「ハァッ!」
ズバァン!
シンジの投げたボールがミットに突き刺さる。
7回の裏、最後の打者である六番バッターのバットは虚しく空を切る。
そして主審はストライクの判定を下し、その回の終わりを告げる。
シンジは四番のワタルの2ランホームランの後の五番、六番を見事三振に打ち取った。
フォークボールを使う事無く、力強いストレートのみでケリを着けた。
そのピッチングはまさしく自分が想い描くエースの像を実現するかの様だった。
そして試合は終盤に移った。
あとたったの2回だけの攻撃で逆転しなければ今年の夏が終わってしまう。
その1点を追う第壱高校は自然と気合いが入る。
しかしそんな第壱高校を突き放すかのように相洋学園はピッチャーの交代を告げた。
大切な人への想い
第参拾参話 切り札と呼ばれる少年
8回の表、第壱高校の攻撃に移ったと同時に相洋学園からピッチャーの交代が告げられた。
そのピッチャーは 『三条シンヤ』 1年生の少年だった。
170cmに満たない小柄な体型のピッチャーがマウンドに立った時、第壱高校ベンチからざわめきが起こった。
「誰だ、アイツは?」
相洋学園のエースの降板とデータに全く無い少年、そして試合が終盤に差し掛かった時の交代劇。
第壱高校に動揺を起こすのには十分過ぎる材料だった。
ビュッ!
...スパーン!
三条シンヤと呼ばれる少年が投球練習を始める。
左利きでアンダースロー、それ以外はこれといった特徴が無い。
静かなフォームであり、投げたボールも先程まで投げていたピッチャーに比べると見劣りする。
故に彼の表情があまり無い事に注目が集まった。
見る者に冷たい印象を与える光の宿らない瞳。
彼の目には何が写るのか? そして何を望むのか?
あまりにも異質な球児の為に第壱高校ベンチに緊張が走った。
「三条...シンヤ...と。
えーと、1年生で唯一のレギュラーか。
確かにピッチャーとして登録してあるようだけど、これといった特徴はありませんね。」
ケイタが相洋学園のデータノートを見る。
そのノートには相手に関する事が、事細かく書かれており今日の試合の為に作られたモノだった。
どこで入手したのか全く分からない内容がそのノートには書かれていたが、三条シンヤに関する事は全く無かった。
そこで1年生という事もあってか同じ学年であるフジオに意見を求めた。
「三条シンヤ...聞いた事ありませんね。
あんなヤツ、初めて見ますよ。」
「だが今この場でマウンドに立っている。
どう考えてもかなりの実力があると見るべきだ...」
第壱高校は未知数である相手を前にし、どう対処すべきか迷う。
既に投球練習は終わり、打席には六番バッターであるヨウスケが入っていた。
兎にも角にも塁に出なければ勝つ事は出来ない。
そしてシンヤが大きく振りかぶり、ボールを投げる。
投球練習の時と同じ様に静かなフォームだった。
だがその時のヨウスケは自分の目を疑った。
フォンッ!
「え?」
スパァン!
球場全体が静寂に包まれ、ヨウスケの頬に冷たい汗が流れた。
そして誰もが信じられなかった。
静かなフォームと何も感じさせない表情、その二つを持って繰り出した豪速球。
それはシンジと同等の速さを持っていた。
現にリツコ特製のスピードガン(改良型)は145km/hという数字が点滅していた。
第壱高校ベンチには戦慄が走った。
それと同時に第壱高校スタンドではレイとミサトがリツコに言い寄っていた。
内容はもちろんスピードガンの数字である。
シンジ以外の人間にあれほどまでの豪速球が投げられるとは信じられなかった。
「ちょっとどういう事なんですか、この数字は?!」
「そうよリツコ、なんでシンジ君の他にこの数字を叩き出せるピッチャーが居るのよ!
ひょっとして壊れてるんじゃない、このマシン?!」
「ちょ、ちょっと、落ち着きなさい二人とも。
それから信じられない事かもしれないけど、これは事実よ。」
自分でも信じられないのかスピードガンをチェックしてみる。
しかし何処にも異常は無く、その数字が事実である事を示している。
この土壇場で登場した無名のピッチャーは、第壱高校にとどめを刺す為の切り札。
それは揺るぎ無い事実であった。
残りは僅か2回、その短い間で最低でも1点をもぎ取らなければならない。
それがどれほど困難なモノかは、なまじ同等のスピードボールを投げるピッチャーが居る第壱高校には十分過ぎるほど分かっていた。
「一体どうなってるんだ、これは?
フジオは本当に知らないのか?
あんなボールを投げるヤツだったら嫌でも有名になるだろう。」
「ホ、ホントに知りませんよ。
あんなヤツ、見た事も聞いた事も有りませんよ。
それに学年的に言ったら先輩達も知ってる筈でしょう?」
フジオの一言に全員が黙ってしまった。
データに全く存在しない少年、三条シンヤ。
去年の夏の練習試合の時、シンジがその実力を知らしめた時と同じであった。
シンジと同様に、その体に想像を絶する力を備える。
たった1球で相手を黙らせる豪速球を投げた。
そして当時のシンジと同じ様に輝きの無い瞳を持つ。
彼のその異質な存在は圧倒的であった。
「ふむ...」
今まで傍観を決め込んでいた加持の目が鋭く光る。
彼の目は相手のピッチャーであるシンヤの事を捕らえて離さない。
一挙手一投足を見逃さないように集中していた。
そしてシンヤがキャッチャーからの返球を受けた時、加持の考えはある推論に至った。
「ひょっとしたら...いや、そうに違いないな。
リッチャン、すまないが一つ頼まれてくれないか?」
加持はベンチから出て観客席に居るリツコに話し掛けた。
その突然の一言に全員が注目する。
なにしろ監督らしい事を全然やっていなかったのだから無理も無い。
加持に呼ばれたリツコも少し驚いて聞き返す。
「どうしたの、加持君?
こんな時に頼みって...あいにくだけど、これといったモノは持ってきていないわよ。」
「い、いや、そう言う事じゃないんだ。
ちょっと調べて欲しいんだ、あの三条シンヤという少年を。
彼の経歴が知りたい。」
「...分かったわ、少しだけ待ってね。」
リツコは加持の考えを読み取り、懐から携帯端末を取り出す。
そして手慣れた手つきでアクセスを始める。
アクセス先はもちろん第壱高校のMAGIシステムで、そこから各ネットワークに侵入しようというつもりだ。
その間に周りの人間は加持が何をしようとしているのかが分からず質問をする。
「一体どういう事なんですか、加持先生。
いきなりアイツの経歴が知りたいだなんて...」
「もしオレの推測が正しければ、彼にデータが無いのは当たり前だ。
恐らくは初めてなのだろう...野球をやるのは。」
「「「「「ええ?」」」」」
第壱高校ベンチでどよめきが起こると同時に、リツコの端末にシンヤのデータが表示された。
そのデータを見た時、リツコの黒い眉が僅かに動く。
親友のその些細な変化を読み取り、横に居たミサトは身を乗り出して端末を覗き込む。
その直後、ミサとの目は大きく見開かれた。
「な、何よこれ?!
柔道、剣道、空手...陸上にテニスにサッカーに...って、一体いくつあんのよ?!」
ミサトはそのデータに表示されたシンヤの表彰の数々を早口で読み上げる。
その異変に気付き、全員がミサトの方に注目した。
結局の所、三条シンヤという人間はありとあらゆるスポーツを総ナメにする実力の持ち主。
天賦の才能−−−−− 彼はそれを持って様々なスポーツを渡り歩いてきた。
そして此処、野球に流れ着いたという経歴だった。
その事実に第壱高校側は暗く沈む。
ちょうどその時、三振に終わったヨウスケが重い足取りで帰ってきた。
「どうだヨウスケ、彼の力は分かったか?」
「加持先生...分かったも何もあんな球は打てないですよ。
認めたくは無いですけど、シンジと同じスピードですね。」
いつに無く真面目な表情でヨウスケが答える。
その一言に第壱高校ナインは助けを求めるようにして加持を見た。
矢張り精神的な支えとして監督は頼りにされるモノである。
そして加持はその期待に応える為に全員に向かって話す。
「彼の経歴は今調べた通りだ。
オマエ達は彼の事を天才だとか言うかもしれない。
だがオレから言わせてもらえば、オマエ達も天才だ。
もう一度良く考えてみろ...自分達が何をすべきなのかを。
ここで諦めるのも闘い続けるのも自由だ。
自分達で考え、そして自分達で決めろ。
...後悔の無いようにな。」
加持は元々部員達の自主性に任せている。
それは人から言われたのでは無く、自分達の力で得たモノの方が価値があると思っていた。
だからこそ今のように助言だけで手助けは一切しない。
それは彼なりの信念であった。
しかしそれでは納得しない者もいる。
「コラ、加持!
アンタそれでも監督なの!?
監督だったらそれらしい作戦でも立てなさい!!」
「うわ!? か、葛城!
さてはオマエ酔ってるな!
あれほど酒は控えろと言ってるのに...」
「そんな事はどうだっていいのよ!
それより今はあのピッチャーをどうにか−−−」
「いいんですよ、ミサト先生。」
今にもグラウンドに乱入しそうなミサトに対してシンジが優しく話し掛けた。
しかし納得しないのかミサトはシンジに尋ねる。
その時の表情はいつも生徒達の事を案ずる優しい先生だった。
シンジは心配そうに見るミサトに、こちらもまたいつもの破壊力抜群の笑顔で答えた。
「彼は確かに凄い実力の持ち主です。
ひょっとしたら僕なんかより、投手としての才能があるかもしれません。
けど僕は負ける気はありません...みんなを信じています。
その想いだけは絶対に負けません。」
笑顔でそう言い切られてしまってミサトは何も言えなくなった。
人一人の力などたかが知れている。
その事をシンジは知っていた。
加持はシンジの成長を見て思わず微笑む。
「その通りだ、シンジ君。
彼はいわば浮いた存在、それは彼の目が物語っている。
野球はチームプレイである事を忘れてはならない。
一人の力で勝てるものじゃない...勝機があるとすればそこだな。
ま、取り敢えずはカヲル君に頑張ってもらうとしようか。」
「「「「「カヲルに?」」」」」
意外な所で出てきた名前に殆どの者がカヲルを見る。
そこにはいつもと変わらないカヲルがいた。
そしていつもと変わらない顔で加持に返す。
「矢張り気付いていましたか。」
「キミもみんなを信じていたのだろう。
だから打たなかった。
...全く大した才能だな。」
「お褒めに預かり光栄です、加持先生。」
今日の試合、カヲルはノーヒットだった。
だがそれは自分の力を隠す為のモノであり、今のように最悪の事態を想定しての事だった。
そして打順を見てみると最終回でカヲルに回ってくる。
ある意味準備万端だった。
☆★☆★☆
ガツッ!
七番のススムのバットにボールが当たった。
しかし完全に振り遅れていた為にファールとなってしまう。
「......?」
だがススムは自分の手を不思議そうに見ていた。
そして落ち着いてスイングをしてみる。
いつも通りのスイングなのだが、ススムは意外そうな表情を見せた。
(ひょっとして...)
バットのグリップを握り直してシンヤを見据える。
その目には光が宿り、シンジと同等の速球を投げるシンヤを前にして少しも引かない。
ビュッ!
そしてシンヤがモーションに入り、アンダースローからボールが放たれた。
ススムはそれに合わせてセーフティバントを決める。
たとえ打てないとしても当てる事は可能だった。
コン
ボールは三塁線ギリギリに転がる。
だが守備の対応は想像以上に早く、ボールは一塁に送球されアウトとなった。
それを見ていた第壱高校ベンチからは落胆の声が聞こえる。
しかしその中の何人かはススムの意図した事を察した。
リュウスケとカヲルだった。
「...なるほど、そういう事か。」
「みたいですね...ですがそれはシンジ君に比べて、という事です。
普通のピッチャーと比べたら、彼の方が全てにおいて勝ってますよ。」
「やっぱりそうだよな...だがこれで打てる事が分かった。
責任重大だな、カヲル。」
「軽く言わないで下さいよ、榊先輩...
けど麻生先輩が試してくれたんです、やれるだけの事はやりますよ。」
一瞬だけカヲルの目が鋭くなる。
それは滅多に見せない顔−−−
バッテリーを組んでいるシンジでさえあまり見た事が無い顔をしていた。
打席には八番目のフジオが立ち、ベンチにはススムが戻ってきた。
そしてリュウスケは自分の親友に感謝の言葉を告げる。
「お疲れさん、ススム。
お陰で参考になったよ。」
「リュウスケはやっぱり分かったか。
良かったよ、オレの打席が無駄にならなくて...」
「二人ともどういう事だ?」
リュウスケとススムの会話を聞いていたヨウスケが疑問に思った事を聞いてきた。
パッと見では単なるセーフティバントにしか見えないのだが、そこには様々な思惑が絡んでいたのだ。
一つはリュウスケ、ススム、カヲルが気付いた球威の性質。
そして一つは三条シンヤという人間の事。
意外にも後者の事に気付いたのはムサシとケイタの二人だった。
「ねえムサシ、あのピッチャー何考えてんだろう。」
「ああ、何様のつもりだアイツは!」
「ど、どうしたんだ、二人とも怒ったりして。」
二人の変化に気付いたタツヤが尋ねる。
それに対してムサシは怒りを露にして答えた。
「見てなかったんですか、アイツの事を。
あの野郎、バントをされたのにマウンドから一歩も動いていないんですよ!
チームワークをなんだと思ってるんだ。」
「...そういえばそうだったな。
でもなんで?」
だがその瞬間、タツヤの頭に加持の言葉がよぎる。
(彼はいわば浮いた存在)
☆★☆★☆
試合は進み8回の裏、相洋学園の攻撃へと移っていた。
結局八番のフジオは内野フライに倒れた。
シンジ並みのスピードを持つボールを、なんとかフェアグラウンドにボールを運んだ。
リュウスケ程とはいかないが、まずまずのバッティングセンスを持っている事が分かる。
相洋学園の攻撃は七番から、いわゆる下位打線であった。
しかしシンジは細心の注意と持てる力をフルに発揮した豪速球で迎え撃つ。
そして七番、八番を三振で打ち取り九番目のバッターを迎えた。
ザッ...
九番目のバッターは三条シンヤ、その彼が打席に立つと球場全体が静かになった。
実力が未知数なだけに第壱高校ナインには今までに無い緊張が走る。
彼のデータ(リツコが調べた)からすると、その力はかなり高レベルの域に達するであろう。
となるとシンジとカヲルのバッテリーは、これ以上傷口を拡げない為に更に慎重になる。
最初は様子見で内角低目のボール球を投げた。
が、シンヤは微動だにしない。
2球目は一転して外角へのボール球を投げたが、これまた動く気配すらない。
いずれの球もコースはギリギリ。
並みのバッターなら焦ってしまうのだが、シンヤは変わらず静かに立っている。
そしてこのままでは埒が明かないと判断し、カウントを取る為にボールを投げた。
コースは1球目とほぼ同じでストライクゾーンに入っていた。
しかし今まで動かなかったシンヤがここに来て動いた。
ザザッ!
ボールは内角低目に切り込んでくる。
ググッ
シンヤはバットを寝かせてボールに上手く合わせた。
キン!
「「「「「なに!?」」」」」
快音と共に第壱高校ナインは驚愕した。
シンヤのタイミング、スイング、そして動態視力。 それら全ては超一流であった。
打球は空高く飛んでいく。
シンジは飛んで行く打球を、ただ呆然と見ているだけだった。
第参拾参話 完
第参拾四話を読む
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