ないたあかおに

斉東 深月


赤鬼、と呼ばれていた。
生まれたときから、そう呼ばれていたわけではない。
そう呼んでくれとも頼んだ覚えはない。
が、今は、赤鬼。それが名前。

理由?髪が赤いから。ここには赤い髪の人間など他に誰ひとりいない。
だから、本当は赤いわけでもないのに、赤鬼。
せめて金色だと見てくれれば、慰めにでもなるのだろうか?
金鬼?冗談じゃない。
と、赤鬼は思った。

赤鬼には、本当の名前がある。でも知っているのは赤鬼だけ。
誰にも言ってない。
何故って、誰かに本当の名前を教えて、それでも「赤鬼」と呼ばれたら?
それに耐えられるという自信は、赤鬼の中にはなかった。

赤鬼は、ひとりで暮らしている。
生まれたところではない、どこかの山奥。ふもとに村があるが、赤鬼の住処には誰も近づかない。
ひとを食らう。と、思われているらしい。
『じゃあ、この畑はなんなのよ』
そう思いながら、赤鬼は畑を耕している。

それでも、たまには誰かと顔を合わせる。合わせてしまう。
たいていは、山の中。茸やら筍やらを採っていると、同じような理由で誰かがやってくる。
赤鬼が、なにもかも嫌になるのは、そんな時だ。
自分を見ると、目を丸くして、それからかたかた震えながら、小走りに逃げ出す。中には腰を抜かす者もいて、そんな時には、赤鬼の方から離れるようにしている。
やりきれなくなるから。

その日もそうだった。
山の中で山菜を摘んでいたら、不意に向こうから、誰かが来た。
線の細そうな若い男。着物を替えたら娘で通るような。
背中に薪を背負っている。どうやら芝刈りらしい。
その顔は、赤鬼の記憶に辛うじて残っていた。ふもとの村の住人だったか。
『弱っちそうなやつ』そういう印象。
男は何かに気を取られていたのか、だいぶ近づいてから、赤鬼に気付いた。
「あ・・・・・・・・」小さく漏れる声。
『どうせ、こいつも逃げるのよね。気弱そうだから、腰抜かすかも』
自然とそう思ってしまう自分が少し嫌になるが、仕方がない。今までみんなそうだったから。
しかし、この若者は違った。

白目を剥いて、その場に倒れた。

『しっかし、いきなり気死したってのは、初めてだわ』
若者を肩にかついで歩きながら、そう思う。
そのまま見捨てようかとも思ったのだが、いつ目覚めるか知れたものでもないし、山は結構危険なのだ。
意表を突いた若者の反応が、面白く感じたというのも、理由だ。
面白く感じてしまうほど、赤鬼は何かをあきらめていた。

若者が目を覚ましたのは、どこか知らない小屋の中だった。
「ん・・・・・・・?」
「あ、起きた?」視界の外から声がした。身体を起こす。
見たこともない、蒼い眼。赤い髪。
『・・・・赤鬼!』
「あ・・・・・・・・」またもや気が遠くなる。
「ちょっと、また倒れるんじゃないでしょうね。ここまで運ぶの苦労したんだから、」
「あ、あの、ここは?」
「あたしの住み処」
「あ、あ、あのあのあのあの」
「落ち着きなさいって。どう思われてるか知らないけど、取って食いやしないから」
「あのあのあの・・・・・・・え?」
「だから、あんたを食べたりしないって」
「・・・そうなの?」
「そ。今まで人なんか食ったこともないし、これからも食うつもりもないわ」

不思議に思う。
なんでこんなにすらすら話せるんだろう?
仕方なく連れてきたのだ。目覚めたら、きっと気まずいことになるだろうから、とっとと出ていってもらおうと思っていた。
それが、若者の度を越したうろたえぶりを見ると、許してしまう。
ゆとりが出てくると言ってもいい。
誰かと話すのが、久しぶりだったせいかも知れない。
正直、楽しい。

「そうなんだ・・・じゃあ、助けてくれたんだ・・・ありがとう」
そう言って若者は、ぺこりと頭を下げた。
「いいわよ。たいしたこっちゃないし」
そんなに素直に礼言われても、ねぇ。
もしかしたら、照れていたのかも。

「あ、もう帰らなきゃ」若者が言う。もう日が暮れ始めている。
「そうね。暗くなんないうちに帰んなさい。そこの木のとこ真っ直ぐ行ったら、さっきの場所に出られるから」
「うん。ほんとにありがとう。あの、僕、ふもとの村に住んでて、で、名前は・・・・」

これは、若者の失態だっただろうか?
そうではない。が、赤鬼の心に広がっていたゆとりが消し飛んだのは事実。
名前?あんたの?
で、あたしの、名前?
絶望的な、連想。
名前を聞かれても、言えない。
言ったとして、それでも『赤鬼』と呼ばれたら?
耐えられない。耐えられるわけがない。

反射的に言ってしまう。
「いいから、早く帰って。暗くなっちゃうから」
「でも・・・・・」
「早く!」半分以上、恫喝になる。
「うん・・・それじゃあ・・・」不承不承納得したふうに、若者は帰っていった。

「・・・・くっ!」
低く唸って、壁際に積み上げた薪を蹴り飛ばす。
状況に慣れることで、あきらめようとしていた、その事実を見てしまったのだ。
本当は、あきらめてなんかいなかった。
ひとりでいるのは、嫌だった。怖がられるのは、嫌だった。
『赤鬼』なんかじゃない。そう叫びたかった。

そんな夜に限って、客が来る。
『青鬼』と呼ばれているが、鬼でもなんでもないことを、赤鬼は知っている。
ただ、蒼い髪と赤い眼を持っているだけ。
山向こうの小さな浜辺に住んでいる。時たまやってきて、塩や魚と、筍や山菜を交換したりする。
勝手に鬼呼ばわりされるという似た境遇だから、仲良くもなろうかと思われるが、そうはならない。
青鬼は、喋らない。必要なこと以外は。
その辛気臭い雰囲気を身近に置いていたら、今の自分のわびしい境遇が一層強く感じられそうで、嫌だった。
だから、寂しくても、一緒に住もうなどとは考えたこともない。

「塩、持ってきたわ」この日もそれしか言わない。
「その辺のもん、適当に持ってって」ひとりは嫌だったが、そう思っているのを誰かに見られるのも嫌だった。
だから、顔を上げずに、言った。
「・・・どうかしたの?」珍しい台詞だが、心配するような声音でないところが青鬼らしい。
こう言われなければ、赤鬼も黙っていただろう。
が、聞かれてしまった瞬間、誰かに話したい気持ちに気付いた。
『気弱だなぁ』と思いながらも、話してみる気になった。

「・・・・・と、まぁ、そういうこと。怖がられるのは初めてじゃないけど、今日のは正直こたえたわ」
若者と出会ったことをかいつまんで話した。
青鬼に弱みを見せるみたいで、気に入らなくもあったが、話してみると、壁を相手に独り言を言うような気楽さがあった。
そう思わせるほどに青鬼は静かに話を聞いていた。
「そう・・・・・わかったわ・・・」吐息ともつかぬ微かな声でそう言うと、青鬼は立ち上がった。
そのまますたすたと戸口に向かい、
「さよなら」
とだけ言うと、出ていった。
取り残された格好の赤鬼は、しばし呆然としていたが、
「何なのよ、もぉ」
あとは不貞寝をするくらいしかないと気付いた。

翌朝、のそのそと起き上がった赤鬼は、顔を洗おうと外へ出た。
と、微かに何かが聞こえる。方角からすると、ふもとの村からのようだが、ここまで聞こえるとすると、相当に大きな音であるはず。
どうでもいいわ。と思いかけて、それでも気になった。かつてなかったことだからだ。
「ま、見るだけ見てみましょ」
その声音には、生気が消えかかっていたが、赤鬼自身気付いてなかった。

村に近づくにつれて、音は大きく明瞭になってきた。
どうやら声らしい。しかも悲鳴や喚き声のような類い。
さらに近づくと、声の内容も聞き取れた。
それは
「あっ、青鬼だぁああー」
「やっ、止めっ・・・ぐはっ・・・」
「いやっ、いやあぁ」
などの声だった。

赤鬼はさすがに血相を変えた。青鬼がこの村に来たことなどないはず。
それがいきなり現れて、暴れているというのか。
反射的に飛び出す。放っておけることではない。
赤鬼の視界に入ったのは、倒れ伏す何人かの村人と、その中を無表情なまま進む青鬼の姿だ。
ひとりの村人が鍬を振るって青鬼に打ちかかる。
が、青鬼は見もせずに鍬を受け止め、そのまま村人ごと鍬を放り投げる。
放物線を描いて彼方に消える鍬。そして村人。
その隙を突いて別の村人が拳を繰り出す。
拳が青鬼に当たる寸前、青鬼の右手が雷光のような動きを見せる。
青鬼の拳を食らって、背骨が抜けたかのようにくたくたと倒れる村人。
もう誰も青鬼を止められそうになかった。

いや、ひとり、いた。

「なにやってんのぉっ、あぁんたわあぁぁあ」
疾風をも斬り裂く素早さで青鬼の前まで駆け寄る赤鬼。
青鬼の突き出した掌打を沈み込んで躱すと、その体勢から浴びせ蹴りを叩き込む。
樹齢200年の大木をも砕き折る赤鬼の蹴りを顔面で受け止める青鬼。鼻血すら流していない。
これは強敵ねと赤鬼が身構えると、青鬼は唐突に背中を向ける。
意表を突かれた赤鬼を尻目に、「これはかなわないわー」とこの上ない棒読み声を上げながら駆け出した。
「逃げる」と言うより、「用事を思い出したので帰る」といった風な走り方だが、誰も止められない。
そのまま青鬼は姿を消した。

そして残されたのは、「村人の中にいる赤鬼」という事実。

そのことに気付いて、赤鬼は己の迂闊さを悔やんだ。これでは余計に村人を脅えさせてしまう。
なるべく刺激を与えないように、そろそろと帰り出したとき、背後から声がかかった。
「そこの方、待たれよ」
決して大きな声ではなかった。が、逆らえない響きがあった。
振り向いた先には、男がひとり。
「何?」尋ねる声が少し強ばるのも無理はない。やたら長身のくせに下からねめ上げるような目つき。顎だけに生やした髭。とてつもなく胡散臭い。
「わたしはこの村の村長。決して怪しい者ではない」聞かれもしないのに弁解しているのは、きっと年中怪しく思われているからだろう。
「で?」
「いや、村を救っていただいた礼を言おうと思ってな。しかし何故?」
「放っとけないじゃない」
「人を食らうと言われるあなたがか?」
「誰か見たの?食ってるとこ」
「う・・・確かに」たじろぐ村長の後ろには、何時の間にか昨日の若者が。
「確かに、って、父さん、見てもないのにそんな噂を広め・・・・ごふっ!」
容赦の一片も見えない肘の一撃が、若者の肋骨の間にめり込む。
崩折れる若者を見ながら『似てない親子だな』と、赤鬼は思った。

その後の展開は、かなり急だった。
「人を食う」という噂が噂に過ぎないと判り、村を救った赤鬼は、村人に受け入れられるようになった。
急激な変化が気恥ずかしくて、少しつっけんどんな口調になったりするが、やはり化け物扱いされないというのは嬉しいことだ。
さすがに「村に住まないか?」と言われたときは断ったものだが。

だから今でも赤鬼は山小屋に住んでいる。
以前のような寂しさはない。村人たちは良く立ち寄るし、赤鬼もたまに村に下りていく。
気まぐれに、子供たちの世話やら遊び相手をしたりする。自分になついてくる子供の邪気のない瞳や、抱きかかえた赤子の感触は、赤鬼を暖かくさせる。
しあわせなんだなぁ。と、素直に思える。
そんな風にして何ヶ月かが過ぎていった。

その日、不意に青鬼のことを思い出した。
そう言えば、あれから青鬼を見ていない。そもそも何故あんな真似をしたのか?
何となく思い付いたことだったが、考えるとどうにも気になる。
青鬼は確かに口数は少ない。何を考えているか判らない。喜怒哀楽はあるのかどうか。そんな奇ッ怪な不思議少女ではあるが、意味もなくあのような暴挙に出るような、ネジの飛んだ人間ではないはずだ。
イヤな予感。と言うほどのものでもない。
が、無性に気にかかる。何かが引っかかる。
青鬼の家に行ってみよう。と思うのにそう長くはかからなかった。

一度も来たことはなかったが、青鬼の家はすぐ判った。
浜辺の小さな小屋。
が、中には誰もいない。
薄暗い床の上には、薄く埃が積もり、その中に紙切れが一枚。

ほんとは、なかよくしたかったのね。

このいえ、あげる。つかって。

さよなら。


ついしん
わたしのなまえは、れい。といいます。

赤鬼は、その手紙を何度も読み返したりはしなかった。
ゆっくりと、刻むようにひと文字ひと文字見つめると、丁寧に折りたたんで、懐にしまう。
数瞬の間、静かに床に視線を落として、
拳を叩き付けた。

「何考えてるのよっ!そのためにひと芝居打ったってわけ?あんな下手な芝居を!それで自分は姿消して!あたしがいつそんなこと頼んだってぇのよ!なんで、な・・・ん・・・・・・で・・・・そん・なぁ・・・ことっ・・・・・した・・の・・・・よぉ・・・・・・・」
何時の間にか、涙が流れていた。

身の内側を締め上げるような感覚。こんな気持ちは初めてだ。
ずっと寂しかった。夜ひとりで見上げる月は、とても冷たく感じていた。自分はこのまま生きてこのまま死んでゆくと思うと、堪らなくなった。
そんな時にも涙を流したことはなかった。今までずっと。
しかし、今はもういない、もう逢うこともできない『れい』のことを思うと、涙が止まらなかった。
あたしは馬鹿だ。なくしちゃいけないものに、ずっと近くにいた大切なものに気付かなかった。
うずくまり、声を放って哭きながら、赤鬼は繰り返し繰り返し、ここにはいない相手に向かって呼びかけていた。
『・・・れい・・・・・・れい・・・・あたし、の・・・なまえは・・・・・・ね・・・・・・・・・・・』

月だけが、聞いていた。

<おしまい>


あとがき

今更元ネタがどうしたとかは言いません。っていうか直球だし。
突発的に思い付いて、勢いで書いたものなので、もうちょっとどうにかならんかとか思うのですけど、元々こういった方面(どういった?)は苦手なもんでして、推敲しても小手先以上にはならんなと。
むしろ好きなんだけど苦手。「最後に何を残すか」ってのにこだわる(もしくはこだわると思い込む)人間でして。
あんまし長々書く感じでもないんで、このへんで。
またいつか、御会いしましょう。

19981016:斉東深月



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