その時の球場はとても静かだった。
相洋学園のナイン、観客、それどころか第壱高校の観客でさえ静かだった。
球場にいる全員が言葉を失い呆然としてマウンドに立つシンジを見る。

思い出したかのように、主審が判定を下す為に声を出した。
その声がきっかけとなり球場は騒然とする。
相洋学園側からは信じられないという声が上がり、第壱高校側からはシンジを称える為に声が上がる。

シンジは照れ臭そうにしてカヲルからの返球を受ける。
第壱高校ナインからもシンジをからかうように声援を上げる。

そして相洋学園側の人間は気付く。
今、マウンドにいる投手が甲子園にいても可笑しくない実力の持ち主だと言う事を理解したのだ。

まさか一回戦からこんな相手と闘うとは思っていなかった。
そしてこの試合がどれだけ苛酷なモノになるのかが容易に想像できた。



多くの人が見守る中、シンジは2球目の体勢に入った。











大切な人への想い

第参拾話 強大なる翼











シンジの投球は基本的に 「打たせて取る」 スタイルだった。
際どいコースにボールを投げたり、タイミングをずらす事により相手の凡打を誘ったりと、少ない投球数で相手を押さえる。
その事には絶対的な守備への信頼と、捕手であるカヲルの的確な助けがなければならい。
そして第壱高校のナイン達はシンジの信頼に応える。




ガツッ!




とても良い当りとは思えない音と共に打球は転がる。
それをショートのケイタが落ち着いて捕球しファーストに送る。
ファーストのヨウスケがボールを受け取った時、打ったバッターはまだ一塁に着いてはいなかった。


「アウト!」


審判がそれを確認して声を上げると第壱高校のナインは自分達のベンチへと向かう。
一回の裏、相洋学園の攻撃は終わった。
結局第壱高校と同じく3者凡退だったのだ。

相洋学園の観客席では不安の声聞こえたり、苦々しく第壱高校のナインを睨み付ける。
矢張り名前も聞いた事も無い高校に、甲子園ベスト4のチームが押さえられたのが効いているようだ。
特に3番バッター、4番の松田ワタルさえ居なければ4番を任されていても可笑しくない。
その甲子園でも怖れられたバッターがいとも簡単に打ち取られたのが信じられなかった。

相洋学園の野球部はシンジ達の事をある程度知っていたのだが、今の第壱高校は去年とは遥かに違っている事に気付いた。
特に野球部の中でも去年の第壱高校を知らない1年生部員は度肝を抜かれた。
自分達が県内最強と謳われた相洋学園野球部に入部したのに、対戦相手の第壱高校の実力は互角に感じられた。
しかもたった一人の投手によってである。

シンジの1球目のスピードは145km/hを記録していた。
無論その計測に使用したモノは応援に来ていた赤木リツコ特製のスピードガン、しかも改良型である。
速球に関しては全てがそのスピード前後をマークしており、コントロールは相変わらず正確無比。
そして全く同じフォームから投げるスローボールも驚異的だ。
それらを駆使し、カヲルの的確な読み、仲間達の頼もしい守備力が加わり、あっという間に相洋学園の攻撃は終わった。



相洋学園側スタンドではこのように悪い雰囲気に囲まれていた。
が第壱高校側では逆にお祭り騒ぎであった。
それを扇動したのはもちろん応援に来ていた教師で、名は葛城ミサトと言う。
彼女はビールを片手にそして何を思ったのかバニーガール姿でシンジ達を応援している。
果たして彼女がこれでも教師と分かる人間がどれだけ居るのだろうか?
そんな中をシンジはベンチへと向かった。


「シンちゃ〜ん、やるじゃない。
 オネーサンは感動しちゃったわ。」
「ミ、ミサト先生!! なんて格好してるんですか!?」
「フフ〜ン、どう? 嬉しいでしょう。」


ミサトはそう言いながらポーズを決め、シンジにウインクする。
相変わらずなダイナマイトバディを誇示している所はとても三十路には見えない。
シンジはシンジで顔を真っ赤にしながら立ち尽くす。
そしてそこへ 「このままではマズイ」 と思ったレイが二人の間に入る。


「ミサト先生、なんて格好してるんですか!
 それに今は試合中です!
 碇先輩にちょっかい出さないで下さい!!」
「そ〜んな固い事言わないでぇ、レイちゃん。」
「ダメって言ったらダメです!
 それに碇先輩もそんな所に立ってないで早くベンチに入って下さい!!」
「ハ、ハイ!!」


シンジはレイに注意されベンチに急いで戻って行く。
それを確認したレイは再びミサトに向かって注意する。


「ミサト先生、とにかく着替えて下さい!
 それからビールもダメです!!」
「そ〜んな冷たい事言わないでよぉ、レイちゃん。
 あ、そっかぁ、シンちゃんが見ていいのはレイちゃんだけなんだぁ。」
「な、な、な、なに言ってるんですか!!!
 私はそんな事考えてません!!」


耳まで真っ赤にして反論するレイだが酒の入ったミサトの敵ではない。
それどころか面白い酒の肴が手に入ったのでミサトのビールの量は更に跳ね上がる。
そしてまたレイをからかうという悪循環が形成された。


「無理しちゃってぇ。
 好きな人には自分の全てを見て欲しい。 これは女の真理なのよ。
 そ・れ・と・も♪ 自信が無いのかなぁ?」
「キャアァァアア!!
 変なトコ触らないで下さい、ミサト先生!!」


ミサトはレイの肉体を撫で回す。
どうやら完全に酔いが回っているようだ。
そして一通り触り終わると一言


「フ、勝ったわ。」


勝ったと言っても自分の半分しか生きていない女の子に対してそれは無いだろう。
だがその一言を聞いたレイは豹変する。
グラウンドでは第壱高校対相洋学園の闘いがあるように、こっちではミサト対レイという女の闘い始まった。


「何言ってるんですか!
 碇先輩は優しい人です、そんな事を気にする筈がありません!!」
「フフン、負け惜しみ?
 やっぱりこ〜ゆ〜格好はスタイルが良くないとできないわよねぇ?」
「な...私だってまだ大きくなります!
 成長すれば私だってそれぐらいは...」


第壱高校ベンチのちょうど真上で女の闘いは繰り広げられていた。
シンジはその会話を聞いて想像力をフル回転させ、顔を真っ赤にして俯いている。
ムサシはムサシで鼻血を出しながらも次のバッターなので準備に勤しむ。

ここ第壱高校側のスタンドでは明らかに相洋学園側とは違う空気が漂っていた。










☆★☆★☆










打席にはリュウスケが立っている。
だが視線は第壱高校ベンチに向けられている。
恥ずかしそうな顔で女の闘いを見ていたようだ。

しかし観客席にいるカナの姿を見た途端に真顔に戻る。
そのカナはリュウスケの事を心配そうに見ていた。
矢張り、こう言った大舞台なのだから心配になるは無理も無い。

リュウスケはそんなカナを落ち着かせる為に微笑む。
そして意を決してマウンドに立つ投手に向かう。
すると心臓が大きく鼓動した。


(どうやら緊張しているようだな、オレは。
 だけど悪くない、テニスじゃこんな気持ちを味わえなかったからな。
 今オレはココいる、テニスのコートではなくて野球のグラウンドにだ。
 矢張り戻ってきて良かった)


リュウスケ自身は気付いていないが笑っていた。
4年ぶりに立つ公式戦の打席にいたからである。
緊張よりも勝る野球ができる事への歓喜の気持ちから知らず知らずに笑っていた。


(さて、始めるか。
 カヲルは、何か切り札がある、と言っていたが結局それを引きずり出すには、決め球であるスライダーを崩すしかない。
 ならば狙いはスライダー...と。
 問題はそれがいつ来るかだ。
 ケイタの場合は2球目だった...となると早めに警戒しておいた方が良いな)


狙いを決め、リュウスケはバットを軽く振ってから相手投手を睨み付ける。
その時、相洋学園の松田ワタルは記憶の中から何かを探し始めた。


(アイツ、何処かで...)


ワタルがその事を考える中、1球目が投げられた。
コースは内角に入り過ぎてボール球だった。
だがリュウスケは打つ体勢に入る。


(曲がる筈! しかもスライダー!)


そしてリュウスケの考え通りにボールはストライクゾーンへと曲がる。

元々変化球はストレートの速球に比べるとスピードは遅い、多少例外はあるが。
そしてスライダーは曲がり始めるタイミングが早いので、空振りを狙うよりは打たせて取る方に良く使われる。

リュウスケの予測通りスライダーが来た。
狙いさえ合っていれば変化球などは怖くは無い、逆に変化球は球威が無いので絶好のチャンスになる。
そして迷わずバットを振り抜く。





ガキン!





スイングは鋭く、狙いはドンピシャ!
打球は快音と共に大空へと飛び立ち、誰もがその打球の行方を追う。
飛距離は十分だった。
しかし狙い過ぎたのか打球はポールの外側に無情にも飛んでいく。
そして三塁の塁審はファールの判定を下した。


「チッ! 引っぱりすぎたか!」


リュウスケは悔しそうにその言葉を漏らす。
その一方、相洋学園のナイン達と観客は呆然としていた。
自分達のエースが、しかも甲子園でもその名を知らしめた力がいとも簡単に打たれたのだ。
そしてワタルは打席に立つリュウスケが誰なのかが分かった。


「間違い無い...第参中の榊リュウスケだ...
 戻って来たのか...アイツが。」


ワタルはかつてのリュウスケの姿を思い出す。
類稀なるセンスと読みで数多くの投手を打ち破っていた時の姿が脳裏に甦る。
そして忽然と野球を辞めた話も思い出した。


「第壱高校に居たのか...アイツが...
 しかし何故今になって野球を...
 マズイな、碇シンジだけでも頭が痛いのに榊リュウスケまで...」


ワタルの頬に冷や汗が流れた。
第壱高校が碇シンジと榊リュウスケという大きな翼を手に入れ、自分達の上を飛ぼうとするのが分かった。
しかしそれでもワタルは不敵にも笑う。
かつて闘う事ができなかった相手が今、目の前に居る。
そして更なる強きモノと闘える事への歓喜が全身に走る。


「面白い、矢張りこうでなくてはならない!
 オレにとっても榊リュウスケにとっても、これが最後の夏。
 総てを懸けて闘わなければオレの夏は終わらない!!」


ワタルは新たなる決意を持ってシンジ達第壱高校を見据えた。










☆★☆★☆










相洋学園ナインの大半がマウンドに集まった。
2回にしてまさかの危機的状況であるから当然だ。
その中でワタルは4番であるリュウスケの事を説明した。


「榊リュウスケ...聞いた事がある。
 けどアイツは野球を辞めたんじゃなかったのか、ワタル?」
「ああ、オレもそう思っていたんだが、どうやら戻ってきたみたいだな。
 アイツのフォームは忘れんよ。」
「アイツ、完全に読んでいた。 スライダーが来る事を...
 マズイな、榊リュウスケまで相手にしなきゃならないのか...」


リュウスケと同じ学年である3年レギュラー達は彼の事を知っていた。
そして一気に敗戦ムードに支配される相洋ナイン達。
しかしワタルはこうなる事は予想していた。
チームの象徴でもあるワタルは嫌な雰囲気を消し去る為にナイン達を奮い立たせる。


「良いではないか、どんな経緯でヤツが戻ってきたかは知らないが、オレ達が成すべき事は変わらない。
 忘れたのか、オレ達が去年どれほど悔しい思いをしたのかを。
 今年はその雪辱を晴らす為にやってきたんだ、こんな所で立ち止まる事はできん!
 甲子園に行くのはオレ達相洋学園だと言う事を思い出せ!!」


不退転の決意でワタルはナイン達を勇気づける。
チームの象徴である4番にしてキャプテンでもあるワタルにはなんの迷いも無い。
絶対的な自分達への自信、それがワタルにはあった。

どれだけ自分達が辛い思いをして練習に励んできたのか、そして自分達が目指すモノは全国制覇。
シンジ達に夢があるようにワタル達にも夢がある。
どちらも同じ想いを抱き、頑張ってきた。
双方とも敗ける気は無い。 それが当たり前である。
その事をワタルは自分の仲間達に思い出させる。


「そうだったな、危なく忘れてしまう所だった。
 全力は尽くす...だから頼むぞ、みんな。」
「当ったり前だ!
 ピッチャーだけに任せてられるか、打たれてもオレ達が居る!
 だからオマエは思いっきり投げろ。」


第壱高校にシンジとリュウスケという翼があるように、相洋学園にはワタルという翼がある。
実力は同じ、後はどちらが高く飛べるかが問題になる。
その為にはチームへの信頼が必要だった。
そして相洋学園のナインは守備へと散って行く。


「じゃ、ワタルは碇シンジを倒せよ。
 信頼してるぜ、キャプテン。」
「任せな。 必ず打ち崩してやるぜ!
 それに...な。」
「分かってるって、ウチにだって...な。
 オレとしてはちょっと悔しいけどな。」


相洋学園のピッチャーがワタルに話し掛けた。










☆★☆★☆










その頃、リュウスケはムサシと話していた。


「さすがですね、スライダーを完全に読んでいたなんて。」
「そんな事はないさ、ムサシ。
 だがこれからは難しくなるぞ、今まで以上にな。
 ...相洋のヤツら、プレッシャーが消えている。 さすがだな、松田ワタル。」
「? 知ってるんですか、榊先輩は。」
「中学ン時に、ちょっとな。」


ここで説明するが、リュウスケとワタルが中学に入学した頃、二人はその実力から将来を期待されていた。
当時は 「第参中の榊リュウスケ」 、 「第四中の松田ワタル」 と並び称されていたのだ。
そして突然のリュウスケの退部、それからのワタルの活躍。
彼等二人はお互いの事を知っていた。


「じゃあ、出てきますかね。」
「ああ、カヲルの言う切り札がな...」


リュウスケは静かに打席に向かう。
第壱高校ベンチでも二人と同じ考えを持っていた。
シンジ達はリュウスケの打席から目が離せないでいる。

そして試合は再開され、ボールは投げられた。
リュウスケへの第2球は外角に外れてボールとなる。
相手投手は微動だにしなかったリュウスケの事を感心したように見る。


「矢張りこんな球じゃ通じないのか...」


だが不思議と焦りはしなかった。
自分とナインへの信頼、それ故に。
その信頼の元に3球目が投げられる。


(内角ギリギリか...いや、違う!)


だが、敢えて打ちにいった。
ボールはシュートして更に内角に切り込んでくる。
リュウスケはそれを上手くカットしてファールにする。


(これでお膳立ては揃ったな)


リュウスケはワザと自分を追い込んだ。
2ストライク、1ボール。
これならば相手は動く筈だと踏んでいたのだ。

スタンドの方では気分が一転し、相洋学園側では良い雰囲気に、第壱高校側では嫌な雰囲気に囲まれた。
そんな思いを余所にグラウンドでは腹の探り合いが繰り広げられる。


(どうする、カウントには余裕があるから外すか?)
(いやダメだ、さっきのアイツを見ただろう。
 生半可なボールでは投げるだけムダだ、それに...)
(そうか...分かった、思いっきりやれ!)


相洋バッテリーは腹を決めて4球目を投げた。
スピードは速くコースは外角ぎみ、リュウスケはその速さからストレートだと瞬時に判断して打ちに行く。
しかしリュウスケの表情は凍りつく。


「何?!」


スライダーだった。
しかも1球目のスライダーとは違い、ストレート並みの速さを持つ。
だがリュウスケは上手くボールを引っかけてファーストの頭上を越える打球を放つ。
ポテンヒット、そうなる筈だったが長打を警戒して守備陣は深く守っていたのが幸いした。

リュウスケは一塁を蹴り二塁に向かう。
ライトが急いでボールを取り二塁に返球する。
守備陣が自分達に掛けられた期待に応えようと全力でフォローした。
そしてセカンドベース上でクロスプレーとなり、二塁の塁審に全員が注目する。


「セーフ!」


その時、球場は震えた。
第壱高校スタンドからは喜びの声が、相洋学園スタンドからは悔しい声が響き渡った。
リュウスケは土を払いながら、ふとスタンドにいるカナに視線を送る。
するとカナは自分の事のように喜んでいた。
良く見ると、以前在籍していたテニス部のメンバーも応援に来ていた事が分かった。
辞めた部の仲間が自分の為に応援してくれていた事がとても嬉しかった。


「帰ってきて良かった。」


例えようも無い充実感がリュウスケの体に満たされてくる。
しかし次の瞬間には険しい顔になりマウンドを見据える。


(ストレート並みのスピードのスライダー...高速スライダーか。
 正直言って辛いな、それにさっきとは違ってあまり動揺していない)


リュウスケの思う通り、相洋ナインは落ち着いていた。
その大きな要因である松田ワタルに対する考えをリュウスケは改めた。
このように実力が均衡していると、精神的な支えが大きなウエイトを占める事を知っていたのだ。
それと同時に自分もナイン達の支えになっているかを考えねばならない。

相洋学園に勝つ為には更なる強さが求められた。



第参拾話  完

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