Star Children 第一部

「そして、宇宙(おおぞら)に / Fly me to the stars」





第三話


  「情報を制するものは」







2024年某月某日午後、大阪、先端技術研究所

「はぁ〜。天才って、いるものね〜。」

目の前に出された最新の報告書を見て、マヤは改めて感じた。
無論、彼女が能力を持っていることはマヤも知っている。
なにしろ、自分よりもはるかに優れたプログラマである彼女を見いだした時、
マヤはプロジェクトの一線から身を引くことを決めたのだから。

それは一年前のことだった。





その時マヤは交野市にある先技研第2研究所におかれたペンティアム1号機、
通称「デルポイ」の定期試験を行っていた。

「変ですね、先輩。」
「どうしたの、サキちゃん。」

朝霧サキ。
彼女を見ていると、何年か前の自分の姿がダブって見える。
(先輩も、今の私のような気分だったのかしら。)
昨年大学院を出た所を、マヤがスカウトして連れてきた。
明るく素直ないい子である。
まだ技術的には未熟であるが、伸びる素質は持っていた。

「それが、A31ブロックなんですが、
 前回のテストより3ポイント速くなっているんです。」
「えっ!本当なの?」
「ハイ。でも、計算結果は前回と同じなんです。」
「それは変ね。再チェック、お願いね。」
「ハイ。」

と、その時、別の方向からも声が上がった。
今度は次席研究員の村雨ヨウイチである。

「こっちも変です、主任。C17が5ポイント速くなっています。」
「アラッ。それで、リザルトは?」
「問題なしです。」
「わかったわ。最チェック後、問題のブロックを逆アセンブルしてソースを頂戴。」
「はい、わかりました。」

テストを続けていると、同じようなブロックがどんどん見つかった。
そのどれもが性能が向上していた。
トータルで評価すると、ペンティアムは0.01ポイントも高速化していた。

「どういうことかしらね。」
「ペンティアムが自分でプログラムを書き換えたのでは...。」
「それは無いわよ、サキ。
 『デルポイ』はペンティアムシリーズのオリジナルバージョンだから、
 自己修正にはプロテクトをかけてるのを忘れないで。」
「そうでしたね。すると...。」
「クラッキング、ですか。」
「考えたく無いけど、それしか考えられないわね。」
「でも、何重にも張り巡らした防壁を破ってですか?不可能ですよ。」
「不可能ではないわ。所詮、人が作ったものだもの。」
「そういうこと。どんなプロテクトも結局は時間稼ぎに過ぎないからね。
 理論上、無限の時間を持ちこたえるプロテクトは存在しない。」
「それに、内部の人間にもプロテクトは無効よね。
 村雨君、あなたじゃないの?」
「と、とんでもない。僕だったら、とっくに自慢してますよ。
 ペンティアムの高速化に少しでも成功していたらね。」
「そうね。でも、内部の可能性も考えなきゃね。」
「わかりました。保安部にも連絡しておきます。
 それで、対抗策はどうしますか、冬月主任。」
「ノーマルな防壁や、攻勢防壁も見たところ効果はなかったようね。
 ここは、あえて古典的なブービートラップでいきましょうか。
 村雨君。急いで今夜中になんとかなるかしら。」
「多分。で、どのタイプにしますか。」
「それは、あなたにまかせるわ。
 ハッカーの心理を逆手にとって、逆に盲点をつくのよ。」



その夜、マヤは一人で研究室に閉じこもり、打ち出されたソースリストを検討した。

「は〜。すごいわね、これは。
 修正ロバコフスキー法を変形してミューレル方程式のまったく新しい解法を発明してるわ。
 これを書いたのは数学の天才でもあるわね。
 こっちは、A18を迂回して、B32を回してるわ。B32は...
 そう。確かにそうね。使えるわ。
 だけど、特異値は...。ああ、そうか。ここで自動的にトラップされるのね。
 ふーん.....」
その時、電話がなった。

「冬月主任、引っかかりましたよ。」
「こんなに早く?いいわ。データを回して。」

マヤの端末に、トラップされたデータが送り込まれる。

「彼が?そう。」
「お知り合いですか?」
「ええ。」

しばらく、思案する。

「どうします?保安部に連絡しますか?」
「いいえ、やめてくれる?この件は私がなんとかします。」



その晩、彼女は彼の自宅を一人で訪れた。
彼も、彼女の来訪を予期していたようだ。
別に驚いた顔も見せず、淡々と彼女を居間に招きいれ、紅茶を淹れた。

「相田ケンスケ君。単刀直入に言うわ。
 今日、ペンティアムにハッキングしたのはアナタね。」
「ええ、そうですよ。
 しかし、マヤさんがあんなことをするとは思わなかった。」
「あんなこと?」

とにかくいきなり本題を切り出して交渉を有利に進めよう、というマヤの目算はあっけなく崩れた。
ケンスケの態度はマヤの予想していた反応とは違っていた。
一瞬のためらいもなく、肯定の返事が返ってきた。
おまけにケンスケはマヤの質問を軽く受け流してすぐに切り返してきた。
『あんなこと』がなんのことだかマヤにはすぐには見当がつかなかった。

「キャナリア・トラップ。
 おかげで僕のシステムがめちゃくちゃだ。」

キャナリア・トラップとは、三年程前に開発された防御システムの一種である。
最新のシステムから比べれば、単純で古典的とも言える手法だ。
防御側のCPU占有率が非常に大きくなるので最近はほとんど使われることはない。
ケンスケの言葉からは、村雨がこの古典的トラップをうまく改良して偽装した上で、
ケンスケのシステムにカウンターハックを仕掛けたらしい事が推察された。
とは言うものの、本気で怒っている様子には見えなかった。

「さあ。仕掛けたのは私じゃないから。」

一方でケンスケの態度には悪事がばれた事に対する罪悪感みたいな物が微塵も感じられなかった。
それがマヤには気に入らなかった。

(ハッキングやクラッキングが悪い事だと思ってないのかしら。
 アナタは軽い悪戯のつもりでも、それでは済まされない事ぐらいわかるでしょ。
 ペンティアムの様なシステムの場合、一歩間違えれば大惨事を引き起こしかねないのだから。)

マヤの口調は次第に詰問調になっていた。

「それで、相田君。どうしてあんなことをしたの?」
「どうしてって?
 勿論、情報を集めるためですよ。」
「じゃあ、プログラムを改変したのはなぜ?」
「プログラムをって?僕はそんなことしてませんよ。」
「とぼけないで。他にだれがこんな事ができるの?」
「さあ。僕はハッカーとしても優秀だとは思うけど、別に世界一ってわけじゃない。
 まあ、さすがにペンティアムをハッキングできる奴はそうはいないですけどね。」

他にもハッカーがいる可能性をマヤは考えていなかった。
だがケンスケの目を見ると、ウソを言っている様には見えなかった。
本当かもしれない、そんな気がしてきた。
念を押すようにマヤはもう一度尋ねた。

「あなたじゃないのね。」
「ええ。プログラムの改変って言いましたね。
 クラッキング?相当悪質なものですか?」
「いえ、そうじゃないの。むしろ前よりシステムは改善されたわ。」
「そこはデコイ(囮)で、他にスリーパ−を仕掛けてるって事は。」
「それも無いと思う。徹底的に調べたから。」
「ふーん。そんなことやりそうな奴に一人だけ心当たりがありますよ。」
「!」
「ネットでは結構有名な奴ですよ。それに僕よりも優秀なプログラマだし。
 ペンティアムの中でも一回バッティングしたことがあります。」
「誰なの、それは。」
「仲間うちじゃ、パペットマスターって呼ばれてる。」
「それだけ?」
「いいえ。
 でも、その前に、そいつのことを教えたらどうするつもりか知りたいですね。」

「聞いてどうするの?庇うつもり?」とはマヤは訊かなかった。
そして正直に、今夜の訪問の目的をケンスケに告げた。
多少のお説教ぐらいしようかとは思っていたが、本格的に罪を訴えるつもりは元々なかったのだ。

「スカウトするわ。
 実は、アナタをスカウトするつもりでここに来たの。
 これをやったのは、明らかに私よりも優秀な数学者でプログラマーだから。」
「スカウト!?
 僕は嫌ですよ。」
「いいわ、その話は後。早く続きを教えて。」
「その子は...。」
「その子?」
「ええ。女の子です。
 時々ですけどチャットとか、色々やり取りをしてますよ。
 あれ以来、僕のサーバーにも時々ハックしてくるんです。」
「こちらからその子に接触できる?」
「向こうはプロテクトに自信があるから僕にはハックできないと思ってるみたいですね。
 でも、できるんだな、これが。」
「いいわ。やって頂戴。」
「でも、違法ですよ。いいんですか、マヤさんともあろうお人が。」
「....。
 いいのよ。問題にならなければ、罪には問われないって先輩も言ってたわ。」
「じゃあ、仕事部屋に行きますから、付いてきてください。」



部屋は見事なまでに雑然としていた。
組み立てている最中なのか、分解している途中なのかわからないコンピュータの山。
至る所に散らばっている基盤や電子部品。
所々に積み重ねられている雑誌。
ここに長時間いる事は、マヤの神経には耐えられそうにない。
だが後で聞いた所では、本職で使っている写真部屋はもっとヒドイらしい。

「じゃ、始めますよ。」

どうやらこれがサーバーらしいとマヤが目を付けていたマシンにコマンドを打ち込んだ。

「前々から、カウンターハックの準備はしていたんですよ。」

ディスプレイの表示から、次々と相手のプロテクトをクリアしていく様子がわかった。

「つながったぞ。」

画面に『Contact』という赤い表示が大きくでる。
つづいて、データベースをサーチすべくコマンドを入力しようとしたが、
その前にウィンドウが開いてメッセージが逆に送られてきた。
そのまま、チャットモードに自動的に移行する。

『アラ、ケンスケさんね。お久しぶり。
 今日中には来れないんじゃないかって心配していたのよ。
 冬月博士もそこにいるのかしら?』

「あっちゃー。全部お見通しでやんの。」

『プロテクト・クリアに48秒ね。
 あなたのマシンの性能から行けば、なかなかのタイムね。
 どうしたの?返事してよ。』

「代わって。」

マヤは有無を言わせず、ケンスケからキーボードを奪いとった。

『あなたがパペット・マスターね。』
『冬月博士ですね。そんな名前じゃなくて、みッちょんと呼んでください。』

「みっちょん?」
「だから言ったでしょ。10代の女の子だって。
 それにかなり我儘ですよ。これまでお金に不自由したことはない。
 エトセトラ。エトセトラ。」
「プロファイリング済みなわけね。」
「だいたいね。本名も見当がついてますよ。」
「教えて頂戴。」
「天城ミホ。ソフト・エー・エックスの天城ミホですよ。」
「エー・エックスって、あのゲームメーカーよね。
 『エンジェル・アタック』を発売した...。」
「ええ。そこの売れっ子プログラマですよ。『エンジェル・アタック』も彼女の作品です。
 しかも現役女子高生。
 一度、取材で会ったことがありますからね。まず間違いありません。」
「いいわ。」

『あなた、天城さんね。』
『てへっ。やっぱバレてたか。
 ケンちゃんには一回仕事で会ってたのがまずかったわね。』
『あなたね、ペンティアムのプログラムを改変したのは。』
『そうでーっす。でも、「改変」じゃなく、「改良」って言ってほしいな〜。』
『認めるわ。
 でも、なんであんなことしたの。』
『ヒマで退屈だったから。』
『それだけ?まあいいわ。
 あなた、高校生なんですってね。どこであんな数学教えてもらったの?
 大学の数学でもあんなに難しいこと教えないわよ。』
『数学?なんのこと?
 私はただ速くなるように組み替えただけよ。
 やり方にちょっとコツがいるけど、数学なんて関係ないわ。』

(ちょっとしたコツ?あきれたものね。
 ダイヤの原石発見、ってとこかしら。)

『あなた、まだ高校生、つまり未成年ってことよね。
 明日、おうちに伺います。ご両親にそう伝えておいてね。』
『何?ヤダ。お説教なら御免よ。
 それにパパもママもあたし怖くなんかないからね。
 警察もよ。』

(.....。)

『お説教なんかじゃないわ。
 アナタを先技研の研究員として連れていきたい、って話よ。
 無論、あなたが高校を出たらの話だけど。
 悪い話じゃ無いと思うけど。
 大学とはちょっと違うけど、学位だって取れるわよ。』
『やったー。そうなればペンティアムを使い放題って訳よね。
 ねえ、高校卒業するまでだめかな。』
『使い放題って訳にはいかないと思うけどね。
 高校は....。そうね、なんか考えてみるわ。
 アナタも満足できそうなのを。
 じゃあ、詳しい話は明日、おうちでね。』
『いいわ。じゃあ、待ってるから。』

プンッ。
音がして接続が切られた。

「あれ、おかしいな。こっちがハックした筈なのに、なんで向こうから切れるんだ?」
「フフッ。どうやら、彼女の方があなたより優秀だって言うのは本当のようね。
 どうやらいつの間にか逆ハックされてたみたいね。」
「ああ!ガードは完全だった筈なのにー。」



ケンスケはまだ若干混乱しているようだが、マヤは改めてケンスケに向き直った。
ハッカーが二人もいた事で当初の予定とは少々変わってしまったが、
ここでケンスケにも釘を差すのを忘れて帰るわけにはいかなかった。

「さて、これで彼女の一件は取りあえずかたが付いたわね。
 じゃ、次にとりかかりましょ。」
「次?」
「そうよ、ケンスケ君。あなたの番よ。」
「.....。」
「わたしはなるべく穏便に事を済ませたいの。あなたのことも知っているから。
 あなたを罪に問うようなことはしたくはないわ。」
「僕が何をしたっていうんですか?」
「ペンティアムに不法侵入し、違法に情報を入手した。
 これは立派な犯罪よ。」
「『問題にならなければ罪には問われない』って、さっきのマヤさんの言葉ですよね。」
「ええ、そうよ。
 だからあなたが反省して二度としないと誓うなら今回は見過ごすつもりでいるわ。
 どう、ケンスケ君?」
「イヤですね。反省する気は無いし、誓う気も無いし、いずれまたやるつもりです。」
「ケンスケ君!」
「訴えたければそうしても構いません。
 でも、そうすれば多くの事がマスコミに公表されるでしょうね。
 僕は色々と知ってしまった。そう、僕は松代のマギもハックしたんです。」
「私を脅すつもり?事の重大さはわかっているんでしょうね。
 あなたがあの事を全て公表してしまえば、世界はまたインパクト前の混乱に逆戻りするかもしれないのよ。」
「僕だって本気でそんなことはするつもりはありませんよ。」
「じゃあ.....。」

ケンスケは改めて居住まいを正し、マヤに正対した。
先程までの半ばスカした態度とは違い、目には真剣さが込められていた。

「ただ、あのころ裏でこんなことが起きてるなんて知らなかった。
 知った時はショックでしたよ。
 そして、次に感じたのは怒りでした。自分に対する。
 シンジに僕が何をして、何を言ったか。それで何度彼を傷つけてしまった事か。
 どうして彼らの重荷をわかち合ってやれなかったか、ってね。
 次に落ち着いて考えるようになって感じたのは、やはり怒りでした。
 政府に対する、ゼーレに対する、そしてネルフに対する怒り。
 それにはあなたも含まれていないわけではないんですよ、マヤさん。
 チェックとバランスの機構が崩れたことから、あんな事態になったんだ。
 結果はうまくいった。確かに他にいい方法はなかったかも知れない。
 だけど、次もうまくいくとは限らないでしょう?
 全ての原因は情報の独占にあった。
 だから、僕がこうして....。」

ケンスケの独白をマヤは遮った。
彼の言いたい事はわからなくもなかった。
でも、それを受け入れてしまっていいのだろうか。

「今度は正義の味方を気どるつもり?」
「ええ、そうですよ。」
「でもね、あなたがそうして得た情報を悪用しないという保証もないわ。
 Quis custodiet ipsos custodes ?」
「何て言いました?」
「昔からの警句よ。
 誰が番人を見張るのか?
 ケンスケ君。あなたは基本的に信頼できるヒトだとは思うわ。
 それに、その態度も立派だと思う。
 でも、どんな状況でも完全に100%信頼できるというわけでもない。
 そんなヒト、どこにだっていやしない。」

尊敬と信頼は別物であることをマヤはあの出来事の中で教訓として得た。
また清廉潔白に生きる事は理想ではあるが、現実を生きていく以上不可能である事も、今はわかる。
いや、わかってしまった、と言うべきか。

「それにもし本当に何かあったとして、あなたが公表することでかえって災厄を招いてしまったら?
 いったい何を基準にあなたの判断を正しいと決めればよいの?
 だめね。あなたを信じないわけではないけれど、こればかりはね。」
「マヤさんの心配は理解できます。
 でも、僕は間違った事をしてるとは思いませんし、やめるつもりもありません。」

ケンスケは本気だった。
そしてケンスケの言うことにも理はあった。
彼の言葉を頭から否定することもマヤにはできなかった。
マヤがかつて当事者の一人であった事も、心理的に不利に働いていた。
マヤは頭の中で必死で解決策を探した。
浮かんできたのは解決策、というよりは妥協案だった。

「わかったわ。でも、一つだけ約束して。
 もし重要な事態に出会ったら、軽はずみなことをする前に誰かに相談して。」
「誰かって、誰に?
 マヤさんですか?」
「いいえ。もしあの時の様な事態なら、私には荷が勝ち過ぎるわ。
 私が考えているのは、碇司令よ。」

マヤの知る中で、この種の事で二番目に信頼が置ける人物。それが彼だった。
この種の情報に接する資格を持ち、軽はずみなことはしない性格。
目的のためには非情の手段をも辞さぬ男だが、その判断、決断は的確だった。
さらに、今の彼なら同じ状況に置かれてもあのような事態にはならないだろう。

「碇司令って、シンジのオヤジさんに?」
「ええ、そう。今のあの人なら信頼できるから。
 全ての記録を読んだのならば、それはわかるでしょ。
 いい?誓える?  ケンスケ君?」

ケンスケはしばらくためらった。
なんといってもあの出来事を主導した男なのだから。
だが、確かに適任の男であることは間違いなかった。
そして、厳かに右手を挙げて、やや芝居がかった口調で宣誓を始めた。

「ええ。
 僕は知り得た情報を絶対に悪用しません。
 もし何かあったら行動の前に碇ゲンドウ氏に諮問いたします。
 そして、シンジが守ったこの地球のだめに微力を尽くします。
 僕の親友、碇シンジとの友情に賭けて誓います。」



こうしてこの日、先技研に現役女子高生のスペシャルアドバイザーと非公認ハッカーが誕生した。





「やんなっちゃうわね。まったく。
 私が三日徹夜してもできないような仕事をたった一晩で片づけちゃうんだから。」
「まさに、天才、ですね。」
「そうね。サリエリの気持ちがわかるような気がするわ。
 彼も、モーツワルトを初めて見た時はこんな気分だったのかしらね。」
「サイバネティクスのモーツワルトですか?」
「あるいは、現代のガロワ、と言ってもいいわ。
 彼女、本当は高校に行く必要なんて無かったんじゃない?
 今すぐにでも大学で数学を教えられるわよ。」

天城ミホはすぐに正式な職員として認められたわけではない。
先技研の職員は公務員であるから、高校生という身分が障害になった。
だが高校の最後の半年間も自宅に特別回線を引いてペンティアムを自由に使っていた。
その間に彼女の力でシステムの性能、特にプロテクト能力が飛躍的に向上したことは言うまでもない。
それでも、相変わらずケンスケは時々ペンティアムにもぐりこんでいるようだ。
マヤはあえて確認しようとは思わないが、ケンスケとミホの間で何か取り決めでもあるような感じがする。

今、ミホは高校を卒業して、先技研で研究職員として勤務している。
マヤが提唱した新世代のコンピューター開発計画に従事している。
ミホが主導権を握った今、計画はマヤの手元を離れ飛躍しつつあった。

プロジェクト『ミレニアム』

完遂までに3年はかかると言うマヤの見込みは大幅にはずれ、
順調に行けば1年後にはプロトタイプが稼働を始められるだろう。
『思考する(思考している様に見える、ではなく)コンピュータ』の実現は近い。







同刻、第二東京市、鈴原邱


冬月マヤが、自己の抱える多数のプロジェクトの報告書を読み、
数日後に控えたプレゼンテーションに備えて戦略を練っていたその頃、
別の場所では、世界を危機から守るために戦略を練らんとする者達がいた。


「そうか。事態はそこまで悪くなっているのか。」
「ええ。ここまで浸透されているとは僕も思ってませんでした。」
「日本でこれですものね。他の国では...。」
「ああ、そうだな。まず、間違いは無かろう。」
「はい。各国の政治、経済、そして軍は実質的に彼らの支配下にあります。
 ただ、表向き各国の民主主義は機能していますから、
 今のところは表立って大きな動きはできない筈です。
 彼らが表に出てくるには何か大きなきっかけがないと...。」
「きっかけ?」
「そうだ。きっかけだ。
 ちょうど24年前のセカンドインパクトの時のような、な。」
「ゼーレが、委員会が表に出てきたのは確かにアレがきっかけでしたわね。
 そして、ゲヒルン、ネルフも。」
「彼らが人類補完計画の再実行をもくろむにしても、
 何かその前に、表に出てくるきっかけとなる事件が必要だ。」
「それが何かわからないかしらね。」
「すいません。努力はしてるんですが、いまだ彼らのシステムには...。
「無理はするな、相田君。
 君はまだ奴等には知られていないだろう。
 今の段階では、我々の知ってることを奴等に知られない事の方が重要なんだ。」



「さて、難しい話はもう終わったんやろ。ほな、飲もか?」

トウジがビールを持って入ってきた。
隣の部屋でタイミングをうかがっていたのだ。
ちょうど話が深刻な行き止まりに入りかけたのを見はからい、
わざと陽気に振る舞おうという気遣いが感じられた。
ヒカリはレイやアイ、ペンペンと一緒にテレビを見ていた。
この会合は鈴原家で行われていた。
ここならケンスケが訪ねてきてもおかしくないし、
アイとレイを連れてゲンドウとユイが週末遊びに来るのも珍しくはなかったからだ。

「ワイは頭悪いから難しい話はようわからへん。
 そやけど、ウダウダ考えとっても始まらんもんは始まらんもんや。
 喧嘩と一緒や。ぱーっと最初にパチキくらわしたったらええんや。
 それがでけへんときは、ひたすら耐える。
 耐えて耐えて耐えまくった後に一気に反撃して勝負を決める。
 これがカッコエエ喧嘩の勝ち方や。」
「そんな、トウジ。無茶を言うなよ。漫画じゃあるまいしそんなにうまくいくもんか。」
「そこをうまくやるんが、ヒーローって奴やないか、な、ケンスケ。」



「あなた、この情報、冬月先生にはお知らせしないでいいの?」
「ああ。構わん。
 あいつはあいつでなんとかするだろうさ。
 ユイは知らんかもしれないが彼の情報収集能力は侮れんのだ。」
「知ってますよ。でも、もうお年ですし...。」
「色々やることがあった方が、あいつもボケなくてすむ。」







同刻、ドイツ、某所にある会議室


00 「極東での工作がどうやら遅れているようだな。」
03 「遺憾ながら、事実だ。
    極東司令部はなかなか結束が固い。」
04 「あそこはサードインパクトの発信源だったからな。
    加えて上層部にはあのネルフの出身者も多い。」
01 「取り除くのよ。必要なら力ずくで。」
03 「無理だ。そんなことをしたら却って混乱を招き取り返しがつかぬ事になる。
    それより、そういうお前の方はどうなのだ。
    碇ゲンドウの排除に成功したという報告は聞いて無いが。」
01 「2回、失敗したわ。奴もまんざら莫迦ではないようね。
    ちゃんと周辺に気を配っている。
    これ以上強引な工作は政府の手前、確かに無理なようね。」
02 「現時点で我々が表に出ることは許されないわ。
    正面から行けないなら、搦め手から攻めた方が良いわね。」
03 「努力はしてる。」
01 「努力は認めるわ。でも成功しなくては意味がない。」
00 「運命(さだめ)の日は近い。
    この段階での計画の遅れは致命的だぞ。」
04 「いっそ、当面は極東は無視したらどうか。
    事が起きたあとで制圧すればそれで良いでは無いか。」
00 「最悪の場合はそれもしかたなかろう。
    だが、問題は彼らが素直に制圧されるかどうか、だな。」
01 「ふん。彼らに何ができるというの?エヴァンゲリオンもなしで。」
03 「さて。だが彼らにはネルフの遺産があるからな。
    そしてあの碇ゲンドウと碇ユイもいる。油断は禁物だぞ。」
00 「まあいい。できるだけ努力を続けるのだ。
    我らが真の力を取り戻すその日まで。」
03 「わかっている。」
00 「人類が革新する、その日のために。」







さらに同刻、金星探査船『昆崙』


「すごいですね、アスカさん。」
「まあね、当然よ。」

アスカがシミュレータから出てくるや否や、パイが駆け寄ってきた。
アスカはこれまで彼が持っていたレコードを軽々と追い抜いていた。
交替ですぐにシンジがシミュレータに入った。

「目標をセンターに入れてスイッチ。」
「目標をセンターに入れてスイッチ。」

中の声がモニターから聞こえる。

「相変わらず鈍くさいことやってるわね。一々声に出して恥ずかしく無いのかしら。」
「でも、彼もいいスコアですよ。今の所パーフェクトです。」
「まあね。私のシンジですもの。」

そこまで言ってから、マイクを掴んで中のシンジに声をかける。

「ホラ、シンジ。アタシを見習って頑張りなさいよ。
 それとその鈍くさいかけ声なんとかならないの?」
「うるさいな。気が散るから黙っててよ、アスカ。」

シンジからの返事。
と、その時、ターゲットを一つ外した。
結局、そのミスのおかげでシンジは999点でシミュレータを終えた。
ちなみにアスカは1000点、パーフェクトである。
これまでの記録はパイの824点であるから、どちらも大幅な記録更新ではある。

「ま、こんなものかしらね。実力通りの結果ね。」
「アスカがあそこで声をかけなければ僕だって...。」
「うっさいわね。集中力が足りないから気が散らされるのよ。」
「それに鈍くさいかけ声ってなんだよ。アスカだって時々叫んでるじゃないか。」
「え、わ、私のは華麗なかけ声っていうのよ。」

二人は延々と口げんかを始めた。
それを横でパイが楽しそうに見ている。

「ほんと、お二人って仲が良いんですね。」
「「えっ」」
「ほら、口げんかの時も、スッゴク楽しそうにしている。」
「そ、そんなこと.....あるかな。」

少し赤くなりながら、小さな声になるアスカ。
シンジは少し微笑んで、そうだね、という肯定の意思を示している。

「ほらシンジ、次のシミュレーション始めるわよ。
 次は何?惑星着陸?いいわ。また私からね。
 華麗な着陸のお手本を見せてあげるからよーっくみておくのよ、シンジ。」



「さすがチルドレン、実戦経験者は違うというべきですかね。」
「ああ。だが注目すべきはやはり彼らのシンクロ率だよ。
 他の者ではこれらの値にははるかに及ばない。
 それが今回の任務に彼らが選ばれた理由だ。」
「ええ、それはわかります。シンクロ率が重要な事は。
 それでも、やはり総合的に見て、彼らが選ばれた訳に納得はしていません。
 アスカさんの方はまだ理解できます。彼女は科学者としても優秀ですから。
 ですが、シンジ君の方はテストもシンクロ率以外は平凡な成績ではないですか。」
「自分が選ばれなかった事に嫉妬しているのかい、レイファ。」
「ええ、それもないわけではありませんが...。」
「パイはそんなこと気にしていないようだぞ。」
「パイは...、彼はああいう子ですから。」
「まあいいさ。
 確かに彼らの選出に政治的な思惑があったらしいという噂はオレも聞いている。
 だがシンジ君は間違いなく優秀だよ。アスカ君を含めた他の誰よりもな。
 オレの勘では、彼はまだ底を隠している。
 あるいはシミュレータでは測れない深い才能を持っているのか、な。」
「彼が、ですか。」
「ああ。まあ、例えそうでないにしても、だ。
 彼以外の人間に、あのアスカ君と1年も2人きりで耐えられる訳がないだろう?」
「はぁ。それはそうですね...。」



「はっはー。恥ずかしー。ころんでんの。
 パイだって成功したのにあんなところでころぶなんて。」
「うるさいなー。いいだろ、少し失敗したくらいで。ほっといてよ。」
「シンクロ率がいいからって、技術的にはまだアタシに及ばないわね。
 もう少し腕を磨きなさい、シンジ。」
「もういいじゃないか。ころんだくらいで死ぬ訳じゃなし。」
「あっまーい。その油断が時に死を招くのよ、宇宙では。」
「わかってるよ。次は成功させるさ。アスカよりもずーっとうまく。」
「できるものならやってみなさいよ、バカシンジ。」

二人の傍らで、またパイがニコニコしながら二人を眺めている。



「しかし、彼らを見ているとどうも緊張感に欠けていかんな。」
「あら。でも見ていて微笑ましくて良いですわよ、司令。」
「それはそうだが...。」
「それに、だからこそ、あの時代を生き延びることができたのでしょう。」
「ああ、そうかもしれないな。」

一瞬ではあるが、二人はあの時代を振り返っていた。
セカンドインパクトによって幕をあけた戦いと混乱の時代。
使徒。そしてサードインパクト。
戦っていたのは何もチルドレンだけではなかった。
舞台の裏側で繰り広げられた戦いもあったのだ。
諜報と対諜。破壊工作。買収。懐柔。裏切り。二重スパイ。
各国政府とネルフ、そしてゼーレの間で繰り広げられた、情報を武器とした戦いだった。
彼ら二人の出会いもあの時代の事であった。
今だからこそ、それを懐かしく振り返ることもできる。
だが、二度とあんな経験はしたくない、あんな時代に戻りたくない。
その思いは、彼らの間で共有していた。
そして、この昆崙に乗る全員の思いでもあった。





刻はゆっくりと、だが確実に進んでいく。
その時、の訪れる瞬間に向かって。
その先にあるのは、終末か未来か。
まだ結末を知るものは、誰も、いない。








次話予告




「ふーん。ケンスケ君、大活躍じゃない。わき役のくせに。」

『君、誰?』

「青葉です。青葉シゲル。」

「言わなきゃ、全然お前だってわからないぞ、シゲル。」

『そういう君のセリフには個性があるのかい、日向君。』

「シゲルのことを呼び捨てにする、これができるのは僕だけです。エヘン。」

「お前も情けないぞ。TVでは俺よりセリフがずっと多かったのに。」

「俺達、単なる脇役だったもんな。」

「ああ。」

「そんなこと無いですよ。お二人ともそれなりに目立ってたじゃないですか。」

「所詮、『それなり』に過ぎないよ、俺達の場合。」

「マヤちゃんはいいよな。人気者だもんな。」

「ところでさ、今度のお話は、どうなの。やっぱり俺達、また脇役なのかな。」

『いや、今回はかなり重要な役割を担ってもらいます。
 なんと言ってもうるさいのは宇宙に行っちゃってるからね。
 地上組では間違いなく主役級だよ。』

「はあ。でも、あくまでも『級』なのね。主役じゃなくて。」

「青葉シゲル、青葉シゲルをお忘れなく。」
(こう言っておけば、オレも次回主役になれるかな。)


「無理だって。題名見たら、次の主役は決まってるも同然だろ。」



次回、第四話

「科学の時代」




「まさに科学万能の時代ですね。」





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