・・・補完計画は、初号機ーリリスーエヴァシリーズのラインで成り立

  ってる。そのうちのどれかを潰せば補完計画自体も潰せるって事?」

 

 「そうね、ただし、ゼーレが抱えている物が分からない以上2つの計画を同時に潰

  すにはエヴァシリーズを叩くしかない・・・・世界中の何処に有るとも分からな

  いエヴァシリーズを全てね」

 

  沈黙が流れた。考えるほど実行が不可能としか思えなくなってくる。それを破っ

 たのはシンジの静かで力に充ちた声だった。

 

 「それだけじゃ・・・ダメだ!」

 「シンジ?」

 「それだけじゃダメなんだ!ラインの内どれかを潰したって、また何年かしたら作

  り直すかもしれないじゃないか。それって問題を先送りにするだけだろ!僕達よ

  り後の世代に問題を押しつけるだけじゃないか」

 「じゃあどうすんのよ」

 「全部残らず潰さなくちゃ。初号機も、リリスもエヴァシリーズも、ゼーレの持っ

  ている物も・・・・いや、僕達が今までに倒した使徒のサンプルも全部!どれか

  一つでも残っている限りまた同じ事が起きるかもしれないよ」

 「あんた馬鹿ぁ?出来るわけないでしょ。そのうちのどれかを潰すことさえ無理だ

  って悩んでいるのに」

 

  シンジはそれに答えなかった。彼にとってそれは出来るかどうか考えることでは

 なく、せねばならない事だったから。自らに科した誓いだったから。しかし、この

 場ではとりあえず話題を変えることにした。

 

 「ところで、綾波のことだけどどうにか成りませんか?」

 「今のところ打つ手はないわね。シンジ君、確かにあなたは自分の生まれに立ち向

  かうことが出来たわ。でも、だからといって他の人にもそれが出来るとは限らな

  いのよ。ましてやあの娘・・・レイは人との絆という物を持たずに育ったから。

  絆であったはずの司令との関係、エヴァに乗ること、全てを否定され、あなたに

  も受け入れられないと思いこんでしまっている。・・いえ、むしろ今のあの娘は

  「綾波レイ」として生きることよりも「碇ユイ」として生まれ変わることを望ん

  でいるのかも。その方が喜ばれると思って」

 「僕は・・・僕は綾波が消えることなんか望んでいない」

 「そうでしょうね、でもあの娘を支えてあげられないことも分かってるんでしょ?

  今あの娘を支えられるとしたら・・・そうね、シンちゃんやレイのように誰かの

  意志によって人生を操作され、弄ばれ、それでもなお今現在立ち直って幸せでい

  る人ね。そんな人がいればだけど」

 

  ミサトの言葉にはわずかに苦渋の色が混じっていた。ここまで子供を追い込むま

 で何もできなかった自分達大人に、そして何の手助けもできない自分に苛立ちを感

 じているのだろう。再び沈黙が部屋を支配する。その時絶望以外の何かが生まれた

 ことを感じた者は一人しか居なかった。シンジはミサトの言葉に何かを感じていた。

 今何か大事なことを聞いた、レイを救うための大きなヒントが見えた気がした。

 

 

  次の日相変わらず反応を見せないレイの前でシンジは必死に思い出そうとしてい

 た。ミサトの言葉に感じた何かを。

 

 (人によって作られた人生・・・・僕達以外でそんなこと有るんだろうか?第一何

  のために?何か大きな計画が?でなけりゃ実験・・・・・・・実験!?そうだ!

  居た。綾波を救えるかもしれない相手が)

 

  一種の賭に近い選択ではあったが、このままで居るよりは・・・・シンジは最後

 の希望を自分の言葉に託した。

 

 「綾波・・・ペンペンのこと覚えてる?ミサトさんの飼っていたペンギン、そして

  僕やアスカにとっても家族の一人だった。ペンペンはね、実験動物だったんだ。

  何の実験だったかは知らないけど、実験の為だけに作られ、生み出され、育てら

  れ、そして用が無くなったら殺されようとした。人の都合により生まれ人の身勝

  手のために殺されそうになったんだ。酷い話だよね、ペンペンの事なんかまるで

  考えずに自分勝手に一生を決めて、その為だけに生かされて・・・・」

 

 「や・・めて」

 

  レイが喘ぐようにそれだけ言った。だが、久しぶりにレイが反応を見せたことに

 対する喜びはこの場の誰にもない。アスカでさもシンジの方を非難するような目で

 見た。しかし、シンジは言葉を続けた。

 

 「でも、ミサトさんが助けたんだ。ミサトさんも一人だったから寂しいって言うの

  がその理由だったらしいんだけど。そして、ペンペンはミサトさんの家族になり、

  僕達の家族になったんだ。今じゃ委員長の家の家族になってるらしいよ。

 

   ねえ、綾波。綾波にはペンペンが不幸に見えた?見てて可哀想だって思った?

  少なくても僕はそう思わなかったよ。僕達と一緒に楽しそうに生きていたように

  見えた。自分の意志とはまるで無関係の目的のために作られたって言うのにね。

  でも、そんなこと気にもせずに呪縛から解き放たれた後は自由に生きていた・・

  ・・・・自分の意志で」

 

  シンジは少し息を継いでレイを見た。また無反応な状態に戻ってはいたがシンジ

 の言葉を聞いているのに間違いはなさそうだった。

 

 「綾波は確かに母さんを呼び戻すために生まれてきたのかもしれない、それを否定

  してもしょうがないからね。そして・・・・僕が母さんに会いたいって気持ちが

  あることも否定はしないよ。

   でも、僕は母さんに会わない。綾波がどうかって言う意味じゃないんだ、自分

  の意志でそうするんだ。僕は人類補完計画を潰す、潰してみせる。母さんの再生

  は補完計画の一部らしいからね、計画を潰す以上会えないんだよ。だから・・・

  僕を信じて待ってみてくれない?補完計画が潰れるのを。

   僕が補完計画を潰せたら、綾波が綾波でなくなる意味はなくなるだろ?ペンペ

  ンが実験動物じゃなくなったように。そうなったら、綾波はもう自由だよ。綾波

  が望みさえすれば家族だって出来るよ。僕だって、アスカだって、ミサトさんだ

  って居るから。でも、その為には綾波がそう望んでくれなくちゃ。だから・・・

  そうして欲しいな。僕達とそしてペンペンと生きていこうよ」

 

  シンジ達が部屋を去る時間が来てもレイは言葉を発しなかった。しかし、シンジ

 には完全に失敗だとは思えなかった。レイの目は間違いなく先程までと変わってる。

 ほんの少しではあるが弱々しい光が宿っていた。

 

 「綾波、元気になったら、退院できたら、ペンペンの面倒見てみる気無い?餌の世

  話とかさ結構面倒だろうけど、ペンペンも綾波とだったらきっと仲良く成れると

  思うよ」

 

  そう言って部屋を去ろうとするシンジにレイがためらいがちに声を掛けた。

 

 「碇君・・・・・私・・・・ペンペンに会いたい・・・」

 「うん・・・・委員長に連絡しておくよ。近い内に連れてきてもらう。そうしたら

  綾波に会いに来させるね」

 

  扉が閉じられたときレイの瞳から一滴の滴が流れ落ちた。シンジに対する複雑な

 気持ち、ペンペンに対する渇望にも似た気持ちが押さえきれない・・・・このよう

 な激しい感情が宿ったのは初めてかもしれない。

 

 

 

 「ヒッカリーー!」

 「あ、アスカ!」

 

  久しぶりに会った親友達は再開を喜び合っていた。その間シンジは一歩離れたと

 ころで二人を見ている。

 

 「元気にしてた?」

 「うん、アスカも元気になったみたいね?最後に会った時って結構落ち込んでたじ

  ゃない、心配してたんだから」

 「え・・・・ま、まあね。それよりさ、ヒカリの避難所って鈴原と同じなんでしょ?

  うまくいってんの?」

 「何よ、急に。・・・・・そりゃお見舞いとかには行ってるけど、別にそれだけだ

  し・・・」

 「クェ!」

 「あ、忘れてた。ごめんねペンペン、今出したげるから」

 

  ヒカリの提げていたカバンからペンペンは顔を出した。狭いカバンの中で固まっ

 た体をほぐすように軽く首を振り、まるで肩を鳴らすかのように左右に首を曲げた。

 

 「久しぶりね、あんたも元気だった?」

 「クェ?」

 

  ようやくヒカリはシンジの方を向き、ペンペンを差し出した。

 

 「碇君・・・・・ペンペン返すわね」

 「うん、ありがとう委員長。ごめん、勝手なことばかり言って」

 「私はいいけど、コダマお姉ちゃんやノゾミはかわいがってたから少し寂しそうだ

  った」

 

  ヒカリが自分に話しかける態度が妙にぎこちないのにシンジは気づいた。その理

 由に心当たりもある、トウジだ。ヒカリのトウジへの想いはアスカから聞いている。

 そのトウジをあんな目に遭わせた自分のことを彼女はどう思っているのだろう?思

 えば色々なことがあったが、級友の誰かと会うのは第13使徒との戦い以降初めて

 のことだ。

 

 「トウジ・・・どうしてる?」

 「どうって・・・・元気よ。リハビリもしてるし。そういえば彼奴から碇君に伝言

  があったわ。今日碇君に会うって言ったら絶対に伝えろって。

  『シンジ、絶対に気にすんな!もし気にするようやったらぶっ飛ばす!』

  ・・・・以上よ」

 「・・・・・・・」

 

  シンジはしばらく沈黙した。言葉を探しているようにも、言おうか言うまいか迷

 っているようにも見えた。やがてシンジはヒカリの目をしっかり見据えながら言葉

 を発した。

 

 「委員長、トウジに伝言頼めるかな?ありがとう、気にしないように努力はしてみ

  る。でも、たとえ気にしないようになっても絶対に忘れはしない。そう伝えてく

  れない?・・・それと、僕は今度こそ守ってみせる、自分の意志で。そう言って

  欲しい」

 「碇君?」

 

  ヒカリはシンジの雰囲気が変わっていることに気づいた。自分と同じで気まずく、

 複雑な感情が渦巻いているだけかと思っていたが違うようだ。よく見るとアスカも

 以前とは違う。以前の快活さではなく、何か不自然な物を感じる。

 

 (アスカ達にも何か有ったのかな?)

 

  無論シンジもアスカもヒカリにこれまでのことを話すつもりはない。アスカにす

 れば自分が壊れかけたことなど話すのは格好が悪いし、何よりもその後起きたこと

 にヒカリを巻き込みたくなかった。

 

  結局ヒカリは不審に思いながらも何も聞かずに帰路についた。話しても良いこと

 なら話してくれる、だけどそうじゃないのなら無理に聞かない方がいい・・ヒカリ

 とはそう言う娘だった。束の間の邂逅ではあったが、ヒカリは二人に忘れかけてい

 た平和の、普通の生活の匂いを与えてくれた。

 

 

 

 

 「綾波・・・・」

 「クェッ」

 「・・・・・ペンペン!?」

 

  病室を訪れたシンジは腕の中のペンペンをそっとレイに手渡した。

 

 「ペンペン、ペンペン、ペンペン・・・・・」

 「クエーーー?クエエックエ!?」

 

  レイは泣きじゃくりながらペンペンをきつく抱きしめていた。ペンペンは困惑し

 たような声を出して暴れようとしたが、レイの力は意外に強かった。強かったのは

 力ではなく想いだったのかもしれないが。シンジは微笑みながら、ペンペンの頭を

 軽くなでてやった。「今だけは少し我慢してよ」と言う想いを込めたのだが、それ

 が通じたのかペンペンは暴れるのを止め、おとなしく黙って抱かれていた。

 

  いつまでたってもペンペンを離さず泣き続けるレイを残したまま、シンジとアス

 カは病室を後にした。

 

 「あの娘、これで大丈夫かしら?」

 「僕にもはっきりとは分からないけど・・・・大丈夫じゃないかな?もう綾波は一

  人じゃないんだから、心の痛みを分かってくれるペンペンが側にいてくれるんだ

  から・・・・きっと、大丈夫だよ」

 「そうね、人は一人では生きられない・・・・よね」

 「感謝しているよ、アスカには。僕が今こうしていられるのもアスカのおかげだモ

  ンね」

 

  シンジは先日の晩のことを思い出し少し照れているようだった。確かにアスカも

 そのことを揶揄したのだったが、その言葉に含まれていたもう一つの意味はシンジ

 には届かなかったようだ。

 

 

 

 

 

 「シンクロ率97%突破!」

 

 (もう少しだ・・・・もう少しで・・・エヴァ、僕を受け入れてくれ。母さん!)

 

  その時シンクロ率が急激に跳ね上がった。

 

 「100%!・・・・・えっ?」

 

  シンジの体が痙攣したように跳ね上がり、動きが止まった。今までに有ったよう

 な暴走や取り込まれた状態とは明らかに違う。シンクロ率は0%に戻ってしまった

 からだ。パイロットの状態も正常値を示している。但し精神状態を示す数値はぴく

 りとも動かない。まるでシンジの意志だけが突然どこかに行ってしまったようだ。

 マイクにすがりつきシンジの名前を連呼するアスカ、急遽医療体制を整える人々。

 そしてついにシンクロ率100%に届いたことを喜び微笑む者が一人。

 

 

 

  ・・・シンジの意識は何も無い空間を漂っていた。様々な光景が浮かんでは消え

 ていく。以前エヴァに取り込まれたときに似た光景だと考えるだけの余裕が今のシ

 ンジにはあった。三度目という事も有ろう、だがそれ以上に今回はシンジ自身の意

 志でこの世界に来ることを望んだのだから。

 

  様々な人が物が様々な形を取りシンジの内面を暴いていく、辛いこと、哀しいこ

 と、醜いこと、認めたくないこと。

 

  アスカが現れシンジを責める。

 

 「あんたのせいで私がどんな目に遭ったと思ってるのよ!しかも長い間放ったらか

  しで。大体全ての元凶のエヴァや使徒って全部碇司令達のシナリオなんでしょ?

  ママがああなったのも全部あんたの父親のせいよ!」

 

  レイが現れシンジを責める。

 

 「碇君・・・前の私は命を掛けてまであなたを守ったのにあなたは私を避けた。し

  かもあなたは私を苦しめる原因を作った碇司令の息子・・・・私を消してまでお

  母さんに会いたいの?」

 

  ミサトが現れシンジを責める。

 

 「私の父を、家族を奪ったのはあなたの父親。そして欺き続け私に計画を手伝わせ

  た。父を奪った悪魔の計画を・・・・あの男は悪魔よ、あなたは悪魔の子だわ」

 

  トウジが現れシンジを責める。

 

 「シンジ、何でワシを攻撃したんや?ワシが中にいることはお前もしっとたんやろ?

  妹だけやのうてワシまでこんな目にあわすんか?」

 

  リツコがゲンドウのことで、ヒカリがトウジのことでシンジを責め、ケンスケや

 街の人々がエヴァに乗ることで傲慢になっていたシンジを責める。

 

 そして、最後にカヲルがシンジを責めた。

 

 「シンジ君、君は僕の友達じゃなかったのかい?何故殺したんだい?僕が使徒だか

  ら?それとも死を望んだから?つまり君は理由さえ有れば人を殺せるんだ」

 

 

 

  やがて一人の少年がシンジの前に立った。華奢な肢体の黒髪の少年。彼もまた碇

 シンジだった。一つだけ違うところがあるとすればシンジの笑いが優しさと安らぎ

 に充ちているのに対して彼の笑いは侮蔑と嘲りに充ちていた。

 

 「また会ったね、碇シンジ。どうだい今の君の心は?今見てきたのは君の中にある

  他の人達・・・・君自身が生み出した他の人の姿。また否定するかい?でも無駄

  だよ。前にも言ったように僕はもう一人の・・・」

 「消えろ」

 

  もう一人のシンジの言葉を遮るようにシンジは言った。何の激情もなく静かに。

 彼の言うことを否定するために放たれた言葉ではなかった。それが分かっているシ

 ンジはややうろたえたが持ち直したようだ。

 

 「消えろだって?無理だよ。だって僕は存在しているのだから。大体・・・」

 「わかってるさ、僕の中にも僕が居る。そして誰の中にも居るんだろ?僕が言って

  いるのはそんな事じゃない。僕はもう自分の醜さを知っている、それを認めてい

  る。人の苦しみにも気づかずに自分だけを守ろうとしていた。その為に多くの人

  を苦しめてしまった。だけど、それは僕自身がしてきたことだ、これからは僕自

  身が背負って支えていく。どんなに辛くてももう逃げない、認めるよ、受け入れ

  るよ・・・全てを。だから君に会う必要もない」

 

  もう一人のシンジは平静でいられなかった。自分のした全てを受け入れる・・・

 シンジがそれを行えるのならば、シンジの裏面としての自分の存在価値が無くなっ

 てしまう。だがシンジはその狼狽ぶりを無視して話を続けた。

 

 「僕は君に会いに来たんじゃない。エヴァ聞こえるかい?僕自身の心を前面に押し

  出してごまかそうとしないでくれ!。僕に自分自身を見せるのなら君自身も見せ

  て見ろ!僕の心が欲しいのなら僕を受け入れろ!」

 

  目の前のシンジはいつのまにか姿を消し、また何もなくなった。そこに一つの光

 が近づいてくる。それを手に取るとすさまじい勢いで記憶が流れ込んできた。

 

  まずは使徒との戦いの記憶。

 

 (これも・・・僕の記憶か?いや、違う!)

 

  そこにはシンジが覚えているはずもない暴走中の戦闘も記憶されていた。そして

 しばしの闇の後現れたのは幼き日の自分の顔、ゲンドウの顔。

 

 (それじゃ・・・・これは母さんの記憶?)

 

  母の一生が走馬燈のように一気にシンジの中を駆け抜けた。ろくに記憶にさえ無

 い母、その彼女の過去の想い、今の想い・・・

 

  シンジが手を離すと光は何処へともなく去っていった。

 

 (母さんの想い・・・・確かに受け継いだよ)

 

  シンジは自分が泣いていることにさえ気づかなかった。全てを聞かされたとき一

 時は憎しみさえ抱いた母であったが、今の気持ちを知ることで受け入れられるよう

 な気がした。

 

  その時前方から大きな光が近づいてきた。母の記憶よりもかなり大きい。それが

 エヴァの心であることは想像がついた。

 

 (来いよエヴァ・・・全てを見せてくれ・・・・・僕の全てを見せてやるから)

 

  再びシンジの中に記憶が駆けめぐる。それは先程度とは比べ物にならないほどの

 量の記憶であった。だが何よりシンジを驚かせたのはその記憶に映っているのは間

 違いなく「人」であったことだ。

 

 (そんな・・馬鹿な。これはエヴァの記憶じゃないのか?エヴァに取り込まれたの

  は母さんだけじゃなかったって事?でも、何かが違う気がする・・・・)

 

  記憶は一人の物ではなさそうだった。様々な場面が何の脈絡もなく映し出される。

 冷静になって良く見ると人々の服装、街並み、生活様式などはシンジの知らない物

 ばかりだ。

 

 (外国かな?でも、初号機は日本で作られたんじゃ?)

 

  ようやく記憶の渦はおちつきを見せた。しかし、そこで見えた記憶はシンジを動

 転させるのに十分な物だった。

 

 (どう言うことだ!?そ、それじゃ・・エヴァって、アダムって、使徒って・・・)

 

 

 

 「シンジ、シンジ!」

 

  何処からともなく聞こえる声にシンジは重い瞼を開いた。

 

 「あれ?ここは?」

 「あんた何寝ぼけてんのよ!そこはエヴァの中!訓練中に気絶しちゃったんでしょ」

 「え・・・・そうか」

 

  モニターにはアスカがマイクを握っている姿が、眼下には救護体制を整えている

 人々の姿があった。

 

 「僕・・・・一体どのくらい気絶していたの?」

 「1、2分って所じゃない?」

 「1、2分か・・・・何年も経ったような気分だよ」

 

  憔悴しきった顔でそう言ったシンジは救護班によってエントリープラグから救出

 された。特におかしいところは無かったが、一人で立つことが出来ないほど疲れ切

 っていた。ただ、運ばれる間、検査の間、そして回復するまで休憩しているときや

 帰り道まで側にいて気遣ってくれるアスカの存在が疲れを癒してくれていた。

 

  その夜、シンジは沈んでいた。エヴァの中で見えた記憶の嵐、エヴァとの完全な

 記憶の共有。それによりシンジはエヴァがなんたるかを完全に理解することが出来

 た。そしてその知識がそのまま武器になることも知っていた。

 

 (補完計画を潰すことは出来るかも・・・・)

 

  シンジが今守ろうとしているのは人の心、行動、歴史。それ故に今日シンジが得

 た知識は強烈な皮肉となっていた。

 

 (神の身に悪魔の心を宿し者 悪魔の身に神の心を宿し者 最も偉大な汚れき者に

  して最も愚かな清き者 救いを与える心と救われぬ業を持ちし者 汝の名は人間

  ・・・か)

 

  頭に以前どこかで読んだ一節が浮かんできた。それは、シンジの知った事実を、

 シンジの心を最も良く現した物だったのかもしれない

 

 

 《続く》

 



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