これはほんの少し昔の話。悲劇をまだ知らない頃の話。皆で笑いあえた日の話。

 

「過去よりの使者 11」

 

 

  澪の行動は素早かった。父親が委員会に急かされているせいもあるのだろう。既

 に転校手続きに必要な書類は受け取っていたようで、すぐにやるべき事は全て終了

 してしまった。

 

  その日、澪はA組に来なかった。シンジもどういう顔をして会えばよいのか分か

 らないので、B組に会いに行けなかった。野次馬だった者達も同様である。しかし

 そんなことを言ってられない知らせが届いた。澪の引っ越しの日取りをB組の者が

 知らせに来たのだ。まもなく始まる大型連休の内のいつかだと言う。

 

 (いくらなんでもそんなに早く・・・・)

 

  どういう顔で会えば良いかなど考える余裕もなくシンジはB組に向かった。

 澪と顔を合わせたとき、少し気まずさが漂ったが思い切って話しかけた。

 

 「連休中に引っ越すの?」

 「・・・・うん。見送りはいらないわよ」

 「どうして!見送らせてよ」

 「水くさいじゃない、澪。お別れ会も要らないっていうし」

 

  B組の女子も同調してくるが、澪は気持ちを変えなかった。

 

 「しめっぽくなるの嫌なんだ。お別れ会や見送りするのもここで別れるのもそうた

  いして差があるわけでもないでしょ?」

 「でも・・・いきなりお別れなんて・・・・」

 

  暗くなった雰囲気を変えるように澪が明るく言った。

 

 「そう落ち込まないでよ。別にみんなのこと嫌いだからっていうわけじゃないの。

  急になったのは、父さんの仕事の都合だし、私は長々と別れを惜しむのは嫌いな

  だけだから。だって、私みんなと今まで本当に楽しくやってきたって思ってるも

  の。その想いがあれば十分でしょ?それをもったいつけて感動的に別れようなん

  てわざとらしくて不自然な気がするのよ。そういうことだから。」

 

 (でも・・・・僕がこの街に来るときは見送ってくれたじゃないか)

 

  そう思うシンジだったが、一つのことに気づいた。

 

 (ひょっとして・・・澪は僕に見送りに来て欲しくないんじゃ・・・)

 

  本当にそうなのかは分からない。だがついに澪は決心を変えなかった。

 

 

 

  連休前の最後の日、A組の授業が終わったとき澪はもう居なかった。B組の者に

 「それじゃあね」

 の一言を残し、帰っていったそうだ。あまりにもあっさりしたこの別れに皆呆気に

 とられた。一陣の嵐が通り過ぎただけだったのかと思えたほどだった。

 

 

 

  シンジは悩んでいた。澪が引っ越すまでにもう一度会いに行くべきなのか?彼女

 がそれを望んでいないとしても。本心を言えばシンジはもう一度だけでも澪に会い

 たかった。出来れば澪を見送ってあげたかった。このまま別れるなんて嫌だった。

 だがそれが自分の独りよがりだとしたら?自分の我侭のために最後の最後まで澪を

 傷つけることになるとしたら?そう思うと、どうしても会いに行くことができなか

 った。

 

  その夜シンジに一本の電話がかかってきた。その電話を切った後、シンジはしば

 らく悩んでいたが、すぐに受話器を取り電話をかけだした。

 

 

 

  佐伯親子3人は空港に来ていた。旅立ちの日を澪はついに誰にも知らせずにいた

 ので見送りは誰も居なかった。

 

 「シンジ君達遅いわねー。早く来なくちゃ話をする時間もなくなっちゃうのに」

 

  母の問いかけに、澪は寂しげな笑いで答えた。

 

 「来る訳ないわよ。・・・・だって、私今日の事誰にも知らせてないもの」

 「そうかしら?それじゃ、あれは?」

 

  そういう彼女の視線の先には大勢の中学生が居た。その一群は澪の姿を見つける

 と口々に何かを言いながら近づいてきた。全員が澪の知っている顔、澪がこの街の

 来てから得た友人達だった。その中にはもちろんシンジもいた。

 

 「どうして?」

 

  驚きの隠せない澪がそう叫んだ。

 

 「昨日の晩、碇が電話で知らせてくれたんだよ」

 

  シンジの方を見ると

 

 「おばさんが、教えてくれたんだ」

 

  と答えた。

 

 「母さん!」

 「いいじゃないの別に。何で見送りに来てくれるのがいけないの?第一、私だって

  シンジ君にお別れぐらい言いたいわよ」

 

  全てを知っているのか、何も知らないのか、のほほんと話す澪の母はある意味で

 無敵の存在だろう。溜息を一つついた澪は、改めてそこにいる面々を見渡した。

 

 「で、何でこんなにたくさん来たわけ?まさか全員に電話したなんて言わないでし

  ょうね、シンジ君」

 「・・・・・そうなんだけど・・・、だってさ短い間だったけどみんな友達だろ?

  会わなかったら後悔すると思うよ・・・きっと」

 

  これはシンジなりの精いっぱいの澪への餞別のつもりだった。たとえ自分とは会

 いたくなかったとしても、その為に他の友達にも別れを告げられないなんて事は絶

 対にあって欲しくなかった。

  みんなの顔を見渡し、しばらく考える素振りを見せた澪だったがやがて笑いなが

 ら言った。

 

 「それもそうね。ありがとうシンジ君。みんなも」

 「俺達、碇のおまけか?」

 「碇君一人で来た方が良かったんじゃないの?」

 

  あの日のことを知らない者が無責任なことを言うが、澪は微笑みで答えた。

 

 

  その後はしばらく皆が雑談で過ごしていたが、何となく会話が途切れる瞬間が訪

 れた。その時、偶然澪とシンジの視線があった。澪はシンジの目を見据えるとゆっ

 くりと近づいてきた。

 

 「シンジ君・・・・・これで最後だから、一つだけさせて欲しいことがあるの」

 

  切なげな声と潤んだ瞳で澪がシンジに近よる。シンジはうろたえたが身を引くこ

 とが出来なかった。アスカとレイの複雑な視線とその他の者の好奇に満ちた視線を

 二人は浴びながら・・・・

 

 パーーン

 

 次の瞬間景気のいい音が響いた。

 

 「な、何するんだよ、澪?」

 「あーーーすっきりした。私みたいなかわいい子を振ったりしたんだもの、これぐ

  らい当然でしょ。びんた一発で済んだことに感謝するのね」

 「・・・ちぇっ」

 

  シンジの頬には見事な紅葉の後がついていたが、さらっと言い切る澪に反論でき

 るはずもなかった。

 

 (くそ、ラブシーンが見られるかと思ったのに)

 (ざまーみろ、そうそういい目ばかり見られてたまるか!)

 

  緊張して見守っていた連中も気が抜けてしまった。 

  すねたような態度を見せるシンジに澪が笑いかけた。

 

 「ははは、ごめんね。うわーー綺麗に後がついてるわね。痛かった?」

 「あたりまえだろ!」

 「それじゃ・・・」

 

  そう言うと澪は素早くシンジの頬に唇を押し当てた。

 

 「・・・・これで少しは痛み引いた?」

 「いっかりーーー!お前という奴はーーー!」

 

  振った後までこんなにうらやましいことをされるシンジに周りの者が殺到した。

 もみくちゃにされるシンジを澪は笑ってみていたが、シンジの表情はさえなかった。

 

 (殴られるより・・・・いまの方が痛かったよ)

 

  ・・・あの日以来澪は一度も笑っていなかったのだ。少なくともシンジが知って

 いる本当の笑顔、最高の笑顔は一度も見せていなかった。

 

 

 

 「澪、そろそろ時間だぞ」

 

  佐伯教授の言葉が別れの時を告げた。

 

 「シンジ君、綾波さん、惣流さん、君たちにも世話になったね。またいつか会えた

  らその時は宜敷頼むよ」

 「本当にシンジ君にはいろいろお世話になったわね。日本に帰ってくることになっ

  たら連絡するわね」

 

  二人の言葉にシンジは愛想良く返事をした。まだ乗り越えられはしない、あの日

 のことを忘れることは出来ない。でも少なくとも今は耐えることは出来る・・・・

 澪のために。

 

 

 

  澪はその間にクラスの者達への挨拶を済ませた。

  レイの前に来ると澪は一冊の本を差し出した。

 

 「これ、機内で読もうと思ってたんだけどあげるわ。難しい本ばっかりじゃなくこ

  んな小説なんかも読んだ方がいいと思うよ」

 「・・・ありがとう」

 

  レイは短く礼を言うと本を受け取った。

  アスカに対しては一言ですませた。

 

 「FAHRE WOHL KAMERAD.」

 

  少し意表を突かれた様な表情を見せたアスカだったが、すぐに笑顔で答えた。

 

 

 

  最後にシンジの前に立った澪だったが、全ての者にとって意外なことに

 

 「それじゃね」

 

 とだけ言うと、両親と共に搭乗口へと向かっていった。

  だが、通路を半分ほど行った所で澪は立ち止まった。しばらくそうしていた澪だ

 ったが、突然振り返り大声で叫んだ

 

 「さようなら、シンジ君!」

 「みっ、澪!?」

 

  困惑した声を出したシンジであったが、澪は通路を駆けだし、すぐに見えなくな

 ってしまった。

 

 

 

  場所を展望台に移した一行は澪達が乗る飛行機が無事飛び立つのを見送った。

 

  用事は終わったと家路につくクラスメートをよそに、シンジは手吊りに寄り掛か

 ったままいつまでも空を見ていた。アスカ達はそんなシンジに何か声をかけようと

 したが、結局何も言わずに姿を消した。

 

  シンジの頭の中でさっきの澪の言葉が何度も繰り返されていた。

 

 《さようなら、シンジ君!》

 

  同時に一つの場面が思い出された。シンジが第三新東京市に旅立つ日、ただ一人

 見送りに来てくれた澪との別れの場面が。シンジが澪に別れを告げようとする場面

 が。

 

  『澪、今まで本当にありがとう。・・・もう、行くね。それじゃ、さよう』

  『ストップ!こういう場面でその言葉だけはいっちゃいけないわ。普段なら

   ともかく、こういう時に言ったら、二度と会えないっていう意味になっち

   ゃうでしょ。私達、きっとまたすぐに会えるわよ。絶対縁があるって何度

   も言ってるでしょ。だからそんなことだけは言ったらダメ』

  『・・・それじゃ、何て言えば良いんだよ』

  『しょうがないな、ヒントあげようか?英語だったら、So Long、中

   国語だったら、再会、ドイツ語だったら、Wiedersehen、フラ

   ンス語だったら、オールボワール』

  『・・・またね?』

  『うん!またね、シンジ君』

 

  普通であれば何の変哲もない、有り触れた別れの言葉だったろう。しかし、その

 言葉の重みを知っているシンジにとって、澪の最後の一言は強烈だった。

 

 (・・・・僕は、過去を失ったのかもしれない)

 

  シンジにとって過去とは澪そのものであった。澪だけではなく、今までの自分を

 全て失った様な空虚感がシンジを包んでいた。

 

 

  ようやく手すりから身を離したとき、周りには既にだれも居なかった。重い足を

 引きずりながらシンジは下に降りていった。そこには・・・・

 

 「よお、シンジ!随分遅かったやないか」

 「碇君はあんたと違って繊細なのよ!」

 「そう落ち込むなよ。俺が撮った写真、セットで焼きましてやるから」

 「いつまで待たせんのよ!なーに、その顔。ただでさえ暗い奴がそんな顔していた

  ら見られたモンじゃないわよ。元気だしなさい」

 

  それぞれの言葉で出迎えてくれる友と、素直でない励まし方をしてくれる少女、

 黙ってぎこちない笑いを顔に浮かべようとしている少女が居た。

 

  シンジは心が満たされていくのを感じた。

 

 (そうだ・・・・僕は確かに過去を失ったかもしれない。でも・・・でも現在は失

  っていないんだ。そして、多分未来も。澪にだっていつか会えるさ、過去の澪に

  じゃなく未来の澪に。・・・・またね、澪!)

 

  シンジは仲間達の元へ駆けだした、顔に最上の笑顔を浮かべながら。彼女達もそ

 の笑顔に対して笑い返した。それはあの日以来彼女達が見たいと思い続け、見るこ

 とが出来なかったこの世で一番素敵な、一番大切な物であったから。

 

 

 

 

 

 

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

  澪が去ってしばらくたったある日、シンジとアスカそれぞれにエアメールが届

 いた。差出人は佐伯澪、封筒の中身は一枚の写真、文章は写真の裏の一言だけだ

 った。

 

 「・・・あの娘らしい手紙ね」

 

  それを見たとき、アスカはそうつぶやいた。シンジは写真の裏の一言を読んで満

 ち足りた笑顔を浮かべた。

 

  翌日学校に行ってみるとA組、B組の生徒たちや澪に関わった総ての人宛に同じ

 手紙が届いているとのことが分かった。中身は全員同じらしい。一枚の写真と一言

 だけの文章。

 

  写真には向こうの友達と思われる人達と一緒に楽しげに笑っている澪が写ってい

 た。そこに書かれている文章はただ一言 ”I’m cheerful”

 

  だが、シンジ宛の手紙だけは少しだけ違っていた。ほんの一文だけ付け足してあ

 ったのだ

 

 ”So Long!”・・・またね、と。

 

 (終)

 

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  拙作を最後までお読み下さった皆様、ありがとうございました。

 本当にかなり昔のSSなので、読み返してみても書き方が今とかなり変わって

 ました。(^^;・・しかし、やっぱり純粋にエヴァが好きだったんだなこの頃は。

 

 

  このSSはNIFTYの方で書いた物ですが、その時いろんな人から感想を

 頂いたのが、現在もSSを書いているきっかけとなっています。特に「澪」は

 オリキャラですが結構人気が出まして、ありがたかった事をおぼえています。

 (でも、おかげで続編を書く羽目に・・・・)

 

  この後にもう一本外伝的な話がありますのでそちらもよろしく。

 できれば感想など頂ければ大感謝です。

 

  それでは改めてありがとうございました。またいずれ。

 

 

  メリーさん(CQF00436@niftyserve.or.jp)

 

 



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