『不死鳥の系譜』−フェニックス・ライン−
第三章  休息

 俺とシンジとセイジさん...そして親父の四人は第二東京のレストランに場所を 移して歓談していた。しばらくは取り留めの無い話をしていたが、俺は徐々に自分の 目的とする話題へと移していった。

 
「セイジさんがリョウジさんの弟はんやったなんて...せやったらわいにも話して くれりゃええのに」

 「いやあ、ごめんごめん。なにせシンジ君があんまり話したがらないのでね、余り無 理強いをしてレースに差し支えちゃこちらが困るからさ」

 「シンジもシンジやで。なんでだまっとったんや」

 
 俺の言葉にシンジはただ俯いただけだった。なお詰め寄ろうとする俺をセイジさん が制した。

 
「まあまあ。シンジ君も話したくない事だってあるさ。リョウジ兄さんは...まあ 、色々やっていたからね。トウジ君の知らない事だって...やっていただろうし. ..あの人は本当に冒険家だったから。兄さんは、自分が危険な目に遭っているから いいというけど、それを心配する方の身にもなって欲しかった。...結局、兄さん は帰ってこなかった。兄さんが愛した女性...葛城ミサトさんっていったかな?. ..彼女も帰ってこなかった。結局僕だけが取り残されたのかもしれないな」

 
「...そんな事無いですよ」

 
気が付くとシンジがセイジさんの方を見つめていた。170センチを越える身長に 対して40キロ台に抑えられた体重の為にシンジの身体はまるでサーベルのように鋭 利な感覚を覚える。

 
「加持さんがいなければ、僕だって此処にはいられなかったし、この世の中の人々総 て、今を謳歌できなかったんです。加持さんもミサトさんも...僕達の未来を守る 為に...」

 「だがな、シンジ君。そう言われても...」

 「そうなんです。頭で解っていても、納得がいかないんですよ。なんで...なんで こんな僕なんかが生き残って...加持さんやミサトさんや...綾波や...アス カが...」

 「そんなこと言うもんやないやろ!センセがそないな事言っとったらミサトさんや惣 流や綾波が悲しむやないけ!生き残ったん奴ぁ、それなりの事をせないかんのとちゃ うか?」

 
 俺はシンジの眼を睨み付けた。

  そうしながら、思った事がある。

 
『センセ、随分表情が表に出るようになったなあ』

 
 シンジの眼の光は、俺の家に訪れた時とまるっきり違っていた。弱々しげで頼りな いものに映った。いままであらゆる物を抱え込もうとしていたシンジからは想像も出 来ないほどの「変身」に思える。

 
「まあ、ええやないか。そないな辛気臭い話は止めにしよや。ええ...加持センセ やったかいな?こんたびはようやってくれましたわ。センセにしてもワシにしてもえ え結果で満足しとります」

 
 親父は重苦しい雰囲気を嫌って話題の転換を試みたようだが、所詮は親父だ。どう してもカネの話になってしまう。それでもセイジさんは親父の意図を酌んでくれたら しい。

 
「そうですね。しかしいくら競走馬に能力があっても騎乗している人間に才能が無け れば、走ってはくれません。アスカを見出したのもシンジ君ですし、彼は将来きっと 名伯楽と呼ばれるようになります。彼は騎乗技術にしても、馬の鑑定眼にしても一級 品ですからね」

 「...そうなんでっか?」

 「ええ...この世界は大変に厳しい。1着になるのと2着になるのとでは雲泥の差 が生じる。そして後世に名を残せるのは最初にゴール板を駆け抜けた馬だけなんです 。それが10馬身も離れていようが、ハナ差、1センチであろうが。この世界では1 番である事が常に要求されるのですよ」

 
 センジさんの話を聞いていて...思い出した事がある。

  高飛車で小生意気で口癖が「私が一番なのよ!」と言っていた14歳の少女を。

 セイジさんはなおも続けた。

 
「この世界で名を馳せるという事は、尋常なものではありません。サラブレッドの才 能も必要でしょうし、調教も考えてやらねばならない、体調維持にも気を配るし、そ の馬の適正を見極めなければ意味が無い。なにせ、この世界は世代交代が激しいです から、それ以上に伸びが見られなくなったらここを去らなくてはいけないのです。. ..恵まれた生涯を過ごすサラブレッドなんて年に1万頭近く生まれる中の2、3頭 にしか過ぎないんです。...いいえ、『恵まれた』と思っているのは人間だけで、 本当はイヤなのかもしれませんね」

 
「はあ、ワシにはやっぱりわからしませんなぁ。とにかくワシにしてみればあれが走 ってくれさえすればそれでええんや。センセ、これからも頼んまっせ」

 
 親父は身を乗り出してセンジさんと握手した。

 
「せやなぁ、次はファンタジーステークスっていうのがええのとちゃいますか?」

「重賞ですか?それも良いでしょうが一叩きした方が良いと思いますよ」

 「じゃあどれにします?おお、これやこれ!!これにしましょ。デイリー杯3才ステ ークス」

 「しかし、除外される可能性がありますよ」

 「ううむ、ならしゃあないわ。これにしましょ、アイビーステークス」

 「...まあ、これなら大丈夫でしょう」

 「期待してまっせ」

 「騎手はこのままシンジ君を主戦にしたいと思います」

 「...ええですわ」

 
 セイジさんの確認に対して、何故親父が一瞬返答を躊躇ったのか?

  その時の俺には解らなかった。

 
 
 

「センセ、一緒に帰らんか?」

 「うん?トウジがいいんだったら良いよ」

 
 親父はとっとと帰っていった。セイジさんは栗東の方へと戻っていった。

  残された俺はシンジを乗せて第二東京の方へ車を走らせた。

  空が徐々に暗闇に呑まれつつある頃、俺の運転する車は高速道路を駆け抜ける。

 過ぎ去るライトが俺とシンジを浮かび上がらせては消し去る。

  沈黙を破ったのは当然ながら、俺だった。

 
「センセ、まだ忘れられへんのか?」

 
 なにを?とはさすがに聞いては来ない。俺自身も何かに区切る気はおきなかった。 あの時の、総ての事を、この俺すら忘れられない事を、言ったつもりだった。

  シンジは黙っていた。何度も何度もシンジの顔がライトに照らされる。

  そして、不意にその顔が変わった。...穏やかで、それでいて悲しげな顔。
 

「僕は、どうしてここに居るんだろうって、いまでも考える事がある。あれだけ逃げ 続けて、総てに絶望した僕がここに居るのかって。...その問いに僕はまだ答えを 出せないでいる。これに答えを出せない限り、僕にとって『あの事』は僕の総てを支 配し続ける。...もしかしたら...」

 
 それにけじめが付いたとしてもきっと忘れられない夏になるだろう。それは俺にと ってもシンジにとってもそれは「忘れられない夏」になる。

 
「せやかて、いつまで経ってもそれに縛られたかてしゃあないやろ。センセはこれか らどないすんねん?」

 「どうするんだろう、自分でも解らないよ。セイジさんの元に身を寄せてから僕は自 分が生きる為にこの世界に入った。僕にとって今までは生きる事だけで精いっぱいだ ったんだ。でも、僕にもようやく光らしいものが見えてきたんだ」

 「それは...アスカラングレーの事か」

 
 シンジは黙って頷いた。

 
「確かにあれはセンセの『光』になれるかも知れへん。せやかて一生いられるわけや ないやろ、別れる時はどないすんねん?」

 「...その時は、その時だよ。今の僕にとってはアスカさえいれば、それでいいん だ」

 「歪んでるな」

 
 つい、口から漏れ出した言葉に俺は動転してしまった。しかし、シンジは全く落ち 着いた口調で俺を窘めた。

 
「そう、僕は歪んでるんだよ。自分を歪めて、それで生きていられる、弱い人間なん だ」

 「そんなことあるか!人間なんてみな弱いんや!...せや、みんな弱いんや」

「ヒトはね、別のヒトがいないと、壊れてしまうんだよ。支えてくれるヒトが居なか ったら、ヒトの意識を求めるんだ。トウジには...委員長がいるようにね」

 「な、な、な、なに言うとんねん!俺とヒカリはそういう付き合いやないで!勘違い すな!!」

 

 照れている俺には、その時のシンジの表情を冷静に見る事が出来なかった。

 

<つづく>


 
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