KISS YOU

第二部:21TH CENTURY FLIGHT

第三話:笑顔

斉東 深月

「アスカはもう空港に?」
「あぁ、赤木部長」コンソールに向かっていた敷島が答える。
「確か、保安部が送っていく予定だったわよね?」
「えぇ、ただ、空港のチェックがまだだとかで」
「何かトラブルが?」
「いえ、そういう報告は受けてませんが。でもアスカも結構重要度高い立場ですし」
「そうね・・・」
「で、あの、部長、できればあたしも・・・」
「見送り?」
「に、連れて行きたいのがひとりいまして」
「シンジ君ね」
「はぁ」
「全く・・・あのふたりも、いつまで傷を舐め合ってるのかしら?」
「まぁ、そうと言えばそうなんでしょうけど・・・」言いながら立ち上がる。
「もう行くの?」
「はぁ。碇くんとこに寄らなきゃいけませんし」
そのままリツコの横を通り過ぎる。
ふと、扉の前で立ち止まり、振り返る。
「そぉそぉ、赤木部長。ご存知ですか?」
「?」
「傷の舐め合いって、お互いの傷が見えてないと、できないんですよね」
敷島はそう言って、部屋を出ていった。

リツコはこめかみに走るチリついたものを自覚していたが、結局何も言わなかった。
自分がアスカの傷に触れることも癒すこともできないことに気付いたからだ。
『そんなつもりもないし、ね』必要以上に他人の懐に入らない。それがリツコの処世術。
だから、黙って見送る。
ただ、それと、敷島のボーナスを30%カットするのとは、また別問題である。少なくともリツコの中では。

己の身に降りかかった不幸も知らず、敷島は車を走らせる。
見送りに行くことは、アスカには告げていない。ましてシンジを連れていくなどとは。
つまり、これは敷島の独断である。むしろ「余計なお節介」と言った方が良い。
しかし、気になるのだ。
せっかく危ない橋を渡って用意した休暇。外泊のひとつもキメてくれるのかとの期待を裏切って、日曜日、アスカはのこのこ出勤してきた。深海魚のような目をして。
機械的に仕事を済まして帰っていったが、どう見ても尋常な状態ではない。
『何か、あったの、ね』
そう思わざるを得ない。シンジと逢って、そして何かがあったのだ。
だから、シンジを連れていこうと思った。

敷島は、アスカが好きだった。(口に出して言うような敷島ではないのだが)
敷島が羨む多くのものを、アスカは持っていた。
真剣に仕事に打ち込むときの引き締まった眉根。
気に食わない奴に喧嘩を売るときの峻烈かつ不敵な眼光。
ふくよかでありながら、ひきしまった無駄の無い、豹のような肢体。
そして、
そして、シンジのことを話すときの、嬉しそうな、本当に嬉しそうな、笑顔。

だからなのだ。シンジを連れていこうと思ったのは。

そして今、敷島はシンジの部屋の前にいる。
今日シンジが家にいることは確認済だ。が、ドアチャイムを3回押しても反応がない。
こういうときの敷島は、容赦がない。鍵が掛かっていることを確かめると、ポケットから金属製の耳かきのようなものを取り出すと、鍵穴に差し込んで軽く動かす。
と、いっそ可笑しいほどにあっさり鍵が外れる。『犯罪では?』との懸念を眉一本動かさずに蹴飛ばして、ドアを開けた。

部屋の中は暗かった。カーテンは引かれ、明かりは点いていない。
シンジは・・・・・・・いた!
部屋の隅で、蹲るように座り、目は開けているが、何も見ていない。入ってきた敷島にも反応しない。
「碇君?」呼びかけてみると、ゆっくり顔を上げる。
「だれ、ですか?」力の入ってない声ではあったが、僅かに意志が感じられた。
「あぁ、こないだ電話した、敷島。はじめまして、碇君」敷島の声には安堵が。シンジが『壊れて』いないことを見て取ったからだ。
「何の用ですか?」しかしシンジの声はどことなく突き放した感がある。有り体に言って、邪険だ。
「何じゃなくて、行くわよ」
「どこに?」
「見送りよ、アスカの」その名前を聞いた瞬間、シンジの身体がぴくんと跳ねる。
まだ見込みはある、か。と、敷島は思った。

「来るなって、言われたんですよ。アスカに」その声は穏やかではあるが、さっきまでとは違う硬さがある。
「そうなの・・・」しかし、それは敷島の予測範囲内。
「その言葉、アスカの本心だと思う?」どうせいつもの悪い癖が出たに違いない。
「・・・・・判りません」
「じゃ、質問、変えるわ。きみ自身は、行きたいの?」
「・・・たぶん・・・行きたいんだと、思います」
その他人事のような口振りが、敷島の癇に触わった。
「・・・たぶん、だと?」口調が変わる。暗がりの中で敷島の目つきが僅かに鋭くなる。
「ずっと、考えてたんです。何を掛け違えたんだろうって。どうしてこんなにすれ違うんだろうって」
「・・・・・・・で?」
「ちょっとだけ自分が嫌になりました」
「どうして?」
「僕は・・・アスカのことを見ているつもりで、見てなかったんです。考えてるつもりで考えてなかったんです。自分の側に理由があれば、それで受け入れられるって思ってたんです。甘えですよね、それって」
敷島は無言で耳を傾ける。
「僕に理由があるように、アスカにも理由があった、はずなんですよね・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」敷島が何かを呟く、が、それは周囲の空気を震わせるのみ。
シンジは顔を上げ、初めて敷島の方を見る。
その視界を埋めたのは、敷島の掌だった。
胸座を掴まれ、引きずり起こされる。

「そこまで判ってて、てめぇここで何やってる!」

敷島の怒声がシンジの鼓膜を打った。その先にまで、届いた。
「あ・・・・・・」
釣り上げるようにして、シンジを台所の流しまで連れていく。蛇口をひねり、流れ出る水の下にシンジの頭を突っ込んだ。
「っ・・・・ぷ、ぁっ!」鼻に水が入ったのか、シンジが声を上げるが、力は緩めない。
しばらくそうした後、水流からシンジを開放して、その顔に叩き付けるようにタオルを投げつけ、乱暴に髪を拭く。
そこまでを一分の遅滞もなくやってのけた敷島が、未だ強ばった声で言う。
「目が覚めたら、行くよっ」
「・・・・・・・はいっ!」顔を拭いたタオルを投げ捨て、そう言いきったシンジの表情を見て、敷島は思った。
アスカが惹かれたのは、この顔、か。と。

あらゆる交通法規をなかったことにして爆走する車中で、シンジは嘔吐を懸命に堪える。
かつての同居人以上の運転技術を持つ者がこの世にいるとは思ってなかったが、どうやら世界は思った以上に広いらしい。
吐き気を紛らわせるため、話しかける。
「・・・・・間に合いますか?」
「間に合わせるっ!」
その声はシンジの耳に快く響く。

ずっと、座って、考えて考えて、答えが出たらおしまいって、そうじゃないんだよな。
僕ひとりの問題じゃあないんだから。
僕の壁を乗り越えて、解決することじゃあないんだから。
またやっちゃうところだったよ。
でも、やり直しは効くよね。
生きてるんだから。
まだ間に合うよね。アスカ。

それが、シンジの祈りだった。

国際空港だけあって、ロビーには人が多い。
「こっち!」シンジの腕を引っこ抜くようにして、敷島が走る。
よたつきながらもその快足に付いていくシンジ。
未だ迷う。
アスカに掛ける言葉がない。
意志はある。決意はある。
しかし、それを伝える言葉は未だ混沌のまま。
どうすれば良い。何て言えば良い。
救いを求めるように顔を上げて前を見て。
そこに。
人込みの向こうに。
アスカの姿があった。

まだ距離がある。アスカはこちらに気付いていない。柱にもたれて、うつむき加減で立っている。
その姿を見た瞬間、シンジの背筋を何かが駆け抜けた。
天啓、だったのかも知れない。
判った。推測でもなく、察知でもなく、完全に、把握した。
アスカは、泣いている。と。
その貌に涙はない。声を上げているわけでもない。しかし、シンジの中の何かが告げる。
アスカは、泣いている。

気が付けば、走り出していた。
敷島の手は、とうに振りほどいている。
未だにアスカに何をどう話すか、判らない。
ただ、人込みの中ひとり立つアスカの姿を見た瞬間、思ってしまった。
駆け寄って、抱きしめて、『だいじょうぶだよ』って言いたくなった。
だいじょうぶ?問題は何も解消されていない。先日のことを思うと、アスカに拒絶される可能性も充分にある。
しかし、シンジの中で、ごく自然に『だいじょうぶ』という言葉が生まれた。
生きていれば、いつかだいじょうぶになれる。そう信じた。

足元だけを見つめていたアスカだったが、近づく気配だけで、それが誰なのか判った。
「・・・・・来るなって、言ったわよ・・・・・」そう言いながらも、顔は上げない。
「知ってる。勝手に来た」
「何で来るのよ」
「来たかったから。あれで終わりにしたくなかったから」
言いながら、アスカの頬に手を伸ばす。
「!・・・・触わら」ないでよっ!と言いながら、その手を跳ね除けようとして。
それより早く、抱きしめられた。

「・・・離して」軽く身をよじる。
「嫌だ」常のシンジにはない腕の力。
「殴るわよ」
「後でいくらでも。でも、今は離さない」
自分の意志を無視される不快感とともに、アスカは奇妙に柔らかく湿った感覚を感じていた。
もともとの不満は、そう、シンジの及び腰が原因だった。
シンジが自分を愛してくれていることは承知している。しかし、どこか一線を引いた感触が離れなかった。
自覚がないのだろうが、シンジの腫れ物に触れるような慎重な姿勢が気になった。
もっと全身で愛してほしかった。疑いや、不安や、そんな何かが滑り込む隙間が無いほどにはっきりと。
だから、それを『できない』と言うシンジが嫌だった。もちろん理由があるのは判っている。が、だからと言って大人しく受け入れるアスカではない。
しかし、今シンジは何かを訴え掛けようとしている。それも全身で。それは聞かなければならない。
「どうしたの?」
「だいじょうぶ、だよ。アスカ」
「何が、よ?」
「アスカが望む僕には、なれないかも知れないけど、でも、ひとりで悩むことじゃないって、それは判ったから。だから早く帰ってきて欲しい」
「どういうこと?」
「駄目なところも、傷つく姿も、アスカがいないと、意味がないんだよ。何も変わらない」
「何それ。独り立ちできてないんじゃないの?」
「そうじゃなくて。一度根っこのところにまで戻って考えて、アスカのことを想ったら、僕の望みって『やさしくして、やさしくされたい』んだなって。僕がやさしくするだけでも、アスカにやさしくされるだけでも、駄目なんだ」
「あたしは優しくないわよ」
「アスカにはアスカの優しさがあると思う。気を遣うことと優しさは違うよ」
「2年前と、言ってること違ってない?」
「あの頃より、ゆとりがなくなった」
「ゆとり?」
「アスカといっしょにいることを知って、好きでいて好かれることを知って。そしたら、それだけじゃ足りなくなった。ずっといっしょにいたくなった。やさしくしてやさしくされたいって、そう思ってることに、やっと気付いた」
そう言って、アスカを抱く腕に力を込める。
「僕の望みはもうとっくに違ったものになってたのに、知らずにいたから、僕は止まったままだったんだよ」
アスカは、唖然とした。内心、苦笑する。この生きることに不器用な男は、ひとが悩まないようなことで悩む。ひとが躓かないようなところで躓く。しかし、そんなところも含めて、シンジを愛している自分を知っていた。
「だから、ひとりで考えても判らないことが多すぎるんだ。気付かないことばかりなんだ。ふたりの間のことだから、ふたりで向かわないと、進まないんだよ」
瞬間、ほどけるように、アスカは自分の怒りの源を知った。
シンジがひとりで何もかも抱え込んでいた。それが気に食わなかったのだ。
自分の考えに囚われて、結局目の前のアスカを見ていなかったシンジが嫌だったのだ。

そうなのよね。あたしたち、知らずにいたのよね。
こうやって、けっつまずきながら、それでもやってくのよね。

『愛する』ことを、『愛し合う』ことを、知らずに生きてきた自分たちだから、効率が悪いのはしょうがない。
そして、そういう人生を選んだ自分たちだった。
思わず顔を上げたアスカの目に映るシンジの顔は、とても、涼やかで、だんだん近づいて来て・・・
「いってらっしゃい」
そう言ってくちづける。いつものキスじゃない。アスカのくちびるを割って入る舌が熱い。まるで何かを訴えかけるように。シンジの右手がアスカの後ろ髪をすくい上げるようにして首筋に触れる。いとおしむように、確かめるように。
たっぷり1分間そうした後で、名残惜しそうにくちびるを離す。ぷちゅっ、と、小さく音がする。
空港の喧燥の中、シンジの囁く声が、柔らかく、しかしはっきりと聞こえた。
「大人のキスだよ。帰ってきたら、続きをしよう」
およそシンジに似合わない物言いではあったが、それでもアスカは嬉しかった。
「待ってなさい。あんな仕事ちょちょいのちょいで終わらせて、すっ飛んで帰ってくるからね」
言うほどに簡単な仕事ではないことを、アスカは知っていたが、今はさほど困難なように感じられない。
シンジが待ってるからだ。仕事を終わらせて、帰る場所があるからだ。
そう思えることが、アスカの胸を締め付ける。何故だか涙があふれる。
頬をつたう涙を止めようとして、顔がくしゃっと歪む。

シンジはうろたえない。判ったからだ。涙を流さないアスカが泣いていたことに気付いたように。
目の前のアスカが、笑っていることに。
涙を流していても、それがアスカの笑顔であることに。

<とりあえずのおしまい>


過ぎ去る時間に向けて

これで第二部はおしまいなのでス。サイトヲでス。
さんざお待たせしたあげく、これでおしまいだとは!万死に値しすぎ!

シキシマ「全くだ。征伐!」
サイトヲ 「このご時世にバイオマンネタとは!恐れ入るヨ!」
シキシマ「そういう世代だし。それより何であたしのボーナス削られるかな」
サイトヲ 「そりゃそうでしょ。リッちゃんにあんな口きいて何事もないわけねぇじゃん。それとももっと別のオシオキの方が良い?」
シキシマ「例えばどんな?」
サイトヲ 「実験材料にされるとか、あ、あとネコとか」
シキシマ「いっ、いやあぁぁぁ!ネコは、ネコにされるのだけはぁぁぁ」

さぁ邪魔者は消えたヨ。で、今後のことでスけども、自分とこのがいい加減ヤバいんで、そっちをある程度進めてから、第三部「HERE IS OUR STREET!!」が始まります。時期?こないだ予告打ってエライ目に遭ったんで、差し控えたいとこでスが、来月アタマあたりにできればナァとか考えてまス。
今後もぽつりぽつりと波乱の少ない話を書いていくノデ、軽い気持ちで読んでいただけたら幸せだったりしまス。
そう、ビスケットをつまむようにね!って感じなのヨネ(最後だけ芝姫が!)。

追記:白状しまス。今回シンジにあの台詞吐かせるために、こんな話になりました。

19990213:ラヴ!すれ違いながら街のどこかで息づくお互いに!



斉東さんの部屋に戻る/投稿小説の部屋に戻る
inserted by FC2 system