「何故ですか...何故オレを助けたんですか?」
「フジオには分からんのか?」


河原には速水フジオと若槻タツヤがいた。
周りに誰も居なく、夜の河原は昼間とは違い寂しさを感じさせる。
そこでフジオは座り込み、タツヤは立ちながら向こう岸に見える街明かりをじっと見ていた。


「...同情からですか?」
「バーカ、違うよ。
 オレはオマエの先輩であり、オマエはオレの後輩だからさ...」
「けど今は違いますよ。
 オレは野球部を...辞めたじゃないですか...」
「何も違わないさ...野球をやっていようが、やっていまいが...
 オレとオマエが同じチームに居た、その事実が消える事は無いからな。」
「.........」


フジオは黙り込む、だがタツヤは何も話さない。
フジオに何かあった事は分かるのだが、その 『何か』 が分からなかった。
何があったのか、その事についてはフジオ自身から聞き出さなければならないと思っていた。
フジオの口から言わせなければ却って傷つけてしまうから。
先輩としての、せめてもの心遣いだった。
そしてしばらくするとフジオの口が開く。


「...先輩...」
「何だ?」
「オレ、野球やってく自信無くなりました...」


ある程度タツヤが予想していた言葉がフジオの口から出て来た。
野球部にはシンジが居る。そのシンジとプライドの高いフジオ、二人が争うのは...
と言うよりフジオが対抗意識を燃やすのは火を見るより明らかに思えたからである。
そしてフジオがシンジに勝てるとは思っていなかった。


「じゃあ...野球を辞めるのか?」
「ハイ...」


フジオは感情の篭らない声で答える。
夜の河原、寂しさの支配する闇にフジオの返事は消えて行った。
タツヤはその言葉を黙って受け止める。

何も聞こえない闇の中、二人は只黙って向こう岸に見える街明かりを見ていた。











大切な人への想い

第弐拾壱話 想い、それぞれに











「ムフフフフフフ。」


ここは綾波家、レイの部屋の中から何とも言えない声が響いている。
レイは帰ってくるなり部屋に閉じこもり、ずっとこの調子であった。


「どうしたんだレイは?」
「さあ...私にも分からないんです...」
「何か悪いものでも食ったのか?」
「そ、そんな筈は...」


レイの両親は首を傾げながら考えていた。
奇怪な声が伝わる部屋に、どう対処して良いのか分からなかった。
そのレイの部屋では...


ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロ...

「ウププププププ。」


お気に入りの大きなウサギのヌイグルミに顔を埋めながら、レイはゴロゴロと転げ回っていた。
その顔はほんのりと赤く染まっており、幸せいっぱいである。
時折シンジの制服の上着を見て更に顔を綻ばせる。 どうやらそのまま着て来た様だった。


「むふ♪
 結局着て来ちゃった、碇先輩の制服。」


シンジの制服はキチンとアイロン掛けをされており、大事そうにハンガーに掛けられ壁に飾られている。
その横には何故かレイの制服が掛けられている。
その二つの制服を見て更に奇妙な声を発する。


「ヌフフフフフフフフフ。
 碇先輩か...ムフ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜♪
 ...シンジさん......キャー!キャー!私ッたら!」

ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロ...


レイはフジオとの一件をすっかり忘れたのか、幸せを辺りに撒き散らしている。
この奇怪なレイの声と行動は夜遅くまで、レイの体力が無くなるまで続いたという...










☆★☆★☆











「...ふぅ...」
「どうしたのシンジ君?」
「あ、いえ何でも無いです...ハイ。」


ここ碇家では、リビングで一家団らんの時を過ごしていた。
シンジはスパイクの手入れを、ゲンドウは新聞を読み、ユイは紅茶を飲みながら、いつも通りに時は過ぎていた筈だった。
しかしこの日のシンジは 『心ここにあらず』 な表情で時折ため息をついている。
理由はもちろん綾波レイ、只一つ。
シンジはスパイクをじっと見て、その事について考えている。


(やっぱりアレだよね...
 あの時綾波が好きって言ったのは、友達としてではなくて...
 その...男と女としての...その付き合うって言う意味で言ったんだよね)


まさか自分が女の子から告白されるとは思っていなく動揺していた。
事実、シンジは帰ってから普段の時と違い、ボーッとして居たり、失敗していたりとユイとゲンドウを心配させていた。
今も手が止まっており、ユイが心配そうに見ている。


「シンジ、どうした? 手が止まったままだぞ。」
「え? あ、そうですね...ハハハ...」
「そう言えばシンジ君、帰ってきた時は制服の上着を着ていなかったけど...」
「え? そうでしたっけ? おかしいな...」
「...それより野球部の方はどうなんだ? マネージャーとして女の子が入ったそうじゃないか。」
「ブ!」


ガタタタ

慌ててスパイクを落とす。
そのシンジを見て眉一つ動かさないゲンドウ、ユイは目をパチクリとさせて驚いている。


「ど、どうしたのシンジ君?」
「いや...ちょっと...その...僕、部屋に戻ります!」
「ちょっとシンジ君?」


ドタドタドタ
バタン!

シンジはドアを大きく鳴らして部屋に入る。
一瞬の出来事にユイはどうしたらいいのか分からなかった。
ゲンドウは相変わらず平然として新聞を読んでいる。


「どうしたのかしら?」
「フ、シンジも悩み多き歳なんだ。 そっとしておけ。」
「...あなた、また何かやったんですか?」
「安心しろ、何もしておらん。」
「本当ですか?」
「ああ、私はな...」


その時ゲンドウの口許がニヤリと僅かに動く。
その僅かな表情を見逃す筈が無いユイ。
長年連れ添ってきた彼女にしか分からない変化だった。


「何があったのか、教えて下さりますね。」
「.........」


シンジに何があったのか、この事についてゲンドウはある程度の事は知っていた。
そもそも第壱高のセキュリティーシステムは、他校のそれを遥かに上回る物を持っている。
ちなみに赤木リツコがそのセキュリティーシステムの考案者兼総責任者で、通称MAGIシステムと呼ばれている。

それを使えば全校内のあらゆる場所を見ることが出来る。その為、知っていたのだ。
とは言っても屋上の事は知っておらず、シンジとレイが教室に入ってからしか知らないのが現状である。

そのシンジの事についてゲンドウはユイの追求を受けていた。
今日も碇家は平和であった。










☆★☆★☆











河原では、あれから大分時が経ったがまだフジオとタツヤが居た。
二人は微動だにせず、街明かりを見ていた。


「本当に辞めちまうのか?」
「はい。」
「...じゃあ何故あの時右腕を庇った...」
「!」


フジオの体がビクッと動く。
何故あの時右腕を庇ったのか、その事をフジオは疑問に思っていた。
自分は野球を辞めたのに、投手としての自分は必要無いのに。
その事が頭から離れなかった。


「どうした、答えられないのか?」
「.........」
「だったらオレが教えてやろうか...」


何故自分の事が分からないのか、何故自分の事なのに他人が分かるのか、そう思うだけでフジオは苛立ってきた。
だがタツヤは続けた、事実を自分の後輩に伝えるために。
その事がフジオの心に踏み込む事、傷つける事を知っていた。
だがそれが同じチームだった先輩としての自分が成すべき事と信じていた。


「ピッチャーとしての本能だよ。
 オマエは誰が何と言おうとピッチャーなんだよ。」
「!」
「大方、オマエはシンジ負けたと思ったんだろ?」
「.........」


ググッとフジオの手に力が篭る。
レイの時と同じように、自分の心に踏み入られた為に怒りがその手に篭められる。


「どうせオマエの辞める理由なんて 『怖くなったから』 だろ?
 碇シンジに勝てないって思ったからなんだろ?」
「アンタに何が分かる!!」


怒りでフジオは立ち上がった。
両の拳は握り締められ、目には怒りの色を宿らせていた。
それを見たタツヤは、まだフジオに闘う心が残っていたのを感じたので内心ホットした。


「違うと言えるのか?
 じゃあ何で辞めるんだ?」
「グッ...」
「所詮は臆病者か...」















バキ!















フジオがタツヤを殴り飛ばした。
利き腕である右腕を使って殴ったのだ。

投手、しかもフジオはボールを投げる利き腕をとても大切にしている。
その事実をタツヤは知っていた。


「利き腕で殴るか...ピッチャーのオマエからは考えられんな。」
「!」
「ヘッ!」


バキ!
今度はタツヤがフジオを殴り飛ばした。
つい先程まで3人組に殴られても痛みを感じなかったが、タツヤの一撃は相当効いた様で顔を歪める。
フジオの前にはタツヤが嘲笑うかのように仁王立ちしている。


「どうした、もうお終いか? 腰抜けが。」
「グッ...
 ウワアアアアアアアアアアア!!」


ドカ!
フジオが叫び声を上げながらタックルを仕掛ける。
タツヤはそれを正面から受け止める。
フジオを受け止めながらタツヤは話し続ける。


「そんなんじゃオレは倒せないぜ。」
「クソッ!」
「力が無さ過ぎなんだよ。」
「チクショウ!!」


フジオは一旦離れて殴りかかろうとするがタツヤに簡単に受け止められる。
そしてまた殴り飛ばされる。
力の差は火を見るより明らかだったがフジオはそれでも向かって行った。










☆★☆★☆











シンジの部屋−−−−−
今日はいつもより早くベットに入ったのだが、中々寝付けなくてシンジは困っていた。


「...う〜〜〜ん...眠れない...」


カラカラ...
気分を紛らわそうとして、窓を開けてベランダに出る。
すると夜空には満月とはいかないが、月が出ていた。
その月を見ると、今でも妹のレイを思い出す。
そしてもう一人のレイ、綾波レイの事も頭に浮かぶ。

今までだったら
月 → 妹のレイ → 綾波レイ
の順番に連想するのだが、今日は異なり、
月 → 妹のレイ + 綾波レイ
と言うように同時に二人のレイを連想した。


「大好き...か。
 確かに綾波の事は気になる...けどそれは似ているから...だと思う。
 その事を知ったら、綾波は僕の事を何て思うんだろ...」


月を見上げてシンジは考える。
自分の妹に似ている女の子、しかし彼女は別人である。
これから自分はどうやって彼女に接すればいいのかが分からなかった。

そしてもう一つの心配の種、速水フジオの事。
経緯はどうあれ、女の子に対する乱暴は許す事は出来無い。
しかしフジオの気持ちも分かる。
かつての自分がそうであった様に...

レイが死んだ時、
その行き所の無い怒りと絶望の為、親友と呼べる人達に当たり散らした事、
自分の事を心配してくれる人達を拒絶した事、そして自分から切り捨て逃げ出した事。
その全てが今のフジオの状態である事が分かった。

自分はここ、第壱高にきて親友に助けられた。
今度は自分が助ける番だとシンジは思っていた。
かつての自分と同じフジオを助けたいと心から願った。










☆★☆★☆











バキィ!
フジオがタツヤに殴り飛ばされる。
あれから何回殴られたのか分からない。
タツヤは手加減をせずにフジオを殴り飛ばす。
フジオはそれでもタツヤに向かって行ったのだが、ダメージが蓄積したのか仰向けになって倒れたままになった。


「...チクショウ...
 チクショウ、チクショウ、チクショウ、チクショウ、チクショウ!」


フジオは悔しさと情けなさで涙を流す。
タツヤは自分の受けた傷に手を当てながらフジオに話した。


「悔しいか? 自分の非力さが情けないか?」
「...チクショウ...」
「だがな、その悔しさは誰だって経験するんだ。
 オレだって味わったさ...それにシンジもな。」
「.........」
「...でなけりゃ、あんな目は出来無い...」
「...」


タツヤはあの時のシンジ、去年の夏休みの時に闘ったシンジの事を思い出していた。
その時にシンジが見せた虚空の目が焼き付いたのだ。
今思い出すだけでも背筋が凍るような感覚に陥る。
過去に何かあった、それだけは容易に想像出来た。


「みんなが経験するんだ、オマエだけでは無い。
 そしてそれを乗り越えられるか、それが重要なんだ。
 オマエはそれをしていない...果たしてオマエに出来るかな?」
「......クッ...」


タツヤの言葉がフジオに突き刺さる。
フジオの目の前が悔しさと情けなさの涙で霞んでくる。
自分に対する怒りで体が震え、手を強く握る。

自分がどれだけの事をして来たのか? 何を成し得たのか?
自分に問いただすが、人に誇れるものが無い。
あるのは只記録だけ、過ぎてしまえばそれは過去のモノでしかない。
一体今まで何をやって来たのか?
過去は所詮、過去のモノである。
過去から現在に繋げようとしなかった、たった一度の壁にぶち当たっただけで逃げ出した、投手としてのプライドを捨ててしまった自分。
情けなくて、悔しくてしょうがなかった。

それを見たタツヤは安心した。
フジオがようやく自分の事を見詰め直したからである。
他人に言われて直せるモノでは無く、自分で見つけなければならない。
それをフジオは見つける事が出来た。


「じゃ、後は自分で考えな。」
「セ、先輩!」
「どうした?」
「あの......」


自分の役目を終えたタツヤは帰ろうとしたがフジオは呼び止めた。
自分の事を気に掛けてくれた先輩に何か礼が言いたかった。
しかし、いざとなると何も思い浮かばず沈黙してしまう。
そんなフジオを見ながらタツヤは男臭い笑みを浮かべて諭す。


「気にするな、先輩が後輩の世話を焼くのは当然の事だからな。」
「でも...」
「あ、そうだ。
 こいつはオマエにやるよ。」
「え?」


その時タツヤがフジオに投げる。
それをフジオは受け取った。
自分の手に馴染み深い物、それがフジオの手の中に収まった。


「こ、これは...」
「大切なモンだ、二度と離すんじゃねーぞ。」


野球のボール、それをフジオは受け取ったのだ。
フジオは右手に収まったボールを強く握る。
自分が球児である事、そして投手である事を思い出す。

自然に涙が零れ落ちる。
忘れていた野球に対する想いが蘇って来る。

いつからだろうか、自分があの時の気持ちを忘れたのは...
野球と知り合えた時の、あの気持ちを。
高校に入ってからか...それとも中学時代に最強と謳われてからか...或いはそれ以前なのか...
フジオはボールを握り涙を流す。
自分が大切な事を忘れてしまった事に対して。

失ったモノを見つけた時、大切なモノを見つけた時、人は涙を流す。
人は忘れて行くから...どんなに大切であったかを。
その事に気付き、涙を流す事は恥ずかしい事ではない、それが当たり前なのだ。
大切なのは、その時の想いを忘れない事...それだけである。




















フジオは野球を想う、タツヤは後輩を想う、レイはシンジを想う、そしてシンジは妹と綾波レイを想う。
月明かりに照らされ、それぞれが決断を下す。
それぞれの行くべき道を...



第弐拾壱話  完

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