「オラ、シンジ!
 行くでぇ〜〜〜!!」
「ちょっと待ったトウジ!
 は、早すぎるよ〜。」

ガキン!

鋭い音と共に打球は飛んで行く。
その音に反応してシンジは打球に飛びつく。
打球がグラブに収まると、すぐさま体勢を立て直し一塁へと送球。
そしてそれを一塁が受け止める。

その一連の作業、守備練習が終了するとシンジはグラウンドに寝っ転がる。
仰向けになり、しかも大の字になって体を休める。
胸の辺りが大きく上下している所を見ると、その疲労はかなりのモノかが分かる。
しかしそこにトウジの激が飛ぶ。


「コラシンジ、なに休んどんのや!
 まだ終わっとらんでぇ!!」
「も、もうダメだよ...動けない。」


シンジの体力が限界を超えたのか、全く動ける状態ではない。
それでもトウジは守備練習を止めようとは思わないようだ。
ボールを持ち、バットを構えてノックの準備をしている。
見るに見兼ねて一塁を守っていた少年がトウジを押さえる。


「諦めろよ、トウジ。
 取り敢えず休憩にしようぜ。」
「ケンスケまでンな事を言う−−−」
「す〜ず〜は〜ら〜!
 いい加減にしなさい!」


尚も食い下がらないトウジにグラウンドの外から声が掛かった。
そこには3人の少女が居た。

一人はそばかす、おさげの少女。
一人は空色の髪、紅い瞳の少女。
一人は栗色の髪、蒼い瞳の少女。

トウジを呼んだのはその中のおさげの少女だった。
その少女の声を聞いた途端に、トウジは先程までの勢いは無くなり弱腰になる。


「イ、イインチョ、堪忍や...」
「トウジさん、兄さんをいじめないで下さい...」
「レイまで...」


更にそこに紅い瞳の少女が加わる。
凍りつくような視線をトウジに送り、無言のプレッシャーを与える。
そして最後に蒼い瞳の少女が加わった。
しかし彼女はトウジにではなくシンジに話し掛けた。
その表情は何故か楽しんでいるようで微笑んでいる。


「シンジ、もう降参なの?
 可愛い妹に庇ってもらって良かったわねぇ。」


その一言にカチンと来たのか、シンジはブスッとした顔で起き上がる。
そしてユニフォームに着いた土を払い、トウジに話し掛ける。


「トウジ、始めるよ。」
「え、ええんか?」


シンジの一言におさげの少女とレイは驚いたが蒼い瞳の少女は微笑んでいた。
蒼い瞳の少女の一言によりノックは再開された。
その事にレイは反論するが蒼い瞳の少女に軽く諌められる。


「いいのよレイ、あれで。
 アイツは強くなりたいと願ったんだから。」
「け、けど...」
「じゃあ聞くけど、シンジはもう限界だと思うの?」
「...う、うん...」


レイは不安そうに答える。
そこにはただ純粋に、兄であるシンジを心配する気持ちが篭められていた。
しかし蒼い瞳の少女はその答えに対し、突き放すように答える。


「アイツの限界はこんなモンじゃ無いわ。
 まだ...強くなる。
 だってアイツが想い描く強さはこんなモンじゃないんだから。」


蒼い瞳の少女はシンジの事を暖かく見守りながら話し、レイはその表情を見て黙り込む。
嫉妬−−− そんな感情がレイの心で蠢く。
自分の兄であるシンジを見詰めるその蒼い瞳を見ると、レイの心がザワつくのだ。


「で、でも...もし...」
「私は信じるわ。
 シンジはもっと強くなる...絶対に。」


何故そんな考えが出来るのか、何故そこまで突き放せるのか...
それはシンジの事を本当に理解し、信じているからその言葉が言える。
蒼い瞳の少女の言葉に嘘偽りは無い。 彼女は心からシンジの事を信じているのだから。
そしてその言葉にレイは何も言えなくなる。











大切な人への想い

第参拾四話 信じる心(前編)











シンジは大空へと飛び立つボールを驚愕の表情で見詰める。
第壱高校ナインと相洋ナイン、そして観客席に居る全ての人がホームランだと確信した。
打球はセンター方向に伸びて行き、ムサシは懸命になってボールを追う。
打った本人であるシンヤは興味が無いのか、バットを無造作に捨て軽く走るようにして一塁へと向かった。
ホームランになるという絶対の自信があるのか、或いは野球そのモノに興味が無いのか、シンヤの目には輝きが無い。

だが異変は突然起こった。
ボールが失速したのだ。
糸がプツリと切れたように、ボールは今までの勢いを無くして落ちてくる。
すると当然ボール落下予想地点が変更され、ムサシは新たなる落下地点へと移動を開始する。


「クソッ!」

ザザッ!


ムサシはその言葉と共にダイビングキャッチを決める。
しかしボールはグラブの前に落ちた。
そしてボールは高くバウンドしてムサシの後方へと抜けてしまいそうだったが、とっさの判断でグラブでボールを押さえ込みホッとため息を漏らす。
結局打球はセンターの定位置より前の所に落ちたのだ。
その意外な展開に、打った本人のシンヤが不思議そうな表情でセンター方向を見つめる。


「...何故...?」


シンヤは一二塁間で立ち止まり、ムサシのプレイを見て一塁へと帰る。
スイングのスピードとボールへのタイミングは完璧だった筈なのに−−− そう考えていた。
シンヤが一塁に帰る前、ちょうどカヲルの位置から見ると彼はセカンドのフジオと並んでいた。
その光景をカヲルはじっと見詰める。
身長は二人ともほぼ同じ−−− しかしカヲルの目が光った。


(...もしかしたら...いや、恐らくそうだね)


フジオとシンヤを見比べ、カヲルには何故ホームランにならなかったのかが理解できた。
そして打順は一番に戻り、気分を新たにシンジは投げ始める。
一番バッターはシンヤのような実力は無いので、シンジのストレートに手も足も出ず三振に終わった。
ここでスリーアウトとなり、第壱高校ナインはベンチへと帰って行く。
ベンチではこれからの事についてナイン全員が円陣を組み話し合う。
そう、回は移り9回の表、第壱高校にとって最後の攻撃が始まる。
1−2で相洋学園のリード。
最悪でもこの回で1点取らなければならない。
キャプテンであるタツヤは此処で激を飛ばし、カヲルは自分が感じた事を話した。





「彼の下半身?」


最初に答えたのはフジオだった。
自分と比べられたのだから無理もない。 カヲルに言われた下半身をじっと見る。
他のナイン達も同じようにマウンドに立つシンヤと見比べる。
そしてカヲルは説明を続ける。


「そう、彼の下半身はしなやか過ぎるんだ...いや、才能があり過ぎるのかな?
 彼は持って生まれた才能により様々なスポーツを制覇してきた。
 動態視力や反射神経、そして比類無きセンス...恐らくそれだけで渡り歩いてきたのかも。」
「なんだ、所詮アイツはその程度の天才だったのか。
 まるでいつかの誰かさんのようだな。」


カヲルの説明を聞いてムサシが加わりフジオの方を見る。
それを恥ずかしそうな顔で受け止めるフジオ。
ムサシの言葉は明らかにシンヤの実力を過小評価していた。
他のナイン達も同じようで楽観的になってくるがカヲルの言いたい事はそうではなかった。


「僕が言いたい事はそうじゃないよ。
 他のスポーツの時だってその事に気付いた人も居る筈。
 それでも彼は勝ち続けてきたんだ。
 ...才能だけだったらここにいる人達が束になっても勝つ事はできないよ。
 で、僕が言いたいのは...」


全員がその先の言葉を待つ。
誰もがカヲルから目が離せなかった。
そして−−−


「この回で必ず逆転する事−−−
 回が進めば進むほど僕達は不利になって行く...彼が野球に慣れればそれだけ力が増すという事です。
 僕には彼がこの試合でどれくらい強くなるのかが...いえ、この場合はどれだけ学習するかが予想できません。
 しかしその限界はあります...それが彼の下半身の秘密ですね。」
「なるほど、いくら学習しても身体的な能力アップは一朝一夕にはいかないからな。」
「ええ、ですけど来年はどうなるかは分かりませんが...ま、今はとにかくこの回で逆転する事が先決です。
 ですから僕の前に必ずランナーを...と言ってもシンジ君とケイタ君だね。
 二人とも...必ず...」


カヲルは何時になく真剣な表情でシンジとケイタを見る。
二人は真摯な態度でそれに応える。
そして最終回の攻撃が始まった。





その最終回の攻撃、最初のバッターはシンジだった。
シンジは打席に立ちマウンドのシンヤを見据える。


(この回で終わりにしなくちゃ...
 カヲル君の信頼に応える為に塁に出なくちゃならない)


シンジは自分に掛けられた期待に応えようとするが、気が焦るばかりで結局塁に出る事はできなかった。
元々シンジはバッティングが得意という方ではない。 その事は打順から見れば一目瞭然である。
それに加えて凄まじい程のスピードボール、自分と同等のボールを投げられ手も足も出ず三振に終わってしまった。
そして打順は一番に戻り、ケイタが打席に立つ。
しかしケイタもまたシンヤを打ち崩すのは難しくあっという間に追い込まれる。
ケイタは一瞬セーフティーバントを決めようかと考えたが、前進守備の為に自分の足を持ってしても塁に出る事は不可能だと思い至る。
その考える中、シンヤは止めとばかりキツイコースにボールを投げ込んだ。
そのボールに対しケイタは思い切ってバットを振る。
バットは空を切るがケイタに掛け声が飛んだ。


「走れケイタ!!」


ケイタは何が起こったのか分からず一瞬と惑ったが、キャッチャーがバックネットの方に走るのを見ると一塁を目指す。
振り逃げ−−− ケイタはその事を理解して全力で走った。
ボールは速く、しかも投げたコースがかなりキツかった所為もあってキャッチャーが後逸してしまったのだ。
慌ててボールを拾い送球するが、ケイタの足は速く出塁に成功した。
シンヤはそれを興味がなさそうに見る。

彼の投げるコースは彼自身がその時の判断により変えてくる。
最後のボールはその典型で最初に出したサインとは違い、投げる瞬間にコースを変更したのだ。
その急な変更によりキャッチャーが戸惑い、コースもかなりキツイ事もあって後逸という形になってしまったのだ。
そして貴重なランナーも出て遂にカヲルの出番となった。


(さて、これで役者は揃ったね。 あとはクライマックスに向けて突き進むのみ...か)


カヲルはいつもの様に涼しい顔でシンヤを見据える。
此処で説明するが第壱高校で打率だけを見ると一番打つのはリュウスケである。 その次にタツヤ、カヲルと続く。
リュウスケは読みも鋭くバッターとしての能力もセンスもあり、タツヤは能力もそこそこだがそれを補う感じで経験がある。
ではカヲルの場合はというと、読みとセンスと意外にある能力である。
彼の場合はその外見上から能力の方には目が行かない。
しかしキャッチャーをやっているので結構足腰は鍛えられている。 従ってシンヤを打ち崩す自信はあるようだ。

一方シンヤはカヲルを興味の無さそうな感じで見ている。
それは元々がそうであるのと、この試合の打席からそう見ていた。
事実、この試合でまともなヒットを放っているのはリュウスケただ一人である。
自然とそんな考えになるのも無理はない。

そして第一球目が投げられた。
スピードは相変わらず速いがコースは甘く真ん中寄りだった。
カヲルはその甘い球を見逃さない。


(ここだ!)


目が途端に鋭くなりバットを振り抜く。
その姿を見たシンヤはその時初めて表情を見せた。
凍り付いたような顔、驚愕の表情だった。
カヲルのスイング、そして目の鋭さを見て、その力がどれだけのモノかが瞬時に分かったのだ。
踏み込み、スイング、そして足腰のバランス。 どれをとっても一級品のモノであった。

ギン!

ボールはライト方向にグングン伸びて行く。
飛距離は十分だった。
しかし打球はポールの外側に行ってしまった。
その打球を見てシンヤは胸を撫で下ろすが、カヲルは逆に追い詰められた感じとなった。
今まで隠していたモノがばれてしまい、次からの投球にこの事が反映されるのだ。
その事からカヲルに焦りが現れる。

最早一発を狙うのは無理か−−− とカヲルが思った矢先にケイタからサインが出た。


(カヲルだって頑張ってるんだから僕だって...)


そのサインを確認するとカヲルの表情は元の涼しい顔に戻って行く。
カヲルは仲間が自分のフォローしてくれる思いが嬉しく思い、ケイタは自分になら出来る事を見付けた。
それぞれが自分に掛けられた信頼に応える事をする。 チームワークというのは信頼があって初めて成立するのだ。
そしてケイタはその信頼に応え二塁を奪った。
ランナーは二塁、カウントは1アウト、1ストライク、1ボールとなり、この試合2度目の得点圏のランナーが出た。
そうなると双方ともに緊張が走り、初めて迎えたピンチにシンヤにも焦りの色が少なからず出始めた。


(ふむ、ようやくその表情にも変化が現れたね。
 ならば此処が正念場...)


カヲルは不意に真面目になり、シンヤにプレッシャーを与える。
ケイタもまたリードを進め同じようにプレッシャーを与える。
精神的負荷がかなりのモノになるのだがシンヤはそれでも果敢に投げた。


「ボール!」


しかしスピードは十分だが無情にも主審の判定はボールだった。
そしてその隙にケイタは三塁をも奪っていた。
ケイタは土を払い悠然として三塁に立つ。

あれからたったの2球で一塁に居たランナーが三塁にまで来てしまった。
カウントは1アウト、1ストライク、2ボール。 今度は逆にシンヤが追い詰められた形になった。
そこで堪らず相洋ナインがマウンドに終結した。
投げればその速球によりバットに当てる事すら難しいシンヤのボール。
それを予想外の連携プレイを持ってあっという間に得点圏、しかも三塁にまで及ぶ。
それに最終回ならばこのように集まるのは当然の事である。


「大丈夫かシンヤ...」


相洋ナインは口々にその言葉をシンヤに掛けるが当の本人には届いていなかった。
慌ててワタルが激を飛ばすがそれも無駄に終わる。
初めて目の当たりにした危機的状況に対してどう闘えばいいのかが分からなかった。
振り返ればそこには仲間が居るのにシンヤにはそれがまるで見えていない。
今まで一人で闘ってきた癖が此処に来てまで影響していたのだ。
その事にワタルは気付き、なんとかシンヤを説得しようとしたが、それも無駄に終わってしまった。


「ウルサイ! 黙っててくれ!!
 残りはちゃんと押さえるからオレに任せてくれ!!!」


その言葉で全てが終わってしまった。
マウンドに集まっていた相洋ナインは散り散りとなりシンヤだけがそこに取り残される。
そしてワタルはシンヤの登板により外野に守備変更をしたピッチャーに声を掛けた。


「シンヤはもうダメだな...
 次の打席で変えた方がいい、用意をしておけ。」
「今じゃなくていいのか?」
「あそこまで頑固になっちまったんだ、今は何を言っても聞かないさ。」
「そうか...
 交代の件は分かった、任せてくれ。」


降板したピッチャーはその言葉に頷く。
万が一の時を想定して交代し、いつでも戻れるように守備位置だけ変更していたのだ。
相洋学園はその万が一の事態に遭遇してしまった。 それもたった二人の球児によって...


(所詮、にわか仕込みのチームワークか...なんと脆いモノよ...)


ワタルは遠い目をしてその事を痛感する。
人一人の力など、たかが知れている。 その事を知っているからこそ仲間を信頼してお互いを補う。
ある時は自分を犠牲にして相手の力を探り後に続く者達に託す、ある時は自分の出来る事を見つけ仲間の不利な状況を助ける。
故に第壱高校のチームワークは完璧であった。
一時は絶望しか無かったのだが、個々の球児が自分の力を発揮して今のこの状況を作り上げた。

ワタルにはそんな第壱高校が羨ましく思えた。
強さばかりを追い求め、今の状況に陥った事は自分達の責任でもある。
そして不意にライバルと認めた球児の言葉を思い出す。


(ワシはオマエにだけは敗けん、敗ける気がせぇへんワイ。
 自分一人の力だけで勝てると思ったら大間違いや!)


その言葉が酷く懐かしく思える。
その時否定していた言葉が今、現実に襲ってきたのだ。



鈴原トウジの言葉がワタルの胸を穿つ。



第参拾四話  完

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