皇帝ペンギンという名前のペンギンが居る。何でそんな大層な名前が付いているのかは知らないがそういう名前のペンギンが居る。南極に。

彼らは冬の間、集団でおしくら饅頭をする。もちろん別に楽しくてしている訳ではなくて冬に吹く冷たい風から身を守るためだ。しかし、集まっていても風上のペンギンたちには直に冷たい風が当たる。不公平な気がするがそこはちゃんとうまいことやっている様で、風上の奴らは集団の外側を回り風下へ移動する。そうすると次のペンギンに風が当たるのでそいつらも風下へ移動していく。そして次の奴らに風が当たる。風下へ移動する。その様にしながら集団は徐々に風下へ移動していく。その姿はひどく滑稽で思わず笑ってしまう。生きる為だとはいえ集団でぐるぐる。うわっもう風上かよ!とか言いながらぐるぐる。しかもそんなことが生死に関わってくるのだっていうのだから笑わずにいられない。

 

な、可笑しいだろう。そんな話をあかりにしてみたら彼女はこう言った。

 

「それって私たちに似てるよね」

 

 

 

『counter:5』

 

 

 

「すごくきれいね。」

 

夜の公園でぶらぶらと時間を潰していると偶然あかりにあった。彼女は買い物の帰りらしくコンビニの袋を右手でもって、あいた左手で手を振っていた。

あかりを手招きすると寄ってきて隣に座り、少しだけ話した後彼女がそう言った。

 

「なにが?」

「星が、すごくきれいね」

 

辺りを見回すと夜中だけあって真っ暗で人通りはほとんどない。もう一つのベンチは腐りかけていて、ブランコは鎖の部分がさびている。ジャングルジムは塗装が剥げかかっていて、滑り台は滑ると大怪我をしそうな壊れ方をしていて、夜の植物はどちらかというと不気味だった。

 

「ああ、少しきれいかも知れない」

「そんなこと無いよ。とてもきれい。どうしようもないくらい」

 

どうしようもないくらい。彼女はそう言ってまるで十字架に張り付けにされているキリスト像を崇める敬虔なクリスチャンの様な目をして星をもう一度眺めた。

俺も真似をしてみようと思ったけど、出来ないからやめた。普通に夜空を眺める。

普通に眺める夜空というものはどこかおかしな感じがしてその事を彼女に聞いてみたらおかしいのは貴方の方よと言われた。なるほど、確かにおかしいのは俺の方かも知れない。あまり夜空を普通に眺めた経験が無いので仕方がない。

 

その後、彼女は昨日観に行った映画の話を実に熱心な口調で事細かく慎重に話した。内容は酷く平凡で、風俗の仕事をしている女性が所帯持ちの男に入れ込んでそのあげくに二人で心中するといった内容だった。

「わたし、最後のシーンで泣いちゃった」

話をしながら思い出したのだろう。彼女の目に見る見る涙がたまっていく。俺は適当な相づちを打ち、適当な返事をし、頃合いの良いところで帰ろうと誘った。

彼女は渋々ベンチから腰を上げるとコンビニの袋を地面から持ち上げた。冷えたペットボトルが入っていたコンビニの袋は下の方に砂が付いて汚れている。

何を買ったのかを彼女に尋ねると悪戯を見つかった子供のような顔をして「お夜食」と言った。

「だって来週から期末試験が始まるでしょう」

「ああ」

「貴方は勉強しないの」

勉強をする気はなかったけど彼女にそんな事を言ったら勉強させられるに決まっていたのでしていると答えた。

「そうなの」彼女はとても不満そうだったので、やっぱりしていないと言った。

言ったら言ったで今度は怒り出し、「それだから貴方は補習の常連なのね」と彼女は言った。

 

自宅のある住宅街は大方の住宅街そうであるように夜があまり夜らしくない。家々のカーテンから漏れ出る光はその家庭事情の欠片を映し出し、副産物として道を明るく照らす。もちろん昼間の様にとは行かないけれど少なくとも5本先の電柱に掛かっている存在意義のよく分からない一時停止は読みとれる程度に明るい。

「ねえ」

遠くでサイレンが鳴って、それに対抗意識を燃やした飼い犬が吠えた。

「今日ね、私の家には誰もいないの」

「どっか出掛けたのか」

そう訪ねると彼女は少しだけ怒った振りをした。彼女が怒った振りをする時はちゃんとこちらの目を見ながら起こった振りをする。本当に怒ったときは目なんてあわせない。怒った顔すらしない。

「温泉旅行。TVに出したハガキが当たったんだって。実の娘が試験だって言うのに全く気にしていない様子だったわ」

「そうか」

「そうなの」

しばらく俺たちは無言で歩いた。何でだろう、何も話す事が無かったのかもしれない。

顔を右に向けるとブロック塀の穴にプラスティックバットが刺さっている。赤いプラスティックバットだった。

「告白されたの」

「え?あ、わりぃ。聞いてなかった」

彼女の方に視線を向けると彼女は真っ直ぐ俺の目を見ながら言った。

「まさしちゃんに告白されたの」

よく見ると反対側にもプラスティックバットが刺さっていた。こんどは黄色のプラスティックバットだ。

「告白?」

「うん、どうしたらいいかな」

告白。

俺はもう一度つぶやいて、そのあとは黙った。

そのうち彼女は俺の方に顔を向け本当に困った様な目で訴えかけてきた。

「私、まさしちゃんの事そんな風に見たことないし・・・」

「し?」

「・・・好きな人がいるの」

顔を右に向けると赤いプラスティックバット。左に向けるとあかりと黄色いプラスティックバット。前を向くと一時停止がみえる。それらは12等分にしたチーズケーキとトッピングされた緑色の葉(ずいぶん昔に名前を聞いたが忘れてしまった)のバランスを連想させた。皿に乗ったチーズケーキはさぞかし珍妙なものになるだろう。

 

「そう」

 

そう言って少しだけ静かに道を歩いていると家に着いた。

俺が玄関をくぐると背後から彼女の声が聞こえた。

 

「じゃあ、さようなら」

 

「おやすみ」

 

 

 

 

俺は急いでいた、何でか知らないけれどとても大事な用がある。そしてとても急がなくてはならない。急ぎの用にも色々あって、「早くしないと遅刻してしまう」や「早くしないと破産してしまう」などがあるのだろうけれど今回の急ぎの用はそのどちらよりも重要な急ぎの用だった。

俺はなるべく早くそこに行かなくてはなくて、間にあわなくてはとても後悔することが分かっている。なぜ後悔するのか。その後悔はどういった種類の後悔なのか。そんなことは分からないのだけれど、酷く後悔するであろうということだけは分かっていた。

それでタクシーに乗ることにした。お金はそれほど多くは持っていなかったけど目的の場所までならぎりぎり足りると分かった。

目の前に黄色のタクシーが止まった。後部座席のドアが開いたので俺はすぐさまそこに駆け込む。俺が後部座席にもたれかかるとタクシーの運転手が行き先を聞いてきた。

「どちらまで」

 

ペンギンだった。運転手が通常座っているはずの場所にペンギンが居た。ペンギンはタクシー運転手の制服を着てタクシー運転手の帽子をかぶっていた。

「運転手さん?」

「そうですよ。」

彼は真っ黒な目で俺を見つめながらそう言った。

「タクシーの?」

「そうです。弁護士や魚屋に見えますか?」確かに運転座席に座ったペンギンはそのどちらにも見えなかった。でもどちらかと言ったら弁護士よりかは魚屋のほうがしっくりくる気がする。でも、とりあえず俺は首を横に振った。

「でしょう。何に見えますか」

「ペンギン」

「ペンギンの?」

タクシー運転手の帽子が目に入った。

「タクシー運転手」

「そう、ペンギンのタクシー運転手に見えますね」

今度は縦にうなずいた。

「問題ないですね」

「問題ないよ」

本当はとても混乱しているのだけれど、そんなことはどうでも良かった。本当に急いでいるのだ。俺が行き先を告げるとペンギンの運転手はとても手際よく車を走らせ始めた。あまりに手際がよかったので少しだけ驚いた。人間のタクシー運転手だってこれだけ手際良く行くのは稀だ。

タクシーが走り始めるとそれに従って景色が後ろの方へ流されていく。俺はそれをぼけーっと眺める。何て言うか…一人で乗るタクシー乗るということは大体において退屈な物だ。タクシーの運転手はしきりに話しかけてなんてこないし、話しかけて来てもこちらが素っ気ない態度をとると相手も黙ってしまって気まずくなる。こちらから話しかければ乗って来るのかも知れないけれど今はそんな気分ではない。大体ペンギン相手にどんなことを話して良いのかなんて分かるわけがない。そのまま代わり映えしない窓の外を眺めていることにする。

今日は天気がいいので団地のベランダにはまるで何かの展示会の様に実に様々な布団が干してあった。真っ白な布団はもちろん、赤や青、紫色の布団まであり、こっている物になると虎やロボットなんて物もある。そのうちピカソ柄なんて出てくるんじゃ無いだろうか。俺はピカソ柄の布団を見逃さぬよう注意深く布団を眺めていたのだけれど、さすがにピカソ柄の布団は無かった。そりゃそうだ、あんな訳の分からないものを寝る直前に見たくなる人なんて居ない。少なくとも俺の周りにはいない。

ピカソ柄を諦めると普通に景色をながめる。今日は日曜日らしくて歩道はペンギンでごった返していた。

思わず運転手に聞こうとしたが少し考えてやめることにした。こっちは運転手がペンギンなのだ。歩道がペンギンでごった返していてもそれほど不思議じゃない。少なくともペンギンのタクシー運転手ほどじゃあない。

しかし歩道のペンギンたちの奇妙な動きが気になってしまい、やはり聞いてみることにした。

 

「ねえ、運転手さん」

「なんですか」

「なぜ彼らは集団でくるくる回りながら歩いているんだい」

「寒いからに決まっているじゃあないですか」

「寒いの?」

「だって冷たい風がびゅうびゅう吹いていたでしょう」

「そう?」

「そうですよ。ああしていないと死んでしまいますからね」

「そんなに寒い?」

「寒いですよ」

木を見てみたけれどお世辞にも「びゅうびゅう」とは見えなかった。いいとこ「そよそよ」

「寒いんだね」

「寒いんですよ」

彼がそう言うのだからきっとそうなのだろう。俺がそう思い始めると窓の外は極寒のツンドラの様な気がしてくる。でもやっぱり木はそれほど揺れてはないないし、雪だって降っていない。雲なんか所々にしかないし、もちろん太陽だってある。

「そんなに寒いのだったら、おとなしく家でテレビでも見てればいいのに」

歩道でぐるぐる回るよりはよっぽどマシだ。

「何言ってるんですか。家の中だって冷たい風が吹いているでしょう?」

信号が赤なのでタクシーが止まった。他の車だって止まるし、反対側だって止まっている。まったく、こんな当然のことが俺をひどく安心させる。

「壁に穴でも空いているのかい?」

「空いてませんよ」

「でも風が吹くんだね」

「吹きますよ。どこでだって吹いているじゃないですか。風が吹かない場所なんてないでしょう?」

「コタツも?」

「コタツも」

「サウナも?」

「そうですよ」

信号が青に変わって車が走り出した。

「でもここは風が吹いていないね」

「タクシーですからね」

彼は言葉の一番端っこに自信をちらつかせる様な言い方でこう言った。

「タクシーの中で風が吹いていたらタクシーの意味がないでしょう」

 

胸のポケットからタバコの箱を取り出すとそのまま親指で蓋を開け左手でライターを取り出し右手でタバコを1本取り出した。ターボライターだったので一回もミスをすることなく(しようとしてもなかなか出来る物では無いのだけれど)火を着けることができ、タバコの先端を火の先端にキスをさせるように近付けてタバコを吸った。

 

つまりこういう事なのだろうか。冷たい風はそこら中に吹いている。家の中だろうとコタツの中だろうとサウナだろうと吹いている。しかし、タクシーの中だけは吹いていなくて彼はその事をとても誇りに思っている。

 

せかせかと一口目のタバコの煙を吐き出したあと、ゆっくりとタバコを吸い込んだ。久しぶりに吸うタバコの煙は喉の水分を奪いながら肺の中に入り込んで、出て行くときも喉の水分を奪っていく。そして、そのついでに俺の頭を少しだけ整理していってくれる。

窓の外を見るとすごい数のペンギンがごった返していてさっきよりも増えているような感じがする。彼らは短い足でよちよちと集団の中を危なっかしそうに歩く。あんなに足が短くてはいろいろと大変だろう。階段を上るのだって一苦労だしサッカーなんかまともに出来やしない。車だって乗れないし…

 

「ねえ、運転手さん」

「なんですか」

「ブレーキとか、大丈夫」

「大丈夫、とは?」

彼はとても不思議そうに俺を見た。きっと俺もそんな表情をしている。

「アクセルとかクラッチとか」

「クラッチとか?」

「届くのかい」

「届きますよ」

「ペンギンだよね」

「ペンギンですよ」

窓の外を見る。相変わらずくるくる回る独特な集団移動。よく見ると移動しながらくちばしをパクパクやっている。何か話をしているのかも知れない。

「届くんだね」

「届きますとも」

 

 

そして、俺は2本目のタバコに火をつけた。

 

 

(つづく)

 



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