「いってきまーす。」
「はい、気をつけてね。」


家族に見送られ元気よく飛び出す少年。
朝、どこの家庭でも見られるこの風景、少年を見送った女性は喜びをかみ締めていた。


季節は夏から秋へと移り変わった。
その季節の変わり目で少年もまた変わったのだ。
少年の名は碇シンジ、彼が野球部に移籍してから1週間が過ぎた。





「シンジはもう出たのか。」
「ええ、野球部の練習があるからもう行きましたよ。」


シンジを見送ってすぐに後ろから声を掛けられた、声を掛けたのは碇ゲンドウ、掛けられたのは碇ユイ、今のシンジの家族である。


「もう1週間が経ったのか。」
「ええ、シンジ君が立ち直ってから。」


ゲンドウとユイは自分達の家族であるシンジが立ち直ってから、この1週間がとても幸せである事が嬉しかった。
一時はシンジに精神が崩壊するのではないかと危惧していたが、1週間前にシンジが野球をもう一度始めたい、と言ってきた時はとても信じられなかった。
しかしシンジは立ち直り本来のあるべき姿、普通の高校生に変わった。
シンジの親友達の手で...





「けど情けないですね、私たちは...
 結局シンジ君に何の力にもなれなかったんですもの。」
「そうだな。
 だが今は喜ぼう、シンジが立ち直った事を。」
「そうですね。」


ゲンドウはユイの気持ちを理解していたので優しく応えた。 そんなゲンドウの気遣いを嬉しく思うユイ、彼らは夫婦であった。


「そういえば今日は随分と早いんですね。 何かあるんですか?」
「ああ、ちょっとな...」

ゲンドウはそれだけ言うとリビングに向かった、その時口許が僅かに笑う。
その僅かな表情を見逃さないユイは少し困った顔をしていた。


「また何か企んでるわね。」




今日も碇家は幸せであった。











大切な人への想い

第九話  好敵手(ライバル)











−−−−−1週間前野球部にうれしい事件が起こった。


「今日から野球部に入部します碇シンジです。
 みなさんよろしくお願いします。」


そうシンジが入部してきたのである。
ちょうど3年生が引退し、戦力ダウンした時にあのシンジが入部してきたのだ。
野球部は狂喜乱舞した。
シンジのピッチングには瞠目に値するモノがあり、戦力が大幅にアップするのである。
野球部全員は快くシンジを迎え入れた。
そして何を思ったのかカヲルまで一緒に入部してきたのだ。


「やあ、僕も入れてくれるかな?」
「何、カヲルもか?一体どういう風の吹き回しだ。」
「決まってるじゃないか。 僕もみんなの手助けをしてみたかったのさ。」
「...でも大丈夫なのか、オマエ野球をやった事あるのか?」
「大丈夫だよムサシ君、それにシンジ君の女房役は僕しかいないだろ?」
(((結局それが目的かい)))


カヲルの事を良く知っているムサシ、ケイタ、マナは呆れた。
とにかくこうして戦力の増強が図れた第壱高校野球部であった。







「よ〜し、朝練はこれまで! 全員上がれ!」
「「「「「オウ!!」」」」」


顧問である加持の締めの言葉に気合の入った声で応える部員達、目指すはもちろん甲子園だ。
部員には自分達がやるべき事、自分達の夢がなんなのかをはっきりと理解している。

季節は秋、クラブ活動をする者にとっては世代交代の時、新たなる出発の時である。



「よーやく朝練が終わったな、そーいやシンジはピッチングはやらないのか?」
「そう言えばそうだよね。 朝はもちろん放課後の練習でもあまり投げないよね。」
「シンジ君、僕とバッテリーを組むのがそんなに嫌なのかい(涙)」
「あ、そうじゃないよカヲル君、ただブランクが長かったから、先ず体力をつけようと思ってただけなんだ。」
「それを聞いて安心したよ。 もし拒絶されたらどうしようかと思ったよ...」
「そんな事ある訳ないじゃないか。」


カヲルはいつのまにかシンジとバッテリーを組む様になっていた。
その外見からは想像できないが足腰は鍛え抜かれており、持ち前の冷静さで的確な指示を送る。
以前捕手をしていた選手が三年生で引退しその後を継ぐ者がいなかった為、あっさりと決まってしまった。

ちなみにムサシはその底知れない体力と守備範囲の広さでセンターのポジションを、
ケイタはミスの少ない正確なプレイでショートのポジション
シンジは言うに及ばず不動のエース。
彼ら四人のポジションは、ほぼ決定していた。





「話は変わるけど10月って言ったら文化祭があるんだよね。」
「そう言えばそうだな、オレ達のクラスって何やるんだ?」
「確か今日のLHRで決めるんじゃなかったっけ。」


ケイタとムサシは思い出した様に話す。


「やっぱオレはこういったイベントは大好きだからな、燃えてくるぜ!」
「落ち着けってムサシ、とにかく教室に行こうぜ、遅れちまうよ。」
「そうだね、あと1分程で始まってしまうよ。」


涼しげに話すカヲルに対し他の三人の頭から血の気が去っていく。


「なんでその事を早く言わないんだカヲル!」
「だっていつもの事じゃないか、気にしない気にしない。」
「ムサシ、カヲルに構ってないで早く行くぞ。」


その時ちょうど始業のベルが鳴る。

キ〜ンコ〜ンカ〜ンコ〜ン

今日もまた遅刻になった四人である。










☆★☆★☆











LHR−−−−−


「演劇がいいです。」
「やっぱり喫茶店かな。」
「いや、お化け屋敷しかないでしょう。」
「映画を上映って手もあるぜ。」
「文化祭といったらバンドしかないでしょ。」


文化祭でやる催し物をクラス全員で案を出していた。
結構案は出たもののまとまりがつかず、最終的には多数決という形になりその結果喫茶店となった。


「えー では私達のクラスでは喫茶店となりました。
 それではこの事を実行委員会に伝えてきます。
 その間、委員長を中心に役割の分担を行ってください。」


文化祭実行委員がまとめて決定事項を伝えに行った。


「な〜んか一番無難な線で決まった感じだな。」
「仕方ないよ、それにみんなで決めた事だし頑張ろうよ。」


シンジが文句を言うムサシをなだめる。


「そうよムサシ、それに喫茶店だからって女子にばかり任せる気じゃないでしょうね。」
「え〜 オレに何を期待しようってんだよ。」
「もちろん雑用に決まってるでしょ。」
「断る!だったら接客していたほうがマシだ。」
「アンタにそんな事出来る訳ないでしょ。」
「なに!マナ、オマエ一体何が根拠でそんな事分かるんだよ!」
「いつだってアンタは面倒を起こすでしょ!」
「オレがいつそんな事をした!何時何分何秒に!」
「エッブリデ〜イ、エッブリシ〜ング。」
「マナ!テメ〜!!」
「なによ、やる気?」


二人のやり取りを見ていたシンジ、ケイタ、カヲルはまたいつもの事かと呆れ果てていた。

「「「やれやれ。」」」


平和な一時であった。


野球部の5人がそんな事をしている間に役割の分担は進んで行く。
結局、女子がウェイトレス、調理をやり、男子は呼び込み、仕入れ、雑用などをやる羽目になった。
しかしシンジとカヲルは何故かウェイターとしてエントリーされている事は知らされてはいない。


「では、以上の様に決定しましたので、皆さん協力し合って頑張りましょう。」


委員長の締めの一言でLHRは終了した。
それと同時に本日の授業も終了し、後はクラブ活動があるものはそれに行き、それ以外は帰宅か親しい友人達と遊ぶ。
シンジ、ムサシ、ケイタ、カヲル、マナの5人は野球部の練習に出る為グラウンドに行く。


野球部のグランドでは既に何人か練習用のユニフォームに着替え、準備運動をしていた。
その仲間達に挨拶を交わし自分たちもユニフォームに着替え練習に参加する。

現在野球部には2年生が7人、シンジ達1年生は9人、マネージャーであるマナを入れても計17人。
紅白戦をやろうとしても人数が足りない−−−甲子園を目指すには少し心許ない、そんな状況であった。
というわけで部員達は基礎練習に励んでいた。
最初はランニングで体力を養い、次に守備位置の練習、打撃の練習などを消化していった。










シンジはランニングを終え、今はカヲルと共に投球練習に移っていた。

ズバァン!

「相変わらずスゴイ球だねシンジ君。
 まだそんなに投げていないのに僕の腕が痺れてきたよ。」
「ゴメン、カヲル君の事を考えずに調子に乗ってしまって。」
「ハハハ、いいんだよシンジ君、そんな事は考えなくて。」
「ありがとうカヲル君。」


シンジのボールを受けるカヲルは正直な感想を話した。
実際シンジの投球は軽く投げているようでもそのスピードは軽く140km/hを超えている。
しかも結構重いためカヲルの様にすぐに手が痺れる。



「それにしてもシンジ君はなんでストレートしか投げないんだい?」


そうである、シンジはストレート以外は投げていない。
もっともな疑問をカヲルは訊いた。


「ストレートは投手の基本だからね。
 それに僕はカーブやスライダーなどの変化球を覚えるよりコントロールや球威、球速をつけていきたいからね。」
「だからこんなにスゴイボールになるのか、なるほどね。」


シンジの投球はスピードはもちろん、コントロールにおいてもその正確さはずば抜けていた。
カヲルの望むところにその投げたボールは正確に入ってくるのだ。
その頃ケイタは内野の守備練習でノックを受け、ムサシは遠投の練習に励んでいた。
ケイタの守備位置であるショートは内野の要でもあるので、その守備の正確さは更に上のモノを要求される。
一方、ムサシは持ち前の守備範囲の広さを活かし、それらを内野、もしくはホームに返球する遠投に精を出していた。

内野の守備練習のメニューは、通常のモノからバントによるベースカバーの切り替え、ランナーへの牽制球、対盗塁、併殺打などと外野に比べるとそのバリエーションは多い、外野の場合は内野と違って、自分が抜かれた場合はもう後がない為、その正確さ、ダイビングや壁際等での思い切りの良さ、内野への返球の素早さ、正確さが問われてくるので守備の練習内容も多少変わってくる。





その時ちょうど顧問である加持がグラウンドにやってきた。


「オーイみんな! ちょっと集合してくれ!」
「「「「「ハイ!」」」」」


その声を聞き全員が加持の前に集合した。


「スマナイ、練習中に呼び出したりして。
 あ〜知っての通り来月は文化祭だ。
 みんなのクラスでも準備に移っているとは思うが野球部の方も頑張ってほしい。
 なぜなら、オレ達野球部も文化祭に参加するからだ。」
「「「「「え?」」」」」


部員達全員から声が上がった。
なんで運動系のクラブである野球部が文化祭に参加するのだろうか、そんな考えになったのである。
そこへもっともらしい疑問をキャプテンである 『若槻タツヤ』 が尋ねる。


「なんで野球部が参加するんですか?」
「いい質問だな、タツヤ。
 我々野球部は何も他のクラブと同じように催し物をやるわけではない。
 オレ達は他校の野球部を招いての親善試合をやる。」
「「「「「本当ですか?」」」」」


予想外の事に驚く部員達、それを加持は暖かく見ている。


「そうだ、既に先方とはもう了承を取ってある。
 と言う訳だから頑張れ、以上だ。」


部員達は沸いた。


「やった!また試合ができるぜ!」「親善試合とはすごい舞台設定だな。」「今度こそ勝てるかもしれないな。」


多くの部員達は喜んだ、なにしろ前回の柏陵高校との試合は惨敗だが、それからは今まで以上に練習に励み確実にレベルアップして、しかもシンジという心強い味方までいるのだ。





「あの、それで監督、相手はどこなんですか?」


浮かれている部員達に変わってマナがその大事な事を聞いてきた。
その質問に反応し部員達は一斉に加持の方を黙って見た。


「やっぱり聞いてきたか。
 あ〜 オレ達の対戦相手は...」


ゴクリ...
部員達の間に緊張が走る。
















「今回の甲子園出場校だった、相洋学園だ。」

「「「「「えー!!!!」」」」」


グラウンドには部員達全員の絶叫がこだました...










☆★☆★☆











時間は少し前−−−−−

一人の教師が理事長室のドアの前にいた。
背は高く、あごには不精ヒゲ、髪は男にしては長く後ろで一つにまとめられている。
野球部顧問の加持である。

(やれやれ、今度はいったい何の用事なんだ?)

加持はそう心で呟きながら目の前のドアをノックした。


「失礼します。加持です。」
「入りたまえ。」


中からの声に促され加持は理事長室に入った。
その中には理事長の他に二人の客人がいた。
一人は知らないがもう一人の方はどこかで見たような気がした。

(はて、どこかで...)





などと加持が考えているとゲンドウが話してきた。


「ちょうどいいところに来てくれたな加持君。
 こちらは相洋学園の校長とその野球部の監督の方だ。
 そして彼がうちの野球部顧問の加持だ。」


ゲンドウは双方の紹介をした。

(なるほど、どこかで見た筈だ)

紹介された3人はお互いに挨拶を交わした。


「君達に来てもらったのは他でもない。
 今度の文化祭では野球の試合をやってもらいたい。」
「な...」
「なに、今回のは親睦を深めるのが目的の親善試合だ。
 勝敗は関係ない。」
「しかし仮にも甲子園出場校をですか...」


目の前に甲子園出場校がいて文化祭の時にそれを相手にやれと言うのだ、これには加持は驚いた。
相手の方も納得していない様子であった。
仮にも甲子園出場を果たした高校がいきなり無名の高校を相手に試合をしろというのだから無理も無い。



「なんだ、何か問題でもあるのか?」
「いえ、何も問題はありません。」


加持はゲンドウが何を言いたいのかが分かった。
要するに甲子園に行きたいのであればその出場校を相手に戦ってみろ
である。


「ではよろしくお願いします。」
「あ、こちらこそ。」


加持は相手校の校長と監督に挨拶をした。
相手校は納得はいかないが了承はした様だった。

(ま、ライバルの存在は必要かな。)

「それでは失礼します。」


加持はそう思い理事長室を去った。





こうして甲子園出場校との親善試合は設定されたのである。
そして加持はゲンドウの影響力というモノを再確認した。


それが今日のお昼頃の出来事だった。










☆★☆★☆











場所は変わってその親善試合の相手校、相洋学園のグラウンド−−−
時間はちょうど加持が部員達に親善試合を伝えた頃−−−



カキーン

打球は柵を超えて行く。
そこには打撃練習をする部員達が居る。
だが明らかに一人だけそのレベルが違う者がいた。


カキーン


また打球は柵を超えた。
そしてまたボールを打つ大勢に入る。


「よう、相変わらず精が出るなワタル。」


どこからか話しかけてきた。


カキーン


「何の用だ、タケシ。」
「ヘヘ、ちょいと様子を見にね。」


声をかけてきたのは柏陵高校の水上タケシ、かけられたのは松田ワタル。
共に4番を任される強打者であった。


「で ワタル、どうしたんだ浮かない顔をして。」
「ん、ああ うちの監督が今日練習試合をするって言ったんだ。
 しかも聞いた事も無いところだ。」
「へ〜、そりゃ気の毒に。」

答えたタケシには他人事であった。
そんなタケシにムッとしたがワタルはここぞと仕返しをした。


「そういうオマエだって名前も聞いた事もないピッチャーに負けたんだってな。」
「な、なんで知っている!?」
「オマエとは中学時代クリーンナップを組んでたろ。
 だからそういう噂は結構入って来るんだよ。」
「...そうか、迂闊な事はできんな。
 それよりオマエに聞きたい事があって来たんだ。」
「なんだ、だったら最初から言えよ。」


ワタルは練習を中断して、タケシの話を聞く事にした。


「その、なんだ。
 話ってのは、そのオレを負かしたピッチャーの事でな、碇シンジってのを聞いた事あるか?」

「いかり...しんじ...
 聞いた事ないな。 初めて聞く名前だぞ。」


ワタルはしばらく考えたがそんな名前は聞いた事は無かった。


「やっぱりそうか、オレもそんな名前聞いた事は無いからな。
 だがその腕はすごかったぞ。
 恥ずかしい話しだが、手も足も出なかった。」
「何? オマエが三振だと?」


タケシの力を知るワタルは驚いた。
それ程の実力があれば中学の時、少し位話が出てもおかしくないからだ。


「ああ、投げるボールも速かったが、それ以上にピッチャーのその気迫がすごかったな。
 一見すると静かなんだが、その実すさまじい迫力を秘めているんだ。
 特にあの目は怖かった。 初めて見たぜあんな冷たい目は。」
「そんなにすごいのかそのピッチャーは...碇シンジって言ったっけ。」
「ああ、来年は気を付けた方がいいぜ。 でないと喰われちまうからな。
 ...ま、そんな事よりオマエはその親善試合を頑張りな。
 どことやるかは分からんがな。」
「ああ、確か第壱高校って言ったかな。」


その時タケシの目の色が変わった。


「何!第壱高校だって? それって第3新東京市立第壱高校の事か?」
「そ、それがどうかしたか?」


タケシのその変貌ぶりにワタルは驚いた。


「その碇シンジってのはその第壱高校にいるんだ。」
「何?」
「まあ、やつが出るのであれば気を付けるんだな。」
「どう言う事だ? その出るのであればってのは...」
「オレと闘った時、碇シンジは野球部じゃなかったんだ。」
「!」


野球部でもない人間に、タケシが敗けた事にワタルは驚いた。






「けど、オレとあたるのであれば倒すまでだ。
 オレと同じく甲子園を目指すのならばな。
 例えタケシ、オマエでもな。」
「やれやれ、オマエはホントに上しか見ないんだな...そのうち足元すくわれるぞ。」


タケシは呆れた。
自分と同等の力を持つワタルが上の方ばかりに目が行っているからである。



「甲子園で借りを返さなければならないからな。」
「ハイハイ、またその事かよ。 何度も聞いて飽きちまったぞ。」
「オマエには分からんさ、
 オレは強いんだ。
 ヤツよりオレの方が力がある。
 アイツを倒す為にオレはもう一度甲子園に行くんだ。」
「はぁ...アイツだろ。
 今回の優勝校、オマエのトコとは準決勝で対決したチームの4番だろ。」
「そうだ、アイツを倒さなければ意味がない。
 オレのライバルであり、唯一1年で4番を打ったアイツを。」


タケシは呆れた。
甲子園が終わってからと言うもの、何か事ある毎にこうなるからである。

































「鈴原トウジ、オマエを倒すのはこの松田ワタルだ。」



第九話  完

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