「高速スライダー?」
「ハイ、Hスライダーとも言うんです。
 ストレート並みのスピードでありながら、スライダーのように曲がるボールです。
 かなりマズイですね、あれをストレートなんかと混ぜて使われると...」
「じゃあ、あれが切り札なのかな。」
「そう考えても可笑しくありません。
 カウントは追い込まれていたから、打ち取る為にあそこで出てきても不思議じゃないですね。
 榊先輩だってあれはストレートだと思ったから打ちにいった筈です。
 あれを打ったのは瞠目に値しますよ、さすがです。」


変化球を得意とするフジオが先程の変化球を説明する。
Hスライダーを目の当たりにした第壱高校ベンチは一転して嫌なムードに置かれた。
ただでさえあの投手に押さえられて、しかも切り札ともいえるHスライダーを投げてくる。
勝つ為にはあの投手を打ち崩すしかない、だが自分達に出来るのだろうか、という課題が出てきた。











大切な人への想い

第参拾壱話 エースと四番











ブウン!
「うわぁ!?」
ドシャ!


派手なスイングと情けない声を上げてムサシは倒れ込む。
そして土で汚れたユニフォームのまま相手投手を睨み付けた。

2回の表、ノーアウト、ランナー二塁、そしてカウントは2ストライク、1ボール。
早くも追い込まれてしまった。


(マジでヤッベーな、あの変化球。
 それを打った榊先輩を尊敬しちまうぜ)


土を払いながら体勢を立て直す。
そのムサシの表情には焦りの色が見えていた。
折角のランナーを無駄にしない為にも、普段からは考えられないほど頭をフル回転させて打開案を考える。

そして考えた末にムサシはある結論に達し、それが最善の手だという事を自分に言い聞かせる。
ムサシはピッチャーに向き直り、鼻をこする仕草をした。
だが視線はピッチャーにではなくリュウスケに向けられていた。


(オレには到底無理です、榊先輩、後は頼みます)
(ムサシのヤツ...)


リュウスケはムサシの考えを理解してその準備に取り掛かる。
ムサシは緊張の中、次のボールを待つ。
「やらなければならない」 ムサシの頭にはその言葉しか無かった。





そしてボールは投げられた。


ザッ!


リュウスケはそれより少し早く、ピッチャーがモーションに入った時に走り始めた。
それと同時にムサシはバントの構えになる。
送りバント。 ムサシの出した結論はこれだった。
完全に虚を突かれたのかピッチャーはコースを外す事は出来ず、ボールはストライクゾーンに突き進む。


「チッ!」


バントのフォローをする為に相洋の内野は動き出した。
そしてボールは上手くバットに当たりフェアグラウンドに落ちる。
狙ったのかそれとも偶然なのか、一塁線ギリギリにボールは転がり際どい状況に陥る。
その時ムサシにだけ第壱高校スタンドから自分の事を呼ぶ声が聞こえた。















「走れ、ムサシ!!」


言わずもがな、マナだった。
その声を聞き、ムサシは自然に体が動き一塁を目指す。
そしてボールがラインギリギリに転がったのが幸いして相洋の返球が遅れた。

ムサシは掛け声と共にヘッドスライディングを決め、一塁を奪い取ろうとする。
それと同時にファーストミットにボールが届く。
砂煙を舞い上がらせ、全員が一塁の塁審の判定を待った。
だが聞こえてきた言葉は...


「アウト!」


惜しくもムサシは間に合わなかった。
しかし送りバントは成功し、リュウスケは三塁に進んでいた。
それでも悔しいのか、ムサシは拳を地面に叩き付ける。
あの時、聞こえた声に応えられなかったからなのか...





「惜しかったですね、榛名先輩。」
「全く、送りバントなのに自分までセーフになろうだなんて贅沢よ。」


第壱高校スタンドでは、ムサシの活躍を見てレイがマナに話し掛ける。
口では悪態を着いているがマナのムサシを見る目は明らかに違う。
マナのそんな表情を見てレイは知らずに微笑んだ。










☆★☆★☆











状況は1アウト、三塁。
第壱高校にしてみればチャンスであり、相洋学園にしてみればピンチである。
自然と応援にも熱が入るのも無理ないのか、あちこちから声援が上がる。

相洋の守備陣は既に展開され、無論バックホーム体勢である。
スクイズやホームへの返球の為に前進守備に配置されている。
アウトカウントと打順から見れば当然スクイズと考えるのだが、このように守られるとやりにくい。
しかも守備への信頼があるお陰で、六番バッターのヨウスケはあっという間に追い込まれてしまった。
2ストライク、2ボール。 ヨウスケは非常にヤバイ状況に置かれた。





(あんなボールどうやって打てばいいんだよ...
 打てたリュウスケはもちろん、送りバントにしたムサシも良くやったな...)


だがそれでも後を任されたからには打たなければならない。
ヨウスケは気持ちだけが先走り、冷静さが失われていた。
素人が見てもそうと分かるので、キャッチャーはサインを決めヨウスケを打ち取る為にボールを待つ。
第壱高校ベンチでもその事が分かり焦ってきた。


「マズイ。 ヨウスケのヤツ、かなり焦っている。」
「けど、あのピッチャーをなんとかしろ、と言われても難しいですよ実際。」


タツヤの言葉にムサシが答える。
先程の打席で自分が当てたのでも、かなり運が良いと思っていた。
だが嫌な雰囲気に囲まれている第壱高校側に、天の助けともいえる声援がヨウスケに掛けられた。


「ヨウスケ、男だったらなんとかしなさい!!」
「ミ、ミドリ!?」


ムサシがマナの声を聞き取れたように、ヨウスケにもミドリの声が聞き取れた。
ヨウスケがその声の方向に視線を送らせると、いつもの見慣れた顔がそこにあった。 しかも怒っていた。
だがその姿を見た時、ヨウスケの体から焦りが消えて行く。


(ったく、相変わらずやかましいな...でも助かったぜ。
 オレもムサシに続くとするか)


落ち着きを払い、ヨウスケはピッチャーを見据える。
先程とは打って変わって自然体だった。
そしてリュウスケにスクイズのサインを送る。
カウントは追い込まれているのだが、それが却って吹っ切れたのか賭けに出た。
リュウスケと第壱高校ベンチではそのサインを確認し緊張が走る。


ザザッ!


その緊張の中をピッチャーは投球モーションに入った。
それと同時にリュウスケはホームベースに向かって走り出す。
だが相洋学園とて、伊達に甲子園には出ていない。
スクイズと分かった瞬間にバッテリーはボールを外し、内野は各々のやるべき場所に散って行く。


「こなくそ!!」

ガツッ!


だがヨウスケは諦めない。
まるでこうなる事を予想していたかのように、体を大きく伸ばしてバットにボールを当てる。
無理な体勢になった為にヨウスケはバランスを崩してしまい倒れ込む。
そして視線をボールに向けると上手くフェアグラウンドに入っていたのでホッとした。
しかし途端にヨウスケの表情が凍りつく。


「なに!?」


あまりにも相洋学園の対応が速かったのだ。
ボールはあっという間にホームに返球され、クロスプレーとなる。

ホームベース上にはリュウスケがヘッドスライディングで起こした砂煙で視界が遮られた。
主審はその砂煙が収まるのを待つ。
その収まるまでの時間はここにいる者達にとって、とても長く感じられた。
そして主審が見たモノは...


「セーフ!!」

ワァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!


リュウスケの伸ばした手はベースの端に置かれていた。
相洋キャッチャーのボールの入ったミットはリュウスケの手には届いていなかった。

主審の声を聞き、第壱高校スタンドからは歓声が湧き上がる。
生還したリュウスケはガッツポーズでベンチに帰ってくる。
それに遅れてヨウスケも帰ってきた。

結局ヨウスケはあれから一塁を目指して走ったのだ。
だが相洋学園は立ち直りが早く、ホームがダメだと分かるとファーストに返球しアウトとなった。

2回の表、1−0
第壱高校対相洋学園、先制したのは第壱高校だった。










☆★☆★☆











相洋学園ベンチでは得点を入れられたのを見て、一人の少年が突然立ち上がった。
身長は低く、恐らく170cmに満たない。
だが彼の視線は鋭く、第壱高校ベンチを捕らえて離さない。
彼にはこれといった表情は無く、気配を感じさせない。
その姿は見る者に冷たい印象を与える。
そして彼は感情の篭らない声で監督に一言だけ喋る。


「...出ます...」


その一言に驚いたのか相洋ベンチにいる全員が彼の事を見る。
しかし彼はそんな事は気にもせず第壱高校を見据える。
その彼を見た監督は、なだめるように話す。


「落ち着けシンヤ、オマエが出るのは早い。
 ...それにウチのチームを見てみろ。」


監督の言う通りグラウンドにいる相洋ナインを見ると、何事も無かったかのように彼等は守備に着いている。
そしてワタルだけは立ち上がったシンヤと呼ばれた少年をじっと見ていた。
まるで 「オレ達に任せておけ」 と言わんばかりの迫力だった。


「分かったか?
 まだ2回だ、オマエが動くのには早い。」


その口調は穏やかだったが、監督の視線はシンヤを捕らえ反論を許さない意志が篭められていた。
シンヤはその事に納得したのか大人しく引き下がった。
監督はそれを見ると再びグラウンドに視線を戻し呟く。


「まだ...な。」










回は2回の裏に進んでいた。
残念な事に七番のススムは内野ゴロに終わったが、早い内に得点した第壱高校側は意気揚々としている。
この勢いに乗れば一気に勝負が着くかのようにも思える。
だがそれを一蹴するかのように相洋学園の四番、松田ワタルが打席に立つ。

彼が放つ不思議な迫力によって第壱高校スタンドは静まり、相洋学園スタンドからは声援が上がる。
四番というだけでその存在は、周りに大きく影響するのだ。

しかしシンジ達は動揺しない。
自分達の力を信じているのだろうか、或いは勝てると確信しているのか。
シンジがワタルを見据えると静かだった第壱高校スタンドから歓声が上がった。
エースという存在もまた、周りに大きく影響する。
シンジが落ち着いている中、カヲルが目で話し掛ける。


(文化祭の雪辱を晴らす時だね、シンジ君)
(あの敗け試合は貴重だったよ、俄然やる気が出てきたから...今日、この日の為に)





シンジとワタルの眼光が鋭くなり、二人の放つ重圧が互いを牽制する。
二人の闘いは既に始まっていた。 お互いに変化が現れないのを見ると今の所は互角であろう。
しかし周りに居る仲間達はそうではない。
二人が放つ見えない重圧によって汗が滲み、目が離せない。
エース対四番、この二人の対決は誰にも予想出来ない。


(...そういえば前にも...)


不意にシンジは思い出す。
かつて今のようなエース対四番、それを経験した事を...
そして誰もが注目する中、バッテリーのサインは決まり一球目が投げられた。










☆★☆★☆











ガキン!

力強い音と共に打球は三塁線を駆け抜けようとする。
通常ならばそのままサードを抜けて行き、長打になるのは確実だった。
だがサードの反射神経が優れていたのか、瞬時に横に飛び打球を止める事に成功した。

そのファインプレイに相手側からは 「おお...」 というどよめきが起こったが、一瞬にして笑いに変わる。
その理由はサードのその後のであり、捕球までは良かったのだがファーストへの送球の時にバランスを崩し派手に転倒、グラウンドに突っ伏してしまった。


「なにやってんだ、サード。
 それでもレギュラーか?」
「やっかましい!
 あの打球が取れたんだから、少しは褒めろ!」


相手側のヤジにもめげず、サードは言い返す。
軽い言い合い、このグラウンドでは一つの試合が行われていた。
だが両チームを見ると同じユニフォームで、敵同士にしては妙に親しげである。

なんの事はない、ここではチーム内で二つに分かれての紅白戦が行われていたのだ。
そして試合は終盤に進んでいた。


「ドンマイ。
 気にする事は無いよ、あと一人で終わりだから。」


ピッチャーがサードに対して励ます。
そのピッチャーは優しく笑っていた。
一見すると線が細くて中性的な顔をしているので、優男という印象を与える。
しかしその実力には計り知れないモノがあり、県内では怖れられていた。


「さっすがウチのエース!
 じゃ、頼むぜ。」
「うん。」


ピッチャーはサードに微笑みを浮かべながら返事を返す。
その微笑みには定評があり、同じチームには勝利の微笑み、敵チームには悪魔の微笑み、そして女の子には一撃必殺の微笑み、そう評されていた。
けど本人にはその意識が無いのがもっと怖いという噂もある。

しかし次の打者が打席に入るとその笑顔は消え、闘う男の顔になる。
チームの四番が打席に立ったのだ。
そしてバットをピッチャーに向けて先程の言葉に対して言い返す。


「あと一人で終わりやとぉ? んな事させてたまるか!
 ワシがホームラン打って、逆にこの試合を終わらせたるわ!!」


四番は不敵に笑い、流れをこちらに向けようとする。
しかし実力も兼ね備えてあるので、その言葉には真実が篭められているかもしれない。
同じチームのエースと四番、彼等の実力は甲乙を着けられない。
それ程までに二人の力は均衡していた。

この打席で試合が決まる。
その緊張の中、誰もが見守る中、ボールは投げられた。










☆★☆★☆











ガキン!

ボールはバットに当った。
しかし打球は高く上がっただけで、ピッチャーの元に落ちてくる。
シンジは落ち着いてボールをキャッチし、ワタルとの対決を終わらせる。

あれから3球が投げられ、ピッチャーフライによりシンジに軍配が上げられた。
その配球は全てストレートで切り札であるフォークは温存していた。
シンジはホっと安堵の表情を浮かべ、逆にワタルは悔しそうに自分の手を見ていた。


(やはり去年とは違うか)


ワタルはグッと手を握り締め打席を去る。
寡黙な表情をしていたので相洋ナインは不安に駆られたがシンヤに話し掛けられた。


「...出ましょうか...」
「まだ始まったばかりだ、その必要は無い。」
「碇シンジ、彼に勝てるんですね...」
「当たり前だ。」


シンヤの問いにワタルは自信に満ちた顔で答える。
その顔はいつも見せている顔であり、甲子園で見せていた顔でもあった。










四番との対決もひとまず終わり、シンジは空を見上げて深呼吸をする。
雲が流れる青い空を見ながら再び過去を振り返る。
いつの日か四番と闘った日の事を思い出す。










☆★☆★☆











ガキン!

「よっしゃあ!!」


打球を見て四番はガッツポーズを決める。
ボールはセンター方向にグングンと伸びていく。
スイング、打球の角度、そして打った時の感触。 その事からホームランになる事を確信していた。

しかしセンターは打球の音にいち早く反応し、落下予想地点の近くまで来ていた。
そしてフェンスギリギリの所で大きくジャンプする。


「なんやてぇ!?」


その声はセンターがホームランになるボールをキャッチしたと同時に響いた。
ピッチャーはそのセンターに微笑む。
まさしく勝利の微笑みだった。





−−−−−決着は着き、試合は終了した。
そしてピッチャーと四番は互いに握手をする。
一見するとセンターの活躍があった為、本来ならば四番の勝ちと見るのだが実は違う。
その事は四番には分かっていた。


「やっぱオマエにはかなわんな。」
「そんな事無いよ、センターの活躍が無ければ...」
「まった、相変わらず謙虚なやっちゃなぁ。
 オマエは守備を信頼していた、だからオマエの勝ちや。
 ワシにはそんな余裕はなかったんや。」


四番は男臭い笑みを見せ、ピッチャーもまた微笑む。
互いが互いを認め合い、切磋琢磨する。
二人の関係は良き親友でありライバルでもあった。


「ええか、今回はワシの敗けや。
 だが次はそうはいかんで! 覚悟しとけや、シンジ!」
「そのセリフ、前にも聞いたような気がするんだけど...気のせいかな、トウジ?」
「カーーーーーーーーーーー!
 なんちゅうヤツや、オマエは!」
「ハハハハハ。」


尊敬する四番であり、偉大なるライバルである 『鈴原トウジ』 からの挑戦状だった。





















シンジは遠き過去を思い出し、少し感傷的になる。
だがそれはすぐに思い直された。 「過去を振り返るのは、感傷的になるにはまだ早い」 と。
今の自分がやるべき事は、目の前にいる敵を倒す事、ただそれだけである。

シンジは次のバッターを見据える。
そして勝つ為に、自分達の夢の為に闘う。



第参拾壱話  完

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