慟哭の刻

 

 

 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

                 7.

 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 

 

 ドクン!

 

 ・・・・闇の胎動が聞こえた。

 

 「間に合ったか」

 「ああ、もっとも元々奴等の計画など不完全な物だがな」

 「いずれにせよこれで我々の勝利は約束された」

 「うむ」

 「それでは人類補完計画を発動させるか?」

 「いや、その前に奴等の始末を付ける」

 「放っておけばいいのではないか?我々の計画が始まれば奴等など」

 「だが、不完全とはいえ奴等にも力はある。妨害や不確定要素の可能性は早めに取

  り除いておくにこしたことはない」

 「一理あるな。それに正直奴等の絶望的な顔も見てみたい」

 

  その場にいた者達が低い笑い声をあげる中、闇は胎動を続けた。

 

 ドクン!ドクン!・・・・・

 

 

  今日もまた一日が終わる。今日は今までに比べると希望的な一日だったはずだと

 アスカは思う。

 

  午前中レイの見舞いに行ったとき、話しかけたアスカに対して、彼女は反応を見

 せた。もちろん通人ほどの反応はない。ただ軽くうなずいたり首を振ったりしただ

 けだ。だが、一番最初に会ったときのレイ、そっけなく必要最小限の返事だけをす

 るレイを想い起こさせる反応では有った。時間さえ掛ければ回復していくかもしれ

 ないと言う希望をそこに見いだすことが出来た。

 

  ペンペンは力無くレイの腕の中にいた。どうやらこの病室に来てから一度も離し

 てもらっていないらしい。食事ぐらいはもらっているだろうが、今レイが手に出来

 る食事と言えば彼女の病人食ぐらいしかない。シンジとヒカリの手料理に慣れたペ

 ンペンの味覚がそれに満足するはずもないだろう。ペンペンは助けを求めるように

 二人を見たが、期待できないことを覚ったかうなだれたままおとなしくしていた。

 

  シンクロ試験も順調だった。97%〜98%の間で安定した数値を保っていた。

 全てがシンジの思惑に沿った結果が出ているはずだ。それなのに・・・・

 

 「はあ」

 

  今日何度目か数える気にもならない。シンジは今日一日中ぼんやりしながらため

 息をついていた。珍しくシンジの方から話しかけてくることもなく一日が過ぎよう

 としている。

 

 (どうなってるのよシンジ、何が気にくわないの?)

 

  アスカの苛立ちが頂点に達しようかと言うとき、シンジのつぶやきが聞こえた。

 

 「アスカ・・・・・人間って、結局愚かな存在なのかなあ」

 

  その言葉に驚いたアスカだが、シンジが話しかけてきたことに対する嬉しさが少

 しだけ上回っていた。しかし彼女は、そんな心の動きを知られないように努めて冷

 静に返事をした。

 

 「あんた馬鹿ぁ、いきなり何言ってんの?それじゃまるで碇司令の受け売りじゃな

  いの。そんなこと言ってると彼奴みたいになっちゃうわよ。そんな風になるつも

  り?なりたくないでしょ?だったらそんな馬鹿な考え捨てなさい!」

 「そりゃ・・・・なりたくはないけど、分からないよ。だって僕は父さんの息子な

  んだから。認めたくなくても血を引いているのは事実なんだから。そうなっちゃ

  うかもね」

 「馬鹿なこと言わないで!」

 

  装っていた冷静さが一瞬にして消し飛んだ。理屈も何もどうでも良かった。今感

 じたのは恐怖だった。シンジが彼奴みたいになる、シンジがシンジでなくなる・・

 そんなこと考えたくもなかった。

 

 「子だからって、血を引いてるからって親みたいになるって決まってるの?変なこ

  と言わないでよ!シンジはシンジよ。絶対にそんなこと無い、絶対ない!」

 

  アスカの剣幕を見てもシンジは寂しそうに笑うだけだった。

 

 「そうだって言うのなら、人が親みたいになるって言うことが運命づけられてるの

  なら・・・・・ファーストはどうなるの?私はどうなるのよ!親と呼べる人さえ

  居ないあの娘は何も無いって言う気?私もママみたいに自分を失って、あんな風

  になって、挙げ句の果てに・・・・・私にもそんな未来しか無いって言うの!」

 

  シンジははっと顔を上げた。また間違いを犯すところだった。また自分の考えだ

 けを・・・・その為にアスカを、綾波を。

 

 「ごめん、ごめんねアスカ。そんなことないよね、そうだよ、アスカは乗り越えら

  れたんだもの、辛いことがあってもそれを乗り越えられたんだから。親がどんな

  人生を歩んだとしても、子供も同じだなんて事無いよね。そうだよ、綾波だって

  自分で人生を作れるよ」

 

  必死に言葉を並べるシンジにアスカも安堵した。思わず笑みがこぼれそうになる

 のを我慢して少し憎まれ口でも叩こうかとしたとき、シンジの顔が再び曇った。

 

 「・・・・僕には無理だけど。自分の人生を選ぶ権利なんて無いから。僕は・・・

  悪魔の子だから」

 「あっあんた、まだそんなこと!」

 「・・・違うよアスカ、そうじゃないんだ。僕が父さんと別の人生を選んだとして

  も、僕が父さんの息子であることは変えられ無い・・・そう言うことだよ」

 「なに・・・それ・・・」

 「僕が父さんの息子である以上責任があるんだ、死んでいった人達に、苦しんでい

  る人達に、これから生きていく人達に。親のしたことが全部子供のせいになるっ

  て事はないと僕も思うけど・・・それじゃ誰も責任をとらなくても良いって事に

  なっちゃう。どんな奴でも・・・例え、例え悪魔でも僕の父さんだから・・僕が

  そのことを背負わなくちゃ・・僕の全人生を掛けても足りないかもしれないけど、

  やらなくちゃ・・・僕が・・・償わなきゃ」

 

  流石のアスカもこれには言葉がなかった。シンジは一言一言、言葉をかみしめる

 ように言った。

 

 「僕はいろんな意味で父さんから逃げられない、逃げちゃいけない。それが生まれ

  たときから僕が持っている呪縛・・・血の呪縛なんだ」 

 「う、自惚れるんじゃないわよ。あんた一人で何が出来るって言うの?そんな偉そ

  うなこと言っても何も出来やしないわよ。第一、彼奴シンジに親らしいこと何か

  してくれた?親らしいこと何もしてくれなかった奴の責任、何でシンジが取らな

  くちゃいけないの?出来ることをやってくしか今の私達にはないでしょ!責任取

  るとか難しいこと考えずに」

 「出来ることか・・・・・そうかもしれないね」

 

  そう言ったシンジの顔には妙に透明感があった。全てを覚りきった者か全てを諦

 めきった者にしか出来ないような顔だった。その顔に不安を増したアスカが言葉を

 続けようとするより一瞬だけ早くシンジの顔に笑顔が戻った。

 

 「悩んでもしょうがないよね。悩んでも僕がするべき事もしなくちゃいけない事も

  何も変わらないんだから」

 

 

 

  それからのシンジは今まで以上に優しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  その日が訪れた。

 

 「間に合わなかったか・・・・」

 

 悔しそうな声が響く。

 

 「そうだな。で、どうする碇?降伏するか?」

 「馬鹿を言うな、ここまで来てそんな真似はできん。無論戦う」

 「勝ち目はあるか?いかに初号機とはいえ相手は・・・・」

 「他に手はない。コンマ数パーセントの可能性だとしてもな」

 「そんな低い確率に賭けるのか?敗れたときのことも考えろ。今降伏すればともか

  く戦った後では職員達の命の保証も無いぞ。大体初号機の完全覚醒より早く奴が

  目覚めた時点で我々は負けたのだ」

 「ならば奴等の計画を認めるか?それが出来ぬからこそ我々はこうしているのだろ

  う?全ては人類のためだ、冬月。その為に幾人死のうが止む得まい。それに、そ

  の程度の駒はいくらでもある」

 

 (また『人類のため』か・・・・)

 

  冬月はこの言葉にだけは逆らえなかった。ネルフに入ったのも、今までゲンドウ

 を補佐してきたのも全てこの言葉のためだった。モニターに映る異形の者を見つめ

 ながら彼は人の歴史に悪魔と刻まれるのは奴等か我々かどちらだろうと考えていた。

 

 

 

  基地本部内の全員の目がモニターに吸い付けられていた。そこに映し出されるま

 がまがしい姿を持つ巨人から誰も目を背けられなかった。その者はエヴァに似てい

 た。大きさは装甲を一回り大きくした程度、全体に角張った感じがしており、体の

 各所から何本かの突起物が突き出している。色は赤みがかった黒、より正確な表現

 をするならば乾いた血の色と言うべきだろう。

 

  だが人々の目を引いたのはそんな外見上の事ではない、その者自体が発する気の

 ような物、一度でも戦いを経験したことがある者ならそこから例えようもない恐怖

 を感じただろう。誰もが気づいていた、「こいつは危険すぎる」と。

 

  そして、何よりも「強すぎる・・・・圧倒的なまでに強すぎる」と。人々はその

 姿、その存在感から一様に一つの物を連想した。・・・・《鬼》を

 

 

  司令部も例外では無かった。そこにいる物は皆押さえきれない恐怖を感じていた、

 ただ二人を除いて。一人はミサト、彼女は恐怖と同じくらいの憎悪の目でそれを見

 ていた。彼女だけはそれを以前見たことがあった、まだ若き時分に父を奪ったその

 姿を。そしてもう一人はシンジ。彼の目には恐怖はなかった。ただ哀れみの中に寂

 しさを宿した目でそれを見ながらそっとつぶやいた。

 

 「間に合ったのか」

 

 

 

 

  ゲンドウと冬月が部屋に入ってきた。もっとも司令席は最近、反乱時の予防と言

 う名目でガラスで区切られたボックスのようにされていたが。

 

 「何をしている、第一種戦闘配備だ」

 

  ゲンドウの言葉に皆我を取り戻し戦闘配備に入った。考えようによっては今まで

 モニターを見るだけで何もしなかったとはあるまじき怠慢だ。いくらエヴァに似た

 フォルムをしているとはいえ、まがまがしい姿をしているとはいえ、パターン青を

 発している以上敵であることは間違いがないのだから。その中でミサト一人がゲン

 ドウの方へ向き直った。

 

 「教えていただけますか、碇司令。彼奴が何者なのかを」

 「敵だ、それだけでは不満か?」

 「ええ、不満です。私は彼奴を見た記憶があります。ごまかしは無しにしてはっき

  りとしてもらいましょう」

 

  ミサトの強い口調にオペレータは戸惑いを見せた。彼等は先のミサトの反乱の詳

 しい事情を知らない。事情を知ってる残りの者、シンジ、アスカ、リツコもミサト

 が急に鋭気を取り戻したことに驚いた。

 

 「・・・・よかろう、今更隠し盾するほどのことでもない」

 

  しばらくの間の後そう言ったゲンドウは冬月に目配せをした。

 

 「奴はゼーレから送られてきた。我々がゼーレと敵対関係にあるのは君も知ってい

  るだろう。我々が初号機とリリスを使い人類補完計画を行おうとしたのに対し、

  ゼーレは奴を使って行おうとした。元々リリスは奴を制御できなかったときのた

  めの予備として作られた物だが、まさかこんなに早く制御できるとはな・・・・。

  流石はゼーレ、と言った所かな。奴が動き出した以上我々はただの邪魔者、その

  力を持って粛正に来たのだろう。だから奴は我々の敵なのだよ、葛城三佐。そう、

  奴は全ての始まり、全てを生み出した物、エヴァもリリスも補完計画も奴から生

  まれた。奴の名は」

 「アダム。この世に最初に現れた使徒。第一使徒アダム」

 

  冬月の言葉にシンジの言葉が重なった。アダム・・・その名を聞いた者はいる。

 いや、知らない者は居ない。だが本当のアダムのことを知っている者はほとんど居

 なかった。オペレータ達にとって今交わされた会話は理解の外にある物だった。

 

  疑問の氷解・・・何故ミサトがあの様な態度に出たかが分かった。彼女ならばア

 ダムを見たことがある。彼女の父は、碇司令達の計画によって発動したアダムによ

 って、彼女との永遠の別れを強制されたのだから。いわば直接の仇である。ゲンド

 ウとは別の意味を持つ敵の姿に、消えかかったミサトの心に再び火がついたのであ

 ろう。

 

  疑問の提示・・・シンジは何故彼奴がアダムだと知っていたのか?冬月の言葉か

 ら推測することは可能だ。だが、それにしては落ち着きすぎていた。まるで遥か以

 前から知っていたかの様な態度だった。しかし、のんびりとそのことを追求できる

 ほどの余裕は誰にもなかった。

 

 「シンジ、出撃しろ」

 「勝ち目・・・・どれくらいあるの?」

 「”0”ではない」

 

  ゲンドウの返事は絶望的な物であった。その言葉を聞くまでもなく全員が知って

 いた、人の持つ本能で誰もがどちらが強いかを感じていた。エヴァがアダムのコピ

 ーである以上勝ち目はない。コピーはオリジナルを越えられない。ゲンドウの命令

 はシンジに死にに行けと言っている・・・・オペレータ達はそのことに驚いた。今

 まで何度も戦いを命じたとはいえ、明らかに勝ち目がない戦いへ表情も変えずに、

 実の息子を送り出せるのかと。アスカ達は今更そのこと自体に驚きはしなかった。

 しかし、だからといって許容できることでもなかった。

 

  皆の視線を受けたシンジは長い間床を見つめていた。

 

 「行くよ・・・・でも、環境ぐらいは整えて欲しいんだけど・・・」

 

  ようやく弱々しく顔を上げたシンジに対するゲンドウの態度は普段と変わりがな

 かった。

 

 「どんな環境だ」

 「戦闘指揮はミサトさんに、アドバイザーはリツコさんにお願いします。それと、

  アスカと綾波にここで見守っていて欲しい」

 「それだけか?よかろう」

 

  あっさりと承諾が降りたのも当然だろう、命を賭けるための代償がそれだけとは。

 事の成りゆきに唖然としていたアスカが慌てて言った。

 

 「待ってよシンジ!・・・・・私も行くわ」

 「アスカ!?無茶言わないでよ。今のアスカじゃ・・・・」

 「無茶はどっちよ!たった一人で勝てる相手かどうか位見りゃ分かるでしょ。それ

  に、私だって直接戦闘に参加しようなんて思ってないわよ。最近エヴァに乗って

  いないし、多分起動ギリギリぐらいのシンクロ率しか出ないでしょうね。だから

  囮になったり、バックアップに入ったりするだけよ。実質の戦闘はシンジにまか

  せるわ。どう?これだけでも結構変わってくると思わない?」  

 

  アスカの理論はこちらの戦力を考えれば十分実用的だった。ミサトとしても異論

 はないところである。もっとも本人としては戦力どうこうよりも、シンジをたった

 一人であんな危険な奴と戦わせて自分はただ眺めているだけ等という状況に耐えら

 れないと思ったのだろうが。

 

 「ダメだ!そんな状態で無理だよ!僕一人でも大丈夫だから。僕一人でも勝てるよ」

 「あんたバカぁ、一人でって・・・・」

 

  アスカの言葉が途切れた。突然シンジが強くアスカを抱きしめたのだ。意表を突

 かれたアスカが反射的に振り解こうとしたが、シンジが震えているのに気づき動き

 を止めた。

 

 (シンジ・・・・震えてる、恐いの?やっぱりシンジだって恐いんだ。だったら、

  一緒に行ってやるって言ってるのに、なんで・・・)

 

  シンジはアスカの細い体を力一杯抱きしめていた。同時にシンジの体から様々な

 想いが伝わって来るような気がした。シンジの心は泣いていた、恐がっていた、ど

 うしようもないほど悲しんで、押しつぶされそうだった。以前アスカの腕の中で幼

 子のように泣いていたときのように。

  だが、アスカが最も強く感じていたのはそのどれよりも強い意志の力だった。シ

 ンジが一人で戦おうとしていることが、それだけはどんな事があっても譲る気がな

 いことが何故かアスカには感じとれた。感じとれてしまったことが悔しかったが。

 自分が一緒に戦うことよりも、ただ見ていることの方がシンジの望みに沿うと覚っ

 たアスカは、一抹の不安と寂しさを覚えながらもシンジの想いに逆らえなかった。

 

  やがてシンジの体が静かにアスカから離れた。アスカはまるで体の半身がもぎ取

 られるかの様な錯覚に落ち、手を伸ばしかけたがその手は途中で止まり何も掴むこ

 とはなかった。

 

 「行ってくるよ」

 

  シンジはそう言い残し部屋を出ようとした。アスカは万感の思いを込めてシンジ

 の背中にに向けて叫んだ。

 

 「絶対勝ってよ!そこまで言ったんだから、何がなんでも勝って・・・勝って帰っ

  て来てよ」

 

  部屋を出たシンジは振り向いて、今までアスカが見た中でも最高の笑顔を見せて

 言った。

 

 「約束する、絶対勝つよ」

 

  一瞬後シンジの姿は扉の向こうに消えた。アスカは一瞬自動ドアを発明した者に

 対して本気で殺意を覚えた。それは稚拙で場違いな怒りには違いなかったが、それ

 だけに切実な想いである。

 

 

 

  シンジはプラグスーツを身にまとい、側に置かれている今まで自分が着ていた服

 に目をやった。プラグスーツがパイロットとしてのシンジの象徴ならば、その服は

 普通の中学生としてのシンジの象徴であるような気がした。そして今シンジは服を

 脱ぎプラグスーツを着ている・・・・

  シンジは自分の右の掌をじっと見つめた。戦士としてのシンジはその手で多くの

 物を奪い、失った。服を着ていた頃の自分はその手で何かをつかめたのだろうか?

 そんな疑問がわいてくる。軽く目を閉じて自分のしてきたことを思い返してみた。

 

 (なにも・・・・何も掴めなかったかもしれないな。でも、大事な物を二つつなぎ

  止めることは出来た。たぶん、それだけでも十分だよ)

 

   目を閉じたまま右手が強く握られた。シンジは左手を手首に添えてスイッチを

  押す。

 

  シュッ!

 

  軽い音がしてプラグスーツが体を締め付ける。そしてゆっくりと開かれた目は戦

 士の物へと変わっていた。

 

  エヴァに向かう間何人かの人がシンジを見送っていた。多分この戦いの意味する

 ことを知っている人達だろう。だが、シンジは誰とも口をきかずに初号機の前へた

 どり着いた。彼の目の前に初号機がそびえ立っている。もう一人の鬼の姿を見上げ

 たシンジは何を考えたのだろうか?おそらくシンジ自身にも分からなかっただろう。

 

  LCLに身を浸す。体を生温い感触が包み、肺を不快な固まりが浸食していく。

 鼻には軽い血の匂いが感じられた。モニターが付き、ミサトやアスカ達の心配そう

 な顔が映った。

 

 「シンジ君、準備は良い?」

 「はい、ミサトさん。でも、もうちょっと明るい顔して下さいよ、アスカも。これ

  から出撃する人間を不安にさせてどうするんです?」

 「ごめんなさい。・・・・・・今思い出したんだけど、凄く古い歌にこんなのがあ

  ったの。良くは覚えてないけど、・・・・今は真っ暗な闇を漂っている。けど、

  それは闇じゃなくて聖書の黒い表紙かもしれないっていう歌詞だったわ。どんな

  闇の中にも希望はあるって事ね」

 「良い歌詞ですね、一度聞いてみたかったな」

 「弱気にならないで!・・・・でも、今の私達の置かれてる立場じゃ・・・・例え、

  闇じゃなくて聖書の表紙だったとしても、その聖書の名前が《死海文書》って言

  うんでしょうね」

 

  自嘲するかのようなミサトの言葉をシンジが強く窘めた。

 

 「なら、燃やしてやりましょうよ」

 「えっ!?」

 「そんなバイブルなら燃やせばいい、燃やしてその炎で闇を照らせば良いんですよ。

  光が見えないのなら探せばいい、光がないのなら自分で灯せばいい。人にならそ

  れが出来るでしょ?それが出来るから人なんでしょ?」

 「シンジ君、・・・・・・ええ、そうね。まったく、出撃前のパイロットに励まさ

  れる様じゃ作戦指揮者としても失格ね」

 「シンジ・・・・光、灯しなさいね」

 「うん」

 

  我ながらそっけない言葉だなとは思うが、先の触れ合いで言いたいことは全部伝

 えたような気がして他に何も言えなかった。

 

 「綾波は?」

 「今こっちに向かってるわもう少し待っ・・・」

 

  ミサトの言葉を途切れさせたのはアダムの動きだった。今まで自分の姿を見せつ

 けるように悠然と立っていたアダムがゆっくりと歩み始めたのだ。

 

 「シンジ君、出撃準備に入るわ・・・ごめんなさい」

 「はい・・・しょうがないですよね」

 

  発進準備が整えられる間にシンジはもう一人のパートナーに話しかけた。

 

 (行くよ・・・・エヴァ、これが最後だ。いや・・・・これで最後にしてみせる!)

 

  モニターの中で扉が開き、ペンペンを抱えたレイが入ってきたのが見えた瞬間ミ

 サトの声が響き初号機が勢い良く打ち出された。

 

 「エヴァンゲリオン、発進!」

 

 今、最後の戦いが始まる。

 

 

 《続く》

 



メリーさんの部屋に戻る

inserted by FC2 system