虹(「ある神話」続編2)

1.血

2.欲望

3.命

4.想い

5.裏切り

6.閉ざされた生

7.日々

8.虹―epilogue

 

後書き


 

頬がざらざらしたコンクリートに押し付けられている。濡れたコンクリート。口の中を切って、血が染みを床に広げている。血の味。それから...。吐き気がする。青臭い匂い。ぬめぬめとしたものが喉にへばりついている。舌が感じる。歯が折れている。舌の裏にごろごろしたものが、折れた歯であるのに気付く。折れた後の歯茎には血の味のする穴が空いている。

体がだるい。股が引き裂かれたようにうずいている。

シンジは、シャワー室の床に、裸のまま、うつ伏せに倒れていた。

 

『ここで殺されるのかな....。』

シンジの思考は極度に鈍くなっていた。

何も考えられない。考えたくない。

男達が、シンジを殴り蹴り、そして犯した。醜い顔。体。臭い。

『汚物にまみれて、ゴミみたいに、汚い姿になって死ぬのか。

これで終わりなのか。』

それ以上は考えられない。

 

死を前にした囚人達は、妙に清潔な感じのする、この少年に反発を感じたのだ。

少年は、全く彼等に関心を見せなかった。

それは超然としている様にすら感じられたのだ。

醜く荒み切った彼等の眼には、若い少年の肉体自身が彼等をあざ笑っているように見えた。

年若くして刑死する、という悲劇は、同情よりも嫉妬心を煽った。

美しい死。それは彼等死刑囚にはもはや、望むべくもないものだったからだ。

 

「おい、こらっ。きさま。なに、寝てんだ!。

早く出ろ。」

看守が近づいてくるのが分かるが、立ち上がれない。

「出ろって言ってるのが分からんのか。」

看守は、倒れているシンジの頭の当たりで仁王立ちになった。

「立て。」

立とうとするが、立てない。頭が、がんがんする。こめかみは、打たれた痛みが、まだ残っている。

「貴様!。立て!。立たんか!。」

警棒が振り降ろされる。なんども裸の背中に。腹に。尻に。

痛みに何度もシンジは呻くが、次第にその声も小さくなった。

呻き声を上げなくなったシンジの腹を看守は、蹴り上げる。

その余りの痛みにシンジは思わず声を上げる。

だが、胃が痙攣し、こらえ切れずに、そのまま嘔吐する。

 

「ちっ。きたねえな。」

それから看守は思いきりシンジの頭を警棒で叩きのめすと、仲間を呼んだ。

「おーい。新入りがばてちまったぜぇ。

ちょっと手伝ってくれー。」

 

両脇を看守に支えられながら、廊下を歩かされている。いや引きずられていると言ったほうが良い。裸のまま。

引きずられている足の甲はすり向け痛むので、シンジは時々、弱々しく呻き声を上げる。

だが、看守は全く気に止めない。

下を向いた顔。口はだらしなくひらき、そこから吐瀉物の糸が垂れ、よだれと血が通った後を点々と汚している。

廊下の両側の房から、やじが浴びせられる。

「よー、姫様、エスコートされて御登場!」

「よかったぜぇ。明日も可愛がってやるからな。」

シンジの眼は、うつろに開かれているが、もはや、何の反応も示さない。

 

そのまま、シンジは自分の房のベッドの上に放り出される。その上に、シンジの服が投げ込まれ、そして扉が閉じられる。

鍵を閉める音。

それから看守が立ち去る足音。

 

こうして、最初の一日が終わった。

囚人2748号。今日から、ここでのシンジを表わす記号。

 


 

それまで、碇シンジは、たったひとりだった。刑務所に他の囚人がいたかどうかはわからない。食事は自室でし、シャワー室は看守が付きっきりだったが、他の囚人は居なかった。日に一回、運動場と呼ばれる、バスケットボールのコート程の、周囲を高い壁で囲われた庭に連れていかれる。ここで一定の時間、ただ歩かされる。

看守は良く変わった。時には、シンジを何かと言えば、殴るような看守もいた。シャワー室で乱暴に及ぶ看守も居た。

概ね、暴力は日常茶飯事だったが、リンチというには程遠い状況だった。

閉じ込められる側と、閉じ込める側。シンジは相手の人格を考える必要はなかった。

シンジは、単にされるがままになりながら、ひたすら自分の中を見つめて居るだけの毎日だった。

 

ある日、外人の医師による診察があった。

看守の他に、無表情なスーツ姿の男が2人立ち合っていた。看守達はその男達を怖れていた。

 

それから暫くしたある日。

 

「碇シンジ。出ろ。」

「はい。」

 

シンジは、はっとした。ついに来たのか。

その時が。

 

足が震えている。

いよいよ、僕は死ぬのか。

シンジは怖かった。こんなにも恐ろしいとは思っていなかった。

 

「貴様をこれから第2新東京市刑務所に移送する。すぐ支度しろ。」

「死刑、では無いのですか?。」

「知らん。さっさとしろ。」

看守は不機嫌だった。

 

シンジは自分が心底ほっとしているのに気が付く。

こんなにも生きていたかったんだ。

体が暖かくなる。アスカの顔が一瞬脳裏に浮かぶ。

 

シンジの移送が決まったのは、サードチルドレン問題に、国連を始めとする国際社会が徹底的に介入する構えを崩しそうに無いことに日本政府が気が付いた為である。このままで行けば死刑執行など、不可能である。従って碇シンジだけを特別扱いにする理由は無い。

取り合えず、生かして、どこかへ閉じ込めておけばよい。

そこで一般の死刑囚と一緒に収監することにしたのだ。死刑囚なら、後で釈放されてシンジの様子を外に漏らすことは、ありえないのだから。そして碇シンジも死刑囚であることに代わりは無いのだから、対外的にも十分言い訳が立つ。

 

ただ、17歳の少年が、他の囚人によって危害を加えられる可能性については、考慮されなかった。日本政府としては、生きていてもらっても、あるいは囚人の手で殺されてもどちらも好都合だったのだ。

 

 

欲望

 

昨日のリンチの件についての報告が上がっていた為か、朝食は、看守達の近くに席を取らされていた為、無事済んだ。

ただしそれはシンジの身を保護するというよりは、食堂で面倒を起こされたくない、という極めて経済的理由だった。乱闘などで調度類に傷を付けられては堪らない。

 

だから、運動場では、シンジは全く保護の無い状態で放り出された。いや、看守達は、これから起こることを期待の眼で見てさえいたのだ。

看守は、運動場を取り巻く壁の上に、マシンガンを持った者が数名。運動場への入り口の鉄扉の両脇に2名。鉄扉は、運動時間が終了するまで、雨が降ろうと開くことはない。

皆期待していた。リンチで少年が殺されるなどという事態は、そうそうお目にかかれるものではない。本来は、この刑務所に未成年の死刑囚が収容される事は、ありえないのだから。

 

シンジは運動場の鉄扉を出た当たりの所で立ち止まっていた。至るところから敵意に満ちた視線が向けられている。敵意?。いやそれだけでは無い。明らかに何人かの囚人は、昨晩のシャワー室でのレイプの記憶に興奮していた。欲望する視線。シンジの体を自由にしたいという視線。

シンジは足がすくんだ。どこにも行きようが無い。

「そんなところに突っ立ってんじゃ無い!。」

後ろから看守に蹴飛ばされ、よろめくと周囲の囚人から歓声と笑い声が上がる。

昨日の事件で、体が恐怖を覚えてしまっている。怖い。

一人で収監されていたとき、確かに死を怖れなくなっていたと思っていたのに、今は単に肉体的な痛みに対しての恐怖が彼を捉えていた。

怯えた眼で回りを見ながら、シンジは、よろよろと歩き始めた。

誰かが尻を触り、下卑た野次をあげる。

思わず振り返るが、その時は犯人は既に逃げてしまって、見物の観衆から嘲りの笑い声が上がる。

その時、シンジは、背の高い鋭い眼をした男にぶつかってしまった。

「あっ!。ご、ごめんなさい。」

周囲の笑い声が止まる。

 

男は2メータ程の身長があった。細い。だが、それは見かけだけの事で、むき出しにされた男の腕の筋肉から、かなり鍛えられた肉体を持っている事が人目で分かった。

顎が細く、一重の眼は冷たく鋭かった。

「新入りか。」

男はそう言ったが、答えを要求したものではなかった。

「す、すみませんでした。」

シンジはそういって離れようとする。

適わない。体が本能的にすくむ。みじめな気分になる。

(使徒と戦っていたのに、ここでは小犬みたいだ。)

シンジは、エヴァンゲリオンのパイロットだったことに、未だに依存している事に気が付く。

「気に入らねえな。」

男はそう言うなり、シンジの胸ぐらを掴むと、シンジの眼が自分の眼の高さにくるまで持ち上げた。

そしてじっとシンジの眼を覗き込む。

深い瞳の色。シンジにはそれが何を映しているのか分からなかった。

だが、自分より力の強い何者か、に手も足もでないと感じていた。

人間の持つ威圧感。地位や年齢などによらない、生の威圧感を感じていた。

 

「奇麗な眼しやがって。

何しにきてんだ。

ばーか。

そんな眼して死なれたんじゃ、たまんねーんだよ、俺達は。」

そういういが早いか、シンジをいきなり地面に叩き付ける。

背中から落ちたシンジは呼吸が出来なくなる。

 

「おい、死なねー程度にやっちまえ。」

数人の男がシンジの腕を掴む。

乱喰い歯の中年の男が、シンジの前に立つ。

「ひゃひゃひゃひゃ。」

嬉しそうに笑いながらシンジに殴りつける。男の口臭が臭い。

 

何人もの男が交代で殴る。腹を、胸を、顎を。

誰も止めない。

皆何かを待っている。無残に殴られた少年の姿を見ながら何かが起こるのを待っている。

少年の死?。違う。殴る男達は少年が死ないように気を使っている。

では何を待って居るのか?。周囲を取り巻く囚人達の眼は祈るような真剣さがあった。誰ももうひやかさない。ただひたすら殴られる少年の姿を、眼に焼き付けようとするかのように見ている。

 


 

「ここまでやるなら、何で殺してやらないんだ。」

ふと気が付くと、誰かが耳元で話しをしている。

体中が痛いが、寝ている所は地面ではない。

ベッドだ。

見ると白い髭を長く延ばした、白衣の男がシンジのベッドの横で、看守と話しをしている。

「ひどいな。

これだけ殴られて良く内臓破裂しなかったもんだ。

みろ体中、痣だらけだ。」

「スドー達は加減してやってたぜ。」

「お前らは、それを楽しんで見ていましたって事か。

まだ子供じゃないか。」

「知らねーな。

ま、よろしく頼むよ。先生。

今晩には房に帰してくれ。」

「こんな状態でか?。

いかん。しばらくここで静養だ。」

「冗談じゃねー。

そんな事になったら、所長がどなりこんでくるぜ。

いいか。今夜だ。6時には取りに来るからな。」

そういうと看守は出ていった。

 


 

シンジは、打ちのめされていた。

 

第2新東京市刑務所に来るまでは、自分の心境に落ち着いたものを感じていた。

父を理解し、アスカへの思いへと自分を純化し、静かに死を迎えようとしている自分を、シンジは満足の念でもって眺めていたのだった。

要らない人間であることの、自己憐憫に浸っていたに過ぎなかった。

そうすると「要らない人間」というレッテルも、むしろ勲章のように輝いて見えたのだ。

 

(僕は要らない人間なんだ。

だから、殺されちゃうんだ。

皆も世界も置いて消されちゃうんだ。

だから、僕は静かに自分を受け入れられるんだ。

だから、僕はいい子なんだ。

いい子だから殺して貰えるんだ。)

 

だが、ここでは彼は、彼と同じ死刑囚から憎まれていた。理解もされず、憐れまれず蔑まれていた。理由も知らされず。

要らない人間。

けれど、打ち砕かれるべき、憎むべき人間、蔑みべき人間であったつもりはなかった。

何時か「ああ、可哀そうだったね」と言ってくれる人がいる、そう思っていたのだ。

 

例えば、自分の墓碑の前で涙する少女の幻想。

たとえ、何億の人間が、彼の墓碑に唾しても、たった一人の少女の涙があると信じられる内は、シンジは、自分の憐れの美しさを信じていられた。いや、それにすがっていた。

それどころか、自分の憐れさをもって積極的に復讐していたのだ。

自分の悲劇は、自分を虐げるもの達への断罪の証となる。数々の凌辱も暴虐も、自分の悲劇性の証だった。

だから耐えられた。自分が嫌い?。

そうではない。自分の底に、自分の今の醜さを糾弾出来る本当の自分が泣いている。そんな可哀そうな自分をいとおしんでいたのだ。

 

もう、誰も愛してくれない。

 

それは以前も同じ筈だったのに、今、シンジにとっては切実な嘆きとなっていた。以前の嘆きに比べ、その嘆きは本当に苦かった。

もうアスカのことすら、自分を救いはしなかった。

『はやく殺してくれ。』

もう何も思うまい。何を思うのも全て嘘なんだ。父さんにさよならをいえたと思ったのも嘘だ。アスカを好きだと思ったのも嘘だ。僕は何も思えないんだ。

だが、そうしてシンジは、別の自己憐憫の道を辿ろうとしていた。

 

「おい。

死にたいか。」

気が付くと、先ほどの白髭の医師が覗き込んでいた。

シンジは泣いていたのだ。

気恥ずかしくなって眼を反らす。

「死刑が決まってるのに死にたい、と思うのが恥ずかしいか。」

「....いいえ。」

シンジは眼を背けたまま、そっけなく答えた。

「まあいい。

それにしても良く殴られたもんだ。

お前さん、よっぽど嫌われたんだなぁ。」

「ほっといてくれればよかったのに。」

「そうすれば、ゴミのように死ねた、か?。

そうやってワシを職務怠慢の科で失業者にしたいと。

ごめんこうむる。

お前がどう思ってるか、そいつはワシの担当じゃない。

お前の体、こいつはワシのお客なんでね。

お前さんにゃ用はないが、お前さんの体はワシに用があるとよ。」

そういうと、医師はシンジの右腕を持ち上げた。

「うっ。」

「痛むか?。

どうだ。

死にたい奴の体が、痛みを逃れようとするぞ。

え?。

死ぬ奴には体なんてどうでもいいんじゃないか?。」

「ほっといてください。」

「お前の体は痛がっている。

お前がどう思おうとな。

そして痛みから逃れようともがく。

健気なもんじゃないか。」

そういうと医師は黙々と治療を続けた。

シンジは、なにも言わなかった。

 

治療を終えると医師は立ち上がって言った。

「まぁ、皆、先が無い奴らだからな。勘弁してやってくれ。

もっともお前さんもそれは同じだが。」

そう言うと彼は立ち去ろうとした。

それから不意に何かに気付いたように立ち止まる。

「そうそう。お前さんは未だ若い。

何で、自分で近づいてみんのだ。」

シンジは振り返る。

医師と眼が合う。

医師はにっこり笑うと、そのまま立ち去った。

 


 

6時きっかりに看守はシンジを連れに来た。早くしないと夕食が片付かないと不平を言いながらシンジを食堂に連れていく。今回も看守同道だが、看守達の居場所の近くには空いている席が無い。結局、一番部屋の奥に空いている席に座ることになる。看守はシンジを連れていくと、周囲の囚人達に「おい、面倒起こすなよ。」と言って立ち去った。

周囲の囚人達の視線がシンジに集まっている。運動場の場合とは異なり、ここでは好奇心の方が強い。そして相変わらず、あの視線。

自分の肉体への欲望のまなざし。それがこれ程自分を傷つけるものだとは、シンジは思っても見なかった。その視線はシンジを裸にし、人形のようになで回している。体中が唾液で汚されていくような気がする。

シンジは顔を上げられなくなる。顔を上げれば視線に出会う。それが怖かった。うつむきながら、皿の上の料理にだけ集中しようとする。

粥のようなものを、スプーンですくって口に運ぶ。咀嚼し、飲み込む。そのもっとも動物的な行為を、淫らな視線が追っている。

「おい、新入り。おめー幾つだ。」

「...。」

答えようとするが、声が、言葉が出ない。

「おい、何お高く止まってんだ。」

たちまち背後から怒声が飛ぶ。

「17歳です。」

シンジは慌てて答える。体はリンチの痛みを覚えている。その痛みが自分を怯えさせる。

「ふーん。なんでこんなとこに居るんだ。」

わからない。一体何の罪になっているのか、シンジは知らない。

「わかりません。」

「ぁにーぃ。わかりませんだぁー?。

何も無いでこんなとこには居ねーんだよ。

殺しだろ。

親でも殺したのか?。

えっ、おい、

答えろ、こらー!。」

隣の男がシンジの髪を掴んで顔を上げさせる。

シンジの前に沢山の男達の顔。どれもこれも同じに見える。暗い視線。薄汚れた瞳。脂じみた肌。下卑ひた口元。

親殺し。たしかにシンジはゲンドウを殺したのかもしれない。だが、実感がない。

『シンジ、すまない。』

ゲンドウの声が思い出される。

初号機に噛み砕かれるゲンドウの上半身。

それを見ていたのか?。それを噛み砕いたのか?。

噛み砕かれたのはシンジ自身ではなかったのか?。

「お姫様はよー、お高く止まって下々のもんにゃ、お言葉下さらないそうだ。」

シンジは顔を皿に押し付けられる。

「おい、殺したろか。

どうせ、もう死ぬんだ。一人二人殺したってどうってこたないんだぜぇ。」

「おい、もったいぶんないで、姦っちまえよ。」

「うるせーんだよ、おめーら。ケツなら誰のでもいいんだろが。」

「お前のだけはやだぜ。」

ゲラゲラと笑う声。

シンジは両腕をテーブルに押さえ付けられる。後ろから腰を持ち上げられ、ズボンを脱がされる。

看守は何時の間にか居なくなっている。

誰も止める者はいない。

 

何人目かの男がシンジの背中で喘いでいる。

「おい、もうその辺にしとけよ。」

声の主は、シンジに多いかぶさった男の襟首を掴むんで引き剥がすと、後ろのテーブルに投げ出す。

投げ飛ばされた男の放ったものがシンジを汚す。

「何しやがる!!。」

「おい。お前を殺してやってもいいんだぜ。」

それは運動場でシンジがぶつかった、あの男だった。

「おい、新入り。立てるか?。」

「はい。」

シンジは泣いて居た。畜生、畜生、畜生。犯されたことの屈辱感がこみあげてくる。

シンジを助けた男が、差し出したズボンを、シンジはのろのろと履く。その間にも涙が流れてくる。

「俺はスドーだ。

新入り。

何でか分かるか?。」

何でか?。リンチを受けなければならない理由か?。

分かる訳が無いだろう。

「ふん。分からんのか。」

そういうとスドーは、シンジに背を向け、囚人達に言った。

「何見てんだ。

さっさと片付けろ。」

やがて看守達がやってくる。

「さあさあ、みんな部屋へ戻れ。」

看守達は明らかにこのショーを楽しんだのだ。

つまりは、ここではシンジは、人形なのだ。いたぶって楽しむ為のおもちゃ。

 


 

結局、僕もアスカを、ああいうふうにしたかっただけじゃなかったのか?。

あんな目でアスカを見て居た。

あんな風にアスカを犯したかった?。

『愛している』だって?。

あんな風にすることが愛してる、だって?。

アスカが何を考えているかも知らないで?。

あんな事をしたかったんだ。

自分の言葉を奇麗に飾って、それで許されると思ってたんだ。

 

303号室。

気が付くと目の前にドアがあった。

(嫌だ。

この中に入るのは嫌だ。

嫌だ!。嫌だ!。嫌だ!。嫌だ!。嫌だ!。嫌だ!。嫌だ!。嫌だ!。)

ドアが開く。

 

!!!。

うわああああああああああああああああああああ...........!。

 

そこには沢山のシンジが裸で、ベッドに群がっていた。

一様に嫌らしい笑みを浮かべ、勃起している。

そしてベッドの上では、アスカが犯されていた。

うつろな目。そう、あの時、LCLの海辺でのように。

アスカを犯しているシンジ達は至福の表情を浮かべ腰を動かしながら「愛してるんだ、愛してるんだ」とうわごとのように繰り返していた。

やがてアスカの上にのったシンジは、体をびくっと震わせるとアスカの上に覆いかぶさりアスカの首に手をかけた。

絞られたアスカの首は細くなり、千切れ落ちる。転がった首はセルロイドの目。

 

これが僕の欲しかったことなのか?。

 

『そーよ。

これがシンジのしたかったこと。

愛したかったんでしょう?。

あたしを人形にしたかったんでしょう?。』

 

違う。違う。違う。違う。

 

『違わない。

あんたなんて自分を憐れんでるばっかり。

その実は、他の人間を玩具にしたがってるだけじゃない!。

男なんてみんな同じ!。

あんたもあいつらと同じで、そのペニスで殺したいのよ。

人を殺して楽しいのよ!。』

 

違う。違う。違う。違う。

 

『なんでここにいるか分からないって?。

冗談でしょ。

あんたは死刑になるのよ。

あたしを玩具にしたいから死刑になるの。』

 

嫌だ!。

 

『あら、だって死んでいくことを、あんなにも、はかなんでたじゃない。

美しい感情だったわよ。

そこまでやっておいてまだ生きていたいつもり?。』

 

違う。

違う。違う。

違う。違う。違う。

 

『あんたって最低!。

あんたなんか死んじゃえ!!。』

 

嫌だ!。嫌だ!。嫌だ!。嫌だ!。嫌だ!。嫌だ!。嫌だ!。嫌だ!。

僕は生きていたい、

死ぬのは嫌だ

死ぬのは嫌だ

 

『残念ね。あんたは死刑よ。

ざまあみろ。』

 

シンジの部屋の窓から鉄格子の陰をベッドに落として、月の光が射していた。雲一つ無い空。静かで優しい色。

 

 

 

翌日、シンジは運動場でスドーを見つけると、彼の所まで、まっすぐ歩いて行った。

スドーから言い渡されてあった為か、シンジにちょっかいをかけるものは一人も居なかった。

決然としている様に見えるが、その実、もう何をしたら良いか分からなかったに過ぎない。

ただ、昨日の「分からんのか。」という言葉に、すがりつきたかっただけだ。

もう自分の中の思いを見つめて居る事に耐えられなくなったのだ。

 

スドーは壁に背を預けて立っていた。他の囚人達は、スドーから離れるようにしていた。

「よお。

新入り。

名前聞いて無かったな。」

驚いた事にスドーは笑顔で語りかけてきた。

「おい、名前は何というんだ。」

「碇シンジです。」

すると、スドーは、やや驚いた顔をした、が、すぐに元の笑顔に戻ると、言った。

「そうか。じゃ、シンジ、よろしく。」

そういうとスドーは右手を差し出した。

シンジは、随分長いこと、自分が握手をしたことが無かった事に気付く。

手の暖かさ。肌の気持ち良さ。

シンジの目に不意に、涙が溢れてきた。

 

「なんだ。泣き虫だな。

......

お前は、どうしてここにいるんだ。」

何と答えて良いか。

分かってくれるとは思えない。

暫く考えてからシンジは言った。

「僕はサードインパクトを起こしたから。

沢山の人が死んだ、サードインパクトの張本人だからです。」

意外にもスドーは、シンジの言葉には驚かなかった。

「どうやってサードインパクトを引き起こしたんだ?。」

「分からないんです。

・・・・・・・。

僕はすっかり落ち込んで、アスカが死ぬ時も、助けに行かなかった。

そして戦略自衛隊がネルフのみんなを殺している間もただ殺されるのを待っていたんです。」

シンジは、自分の記憶を確かめ乍ら、起こった事を物語り始めた。

ミサトの死。

初号機に乗せられて出て行った先で見た、弐号機の凌辱されつくした姿の事(それは昨晩の記憶と重なってシンジに罪の意識を思い起こさせた)。レイ、そしてカヲル。

絶望した自分が、人類の融合した世界を一度は望んでしまったこと。

父親の死。

そして、それから再生の願い。

それは以前に検察官(あれは本当に検察だったのだろうか?)にも語った事だった。しかし、その時の相手は、誰が誰であるかについては全く関心は無かった。だからシンジはなるべく事務的に話したのだった。

しかしスドーは、シンジの物語りに出てくる人物にも関心を持った。

そして、その都度、シンジとの関係などの事を尋ねた。

すると、シンジは、また改めて、自分の話す物語りの中での人々の哀しみに気付く事になった。

ミサトの死を前にした願い。アスカの絶叫。

戦略自衛隊に虫けらのように射殺されていったネルフ職員達。

ユイを求めて世界を巻き込む狂気に陥った父。

ああして生きて、死んで行ってしまった人々の想い。

それらに自分がなんと多くを負っていたかを。

それなのに、一度は世界を虚無にかえそうなどと願うとは。

気が付くとスドーの目にもうっすらと涙が浮かんでいた。

シンジは語り終えた。

スドーは、しばらく目をつむって考えこんでいた。

「....。

俺には、何と言っていいか分からん。

.......。

だが、それが死刑になるような事だとは思えん。

.......。

シンジ。

お前は、本当に、それでいいのか?。」

「仕方が無いです。」

スドーの目がきらりと光った。

「じゃ、死刑は当然と思う訳か?。」

「僕は死んだ方がいいんです。

僕は要らない人間だったんです。

僕さえ居なければあんなことは起きなかった。

アスカの事だって、僕は自分のことしか考えられなかった。

誰のことも分かってなかった。

分かろうとしなかった。

僕だけが、独りぼっちだっておもっ...」

鈍い音がしてシンジの体が吹っ飛ぶ。

「ばかやろーっ!。

 

その位の事で『要らない』んだったら、

ここに居る連中は、よっぽどのアホって訳だ。」

 

シンジは頬を押さえながら呆然として座っている。

「俺は、人殺しだ。

要らないどころじゃない。

世間からすりゃ、生きてちゃ困るって人間だ。

 

おまえ、そん時、14歳だったんだろ。

まだこれから、沢山、間違いをしなければならん歳だ。

確かに世界背負わされて、取り返しの付かない事になったかも知れんが、

お前に背負わせた連中だって、うまく行きっこ無い事くらい分かってた筈だ。

世界よりも、お前に生きててほしかったんじゃないのか!。

 

俺は人でなしだが、それくらいのことは分かる。」

 

スドーはシンジの胸ぐらを掴む。

「何が気に入ら無いんだ?。

 

自分が、

醜い事か?。

弱い事か?。

卑怯な事か?。

 

ここにいるもんは、皆、弱くて卑怯で醜い。

誰だって、そうはなりたくない。

そんな自分から離れたくて、もがいて、

でも結局変われなかった。

 

それにくらべりゃ大したこと無いじゃないか。

 

間違ったことが気に入ら無いか?。

 

そんなに正しくなくちゃ生きてられないのか?。

 

お前が最低なのは、

お前自身が勝手に最低だって思ってることだ。

 

お前のそういうとこがな、ここにいる皆にとっては、

『おまえなんか死んじまえ』って聞こえるんだ。

『お前ら虫けらだ』って聞こえるんだ。

 

だから気に喰わ無いんだ。

お高く止まって見えるんだよっ!!。」

「僕はそんなつもりは、」

「うるせぇ!。

つもりもへったくれもあるか!!。

そういってスドーは掴んでいたシンジの胸ぐらを放した。

シンジは地面に投げ出される。

 

倒れているシンジの顔を覗き込むようにしてスドーは話す。

「おまえ自分でも分かってるんだ。

 

お前は甘ったれてる。

その上、甘ったれから、どうやって立ち直れるのかが分からない。

 

だがな、

そりゃ分かったからって、一足飛びに直るもんじゃ無い。

 

お前は甘ったれてる事で、

何時かもっと酷い目にあうんじゃないかと怖れてるだけだ。

だが、今以上に酷い目なんてあるか?。

 

なのに怖れてる。

だから先回りして自分を責める。

そうすりゃ、酷い目に合わないと思ってるからだ。

 

俺達が、そんなお前を見て良い気持ちがすると思うか?。」

 

スドーの表情は、和らいでいた。

「お前のやったことは取り返しの付かない結果になったかもしれんが、

俺はお前が死刑にならなきゃいけない程、悪いとは思えん。

今、お前がすることは、怒る事だ。

例え処刑されちまっても、それは間違った死だ。

 

お前自身は、お前の事を許せ無いかも知れん。

だが、この刑を自分を罰する事に利用するのは止めてくれ。

 

俺達から見れば、それは、やりきれんのだ。

そんなに奇麗に死刑になっちまったら、

俺達は、どうやって死んで行ったらいい?。

 

悪いが、死刑ってのは俺達みたいな連中のもんだ。

どんだけ真剣かは知らんが、

お前は罪人として死ぬ資格は無い。

 

お前は、無実の罪で殺されるものとして怒れ。

死にたくないと、じたばたしろ。

 

お前は死ぬべき人間じゃない。」

そういうと、スドーは、シンジをじっと見下ろしていた。

『お前は死ぬべき人間じゃない。』

『君は死ぬべき人間ではない。』

シンジは、のろのろと立ち上がりながら、思った。

(だけど、そういってくれた人を僕は殺したんだ。)

だが、シンジはその事を言えなかった。

 

スドーは再び話し始めた。

「ここは酷い所だ。

何時、お呼びが来るか分からない。

俺達は殆どが殺しをやってきてるからな、

殺されるのは怖い。

だから、毎日が恐ろしい。

自分が人間でいられそうになくなってくる。

獣になっちまえば、どれほど気が楽か。

 

だけどな、それでも俺は人間で居たい。

人間で居る限り、自分の犯した罪に向きあわなきゃなら無い。

だが、俺は未だ人間に、辛うじて止まっている。」

スドーはシンジの肩に手を置いた。

「おまえは、俺達にはまぶしいんだ。

分かるか?。

お前が、どれほど、易々と人間らしく振る舞っているか?。

それがどれほど、俺達の心を脅かすか?。

 

お前を犯した連中を弁護する気は無い。

だが、あいつらも死にたくない。

死を前にして人間で無いものになりたくない。

 

そんな奴らを俺は、責めることは出来ん。

許してやれ、とは言わないが、

それが今、お前の居る場所なんだ、という事は分かってくれ。」

 

シンジは、スドーの言うことが全て納得出来た訳ではなかった。

しかし、逮捕されて以来、自分が初めて人間らしい扱いを受けて居る事は分かった。

それは、とても心地が良かった。気恥ずかしい程に、嬉しかったのだ。

 

 

 

その時、突然、運動場のスピーカーが、がなりたて始めた。

1137号。運動場出口まで来い。」

 

運動場内は、その瞬間静まりかえった。

それが何を意味しているかを全員が知っていたからだ。

「いやだぁー!。」

頬に赤痣のある、30過ぎの小柄な男が、突然叫んで走り出した。

運動場内で逃げ込める場所などある訳はない。

男の進路にいた囚人達は、さっと脇へどいて道を開けてやった。

無駄な事とは言え、彼を捕まえようなどと思うものは一人もいなかった。

シンジは、その男が、昨日シンジを犯した連中の一人だった事に気付いた。

男は、シンジ達の方に走って来た。

そしてシンジに気付くと、シンジの足にすがりつき言った。

「お願いだ、助けてくれよー。

俺は死にたくない。

いやだよう。いやだよう。」

「おい、よさないか。」

スドーが、引き離そうとするが、男は余計、シンジにしがみついて離れない。

 

『人間で居られなくなる』

 

男の目はもはや、正常な人間のものではなかった。追い詰められた獣の目。

「いやだよう」も、既に訳の分からない発音の発声に退化し、震えながらシンジにしがみついている。

失禁している。シンジの足が、男の生暖かい尿で濡らされている。

シンジは動けなかった。その男の無様を気味がいいとは、到底思えなかった。

昨日の暴行に対する恨みよりも、男の精神が崩れ、壊れてしまった事がショックだったのだ。

 

2人の看守が、にやにや笑いながら近づいてくる。

「ほらほら、皆さんお待ちかねだぜぇ。」

「きったねーな。

これだから嫌なんだよなー。」

そういうと2人は、男を両脇から抱え、シンジから引き剥がし、連れ去る。

 

もがきながらも男はシンジから、はがされる時、獣のようなうなり声を上げて、シンジの方へ手を延ばしていた。

その時の男の目。

「!!。」

シンジは思わず、男のほうへ手を差し伸べた。

そうして延ばした手の先から、男は遠ざかり、鉄扉の向こうへ消えて行った。

届かなかった手に残った感じ。

それは、カヲルが死んだ時のものと同じだった。

命が消えて行った瞬間。

 

後数時間後には、あの男はこの世には居なくなるのだ、という事を皆痛い程感じていた。

誰も何も言わなかった。

暗い眼差しを自分の中に向けているしか出来なかった。

 

 


 

シンジには、もう何が何だか分からなくなっていた。

自分を憐れもうにも、何が憐れだか分からない。

アスカへの想いも、それがどれほど身勝手なものだったかを知った後では、

とても辛いものに変わってしまっていた。

自分が嘗て思っていたことが全て吹飛んでしまった。

もう何も無い。

 

だが、悲しむ事も、

喜ぶ事もない。

 

空っぽ。

 

空っぽでも未だ生きていける。

 

 

 

 

 

想い

 

誰かが逝った後の所内は重苦しい雰囲気だった。

何故なら、ここでは誰もが逃れられ無いことを知っていたからだ。

しばらく執行が無い時期が続くと、囚人達は、少しの間、自分の死を忘れている事が出来た。

だが、それは偽りでしかなかった。それでも偽りの夢にすがりつかざるを得ない人々。

 

シンジが犯されるという事も相変わらず続いていた。死を前にした人間のむさしさ・怒り、そしてにも関わらず残された肉体の欲望にすがろうとすること。スドー達には、そうした気持ちも理解出来たから、少年には過酷な事だとは思っていても、とめようとはしなかった。

 

シンジが耐えていたのは、囚人達のそうした心を理解していたからではなく、自分がアスカに対して欲望の眼を向けていた事への自責の念からだった。

 

シンジは、運動場や食堂で良く、スドーと話しをするようになった。

また、それ以外の囚人ともスドーを介して、徐々に話しをするようになっていた。

もっとも、シンジには、それ程話すべきものは無かったのだが、しかしサードインパクトの話は結局何度もする羽目にはなった。

だから、次第に周囲の囚人も、無実の罪で処刑されなければならない少年として、シンジを理解し始めていった。それとともに、次第にシンジに対して暖かい態度を示すようになった。

 

「シンジ。

おまえ、好きな女いるのか?。」

スドーとシンジ、そして、カワムラという、痩せて青黒い顔をした男は、その日、運動場の壁によりかかって腰を下ろしていた。

スドーの突然の質問に、シンジはしどろもどろになった。

「え、い、いや、あ、.....そ、そんなの分かりません!。」

スドーは、シンジの反応を嬉しそうに眺めて言った。

「隠したって仕方ないぞ。

どうもその様子じゃ『居る』って感じだな。」

だが、シンジは隠しているつもりは、無かった。

シンジは、アスカへの想いを封じようとしていたのだった。

自分には、その資格は無い、と。

だが、却って、アスカへの気持ちが募り、ますますシンジは苦しくなるのだ。

「おまえ、彼女を今でも好きか?。」

「僕には....。」

だから、何と言っていいかシンジには分からなかった。

『好き』と言うことは出来ない。しかし『好きでない』と言えば、アスカとの絆が一切、断ち切られてしまう、そんな怖れを抱いたからだ。

「まぁ、言いたくないんなら言わんでもいい。」

「スドーさんはどうなんですか?。」

「俺は、今でも好きな女はいる。

もう死んじまってるがな。」

「今でも....、好き....なんですか?」

「ああ。

あいつが死んでから、何年になるのかなぁ。

もう20年以上も前だな。」

「そんなに....。」

「そうだ。

俺が中学生の時にな。

俺が殺したみたいなもんだ。」

シンジの眼が驚きに見開かれている。

「そんなに驚くなよ。

俺が、ここにいるのも、多分、俺があいつを殺したからだ。」

そして、スドーは、彼の長い物語りを語り始めた。

 

 


 

俺はお袋を小さい時になくしてたから、親父とずっと2人暮らしだった。

親父は小学校の教師をしていてな。

だが、教師であることが嫌で堪らないって奴だったんだろうな。

学校ではまじめな先生だが、家に帰ると酒を飲んで俺に当たるような情けない男だった。

もっとも、男手一つで、まぁ子供を育てながらの毎日だったから、今思えば結構苦労はしてたと思うぜ。

学校が終わると保育所に俺を迎えに来るけど、俺はそれが嫌だった。

親父はいつも、殺されに来たみたいな顔で迎えに来たからな。

子供心にも俺が厭わしいって事がわかっちまう。

俺は今でも親父が何を考えて暮らしてたのか良く分からない。

 

そのころ、隣の家に園子って娘がいて、おれより4歳上だった。

良くかわいがってもらってな。俺も園子が大好きだった。

俺はいじけてたから、学校でも友達なんて出来やしない。

仲良くされても、自分で嫌われるような事をしちまう。

でも園子はいつも俺の味方をしてくれた。

園子が小学校を卒業する時、おれはマジに泣いた。

でもまぁ、となりだったから園子は何かと俺を気にかけてくれて、

親父が学校の用事で居ない休みの日なんかは、家にも呼んでくれたりしてた。

だけど、おれは何時の間にか、園子の傍にいると何となく胸が苦しくなるようになったんだ。

夜寝るとき、布団の中で園子の裸を想像しちまう。

そうするといても立ってもいられなくなる。どうしていいか分からなくなる。

俺は友達がいなかったし、家も親が固い奴だから、そういう知識なんて全く持ってなかった。

 

俺は中学生になってた。

園子も高校に進学して、ますます俺は園子の傍で切ない思いをするようになってた。

どうしていいか分からないくらい、苦しくなるのに、俺は園子の傍にいたかったんだ。

そんなある日、親父が留守で、もてあましてる俺を園子は家に呼んでくれた。

ただ、その日は園子の親も偶然にも留守で、俺達は園子の家で二人っきりだった。

確か、居間のソファに並んで座って、他愛もない話しをしてた。おれは傍に居て幸せだったけど、切なかった。もっと近くに居たい。だが、殆どくっつきそうなくらい近くに座っていて、それ以上どうすりゃいいか分からない。小さい頃から一緒にいてたから、園子は俺と体がくっつくくらいにして並んで座る事に馴れていたからな。

すると話しが突然跡絶えた。園子は、遠くの方を見る様な風に視線を泳がせながら、髪をかき上げたんだ。女の匂がした。

俺はもう何だかわからなくなって園子にしがみついた。

その先はどうしたんだか俺は良く覚えていない。

服をどういうふうにして脱がしたのか分からない。多分強引にはぎとったんだと思う。それは服の隔てが嫌だったからだと思う。

園子はさすがに抵抗した。恐怖で歪んだ顔をしてた。だが俺は止まらなかった。

無理やり押さえ付けしがみつき、そうこうする内に園子の中にはいっちまった。その瞬間の、園子の顔。まるで殺されたような顔。

だけど俺は自分がしたことの意味に気が付かなかったから、自分のものが園子の中に入ったその快感に狂ってた。

嬉しかった。園子の中に入ってる事が。

 

中で行っちまった後、俺は園子にのっかったまま満足して休んでいた。園子が何を考えているか全く気にもならなかった。園子は、全く動かない。されるがままになってた。

俺は、結合した部分を見た。どうやら血が出ているようだった。

萎えた俺のものが、それでも園子の中に入っている。それで俺はまた欲情した。

 

それから俺は何回やったのか分からない。園子はやられるままになってた。俺はマスタベーションを覚えた猿みたいに、狂ったように犯し続けた。

そうして夕暮れの陽が部屋にさす頃になっても俺は止めようとしなかった。

園子の両親が帰ってきた時、俺は園子の腹の上で、腰を動かしてたって訳だ。。

 

それからどうなったのかなぁ。園子の父親は俺を殴らなかった。ただ彼等の態度から俺がどうやらとてつもなく酷い事をしでかしたらしい事は分かった。

園子は呆けた様になって母親に抱き抱えられて奥に連れていかれた。

園子の父親は俺に何か沈痛な顔で言っていたが、俺には良く思い出せなかった。

その晩、親父は園子の父親から事の次第を知った。

親父をは俺を殴った。歯が2〜3本折れるくらい殴った。

そして襟首を掴んで引きずるようにして園子の家に連れて行くと、玄関先に放り出し、土下座して謝れと言った。

園子の父親は、それでも俺に謝るなら園子に謝ってくれと言った。今にして思えば、あれだけ酷い事をした俺に対して、なんであれほどまで優しくしてくれたのか分からない。

とにかく、俺は園子の寝ているベッドまで連れていかれたんだ。

 

園子は全く表情がない死んだようになってた。まっすぐ上を向いて、でも眼は何も見てなかった。誰が話しかけても答えなかった。母親が、ずっとこうなのだ、と言う。

そこにはいつもの俺に優しい園子は居なかった。死んでしまった園子が居た。

俺はやっと自分のしたことが怖くなった。涙が次から次から出て、大声で泣きながら、謝った。許してくれと言った。しばらくそうしていると、園子はゆっくりおれの方を向いて、右手で俺の頬をそっと触った。俺の顔をじっと見た。

だけど、それはやっぱり、あの何も見て居ない眼だった。それからまた仰向けになって一言ぽつりと言った。

『死にたい。』

 

俺は、訳が分からなかった。

俺はとにかく園子の傍に居たかった。もっと近くに居たかった。体が接する以上に近くに居たかっただけだ。

だが、園子は、もうずっと遠くに行ってしまった。

何故こんなことになったのか、俺には分からなかった。ただ、無精に腹が立ってならなかった。

家に帰った俺を、親父はまた殴った。木刀でぶっ叩いた。

俺をののしった。お前なんぞ、産まれなければ良かった。

お前はこの先犯罪者にしかなるまい。

お前のせいで、お前の母親は死んだんだ。

お前のせいで。

親父は俺の事を、お袋を奪った憎い奴としてずっと許さなかったんだ。

だから親父は何時も俺を嫌ってたんだ。

俺は怒りで眼が眩みそうだった。こうなったのはおめーのせーじゃねーか!。

憎んで育てるなんて馬鹿げた事したからじゃねーか!。

だが、俺が怒ってた相手は本当は親父だけじゃなかったかもしれん。

 

俺は『お前のしたことの結末を今見せてやる』と言って、傍にあったバットを親父の頭に降り降ろした。人間の頭蓋骨ってのは陥没すると面白いくらい形がかわっちまう。

親父は真正面からバットにめり込まれて変形した醜い顔で死んだ。

親父の死体を見て、俺は心底下らない奴だと思った。

 

それから俺は家を出た。

街をふらふらしてる所をちんぴらに拾われて、取り合えずそいつの所で舎弟にしてもらった。そいつの使いっぱしりやらされながら、何とか喰っていた。

色々と悪いことも教えて貰った。弱そうな奴を脅すのは面白かった。それ以外には俺が出来ることも無かったし、やりたい事もなかったんだ。

不思議なことに親父が死んでも、俺は捕まらなかった。

俺は、数か月してから、何回も家の回りをうろついた。家は、売りに出されていた。

園子の家は窓にカーテンがかかっていて人が居る気配はなかった。

俺は、相当すごい格好をしてたから、近所の人間は俺とは分からなかったかもしれない。

だが俺は、別に通報されても構わなかった。捕まって死刑になったところで、大差あるまい、と思っていたからだ。

ちんぴらは面白かったが、でもはっきり言って下らなかった。

どーでもいいことをやってどうでも良く生きてた。むしゃくしゃすれば弱いもの見つけて痛めつけてやればよかったが、そのうちまたむしゃくしゃする事の繰り返しだった。

 

それから何年もちんぴらをやって、やっと兄貴の所属してた組の組員にしてもらった。

だが、それは面白くなかった。

俺は一人で勝手にやりたかった。組の為なんて馬鹿げたことをマジで言う奴がいて驚いた。

これは世界が違うな、と思ったんで、やめさせて貰う事にした。

行きがけの駄賃に組から拳銃を1丁ちょろまかしたが、これも誰にもとがめられなかった。

 

それから俺は水商売の女のヒモになった。

つまらない女だった。

ある日、あんまりつまらない事ばかりしゃべるんで首を絞めて殺した。

暑い日の午後だった。

死体はアパートにおきっぱなしにして置いた。

 

そんな事をしたのに、俺は捕まらなかった。

不思議だったが、案外世間はこんなものかもしれん、と思ったりもした。

なにしても面白いものには出会わなかった。

 

ある日、家の辺りにいってみたら、丁度、園子の父親にばったり出くわしちまった。俺の顔を懐かしそうに見て、家に入れ、という。

仕方がないので園子の家による事にした。もっとも園子に会ってもしょうがない、と思っていた。彼女は絶対に俺を許してくれないと思ってたからな。

だが、園子はいなかった。代わりに園子の写真。

園子は俺がいなくなって半年後に死んだ。妊娠していた。

両親は堕ろすように諭したが頑として拒んだ。

園子は、学校もやめ、いつも家の前の道にでて俺が帰るのを待っていたという。

雨の日にずっと待っていて、肺炎になって死んだ。俺の子も死んだ。

園子の母親はそれがショックで、やはり程なくして死んだそうだ。

園子の父親は、それ以来一人でこの家に住んでいたという。

2人の面影が残る家にたった一人で。

だから少しおかしくなっていた。

笑いながら俺をなじったり、俺を褒めたり急に泣くかと思えば、笑ったり。

俺は気味が悪くなった。

だから、持っていた銃で園子の父親を撃った。妙な笑い顔で死んだよ。

結局、俺は園子の一家をみんな殺しちまった事になる。

親父も殺したし、親父によればお袋を殺したのも俺だ。

もうどうでもよくなってた。

俺は園子の家に火を付けた。そして家の外に出て、家が燃えるのを眺めていた。

俺には分からなかった。

なんで園子は俺なんかを待って居たのか。

俺は、何がいけなかったのかが、結局分からなかった。

ただ、園子が、俺なんかを待つ筈が無いと思ってた。

俺は多分酷いことを園子にした。俺は園子を好きだと思ってたが、園子を苦しめることしか出来なかった。だから、俺なんかいなくなれば園子はもっとましな人生を送れる筈だった。

なのに、何であいつは俺を待ってたのか。

そのせいで死んじまったなんて。

人を殺しても俺は平気だったのに、園子の死は余りに理不尽だった。

俺は初めて産まれて始めて可哀そうだと思った。

ぶつける相手のいない怒りに、はらわたが煮えくりかえる思いだった。

 

それからも、俺はいい加減に暮らしてた。

結局、またチンピラまがいの生活を続けていた。

以前世話になった兄貴分にも会ったが、別に何の咎めも受けなかった。

もっとも、俺自身、とっ捕まってぶっ殺されても構わないと思っていたんで、拍子抜けした。

所詮、拳銃盗んでも、女殺しても俺なんか相手にされないくらいの奴だったのか、と思うと何か、可笑しかった。

 

そしてセカンドインパクトが起きた。

楽しい時代だった。なんせ暴力がまかりとおる時代だ。

生き延びたけりゃ、他人からかっぱらって、しのぐしか無い。

俺はなにももっていなかったし、どこにも属していなかったから、却って居直るのも早かったのかもしれん。

東京も横浜もみんな水んなか沈んじまって、俺は難民に混じって、甲府まで逃げ伸びた。

あの頃は、水没した大都市の連中が、みんな内陸の町に溢れかえってた。

それに、警察も自衛隊も、指揮系統がばらばらになっちまったから、後は、難民と住民の殺し合いしかなかったね。物がなんせ、手に入らないから、もってる奴をぶっ殺すしかない。

あの1年間で、甲府の人口は大分減っちまった。

そこここに、敵対する小人数の武装集落が出来た。

それ以外の人間は皆殺されたか、どこかへ逃げたか。

俺は重宝されたよ。なんせ死ぬのは怖くないし、殺すのは得意だからな。

人から頼られて、良いことをしたと褒められるのは嬉しかった。

だから、俺はいい気になってた。真人間になった気でいたのさ。

だが、実際には、獣になってただけだ。

まぁ、お行儀良く村に飼われてた番犬だな。

 

長くは続かなかったね。

2年目の終わりには、第2新東京の政府が自衛隊を投入して、各集落を武装解除しちまった。

目出度く俺はお払い箱さ。

いずれにせよ、当時の甲府盆地にいた武装集団は、解散させられた。

頼るべき身よりが他の地域にいるものは、移って行ったが、そうでない連中は、第3新東京市の建設労働者の口を斡旋された。もっとも半強制だったがな。

だが、俺はすぐに嫌になっちまった。

だから逃げ出した。

第2新東京へ潜り込んで、また以前の様に、ちんぴらでしのごうと思った。

 

確かにね、第2新東京には、ちゃんとそうした暗い部分があった。

闇市もあったしね。

俺はそこで、昔のちんぴら仲間に合って、仕事にありついた。

まあ、闇市の用心棒って役どころだが、これは退屈だった。

それに、昔の仲間は、どっちかと言うとまともな奴になっちまってた。

カミさんに気を使って、商売に精を出してやがる。

そこで、俺は飛び出した。

下らねー。適当にカツアゲと盗みで喰えりゃあいい。

それでそのとおりにしたんだ。

 

だが、その頃から、どうも俺はおかしくなってた。

昔みたいに、わくわくする事が無かった。

明日には何かあるだろう、なんて全然思えなくなった。

味気なかった。

 

俺はもっと刺激のある事がしたかった。

そこで、俺は強盗をしてやろうと思ったんだ。

それは単に危なそうで悪そうなことだったから。

押し入る家は決めてあった。ちょっと高級そうな家。

前一度その家の前を通りかかったとき、出勤前の夫婦、子供2人が玄関に出てくるところだった。子供は小学生低学年の男の子と女の子。

絵にかいたように幸せそうな家族だった。よし、こいつらを脅してやれ。

 

その夜、俺は包丁を懐に隠して、いきなりその家のベルを鳴らした。

何の小細工もしない。別につかまったって構わなかった。

 

ドアが空いて女が顔を出した。

すかさず、俺はその顔を殴り、さっとドアの中に入ると、鍵を閉め、包丁を付き付けた。

それから女を脅して居間に入ると、そこには子供が2人いたんで、そいつらを女に縛り挙げさせ猿轡をさせる。子供がこわがる顔は動物園の猿みたいで、俺は面白かった。

 

それから、そいつらの前で女を犯した。

 

だけど面白くなかった。

女は子供を守るつもりでいたから。

何かを守る為に必死の女なんてな。

その女にとっては、俺なんかゴミみたいなもんだ。

そう思えてきたから、腹が立った。

 

だから、女の喉を包丁で割いて殺した。

女は呆気なく死んだけど、がきどもはじっと俺を見つめてた。

その眼が気に喰わなかった。

だからそいつらも殺した。

 

それから家を出た。指紋も残しっぱなし。ドアもあけっぱなしにしておいた。

旦那は帰って来てなかった。

帰ったらさぞかし驚くだろうと思うと楽しくなった。

 

だが、そのうち、また俺は空しくなった。

考えてみりゃ、殺した女も、ガキどもも、俺を怖れたんじゃ無かった。

「俺」という奴を見てたんじゃない。

人殺し、なんかそういうものを怖れてただけだ。

そう思うと俺は怖くなった。

もう誰も、俺という人間、スドーという男を見てくれない。

俺は、それが嫌だった、怖かった。

俺はもう誰でも良い人間でしかないのかも知れない。

どうも、俺の気鬱の原因はそれらしい、そう思った。

 

俺はむしゃくしゃした気分で、その後を過ごした。

何故、いつも俺が捕まらないのか不思議に思いながら。

時には、おれは捕まりたい、と本気で考えるようになった。

少なくとも、警察は俺を「スドー」として捕えようとするだろう。

 

誰かに名前を呼んで欲しかった。

 

その後も、俺は押し込み強盗を働き、何人も犯し、何人も殺した。

そうすればそうする程、俺は誰でも無い人間になって行った。

 

俺は、ようやく園子の事を思い出すようになった。

もし、今あいつが生きていたら、その時、俺は、誰でも無い人間でなく、紛れも無い俺にしてくれたに違いない。

だから、俺があいつに何をしたのか、それが分かったような気がした。

やっと俺は、あいつが俺を待っていてくれた事を有難く思えるようになったんだ。

それは、例え俺を憎んでの事だったとしても、俺を俺としてくれたろう。

俺が、あんなに荒んでいなければ、それだけで俺は救われたろう。

俺が何をしたのかが、分かることが出来ていたら、俺はあそこで踏み止まれていたろう。

 

俺は、あいつが好きだったが、それはちっぽけな「好き」だった。

俺は好きになるやり方を、好きになるということを結局知らなかったんだ。

俺の決定的な罪は、そのことだったんだ。

それに気がついた時、俺には、もう人は殺せなくなってた。

あれだけ冷酷な気持ちになれたのに、それが何時の間にか、殺そうとする人間の目の中に、園子の瞳を見付けちまう。

それで、詰まらない盗みでミスっちまった。

 

俺は警察に捕まったとき、好きになる事を知らなかった罪で裁かれる事を望んでいたけれど、そうして裁判でもそのことを話したけれど、一笑に付されただけだった。

俺の担当弁護士先生は、接見の時、おっしゃったものだ。

「好きになること、なんてのは本質的な問題では無いんですよ。

そんなことは、小学生でも出来ることなんですから。」

そう、だが、俺は出来なかった。

俺にとっての本質的な問題。

 

結局、警察も裁判所も、俺が期待したように「スドー」として見てくれる訳じゃ無い。

「スドー」は、誰でもいい人間を区別する為に付けたラベルであって、ラベルがあったからって、誰でもいい奴には変わりはなかったんだ。だから、あいつらも、俺と同じ様に誰もいい人間だった。みんな始めっからそうだったんだ。

そう分かっても俺には遅すぎたがな。

 

俺は、あいつを、本当に好きでいようと思った。

俺には資格が無い、そう思ったが、俺は自分が昔出来なかった事を、今きちんと出来るようになりたいと思ったからだ。

俺は、あいつを、本当に好きでいること。

それだけが本当の意味であいつに向き合う事になるんだ。

ムシのいい話だよ。

だが、他にどう出来る?。

そうして初めて俺が殺しちまった人間を想う事が出来るんだ。

俺は、妙な話しかもしれないが、殺しの罪を感じる事が出来るのは、園子のことを本気で好きだと思うからなんだ。

 


 

「勝手な思い込み。

 

かも知れん。

が、全てが手遅れだ。

これが勝手な思い込みに過ぎないとしても

もう俺には何も無いんだ。」

 

シンジにとっては、恐ろしい話だった。

そんな荒んだ生き方に対して、やはり嫌悪感を感じざるを得なかった。

何か、足りない感情があるような感じ。

 

だが、一方で、スドーの気持ちに素直に納得してもいた。

実際、スドーは他にどういう生き方が出来たのだろうか。

何か、彼を否応無く、そうした人生に駆り立てたものがあった。

その不幸を、シンジ自分の事のように哀しく思った。

愛し方を学び損なった子供。

それはシンジ自身でもあった。

だから、泣いて謝るスドーに差し伸べられた園子の右手も、その言葉も、シンジ自身が出会った事だった。

それをシンジは美しい誤解で忘れ去ろうとしていたのだ。

愛する事で、人は辛うじて人でいられるのだ。

そして、人は常に過つのだ。

ただ一度の過ちでも、致命的な、取り返しの付かぬものとなりえるような。

だとしても、そして園子すら許さないかもしれないと分かっていても、だからこそ、スドーは、なお愛そうとするのだ。

 

祈りの様なもの。

 

「スドーさん。」

カワムラがスドーに言った。

「いい話しを聞かせてもらいました。」

そうしてカワムラはスドーに右手を差し出し握手した。

「ありがとう。」

スドーはそういうと少しはにかんだ表情を見せた。

シンジには、その顔がとても美しいものに見えた。

 

 

裏切り

 

その晩、シンジは寝付かれなかった。

スドーの話を聞いたからといって、そう簡単には、アスカへの想いを自分に許すことは出来なかった。

としても、アスカへの想いを封じること自体、それも一つの罪だという事も理解出来た。

だからシンジは今、出口のない迷路をさまよい続けていた。

(アスカを想い続けても、また同じようにアスカを本当に愛することが出来ずに、アスカを傷つけるだけに終わるのか。)

シンジには、どうしてもこの迷宮を抜け出ることは出来そうになかった。

(罪とは、こういうものなのか。)

絶望は、ますます深くなる一方だった。

 

「スドーさん。」

翌日、シンジは思い詰めた顔で、スドーに話しかけた。

その日は雨だったが、囚人達は運動場に狩り出されていた。

囚人達は、仕方なく壁際の、少しでも頭の上に張り出しが出ている場所にたむろしていた。

「どうした。

また、今日は一段と暗いなぁ。」

スドーは苦笑しながら言った。

シンジは、この前言えなかった話をどうしてもスドーに聞いて貰おうとしていたのだった。

少しばかりの張り出しでは雨はしのげなかったので、全員、濡れ鼠だった。

シンジは眼にかかる雨を手でさけながら、話始めた。

「この間、言わなかった、いえ、言えなかった事があるんです。

聞いて下さい。」

「ああ、話して見ろ。」

「僕は、人を殺したんです。

僕を初めて好きだと言ってくれた人を、この手で殺したんです。」

そして、シンジはカヲルとの出会い、カヲルと過ごした日々、そしてセントラルドグマでのカヲルとの戦い(?)と、最後にカヲルを握りつぶした事、更に、その後でシンジがネルフの人々に褒められたこと、ミサトとの会話でショックを受けたことを一気に語った。

スドーをはじめ、周囲にいた囚人にとってはネルフと使徒戦について、やはりよくは知らなかったので、少年の話の細かい所は理解不能だったが、大筋については理解出来た。

そして、当時14歳だったこの繊細な少年にとっては、それが心の傷となっていることも。

「カヲル君は、アスカの代わりに来たんです。

アスカが弐号機を操縦出来なくなったから。

僕は、その時アスカを心配してやらなければいけなかったのに、何もしようとしなかった。

アスカは家に帰ってこなくなったのに、僕は、何かせいせいとしたものを感じていたんです。

他にも色々とあって、僕はもう疲れていた。

だから、傷ついたアスカを考えるのが億劫だった。

カヲル君は、僕を癒してくれたけど、僕は結局アスカの事を考える代わりに、カヲル君といる方を選んだんです。

アスカは精神が崩壊してしまって入院しました。

僕は何も感じられなかった。

僕はあの時、アスカを見捨てたんです。」

 

その時、これまで黙っていたカワムラが不意に口を開いた。

「君は、

自分自身の持っていたエゴイズムを、

そして、それが引起したことの罪を受け入れられないんだね。

君は、それを受け入れる事が自分の純粋さを損なう事を恐れている。

違うかい。」

 

「分かりません。」

 

「君はカヲル君を殺さなければならなかった。

それは、カヲル君を殺さなければ、人類が滅びると知っていたからだ。

でも、そうまでして生き延びるエゴイズムを受け入れる事が出来ないんだね。

君は、そうした生き物の持つどうしょうもない性みたいなものが恐いんだ。

自分もそうしたものである事が認めたくないんだ。」

「でも、それを認めてしまったら......

僕は殺せるようになってしまう......生きるためだと言い逃れて殺せるようになってしまう。」

その言葉は囚人達にとっては辛い言葉だった。

シンジは、言ってしまってから、自分の言葉の無神経さに顔を赤らめた。

「確かにな。

俺達が殺す時に付けた弁解、いやはっきり言って自己欺瞞だな、

それは明らかに間違いだ。

だが、それを認めないのも間違いだ。

己の醜さを受け入れられない限り、奇麗な顔をしてもっと酷い事をしでかす事になるぞ。」

図星を衝かれた。トウジの時もそうだったんだ。

あれは僕自信の手で犯すべき罪だったんだ。

カワムラは更に話を続けた。

「そして、アスカちゃんの事だがな。

彼女は、その事を知ったら確かに許さんかも知れん。

だが、それが君自身なのだとしたら、君はそれを無かった事にして受け入れてもらおうなんてムシが良すぎ無いか?。」

「無かった事にしようとしてません。」

「そうかい。

では、そういう君であったこと、いや今でもそうなんだ、

そういう君である事を君はどうするね。」

「うっ。」

「純粋に想っているだけで浄化されようなんて考えて無いだろうね?。

浄化されるなんて嘘だ。

君が肉体を持つ限り、疲れたり気持ちのいいものに惹かれたりし続けるんだ。

君が生きている限り、欲望したり恐怖したりする事は変わらない。

君が生きている限り、動物としての君を捨てる事なんか出来ない。」

シンジは、しかしそうだとしても、その先への一歩がどうしても分からなかった。

カワムラは、その細い目でじっとシンジを見ていた。

カワムラは銀行員だった。支店長とその一家を惨殺した、という話を聞いた事がある。何時もどこか超然としている感じの男だった。

「君だけじゃない。

アスカちゃんだって同じだ。

肉体を持つ女だ。

君と同様に肉の持つ性から逃げられない。

君自身が君を受け入れられないなら、

いつかきっとアスカちゃん自身も許せなくなるぞ。」

シンジは、アスカが女だ、と言われたことに不安を感じた。

それが実は恐かったとしたら。

カワムラは、責める手を緩めようとしなかった。

「君は、アスカちゃんを抱きたいと思った事は無いのか?。」

「あ、あります。」

「君は、その事を恥じている、違うか?。」

「その通りです。

僕は、心の中で彼女を汚しています。

愛していると思っても、本当は彼女を汚したいだけなんです。

僕は汚い奴なんです。」

「君がそう思うんなら、そうだろう。

だが、もしアスカちゃんが君に抱かれたいと思っていたら、君は彼女が汚れていると思うかい?。」

「いいえ。」

「じゃ彼女の欲望は、奇麗で、君の欲望は汚いのか?。」

「多分。

僕の欲望は......きっと彼女を物みたいに扱ってしまうんです。

傷つけてしまうんです。

僕が犯されたみたいに。

 

僕は彼女が入院している時、

彼女の病室で、昏睡状態から覚めない彼女の裸を見て、

オナニーをしたんです。

彼女が起きないことをいいことに。

僕だけ気持ち良くなりたかったんです。」

「君のその気持ちの責任の一端は確かに我々の落ち度にもありそうだがな。

それで、その、オナニーの後、君は何を感じたかな。」

「心が、

壊れてしまったような、

寒かったんです。

彼女から遠ざかっているような。」

「それでは、その欲望の満たし方は、君が本当にしたかった事とは違う遣り方だったって事じゃ無いのか?。」

「分かりません。

僕が本当にしたかった事だって同じように汚い事かもしれ無い。」

「アスカちゃんもそんな欲望を持っている事は無いといえるかな?。」

「分かりません。

多分、彼女が僕に抱かれたいと思うとすれば、僕を愛してくれているからだけだと思います。」

「じゃあ、単に男が欲しくて抱かれたいと思う事は有り得ない、そう思うんだな?。」

「そんなこと、有り得ません!。」

「やれやれ。

君みたいのに愛されたら、さぞかし大変だろうな。

じゃ、も一つ聞くけど、

もしアスカちゃんが他の男に抱かれたらどうするかい?。」

「なんで、そんな事を言うんですか。

カワムラさんは、アスカを知らないのに。」

「知らんね。だが女は何人も知っている。

だから言ってるだけだ。

例えばの話。もしアスカちゃんも俺が知っている女達と同様に、

欲望から逃れられないとすれば、君のように女神にされちまったら、

さぞかし息苦しいと感じるだろうなぁ。

彼女にも、そうした汚さがあったとしたら、それを否定されるよりも、

それを受け入れて欲しくは無いだろうか?。」

「嫌です!!」

カワムラは、そこでにっこり笑った。

「はい、それが事の真相。

 

じゃ次いでに、聞くけど、カヲル君は、君と友達だったんだろ。

それが、えーっとなんて言ったっけ、セントラルなんとかに入って行った時、

もうその行動だけで彼が敵だって事も分かったんだよね。

 

で、どう思ったかね。」

シンジは、その時の事を思い出した。その時の怒りを。

それはシンジにとっては凄まじい怒りの感情だったのだ。

思わず、その時の言葉が呪文のようにシンジの口を衝いて出てきた。

「僕を裏切ったな、僕を裏切ったな...」

「事の真相、その2だな。

シンジ君。

 

君は、他人と未だ直面する事が出来ていないんだ。

君は、君とは別の人間として、

理解できないかもしれない、別の人間として

アスカちゃんもカヲル君も見る事が出来ていないんだ。」

呼び覚まされた感情が消えて、シンジは我に返った。

「シンジ君。

アスカちゃんは、君ではない。

今会っても、君は、そこから理解しようと努力を始めなければならない。

 

カヲル君は、君ではない。

だから、例え君を好きだとしても、

例え君を裏切る事になっても、

彼は、彼にとって、なすべきことをしなければならなかった。

彼は君に殺されることまで考えていたかは分からない。

だが、君の話してくれたことからすると、

それはやはり彼が望んだ事だと考えざるを得ない。

 

カヲル君は、君に何を望んでいたんだろうか?。」

「僕に、ですか?。」

「ああ。

僕は君から聞かされた事しか知らないから、推測でしかない。

だが、もし僕が彼だったら、

シンジ君に彼のしたことを理解してもらいたかったんじゃないか、と思う。

シンジ君とは別の人間であるしかない自分自身として。

 

『使徒』がどういうものか僕には分からない。

が、彼には人の心を理解できたと思う。

だが、自分と違う者ということもね。

 

そんな彼が、君を好きだと言ったとしたら、

どんな気持ちだったか想像できるかい?。」

「そ、そんなこと分かりません!。」

「君は、カヲル君を人間だと思っていた。

だが、カヲル君は、自分が違う事を知っていた。

だから、君が示してくれる好意は、きっと彼を傷つけたろう。

彼は、本当の自分の姿で知って欲しかったに違いない。」

「なんで、そんな事を言うんです!。

カワムラさんだって、知らないんでしょう!!。

そんな事、僕に分かれっていったって無理です!。」

「そうだね。僕だって分からない。

君だって分からない。

だって皆別の人間だからね。

皆自分とは違うんだ。

だから違う人間として分かって欲しいんじゃないか?。

それは君にしたって同じ事だ。」

 

「止めてください!。」

 

シンジは号泣した。子供のように声を上げ泣いた。

みっともなかった。だが、それがシンジの今の本当の姿だった。

 

「好き、という気持ち、それは不思議なものだ。

僕はそれだけが、

お互いに別の体と心に閉じ込められている人間を救ってくれると思う。

だが、それはお互いに違う、という事実を帳消しにしてくれる訳じゃない。

お互い違うという事に耐えていくよすがとなるものでしかない。

理解できないかもしれない。

だが、理解しようとし続ける事、

それだけが、好きな人間との間に持ちえる唯一の関係なんだ。」

シンジには、分かっていた。ずっと前から気付いていた。

だがそれに直面するのが怖かったのだ。

ずっと一人でいた間は、直面する必要はなかった。

彼は空想のアスカを追い続けるだけだったのだから。

シンジにとっての最大の脅威は、自分の好きな人間が、一人の人間として立ち現われてしまう事だったのだ。それは恐ろしい事だった。

「人が怖いだろう。

だが、君は怖れながらも好きという気持ちを持ち続けるべきだ。

それだけが、生きている意味かもしれない。」

 

「カワムラ先生の話は、相変わらず難しいなぁ。」

スドーが沈黙を破った。

「すまんね。俺は、この調子が抜けないもんでね。」

「まぁ、女には持てないタイプだね」

「図星。」

「シンジは、もてるタイプだよなぁ。」

「ああ、

そうだな。」

 

だが、シンジには、その言葉が聞こえなかった。

泣きつづけるシンジを見るめる男達の眼差しは優しかった。

 


 

翌日は、秋晴れだった。

 

シンジは朝を迎えられたことを不思議に思っていた。

全てを剥ぎ取られたような、泣き疲れた後の清々しさのような感覚。

そして、それでも日常を生きられる事の不思議。

 

だから、その日も、シンジは運動場で、スドー達と他愛も無い会話をしていたのだ。

 

突然、スピーカが、あの不吉なスピーカががなりたてた。

 

1672号。運動場出口まで出頭しろ。」

 

 

スドーは、穏やかな表情で言った。

3年も待たせやがって。

待たせる男は嫌われるぜ。」

「スドーさん!。」

「スドー。」

だが、呼ばれた男の表情には変化が無かった。

ただ、周囲にいた囚人一人一人を抱きしめ、肩を叩き、別れを告げた。

「シンジ。

おまえに会えてよかったぜ。

最後になって面白かった。

 

いいか。

おまえは間違って逮捕されたんだ。

それを忘れるな。

死刑になって当然だなんて思うなよ。」

そういうとシンジの手を握り、そして歩み去った。

「スドーさん!。」

 

その数時間後、スドーは処刑された。

 

 

閉ざされた生

 

スドーが逝った。

それは約束されていた事なのだけれど、シンジには余りに理不尽な最後に思えた。

ただ殺される事。罪の償い、というが実際はただ、殺されるべき体として処分されるだけの事。

順番に従い、ただ呼び出され処理されるだけの。

勿論、スドーの過去は、余りに非道な所業に満ちていた。殺された者達、残された者達にとって、今日は正義が執行された日なのだ。

だが、シンジは泣いた。最早、これを正義の執行と呼べる人々とは遠く離れてしまった。

殺し合うという形でしか、決着の付けられない正義。それはシンジにとって、あまりに遠いものでしかなかった。

 

処刑の執行は、一体どういう規準で決められるのだろうか。全く気まぐれに、囚人達の精神を壊すことを目的にじらしているとしか思えない。

スドーは、3年待った。いつ決定されるかは、誰にも分からない。だから常時覚悟を決めておかなければならなかったのだ。

 


 

「僕も、そのうち、処刑されんですよね。」

シンジも死刑囚である事は変わり無かった。

以前独りで囚われていた時には、死刑囚であることと折り合いを付けたと思っていたのに、今では、またシンジを苦しめるようになっていた。

それは、益々、アスカへの募る想いをたぎらせる。もう二度と会えない人。

だが、シンジは相変わらず、その想いそのものすら受け入れる事が出来なかった。

自分自身のちっぽけな愛に何程の意味があろうとも思えなかった。

スドーのように愛する気持ちを持てたら。

 

「そのことなんだがね。」

と、シンジの言葉を聞いて、カワムラが声をかけてきた。

「僕も、スドーと同じ意見でね。

酷な要求をするようだが、やっぱり君は不当な逮捕には違いないんだ。

 

僕は刑が確定して1年しかたっていないから、今世間で君の事がどう扱われているかを知っている。

政府は、サードインパクトと、その後の混乱の責任をサードチルドレン・碇 シンジに転嫁している。

現在の苦境を全て君のせいにしている。

君は政府のプロパガンダで極悪非道の大罪人となっているんだ。」

そのことはシンジも察しがついた。

政府は、ただ国民の眼をそらせる効果でのみ、シンジを見ているのだ。

「だからと言ってどうにもできないですよ。」

「それは確かにその通りかもしれない。

だが、それでも君は怒るべきだと思う。

政府が国民にしている事は、結局国民を愚かでいさせようとする事だ。

確かに君も僕も無力だ。

怒ろうが怒るまいが、今の状態に対して出来る事は余り無い。」

「では、何故?。」

「君が人間として生きるために。」

「人間として?。」

「君は言ったね。

『人類補完計画』というものが、出来損ないの群体動物である人類を、完全な単一生命へ進化させる計画だった、と。」

「ええ、ミサトさんはそう言っていました。」

「それは、人間の不完全さを受け入れる事の出来ない者の、狂った思考の産みだしたものだ。

生命を機能の完璧さとして、評価可能な属性の束としてしか考えない思考の行き着いた先だ。

人間をそのようなものとして見る時、それは不完全な存在なのは明らかだ。

 

だが、だからといって人類を、人間を、不完全さの故に物のように扱うなら、それは人間の思考ではない。

 

無論、事の有効性を無視する訳には行かない。

だが、人間である事とは、そうした事柄を越えて、

自己の尊厳の為に無駄と思える事でも、そうしなければならない事に殉ずる事だと思う。」

「僕に、不正義を憎む事で人間らしく死ね、というんですね。」

「ああ。勝手な言い草だがな。

君はそうする資格がある。」

シンジは、じっと考えていた。

せめて、人間らしくあること。

「シンジくん。

君は僕達の様に道を踏み外した人間ではない。

確かに、今は絶望的な状況かもしれない。

だが、君は我々と違って、まだ自分の未来を信じる事が出来る。

いや信じるべきだ。」

無理な要求だった。今この瞬間執行決定のアナウンスがあるかもしれない、というのに、未来を信じろと。しかし、シンジには何となくカワムラの言わんとする事が分かった気がした。

 

「この前、僕は、シンジ君にかなり酷いことを言った。

それと矛盾するかもしれないが。

 

君は、君自身を赦して見る気はないか?。」

「赦す?。」

「赦すんだ。

それは、今の君の罪を認めているから赦すんだ。

だが、一方で、未来を信じてるからこそ、赦すんだ。」

「それは...」

「僕は、今君に酷い要求をしていると思うよ。

僕が要求したいのは、例え刑が執行される事があったとしても

死の直前まで、君自身の成長を信じて見ろって事だから。

それはとても残酷な事かも知れない。」

「....だけど、僕が人間らしくあるためには、そうしなければならない、と。」

「ああ。

僕は、それが出来ずに罪を犯した。

君に同じ思いで死んで欲しくはない。」

「でも!、どうやって?!。

僕には...

とてもできっこない!。」

カワムラは額に汗を浮かべていた。

「カワムラさんの言いたいことも分からない訳じゃない!。

だけど、どうせ僕達の命は、この中に閉じ込められてるんです!。

それを知らないかのように過ごせっていうんですか!

僕には無理です。」

カワムラはシンジの顔をじっと見ていた。思慮深そうな目つき。だが、その瞳には深く哀しい色が隠れていた。

「知らないかのように過ごせ、とは言っていない。

知っていてなお、それを越えて見せろと言ってるんだ。

無理な事は承知だ。」

「わかりません!」

そういうとシンジはカワムラに背を向けた。

「君のアスカちゃんに対する想いは偽物だったのか?。」

その言葉にシンジの背中がぴくりと動いた。

追い撃ちをかけるようにカワムラが、言葉を続けた。

「君自身が未熟だからといって、

その気持ちまで捨て去るのは間違ってるぞ!。

君は、その気持ちにふさわしい男になろうとは思わないのか!。」

シンジは、振り返りカワムラの顔を見た。

カワムラという男が、それまでの冷静な言葉の陰に隠れていた男の素顔が、そこには現われていた。

 


 

カワムラも逝った。

 

 

 

それは、あの会話の2日後の事だった。

執行の決定は運動場では通知されなかった。

夕食前に房から、カワムラはひっそりと連れ去られた。

別れを惜しむ間もなかった。シンジ達は、食堂で彼の不在の意味を、即座に悟った。

そして、カワムラが座るはずだった空席を皆黙って見続けていた。

 

シンジは、カワムラの過去を全く知らなかった。

だが、彼との会話は深く心に残っていた。

 


 

ある夜、シンジは、独房の窓から差し込む月の光りが床を照らすのを眺めていた。

窓の外の空は、月の光りを含んで、やさしい青灰色をしていた。

そして、心はある光景を思い出していた。

 

目の前にアスカの顔がある。

淡い色の柔らかそうな唇。

眠った彼女の横顔を、月の光りが照らす。

『ママ。』

そして彼女の瞳から一筋の涙。

 

寂しい子だった。

誰かに本当の愛情を注いで欲しかった、可哀そうな子。

だからこそ、かけがえのない子。

 

シンジは、自分の想いを受け入れた。

その想いは、今静かにシンジの心を、体を満たしていった。

 

想っていられるだけで良かった。

 

例え、今の彼女がどれほど変わっていようと、

そこへ辿り着こう。

 

それから?。

 

それは大事なことじゃない。

大事なのは、僕が彼女を想っていて、そして彼女に近づこうとし続ける事。

 

僕は、もう迷わない。

 

日々

 

2012号。運動場出口まで出頭しろ。」

 

また、スピーカーは、その時を告げる。

そして、シンジのすぐそばで、恐怖の余り地面に倒れる男。

眉に刀傷のようなもののある、40過ぎの小太りな男。

盗みに入って逃走中、警官を殺したと言っていた。

毎日、処刑の恐怖に怯え、シンジに暴行を加え続けた男だった。

 

男は震えていた。蒼白となった顔は、涙と鼻水とで無茶苦茶だったが、声は出そうとしても出なかった。

シンジは、自分の心の中に沸き上がるものを感じた。

そして、その男に近づきそっと抱きしめた。

何も言わなかった。

男は、母に甘える子供のようにシンジにすがりつきながら、ようやっと立ち上がった。

シンジは、そのまま男を抱きしめ続けた。

 

奇妙な光景だった。

囚人達はみな、静かに2人を見詰めていた。

目には見えなかったけれど、そこには厳粛な儀式の所作が齎す力があった。

 

しばらくすると、男は自ら、シンジから体を離した。

そして、袖で顔を拭い、無理に笑ってみせた。

「ばーかやろー。

泣かせることすんなよな。

じゃ、行ってくるから。」

そう言い、男は鉄扉のほうへ歩いていった。

 

見送るシンジの眼からは涙が流れていた。

 


 

シンジの心に、ある変化が起こっていた。

それまでのシンジは、自分に割り当てられた役割を問い続けていた。サードインパクトの後でさえ、その姿勢は大きく異なるものではなかった。単に違うのは、問い続け答えが得られなくとも、耐え得るだけの覚悟があったこと。そして状況が余りにも絶望的なこと。

 

しかし、シンジはようやく、その問いを問わなくなった。

 

出来ることを探すこと。

そして、行うこと。

 

アスカへの想いに自らを委ねてから、シンジにとって、自分自身のちっぽけな役割など問題にならなかったのだ。

 

 

シンジは、死刑囚達と積極的に関わっていった。

といっても、もともと話し上手な方では無く、専ら良き聞き手となろうとした。

 

例え、心が荒んだ者から、殴られたり、暴行を受けても、抵抗はしなかった。

瞳の奥に見える寂しげな心。それはどの死刑囚にも共通していたから。

死を前にしてなお、埋められなかった愛情を求める者達。打ち捨てられた者達。

 

そうして深く関われば関わるほど、シンジにとって、彼等との別れの瞬間の苦しみは深くなった。しかし、シンジは最後の刻の訪れるときに、死刑囚達にとって忠実な友人であろうとし続けた。

 

囚人達にとって、シンジは、この地獄で唯一の安らぎとなる存在となりつつあった。

彼等は、シンジに自分の過去を語りながら、頑なで荒んだ心が和らぐのを覚えるのだった。

あるものは、忘れていた、自分の生の中の美しい瞬間の記憶を取り戻し、またあるものは、自分自身の中に眠っていた優しい感情を見い出し、そしてあるものは、自分が捨て去ってきた、かけがいの無い人々の想い出に涙した。

せめて人間らしくあること。そのようにして最後の時を迎えること。赦されないと思っていた自分を受け入れること。

彼等は、そのようにして人間としての死を自らに勝ち取ったのだった。

 

やがて、シンジが、ここに連れて来られた頃の者達は全て逝き、シンジが一番の古顔になっていた。

 


 

シンジは二十歳になっていた。

 

その日、朝食の後、シンジは看守達に連れ出された。

 

 

やっと自分の番になった、という安堵感と共に、もう二度とアスカに会えないという哀しみがシンジの心をしめつけた。

ただ、自分は死の瞬間まで、一人の女性を想い続けることが出来た、という誇らしい気持ちもないではなかった。

 

きっと僕の生の意味とは、アスカを想い続けることだったのだろう。

 

シンジは、そう思うと落ち着いた。全てを望みえる訳ではない。

けれど自分には、これが満足すべき結果だったように思えた。

 

(スドーさん、カワムラさん。

あなた達は、僕が怒るべきだ、と言っていたけど、

僕には、もうそんなことも、どうでもよくなりました。

 

勿論、僕を処刑する人々を、

僕は赦せない。

僕が見て来た沢山の人々の不幸な生を齎したもの、

それは僕を処刑しようとしている力と同じものだからです。

 

でも、僕がこうして人間らしく死んで行けるなら、

それは、やはり彼等に一矢報いた事になるんだと思います。)

 

 

 

寒い日だった。

 

昨晩遅くから降った雪が、連行されていく回廊の窓の外を一面白く光らせていた。

 

 

 

だが、連れて行かれた先は処刑場では無かった。

 


 

沢山の医師達に取り巻かれ検査され、問診されながら、シンジは内心苦笑していた。

(そう、すんなり死なせてくれる訳じゃ無いらしい。)

自分の覚悟があっさりかわされた気恥ずかしさ、虚しさがシンジを苦しめていた。

 

 

その日、国連視察団によるシンジの健康診断、及び面接調査が行われた。

日本政府はつい先日のクーデターで政権が交代しており、碇シンジの死刑決定を、前政権の攻撃材料にしていたのだ。

シンジの知らない所で、運命は大きく変化していた。

 


 

「もう、僕は、そんな幻想は要らないんです。」

 

シンジがそう言った時、イェルク・ウッティンガーと名乗る青年は、うつむいた顔を上げてシンジの瞳を見た。

国連視察団、と言いながら、この公式の面接はイェルクとビデオカメラだけで行われた。

イェルクは暫く、シンジを見つめていたが、やがて彼の隣に置かれたビデオを停止させた。

 

それから、シンジに右手を差し出しながら言った。

「すまなかった。

随分、酷い質問をした。

赦してくれ。」

 

シンジはイェルクの手を握り返した。

「いいえ。

僕も、誰かに言いたかった事を言えたように思いました。

ありがとう。」

そう言いながら、シンジは、このドイツ人の青年が誰かに似ているように思えてしようが無かった。勿論始めた見た顔。

 

シンジは思い出した。

 

加持リョウジ。

 

イェルクの何がそのような感じを与えるのか、シンジには分からなかった。

 

「これから、僕はどうなるんですか?。」

だが、イェルクは、その質問に答えず、シンジに近づくとシンジの両肩を掴んで、言った。

 

「シンジ君。

 

君は、純粋過ぎる。

 

もちろん、君は、その純粋さを守ろうとして逃げるような愚かな人間じゃあない。

 

しかし、それは君にとって決して幸福なこととは言えないんだ。」

 

イェルクの表情には、何故か暖かいものがあった。

兄が、弟に諭すような。

 

「君は、恐らく死ぬことはあるまい。

君にとっては、つらいことかもしれないが。

 

だから、

僕が君に言いたいのは

『生きろ』

という事だけだ。」

 

イェルクは、そういうと部屋を出て行った。

 


 

既に夕食の時刻は過ぎていたので、特別にシンジは、面接の場に当てられていた刑務所内の職員食堂で夕食をとった。

たった一人だけ、周囲に数人の監視が立っていた。

うち、二人は国連側から派遣された人間のようだった。

いずれにせよ、形だけ整えられながら何もかも中途半端な状況での中、食が進む訳も無かった。

何かがおかしい。どこか不真面目な感じ。

これまでの全てが、シンジをからかう為だけを目的とした茶番だとしたら?。

逮捕から、その後の全ての事が、多くの死刑囚達の死すら、ひたすらシンジを愚弄する為だけの、それだけの目的の事だとしたら?。

 

『もう、僕は、そんな幻想は要らないんです。』...か。

 

僕は、簡単に打ちのめされるんだな......

 

『生きろ』

 

それは、残酷な言葉。

 

生は、シンジと死刑囚達を、決定的に分離してしまった。

しかもなお、そこに生きるのなら、その隔たりを越えつづけなければならないのだ。

イェルクという青年は、果たして、そこまで見越してあのような事を言ったのだろうか?。

 

言ったのだ。

 

シンジは、そう思った。

(まるで加持さんが生き返って来て、叱ったかのように。)

 

かつて加持がシンジに言った言葉の数々の記憶が蘇ってきた。

もし加持が生きていたなら、やはりイェルクと、同じ事を言ったかもしれない。

とすれば......。

 


 

シンジが連行されて行ったのを知った時、死刑囚達はシンジが処刑された事を疑わなかった。シンジは余り待たされすぎていたのだ。

何時処刑されてもおかしくなかった。

死刑囚達は、シンジの死を悼んでいた。そして長すぎた彼の苦しみが終わった事をせめてもの救いと想っていたのだった。

だから、翌朝、彼らがシンジを再び見出したとき、それは奇跡を目の当たりにしたように思ったのも無理はなかった。

ただ、シンジの顔に浮かぶ苦しそうな表情に一抹の不安を覚えながらも。

 

 

 

 

運動場で、シンジは何があったのかを、そして、これから自分の身に何が起こるかについてを全て、皆に語った。

シンジは、その事で死刑囚達から憎まれるようになる事を覚悟していた。

丁度、ここに来たばかりの時のように。

 

だが、意外にも囚人達から返ってきたものは、歓声だった。

「やったな。」

「シンジ、おめでとう!。」

「よかったな。」

「やっぱりお前は死んじゃいけなかったんだよ!。」

「おめでとう、シンジ!。」

シンジと死刑囚を分かつものを、乗り越えてきたのは彼らの方だった。

彼らは、自らの境遇を越えて、シンジの事を我が事のように喜んだのだ。

誰もが、祝福していた。

誰もが、笑い、嬉し涙に顔を濡らしていた。

 

シンジは、自分が彼らを本当に理解していなかったことを知った。

自分の矮小な心が齎した先ほどまで恐れを、恥ずかしく思った。

だが、理解できなかったことで自分を責めるよりも先に、嬉しかった。

 

「ありがとう。みんな......」

シンジは、初めて心から感謝していた。

そして、この瞬間シンジの心を縛っていたものの最後のひとつが断ち切られたのだ。

 

シンジは、喜びと哀しみと、そして愛しみを強く感じていた。

シンジのことを我が事のように喜ぶ死刑囚達への愛と、彼らの運命への哀しみ。

自分も人間であることへの感謝の念。

そして自分だけが一人生き残る事の自責の念と。

そうした両極端な、しかも強い感情が同時にシンジを満たしていた。

痛み。

悲しみ。

絶望。

愛しみ。

喜び。

感謝。

希望。

全てが強い流れとなってシンジを満たしていた。

 

アスカ!

 

それは祈りにも似たもの。

人を好きになるという事。

 

 

 

虹−epilogue

 

まもなく、シンジは無期懲役に減刑された。

そして、別の刑務所に移る事になった。

 

 

護送車は午後5時に、第2新東京市刑務所を出発する事になっていた。

それまで晴れていた空は、4時頃から暗くなり、激しく叩き付ける雨となった。

 

雨も小降りになった頃、シンジは、護送車に乗り込んだ。

不思議な感じがする。

この刑務所を離れる事が、とても辛い。

沢山の人の死を見送った日々。

それらの人々、一人一人をシンジは絶対に忘れまいと思った。

 

護送車が刑務所を出た頃には雨は上がり、西の方から晴れてき始めた。

同乗していた警官がシンジに話し掛けた。

「君は、あそこから生きて出た初めての囚人だね。」

シンジは、軽く頷いたものの、何も言う気にはなれなかった。

確かに、シンジは生者達の中へ帰還しようとしていた。

だが、今は故郷を後にするような哀しさを覚えていたのだ。

 

振り返ると、刑務所の建物の白い壁が、橙に染まっていた。

荒涼とした冬の夕暮れの光景。

死に逝く者達を閉じ込めた、そのコンクリートの建物は、しかし夕陽の中で荘厳に見えた。

 

上空に、微かに虹がかかっていた。

 

(終り)

 
 
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(後書き兼言い訳)

はっきりいって説教臭いし、テーマ(そんなもんあったのか?!)を消化し切れてません!。

ごめんなさい。

力量不足です。

 

設定をちゃんと考証しなさい、とある人から言われましたが、今回もしてません。

リアリティ持たせようとすると現行制度に合せるべきなんでしょうが、

そうすると、この話のようにシンジが色んな人と会話するのは無理があるので、

こういう設定にしてます。

 

でも刑務所ってのは、ドラマになりにくいです。

 

さて、この後はシンジの釈放前後の話、それから更にその数年後のアスカの話等予定してます。 inserted by FC2 system