これはほんの少し昔の話。悲劇をまだ知らない頃の話。皆で笑いあえた日の話。

 

 

「過去よりの使者 6」

 

 「まったく、あのマッド何考えてるのかしら?」

 

  エヴァの訓練の準備がまだ出来ていないとのことで、3人は自動販売機の前で時

 間を潰していた。その日の放課後、澪はNERVでのシンジの様子を知りたいから

 見学させて欲しいとねだってきたのだ。流石にそんなことができるわけないと断り

 はしたが、厚かましいだの常識を知らないだのアスカは文句を言い続けている。

  レイは一言「機密だから」と澪に言っただけだが、まるで問題外といったそっけ

 口調であった。・・・・・当然であろう。機密などの事が無くてもNERV内での

 シンジは彼女達にとって最後の砦である。

 

  澪の知っているシンジを彼女達は知らない。今のシンジを澪は知ることが出来る。

 彼女達が澪より優位に立てるのはここしかないのだ。

  ここのところ3人の争いは澪が主導権を握っている。昔のシンジを知っている澪

 に対して引け目を感じたのがまずかった。アスカにしてみればシンジの一番側にい

 るのは自分だという想いが揺らいでしまったのだ。

 

 

 「大体自分勝手なのよね、あのマッド。世間の感覚とずれてんじゃないのかしら?」

 

  シンジは苦笑してたしなめた。

 

 「そう何度もマッド、マッド言わない方がいいよ。本人が聞いたら気を悪くするじ

  ゃないか」

 「かまうもんですか。本人だって自分がそう呼ばれてること自覚してんだから」

 

 

 「あなた達何やってるの?準備はもう出来たわよ。さっさと用意なさい!」

 

  突然現れたリツコはそう言うとすぐに去っていった。

 

 「なによあれ!準備が遅れたからちょっと待って欲しいって言ったのは向こうの方

  じゃない!」

 

  アスカが怒りの方向を変えたので、シンジは胸をなで下ろした。

 

 

 「リツコ、あの子達居た?・・・・どうしたの?顔がひきつってるみたいだけど?」

 「なんでもないわ。はじめましょ」

 

 

 

  佐伯教授はネルフ内の彼のために用意された部屋で、レポートを作成していた。

 その時、部屋の扉が何の前触れもなく開き、リツコが入室してきた。佐伯教授はそ

 の無礼を咎めるでもなく、何事もなかったように軽く会釈までする。それが余計に

 リツコの神経を逆撫でしたようだ。

 

 「佐伯教授いかがですか、研究の方ははかどっておられます?」

 「ええ、なんとかね。心理テストの方は、今週中に第一回目の研究報告をまとめら

  れそうですよ」

 「それだけでも大変ですのに、使徒のことまで調べられるとは、手を広げすぎじゃ

  ありませんか?」

 「いやなに、これも全て人類のためですよ。あなた方の苦労に比べれば私のしてい

  ることなど」

 

  言うまでもなくこれは嫌みと皮肉の応酬である。どうもリツコは委員会から送ら

 れてきた佐伯教授とは馬が合わないようだ。佐伯教授の方はどちらかと言えば、嫌

 みを言い返すのを楽しんでいるかの様な余裕があるのだが。

 

 「ところで、心理テストから判断するところ、3人とも過去に精神的な傷を負って

  いるのでじゃあ無いですか?」

 「・・・・何故です?」

 「過去の質問になると、精神に若干の乱れをきたすからですよ。それに、シンジ君

  の事は知っていますしね、他の二人もそうではないかと。どうです、この辺の事

  でもう少し突っ込んだ質問をしてみたいのですが、宜しいでしょうか?」

 「・・・・・それは遠慮していただけないでしょうか。今現在確認されているパイ

  ロットは3人だけです。いくら精神状態とシンクロ率の関係を調べるとはいえ、

  下手に心の傷を暴くことで、エヴァの操縦に支障をきたすことになっては元も子

  もないでしょうから」

 「と言うことは、傷を負っていることは間違いないのですね。それはパイロット選

  別のファクターになっているのですか?」

 「お答えできません。」

 「機密ですか・・・・・しかたありませんな」

 

  そう言いながら、彼は傍らに置いてあったレポートの下書きを引き寄せ、大きく

 『パイロット選別条件・・・・・・・過去に何らかの形で心に深い傷を負った者。

  (最重要ファクター)』

  と書き込んだ。

  その様子を見ていたリツコは体を震わせながら睨んでいたが、やがてきびすを返

 すと部屋から出ていった。

  その様子を楽しげに見ていた佐伯教授は、タバコを一本くわえながらレポートを

 灰皿の上に置き、火をつけた。燃え盛るレポートの火をタバコに移しながら彼はつ

 ぶやいた。

 

 「まだまだ、若いな。」

 

 

 

 

  その夜、第3新東京市郊外にある製薬会社の研究所で大きな爆発が起きた。公式

 発表によると倉庫の化学薬品に不注意から引火したとのことで新聞の片隅に小さな

 記事が載っただけだった。

 

 

 

 「事情を説明してもらおうか。」

 

  ゲンドウ、冬月、リツコ、佐伯教授の4人が司令室に集まった。

 

 「マスコミには引火による爆発とごまかしましたが、その時間例の場所よりパター

  ン青とATフィールドが検出されています。・・・・まず間違いなく使徒の仕業

  でしょう。問題はその後反応が消えているという事です。こちらに向かった痕跡

  もありません」

 「しかし、使徒の被害としては規模が小さいように思えるが?」

 

  冬月の質問に、リツコはあくまで事務的な口調を保ったまま応えた。

 

 「はい。ですから今回は、従来の使徒が現れたのではないと思われます。もっと小

  さな、例えば本体を持たないコアだけの使徒が・・・・」

 「周りくどい言い方はやめにしましょう」

 

  この状況にも係わらず、佐伯教授は余裕の笑みを浮かべてさえいた。

 

 「培養された使徒のコアを研究していたところで爆発が起き、通常とは違う使徒の

  反応が検出された。そして、そのことを確認する場に私が呼ばれた、となれば答

  えは一つしかないでしょう?」

 「そうだ、君の研究していた使徒が自我に目覚めたとしか考えられん」

 

  顔色一つ変えずにゲンドウが言葉を継ぐ。

 

 「だとすれば私としては万歳でも唱えたいですね。私の研究はまさにそれだったの

  ですから。心を作る、私はその為に様々な実験を繰り返してきたのです。しかし

  偶然その時その場所にいなくて助かりましたよ。おかげでこの結末を見届けるこ

  ともできますしね」

 「偶然その場にいなかったとは運がいいですね。」

 

  皮肉のこもったリツコの言葉にも、彼はまるで動揺を見せない。

 

 「普段の行いですかね。」

 「・・・・・とりあえず、第三新東京市のすぐ近くに使徒が存在するのは確かです

  し、第一種戦闘配備を・・・・」

 「その必要はないでしょう」

 「何故ですか?」

 

  少し機嫌を損ねたリツコが問う。

 

 「奴が私の研究によって目覚めたというのなら、まずは自分が生きることを目指す

  はずだからですよ。生き物に自我を与えるには生存本能を刺激するのが一番でね。

  奴にもそのようなパルスを送り続けていましたから。奴は今、コアだけの状態で

  す。それで喧嘩を売ってくるほどバカじゃないでしょう。来るとすれば体の再生

  を果たしてからじゃないですか?」

 「・・・しかし、そうだとしても奴がこの近くに居るのは間違い有りません。奴が

  復活してから戦闘準備をしていたのでは手遅れになります!」

 「ならないでしょうなぁ、私が奴なら体の再生は誰にも見つからないところでこっ

  そりとしますよ。確かに市内に出現できるというのはメリットかもしれませんが、

  見つかることを考えれば、リスクが大きすぎます」

 「あなたはNERVの関係者ではないはずです!いちいち作戦行動に口を挟まない

  で下さい!」

 「やめたまえ」

 

  静かに、そして有無を言わせぬ口調でゲンドウが言った。

 

 「この件に関しては佐伯教授の意見が正しい。戦闘配備の必要はない。ただし警戒

  は怠るな」 

 「・・・了解しました」

 

  悔しそうな口調で返事をした後、彼女は退出した。

 

 「これは、あなたの計算内のことですか?」

 「いえ、計算外です。」

 

  あっさりと言ってのけたあと、彼も退出した。

  ニヤリと笑うゲンドウを見て冬月は二つのことに気づいた。

 

 (生物の自我を取り戻させる研究か・・・碇が許可を出したはずだ。碇にとって

  も興味のある研究だろうからな。処分もできまい)

 

 (初めてあったときから佐伯教授に抱いていた不信感やいらだちの原因がようやく

  分かった。奴も碇と同じ人種なのだな。目的のためなら手段を選ばん。総ての物

  を犠牲にすることさえも厭わない。違うところと言えば碇が沈黙と無表情さで人

  に心を読ませないのに対して、奴は言葉と笑いで本心を隠すといったことぐらい

  か・・・・こんな男が二人もいるとはな。)

 

  彼は疲れたような溜息をもらした。

 

 

 

  その頃子供達の訓練もようやく終わった。始まりが遅れただけに、もうかなり遅

 い時間である。

 

 「あーーあ、すっかり遅くなっちゃったわね。早く帰ってご飯にしよ」

 「どうしよう、晩御飯の用意何もしてないよ」

 「えーーーーー!どうすんのよ!もうお腹ぺこぺこなのに!」

 「どっかで食べてかない?今日はミサトさんも遅くなるって言ってたし」

 

  とたんにアスカは破顔した。

 

 (二人っきりで外食か・・・悪くないわね。シンジのことだろうから店を選ぶセン

  スなんてないだろうな。えっと確かこの前雑誌で見つけた店は・・・)

 

 「・・・・・私も行っても良いかしら・・・・・」

 「え・・・・別に・・いいけど・・ね、アスカ」

 

  アスカの顔がひきつったのにも気づかずに気楽な調子でシンジが答える。

 

 (こっこっこの女ーーーーどこまで邪魔すりゃ気が済むのよーー)

 

  無論レイは邪魔する気など無い・・・のかもしれない。単にシンジと一緒に食事

 をしたいと感じただけなのだ。逆に何が邪魔なのか聞かれたら詰まるのはアスカの

 方だろう。現在感情のままに行動しているが、自分の気持ちを冷静に見つめられる

 ほど素直になってるわけでもない。

 

  結局3人は近くのファミリーレストランで夕食を取ることとなった。アスカも二

 人っきりでもないのに店を選ぼうとは思わなかったようだ。レイはキノコスパゲテ

 ィー、シンジはハンバーグセット、アスカはシーフードドリアに、ビーフシチュー、

 チキンソテー、フレンチトースト、フルーツサラダ、レアチーズケーキにレモンテ

 ィーであった。無論注文の前に誘った者がおごるのだということは、はっきりさせ

 ている。

 

  三人の皿が空になり、会話がとぎれた頃不意にレイがシンジに話しかけた。

 

 「碇君・・・・・・佐伯さんのことどう思ってるの?」

 「どうって・・・・友達だよ、それに幼なじみ」

 「それだけ?」

 「そうだと思うけど?」

 

  アスカにしてもそのことは気になっていた。はっきりとしないシンジの態度にア

 スカもいらだちを募らせた。

 

 「あんたねーーあの娘はあんたのこと好きだって言ってるのよ。そのことをどう思

  ってるのかって聞いてるの!」

 「向こうだって本気で言ってるわけじゃないさ」

 

  シンジは本気でそう思っていた。

 

 「本気かどうか知らないけど、あそこまで露骨に態度示してるのに今まで何とも思

  わなかったわけ?」

 「思わなかった・・・・と言うより思えなかった。」 

 

シンジの言葉に妙な深さを感じた二人は目で続きを促した。この後に来るであろ

 うアスカの爆発と、レイの無言のプレッシャーを思うとシンジは話を続けるしかな

 かった。

 

 「僕が父さんに捨てられてから施設で育ったのは言ったよね。・・・・・そこでも

  僕はいらない子だったんだ。施設内の子はみんな両親が居ない子だったから、ど

  んな事情があるにせよ父さんが居ると分かっている僕は嫌われていた。先生も別

  に僕の面倒が見たいわけじゃなかった。よく言ってたよ、仕事じゃなきゃこんな

  奴の面倒なんか誰が見るものか!って。面頭向かって言われたことはなかったけ

  ど、他の人にそう言うのを聞いたことはあったし、そのことを隠そうともしてい

  なかった。

   あそこは僕にとって安らぎを得られるところじゃなかった。嫌われたくない、

  叱られたくない、ただそう思って先生の言うことを何でも聞いていただけだった。

  言われるままにチェロも始めたし、武道もやった。もっとも武道の方はやめちゃ

  ったけどね」

 

  シンジは淡々と話し続けた。もうその頃のことは吹っ切れたのか、それとも感情

 を込められないほど辛いのか彼女達には分からなかった。

 

 「そんな僕の唯一の支えが澪だった。クラスが違うこともあったし、小学校の時な

  んて男子と女子が一緒に遊んだりしないだろ。だからずっとって訳にはいかなか

  ったけど、それでも澪はよく僕の側に居てくれたんだ。澪の家に行くと澪の両親

  が暖かく迎えてくれた。その時僕は生まれて初めて自分の居場所を得られたと思

  ったんだ。あの日までは。

   あの日・・・泊まり掛けで澪の家に遊びに行った日・・・夜中に目が覚めて、

  トイレに行く途中で澪の両親がしゃべっているのを聞いちゃったんだ」

 

 

  『澪もおもしろい子を連れてきてくれたものだ。彼は私の研究の良い資料にな

   ってくれそうだ』

  『シンジ君がですか?』

  『ああ、普通は自閉症だったり心に傷を負った子でも世間体やら事実を認めた

   くないやらで精神科なんかには来ないことが多いんだ。たとえ来たとしても、

   じっくり観察するのも難しい。その点ここは私の家だ。彼のいろいろな反応

   をゆっくりと調べられる。』

  『随分な言い様ね。そんなこと聞いたらあの子達怒るわよ。』

  『いくらなんでもあの子達の前でそんなことを言うつもりはないさ。私はごく

   普通の友達の父親を演じるよ。ただ観察するだけだ』

  『まるで何かの実験をするみたいね』

  『私にとってはそうだよ。反応が顕著であるという以外彼も研究室のモルモッ

   トも変わりはない』

 

 

 「・・・・・ここまで聞いたとき僕は部屋に逃げ帰った。そして朝まで布団をかぶ

  って震えていた。心が引き裂かれるかと思うほど辛かったよ。やっと見つけたと

  思った僕の居場所、僕が居てもいい場所が無くなってしまったんだから。父さん

  にとって僕はいらない子供だった。先生にとって僕は邪魔な子だった。そして澪

  のお父さんにとって僕はただのモルモットだった。僕は誰にとっても必要のない

  人間なんだと言われた気がした。・・・・・翌朝気分が悪いと言って家に帰った

  後も震えは止まらなかった。次の日も学校も休んで震え続けていた。僕の思いを

  肯定するように先生もお医者さんを呼んだ後は大して心配もしてくれなかった。

   ・・・・・・澪は見舞いに来てくれた。けど恐かった。分かってはいたんだ。

  あの夜の事と澪は何も関係が無いって。でも澪を見るとあの言葉が頭をよぎって

  ・・・・澪にまでいらないなんて言われたらもうどうしようもない、なんて気持

  ちもあったし。しばらくすると、さすがに澪が恐いって事は無くなってきたけど、

  それまでよりも臆病になったのかな、友達以上の何かになりたいなんてとても・

  ・・・・あの時の僕にとって人を好きになるなんて、人を受け入れるだなんて、

  とても出来なかった。そんな余裕はなかった。周りに島影も見えない海の真ん中

  で、澪という浮輪に掴まって口だけ海面に出して喘いでるようなものだったから

  ・・・」

 

 「聞きたくない!そんな話!」

 

  アスカの叫びは店中の人の視線を集めた。自分の話に入り込んでいたシンジが顔

 を上げると、レイもアスカもうつむいていた。アスカの顔にいつもの明るさはなく、

 レイの顔にいつもの無表情さはなかった。

 

 「ごっ、ごめん。つまんない話しちゃって。あっ、でも澪のことをそんなに意識し

  てないのってこれだけが原因じゃないよ。昔から澪は結構もててたから面倒くさ

  くなったんだろうね。ある日僕に

  『私の理想って高いのにつまんない奴等ばっかり言い寄ってきて困ってるのよ。

   シンジ君、風避けになってくれない?私がシンジ君のこと好きだって言えば、

   言い寄ってくる奴も減ると思うの。こんな事頼めるのシンジ君しか居ないし。

   ね、お願い。』

  って言ってきたんだ。まあ澪の頼みじゃ断れないし、OKしたんだけどね。結局

  僕達の関係ってそんなものなんだよ。だから澪が僕のことを好きだって言うのも

  あまり深い意味はないから」

 

  シンジの言葉に嘘はなかった。むしろ澪を意識して無いという一点においては、

 こちらの方が比重が上だろう。この一言がなければ、澪を頼る気持ちが恋愛感情に

 変化していたとしてもおかしくなかった。それでも彼女達の心は晴れることはなか

 った。アスカもレイもシンジの辛さが分かる気がしたから。自分の存在に疑問を持

 つことは彼女達の過去にもあったことだから。

 

 「あの娘は知ってるの?さっきの話」

 

  長い沈黙の後、ようやくアスカが口を開いた。

 

 「言える訳無いだろそんなこと。澪を傷つけてもしょうがないじゃないか。だから

  このことは他の人には話しちゃダメだよ、絶対に」

 

  シンジは少し後悔していた、こんな話をしたことを。澪を傷つけないように自分

 の胸だけに秘めておくつもりだったのに。レイとアスカは少し後悔していた、こん

 な話を聞いたことを。触れられたくないだろう心の傷を暴き出す気はなかったのに。

 

  だが3人とも気づいてなかった。話したくないことを話してしまい、聞きたくな

 いことを聞いてしまった理由に。この一瞬には臆病も無関心も意地張りも存在しな

 かったことに。

 

 

 

(続く)

 

 



メリーさんの部屋に戻る/投稿小説の部屋に戻る
inserted by FC2 system