相合傘

斉東 深月


シンジ達が嘉納台の駅に着いた頃、駅前は雨だった。
頃は夕方、ただの夕立かとも思ったが、空は暗さを増し、雨足は少しずつ強くなっているようだ。
改札口を抜けたシンジ達は、ぼんやりと空を見上げる。
「どうしよっかぁ?」気の抜けたようなアスカの声。遊園地での雨とは無縁の青空を思い出す。
「うん、止みそうにないよね」シンジの声も力ない。が、いつもの無気力な感じはしない。
安心している。それが隣りにいるアスカにも判る。
それは嬉しいことだが、今はその響きが少し癇に触わる。関係ないと思っているように感じたからだ。
「ちょっとぉ、どうすんのよ。ここにずっといるつもり?」
アスカのその声にも、シンジは動じない。
「え?傘、持ってるけど」
ポーチから折り畳み傘を取り出すシンジを見て、とりあえず殴っておこう、と思った。

ひとつの傘に並んで入るふたり。
「自転車は?」
「駐輪場に置いとくわ。濡らしたくないし・・・・って、あんた!あんまくっつかないでよ」
あれ?
「しょうがないじゃないか。小さいんだし」
「はっ、どうだか」

そう言いながら、アスカの顔に怒りの色はない。
かといって嬉しいというと、そうではない。
反射的に、言いたいわけでもない言葉が口から出た。それを後悔している。
答えは出た。名前が付いた。自分が何を望んでいるかが判った。
しかし、それと、自分の感情の流れ、気分といったものとが、上手く整合できない。
昔はこんなじゃなかった。そう思う。もっと感情と表層に顕われるものが直結していたように思える。
これが大人になるってことなのかな。ねぇ、加持さん?
知らずのうちに、そう語り掛けた。
返事は、期待してなかった。

「どうかしたの?」気が付くと、シンジが怪訝そうにこちらを見ている。
「ん?何でもない。ちょっと、ね」
慌てて言いつくろうが、らしくない物言いであることはシンジにも判る。
だから、ついこんなことを言う。
「あ、あの、やっぱり、嫌?こういうの?」
「どうしてそうなるのよ」その見当外れが不愉快なのだ。
「いや、何か難しい顔してるから・・・」
「おかしい?あたしがこういうの?」だから、ついこういう挑発的な返事。
そんな事が言いたいんじゃないのに。
「おかしくはないけど・・・何か、気になるよ」
「心配してるの?何でもないって」
どちらかというと、この話題をこれ以上蒸し返したくない。
自分自身の整理がついていない状態だったからだ。

不意に周囲を見て、思い当たる。
アスカのマンションに向かっている。シンジの家とは逆方向。
「送ってくれるの?」今更気付いて、これはないなと思う。
「うん、傘持ってないんでしょ。だから」何の抵抗もない返事。
「いいわよ、家、遠くなるわよ」
「だめだよ。濡れちゃうじゃないか」
その言葉は嬉しいのだが、今はシンジと離れていたい。
自分の気持ちが、歪んでシンジに伝わるのが、嫌だった。と、いうより正直に言うと、恐かった。
完璧を求め過ぎているということに、アスカは気付いていない。
観覧車のゴンドラの中、抱き合ったあの感覚を、求めているのだ。
あの瞬間、世界中の誰に対しても断言できた。
『これがあたしの気持ちだ』と。
それがシンジにも伝わった、と、確信できた。
いつもそうありたい。と、願うのは、罪だろうか?
たとえ罪だとしても、そうしたい。少なくともシンジに対しては。
そのことすら伝えるのに躊躇する自分に、少し絶望しかけた。

そう感じたときには、体が動いた。
「悪いから、ここでいいわ。じゃっ」シンジから身体を離すと、雨の中を駆け出した。
あたしは、ずれたことをしてる。
それは判ったが、止まるものでもなかった。

雨の向こうに消えるアスカを見つめながら、シンジは、内臓を絞められるような気分になる。
言葉の表面だけを追えば、何の心配もないのだろう。アスカの気まぐれに振り回されるのは、今日が初めてじゃない。
が、何か違う。違うと感じた。
何か、言いたいことを隠している。と、いうか、言いたいことを言ってない感じがする。
他人に対する洞察力など、たいしてないシンジだが、それは判る。
自分がそうだったからだ。いつも言いたいことが言えないでいたあの頃。
だから判った。
そして気付いた。
何をやってるんだ。僕は。

弾かれたように走り出す。
一瞬、傘を捨てようかとも思ったが、さすがにそれはせず、走りながらたたむ。
話したくて、上手く話せないって、判ってるなら、僕が聞かなくちゃいけなかったんだ。
そういう思考は、容易に内罰的な方向に向かうが、今のシンジにはその先があった。
聞いてあげたいんだ。僕はっ。
義務や使命ではない。純然とした欲求。
アスカを救える。アスカの悩みを解消できるなどと、傲慢なことは考えていない。
ただ、悩むなら、いっしょに悩みたい。考えるなら、いっしょに考えたい。
そうすれば、躓いたときも、少なくとも寂しくはないんだ。
そう思うから、走れた。

アスカの姿を捉えたのは、マンションの前だった。
走り疲れたのか、力ない様子でぺたぺたと歩いている。当然ずぶ濡れだ。
「アスカ!」息も絶え絶えのはずなのに、この名前だけは苦もなく出せる。
しかし、その声を聞くと、アスカは後ろも見ずに走り出す。
シンジが追う。差が詰まる。アスカの姿がマンションの中に消える。
中まで入ると、エレベーターの扉が閉まりかけている。その向こうにアスカの背中。
慌てて飛びつく。閉まりかかった扉の隙間に手を入れて、もう一度叫んだ。
「アスカ!」
アスカの震える肩が見える。無慈悲に動く扉をこじ開けようとする。
自分にそんな力があるとは、シンジも思っていない。が、こうしている間は、ふたりの間は隔てられることもない。
後悔したくなかった。
やるべきことをやらなかった後悔ではない。やりたいことをしなかった後悔を、だ。
そのために両手の指くらい犠牲にしても構わない。
そう決意したとき、圧迫する力がなくなった。
扉がゆっくり開いた。
アスカは動いていない。
そういや、エレベーターって、そういう造りだっけ?
そう思った瞬間、シンジの全身から力が抜けた。

背中を向けたままのアスカと、座り込んだシンジを乗せて、エレベーターは上昇する。
「何で、来たの?」努めて平静を装うアスカの声。が、それだけでもシンジはアスカの異変を感じ取る。
「言い忘れた、っていうか、聞きそびれたことが、あって、さ」
アスカの背中が揺れる。「何をよ」
「悩んで、ない?」
「ないわ」嘘は付いていない。そんな段階を通り越しているということを言ってないだけ。
「ごめん、言葉が違ってた。僕に、言いたいことがあったんじゃ、ない?」
「なんで、そぉなるの、よ?」そう言うアスカは、自分でも、動揺してるな、と思う。
「僕がそう感じただけなんだけど、確かめたくってさ」
「え?」それだけ?
「気のせいかも知れないけど、それを抱えたままにしたくないし、決め付けるのも嫌だし、僕の手に余ることかも知れないけど、確かめたいから、だからアスカ。伝えてよ」

アスカの背中から、緊張が消えた。
エレベーターが、少し揺れて、止まった。
それが、合図になった。

何を迷っていたんだろう。
シンジはこんなにあたしを受け止めようとしている。
受け止めてくれるんだ。

「あ、あ?ア・・・スカ?」
急に振り替えり、飛びつくようにシンジに抱き着く。
胸に顔を埋め、両手を背中に回す。
シンジの狼狽をよそに、エレベーターの扉が開く。
間の悪いことに、そこには人がいた。中を見て、当然のように驚愕している。
「あの、アスカ。人、人が見てる」
返事はない。
仕方がないので、アスカを抱きかかえるようにして、外に出す。
途端にするりとアスカが動き、シンジの腕に自分の腕を絡める。
シンジの肩に頭を預けながら、言った。
「こうしたかったの。さっき」
花が開いたような、笑顔。

「こうしたかった・・・・・の?」
「そ。なのに、できなかったから。気持ちじゃそうしたいって、思ってるのが判るのに、それができない自分が、ちょっとイヤになって、ね」
「そうだったんだ・・・・・」
「でも、ね」一層強くシンジにすがりつく。
「シンジはこんなに一生懸命あたしを受け止めようとしてくれるって。そう思ったら、あたしも背中向けてらんないわよ」
「そうだったんだ・・・」嬉しくもあるし、申し訳なくもある。
「ごめんね。気付いてあげられなかった」
「気付けるわけないじゃん。あたし何も言わなかったんだから。あたしだってあんたが何したいかなんて、判らないわよ。だから、伝えて。シンジが受け止めてくれるように、あたしも受け止めるから」
「・・・・・アスカ・・・・・」
「ん、何?」
「ほんとに判らない?ぼくが何したいか」
「わっかんないわよ」コイツ、何聞いてたのかしら。
と、思った瞬間、抱きしめられた。

「え?あ、あの、シンジ?」
強いのに、暖かい。心の熱さが伝わってくる。そんな抱きしめかた。
「こうしたいんだ、僕は」
とどめの一撃。拒めるわけがない。そのつもりもない。
アスカも両手をシンジの背に回す。
こんな状況で、『やられっぱなしじゃ、ねぇ』と思ってしまうのがアスカの悪い癖。少し期待もある。だから聞いてみる。
「こうしたい、だけ?」
その艶めいた声音が、シンジを突き動かす。
「ううん」
顔を上げたアスカの唇をちろりと舐める。もったいぶるというより、戯れるような感じ。
「もぉ」
苦笑しようとした、その唇を塞ぐ。焼け付くような、くちづけ。
シンジが、抱きしめる手に力を込める。アスカも。
唇から、身体から、暖かく甘やかなものが流れ込んでくる。
僕は、アスカと、こうしたかったんだ。
あたし、シンジと、こうしたかったの。
こうしたかったのよ。

ふたりは忘れていた。
ここがマンションの廊下だったということを。
が、思い出しても、気にすることはなかっただろう。
幸せだったからだ。とても。

<ふたりの日々は続くけど、この話はここでおしまい>


終わってみて

こうして3部作終わってみて、感慨みたいなのがあるのかなぁ。と、思ってましたが、ねぇでス。
まぁ、こうしてうすぼんやりしててもナニなんで、3部作のネタばらしでも。

「走れ自転車」:これはもうドリカムの「Ring!Ring!Ring!」そのまんま。いっそバレてくれないかなと思ってたら、案の定メールで指摘してくれた方がいらっしゃいました。どうもでス。さすがにタイトルそのまま使うのはハズかったんで、小川美潮の曲から持ってきました。

「ループスライダー」:タイトルは、真心ブラザーズの曲から。目指せベタ甘!ってことで書いたら、どうも理屈臭い。オリの恋愛観がそうなのかな。

「相合傘」:タイトルをかせきさいだあの曲から取った時点で、18禁になるんじゃないかという予感がしてました。が、前2作からの流れを重視したら、こんな具合に。結果的にはスクーデリア・エレクトロの「MISS」みたいな感じになっちゃいました。後悔はしてねぇでスけど、18禁初挑戦には未練があるんで、こっそり書きまス。どこにも載せるつもりねぇでス。整合性無視してるから。いるかどうか判らないでスけど、見たい人いたらhtmlファイルをメールにくっつけてお送りするでス。ちろっと唇なめてからキスってぇのは、オリの得意技(っていうほどのことか)。ただし5年くらい前の。最近してねぇなぁ。誰かキスしよっか。キスよ、キス。(死)

何だ、あるじゃん、感慨っぽいのは。
それでは、ここまでお付き合いいただいた皆様、いつかまた。

DARU様に、差し上げられる全ての感謝を。
19980821:斉東深月


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