今日は9月1日、始業式の日−−−
多くの学生達にとっては憂鬱な日でもある。
仲間たちとの再開を喜ぶ者、これから始まる新学期に愚痴をこぼす者、その思いは様々だがこんな日に校舎内を走り回る元気のいいヤツも居る。
例えばこんなヤツ。


「オオオオオオオオ!!!シンジ!!シンジはどこだああああああああああああ!!」


彼の名前は榛名ムサシ、野球部所属の超元気な一年である。
彼はシンジを求めて学校中を駆けずり回っていた。


ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ!!


獲物を求めて走り回る野獣と化してしまった。
だがそんなムサシを狙う者が居る、自分の気配を消して獲物を待ち受ける狩人が。

霧島マナである。
ターゲットであるムサシをロックオンしてタイミングを待つ。 そして...


「やめなさーい!!」

ガシィ!!!

マナのラリアットがムサシの首に奇麗に決まる。
ムサシは豪快に倒された。


「ゲホッ、ゲホゲホッ...
 なにしやがるマナ! オレを殺す気か!」
「アンタにはこれ位やらないと効かないでしょ!」
「ったく、手加減ってものを知らねーヤツだな。」
「なんか言った?」
「まあまあ二人とも落ち着きなよ。」


二人の間に割って入るケイタ、いつのまにいたのだろうか?
そのケイタにムサシは首を押さえながら話し掛ける。


「あ、ケイタか。
 どうだシンジのヤツは見つかったか?」
「駄目だったよ、どこにもいない。」
「そうか、だとするとまだ学校には来ていないのか?」
「それはないんじゃない。
 だってシンジ君いつも早く来てたじゃない。」
「ちっち、甘いな。  ひょっとしたら寝坊かもしれんぞ。」
「アンタじゃあるまいし、バカなこと言ってんじゃないの。」
「だ、誰がバカなんだよ!」
「アンタに決まってるでしょ。」





「...また始まったか。」


一人不幸なケイタであった。











大切な人への想い

第八話  闘う その理由(後編)











「えーーーーーーー! シンジのヤツ休みなんですか?」
「ええ、ちょっち前に電話があって体調が優れないって言ってたわ。」
「「「「そんな〜」」」」


ムサシ達ならまだしも何人かの女子からも声が上がった。
ミサトはその言葉に内心ニヤリと笑う。


「あら? どうしたのキミ達。」
「あ、実はシンジのヤツを野球部に誘おうと思って...」
「え? 夏休みの時に話さなかったのムサシ君。
 あの試合から結構間があったじゃない。」
「それがシンジのヤツなんだかオレ達を避けてるんですよ。
 それで話ができなくて...」
「そうなんだ...
 あ、でも今日はその話しやめといた方がいいわよ、お見舞いに行くんだったら。」
「え?でも...」
「体調を崩している時にそんな事を話すモンじゃないわよ。」
「は、はあ。」
「じゃ、よろしくねん。」


ミサトは朝のHRを切り上げた。

(そっか、やっぱり駄目だったんだ...)

ミサトは理事長から大体の事情をあの勝負の後、知らされたのだ。










☆★☆★☆











シンジとタケシの勝負があった次の日−−−−−


「ちょっと加持君、シンジ君が野球をやっていた事を知ってるって言ったわね。」
「ああ、確かにそんな事も言ったな。」
「ちょっと真面目に聞いてるのよ。
 いったい誰に聞いたのよ、その事。」
「さて...誰だったかな。」
「私が知っていたのは履歴書に書いてあった文章だけなのよ。
 あんなに強ければどこかの大会で有名になってもおかしくないわ。
 なのに何も書いていない...これはどういう事?」
「やれやれ、他人に頼るなんて君らしくないな。」
「余裕ないのよ。
 シンジ君あの後なんだか思い詰めた表情だったし、なんだか嫌な予感がするのよ。」

いつになく真面目な表情で話すミサト、それだけ自分の生徒であるシンジの事を思っているのだ。


「理事長から聞いたのさ。」
「な、なんで理事長がシンジ君の事を知っているの?
 ...いかり...碇...まさか碇って、理事長ってシンジ君の...」
「ああ、そう言う事だ。」
「けど以前に聞いた話だと理事長には子供はいないはずじゃ?」
「だが理事長の口からオレはそう聞いたぜ。」
「どういう事なの?」
「さあな、こればかりは本人に聞く以外ないだろう。 行くか?」
「行くって まさか理事長のところに?」
「ああ、そうだ呼び出されてしまったからな。
 葛城は行くのか? それとも...」
「い、行くに決まってるでしょ。」


二人は理事長室に向かった。





コンコン
ドアをノックする。 すると中から男の声が聞こえてきた。


「入りたまえ。」
「「失礼します。」」


二人は促されるまま理事長室に入った。
そこには男性が二人、女性が一人いた。
ミサトと加持は二人の男性の方は知っていたが女性の方は初対面だった。
理事長であるゲンドウがしゃべる。


「加持君と葛城君か、そろそろ来る頃だと思っていたよ。」
「昨日の事は聞いているよ。
 だが私達は直接見たわけではないから少し説明してもらいたい、いきなりで済まないが。」


ソファーに座っている初老の男性、校長である 『冬月コウゾウ』 もしゃべった。


「ええ、構いませんよ。
 ですがそちらの女性はどなたですか?
 シンジ君の事はあまり人に話さないでくれ、と理事長はおっしゃいましたが。」


加持はその初対面の女性にも話していいのか悩んだ。
するとその女性がしゃべった。


「構いません。 私の名前は碇ユイ、理事長である碇ゲンドウの妻です。」
「こ、これは失礼しました。 それではシンジ君のお母様で。」


加持がそう言うとユイの顔がわずかに曇った。
その表情に加持は気付いたが、それよりも先にゲンドウが動いた。


「その事については後で君たちにも話そう。
 それよりも報告が聞きたい。」
「失礼しました。
 では昨日の事を説明しましょう。」


ゲンドウに促され加持は昨日の事を報告した。















二人は一通りの説明を終え理事長室から出た。


「「失礼します。」」
「まさかあんな事があったなんてね。」
「まだ若いのにな、シンジ君も。」
「ええ、大変だったのねシンジ君。」
「大変なのはシンジ君だけじゃないぞ、理事長達だって...」
「そうね...」


こうして二人はシンジの事を知らされた。










☆★☆★☆










ところ変わってここは教室の中−−−


「しっかし拍子抜けだったな。
 あれだけ勇んで来ってのにシンジが休みじゃな。」
「そうだね、僕なんかどういう風に説得するかまで考えてきたのに。」
「え?ケイタってやるわね。
 全くどこかのバカとは大違いね。」
「バカって誰の事だよ。」
「あら、私はムサシだなんて一言も言ってないわよ。
 あ、ひょっとして自覚してんじゃないの〜ム・サ・シ・君。」
「な、なにぃ!冗談いってんじゃねえよマナ!!」
「キャハハハハハ。」


そんな光景をカヲルは、まるで他人事の様に見ていた。
そこへケイタは不審に思い話し掛けた。


「どうしたんだカヲル、浮かない顔して。」
「あ、ちょっと考え事をしていたんだよ。」
「そうだ、カヲルからもシンジに頼んでくれよ。」
「そうだよ、オマエからも頼んでくれよ。
 シンジは絶対に野球をやるべきなんだ。」
「同じ吹奏楽部のカヲルには悪いけど頼んでくれないかなカヲル。」


3人がカヲルに頼み込む。
しかしカヲルは済まなそうに謝る。


「...ゴメン。 僕には無理だよ。」
「そこを何とか、そりゃ気持ちは分かるが...」
「いや、そうじゃないんだ。
 僕だってシンジ君が野球をやる事には賛成だよ。
 ...けど、もう無理なんだ。
 僕には無理なんだよ。」
「どういう事だ、カヲル。」


いつもと違うカヲルを見て、途端に三人の顔が引き締まる。
そしてカヲルは昨日のシンジとのやり取りを話した。


「......実は...」










☆★☆★☆











「シンジ君、気分はどう?」
「スイマセン、迷惑を掛けて。」
「何を言ってるの、シンジ君は私達の家族なのよ。
 何も遠慮する事はないわ。」
「ありがとうございます。」


ここは碇家、シンジは自分の部屋のベットで寝ていた。
だがシンジからは生気が感じられず虚ろな目をしていた。


「シンジ君、何か食べないと体に悪いわよ。」


ユイはそう言ってシンジに軽い食べ物を持ってきた。


「...今は何も食べたくないんです。」
「...じゃあここに置いておくから食べたくなったら食べてね。」
「スイマセン...」


食べ物をシンジの部屋に置くユイ、しかしシンジは何の反応も示さない。
静かに襖を閉めるユイ、その目には涙が溜まる。


「...どうすればいいの? 私では駄目なの...ユミ。」


今は亡き自分の妹に助けを求めた。










☆★☆★☆











「......というわけなんだ。」
「そんな事があったんだ。」


場所は戻ってここはシンジ達の教室


「だから僕にはシンジ君を説得する事は出来ないんだ。
 ゴメンネ、なんの力にもなれなくて。」
「いや、カヲルのせいではない。 気にするな。
 ...しかしシンジが人を殴るなんて余程の事だよな。」
「いったいシンジに何があったんだろうね?」
「その事なんだけど、みんなは知ってるかい?  シンジ君の今の家族は本当の家族じゃないって事...」
「「「え?」」」
「ちょっとその事でシンジ君にカマを掛けたんだよ、そしたら当たってしまってね...」


誰も何も話せなかった。
3人は只、カヲルの話を聞くだけだった。


「そんな事があってね。  だから僕にはシンジ君の説得はもう無理なんだ、ゴメン。」
「いや、そんな事よりよく話してくれたなカヲル、ありがとう。」
「でもどうする気だムサシ?
 今の話を聞く限りじゃ、とても野球の事は無理な話だと思うぜ。」
「そん時はすっぱり諦めるしかないな。」
「え? 本気なのムサシ?
 そんな簡単に諦めらめられるの?」
「そりゃあ...無理かもしれん、だけどシンジの事も考えなければならない。
 オレ達の都合だけで決められないからな。」
「それはそうだけど......」
「でもそうなったら尚更甲子園が遠くなっちゃうわよ。」
「だったらオレ達がもっと強くなるしかないだろう。」
「「えーーーーーー!」」
「えーじゃない。 オマエ達はシンジ一人に全部押し付ける気か?
 オマエ達にはプライドがないのか?」
「そ、そりゃあもちろんプライドはあるし、シンジに全部押し付けないよ。」
「だったらやるしかないだろう。 よし!今から特訓だ!!」
「えーーーーー!」
「えーじゃない! 行くぞケイタ!」
「分かったよムサシ。」


なんだかんだとムサシの言う事に従うケイタ、それをマナとカヲルは暖かく見守っていた。
そしてシンジはしばらくの間学校には姿を見せなかった。










☆★☆★☆











数日後−−−ある日の夜−−−
シンジは空に浮かぶ月を見ていた。


「...ふう、いつのまにか夜になっていたんだ。」


月を見ているシンジの目に涙が浮かぶ、月のその神秘的な輝きから一人の女の子を連想させたのだろう。
自分の妹であり、繊細で壊れやすい娘。
その髪の色は空色、その体はまるで病的の様な白、そしてその瞳の輝きは燃える様な紅。
それがシンジの妹−−−レイである。



レイはよく月を見ていた。
その姿はとても美しく、シンジはしばしば目を奪われていた。


気が付くとシンジは外に出ていた。
そしてもっとよく月が見えるところへと歩き始めた。










☆★☆★☆











「あれ?シンジ君...」


そんなシンジを見つけた女の子がいた。
霧島マナである。
最初はシンジが何をしているのか分からなかったが次第に月を見上げている事が分かる。
その姿はマナの胸を締め付けさせた。


「なんて悲しそうな瞳で見ているの....」


マナはシンジのほうへと歩き出した。
シンジはマナが近づいて来ているのに気づかない。
そんなシンジにマナが優しく話し掛けた。


「月...綺麗だね。」
「...そうだね...霧島さん。」


話し掛けてきたのがマナだと分かってもそちらの方には顔を向けず、月を見たまま話し返した。





しばらくの沈黙の後シンジがしゃべった。


「霧島さんは聞かないのかい? 野球をやらないのかって。」
「...カヲルから大体の事は聞いたわ。」
「そうか...カヲル君には悪い事をしたと思っているよ。」
「カヲルのヤツも反省していたわ、シンジ君に悪い事をしたって。」
「でも僕は...僕には...」
「もういいのよ、シンジ君。」


マナは暗く沈もうとするシンジに優しく諭す。








「ねえシンジ君、私が何故野球部のマネージャーをやっているのか分かる?」
「え?」
「私とムサシ、ケイタは幼馴染って事は前に話したわね。
 幼馴染ってすごいわよね、小さい時からずっと一緒なんだもの。
 同じものを見て、同じことを感じて、そして同じ道を歩いてくる...
 だから私達に共通する夢があったわ。 それが甲子園なの。

 小さい頃にテレビで見た甲子園、そこで繰り広げられるドラマ、真剣になって見ていたわ。
 多くの人達が力を合わせて、泣いたり笑ったり、喜んだり悲しんだり...
 いくつもの感動を仲間達が共感するのが分かった。

 だから私達三人も目指したのよ、甲子園に。」


マナは真剣に話しを続けていた、自分が感じたものがうそではない事を証明するかの様に。


「けど私もバカだったわ。
 甲子園に行けるのは男の子だけ、女である私は行けないって知らなかった。
 そしてその事を知った時、私は目の前が真っ暗になったわ。
 だって私の夢が否定されたんだもの...私が女だという理由だけで...
 それから私には何もする気がなくなったわ。」
「.........」


シンジにはかつてのマナが今の自分と同じである事に気づいた。
かつての夢が消えてしまって何もやる事がない自分に。


「そんな時にね、あのバカが私に言ったのよ。

(夢が否定されたから?甲子園に行けなくなったから? 馬鹿な事言ってんじゃねーよ。
 オマエの気持ちはそんなものだったのかよ!何で無理だと決め付けるんだよ...
 諦めるな! もっとあがいて見せろよ!!
 夢なんだろ? 叶えてみたいオレ達の夢だろ! そんな簡単に諦めるような事だったのか? オマエにとって...

 ......それでも駄目だったら...オレが...オレが連れてってやるよ! 甲子園に!!
 だから...元気出してくれよ...マナ...)


 ってね...ホンットに恥ずかしいヤツよ、アイツは。」


そうマナは言ったがその瞳は恋をする女の子の瞳だった。


「...霧島さんはムサシの事が好きなのかい?」


そのシンジの問いにマナは驚いたが、次の瞬間迷いの無い顔でシンジに答えた。


「ええ、私はムサシの事が好き、あの時から多分好きになったと思う。
 初めてアイツの気持ちが訊けたから。
 不器用だけどアイツなりに私の事を想ってくれたからね。」
「うらやましいな...霧島さんが。
 好きな人を好きと言える事ができて...
 僕にはもう居ないんだ、そう言ってあげたい人が...」
「シンジ君?」


マナにはシンジがこのような反応をしてくる事は予想していなかったので驚いた。


「...僕にはね...妹がいたんだよ......レイという名前の...
 そしてレイこそが、僕が野球をする理由、僕が闘う理由...
 僕が投げるだけでレイは喜んでくれたんだ、まるで自分の事の様に...
 レイが喜んでくれる、そう思うだけで僕は強くなれた。
 だからなんだ、僕が野球をやっていたのは。

 昔の僕は野球をするのが只楽しかったんだ。
 勝っても負けても野球をする事ができた嬉しさに比べれば何でもなかった。

 けど、ある日を境に僕は強くならなければいけなくなった。
 その方法として野球を選んだ。
 早く強くなりたかったんだ...
 自分の妹を護る為、自分の家族を護る為に強くなろうと決めた。

 僕にだって好きな人を、好いてくれる人を護れる位の強さがある、その事を証明したかったんだ。

 ...男の証明を手に入れたかったんだ。



 ...だけどもう...レイはいない、この世にはいないんだ。
 それと同時に僕の闘う理由もなくなったんだ。永遠に...
 だから...ゴメン。」
「...いいのよ、シンジ君。
 それからありがとう、話してくれて。」


マナにはようやく理解できた、シンジがどれだけ深い悲しみを持っているのかを、そしてシンジが崩壊の寸前のところまで来ているのかを。


「レイさんは幸せだったのね。
 シンジ君にそんなにも想われていたから...」
「ありがとう...」


それだけを言うのが二人にとってやっとだった。









「..そういえば霧島さんは何故こんな時間にここへ?」
「え?あ、ちょっとね...」


マナは自分がムサシとケイタの練習を見にきた事をシンジに話していいのか迷った。
今のシンジにとって野球の事がどれだけ負担をかけるかが予想できなかったからである。


「ムサシ君とケイタ君の様子を見にきたんだろ。」
「カヲル!」「カヲル君?」


突然後ろから声をかけられたので二人は驚いた。


「今晩は、シンジ君、霧島さん。」
「アンタなんでここに? それに...」
「何かマズイ事でも言ったかな?」
「カヲル君、今ムサシとケイタの事を言ったよね。
 いったいこんな時間に何をしているの?」
「な、何でもないのよシンジ君。」


慌てて否定するマナ、しかしカヲルは話し続ける。


「知りたいかいシンジ君、なら自分で見てくるといいよ。
 ここから少し行ったところに神社がある、そこに2人はいるよ。
 そこで何をしているのかは見れば分かる。」
「ちょっとカヲルよしなさい。 今のシンジ君には...」


マナはカヲルを止めようとしたがカヲルはそれを聞き入れない。


「行くのかい? それとも...また逃げるのかいシンジ君。」
「「!」」
「逃げたければ逃げればいいよ、誰もキミを責めはしない。
 けど、いつまでも逃げられるとは限らないよ。」
「やめなさいカヲル、シンジ君はね...」
「あそこにはムサシ君とケイタ君、そして霧島さんの闘う理由がある。
 自分達の夢を叶えようと闘っているんだよ。
 ...どうするシンジ君。」
「.........」
「僕の見たところあの二人では到底夢を実現させることは無理だね。
 けど二人も薄々感じているんじゃないかな? 自分達だけの力では無理だという事に。」
「.........」
「だけどね、二人は諦めないよ、最後まで。
 何故だか分かるかい、シンジ君。
 ...約束があるからだよ、三人のね。
 それがある限り、闘う理由がある限り彼らは諦めないよ。」
「...僕にはその理由がもう無いんだよ。」
「なら見るべきだ、ムサシ君とケイタ君、二人の事を...
 そうすれば感じるはずだ、キミが無くしたモノを。」
「.........」


シンジはただ俯いているだけだった。


「とまあ、僕に言えることはここまでだ。後はシンジ君自身が決めてくれ。
 後悔の無いように...」
「僕には...」


しかしシンジは歩き始めていた、ムサシとケイタ、二人が居る場所に。























そこには二人がいた。
泥にまみれながらも二人は練習していた、自分自身と闘っていたのだ。

それは昔シンジが強くなりたいと願った頃の自分と同じ事に気付いた。
強くなりたい−−−
ただそれだけを望み、闘い続けた自分。
それがすぐそこにいるのだ、自分の目の前に。


握った拳に力が篭められる。
自分の体が熱くなる。
忘れていた、自分の心の奥深くに閉じ込めた感覚が蘇ってくる。

(あの二人は行きたがっている、僕が諦めた夢に...行けるとも分からない場所に行きたいと願っている。

 ...そんな二人の力にもなれないのか僕は、僕の事を親友と呼んでくれた二人に。

 僕は卑怯だ、自分だけ逃げていて。
 今の僕には力がある筈だ、彼らの夢を叶える事が出来るかもしれないのに...


 彼らの夢を護れる力が僕にはある筈だ!
 護ってあげたい人がここには居る。
 僕が失ってしまった大切なものがここにはある。
 闘う理由がここにはあるんだ!!)



いつのまにかシンジは二人のもとへ歩きだしていた。
失った自分を取り戻すために。









「...シンジ?」
「え?どうしてここに?」


突然のシンジの来訪に二人は練習をするのを忘れるほど驚いた。


「どうしたんだシンジ。」


ムサシが流れ落ちる汗を拭かずに聞いてきた。
するとシンジは


「ムサシはもう少し踏み込む力を抑えた方がいいよ、でないと腰に力が入らずスイングのスピードにも影響するよ。
 それからケイタは打った後の事ばかり考えているようだね。だから力が入らないんだ。」
「「え?」」


二人は的確なアドバイスを送るシンジに驚いた。
まさかシンジから野球の話が出るとは思わなかったのだ。


「何故...」


ケイタが尋ねた。


「行きたいんだろ...甲子園に。」
「「!!」」


二人は驚いてシンジを見ているだけだった。
シンジは照れくさそうに二人に話す。


「僕にも手伝わせてもらえないかな?」
「でもなんで...シンジは野球を辞めたんじゃないのか?」


ケイタは喜んだが、ムサシにはその理由が気がかりであった。
それを聞いたシンジは微笑みながら話した。


「逃げるのはもうやめたんだ。
 失ったモノを取り戻したいから、だからもう一度始めようと思うんだ。
 ...やっぱり野球が好きだからね、僕は。」
「そうか...
 じゃあオレ達と頑張ろうぜ。シンジ。」
「よろしくなシンジ。」
「こちらこそよろしく。」


三人は固く握手を交わす。それをカヲルとマナは暖かく見守っている。























月の光はそんな子供たちを優しく照らしていた...



第八話  完

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