「シンジ君...どこに行ったのかしら?」


一人の女性が心配そうに呟く。
時間を見ると既に23時を過ぎていた。


「今までこんなに遅くはならなかったのに...
 どうしたって言うの?」


女性の名は碇ユイ、碇シンジの保護者である。
そのシンジがまだ帰ってこないのだ。
ちらちらと時計を見る回数は最早何回になったか分からない。
その横ではその件に関して無関心のごとく新聞を読んでいる男性がいた。
碇ゲンドウである。

ゲンドウとユイはシンジに何が起こったのかは検討がついているのだが、やはり男と女、養父と養母、その考え方が全く違う。
ユイは心配でたまらなく落ち着きがない。
ゲンドウは同じ男である為、そしてシンジ自身の問題である事が分かっている為「我関せず」である。
まさしく対照的な二人であった。


「シンジもいつまでも子供じゃないんだ。 そんなに心配する事ではない。」
「それは分かっていますが、ここ最近のシンジ君はすごく思い詰めた感じがしているんですよ。」


見るに見かねたゲンドウが話し掛けたが、ユイは納得する事が出来ない。


「...これはシンジ自身の問題だ。 私達が口を挟む事ではない。」
「ですが今のシンジ君の心は脆すぎるんですよ。
 こっちに来てから少し良くなったと思った矢先にあんな事が起きるなんて...
 また元に戻ってしまいますよ。
 ...私達と初めて会った、あの時のシンジ君に。」


ユイの言うあの時のシンジの目には光が宿っていなかった。
何も話さずにただ一点を見つめるだけの生きた人形
それがあの時のシンジであった。


「では、シンジにはもう野球に関わらせるな、と言いたいのだな。」
「もちろんです。  今のシンジ君にとって野球は負担以外の何でもありません。
 これ以上シンジ君に負担をかけたら今度こそ壊れてしまいます。」
「確かにそうであろうな。
 ...だがいつまでも自分を偽る事はできんぞ。
 いつまでも逃げて行けるとは限らんのだぞ。
 シンジにとって今がその時なんだ。」
「.........」


ユイは何も言えなくなった。
確かにゲンドウの言う事は正しい。
このまま逃げ続ける事は出来る。 だが自分を偽り続ける事になり、そのままずっと心に負担が残ることも事実である。
だがうまく行けばいい。 もし最悪のケースになったのならば最早シンジは...

ユイは思考の無限ループにはまってしまった。








「...所詮我々には何もできんのか...
 許せ、ソウ ユミ君...レイ君。」


ゲンドウはシンジの本当の家族に、只謝るだけであった。




シンジは未だ帰らない.........









大切な人への想い

第七話  闘う その理由(前編)











時間は少し前

シンジはどこをどう歩いて来たかは自分には分からなかった。
そこは全く見慣れぬ場所、だがシンジにはどうでもいい事であった。
今の自分には周りの状況よりも自分の心に関心があった。


「...何故?
 何故僕はまたグラウンドに戻ったんだ?
 何故あのマウンドに立っていたんだ?

 どうして僕は投げたんだろう?

 ...僕が投げる理由は無いのに...」


シンジには自分の事が理解出来なかった。
あの時何故自分がグラウンドに居たのか?
心ではなく体が反応したのであろうか?
それとも自分の心のどこかではまだ野球をやりたがっているのか?

シンジは理由を探していた。
自分が辞めた筈の野球をやった理由を。










☆★☆★☆











...プルルルル プルルル プルルル プルルル


「はいはい、今出ますよ。」

ところ変わってここは東ケイタの家−−−
ケイタは呼び出し音が鳴る電話に答えていた。


「はい、東です...ってなんだムサシか。」
「なんだとは随分な言い方だなケイタ。 オレはオマエの事を見損なっちまうぞ。」
「ハイハイ分かったよ。
 それよりもあの件の事か?」
「もっちろん その通り。
 何とかしてシンジと話をしないとな。
 あれだけの実力だ。 是非とも我が野球部に入ってもらわねーとな。」


シンジの投球は強打者である柏綾高校の水上タケシを黙らせたのだ。
それ程の事が出来る者が自分の学校、しかも親友にいるとなっては誘わなければ意味が無い。


「...それでなんだけどね。 さっき電話したけどシンジの奴、まだ帰っていないんだってさ。」
「え?こんな時間にか。 なんかヘンな感じだな。」
「ああ、9時半頃に電話したんだけどね。
 ...家の人は何も連絡は受けていないみたいだったよ。
 今までこんな事は無いって言ってたし。」
「そうなのか?
 そういやここ最近のシンジはちょっとおかしいよな。
 なんかオレ達の事を避けてる様な気もするし...」
「ムサシもそう思うか。
 僕もそれは感じていたんだ。 でもどうして...」


シンジと自分達の関係がおかしくなってきている事は肌で感じていた。
だがその理由までは分からない二人であった。


「ん〜、けどオレ達というより...なんか野球を避けてる感じもするんだよな。」
「え? それ本当? ムサシ。」
「いや、これは只のカンだよカン。 そんな事があってたまるか。」
「...けどムサシのカンって悪い方にだけ、良く当たるんだよね。」
「ぐ... それを言うなってケイタ。
 ...しかし、もしそうなると余程の事だろうな。
 あれだけの実力があるのに野球を避けるなんて。」
「...ま、とにかく明後日には学校も始まるんだ、話はそれからにしようぜ。
 それよりも課題の方、ちゃんとまとめたか?」
「ア、アハハハハハ...実はまだ。」
「やっぱりな。
 じゃあ明日うちに来いよ。 教えてやるから。」
「へへ、やっぱ持つべきものは親友だね。
 頼りにしてますよ、ケイタさん。」
「ったく調子がいいんだから。
 ...今度なんか奢れよ。」
「ラ、ラジャー」
「よろしい。」


こうして二人の電話は終わった。










☆★☆★☆











「...ここは?」


シンジはどこをどう来たのか分からないが、目の前には大きな湖が広がっていた。
周りはどこまでも続く暗闇で何があるのかは分からない。
あるものはただ一つ、湖の波の音のみであった。
そしてその場に座り込むシンジ。


「...あの時もそうだったな...
 そう、父さんと最後に話したあの時と同じ様に...」









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                  :
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「ねえ、父さんは何で警察官になったの?」
「ん?警察官になった理由か...う〜ん。」


シンジとその父のソウは二人で話していた。 その遥か前には自分の母親、そして妹がいる。
場所はシンジ達の家の近くの河原、夏祭りでもあったのであろうか、周りには多くの家族連れ、友人達、そして恋人達がいた。
その帰りの出来事であった。


「やっぱり悪い事が許せないから?」
「う〜ん。ちょっと違うかな。」
「???なんで?警察官って悪い事を取り締まるのが目的じゃないの?」
「シンジ、警察官というのはただ悪い事を取り締まる、それが全てじゃないんだ。
 確かにシンジの言う事は正しいんだが...う〜ん、なんて言ったらいいのかな。」
「???」


シンジは自分の父が困っているところを初めて見た気がした。
そんな視線を感じたのか、ソウは落ち着いた口調で自分の息子に話した。


「いいかシンジ。 ただ悪い奴等と闘う事、それは誰にでも出来る。
 だがな、ただ闘うだけじゃ駄目なんだ。 それではただの暴力になってしまう。
 それでは自分も悪い奴になってしまう。
 だが、護りたいモノ、護るべきモノがあれば...そうすれば...人は強くなれる。
 闘う理由、それがなければ駄目なんだ。」
「?その理由って?」
「う〜ん。それはやっぱりオマエ達、自分の家族を護る為。 そして自分の周りにいる人達を護る為...かな?」
「???よく分かんないよ父さん。
 それに僕が聞いているのとちょっと違わない?」
「ハハハ、父さんも何を言っているのか分からないんだ。」
「ヘ?」


シンジの頭には?マークが沢山着いていた。
ソウはそんなシンジを見て微笑む。


「父さんが警察官になった理由というのはだな、言葉ではちょっと説明しにくいんだよ。  だが感覚的には分かるんだ、オレが警察官に憧れ、それになった理由がな。」
「???」


相変わらずシンジには何を言っているのか分からない。


「いずれオマエにも分かる時が来る。
 闘う理由がな。」


ソウはシンジの目を真っ直ぐに見ながら諭した。


「闘う理由...」
「さて、そろそろ急がないと母さん達に遅れてしまうぞシンジ。」










「...たたかうりゆう...」


シンジにはその言葉が心に焼き付いた。
先に行く父親の背中を見るシンジ、その背中はやけに広く感じた。






「...父さん。」










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                  :
                  :
                  :
「ん?ここは...」


自分が今、どこにいるのかを確認するシンジ。
しばらくすると、そこが湖の前だというのに気付いた。
しかし目の前の湖にはどこまでも続く暗闇は無く、朝日が照らしていた。


「いつのまにか寝ちゃったんだ...」


朝日を浴びて、夜が明けてしまった事を実感する。





「闘う理由...か」


シンジは夢で見た父との会話を思い出して呟いた。
その目には涙が溜まっていた。


「前はあったんだけどね、その理由。
 ...けど今は無いんだよ、父さん。」











「父さん...」

(いずれオマエにもわかる時が来る、闘う理由がな)
「!」


突然思い出すその言葉。
父と交わした最後の会話。
いつのまにか忘れていたその言葉。


「たたかうりゆう...か。
 ...まだあるのかな僕には。

 闘う理由が。」


シンジの手に力が篭められる。
いつのまにか忘れていたあの気持ち。
野球をする事の楽しさ。
仲間達と同じモノを目指していた喜び。

それを先日一人の男が汚したのだ、あの気持ちを。
だからシンジは怒ったのだ。
自分の護るべきモノを護る為に。


「ひょっとしたらまだあるのかな...僕が野球をする理由。」


シンジは只、湖を見ていた。















「......あ、叔父さんのとこに連絡するの忘れてた。
 ひょっとして朝帰りてやつ?
 ...過ぎてしまったのは仕方がないか...とにかく連絡をつけないと。」


結構前向きの感もあるシンジであった。
しばらくすると自分が今どこに居るのかが分かり、そして連絡の手段である公衆電話も見付ける事が出来たので連絡を取る事にした。
...が返ってきた答えは意外なモノで、最初に電話を受けたユイはけたたましかったが次に受けたゲンドウはあっさりしたもので


「そうか、今は芦ノ湖にいるのだな。
 場所さえわかればここまで帰ってこれるだろう。」


これだけであった。 さすがのシンジもこの答えは予想できなくてゲンドウに尋ねた。


「あの...怒ってないんですか?」
「なんだシンジ、オマエは怒られるような事でもしたのか?」
「だって、連絡もせず...」
「そんな事は心配しとらん。 オマエももう高校生だ、夜遊びの一つもするだろう。」


とてもじゃないが学校の理事長の言うセリフじゃない。
それからシンジは少し話して電話を切ろうとしたとき


「考えがまとまったら帰ってくればいい。」
「!」


ゲンドウにはシンジが何故帰らなかった理由を知っていた。
それが分かり、シンジの心は軽くなった。


「じゃあ、切るぞ。」
「あ、ありがとうございます...」
「...そうか。」


シンジはゲンドウの事が少し分かった様な気がした。


「闘う その理由か...

 僕が野球をする理由は...............!!」


シンジの顔が一瞬険しくなる。
手に力が篭められる。
そして目には憎しみの色が宿る。


「アイツ...さえ...」





シンジはその日、時間をかけて帰る事にした。
自分の昂ぶる気持ちを抑え込む様に...









☆★☆★☆











シンジが家の近くに帰ってきたのは夕方であった。
公園から眺める街並み...全てが紅く染まっている。
それを見ているシンジに声を掛ける少年がいた。


「あれ、シンジ君じゃないか。」
「カヲル君...」


二人は初めて二人が出逢ったこの場所でまた出会った。


「どうしたんだいシンジ君、浮かない顔をして。」
「.........」


シンジの顔を見てカヲルが心配そうに言う。


「まだ悩んでいるのかい? 野球をする事に。」
「.........」
「何が君をそうさせているんだいシンジ君。」
「.........」


シンジは相変わらず何も答えない。
いや、答えられない。


「僕は君が野球をする事が良い事だと思っているよ。
 君は強い、それに野球をしていた君はチェロを弾いている時とは違う顔をしていたよ。
 ...笑っていたんだよ、君は。」
「...僕は野球をやらないよ...」
「何故だい? そんな理由なんて無いだろう、シンジ君。」
「...君には...分からないよ。」
「.........」


そう言われるとカヲルは何も言えなくなってしまった。
だがこのままではいけないと思い、カマをかける事にした。


「シンジ君、僕には君に何があったのかは知らない。
 けど、もういいんじゃないか?
 もう野球をしてもいいんじゃないかな?
 ...それを望んでいるはずだよ...」
「!」


















「シンジ君、キミの−−−−−」
「...めてよ...」


















「本当の−−−−」
「...やめてよ...」


















「望んでいるはず−−−−−」
「やめてよ!!!」

バキィ!!
















カヲルは驚いた。
あのシンジに殴られたのである。
どうやらカヲルのカンは当たってしまった様だ。


「...カヲル君には......わからないよ...僕の気持ちは。」


シンジのいるところの地面が濡れていく。
シンジは泣いていたのだ。


「...シンジ君?」
「僕があの時...あの時......さえいれば...」
「..........」


カヲルは黙って聞くしかなかった。





「僕はもう野球をやらないよ。」


それだけ言うとシンジはその場から走り去る。
そしてカヲルは自分の浅はかな考えを呪う。















「...最低かな、僕は。」



第七話  完

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