僕は夢を見ていた。
いつも見る夢、これからも見るであろう夢…
平安の都。
遠くから聞こえる笛と太鼓の音、篝火に揺れる大社。
音色に合わせて舞う美貌の異形。
そして僕の手を握っている姉。
炎を映す紅蓮の髪と気性、里でも優秀な術者で怒らせれば恐かったが僕には優しぃ自慢の姉。
姉に手を引かれた僕は異形の舞に魅せられていた。
月に映える沙雪のような肌と夕日と同色の美しぃ瞳。
肌の透ける薄絹で出来た羽衣が、流れいずる汗の所為で一層透けて見えている。
だが卑猥な感じがしなかった。
それはこの異形だからだ。
姉の舞はまだ良いが、里の女が舞う舞は僕から見れば卑猥で滑稽なものだった。
濡れた瞳と匂う汗。
友人たちが昂奮するなか、一人冷めている僕が居た。
理由は解っていた。
里の女の舞は全身が男に媚びている。
流れいずる汗が、濡れた瞳が、誘うような舞の仕種が、全てが男に媚びる淫らな輪舞。
だがこの異形の舞は違う。 何処がどう?っと尋ねられても解らない。
解らない…が、どうでも良い事だった。
同じ仕種で舞ながらも媚びた感じを抱かせず、凛とした美しさを感じさせていた。
だから…、僕はこの異形が好きになった。
異形の力を恐れる友人たちが彼女に近づかないのは、僕には丁度良かった。
また…見る目がなぃ彼らは、媚びた輪舞が好みらしく、彼女に興味を持たなかったようだ。
音が変わる。
僕の手を引いていた姉は『好きじゃないけど…巫女は絶対参加だからね』っと言ぃ、苦笑を浮かべ社へ向う。
歓声が大きくなった。
姉の舞を見たさに集まっていた者たちの咆哮と喝采。
僕はもう祭への興味を失っていた。
社裏の階段へ座っていた美しい異形の隣りへ座る。
「祭…続いてるのよ。 長の息子が抜けても良ぃの…」
「興味無いんだ…毎月の事だから平気」
「そう…」
腕を組み、両足を抱いている異形がぼっそりと言った。
こちらを気にした風でもない彼女に、僕は恐る恐る尋ねてみた。
「迷惑だったら言ってよ…僕、その困らせたい訳じゃなぃんだ」
「別に…慣れてないから戸惑ってるだけ。 キミは私が恐くなぃの?」
寂しそうに…でも嬉しそうに、美しい異形が言った。
断られなくて良かった…
そして僕は…彼女の儚さに惚れていた。
そう想うと自分の傲慢さに気付く。
彼女が媚びるような舞でないのも、存在の儚さも、気性が理由という以上に、里に護られていないっという理由もある筈だ。
孤高でなければ、凛と張っていなければ生きてこれなかったこの異形を、僕よりずっと大人の彼女を、僕は護りたいと想っているのか。
僕の力は、長の息子という財力と巫女の弟という権力。
自分の力は何もない。
呪力も血族の中では落ち零れだし、体術や符術はもっと苦手だった。
一人では生きられない、自身を護る事さえ出来ない僕。
そんな今の僕には美しき異形を非難する事は当然としても、想いを告げる資格だってない筈だ。
姉と同じ年頃の美しき異形。 僕より五つは年上だろうか。
姉は15歳で成人の儀を受け巫女となった。
長の娘だからと陰口を言うものは居なかった…誰もが祝福していた。
僕も半年もすれば元服する。
その時、誰もが祝福するだろうか?
そんな事が有得ない事は誰よりも僕が知っている。
僕には彼女へ想いを告げる資格はない…が、想う事だけなら許される筈だ。
だって好きな異性を想う気持ちには、資格という概念がないのだから…
だから…少なくとも今は、笑顔で言おう。
「恐くなぃよ…でも奇麗だった。
今度、また見せて欲しいな。 …その祭以外でも、迷惑じゃなければでいいけど…」
顔は火照り、語尾が小さくなっていった。 が、美しき異形は微笑み。
「そう…有り難う。 キミは…私を認めてくれるのね。
クスッ …こんな舞で良いなら喜んでみせて上げる。 でも…」
声を立てて笑うと沈んだ顔で言いよどむ。
「でも?」
「この装束はいつでも纏える訳じゃないのよ」
「えっ?」
「こういうの好きでしょ、男の子って…」
そう言う異形は汗で透け、胸元が覗けていた羽衣の絹を指差す。
指先を追って真っ赤になった僕を見て微笑む異形。
何気ない会話が嬉しかった。
「今度…僕が何か縫うよ。 その…得意なんだ。 …でも、その…そういう衣装が好きな訳じゃ…」
「説得力なぃけど…」
胸元から目を離しきれないでいる僕の方を睨んで言った。
「帰るわよ…」
っと、姉が僕を探す声がする。
姉は僕が社裏で休憩してると知らず、大社内を探し回っていた。
「ごめん、また来るね。 その…いつもは何処にいるの?」
「私の住処は今度教えて上げる。 でも、夕方以降なら…大社より上にある廃された星見台で月を見ているわ」
彼女の言葉に頷いた僕は、踵を返して階段を駆け上がっていった。
夢は大抵此処で途切れる。
壊れたDISKを回したプレイヤ−のように、何度も再生される夢。
大抵というのはこの場面よりも過去や未来が映る事もあるから…
でも場面は限定される。
姉らしき人物と戯れてる映像か、美貌の異形と月を見上げている映像…
そして…不思議な事に、どちらの映像が過去・未来とは決っていなかった。
普通に考えれば…過去は姉と戯れてる映像、未来は異形と月を見上げている映像だ。
なのに…立場が変わるとこんな夢を見る事もあった。
どう見ても姉弟の戯れじゃない、寝所で絡み合った姉らしき美女と僕らしき少年。
大社の祭で出会った異形という夢と反する、幼き少年を負ぶって月を見上げている異形の少女。
未来と過去が複雑に絡み合っていた。
そして夢は飛ぶ。
過去と言っても…夢の過去とは違う。
現実の過去。
幼き日の体験。
広大な敷地の祖母の屋敷で散歩していた僕が見た、庭園の水面に立っている少女の夢。
夢の僕が祖母に尋ねると、祖母は笑って言った。
「おや…シンジにも見えたのかぃ?」
「うん…微笑んで手招きしてた。 行って尋ねたら…これ渡してくれた」
「そうかぃそうかぃ…。 シンジは………に好かれたんだねぇ。 それは碇家の宝剣―七支刀という神剣さね」
少女の名前だけが聞こえない、あの時は聞こえていたはずなのに。
「神剣?」
「碇家が代々巫女のような家系なのは知っているじゃろう?」
「うん」
「碇の血脈は女系じゃが…シンジ、お前のような男の跡継ぎだけが彼女に会えるという伝承があるのじゃ…
私は見れなんだが、私の祖父は碇の血脈じゃったから会えたらしいが寂しそうにしとったらしい…
お前は良い術者となるよ…、神剣が碇家の表舞台へ出るのは珍しい事じゃてな」
「本当?」
「あぁ…問題ない。 当然希代の術者となるだろう、私の息子だからな」
突然、乱入する父さん。
「婿殿…あまり孫へプレッシャ−を与えるでなぃぞ」
「嫌…なって貰わねばならん。 彼女の為にもな…」
「ア・ナ・タ…彼女って誰ですか!」
当然…乱入者は母さんだ。
なし崩しで団欒へ移行した。 この話しは此処で終わる。
そして…
目覚める…いつもの声で………
「大馬鹿シンジ、…何時まで寝てるのよ もう!」
布団が捲られて、冷たい風が差し込む。
赤毛の少女が見下ろしている。
見知った顔だ。
お世話になっている葛城家へ弟子入りしていた先輩弟子のアスカだ。
シンジが弟子入りしてるのは、葛城一門の総主―葛城ミサト。
表向きは学校の教員をしているが、裏では現存最高の陰陽師としての顔も持っていた。
「もう少し寝かせてよ…姉さん」
「誰がアンタの姉さんよ! ボケてないで起きなさい、遅刻するでしょ!」
ん…姉さん?
何だ…アスカか。
「何だ…アスカか、ですって。 …それが幼なじみに対する態度なの?」
「うん…じゃぁ、そういう事で」
再び、布団へ戻ろうとすると、アスカの手が閃いた。
「もう! 何甘えてんのよ!」
頬を張られたシンジが文句を言いながら起き上がり、アスカは部屋を出ると通路でシンジを待つ。
こうして葛城家では、何気ない日常が始まっていった。
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