「ねぇ、隆、」

「なんだよ、」

必死にノートを写す隆はうつむいたまま答える。

「道徳ってなんだろう、」

「知らない、」

静かな空間にシャーペンがノートの上を走る音だけが響く。ほとんどの生徒が帰った放課後の教室で、隆は必死に冬樹のノートを写している為、曖昧な返事を返すだけだった。

「人間には必要なものだよね、」

しばらくの沈黙の後再び冬樹が口を開く、

「社会生活、集団生活を送るにはな、」

「個人で、たった一人で生きる場合には必要ないって事?」

 目の前でただ自分のノートを写すだけで、曖昧な返事をするだけの隆に多少怒り気味の冬樹は執拗に質問する。

「そうとは言わないが、俺達は生まれてから集団で生きることを当然としてきた。そしてその中で最低限のルールを守りながら生活してる。表向きはな、」

「そのルールが道徳なの?」

「まぁ、人間が集団で生活するのが当然の常識となってる国ではそうだろう。道徳という言葉で表現されなくても宗教や法律といった形で人間は人としての生き方を制限される。

そしてそのルールを守れる人間のみが、その社会では人間とされる。」

「そうじゃない人間は、」

「一人で生きるか、犯罪者になるかだな、」

「そう、、、、」

冬樹は少しうつむき、隆の言葉を噛み締める様に繰り返す。何故か心臓の動きが速くなるのを感じる。そんな少年の心を見透かすかの様に隆もペンを止めて話し続ける。

「もっとも、国が違えば、思想、常識、生活様式も違う。特に宗教の違いは大きい。魂の捕らえ方、死の概念、自然への接し方、生命のありかたから宇宙のありかたまで、まったく別のものになってしまう。神様が違えば人間も変わるってことかも、」

「でも、神なんか人間の空想の産物でしょ、誰も証明できないじゃないか。いつも神の言葉を世に伝える伝道師がいて、その人が神の言葉として戒律を残して、それがいつのまにか道徳になっていったんじゃないの、」

「つまり集団生活を送る人間が自分達の生活を守る為、架空な存在の神様を作って、社会生活の規範を作ったと、」

「うん、それが道徳なんじゃないの、」

 隆は冬樹の言葉にどこか反発的な態度を見つけ可笑しそうに笑う。

「まぁ、そんなもんだろ。でも、神様が架空の存在だと言うのは科学的世界観からすればだろ。実際は科学とは別の精神的世界観から判断する存在なんだよ、神様ってやつは。」

「神は存在する、心の中に、って事?」

「そもそも存在という言葉で表せるものではないんだよ、きっと。それと、道徳観が戒律から生まれたという考えは間違ってはいないけど、じゃぁキリストや釈迦、マホメットが登場する以前の人間には現代の道徳的な思考、概念が無かったのかというと、そうでもないらしいんだ。」

「その地域独自の神がいたんじゃないの?」

「そう思うだろ、ところが一説によると神様という概念が生まれる前に最低限の道徳的なものが存在していたらしいんだ、」

「どういう事なの?」

「つまり冬樹の言うとおり伝道師が世界の平和、民族の平和、信仰する神様の平和、様々な想いを込めて戒律や生き方を定めたのは確かだ。神様の言葉か自分の言葉かは別としてね。だが、そこで生まれた宗教も後で生まれた法律も、全てもともと人間と呼ばれる生物が持っていたある物に、後から思想的宗教的な物を付け加えたものではないかという説もある。」

「人間が後から作ったんじゃなくて、本来生物として持っている物が道徳の根底にはあるってこと?」

「その説では恐らく遺伝子的なものだろうと言ってるがな。」

「遺伝子?」

「そうだ。小動物が大量の卵を生む話しは知ってるよな、」

「生きのこる確率を少しでも多くする為、」

「弱い動物ほど自分の子孫を、自分の遺伝子を残すために多くの卵、子供を産む。それは脳が意識して行なっている行為ではない。そんな脳もなければ他の同種族に伝える言語ももたないからな、小動物はな。つまり何が指示を出してるかというと遺伝子に含まれる信号、種の存続という信号がそうさせてる様なんだ、」

「でも、道徳は人間の脳が作ったんじゃないの、」

 隆の話しに身を乗り出して聞く冬樹、

「いや、もともと今の脳、つまり概念や思念を行動に移す事ができたり、言語として伝えたりできる様になった時間より、自然のなかで野生の掟と共に生きてた時間の方が遥かに長いんだよ。脳が種の存続の為だけに動いてた時間の方が長いんだよ。」

「じゃぁその頃に生まれた何かが信号として遺伝子に組み込まれて、」

「組み込まれた、という表現は正確じゃないな。自然と生まれたんだろう、生き延びる為に。脳が発達し道具や記号を生み、狩猟生活においても農耕生活においても他の生物より優れた発展をしてきた人間は、生き延びる為に大量の子孫を生むよりも道徳的な思想を広める道を選択したのかもしれない。つまり、道徳の根本的な部分は人間が持つ遺伝子が絶滅しない為に、、自然と生まれたものかもしれない、」

「じゃぁ、道徳観に疑問を持つことは人間として間違ってるのかなぁ、」

「そうかもな、」

冬樹は自分の存在が遺伝子的にも否定されてる気がするが、そんな胸が締め付けられる思いを振り払おうと言葉を必死に続ける。明らかに血液が通常より早く流れてるのを感じてる。

「後から宗教的な概念や、地域特有の風土的なものが加えられたとしても、様々な儀式や信仰の違いで大量の人間が死んでいるよね、本当に種の存続の為に道徳は存在してるの、」

「おそらく人間という種族で存続する為には神様に生贄を捧げたり、異教徒を殲滅する事で獲られる特殊な力が必要だと思ったんだろう、当時の人間は。」

「今は違うと、」

 隆は冬樹がなぜそれほどまで道徳観に固執しているか、おおよその理由は推測できていた。

「冬樹、、そんなに疑問なのか道徳ってやつが、」

「そういう訳じゃないけど、、、、隆の言う事はほとんど事実だと思うんだけど、、、」

「だけど?」

「もし遺伝子の中に生まれた種の存続が道徳の根底にあるのなら、その種のある程度の安定した繁栄に伴って、道徳の規範も変化してる可能性もあるわけだよね、、」

「選ばれた遺伝子のみが、有効に残る様な道徳観に変化してる可能性があるとでも?」

「うん、先進国だけの話ではないと思うけど人間は自ら気がつかないうちに種の選択をしてるんだと思うんだ、、、その、、うまく言えないけど、」

「人間の中でもより優れた人間だけが選択される、しかも無意識に、人間自らの手で、」

「だから、無意味に殺してる様に見えても実は、、、、」

 言葉に詰まらせながらも、冬樹はある方向に自分の思惟を進め様とするが、隆がそれを強く否定する。

「昨夜の殺人を正当化はできないぞ、道徳も法律もそこまで変わってはいない、」

「でも、遺伝子が変わったのかも、」

「どこにもそんな証拠はない。」

 諭す様に多少強い言葉で放った言葉と強靭な意思を込めた表情に、冬樹は心臓の動きがやっと落ち着いていく感覚を感じる。やっと沈黙した少年をしばらく無言で眺めていた隆が静かに口を開く。

「それはお前の心が望んでる事なのか?」

「、、、、、わからない、」

「あたりまえだ、わかったらお終いだよ、」

「でも、自分に自信がない。いつか知らない世界の住人になってしまう気がする、いや、本当は違う星から来た生物かもしれない、」

「そう望んでるのか、」

「、、、、、そうかもしれない。」

  夕焼けなどない放課後の教室で、ただ薄暗い光の中で話す二人。感じ方、信じる世界は違っても隆には冬樹の心をなぜか強く感じることができた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Hell Inn

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まったく酷い事件ですね、」

三十代前半と思われる刑事が現場検証中の車両でしゃがみこむ。

「単なる狂った奴の犯行だとしたら解決には時間がかかりそうですね、栗田主任、」

そう呼ばれた男は黙って車両全体を見ている。悲しみを見てるのか、怒りを見てるのかわからないが、静かに血で染まった座席や窓床をゆっくりと無表情に眺める。

「主任、現状報告ですがね、」

「あぁ、」

 三十歳前半の男は小さく返事を返す、

「死者、3名、重軽傷者十名、あと凶器の爆弾ですが前回と同じ時限装置式の爆薬を使用したタイプだそうです。ただ前回よりは爆破の威力は小さかったようですが、」

「そうか、、」

「それと幾つかの証言が集まってます、爆発物近くにいて幸い軽傷ですんだ人の話しでは小さな小包みが座席の端の下にあったそうです。数人が証言してるのと場所的に見ても、それが爆発した事には間違いなさそうですが、その小包みをですね、置いていったと思われる人物ですが、どうも女子高生らしいんですよ、」

「そうか、、、、」

 栗田は無表情に感情のこもらない答えをするだけで、視線は変わらない、

「そうかって、主任、女子高生ですよ」

「小包を置いた人物が女子高生だといちいち驚かなくてはいけないのか、」

「いえ、そんなことはないですが、、、」

「容姿を憶えてる人は、」

「証言ではお決まりのルーズソックスに短い長のスカート、上は紺のダッフルコートを着ていて、髪はロングストレートだったそうです。でも顔はマスクをしていて、」

「だれも服装以外は覚えていないか、」

 それまで黙って血の世界を見ていた栗田はやっと若い刑事の方を見る。

「残念ですが、、、」

「鈴木、この事件、おまえどう思う、」

 今までの感情を殺した目つきではなくやっと人間らしい瞳を戻した栗田は少し余裕の笑みで話す。

「そうですね、、、やっぱりまずは過激派の線ですかね、あとは狂った妄想家の犯行で単に殺害を楽しんでるやつか、」

「そうだな、今の段階では両方とも可能性があると思うが、、、、なぁ鈴木、不思議だな人間は、」

「不思議というと、」

「二度の爆発で数名の死者がでている。おまけに爆発物も同じと思われる以上、連続事件と考えるのが妥当な線だな。だが前回の証言では犯人と思える人物の証言はなかった。だが今回は証言が集まってる、女子高生だってな、」

「まぁ、前回も今回も夜十時過ぎですから、そんな時間に女子高生がいたら、」

「鈴木、おまえ十時過ぎに電車乗った事あるか、」

「そりゃありますよ、」

「いまどきの女子高生と思われる少女は終電までいるよ、お決まりの格好をしてな、」

 栗田は可笑しそうに笑みを浮かべたままで話す、

「みんな男だと記憶にはないが、一定の形をした少女ならば記憶にある。女子高生特有の形をしてるならばな。自分の子供達にすら興味を持たない様な大人達ですら、記憶している。」

「まぁ、みんな同じ格好してますからね、」

「だが、その格好をすれは女子高生だと思い込む事もある、」

「つまり、証言は当てにはならないと」

「いや、そうとは言わないが、一見、事件には関係なさそうな容姿を持った少女が爆弾を置いて行く、そして三名が死に数名が怪我を負う、」

「単なる共犯者ですかね、」

「わからん、それにあの格好をすれば男でも女子高生になれるしな、」

「え、、、、」

 顔をしかめる鈴木を見てさらに嬉しそうに栗田は笑う、

「最近の女装技術はすごいらしいぞ、」

「栗田主任、、、、まさか独身の理由は」

 独特の一重の鋭い目つきで薄笑いを浮かべて話す栗田に、鈴木は一歩引く、

「はは、俺は男にうまれよかったと思ってるよ、その手の趣味はないから安心しろ、」

「そうですか、まぁマスクで顔を隠してたとなると、その線もありますよね、」

「どの線もまだつながってるさ、まだまだ調べなくてはならない事だらけだ、」

「そうですね、連続爆破事件、同じ犯人である可能性も高い、」

「あぁ、いやな展開だが、何か尾を引きそうな事件だな、、、」

「はい、」

二人はもう一度赤い液体で装飾された列車を見つめる。二度目の無差別殺人に様々な感情を抱きながら、無言で眺めていた。

始めの爆破事件から三日後、同じ時間帯に同じ車両で爆破事件が起きた。三日前に起きた事件にも拘らず、大勢の人々は無関心にその列車に乗り込んだ。その結果が、今日の爆破の結果に繋がるとは思いもせずに。確かに残酷性が強い事件だが、大衆からしてみれば、自分達には関りのない一過性の事件であり、連続性はないと思われた事件は、二度目の悲惨な結果を生み出した。

その現場で赤い絵の具をばら撒いた様な車内を見渡す栗田は、密かに湧き上がる自分の感情を必死に押さえていた。恐らくこれから起こるであろう未知の世界への期待感に、思わず漏れそうになる笑みを必死に押さえていた、、、、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二度目の事件の翌日、学校帰りの冬樹と隆は、バイトまでの時間をファーストフードで潰していた。

「冬樹、もうすぐ誕生日だな、」

「よく憶えてるね、僕の誕生日なんて、」

「僕は大切な人の誕生日は忘れませんよ、」

 ハンバーガーを咥えながら隆は細めた瞳で冬樹を見つめる。

「、、、僕はそっち方面の趣味はないよ、」

「またぁ、俺が思うに冬樹は女装したら綺麗な女になると思うんだがな、」

 いつもの笑顔でコーラを飲みながら話す、

「、、、、、、」

「是非一度トライしてみてくれよ、」

隆は大きな唇の端を上げながら気味悪く笑うが、そんな親友の笑顔を見ながら冬樹は多少不満そうな表情をしている、

「僕が女の子扱いされるの嫌いな事知ってるだろ、」

「そうだっけ、」

「からかうなよ、昔から女の子みたいだとか言われてる身にもなってみろよ、」

「いいじゃないか、俺みたく野蛮人扱いされるより、」

「それは隆がすぐに暴力を振るうからだよ、もう少し他人の話しを聞くようにすれば、」

「いやぁ、そんな言葉なんか聞いてるより行動した方が遥かに早いし、結果も明白、言葉より力のほうが解りやすいぜ。だから世界の政治家達はどれほど大量に難民がいようと、飢えに苦しんで死んで行く子供がどれほどいようが軍事費を削らない、削れば軍は革命と叫びながら市民を殺す。」

「それが全てじゃないだろ、」

「あぁ、でも俺は少なくとも力を示す事が最も有効な手段だと思っている、」

「だからって、、、」

「大丈夫、最近は簡単には喧嘩もしないし、そんなに悪い事はしてない。今度事件を起こしたら家庭裁判所、少年院コースは間違いないしな、」

 

 その言葉に、冬樹と隆は二年前を思い出し黙って俯く、

「ごめん、僕のせいで、」

「気にするな。俺が勝手に自制心を無くしただけだ、」

「でも僕がもっとしっかりしてれば、、、」

「しっかりしてるなんて、十四歳の少年には無理な事だよ、俺のように暴力に走る以外自分を守る術はないよ、」

「ごめん、、、、」

 冬樹は俯き、トレーのうえにあるポテトをじっと見つめる、

「まぁ、恨んでるけどな。今でも俺はお前の所為だと思ってるけどな、」

「え、、」

「おまえの所為だって言ったんだよ、」

「隆、、、」

 冬樹が驚いて顔を上げると、隆はいつもの笑顔で笑っていた。驚き、哀しそうな瞳の少年を面白そうに笑っている。

「まぁ許してやらないわけでもないが、一つ条件が一つある、」

「、、、、女装はしないよ、」

「はは、それは残念だな。じゃぁ別な条件で許そう。」

「なんだよ、最初っからそのつもりだったんだろ。」

「お、そういう事だけは勘がいいな、」

 少し不満そうな表情を見せる冬樹だが、隆の笑顔に全てどうでもよくなってしまう。

(本当に良い笑顔だよな、何て言うのか野生的でワイルドな表情だよな。骨格もはっきりしていて、、、、僕とはまったく違う、、)

「実は、君と誕生日を過ごしたいってかわいい〜女の子がいるんだよ、」

「は、、え、」

「その子に色々頼まれてなぁ、」

「ちょ、ちょっと待ってよ、」

 冬樹は真剣に焦る、普通の十六歳の少年と変わらない表情で言葉を詰まらせる。

「まぁ当然オッケーだよな。」

「どうして、」

「条件をのむんだろ、女装以外は、」

「女装の方がいいかも、、、」

 本当に女装を望みそうな冬樹に慌てて隆が言葉を放つ、

「おい、どうしてそんなに女の子と接触する事を嫌うんだよ。最近は俺以外の人間とも少し話しをする様になったからいいとしても、どうしてそんなに女の子を嫌うんだよ、」

「合わないんだよ、、、基本的に波長が、」

「きっとお前と波長が合う女の子もいるって、」

「隆、僕は基本的に女の子が興味を持つような話題には一切興味がないんだよ、」

「他人との共存する術を身につける事は必要だぜ。それにこないだの遺伝子の話しじゃないが、種の保存の為には、」

「異性との交配は必要であり、生物として自然な事、」

「その通り!」

「隆はそれだけが目的じゃないか、」

冬樹は呆れた表情で小さくつぶやく、

「そんなに考えるなよ、こう言ってはなんだが俺から見てもお前には合ってるかもよ、」

「見合いを勧める人間は、みんなそう言うらしいよ、、」

「とにかくその子にはオッケーだって返事するぜ、」

「勝手に決めるなよ、」

 そう言いつつも隆の強引な説得の前に了承する事になる冬樹だった。

「ところで、その子はどうして僕の事知ってるの、」

「知ってるも何も、クラスメートだからな、俺達の、」

 

 

 

冬樹が紙コップをテーブルに叩きつける音が、店内に響き渡った。

 

 

第三話へ続く



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