「まずいな...
 日が暮れちゃったよ...どうしよう...」


とある教室で、自分の腕の中で寝ているレイを見ながらシンジは考え込んでいた。
日は既に暮れていて、時計を見てみると午後8時を回っている。
早く帰らなければ、と何度も思っていたがレイを起こすのが何だか悪いような気がしてこんな時間になってしまったのだ。
シンジは自分の優柔不断な性格を何度も呪った。
しかしレイの寝顔を見ていると、いつまでも見て居たくなる。


「やっぱり僕は綾波の事を...
 妹と重ねているのかな...」


そう思うだけでシンジの胸は締めつけられる。
かつて護る事が出来なかった大切な人が目の前に居る。
今度こそ護り通さなければならないと強く想う。
そう思うだけで自然と力が湧き上がる。


「綾波レイか...」


外は闇に包まれ月明かりが照らす中、シンジはレイの事を優しく見守っていた。











大切な人への想い

第弐拾話 月の光の下で











「シンジのヤツ遅いな。」
「そうだよな、今まで時間に遅れる事は無かったからな。」
「シンジ君、やっぱりキミは...」


ここ比紀神社では、ムサシ、ケイタ、カヲルがシンジの事を待っていた。
この4人はこの時間になると集合して、野球の練習をここでやる事になっていた。
ムサシ曰く、秘密の特訓である。
この特訓によってシンジのフォークボールは完成したのだ。
シンジのフォークボールは、まさしく4人の血と汗と涙の結晶だった。
だからこそ4人はこの特訓を大切に思い、毎日欠かさずにやっているのである。

しかしシンジは来ていない。
おかしいと思うのは当然の事である。


「やっぱり理由としてはレイ絡みの線が濃厚だな。」
「そうだよね、わざわざシンジが待つって言ったからな。」


ムサシの意見にケイタは賛成する。
実際その位しか理由が見つからない。

シンジはレイの事を待って学校に残った。
その時のシンジの状態は普段のそれとは違っていた。
この状況から導き出される答えは矢張り、二人の間に何かあったと考えるのが自然である。


「...うまく行ったか、それとも泥沼に嵌まったか...
 どっちかなムサシ?」
「オレに聞くなよケイタ。
 ま、明日になれば分かるさ、それよりオレ達だけで練習しようぜ。」


シンジは来ていないが、3人は練習を始めた。










☆★☆★☆










「やっぱり起こさないとマズイよね。」


ようやく決断したのかシンジはレイを起こす事にした。
しかし自分に寄り添って寝ている寝顔を見るとその決意も薄れてくる。


「う...こんな顔されると...
 けど...逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ...」


自分にそう言い聞かせてレイを起こそうとする。
しかしシンジの思いが通じたのかレイが目を覚ます。


「ゥ...ン...」


レイは気だるい声と共に目を開けた。
しかし今の状況を把握しきれないのか、目をパチパチと瞬かせる。
無論自分がシンジの胸に体を預けている事など分かっていない。


「あ、目が覚めた綾波?」
「え?」


シンジはレイが目覚めたのを確認して声を掛ける。
レイにとってはいきなり頭上から声を掛けられた状況である。 驚くなと言う方が無理がある。

レイが顔を上げると、すぐそこにシンジの顔がある。
もちろん目と目が合い、レイの思考が停止する。
次第に顔が赤くなるが、まだ状況が分からない為、シンジに体を預けた体勢のまま動かない。


(碇先輩?...え? 何で? どうしてココに?)


ようやく頭が回り始め、レイは今までの事を考える。
しかし居心地が良いのか、自分がどんな格好なのか分からないのか、シンジから離れようとはしない。
目の前のシンジは優しい笑顔を向けている。


(は、反則じゃない...この笑顔)


レイは赤くなった顔を更に赤くする。
だがその時、屋上での事を思い出した。その途端に赤かった顔が青ざめて行く。
目は大きく見開かれ、シンジを掴んでいた手に力が込められる。
口は半開きになり、そこから漏れる声は頼りなかった。


「ア...ウァ...私...」
「綾波、どうしたの? 落ち着いて!」
「イヤァァァァアァアア!!」


シンジもレイを抱く腕に力を篭める。
でなければレイの事を護れないと感じていた。
絶対に護らなければならない、二度とあんな悲しい事はしたくない、と心に願いながらレイを抱いた。

レイの指が食い込んで来た。
彼女の心の痛み、心の傷だと言うのが分かる。
シンジは耐えた、自分の腕の中に居るレイの痛みに比べれば何でも無いと思いながら。










☆★☆★☆










その頃フジオは繁華街を一人で彷徨っていた。
目には光が宿らず夢遊病者のようになっている。
何処をどう来たのか、何処へ行こうとしているのか分からないまま。
周りの人達はフジオの事など気にしていない。
今のフジオは完全に一人きりだった。


ガツ

不意に人と肩がぶつかった。
だがフジオには何も感じられないのか、そのまま歩いて行ってしまう。
その事に気分を悪くしたのか、肩をぶつけた人が絡んできた。


「オイ、人にぶつかって挨拶も無いのか?」


明らかに不機嫌そうな話し方だった。
しかしフジオはそのまま行こうとする。


「テメェの事だよ。」
「.........」
「何黙っているんだ?
 シカトしてんじゃねーよ!」


絡んできたのは3人組でフジオの事を取り囲んでいた。
周りの通行人は関らない様に見てみぬ振りをして通り過ぎて行く。
そんな状況に居ながらフジオは顔色一つ変えない。


「ちょっと顔貸せ。」


その一言を最後にフジオと3人組は人気の無い裏路地に入っていった。
その事を見ていた通行人達は自分勝手な事を話ながらこの場を去って行った。










☆★☆★☆










しばらくするとレイの叫び声は小さくなって行き、目には正気が戻ってきた。
今のレイに感じられるのはシンジの温もりだけとなった。
シンジを掴む力が小さくなって行く。 その事に気付いたシンジの顔に安堵の色が浮かぶ。


「落ち着いた? 綾波...」
「...ハイ...」


レイは今まで起こった全ての状況を思い出す事が出来た。
それでもシンジが抱きしめてくれたお陰で正気を取り戻せた。
シンジもフジオと同じ男なのにフジオに対する嫌悪感をシンジに抱く事は無かった。
あの時助けてくれた事、シンジから伝わってくる暖かさから、そのような物を感じさせる事は無かったのだ。
レイにとって、この人なら自分の事を護ってくれる。 そう直感で感じ取れた。


「碇先輩、助けてくれてありがとうございます...」
「ハハ、そう面と向かって言われると、何だか恥ずかしいね。」
「いえ、あの時先輩が居なかったら、私...」


レイは笑顔をシンジに向けながら話す。
その笑顔は今まで誰も見たことの無い透き通った笑顔、心から信頼するシンジの為だけの笑顔だった。
自分が目の前に居る少年に淡い恋心を感じている事が分かった。


(私、碇先輩の事が好きなのかも...)


そう思うだけで心臓の鼓動が早くなり、自分の顔が赤くなっている事が感じられる。
それは嫌な感じではなく、むしろ心地良い感覚であった。
目の前にシンジの優しい笑顔がある。それだけで心が暖かくなり幸せを感じてしまう。

だがしかし、レイは今の自分が置かれている状況を完全に理解していない。
目の前には優しい微笑みを向けているシンジが居る、そこで思考が完全にストップしていた。
自分がシンジの腕の中に居る事など微塵も考えていなかった。



一方シンジは困っていた。
レイが目を覚ましたのはいいが、それからが問題であった。
今の状況、自分がレイの事を抱いている事を話していいのか迷っていたのだ。
今までの経験からして、そんな事をレイが知ればビンタが飛んでくるだろうと鈍感なシンジは考えていた。


(う〜〜〜ん、教えた方がいいのかな?
 けど知ったら多分怒るだろうな...
 いや、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ...
 けど嫌われるかも...)


優柔不断さを全開にして思考の無限ループに嵌まってしまい、次第にシンジの顔が赤くなる。
レイはずっと見ているが、教室は暗いのでそんな事になっているとは気付かない。


(何だか心が暖かい、碇先輩がそばに居るだけで心が安らぐ。
 こうして碇先輩の温もりを感じるだけで...
 え? 温もり?)


ここに来てようやくレイは自分がどんな状況に居るのか考え始めた。


(目の前には碇先輩が...先輩は私の肩に手を回している?...私は先輩に寄りかかっている...
 それからほっぺから先輩の温もりが...と言う事は...)


そこまで考えると自分がどんな格好になっているのかが理解できた。
その途端に恥ずかしさでいっぱいになり、先程まで感じていた心地良さはどこかに行ってしまった。
色白の顔はこれでもかと言わんばかりに赤くなり、耳まで真っ赤になっていた。


(わ、私ったら...碇先輩の...やだっ、恥ずかしい...)


最早レイの顔は真っ赤を通り越して湯気が出るほどになっていた。
しかし鈍感なシンジはレイの心の内など分かる筈も無い。
分かった事はいつものレイじゃない事だけだった。


「どうしたの綾波?」


ドキン!
シンジの一言にレイの心臓は爆発しそうになる。


「わ、私...
 ゴ、ゴメンナサイ!...キャッ!」
「綾波!」


ドガシャン!
シンジから慌てて離れたお陰で豪快に転んでしまった。
シンジは心配してレイを助け起こす。 そうなると自然とまたレイの事を抱きかかえる態勢になった。


「大丈夫、綾波?」
「イタタタタ、ゴメンナサイ心配掛けてしまって。
 もう大丈夫ですからそんな顔しないでください。」
「え? そんな顔ってどんな顔?」
「フフ、今の碇先輩の顔ですよ。」


レイはシンジの頬に人差し指を当てながら説明した。
その頬はとても柔らかくて、レイは気持ち良くなり思わず笑ってしまった。


「ップ、フフフ。」


シンジは笑っているレイを見て嬉しくなった。
レイが自分に笑いかけてくれる、それだけで心が安らぐ。
そう思うとシンジも嬉しくて笑ってしまった。


「フフ、ハハハ。」


互いが互いの事を想い、心からの笑顔で応える。
二人にはそれだけで十分だった。
この人と一緒なら、どんな事でも楽しく思える。
この人と一緒に居たい、この人を見ていたい、この人に自分を見てほしい。
そう思えるようになったのだ。


「帰ろうか綾波。」
「はい。」


言葉は短いがそれだけで幸せな気分になれた。
そして二人は寄り添うように学校を出た。










☆★☆★☆










バキィ!
...ドサ!


「ヘヘ、どうした兄ちゃん。もうオネンネの時間かい?」
「ゥグゥ...」


誰も居ない裏路地でフジオは先程の3人組に殴られていた。
体の痛みより心に出来た傷の痛みの方が大きいのかフジオは抵抗する事も無く、ずっと殴られ続けていた。
3人はそんなフジオをまだ殴り足りないのか無理やり起こす。


「まだ眠るには早いんじゃないか!」


バキィ!
...ドシャ!


地面に倒れる。
体はアザだらけになり最早立つ気力も無くなっていた。
これだけ痛めつけられても、心に刻んだ傷は消す事は出来ない。
3人はそんなフジオの事を薄笑いを浮かべながら見ていた。


「あ〜あ、何か飽きちまったな。」
「そろそろ行こうぜ、こんなヤツほっといて。」
「ええ? ちょっと待ってくれよ、もう少しで終わらすから。」
「オイオイ、まだ足りないのかよ。」


残酷な笑いを浮かべながら3人は最後の制裁について話している。
しかしフジオは他人事のようにそれを聞いていた。


(早いとこ決めてくれないかな...
 体の痛みは感じない...けど、心が寒い...当たり前か...)


だが相手の言葉を聞いて驚愕した。


「ヘヘ、オレの腕に当たって来たんだ。
 だったらコイツの腕にオトシマエを付けようぜ。」
「どうやるんだ?」
「折っちまおうぜ、コイツの腕。」


ドクン!
心臓が大きく鳴る。
この時初めてフジオは危機感を覚えた。


「やめろ!」
「ウワ?!」
「どうしたんだコイツ?」


フジオは素早く起き上がり、自分の右腕を庇うようにして後ろに下がった。
その目には少しだけ光が宿っていた。
投手としての意地がまだフジオに残っていたのだ。


「腕だけは...オレの腕には触るな!」
「何言ってんだコイツ?
 そんな事言われると何としてもやっちまいたくなるぜ。」
「ヘヘヘ、これで許してやるから大人しくしてな。」
「早いとこやっちまおうぜ。」
「クッ...」


ジリジリと間合いを詰められる。
だがフジオは右腕だけは守ろうとして諦めないでいた。


「クソ! こんなヤツ等に大切な腕を折られてたまるか!」
「こんなヤツ等とは酷い言い方だな。 ま、諦めな。」


フジオは目を瞑り痛みに耐えようとした。
バキ!


「え?」


しかし痛みは感じてこなかった。
恐る恐る目を開けてみると3人の内一人が殴り飛ばされていた。
そして目の前に自分を守ってくれたであろう人が立っていた。
フジオはその人を見て驚いた。


「キャプテン...」
「久しぶりだなフジオ。」
「何故ここに...」
「自分の後輩がやられているんだ、黙ってられっか。
 さてオマエ達、覚悟は出来てるか?」


フジオを助けたのは野球部キャプテンの若槻タツヤだった。
タツヤは指をパキパキと鳴らしながら残りの二人に近づいて行く。
残った二人はタツヤの力を怖れて後ずさりをする。
目の前で人一人殴り飛ばした所を見せられ、脅えていた。


「ちょ、ちょっと待てよ。
 アンタには関係ないだろ?」
「後輩をいたぶってくれた礼は高く付くぜ。」


バキィ!










☆★☆★☆










その頃シンジとレイは帰路についていた。
二人は着かず離れずの微妙な距離を置いている。
会話は無いが不思議と気まずい事は無い。

そしてちょうどT字路に差し掛かった。
ここまでは一緒だったが、ここからはそれぞれ違う道に行かないと家に帰れない。
そう考えると嬉しくない場所であったが今の二人にとっては違っていた。


「ここで私達は出逢ったんですよね。」
「あ...あの時はゴメン、ぶつかって。ホントに急いでて気付かなかったんだ。」
「ホント酷いですよ先輩ったら。恥ずかしかったんですからネ。」
「ゴ、ゴメン綾波。」


シンジは手を合わせ頭を下げて謝る。
もちろんシンジだけが悪いのでは無いのだが、謝らずにはいられなかった。
そんなシンジを見てレイは微笑む。
不器用ながらも自分の事をちゃんと見てくれている。 それだけで嬉しかった。


「もういいですよ先輩。私も悪かったんですから。」
「じゃ、じゃあ許してくれるの?」
「でもちゃんとケジメは付けてもらいますよ。」
「ケジメ?」
「そ、一回で済みますから。 目を瞑って下さい。」


レイはビンタの用意をする。


「あの...ビンタなら2回もらったけど...」
「セ・ン・パ・イ、乙女の下着を見るどころか胸まで触ったんですよ。
 これで全てが丸く収まるんだから、ありがたく思って下さい。」
「ハイ...」
「よろしい。」


シンジにとっては無茶苦茶な理論に思えたが、レイには逆らえず正直に目を閉じた。
それを確認してレイはシンジに近づく。
その気配を感じて体に力を入れて、襲ってくるであろう痛みに備える。


バチーン!


「イタタタタ...」
「これでよし。
 それから...」















フワッ
「え?」















シンジの頬に柔らかい感触が走る。
目を開けるとレイの顔がすぐそこにある。
片方の頬には痛みが、もう一方の頬には心地良い感触が。
頭を混乱させながらもシンジは何が起きたのかが理解できた。


「あ、あ、あ、綾波...」
「クス♪ これは今日のお礼です。
 私、碇先輩の事が好きになりました。」
「え? ええ?」


レイは屈託の無い笑顔をシンジに向ける。
シンジは何が起きたのか分からない間の抜けた表情でレイの事を見ている。


「ホントは唇にしたかったんですが...
 やっぱり本当のキスだけは先輩からして欲しいんでほっぺにしました。」
「綾波、な、何で?」
「そう言う言い方は告白した女の子に言うもんじゃないですよ。
 ま、強いて言えば私の事を好きになって欲しいからかな?」


シンジはキスされた頬に手を当てながら固まっている。
突然の告白にどう対処していいのか分からなかった。
そんなシンジが面白いのかレイは更に続けた。


「大好きです、碇先輩。
 今日は助けてくれた上に送って下さってありがとうございます。
 返事はいつでもいいので考えてといて下さい、私の事。」
「あ、ちょっと綾波。」


帰ろうとするレイを慌てて引き止めようとするが捕まえる事は出来なかった。


「送ってくれるのはここまででいいです。
 今日はホントにありがとうございました。」
「綾波!」


レイは走ってその場から去って行った。
その後にはポツンと一人佇むシンジ。
何故か急に寂しさを覚えた。















かつて自分の妹が好きだった月がシンジを優しく照らす。
その月の下でシンジは綾波の事、自分の事、そして妹のレイの事を考える。
突然問われた自分の気持ちがどうなのか、今のシンジには答えが出なかった。



第弐拾話  完

第弐拾壱話を読む


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