「あの、碇先輩...コレ。」


綾波はその言葉と共に一つのお守りを僕にくれた。
『大願成就』 お守りにはその言葉が書かれていた。
これから始まる予選、その事が不安なのか目の前に居る綾波はいつもより小さく見えた。
そんな綾波を見ていると僕は一人の女の子の事を思い出した。

不安に駆られた表情、小さな体を震わせる仕草、そしていつも僕の傍に居る。
今の綾波は忘れる筈も無い、僕の妹のレイに似ていたのだ。










レイが中学に入学する頃には既に彼女に対するいじめは無くなり、逆に友達も沢山いた。
それどころか性格的にも明るくなってきたお陰でクラスのムードメーカーになっていた。
いつも明るくて笑顔を絶やさない、彼女が本来持つ魅力を100%引き出していたのだ。

昔からレイを知る者、気に掛けていた者にとっては、その事は驚きでもあり嬉しい事でもあった。
僕の二人の親友と幼馴染みも我が事のように喜んでくれた。

けど僕だけは知っていた、分かっていたのだ。
レイは確かに変わったのだが、本質的にはまだ変わっていない。
寂しがり屋でそして誰よりも弱い、その事を僕にだけ見せていた。

子供の頃は誰でも早く大人になりたいと背伸びをする。
その頃のレイはちょうどそれと同じだった。
強がって見せても、大人の振りをして見せても、精神的にはまだ成長を遂げておらず、時々ひどく疲れた表情を見せた。

いや...僕だけが分かったんだと思う。
いつも見ていた護らなければならない大切な人、だからだと思う。
それからレイが変わり始めた...変わらなければならなかったその理由も知っていた。

僕達の父親の死−−−
それが理由だった。

僕達を心から愛し、そして暖かく包み込んでくれた父さん。
その父さんが死んだのは、僕とレイがまだ小学生の頃だった。
その優しかった父さんが居なくなった事により、僕が 「強くなりたい」 と心から願ったように、レイもまた 「強くなりたい」 と心から願った。
負担になりたくなかったのかもしれない、僕や母さんに心配を掛けない為に、レイは幼いながらも決意したんだと思う。
それから僕達は変わった。
僕は強くなる為に野球を本格的に始め、レイは強くなる為に性格的に明るくなって行った。
ここだけ話すと僕だけが分かっているように聞こえるけど、僕がレイの本当の心に気付いたのは僕が中学に入学して精神的にも余裕が出来た頃、中学に入学して初めての墓参りの時だった。

当時の母さんはとても忙しくて僕達二人だけの墓参りになった。
その墓参りの中、父さんの墓前に立った時ふとレイに視線を向けた。
その時僕は自分自身に激しい怒りを覚えた。
レイが泣いていたのだ、声を噛み殺して小さな体を震わせて泣いていた。

その時になってようやく僕は理解した。
性格が明るくなったのは見せかけで、レイが背伸びをしていた事、まだ弱い事、本質的には未だあの頃と変わっていない事に気付いた。
いつも僕の傍で泣いていたレイのままだった。
そして自分が最低な人間だと知った。

一番近くにいたのに、僕は何一つレイの事を分かってやれなかった。
レイを護る為に強くなりたいと願ったのに、僕は護っていなかった。
逆に僕はレイに護られていたのだ、僕が強くなるのに専念出来るようにレイは僕から離れていた。
僕の為にレイは一人で強くなろうとしたのだ。
だけどそれは長くは続かなかった。 だがその時に気付いたのが幸いした。
そのまま気付かずにいたらレイは必ず壊れていた。
だから僕はレイをそっと抱きしめて謝った。


「今まで気付いてやれなくてゴメン。」


その言葉にレイは体を大きく震わせたが、結局それが合図となり声を上げて泣いた。
今まで一人で頑張ってきた分、我慢してきた分だけ僕はレイを受け止めなければならなかった。
レイの泣き声や抱きしめたその小さな体を記憶に刻み込む。




















今のレイを二度と...絶対に忘れないように!




















そのレイに今の綾波は似ていた。
いつもの明るさはなく、不安な表情を僕にだけ向けていた。
だからこそ願う、綾波にはレイのような思いをさせてはならない。
僕が護らなければならないと強く願う。



僕はお守りを受け取る。
そして綾波から不安を消し去り、いつものように笑ってほしい為に言葉を綴る。


「ありがとう。」


それは感謝の言葉。
そして大切な言葉。

僕は優しく微笑む。
綾波も微笑んでくれた。

手の中にあるお守り、それは願いが篭められ、託された贈り物。
大切な人からの大切な贈り物だった。





願いが篭められた物、それは二つになった。
一つはレイからの 「幸せになって欲しい」 という願い。
一つは綾波からの 「夢を叶える」 という願い。

僕は今、幸せだと確信している。
叔父さんと叔母さんという家族があり、カヲル君やムサシ達野球部の人達に知り合え、傍には綾波が居る。
幸せになって欲しいというレイの願いは現実となった。

ならば綾波の願いも現実にしなければならない。
その願いは僕の夢でもあるのだから。



僕はグラウンドに向かった。
これから始まる予選、そして夢に挑戦する為に。











大切な人への想い

第弐拾九話 予選大会開幕











僕達第壱高校野球部は球場に入った。
土と天然芝、風と太陽の匂いが立ち込める。
そのグラウンドは今日この日の為に整備は万全だった。
僕は一塁側ベンチを出てそのグラウンドを眺め大きく深呼吸をする。
それでも胸が高鳴り、自分が緊張している事が分かる。 ここから全てが始まる事を考えると無理も無い。

三塁側ベンチには既に相手チームが入っていた。
そこから伝わってくる闘気からやる気満々というのが分かる。
観客の方も既に入っていて自分達の応援するチームの事を気に掛けている。
チラリと一塁側の観客席を見ると、こちら側も同じ様になっていた。

見知った人達が応援に来ていた。
クラスメイトや先生達の応援団、それを見ただけで嬉しくなる。
自分達の夢の為にこれだけの人が来ている事を思うと心強い。
そしてその中にマネージャーである霧島さんと綾波の姿を見付けた。
綾波は僕の事を心配そうに見ている。 ここ最近はずっとこうだ。
心配してくれるのはとてもありがたい、けど僕としてはそんな彼女の顔を見たくはない。
綾波にはいつも笑っていて欲しい、僕はそう切に願っています。
その時、後ろからムサシの声がした。


「遂に始まるな、シンジ。」
「そうだね。」


僕達二人は目の前に広がる野球グラウンドを見詰める。
夢を実現させる、その為にはここから先は負ける訳にはいかない。
その想いだけで気が引き締まる。

今日この日から僕達の夢は動き出す。
甲子園に行くにはこれから始まる予選を勝ち抜かねばならない、例え相手が誰であろうとも...
三塁側に居る相手チームも同じ事を思っている。
僕達の西神奈川地区では合計107校がこの予選に登録されている。
そして全国へ進む事が出来るのはたった1校のみ。

その為の予選が今、この瞬間から始まる。
北から南、東から西、全国各地の高校球児達が同じ想いを胸に抱きながら闘いは始まる。
高校野球、夏の甲子園大会が今年でちょうど第100回を数える予選会が始まったのだ。










☆★☆★☆











「プレイボール!」

審判の宣言と共に試合は始められた。
シンジ達の一回戦の相手はなんと前回の甲子園出場校にしてベスト4の相洋学園、ココとは去年の文化祭の時に親善試合という形で対戦していた。
結果は敗けてしまったが...

そんな訳で、その事が決まった時は一波乱起きた。
対象となったのはもちろんそのカードを引いてしまった運の悪いキャプテンのタツヤだった。
タツヤはその責任を問われて3年生部員全員から袋叩きにされ、さすがに先輩という事もあってか、下級生部員からは免れた。

去年までであったらそこで諦めてしまうのだが、今年の第壱高校野球部はその時より強くなっている。
その要因は各選手達のレベルアップと新戦力である榊リュウスケと速水フジオの参入であった。
リュウスケはチームの象徴たる4番を任され、フジオは1年生で唯一人レギュラーの座を獲得した実力の持ち主である。
このように昨年の親善試合の時よりも格段にレベルアップした新生第壱高校野球部の初陣は始まった。

先攻は第壱高校で既に一番打者のケイタは打席に立っていた。
今まで見せていた幼さは消えていて、落ち着いた表情で相手の投手を見詰める。
ケイタの身長は今では170台の後半に伸びており、ケイタに限らずシンジ達2年生はこの一年で身体的にも成長していた。
少年が青年へと移り変わるように幼さは消え、精悍さが着いてきたのだ。
ちなみに第壱高校のスターティングメンバーは

1番 遊撃手 東ケイタ   右投左打
2番 捕手  渚カヲル   右投右打
3番 三塁手 若槻タツヤ  右投右打
4番 右翼手 榊リュウスケ 右投右打
5番 中堅手 榛名ムサシ  左投左打
6番 一塁手 望月ヨウスケ 右投右打
7番 左翼手 麻生ススム  右投右打
8番 二塁手 速水フジオ  右投右打
9番 投手  碇シンジ   右投右打

となっていた。
そして1番打者のケイタは打席で相手の投手の一球目を黙って待っている。
その目には鋭さが宿っており、相手の一挙手一投足に神経を集中させていた。

相手の相洋学園は去年の親善試合に第壱高校と対戦していた。
彼らは第壱高校の事はある程度は知っているのだが、今ここにいる第壱高校を見てそれは過去の物だと肌で感じたのか気が引き締まった。
相手の投手も負けずにケイタの事を睨み付け、投球体勢に入る。

相手投手のモーションは低く、ダイナミックなオーバースローとは違い、流れるようなアンダースローだった事が特徴的だった。
それを見てケイタも打撃の体勢に移ったが踏みとどまった。
そこに勢い良くストレートが入り、内角の低めに突き刺さり、三塁側の観客席からは歓声が湧き上がる。

思わずケイタは息を呑んだ。
予想以上にスピードがあり、コースも正確に突いてくる。
この一球で投手としては中々の実力の持ち主だとケイタは判断した。
相手の投手も自分の力には自信があるのか笑っている。
しかしケイタはそんな事は気にならないのか、しばらく考えてまた先程と同じように落ち着いた表情を見せる。
そして踏み込む右足を丹念に確認する。


「ケイタのヤツ、誘ってるな。」


ムサシは誰に言うでもなく呟く。
しかしその言葉は第壱高ナイン全員が思っていた。
自然に手に力が篭められ、次の一球を待つ。
ケイタもまた先程のように投手の動作を見逃さないように見詰める。
その姿を見て相洋の捕手はサインを送り、相洋の投手は小さく頷く。
そしてアンダースローからボールが放たれる。

先程と同じコース、ケイタにはそう見えたので思わず手を出してしまう。
内角にボールが来る為、右足を外側に踏み込むと同時にバットを振り抜いた。


「な!?」


しかしケイタはボールが予想したよりも更に内角に切り込んできた事に驚愕した。
変化球、スライダーである。
ケイタの打つ気を利用された形となった。
案の定、内野ゴロとなりケイタの俊足を持ってしてもセーフになる事は無かった。

しぶしぶとケイタは顔に表情を出しながらベンチへと向かう。
だが内心はそうではなかった。


(取り敢えずスライダーが見れたからよしとするか)


去り際にカヲルへと視線を送らせると手を上げていた。
どうやら彼にもスライダーである事が分かったらしい。
ケイタは自分の打席が無駄に終わらなかった事にホッと胸を撫で下ろした。

ケイタ、ススム、加持、そしてマネージャーであるマナとレイが調べたデータでは、相洋の投手は変化球を駆使して打たせて取るピッチングが上げられていた。
ちなみに対戦相手のデータを調べるのはいつもこの5人の仕事であった。
情報収集能力に長けたケイタと加持、ススムはその情報を分析、そしてマナとレイはその3人のサポートをする。
そして弾き出されたのが 「変化球」 と言うキーワードだった。

ここで説明するが変化球といっても数多く存在し、利き腕を基準にして変化する方向が分けられる。
スライダーとは利き腕の逆方向に曲がるボールであり、右利きの投手が投げれば先程のケイタの時のように左打席の方向に曲がってくる。左利きの場合はその逆で右打席の方向に曲がる。
シュートはスライダーとは逆に利き腕方向に曲がる。
カーブの場合は曲がる方向はスライダーと同じだが落差があり低めに投げると効果的である。
このように横方向や縦方向、更にスピードの変化も加わって変化球のバリエーションは豊富である。

その中でも相手の投手の決め球となるのがスライダーだった。
その決め球を見る事ができたのでケイタの役割は十分であったと言える。
だが次の打席に立ったカヲルは何か引っ掛かっている様だった。


(スライダーを見る事は出来たけど...決め球にしては早過ぎる、何かあると見ていいな。
 となると結局は誘いに乗るしかないのか...虎穴に入らずんば虎児を得ずって言うしね)


慎重と言ってしまえばそれまでなのだが、度が過ぎれば取り越し苦労に終わってしまう。
その事は甲子園ベスト4ならば知っている筈とカヲルは考えていた。
そしてその事から、何か切り札となるモノがある、と言う結論にまで達した。

しかしカヲルの予想は当たらず、逆に考え過ぎで結果は凡打となってしまった。
とぼとぼと戻ってくるカヲルにムサシが話し掛ける。


「どうしたんだよ、オマエなら打てないボールじゃなかっただろう。
 それに変化球と言っても読みとタイミングさえ合ってれば...」
「考え過ぎだったかな?
 ちょっと引っ掛かるモノがあってね。」
「引っ掛かるモノ?」


カヲルはムサシだけでなく全員に説明を始めた。
スライダー以外に何かがあるという考え、そして投手データには確かに決め球としてスライダーが挙げられていたが、今回のように早い段階では出す事は無かった。
この二つを照らし合わせて出た推論


「今までのデータに無いモノか...
 確かにその可能性はあるな、春の選抜から大分経つしな。」
「僕達が力を着けたように彼らもまた力を着けた筈だよ。」
「けどそれは自分のチームを信じているんじゃないか?
 だからあんな思い切った事も出来る...」


このカヲルの推論はシンジ達に波紋を投げかけ、その事が後々まで影響するとは今の時点では誰も予想できなかった。
そしてその中をキャプテンであるタツヤがガックリとした表情で帰ってくる。
結局第壱高の攻撃は3者凡退に終わってしまった。










☆★☆★☆











一回の裏に移り、シンジ達は各々の守備に散って行く。
そして三塁側、相洋学園の観客席からは応援が始まった。
さすがに甲子園出場校ともあってその応援は気合いが入っており、シンジ達は面食らってしまった。
屈強な漢(おとこ)達から成る応援団の暑苦しい...もとい、硬派な応援、学園の生徒達からの多大なる声援。
甲子園という大舞台を経験してきただけあって、その迫力は第壱高校のそれを大きく上回る。


「ス、スゴイ応援...
 やっぱり甲子園に出てると違うのかな?」
「応援だけは完全にウチの負けだな。」


シンジはマウンドで素直な感想を漏らす。
そのマウンドには内野手の面々である、タツヤにヨウスケ、カヲルにケイタ、そしてフジオが居た。
彼等もまたシンジと同じ事を話す。
早くも精神的に負けそうな雰囲気になったがキャプテンであるタツヤがそれを一掃する。


「ま、そんなトコだろ。
 それよりもシンジ、頼むぞ。
 ウチの作戦は昨日話した通り変わらない、シンジを主軸として必要ならばフジオと交代だ。
 配球なんかはオマエ達バッテリーに一任するから思いっきりやれ!
 いいか、去年はオレ達が敗けた。
 だが今年は違う、今のオレ達ならば勝てる筈だ!
 そして甲子園に行こう!!」
「「「「「ハイ!!」」」」」


激を飛ばしてそれぞれの守備に散って行く。
しかしカヲルだけは残っていた。
相変わらず何を考えてるか読めない顔をしているのでシンジは不思議に思った。


「どうしたの、カヲル君?」
「いや、なんでもないよシンジ君。
 それにしても一年前からは想像出来なかったよね。」
「...そうだね、けど僕達は今ここに居る。
 カヲル君達には本当に感謝してるよ。 僕をここに連れ戻してくれて。」
「そんな事はないよ。
 僕達はきっかけを与えただけ、ここに居るのはキミがそれを願ったからさ。」
「そんな事ないよ、カヲル君達が居なかったら僕はここに居ない。
 そしていつまでも後悔していた筈...」
「ガラスのように繊細だね、君の心は。
 じゃ、そろそろ始めようか、お客さんも待ってる事だし。」
「うん。」


打席には既に一番打者が入っていた。
カヲルはシンジにウインクをして自分のポジションに向かう。
シンジはマウンドに打ち付けられたプレートを踏みしめ、静かにそして深く呼吸をする。
その時のシンジには周りの声援は耳に入っていなかった。


(始まった...この時が...)


様々な想いがシンジの心の中で交錯する。
自分の仲間、友人、家族、かつての親友と幼馴染み、そして妹のレイと綾波レイ。
その人達が居たからこそ、今の自分があるとシンジは信じている。
そしてシンジは願う、自分と仲間達の夢を叶える為に。




















(逢いに行くんだ、トウジとケンスケに...そしてアイツへの想いにケリを着ける為に!!)



第弐拾九話  完

第参拾話を読む


後書き

最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
やっと野球編が始まりました。
今回からは野球のシーンを真面目に書くつもりなので、あっという間に終わる事はありません。(多分)
それから新キャラも結構出てくる予定です。 なにしろキャストが足りないから...

まだ予選で先は長く険しいんですが、これからもよろしくお願いします。









球児であれば誰もが夢見る甲子園


その甲子園への予選が遂に始まった


しかし一回戦の相手は昨年の代表校である相洋学園


そしてカヲルの言う切り札とはなんなのか?


果たしてシンジ達は勝つ事が出来るのか...










ってな調子で話は進みます、お楽しみに。





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