グラウンドはやけに静かだった。
誰もが二人の対決に魅入っていた。
シンジにあれ程までの闘気があると誰が予想したであろうか。


マウンドにはシンジ、そしてバッターボックスにはタケシがいた。
ピッチャーとバッターの居場所、その関係、野球をするのならばそれは当然であったが、シンジはひどく懐かしく感じていた。

マウンドに立ちバッターを見つめる。
自然とボールを握る手に力が篭められる。
そして徐々に鋭くなるその眼光。
シンジは遠い昔の日に忘れていた何かを思い出していた。





ガッ ガッ ガッ ガッ
マウンドを踵で馴らしていく。
その作業がしばらく続くと自分の足に合うかどうか試す...
自分の足に合うまでその作業は続いた。
その作業が終わると右足をプレートにかけバッターを見る。


「じゃあ 始めようか。」


その言葉を合図にグラウンドには緊張感が急激に増加した。

ドクン ドクン ドクン
心臓の鼓動が大きくなるのが分かる。
だが言い様も無いこの緊張感をシンジは楽しんでいた。

(...久しぶりだな、この感覚は...
 ...忘れていたあの感覚が今ここにあるんだ)

シンジは戦うのを楽しむがごとく、顔には笑みをたたえる。
最早バッターしか見えていなかった。
そう、倒すべき相手しか。







そして二人の闘いは始まった。










誰も二人から目が離せなかった。
その時シンジが両手を大きく振りかぶった。
永遠とも思える時が動いた...

左足が上がり体が前方に傾く...

左足が大地を踏み体が正面を向く...

そして左手は左胸の位置に置かれ、右腕は後方に鞭の様にようにしなる...

ボールを握る力が限界まで上がり、体全体が前方へ流れていく...

限界までしならせた右腕を前に放つ...


シンジのこの一連の動作は、水が高いところから低いところへと流れるかの様に無駄がなかった。


そして放たれたボール...

ズバァン!!

キャッチャーのミットに突き刺さる音。


誰もが目を疑った。
全てが一瞬の出来事だった。
誰も動けなかった。
バッターであるタケシですら...















リツコ特製スピードガンは147km/hをマークしていた...












大切な人への想い

第六話  強さとは...











(......グスッ...ヒック!...)

少年は母親の胸の中で泣いていた。
あの日から泣かないと決めた筈なのに泣いていた。
そう、父親が死んだあの日から...

少年を抱いた母親も泣いていた。
自分の愛する子供に辛い思いをさせた事に。



          :
          :
          :
          :
          :
...ヒソヒソ

(...アイツだよ。 ほらあそこに座ってるやつ)
(あ、アイツか〜。 あの暗いやつか)
(そうそう、いかにもって感じだろ)


周りの少年達は一人の少年を指差して話している。
その少年は俯いたままだった。


(それから知ってるか?アイツの妹)
(え?何々)
(アイツの妹ってちょっと変わってるんだぜ)
(どこが変わってるって?)
(見れば一発で分かるよ。 外人みたいなんだけど、なんかそれとも違う様なんだ。 とにかく絶対に日本人じゃないよ。)
(あ、知ってる。 俺も見たことあるぜ。
 でも外人でもあんなの見たこと無いぜ)


少年達の話は留まる事を知らない。


(ひょっとしてアイツの妹、人間じゃないかも知んないな)
(うそ?だったらやべーじゃんか。 あ、けどそう考えるとアイツの父親が死んだのってそいつの仕業か?)
(絶対そうだって。 そのうちアイツも妹に殺されるぜ)
(ゲゲッ、そしたらどこか他のところでやってほしいな。
 だってアイツの父親って一人巻き添えにして死んじまったんだろ?
 まったく余所でやってほしいぜ)
(そーだよな。 ハハハハハハ)

バキィ!!

俯いていた少年は殴った。
驚いた周りの少年たちも応戦しようとしたが突然の事でかなわなかった。
少年は泣きながら殴っていた。
それは一方的な喧嘩だった。

そしてその事を聞き駆けつけた教師がその喧嘩を止めた。



今回のこの喧嘩は状況を考えればどちらに否があるか分かるのだが、あまりにも一方的すぎたので少年の方が強く罰せられた。
騒ぎが大きくなりすぎ、両方の親が呼ばれ事の経緯が伝えられた。
殴られた少年たちの親はその事で責め立てたが、責められた方の親はただ謝るだけであった。
少年にはそのことが歯がゆく思えた。









その帰り少年は母親に不満をぶつけた。


「なんで、なんで僕が怒られなければならないんだよ!!
 悪いのはアイツらなのに、父さん達の悪口を言ったんだよ! アイツらは!」


母親はただ泣いている少年を見ているだけであった。


「どうして、どうしてなんだよ...答えてよ! かあさん!!」


突然母親は少年を抱きしめた。
抱きしめる手に力が篭り、肩に食い込む。


「...かあさん?」





その時母親の目から涙が零れる。


「...ゴメン、ゴメンネ...」


それだけだった。
自分だけが辛いのではない事に少年は気付いた。

愛する夫の葬儀の時でさえ泣かなかった母親が泣いていると分かった。
その時少年は願った。
自分の事を愛してくれるモノを、自分が愛するモノを、自分の父親の尊厳を護れる位に強くなりたいと願った。



すべての理不尽な事から護れる位に強くなりたいと...





「...強くなりたい...」





そして少年は大人へと成長していく...










☆★☆★☆










ミーンミンミンミンミンミ〜ン
今日も蝉は鳴く。



少年が一人、学校の屋上で空を眺めていた。
碇シンジである。

屋上で寝っ転がり片手を天高く掲げ、その指の隙間から零れる太陽の光を眩しそうに見ていた。
掲げた手は右手... 数日前の勝負で久しぶりに使った手である。

(なぜ僕は...)

何度も問いただすが答えは未だ出て来ない。
そう、柏綾高校の水上タケシとの勝負から数日経ち、夏休みも残り僅かとなった。

たったの3球で勝負が着いてしまったのだ。
タケシはシンジの投げる球にバットを振る事すら出来なかった。
それ程シンジの力は圧倒的であったのだ。










☆★☆★☆











ズバァン!

キャッチャ−のミットにボールが突き刺さる。
誰も口を利けなかった。
野球部でもない人間に、これほどの球を投げられるとは思えなかったのだ。









長い沈黙の後、シンジが静かに話す。


「...いまのは真ん中だからストライクですよね。」
「あ、ああ。 ど真ん中でストライクだ。」


ボールを受けたキャッチャーが言う。
そのボールを受けた手は痺れていた。
キャッチャーが投げ返すボールをシンジが受け取り、2球目のモーションに入ろうとする。



加持が慌ててスピードガンをセットし直すがその時の数値を見て驚愕する。

147km/h

聞いてはいたが、まさかこれほどの力を持っているとは正直思わなかった。
服装は学生服、靴はただの運動靴、これで投げたのである。
全国を探してみてもこの数値を叩き出せる投手がどれほどいるであろうか?
しかし目の前の少年はそれをマークした。



シンジが2球目のモーションに入った。
全員の緊張感が増加する。


ビュッ!!

今度もど真ん中にボールは吸い込まれていく。

ズバァン!!


タケシは微動だにできなかった。
今までどんなに速い投手と対戦してきたが、シンジ程の力を持った投手とは闘ったことが無かった。
超高校生級、そんな投手とは初めての対戦だった。
気がつけばもうカウントは追い込まれ最後の一球を待つのみであった。

ツツっと冷や汗がタケシの頬を伝う。
極度の緊張からか喉が渇き、ゴクリとツバを飲み込む。
そして心臓がこれまでに無いほどに強く鼓動する。

タケシは本能からかシンジには勝てないと直感する。
最早勝負はこの時点で決まった。







「...ちょ、ちょっと加地君。
 今のシンジ君のボール... 何キロだった?」


ミサトがかすれた声で訊ねる。
加持は信じられない様な表情で答える。


「...ああ、2球とも...147km/hだ。」
「...うそ? そのスピードガン壊れてるんじゃないの?」


ミサトはそうリツコに尋ねずにはいられなかった。
シンジが野球をやっていた事は知っていたが、あの大人しくてスポーツとは縁の無さそうな少年にできるとは思えなかった。


「そんな事は...有り得ないわ...」


リツコの声もかすれていた。
リツコの造るモノ、その用途には考えるものがあるのだが、その性能には文句のつけようが全く無い。
ミサトと加持はその長い付き合いからその事を理解していた。
現にこのスピードガンの性能はものすごく、測定誤差の範囲も 0.0000000001% となっていた。
リツコ曰く


「オーナインシステム搭載型よ。」


とまあこれは余談である。





シンジはそんなギャラリーの思いとはよそに最後の一球に入った。
シンジの眼光が鋭くなる...
ボールを握る力が増加していく...

シンジの調子も上がっていた。
タケシには最早闘志はなかった。





ズバァン!

タケシはバットを振る事ができなかった。
誰も何も言えなかった。
たった3球で終わった勝負、何もできなかったバッター、役者が違い過ぎたのだ。


「...僕の勝ちだね...」
「...」


タケシは何も言えなかった。
シンジは放心状態になったタケシに話し掛ける。


「君には力がある。
 だけど誤解しないでほしい。
 それは強い事ではない...強さというのは、力とは別の場所にある事を知っていてほしい。
 ...そうすれば君はまだまだ強くなれるよ。」


それだけ言うとグラウンドから去っていった。










勝負は終わったのだ...










☆★☆★☆











カナカナカナカナカナカナカナカナカナ
ヒグラシが鳴いていた。

いつのまにか夕方になっていたのだ。
結局シンジは朝から考えていたのだが答えは出なかった。

夕日が全てを紅に染めていく。
第3新東京市が燃えている様にも見える。
シンジはしばらくその景色を見ていたが、後ろから声を掛けられた。
声を掛けた者の瞳もまた赤かった。


「シンジ君。」
「...カヲル君。」





「どうしたんだい?シンジ君。」
「ちょっと考え事をしていたんだ。」
「ふ〜ん、そういえば見たよ、あの事。」


無論水上タケシとの勝負である。


「スゴイじゃないか、君にそんな力があるなんて。」
「.........」


シンジは答えない。
長い沈黙が続き、カヲルは言う...


「シンジ君、君は吹奏楽部を辞めるべきだよ...」


カヲルは驚くべき事を言ったにもかかわらず、シンジは顔色を変えず夕日を見ているだけであった。


「野球をやるべきだよ、シンジ君は。
 君も気付いているんだろう? 野球をしていた自分が楽しんでいた事に...」
「.........」


まだシンジは答えない。
カヲルは心を鬼にして言う。


「もう一度言うよ。君は吹奏楽部をやめるべきだ。
 確かに君の演奏は上手だよ。
 けど、君にはその演奏で人に涙させる事は出来ても喜びを与える事は出来ないよ。
 君の演奏には悲しみしか見えない。
 技術的には申し分無いだろうけど音楽家としては失格だね。」
「.........」





また沈黙が続いた。

カナカナカナカナカナカナカナカナカナ
ヒグラシが鳴いていた。

今はこれ以上何を言っても無駄だと思ったカヲルは、今はシンジを一人にしておこうと思い屋上から去ろうとした。


「......りたかったんだ...僕は。」


シンジが絞り出すような声でしゃべった。
カヲルは立ち止まりシンジの話しに耳を傾ける。


「...強くなりたかっただけなんだ、僕は。
 護りたかったんだよ、僕の好きな人を...僕の事を好いてくれる人を...
 だから...だからなんだ。
 ただ僕は...強くなりたかったんだ...」
「そうかい、優しいんだねシンジ君は。
 ...人の為に強くなる事が出来るなんて。」


そしてカヲルはこの場を去った。










ガシャン!

シンジが張り巡らされた屋上のフェンスを掴む。
何かに耐える様にその手に力が篭る。
そしてコンクリートの床を零れ落ちる涙で濡らしていく。


「...グッ......ウゥッ......」


嗚咽するシンジ、耐え切れなくなり涙が溢れてくる。
ガクリと膝から崩れ落ちるシンジ。
溢れた涙が止まらない。
あの時に枯れ果てたと思っていた涙がまた溢れてきた。


「...なんで、どうしてなんだよ...
 僕は好きな人の為に...強くなろうとしたのに...
 どうして僕を一人にするんだよ...
 僕が強くなっちゃ...いけないのかよ...



 僕が優しい?
 僕はただ寂しかっただけなんだよ...
 独りでいる寂しさが嫌なだけなんだよ。
 独りは嫌だ。
 独りにしないで...



 僕を置いていかないでよ!!
 父さん! かあさん、...............................レイ。
 寂しいよ、独りで...いるのは、もう嫌なんだよ...」


そこには昨日の強さを見せた少年は居なかった...
独りで居る事の辛さを知る少年がうずくまっているだけであった。



























その日、シンジは碇家には帰らなかった。



第六話  完

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