これはほんの少し昔の話。悲劇をまだ知らない頃の話。皆で笑いあえた日の話。

 

 

「過去よりの使者 7」

 

 

  その日は朝からレイもアスカも元気がなかった。昨日のことをまだ引きずってい

 たこともある。もちろん澪が悪いのではないことなど十分分かっているし、そのこ

 とを澪に言う気など毛頭無い。だが・・・・澪を目の前にした時、どういう反応を

 示せばいいのだろう。二人は澪に対する感情が一層複雑になっているのを感じてい

 た。

 

 (佐伯さん・・・私の知らない碇君を知ってる人・・・)

 (澪・・・10年間もシンジのの支えであり続けた娘・・・)

 

  シンジの傷の深さは良く分かる。だがその分、たった一つの絆であった澪の存在

 の大きさも分かるのだ。そのことが自分達の中で無視できない程の大きさに膨らん

 でいることに彼女達は気づいているのだろうか?シンジとの間もどうもぎくしゃく

 してしまう。

 

  そんな彼女達の思いを物ともしない存在が笑顔と共に現れた。

 

 「おっはよーー!シンジ君!」

 

  そう言うなり澪が腕を絡めてきた。

 

 「あ、おはよう・・・・ちょっと・・・手離してよ」

 「気にしない、気にしない」

 

  だが、気にする者も間違いなく存在していた。

 

 「あんた、朝っぱらから何やってんのよ!」

 「このぐらいのことで目くじら立てないでよ、以前はこんな事しょっちゅだったん

  だから」

 「そうなの・・・碇君・・」

 

  レイの言葉はいつも以上に冷たい。

 

 「え・・・あっと・・いや、その・・・」

 「昔は昔でしょ!さっさと離しなさい」

 「い・や・よ」

 「あんたねーー」

 

  さっきまでのムードは一瞬にしてどこかへと行ってしまった。澪が居るとそれだ

 けで暗いムードなどなくなってしまうようだ。

 (でも・・・・そこが澪の良いところなんだよな)

 

 

 

 昼休み、普段より大きめの弁当箱を澪は抱えていた。

 

 「シンジ君今日のお弁当取りかえっこしない?今日は私の手作りの豪華版だから、

  お得よーー」

 「澪ってお弁当自分で作ってたっけ?」

 「たまーーーーにね。女の子だモン、料理ぐらいするわよ」

 「まあ、いいけど」

 

  シンジ以外の誰が聞いてもアスカとレイに対する当てつけにしか聞こえない。

 

 「へえ、ほんとに豪華だね」

 「味にも自信有るわよ」

 「ふーーん・・・うん結構いけるよ」

 「でしょーーー。ねぇシンジ君、このぐらい料理できたら、私良いお嫁さんに成れ

  るかな?」

 「そうだね・・・大丈夫じゃないかな。これ、本当においしいし」

 

 ぐしゃ!ばき!

 パンが握りつぶされる音と、箸がへし折れる音が同時にした。

 

 「・・・・傷んでたみたいね」

 「あら、シンジ!このお箸もう寿命がきたみたいよ」

 「そうなの?ごめん、帰ったら新しいお箸出しておくよ。綾波、傷んでたならその

  パンもう食べない方がいいと思うよ」

 (心配する内容が違うだろーーが!)

 

  当事者達を除く全員が心の中で叫んだが、声には出さない。今、声を掛ければ行

 き場の無くなった感情がこっちに向かってくる恐れが十分あるからだ。

  そんな状況に気づかないのか、それとも楽しんでいるのか、澪は素知らぬ顔でシ

 ンジの作ったお弁当を食べていた。

 

 「シンジ君も相変わらず料理上手ね。ねぇ、明日からも取り変えっこしない?私も

  毎日シンジ君のお弁当食べたいし。いいわよね」

 

 ぴき

 

 ヒカリにはアスカのこめかみに浮かんだ青筋がくっきりと見えた。

 

 (ぬわーーーにを我侭いってんのよ、シンジのお弁当は私専用なのよ!)

 (ああ、碇君、お願いだから少しは状況に気づいてよーー)

 「私も食べたいな・・・・」

 「えっ!」

 

  みんなの視線がレイに集まった。レイは頬を少し染めてうつむいていた。

 

 (いくら碇君がらみとはいえ・・あの綾波さんがこんな事言うなんて・・)

 

  全員が同じ思いでレイの次の反応を待ったが、何も変化はなかった。ただ、頬の

 赤みがほんの少し増したということ以外には。

 

 「ちょっと、あんた達厚かましすぎるんじゃない?何の権限があってシンジにお弁

  当作らせるのよ」

 「あら、私はかわりにシンジ君のお弁当作ってくるから条件は一緒じゃない」

 (それが余計に気にくわないのよ!)

 

  口に出して言えないあたり、アスカもまだまだである。

 

 「あなたこそ何もしないで、シンジ君のお弁当食べてるじゃない」

 「私はいいのよ!普段からシンジの面倒見てやってるんだし。第一こいつはわが家

  の家事全般を受け持ってる家政夫よ!お弁当作るのが当然じゃない」

 「(かっ、家政夫?・・・・反論できないのが情けないな。)もうやめてよ、僕は

  別に良いよ。二人分も三人分も大して変わらないから。みんながおいしそうに食

  べてくれたらそれで良いんだからさ、ねっ」

 「・・・ホンマに家政夫みたいなことゆうとんなー。」

 

  トウジのつっこみに皆爆笑したが、その笑いの中シンジは隣でレイがそっとつぶ

 やくのを聞いた気がした。

 

 「・・・・アリガトウ・・」

 

 

 

 

 「シンジ君今度の日曜遊びに行っても良い?久しぶりにチェロ聞かせてよ」

 

  澪のこの一言で日曜に7人が集まることとなった。この時ミサトは初めて澪を見

 たわけだが、どうやらすっかり気に入ってしまったようだ。噂に違わぬマイペース

 ぶりを楽しげに見ている。

  アスカ一人憮然とした顔をしていたが、他の者はシンジの演奏に聞きほれていた。

 

「碇君こんな趣味もあったんだ、結構いろいろ出来るのね」

 「ね、次あの曲ひいてよ、去年の私の誕生日に弾いてくれたやつ」

 

 シンジの演奏が終わった。

 

 「あーあ、私も引っ越しの時ピアノ持ってくれば良かったなぁ。久しぶりにシンジ

  君と合奏したかったのに」

 「澪って、何でも出来るのねー。アスカ、がんばらないと碇君取られちゃうわよ」

 

  自分が幸せになったせいか、近頃のヒカリは結構意地悪だ。昔はうまく行かない

 者どうしだという仲間意識から、フォローを入れたりしていたのだが。

 

 「変な事言わないでよ。何だって私がこんな鈍感で、暗くて、内向的で、いじいじ

  してて、馬鹿で、情けない、軟弱で、鈍感な奴のことなんか・・・・よっぽどの

  物好きじゃない限りそんな奴居ないわよ」

 (そりゃ・・・違うとは言わないけど・・・言ってくれるよな、アスカ・・・)

 

  ヒカリは満足げに微笑んでいる。真っ赤になりながらムキになってこんな事を言

 う者の心理は彼女が一番良く知っている。

 

 「じゃ、私ってよっぽどの物好きなのかな?」

 

  屈託のない澪のいいようにケンスケが言わなくてもいいことを言う。

 

 「シンジのどこがそんなに良いんだよ?」

 「そうねー、強いて言えば、暗くて、内向的で、いじいじしてて、鈍感で、馬鹿で、

  軟弱で、情けないところかな」

 「・・・・・・・・・・・・・」

 「それに何と言っても優しいところ、暖かいところ。それに繊細だし、料理もうま

  いし、かわいいところもあるし・・・」

 

  これ以上聞いてられんわ、とばかりにトウジが口を挟む。

 

 「なんか、女を褒めとるみたいやなー」

 「シンジにピッタリじゃないか?シンジの女装なんて案外似合いそうだぜ」

 「あんた達だったら気色悪いだけだけどね」

 「なにいってるのよ、シンジ君ってちゃんとした格好すれば結構見栄え良いんだか

  ら!信用出来ないんなら、見せたげるわよ。シンジ君、ちょっとつきあって」

 

 

 「えーとこのシャツにと、あれ、私が選んであげたジャケットどこにあるの?タン

  スの奥?着てないの?そんなんだからだめなのよ。それにしても全然服の量増え

  てないわね。こっち来てから何も買ってないの?私が選んであげるから今度一緒

  に買い物行こ」

 

 

  シンジは澪の選んだ幾種類かの服を着ることとなった。着替えが終わると、澪は

 髪型にも少し手を加えてから、みんなのところへ連れてきた。

 

 「へぇーー、意外だなーー結構格好良いじゃない、碇君」

 「そうかーー?確かにいつものシンジと感じはちゃうけど」

 「俺にゃ良くわかんないよ」

 

  この反応の差は、一般人とジャージや軍服に美意識を感じている者との差であろ

 う。

  レイにも服のことなど、良く分からない。しかし普段とは少し違った感じのシン

 ジを見ていると、少し胸がどきどきした。

  アスカの目から見ても、今のシンジの格好は結構似合っている。

 (これなら連れて歩いても良いかな?)

 と思っているのは彼女にしては最高級の賛辞だろう。しかし口から出るのは別の言

 葉である。

 

 「ちょっと服の選び方のセンスが悪いんじゃない?」

 「じゃ、あなたが選んでみる?でも、あなたシンジ君がどんな服持ってるのかも知

  らないんでしょ」

 「くっ・・・・大体何であんたがシンジの持ってる服を知ってるのよ!」

 「伊達に10年間も一緒にいないわよ」

 

  この一言には太刀打ちできない。レイもアスカもシンジと澪の間にある10年間

 の重みを知っているからだ。その後、アスカは荒れだし、レイは黙り込んでしまっ

 た。そんな様子をミサトは暖かい笑みを浮かべ、ビールを片手に見守っていた。

 

 

 

 

  ある夜シンジがテレビを見ていると、後ろからクッションが飛んできた。

 

 「何すんだよ、アスカ」

 「何か文句ある!」

 「いや・・・別に・・・」

 

  情けないものがあるが、アスカの迫力に負けて何も言えなくなってしまった。シ

 ンジの目から見ても近頃のアスカはかなり機嫌が悪い。いちいち八つ当たりされた

 のではたまった物ではないと思い、シンジは何とかアスカの機嫌をとる方法を考え

 始めた。

  その時、どこか遠くで祭り囃子が聞こえだした。

 

 (そういや誰かが今日から夏祭りが始まるって言ってたな。アスカはこういうの好

  きかな?)

 「アスカ、お祭りでも行かない?」

 「お祭り?」

 「うん、向こうの神社でやるって言ってたろ。アスカって日本のお祭り見たこと無

  いんじゃないの?」

 「そういえば・・・・まだないわね」

 「じゃ、一緒に行こうよ」

 「・・・・・しょうがないなー、そんなに私と一緒に行きたいっていうのなら付き

  合ってあげてもいいわ。感謝なさい」

 

  その夜は天がアスカに味方したらしい。シンジに2本の電話がかかってきたのは

 二人が出かけた直後だった。

 

 

 「シンジー、次あれ買って、あの飴細工」

 (何で僕が・・・)

 

  なし崩しに全部シンジがおごる羽目となった。どうもアスカは誘った者がおごる

 のが当然だと思っているらしい。もっともアスカが誘ったときは、いつも割り勘な

 のだが。

 

 (けどまあ、アスカの機嫌も直ったみたいだしいいか。よっぽど夜店が気に入った

  んだな)

 

  アスカはすっかりご満喫であちこちの夜店をのぞき込んでいる。

 

 (けど・・・アベックばっかりだな。この暑いのにいちゃいちゃとよくやるよ)

 

  そんなことを考えてるとすぐにアスカからお呼びがかかる。

 

 「よし、今度は金魚すくいやろ!どっちが多くとれるか勝負よシンジ!」

 

 

 

 ・・・結局二人とも一匹もすくえずにおまけの金魚を一匹ずつもらった。

 

 「この金魚、臆病そうで何となく情けなーい。よし、こいつの名前はシンジで決ま

  りね」

 「この出目金、偉そうで元気が有り余ってるってかんじだな。アスカって名前にし

  ようかな」

 「ちょっと!なんで出目金が私なのよ!」

 「・・・・ぴったりじゃない」

 「ぬわんですってーー」

 

  シンジの反撃など、所詮ここまでの物である。結局平謝りに謝らせられるのだ。

 それでも何故かアスカは出目金の名前を「アスカ」にする事を了承した。「この二

 匹を飼うのに水槽が要るわね、今度買いに行こ。」等と結構楽しそうにしゃべりな

 がら。

 

 

 

 「あっ、あれほしいーーーー」

 

  この日何度目かのおねだりがはじまった。みれば、レーザー射的の満点の商品に

 ある大きなクマのぬいぐるみをアスカは指さしていた。

 

 「でもあれって、満点ださなきゃもらえないよ」

 「だったら満点だしゃいいでしょ。何のためにエヴァで射撃訓練やってるのよ」

 (少なくとも、レーザー射的でクマのぬいぐるみを取る為じゃないよな)

 「ほら早く!」

 「えっ僕がやるの?」

 「あったりまえでしょ」

 「でも・・・アスカが欲しいんだろ?」

 「あんたばかぁ?あんたが取って、私にくれるって事に意味が有るんでしょ」

 (???何の意味が有るっていうんだろ???)

 

  そうは思ったが口には出さなかった。アスカがいらだってきているのが目に見え

 てるし、こんな事でせっかく直った機嫌を損ねたくなかった。

 

 「はい、はい、分かりましたよ」

 

  そう言って、シンジは光線銃を受け取った。ちなみにレーザー射的とは的に向か

 い光線銃を打ち、光が的のどこにに当たったかを判断して点数を出すと言ったセカ

 ンドインパクト前から有るゲームである。

  シンジは自然体で銃を構えた。ゆっくりと狙いを定め、立て続けに5回引き金を

 引く。

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・

 

 「はーーい、5等、残念賞だね。そこの箱に入ってる物の中から好きなのを一つ持

  っていってね」

 「・・・・・・・・下手くそ」

 「・・・・・・・・ごめん。(結構難しいな)」

 

  溜息をつきながら賞品の箱をのぞき込むアスカを見て、シンジは思った。

 

 (これでまた、機嫌が悪くなったりしないかな。・・・あーーあ、しょうがない、

  残ったおこづかい、全部こいつにつぎ込んでみるか)

 

  商品を選び終わったアスカは何故か機嫌が良さそうだった。

 

 「あの、アスカ・・・もう一遍やってみるよ、今度はがんばるから・・・」

 「あっ、もういいわ、次、次行きましょ」

 

  晴れやかな顔をしてシンジの腕を引っ張るアスカを、シンジはいぶかしげに見た。

 

 (どうしたんだろ?ぬいぐるみもういいなんて。賞品選んだら、急に機嫌が良くな

  ったみたいだけど・・・・5等の賞品なんてろくな物がなかったはずだけどな?

  えっと、たしか・・・ヘアバンドに、定規に、サインペンに、おもちゃの指輪に、

  ビーズのブレスレッドだろ、後はミニカー、消しゴム、メモ帳、バッジ・・・・

  やっぱりアスカが気に入りそうな物なんて無かったけどな)

 

  その後もしばらく夜店を(シンジのこづかいが無くなるまで)探索した後、二人

 は家路についた。

 

 「ね・・・一つだけはっきりさせとくけど、さっきのレーザー射的での賞品、あれ

  ってシンジが取って、私にくれたのよね」

 「そうだけど・・・それがどうかしたの?」

 「別に・・・・何でもないわ」

 「そういや、あの時って何もらったの?」

 「うっ、うるさいわねー、何だって良いでしょシンジには関係ないんだから」

 

  こうなったら意地でもアスカは教えはしないだろう。シンジとしてもそれほど知

 りたかったわけでもなかったので、あっさり引き下がった。それよりもアスカの機

 嫌が直ったことが嬉しかった。懐は寒くなったが、心は温かくなっていた。

 

 

  その夜、アスカはベッドに横たわって自分の左手の薬指を嬉しそうに見ていた。

 そこにはレーザー射的の5等の賞品があった。ドイツ時代これの何百倍もの値段の

 物を送ってきた奴も居たが、アスカにとってはこれの方が何百万倍もの価値があっ

 た。

 

 「こんなものを私にくれたんだもの、これからはそれなりの覚悟はしてもらうわよ。

  ばかシンジ」

 

  リビングでは「アスカ」と「シンジ」が仲良くパンくずをつついていた。

 

 

(続く)

 

 



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