ある神話

 

1.患者

 

その患者が入院してきたのは、1月も終わりの寒い雨の日だった。

この病院の程近くにある、「鳴沢擁護老人ホーム」からの入院患者で、軽い風邪から肺炎を併発したものだった。

患者の名前は「六分儀シンジ」、87歳。身寄りは無い。

 

患者は、老人ホームの裏にある、第3新東京都市を見下ろす形の公園へいつも散歩に行くのを日課としていた。

朝と夕方と1日2回。そしていつも必ず決まったベンチに座り、じっと眼下に広がる街を見続ける。

そうして1時間ほどをそこで過ごして帰るのだった。

 

先週末の雨の日の夕方、6時を過ぎても帰ってこないのを心配した職員は、いつも座っているベンチの前でうつ伏せになって倒れていた老人を発見したのだった。

 

老人は、その年齢にしては元気だったそうで、痴呆も無く腰も曲がらず、日常生活上の支障は一切無かったそうである。

細かな雑事もいとわずこなす方で、ホーム内では、他の老人達の世話をし、職員の仕事を良く手伝っていたという。

ただし、本人は隠している様であったが、左耳に軽い難聴があり、そして左手の中指、薬指、小指が曲がらない。 

また、長時間、事務処理の様な作業を続けていると、しばしば発作的な頭痛に悩まされる事もあったので、専ら体を動かす仕事を手伝っていたらしい。 

 

伏木は、今度入院してきた17号室の患者のカルテを眺めながら、何故、自分がこうも気になるのか、いぶかっていた。

初めて会ったとき、苦しい呼吸にも関わらず、穏やかな表情で六分儀氏は言った。

「先生、お世話になります。」

印象的だったのは、その瞳だ。

それは何とも哀しい色を秘めた、けれど凛とした強さを感じさせる瞳だった。

まるで少年のようなものを感じさせる瞳。

長身痩躯で、白髪、肌には染みが浮き出て年齢相応になってはいる。

しかし清潔さを感じさせる風貌は、奇妙に人を惹きつけるものがあった。

 

伏木はコーヒーカップを取り口に当てた。

(87歳か。あのサードインパクトの当時は14歳の少年だった訳だ。

想像を絶する地獄を見てきただろうに。)

伏木は、自分の40年の人生をふと考える。

実際、サードインパクト後30数年たった頃でも、世界は決して、人々にとって住みやすい所ではなかった。

伏木の子供の頃は、配給制だった時期もある。

常に腹を減らしていた、そんな思い出ばかりだった。

(それが今はどうだ。

少なくとも生活水準はサードインパクト前と同じ所まで回復した。

コンビニには物が溢れ、街にも活気が戻っている。)

 

それから再びカルテを見ながら看護婦達に聞いた話を反芻してみた。

 

老人は、ホームの人々には殆ど自分の事を話さなかったそうだ。

ただ穏やかに「いろいろな事がありましたよね。お互い。」と微笑むだけだったという。

その代わり他人の話は親身になって聞いてやった。

ホームの老人達の揉め事の調整も六分儀氏の仕事だったという。

痴呆症の進んだ老人達ですら、六分儀氏になついた。

 

それなりに貯えもあり充分1人で生活できそうなのに何故、老人ホームに入ったのかと尋ねられて、六分儀氏は微笑みながら、こう答えたと言う。

「いや、全く身寄りが無いですし。やっぱり人と住むのが人にとって一番大事なんですよ。」

職員の話によれば、過去に結婚したこともなかったようである。

 

六分儀氏の人となりについては、みな、一様に「おだやか」で「いつもじっと見守ってくれているような温かさ」を感じると言う。

 

(何故、彼はいつもあの公園に行っていたのか?)

六分儀氏は公園に行くときは必ず1人で行った。

時には同行したいとの言うものも居たが、そのような時には本当に済まなそうに言ったという。

「本当に、ごめんなさい。勿論お出で頂いてもかまいません。

ですが、あの公園の中では私を1人にしておいて欲しいのです。

それが私の約束なので。いや、単に私がそう決めて居るだけかもしれませんが...」

そういう時の六分儀氏は何故かとても悲しそうで、しかし訳を尋ねるのが憚られるような雰囲気があった。

 

六分儀氏が倒れた日の午後、彼宛てに1本の電話がかかって来たと言う。

電話を取ったのは六分儀氏自身だったので、職員はどこからかを記憶していなかった。

ただ、その電話の後、老人はいつもより言葉少なかった。

そして夕方、雨が降っているにも関わらず独りで公園へ行き、そして倒れたのだった。

 

(次へ)



 
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