これはほんの少し昔の話。悲劇をまだ知らない頃の話。皆で笑いあえた日の話。

 

 

「過去よりの使者 8」

 

  その日は朝から綺麗に晴れ渡っていた。嵐の前の静けさのように。

 

  久しぶりにアスカは朝からご機嫌だ。おかげでシンジもいつものようにびくびく

しなくても済む。

 

 (朝一で澪のところいかなきゃな。またいろいろうるさいだろうし。綾波も何のよ

  うだったのかな?)

 

  昨夜シンジ達が出かけた直後に澪とレイから電話がかかってきたそうだが、帰っ

 た時はもう遅かったので、掛け直してなかった。

  教室のドアを開けると澪は既に待ちかまえていた。

 

 「おっはよー」

 

  珍しくアスカの方から挨拶をする。返事を返した後、澪がシンジに詰め寄った。

 

 「昨日電話したんだけどな」

 「ごめん、帰ったときはもう遅かったから・・・」

 「どこ行ってたの?」

 「ごめんねー、澪。シンジがさー、どうしても私と一緒にお祭り行きたいって言う

  から付き合ってやってたの。全部おごるとまで言うんだから」

 (誘ったことは誘ったけど・・・・)

 「ふーーん、じゃ、今日は私と行こ」

 「残念ね、昨日でシンジのお小遣い全部無くなってるわ」

 「シンジ君ならおごってあげるわよ。最近思わぬ収入源も確保したし」

 

  隅の方でケンスケが泣いていた。

 

 「女の方が男におごるなんて何考えてるの!」

 「案外前時代的なんだ。今は男女平等の世の中よ。どっちがおごったって良いじゃ

  ない」

 

  正論である。だが、正論だからといってアスカが納得するとは限らない。なおも

 アスカが言いつのろうとしたとき、教室に電子音が響いた。三人は一斉に携帯電話

 を取り上げる。

 

 「使徒と思われる物体が確認されたわ。急いできて頂戴」

 「了解!」

 

  「がんばれよー」等というクラスのみんなの無責任な声に送られて駆け出そうと

 したとき、澪がシンジを呼び止めた。

 

 「何?」

 「気を付けてねシンジ君、怪我だけはしないようにして。ちゃんと無事に戻ってき

  てよ」

 「うん、ありがとう、澪。大丈夫だよ」

 「・・・・先、行ってるから」

 「ぼやぼやしてないでさっさと来なさい!」

 「ちょっと待ってよー」

 

  去っていくシンジ達を心配そうに見送る澪に、残った者が気楽そうな声を掛けた。

 

 「心配ないって、いつものことなんだから」

 「そうそう、3人そろってからは結構楽勝らしいわよ」

 「できりゃ駅前の商店街までに食い止めて欲しいよな」

 「あなたたち・・・いったい何考えてるの?いつものこと?楽勝?あの3人が遊び

  に行くとでも思ってるの?一回一回が命がけなの分かってるの?シンジ君達は別

  にエヴァに乗らなくちゃならない義務も責任もないのよ。他の誰もできないから、

  やるしかないからやってるんじゃないの!」

 

  澪の迫力に皆たじろいだ。澪は本気で腹を立てていた。彼らは何のために命を賭

 けているのだろうか。

 

 

 

 

 「これが今回の敵よ」

 「これ・・・使徒ですか!?」

 

  モニターに写っているのは大きな岩の固まりだった。

 

 「多分ね、空中に浮かびながらATフィールドを張れる岩がない限り」

 「状況を説明します。現在目標は第三新東京市の南南西の方向からこちらに向かっ

  ています。国連軍による攻撃は着弾したにも関わらず効果無し。おそらく体のご

  く近い部分に瞬間的なATフィールドを張っているものと思われます。現在まで

  の被害はなし」

 「無しーーー?」

 「ええ、いくらこちらが攻撃してもただ移動してるだけなの。手の内を隠している

  のかそれとも・・・・」

 「それって・・・単に弱いだけ何じゃないの?」

 「かもしれないわ。ATフィールドもさして強力でもなさそうだし。でも油断は禁

  物よ。では以降これを第」

 「待ちたまえ、この物体は使徒ではない」

 

  いつのまにかゲンドウが冬月、佐伯教授と共に部屋に入ってきていた。

 

 「・・・しかし、現にATフィールドが!」

 「こいつは新たな使徒ではなく元使徒、実験体だと言っているのですよ。」

 

  佐伯教授がゲンドウに替わって答えたのが彼女には気にくわないらしい。自然と

 言葉も荒くなっている。

 

 「つまり、今回の戦闘はあなたの犯されたミスの後始末という事ですね」

 

  しかし、悪意のこもったリツコの言葉も彼の表情は崩せなかった。

 

 「これは手厳しい。ミスはお互い様でしょう。私の研究内容は伝えてあったはずで

  す。にもかかわらず、それが成功した場合の対策を何も講じていなかったのは、

  あなた方でしょ?実験体の鎮圧は最初から私の仕事外ですよ」

 

  険悪になった空気を察したミサトが間に入った。

 

 「えーーーその、よろしかったら事情を聞かせてもらえませんか?作戦の参考にな

  るかもしれませんし」

 「よかろう」

 

  ゲンドウは佐伯教授に目で促した。

 

 「私からより赤木博士からの方がよろしいのでは?冷静で客観的な事実のみを話し

  ていただけると思いますが」

 「私から説明します!」

 

  リツコは佐伯教授の研究内容、その結果起きた事故のことなどを総て語った。

 

 「つまり、あれは使徒の細胞を元に生み出された人工使徒と言ったところ?」

 「そういうことね」

 「それって従来の使徒と何が違うの?」

 「さあ?奴が逃げ出した時はコアのみの状態でしたからね。体は再生したのかどこ

  かから引っ張って来たのか分かりませんが。今、ATフィールドが弱いのはその

  せいかもしれません。後は基本パターンを人間として与えた分知能は高いかもし

  れませんね。戦略戦術面で何らかの工夫があるかもしれません」

 

  突然話に割り込まれるのは好きではないが、佐伯教授の言葉はミサトの知りたい

 ことを述べてくれたので、礼だけは言っておいた。

 

 「それではこの実験体の処置はまかせる。」

 

  そう言って去っていくゲンドウと冬月の耳につぶやきが聞こえた。

 

 「くだらないこだわりだな。あれが使徒か実験体かと言うことに何か意味でもある

  のかな?」

 

  冬月は思わず振り向いたが、ゲンドウはまるでそのつぶやきが聞こえなかったか

 のように部屋を出た。

 

 

 

 「零号機は右側面から、弐号機は正面から射撃を行って奴の注意を逸らして。その

  間に初号機が背後より忍び寄って、ATフィールドを中和。出来ればコアを叩き

  潰すのよ」

 

  正直かなりアバウトな作戦だが、敵の能力がほとんど分かっていない今は、この

 ぐらいの策しか立てられない。

  実験体が近づいてくる。浮いてることとコアらしき変色した岩が一部にあること

 以外はどう見てもただの岩の固まりである。3体のエヴァが配置についた。実験体

 が射程距離に達した瞬間、2本の火線が岩肌を焼いた。だが、さほどダメージがあ

 るように見えない。

 

 「やっぱり、ATフィールドがあるみたいね」

 

  その間に初号機が間を詰める。初号機が火線上に来たとき、銃撃が止む。同時に

 回り込んだ初号機がATフィールドを中和しつつ、ソニック・グレイブをコアにた

 たき込んだ。一撃でコアは粉砕され、大量の返り血が初号機を赤く染めた。

 

 「・・・・反応無し、ATフィールドも観測されず。目標、完全に沈黙しました」

 「えーーー何これ?もう終わりーー?」

 

  皆多かれ少なかれアスカと同じ感想を抱いた。

 

 「いいじゃないか。簡単に済めばそれにこしたこと無いだろ」

 「そりゃ、あんたはとどめさせたから良いでしょうけど、私の見せ場はどうなるの

  よ」

 

 「戦略戦術面に優れてるのではなかったのですか?」

 「おや、その方が良かったのですか?」

 

  悪意のない言い争いと悪意に満ちた会話の中、エヴァは撤収に入った。

  その時である、初号機の後ろに位置していたレイが違和感を感じたのは。

 

 (何か・・・変・・・・)

 

  食い入るように血に染まった初号機を見つめるレイ。だがそれが何か分からなか

 った。やがてリフトに乗り込むために初号機が体を横に向けた。その顔はいつもと

 変わらない。

 

 (そう・・・初号機は正面から返り血を浴びたはず。なのに・・・顔が血に染まら

  ず、背中が染まっている?)

 

 「待って、碇君!その血、何か変」

 「えっ!?」

 

  その瞬間初号機を染めていた血が一斉に首の後ろに集まりだした。

 

 「なっ、なんだ?」

 

  うろたえるシンジをよそに集まった血は装甲の隙間からエヴァの内部へとしみこ

 んでいった。

 

 「パターン青!使徒です!位置は・・・初号機内部」

 「なっ・・・」

 

  司令部に動揺が走った。初号機は動きを止めている。呼びかけにも応じない。

 

 「なるほど、そういう手で来たか」

 

  楽しそうな佐伯教授の声に皆の視線が集まる。彼はその視線に答えるかのように

  講義を始めるような口調で語を継いだ。

 

 「おかしいとは思っていたんですよ、奴の復活が不完全なら何故わざわざ姿を現し

  たのか。研究所を脱出した後しばらく身を潜めていたことと明らかに矛盾してい

  ます。奴は、時間のかかる再生よりもエヴァの体を乗っ取ることを選んだんです

  な。エヴァと使徒は基本的には同じものでしょ。一度エヴァに敗れている奴なら

  当然そのことを知っているはずですしね」

 「そんな・・・コアは初号機が破壊したはず」

 「ダミーだったのでしょうね。しかもパターンの制御までできるとは、いや素晴ら

  しい。どうですか、お望みの戦略と戦術に長けた敵の感想は」

 

  彼の皮肉に付き合っている暇はなかった。

 

 「エントリープラグ強制射出!急いで」

 「ダメです。こちらからの信号は総て受け付けません!・・・・ただ・・・」

 「どうしたの!」

 「はい、向こうからの信号は入ってくるのですが、その数値が総て正常値を示して

  いるのです。ハーモニクス、シンクロレベル正常。シンクロ率85.0%」

 「どういうこと?」

 「分かりません・・・少なくとも初号機がまだ使徒と同化していないと言うことぐ

  らいしか・・・」

 「さてと、どうされます?碇指令。」

 

  佐伯教授の質問に皆が息をのんだ。誰一人物音も立てず碇指令の言葉を待つ。

 

 「今の我々の状態で初号機を失うわけにはいかん」

 

  一人を除いて安堵の溜息が流れた。彼ならば別の命令を下してもおかしくないと

 誰もが思っていたのだ。

 

 (所詮・・この男もこの程度の者か)

 

  だがそれは早計だった。

 

 「エントリープラグのみを破壊しろ。」

 

  その場の空気が一瞬にして凍り付いた。

 

 「いっ、今何と!?」

 「数値に異常がない以上奴の居場所はエントリープラグだ。違いますか佐伯教授?」

 「そうだと思います。奴が今でもコアだけの状態ならば、初号機の制御機能、エン

  トリープラグと同化するでしょうね。現システムをそのまま使った方が早いでし

  ょうし」

 「初号機の胸部装甲は厚い。闇雲に攻撃しても初号機の被害が増えるだけだ。零号

  機と弐号機に初号機の後背より、エントリープラグのみを狙わたまえ」

 「・・・・・それは・・・こう解釈してよろしいのでしょうか。初号機の被害を最

  小限に抑えるために・・・初号機パイロットを、シンジ君を殺せと!」

 「命令だ」

 

  沈黙する司令部、声もなくわななくミサト。ミサトが切れる寸前リツコが抑えた。

 

 「冷静になりなさい。任務に私情を持ち込まないでね」

 

  ミサトはリツコを睨み付けたが、彼女は冷静にことばを続ける。

 

 「あなたにこれより良い案があるの?このままでは人の知能とエヴァの体、まさに

  最強の使徒が出来ることになるわ。それを止める手だてが他にある?」

 「せめて・・・初号機の動きを止めてからエントリープラグを抜き取るとか」

 「同じよ。奴がエントリープラグにいる以上どちらにしても破壊することになるわ。

  だったら初号機の被害が少ない方を選ぶのが当然じゃない?第一今現在シンジ君

  が無事だとは限らないわ」

 「あの子達に・・・それをやれって命令するの?シンジ君を殺せって」

 「それがあなたの仕事でしょ」

 

  沈黙が流れた。ミサトはうつむいたままだ。

 

 「時間がないわ。あなたが出来ないのなら私が命令します」

 「・・・・待って・・・・私が・・・やるわ」

 

  震える手にマイクを握りしめたミサトの声が司令部に響く。

 

 「聞こえる、アスカ、レイ。命令を・・伝えます。初号機後背より、同時に・・・」

 「聞こえてたわ。・・・全部」

 「・・・・・・・」

 「・・・命令よ」

 

  もう言葉は要らなかった。お互いにどんな気持ちで居るかは良く分かっている。

 それでも命令を下さなくてはならなかった。実行しなくてはならなかった。人類の

 ためと言う大義名分の下に家族を、大切な人を殺さなくてはならなかった。

  ゆっくりと2体のエヴァが初号機の後ろに回り込む。だが銃口を向けることがな

 かなか出来ない。

 

 「早くしろ、エヴァに乗り戦うことがお前達の存在理由ではなかったのか?」

 

  2体のエヴァは、碇指令の言葉に肩を震わせながらようやく銃身をゆっくりと上

 げ始めた。その時初号機に異変が起きた。雄叫びを上げたかと思うと、弐号機の方

 に向けて突進を始めたのだ。

 

 「ひっ!!」

 

  恐怖のあまり、思わずトリガーにかかっていたアスカの指に力が入ってしまった。

 

 「しまった!」

 

  だが、初号機は猛スピードでつっこんでいたにも関わらず、横に飛びあっさりと

 銃撃をかわした。弐号機の間近に迫った初号機は、一撃目でライフルをはねとばし、

 二撃目で弐号機を地に這わせた。弐号機が起きるよりも早く馬乗りとなった初号機

 は手刀を胸めがけて差し込もうとした。今の初号機のパワーからして、エントリー

 プラグまでえぐられるのは確実かと思われた。

 

 (やられる!)

 

  思わず目を閉じたアスカだったが、手刀は胸部装甲の寸前で止まっていた。

 

 「なんで?」

 「レイ!援護!」

 

  ミサトの声に反射的にパレットガンを向けた零号機であったが、その時既に初号

 機は宙に舞っていた。空中からの蹴りはパレットガンで受けたが、抑えきれず粉砕

 された。その勢いで零号機も倒れ込んだが、今度も初号機の攻撃は無かった。初号

 機は苦しそうに一声鳴くと、2体のエヴァとの距離を取り、動きを止めた。

 

 「まさか・・・シンジ!」

 「碇君!?」

 

 「葛城三佐!これを見て下さい。さっきの一連の動きにおける初号機のデータです

  が、弐号機と零号機への攻撃を止めた瞬間だけシンクロ率が88%になっている

  んです。他の時は85.0%のままなんですが。」

 

  マコトの報告にリツコが反応した。

 

 「ちょっと待って。今、85.0%を持続し続けてるって言った?」

 「はい。・・・・・あっ!」

 「そう・・・・おかしいのよ。シンクロ率は体調や気分、集中力なんかで絶えず変

  化してるはずよ。それが攻撃の瞬間以外変化しなかった?」

 「どう言うこと?リツコ。」

 「・・・・・・あくまで仮説だけど、こう言うことは考えられるわ。奴は初号機の

  コアになろうとして居るんじゃなく、パイロットになろうとしているのだってこ

  と。シンクロ率85.0%のね。相手が人間じゃないのなら、シンクロ率が安定

  する事もあり得るわ。」

 「それじゃ、88%っていうのは?」

 「シンジ君・・・・としか考えられないわ。同時に二人のパイロットが違う動きを

  しようとした場合どうなるのか分からないけど、おそらくシンクロ率が高い方の

  命令が優先されるんじゃないかしら。使徒のシンクロ率は常に85.0%。シン

  ジ君のシンクロ率がこれ以上ならば制御権はシンジ君に、これ以下ならば奴に移

  るってところかしら。」

 「でも・・・・シンジ君のシンクロ率が85%を越える事なんて良くあるじゃない。

  第一今も制御権が奴にあるのなら何で動こうとしないのよ」

 「ミサト、私達が普段訓練でデータを取っているのは最大値よ。それじゃ、一瞬だ

  け制御権を取り戻せるにすぎない。常に85%以上のシンクロ率を保っていなけ

  れば制御できないわ。高いシンクロ率を長時間維持させるのが、どれだけ大変か

  はあなたも分かってるでしょ。精神力や集中力をかなり消耗してしまうわ。奴が

  動かないのは・・・そうね、よっぽどシンクロ率に差がない限り、動きを掣肘す

  ることぐらいは出来るっていうのはどう?身の危険を感じたときは別として」

 「全部仮説なのね・・・」

 「仕方ないわ。こんなケース初めてですもの」

 「・・・・でも、悪くない仮説だわ。少なくとも初号機が好き勝手暴れ出さない限

  り、シンジ君は無事だって事ね」

 

  嬉しそうにアスカとレイにこのことを伝えるミサトを見て、リツコは胸の中でつ

 ぶやいた。

 

 (でもね、ミサト。事態が好転したわけではないのよ。)

 

 

(続く)

 

 



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