第壱高校野球グラウンド−−−−−
今日も部員達が掛け声と共に練習に励んでいる。

速水フジオ、彼が野球部に戻って来て2週間が過ぎていた。
それからというもの野球部の結束は高まり、甲子園に向けて大きく前進した。



そんな野球部の練習風景を見ている者が居た。
運動着を着ている事から何処かの部活に入っている事が分かる。
髪をショートに切り、無駄な筋肉の無い体型、しなやかな足、街を歩けば10人中8人の女性を振り返らせる端整な顔立ち。
『美少年』 酒の銘柄では無いが、そんな言葉がよく似合う。

だがしかし、事実は大きく違う。
その者は 『女』 である。
それが証拠に胸は少しばかり膨らんでいる。 スレンダーと言うべきであろうか。

とにかく彼女はよく男と間違えられる。
ホストクラブにスカウトされてしまったという輝かしい過去を持つ。



その彼女は野球部の練習を見ていた。
そして視線は一人の球児を捕らえて離さない。
その球児の名は若槻タツヤ、野球部のキャプテンである。
タツヤは自分の練習の合間を見付けては、部員達の面倒を見る為にグラウンドを駆け回る。
その姿が面白いのか彼女は笑顔で眺めていた。


「フフ、頑張ってるねアイツ。
 ...次が最後の夏だからか...それとも...」


彼女の顔から笑顔が消えた。
今まで放っていた元気な気も消え去った。
『しゅん』 という言葉を体現したらこんな姿になるのだろうか。
何が彼女をそうさせたのか? 原因はなんなのか? 彼女はじっとタツヤを見詰める。
今の彼女は、彼女が持つ本来の魅力を激減させていた。
その時、彼女を呼ぶ声が聞こえた。


「アユ!」


陸上グラウンドから走って来て彼女の事を呼ぶ者が居た。
彼女、アユと呼ばれた女の子は笑顔を作る。
自分の暗く沈んだ所は見られたくない、その思いが彼女にそうさせた。


「あれ? シズカじゃない。
 どうしたの? そんなに息を切らせて。」
「どうしたもこうしたもあるか!
 今日は記録を測る日だろ、もう始まってるんだぜ!」
「うそ、もう始まったの?」


シズカと呼ばれた女の子の言葉にアユは焦った。
今日の陸上部で記録会を行う事をすっかり忘れていたようだ。
アユと呼ばれた女の子の名は 『古川 アユ』
シズカと呼ばれた女の子の名は 『野上 シズカ』
共に陸上部のスプリンターである。


「全く、いつものオマエらしくないな。
 それとも...アイツの事が気になるのかな?」


シズカは視線を野球部に、しかもタツヤに送らせる。
その瞬間、アユの顔は真っ赤に染まった。
それは今にも ボッ という効果音が聞こえそうな位の勢いだった。


「ち、ち、ち、違うよ!
 わ、私は別にタツヤなんかとは...あ...」


自ら墓穴を掘ってしまうアユ。
シズカは悪戯な笑顔を見せる。


「あれ? タツヤなんて一言も言ってないぜ。」
「...いや、それは......」
「全く...素直になって自分の気持ちを伝えたら?
 そしたらきっと、アイツは応えてくれるよ。」
「フン! いいの私は!
 全く、自分が上手くいったからってそうとは限らないでしょ!
 それよりも惚気てないで部活に行くよ!」
「あ、待てよアユ!」


二人の女の子は走って陸上グラウンドに向かう。
季節は春から初夏に移り行き、太陽の日差しが強くなっていた。











大切な人への想い

第弐拾四話 平穏或いは嵐の前の静けさ











野球部グラウンド−−−−−
シンジとフジオは投球練習に勤しむ。
フジオは以前よりは棘が取れたが、シンジに勝ちたい、という想いは変わらない。
自分の尊敬する人として越えたい、その事を目標にして日夜練習を重ねる。

日は暮れかかり、そろそろ部活の時間が終わろうとしていた。
最後の仕上げとばかりに、部員達は気合いを入れる。
シンジも同じ様に気合いを入れてボールを投げた。

ズバァン!

大きな音と共にボールはミットに突き刺さる。
そのボールを受けたカヲルは痛くもあり、嬉しくもあった。










「あの...スイマセン...」


不意にグラウンドの外から尋ねる声が聞こえた。
シンジがそれに気付き、声のした方を見ると一人の女の子が立っている。
腰まで伸ばした癖の無い鮮やかな髪、物静かな雰囲気、触れると折れてしまう様な華奢な体、そして思わず見惚れてしまう様なその笑顔。
深窓のお嬢様というイメージしか思い付かない女の子だった。

シンジは言葉を失い、彼女を見詰めたままだった。

ゾクッ

その時、シンジは殺気を感じた!
一瞬にして全てのモノを凍りつかせてしまう殺気を放つ者、レイがその現場を目撃したからである。
シンジはレイの殺気のお陰(?)で我に返り、尋ねて来た女の子に話し掛ける。


「ハイ、何かご用ですか?」
「あの、若槻さんはいますか?」


聞くだけで心が洗われる透き通る様な声だった。
シンジは自分の顔が赤くなるのを感じた。 しかし夕日の為、誤魔化せられた事に感謝する。


「キャプテンですか?
 今は外野の方で練習を見ていますが...呼びましょうか?」
「いえ、結構です。
 練習の邪魔はしたくありませんので、しばらくしたらまた来ます。
 ありがとうございました。」
「あ、い、いえ...」


彼女は軽くお辞儀をして野球グラウンドを後にした。
その仕草に見惚れてしまうシンジ、しかし彼の背後には凍る様な殺意を放つレイが待っていた。
哀れ、シンジはレイのご機嫌を直す為に奢らされるハメになった。










☆★☆★☆











「ふむ、シンジ達の話を総合すると...その人は 『須藤 ミズホ』 先輩だな。」


部活も終わり、後片ずけをするシンジ達は集まっていた。
そして何故か女の子の情報に詳しいムサシが誰なのかを予測した。
ちなみにこの場にマナとレイは居ない。
シンジは彼女の名前を反芻する。


「スドウ...ミズホ...3年生の人なのか。」
「相変わらずお子様なヤツだな...
 この学校で須藤先輩を知らないヤツは居ない筈...って、そっかオマエには関係ないな。
 なんたって綾波っていう彼女が居るんだからな。」
「な、何だよムサシ!
 僕と綾波はまだそんな関係じゃないってば!」
「ふ〜ん『まだ』ね...
 なるほど、一応その気はあるようだな。」
「あ......」


相変わらず間抜けなシンジ。
野球の時はナイフの様な頭のキレを持っているのに、色恋沙汰になるとからっきしである。


「ま、話を戻そう。
 ...しかし...須藤先輩の事、ホントに知らないのか?」
「う、うん...」
「しょうがない、他ならぬシンジの為だ、特別に教えてやろう。
 須藤ミズホ 現在17歳の我が高校のマドンナだ。
 3−Dに在籍
 9月23日生まれの天秤座
 性格はお淑やかで控えめ
 そして文化祭の時に非公開で行われる我が高校のミスコン 『 BEST OF THE BEST OF THE BEST! 』 で2年連続一位に輝いた人だ。
 しかも次の文化祭では3年連続一位という話が既に出ている程の美貌の持ち主さ。」


この 『 BEST OF THE BEST OF THE BEST! 』 はムサシの説明通り、非公開に行われる文化祭の企画である。
そのミスコンにエントリーされた(勝手にさせられた)本人に気付かれる事無く始まり、その存在すら知る事は無い。
エントリーされた(勝手にさせられた)女の子の情報がネット上に公開され投票は行われる。
何時何処で行われるかはその年の責任者しか知らず、このように裏で行われる為に、まさしく真の学園ナンバー1を決める企画だと言われているのだ。

シンジはムサシの情報に戸惑った。
だがもっと戸惑ったのはムサシの背後に忍び寄るマナの影だった。
例によって例の如く張り倒され、哀れムサシはマナに説教を喰らった。
シンジは、やれやれと肩を落とす。
そこへヨウスケが話し掛けて来た。


「オイ、シンジ!
 ミズホがここに来たってのは本当か?」
「え、ええ、来ましたが...」


ヨウスケはシンジの肩を揺さ振って聞き、シンジは頭をガクガクさせて答えた。
そしてシンジからミズホがここに来た理由を聞くと、今度はヨウスケが肩をガクリと落とした。


「何でタツヤなんだよ...
 あ! そういやタツヤのヤツが居ネー!
 ダー! チッキショウ!」


ヨウスケはタツヤが居ない事に気付くと探しに行った。
シンジが呆然としている所に今度はススムがやって来た。
ススムはやれやれと言った口調で話し掛ける。


「相変わらずだなヨウスケも。」
「麻生先輩。
 望月先輩は須藤先輩の事、知ってるんですか?」
「ああ、もちろん知ってるぞ。
 須藤さんはな、オレ達と同じ中学だったんだ。」










☆★☆★☆











「ゴメン、一度グラウンドに来たんだって?」
「ううん、いいの。
 若槻君はキャプテンなんだから、邪魔しちゃ悪いと思って。」


ちょうどその頃、タツヤはミズホと話していた。
タツヤはユニフォームのままで、練習を切り上げてすぐに来た事が分かる。
そんなタツヤを見てミズホは微笑む。


「それよりも、頑張ってるね野球部。
 見てるだけでみんなの思いが伝わってくるみたい。」
「そう言われると嬉しいな。
 オレ、今が凄く充実してるんだ。
 アイツ等と一緒に、同じ目標に向けてやって行けるのが。」


タツヤは遠くを見ながら話す。そしてその顔は優しく笑っている。
ミズホは思わず見惚れてしまった。
自分の想いを叶える為に努力をする姿、一つの事に夢中になる事、ミズホは羨ましく想えた。


「それよりも...いつもこんな時間まで待たせてゴメンね。」
「クス、いいの、私が勝手にやってる事だから。
 それよりも早く戻った方がいいわよ、キャプテンがこんな所で油を売ってたらダメじゃない。」
「そうだね、じゃあ早く片付けてくるからもう少し待っててね。」


タツヤは片付けに戻り、ミズホはその姿を眩しそうに見ている。
知らないモノが彼等を見れば、どう見ても恋人同士にしか見えない光景であった。










☆★☆★☆











時間は少し前−−−−−
陸上グラウンドでは記録会が行われていた。
誰もが少しでも良い記録が出る様に頑張っている。
そして短距離ランナーであるアユもまた頑張っていた。

彼女がスタートラインに立つと歓声が上がる。
何故か女の子からの歓声しか無い。
しかし彼女はその歓声を気にせず、精神を落ち着かせる為に大きく深呼吸をする。
そして凛々しいその中性的な顔がより一層引き締まる。
その顔を見て溜め息を漏らす男子は少なく無いが、女子の多さには負ける。

彼女もまた文化祭の時に非公開で行われるミスコンにエントリーされ(勝手にさせられ)、必ず上位に食い込む。
その票の大半は女子によるモノだが...
飾らない性格、面倒見の良い性格、運動神経抜群、そして溜め息の出るその容姿。
彼女の女子に対する人気は不動のモノであった。





「位置に着いて!」


スタートの合図を行う部員が右腕を大きく上げる。
それと同時に辺りは静寂に包まれる。
ギャラリーの目はもちろんアユに釘付けである。


「Ready...GO!!」


右腕が振り下ろされ、ランナー達はスタートを切る。
アユのスタートのタイミングは完璧だった。
スタートから既に差を付け、トップを走った。
その走るフォームは綺麗で見る者全てを魅了する。
そして彼女の横顔は溜め息が出る位に美しい。

時間にしてみればほんの10数秒と短いが、彼女はその時間に全てを懸ける。
今まで積み重ねて来た練習時間に比べると遥かに短いが、全てのランナーはその一瞬に全てを懸けて走るのだ。
10数秒の闘い、見る者にとっては一瞬だがランナーにとっては永遠にも感じる時間である。

その時間が終わりを告げる。
アユがゴールラインを走り抜けた。
そして彼女は疲れの為、前屈みの体勢になり大きく呼吸を繰り返す。
だが彼女は笑っていた。
全力を出して走った事、その充実感の為に笑顔が浮かぶ。

彼女にとってタイムなど関係なかった。
昔はコンマ1秒でも速く走ろうと躍起になっていたのだが、何時の頃からか走る事自体に楽しみを覚えた。
それから彼女の短距離ランナーとしての才能は飛躍的に伸びていったのだ。
だからタイムや勝敗などは頭に無く、只走り抜いた達成感だけが今の彼女を満たしていた。
周りの状況など、目や耳には入らない。
無論ギャラリーの声援も入っていない。
陸上部のグラウンドには女子の金切り声が響き渡り、興奮のルツボと化していた。



それが陸上部の顧問を務める日向マコトの唯一にして最大の悩みだった。










☆★☆★☆











「ゴチソウサマでした♪」


シンジとレイが第壱高の近くにある甘味屋から出て来た。
もちろんシンジの奢りである。

レイは満面な笑みを浮かべ、シンジは疲れた顔をしていた。
何故二人が此処に居るのか?
理由は今日の練習中での出来事が原因だった。
その為にシンジはレイと一緒に来たが、少し後悔していたのだ。

予想以上のレイの食べっぷりとその周りの状況が原因であった。
甘味屋という条件だと女の子だらけで先ず男は居ない、居たとしても恋人に無理矢理付き合わされたという事になる。
その状況下にシンジはレイと二人で入ってしまったので、周りからは恋人同士と見られる。
しかもシンジはその端正な顔立ちから、第壱高で彼を知らない女子はモグリであると言われる位に人気がある。
その為にお客の視線はシンジとレイを捕らえていた。

レイはそんな周りの事など気にせず、シンジと一緒にいられる事を楽しむ。
一方シンジは周りの視線が気になり、精神的に疲労していたのだ。
部活で疲れたのに更に精神的に疲弊し、シンジの疲労率は通常の400%に達していた。
そんなシンジとレイが帰路に着こうとした時、知っている顔が目に入った。


「あれ...麻生先輩ですよね。」
「ホントだ、何やってんだろ?」


二人の目に入ったススムは一人で立っていた。
時間が気になるのか、チラチラと腕時計を見る。
10人中10人が見ても、どこからどう見ても、誰かを待っている。


「誰か待ってるみたいだね...でも誰だろう?」
「...ハァ...誰って決まってるじゃないですか(この鈍感さが無ければ...)
 こんな時間に、しかも一人で待っている、そこから出る答えは恋人に決まってるじゃないですか。」
「そっか、麻生先輩には恋人がいるから当然か...」
「へ?
 麻生先輩って...恋人がいるんですか?」
「うん、本人から聞いたから確かだと思うよ。」


シンジの顔は普段と変わらなかった、しかもこういった冗談は言わない事をレイは知っていた為、信じるより他は無かった。
その時、ススムを呼ぶ者が現れた。
女の子で制服から判断して3年生だと分かる。
背は高く、髪は長い、制服を着ていてもそのスタイルの良さが分かる。
そしてその顔はほんのり赤く染まっていて、綺麗な人だと言っても誰も文句は言わない。
しばらくススム達の事を見ていたが、レイはその女の子の事を思い出した。


「野上...シズカ先輩...」
「綾波は知ってるの?」
「ハイ...というか私達女子の間ではかなり有名なんです。」


レイは困った顔でシンジに答える。
彼女に関するデータは以下の通りになる。



野上シズカ 現在17歳
7月12日生まれの蟹座
陸上部に在籍
さっぱりとした性格とモデル並みのプロポーションの持ち主だが、男子ではなく女子に多大な人気があり、その理由として男っぽい性格と物事をはっきり言う事が上げられる
女子からの人気では古川アユと双璧を成す存在である

以上、榛名ムサシレポートより抜粋



「そ、そうなんだ...
 麻生先輩はそんな人と付き合ってるのか...」


シンジとレイはさっきからずっと物陰に隠れてススム達を見ている。
特にレイは興味津々で視線を二人にロックオンしたまま動かさない。
そしてそんな二人を遠くから見守る人達が居る。
ムサシ、マナ、ケイタ、カヲルの四人組と、それよりも遠く離れた衛星軌道上のカメラから映像で確認するゲンドウだった。










☆★☆★☆











「それにしても最近シズカも付き合い悪くなったわね...
 ま、中学時代からの想いが通じたんだから無理ないかな。」


アユは一人で帰路に着いていた。
ついこの間までは同じ部のシズカと帰っていたのだが、そのシズカがススムと付き合い始めてからこうなったのだ。
自分の親友の想いが通じたのは祝福出来るのだが、矢張り一人はつまらないのか手持ちぶさのようだ。


「ハァ...つまんないから早く帰ってお店でも手伝うかな。
 最近部活が忙しくてサボってたからな...」


彼女の家は 『魚辰』 という魚屋で商店街では結構有名である。
アユは明るくて絶やさぬその笑顔から、魚辰の看板娘的存在だったのだ。
彼女は面倒見が良く、責任感が強い、故に最近店の手伝いをしていない事を気にしていた。
そして 『思い立ったが吉日』 という事で急いで帰ろうとしたが、思わぬ人を発見した。
その瞬間、アユの顔に笑顔が浮かぶ。


「タツヤだ。」


これ以上無い喜びの声でその名前を呼んだ。
そして彼女は気付かれない様にタツヤに近づいて行く。
驚かせてやろうと思ったのか、足音を立てずに間合いを詰めて行く。
しかしあと少しの所でその計画は実行されなかった。


「あ...」


タツヤの横には一人の女の子がいたのだ。
アユは彼女の事を知っていた、自分の親友だった。
その二人を見た途端に体が動かなくなった。

二人の仲を邪魔したくない−−−
そんな殊勝な想いからではなかった。
嫉妬と絶望、その二つの想いが彼女を包んだのだ。
























アユは見てしまった。
タツヤが自分には滅多に見せない顔を、一緒に歩いている女の子に向けていたのを...

須藤ミズホにだけ、優しい笑顔を向けていたのだ。



第弐拾四話  完

第弐拾伍話を読む


後書き


最後まで読んで下さってありがとうございます。

今回から新章、学園編に突入します。
このお話ではタツヤ君にスポットが当てられ、彼を中心に展開して行く予定です。
内容はもちろんラブストーリーです!
今まで野球からは遠ざかっていましたが、更に遠くなりますね(笑)
というわけで野球編はもう少しお待ち下さい(汗々)





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