(ランナーは一・三塁、しかも2アウト...このチャンスを逃す手は無いぞ)


ムサシは打席に立ち、事の重大さを認識する。
ここで打てばヒーローになる事は確実−−− そう彼は思っていた。
しかしそれと同時に打てなかったら袋叩きは覚悟せねばならない。
もしそれを免れたとしてもスタンドに居るマネージャーにして幼馴染みのマナに何をされるか分からない。
緊張と焦りが心の中で混ざり合い、相手のピッチャーにしてみれば格好のカモになっていた。
そんなムサシの姿をスタンドから心配そうに見る少女が居た。


「あ〜〜〜〜〜もうムサシは何やってんのよぉ。
 あれじゃ、打ち取って下さいって言ってるようなもんじゃない。」


マナはいらいらしていた。
手に持ったメガホンの形が妙に歪んで悲鳴を上げている事から彼女の心境が伺える。
その隣にいるレイからは 「バキ!」 っとスコアブックを書く為のペンが折れる音がする。
彼女の握力に耐えられなかったのだろう...


「...榛名先輩...失敗したらどうしてあげようかしら...」


更にその隣のミサトからの周りには、既に何本目になるったのか分からない程にビールの空缶が積まれている。
それでも摂取量が下がるどころか右上がりに跳ね上がって行く...
飲んだ量から見ても既に彼女の体以上の容量を飲んでいるにもかかわらずミサトの体に変化は無い。
一体飲んだビールは何処に納まっているのだろうか?


「んぐ、んぐ、んぐ...ぷっはぁ〜〜〜〜!!
 くぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ、やっぱ人生この時の為に生きているって感じよねぇ!!」


カランと音がして更に一本空缶が増える。
しかも山のように転がっている空缶の大きさは350mlサイズではない、1000mlサイズだった。
どうやら彼女には試合の状況は見えていないらしい...今はただ目の前にあるビールしか見えず、プシュッ!とプルタブを起こす音がして更に飲み続ける。


カタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタ...


そのミサトの横ではリツコが携帯端末を操り何かの計算をしていた。
ピーーーーーーーーっと電子音が計算終了の合図を知らせその結果を見る。
すると 「ふぅ」 とため息が聞こえた。
表示されたデータにはムサシの出塁確率が 「0%」 とはじき出されている。


「...ゼロじゃ無理ね。」


リツコはいつもの冷静な口調で一人呟く。
そしてグラウンドでは豪快なアッパースイングを繰り出して、見事な空振りを見せるムサシの姿が。
それを見ていたリツコはいつもの決まり文句を呟き、レイは冷たい視線と重苦しいプレッシャーを観客席からムサシに与え、マナの頭から 「ブチッ!」 と何かが切れたような音がした。
しかしミサトだけは相変わらずおいしそうに喉を鳴らしてビールを飲んでいる。
ムサシは打たなければならないというプレッシャーと、周りから掛けられた期待に押し潰されそうになりながら2球目を待つ。











大切な人への想い

第参拾六話 最後のダ者











第壱高校ベンチでは、上の観客席から伝わってくるマナとレイの殺気にも似たプレッシャーをひしひしと感じ、ナイン全員が冷汗を滝の様に流す。


「あ、哀れな奴だな...だが安心しろムサシ、骨は拾ってやるぞ。」
「麻生先輩、それならばむしろ骨格標本がいいと思います。」


ススムの言葉に突然上の観客席からレイの提案が上がり、その事にナイン達は更に脅える。
ベンチ内での会話はリツコが備え付けた盗聴器により筒抜け、全ての会話は記録されていた。
しかもレイの耳はデビルイヤー(地獄耳)なので迂闊な事は喋れない。
そんな意外(?)な一面を垣間見てシンジの気が動転する。


(あ、綾波...怖いよ...
 でもレイも怒らすとこうだったな...ホント髪と目の色以外はそっくりだよ)


シンジはレイの放つ殺気に脅え、あまりにもそっくりな妹のレイの事を思い出す。
グラウンドでは2球目が投げられ、またもムサシは空振り...まあバットに当って凡打になるよりはマシだが。
よってムサシはたったの2球で追い詰められ、その生命も風前の灯火になった。


「スイマセン、タイムをお願いします。」


そこでカヲルがすかさずタイムを入れ、ムサシの居る打席に走って行く。
試合はそこで一時中断され双方のチームは取り敢えず作戦会議へと移った。
第壱高校の場合は最初はカヲルとムサシの二人だけだったが、そこへランナーであるタツヤとムサシも加わった。


「とにかく塁に出ることです。」
「んな事は分かってるよ!
 一体どうやったらあのピッチャーのボールを打つんだ?」


言い出しっぺのカヲルが打開策を話す、だがあまりにも当たり前の事だったのでムサシが苛立たしく言い返した。
結局相洋ピッチャーをどう攻略するかで止まってしまうのだ。
多彩な変化球を繰り出すピッチャーをどう打ち崩すか−−− その事は今まで散々問い続けてきたが、なにも解決策は出ていない。
しかし今回のカヲルには何か策があるようで、4人は円陣を組みヒソヒソと小声で話し合う。
それを遠巻きに見ている相洋ナインは全員がマウンドに集まっていた。


「マズイな...アイツらまた何かやる気だぞ。
 先程のホームスチールの件もあるから全員気を緩めるな!」
「「「「「オウ!!」」」」」


ワタルの一言に全員が気合の入った声で返事をする。
それを見て、これなら心配無い、とワタルは思ったのか自然と笑みが零れた。
だがそれは長くは続かない。
その理由は第壱高校の円陣で行われている事だった。


「コイントス?!
 一体アイツらは何をやろうとして...まさかあれで打つボールを決めているのか??!」


ワタルの言う通り円陣内ではカヲルがコイントスをやっていた。
親指でコインを空高く上げ、落ちてきたそれを手の甲と平で受け止め、表か裏かを確かめる。
相洋ナインはそれを呆然とした表情と呆気に取られて開いた口が塞がらないでいる。
最早彼らの常識では測れない事を第壱高校はやってのけるのだ。
だがそれはある意味効果的な作戦であった。


「マズイな、運任せだと対応のしようが無いぞ。
 しかもあそこには読みの鋭い榊リュウスケも居る...絶対に何か助言をしている筈だ。」
「バカな事を言うな、運とは言っても確率の問題でもあるだろう。
 球種とコース...この二つを合わせれば何通りモノパターンが生まれる。
 それにボールカウントは2ストライク、ノーボールだ。
 有利なのはオレ達でヤツらはただ博打に出ただけだ、恐れる事は無い!!」


ワタルの断固たる決意は動揺するその場を収めようとしたが、一度植え付けられた考えは中々取れない。
しかも回は9回であり全てを任されているバッテリーは慎重に事を選ぶ方向に動く。
その為、先程よりも余裕が無くなり焦りも生じてきた。
一方第壱高校の円陣ではカヲルの行動に疑問を感じ、タツヤが聞いてきた。


「カヲル、本当にそれでなんとかなるモノなのか?」
「大丈夫ですよ、キャプテン。
 ...ふむ、裏と出ましたか。」


そこにいる者全員が疑惑に満ちた目でカヲルを見詰める。
表と裏の二通りしかない作戦で相洋学園を打ち崩せるとは思えなかった。
それをカヲルは自信満々の顔でやってしまう。
しかもかなり目立つように、それも相洋学園にワザと見えるようにしてやったのだ。
そしてその結果から何をするべきかをムサシに伝える。
最初はなんの反応も示さなかったムサシを見てカヲルは 「やれやれ」 と肩を竦めてからボソボソと耳打ちした。
その内容は以下の通りになる。

相手に精神的重圧を与える事−−− 心の闘いを挑む事である。
先程行われたコイントス。 それはその為にワザとやった事であった。
第壱高校のこの回は奇策が見事に的中して今に至る。
ならば今回もまた相洋学園にとっては更なる奇策を持って挑んでくると想像する。
このように心を測りすぎての自滅を誘う−−− カヲルはそれを狙っていた。
心の闘いこそ武器の闘いに勝るモノである。

その秘策を聞き終わったムサシはいつもと変わらぬ口調で聞き返し、その問いに答えたのはリュウスケだった。


「カヲル、ホントにそれでいいのか?
 そんなに上手く行くとは思えないんだが...」
「ま、問題はそこだろう。
 相手は腐っても甲子園ベスト4だ、恐らくは立ち直る筈。」
「そこを突かれると...」


読みの鋭いリュウスケに反論されてカヲルは自信無さげに答えた。
だがカヲルの作戦に全面的に反対と言う訳ではなく、条件付けで賛成だった。
他の者はその条件という言葉に関心が集まりその意味を尋ね、リュウスケはそれに答える。


「もし相手が精神的プレッシャーから抜け出せる事が出来たなら、逆にそこが狙い目になる。
 決め球と言うのはそう言う時に投げるものだからな。」
「決め球...となるとHスライダーですか。」


ムサシの問いにリュウスケは黙って頷く。
そしてそこで円陣は解かれ、それぞれの場所へと散って行く。
この打席が最後のチャンスとなる事は誰が見ても分かった。
相洋学園は前進守備で迎え撃つ体勢に入り、打席に立ったムサシは先程までとは打って変わって落ち着きを払う。
カヲルとリュウスケの作戦に全幅の信頼を置いているからこそであった。

そしてカヲルの策は成功した。
相手のピッチャーは落ち着きがなくなり、気が付けば肩で息をするほど消耗していた。
そこから投げるボールも今までのような精細さは無く、ことごとくボールとなった。
そしてボールカウントがフルカウントに変わった時、ようやく相洋バッテリーが動いた。
−−−そこからリュウスケの思惑通りに事が進み始めたのだ。


(やってくれたな、第壱高校。
 奇策の中の奇策...まんまと騙されるところだったぜ)
(じゃあ次で決めるか、決め球で)


相洋バッテリーがサインを出し合い次のボールが決まった。
その事はムサシが見ても分かったので、次のボールで勝負してくると肌で感じた。
緊張が走り、心臓の鼓動リズムも早くなってくる。
最早ムサシの頭には、次に投げてくるであろうHスライダーの事しか思い浮かばなかった。
その事はランナーのタツヤとリュウスケも同様だった。
そして二人はその時になってサインを送り更なる作戦に出た。
タツヤのサインにリュウスケは小さく頷く。

ジリジリと緊迫した空気が漂い、グランドの緊張感がピークに達した時、ピッチャーの手からボールは放たれた。
それと同時にタツヤとリュウスケがスタートを切り、ヒットアンドランを狙った。
この投球で勝負が決まる事、その投球でHスライダーが来る事、そしてムサシならば打ってくれると信じていた。
第壱高校の展開に気付き、相洋学園の気がそちらにそれた。


キン!


そしてムサシのバットにボールが当った音がした。
球種はリュウスケの読み通りのHスライダー。 どんなボールが来るかが予測出来れば変化球などは怖くはない。
一方、打たれたピッチャーは愕然とした。
自分の決め球であり、このボールによって第壱高校を打ち取っていた筈なのに、この土壇場に来て打ってきたのだ。

打球は振り遅れたのか、球威があったのか、三塁方向へと走る。
サードは自分の後ろに行かせまいと立ちはだかろうとするが、一瞬だけヒットアンドランに気を取られてしまい、後ろには行かなかったモノのボールはグラブに入る事はなかった。


「しまった!」


サードがボールを取り直した頃にはタツヤはホームベースに生還した。
二塁には既にリュウスケが入り、残りは一塁のムサシだけとなる。
その事を確認するまでもなくサードが急いで一塁に送球した。


ザザ!
パシィ!



ムサシと送球が同時に一塁に入ってきた。
ファーストのグラブにはしっかりとボールが収まり、足はベースに付いている。
そしてムサシはファーストを駆け抜け、後ろを振り返って塁審の判定を待つ。


「セーフ!」


塁審は両腕を広げてそう言った。
それと同時に第壱高校スタンドは震え、ベンチの方ではナイン達が帰ってきたタツヤを手荒い歓迎で迎える。
9回の裏、2アウトで遂に逆転は成功した。
その一撃を打ったムサシは意外にも落ち着いてベースを踏みしめ観客席へ視線を送らせた。
そこには抱き合って喜ぶマナとレイの姿が見えた。
それを普段からは考えられないような優しい笑みを浮かべ、飽きる事無く見ていた。


(...骨格標本は免れたな)










一塁にはホッと胸を撫で下ろすムサシが、得点圏である二塁にはリュウスケが居る。
3−2と一点のリードを奪った第壱高校だが依然チャンスは続いている。
その事に相洋学園は焦り、再びマウンドに集結した。
最早これ以上は得点を許す事は出来ない。
その為に監督からの伝令が走り、体勢を立て直そうとする。
相洋学園にしてみれば、これ以降は幸いにも下位打線だった。
今までのようにバッターよりあまり神経をすり減らさなくても押える事が出来る。
だが油断は禁物である。
この回を見るとそれが良く分かり、相洋ナインは気を引き締め直す。
そして打席に立った六番のヨウスケは打つ気満々だった。

だが落ち着きを取り戻したピッチャーの敵ではなく、あっという間に三振に倒れてしまう。
ヨウスケにしてみれば全力を尽くしたのだが結果は結果であり、観客席で応援していた恋人の出雲ミドリの冷たい視線を受けながらベンチに帰って行く。
それを見てムサシは 「打つ事が出来て良かった」 と心の底からそう思った。
なにしろアウトになっていたらマナやレイから何をされるか分かったモノではないからだ。









☆★☆★☆











回は移り、第壱高校は最後の守備へと向かう。
マウンドに向かうシンジの心が高揚していた。
一歩また一歩と、今まで闘ってきた舞台であるグラウンドをその足で感じる。
そしてスタンドから聞こえてくる歓声が、遠くから聞こえるような錯覚に陥る。
シンジはそれほどまでに最後のマウンドに集中していた。

マウンドに立ち、プレートに右足を掛ける。
すべり止めを丹念に着け、失投が出ないように気を配る。
そして打席を見るとそこには既に二番バッターが立っていた。
そのバッターは油が煮えたぎるくらいの闘志を放つ。
点差はたったの一点。
しかもこの回は確実に四番のワタルに回ってくる。
僅かなミスさえも許せない。
シンジには慎重にかつ大胆な投球が求められた。

ふと観客席から馴染みのある視線を感じそちらを向くとレイが心配そうに見ていた。
試合前の大願成就のお守りを渡してくれた時と同じように...いや、それ以上であった。
レイにはいつも笑っていて欲しい−−− シンジはそう切に願う。
だからこそ今までで一番の笑顔をレイにだけ向けた。
その笑顔こそ第壱高校にとって勝利の微笑みであった。
レイはその微笑を見て、顔を真っ赤にしてシンジに微笑を返す。
心配を掛けない事、そして信じる事が今の綾波レイに出来る事だった。

この人ならばきっと勝ってくれる−−− この人ならばきっとみんなと、そして自分の夢を叶えられるとレイは信じている。
この人の傍に居たい、この人と同じ夢を見ていたい。 この人の一番近くで笑っていたいと心から願う。
何よりも、そして誰よりも大好きな人だから−−−










☆★☆★☆











第壱高校スタンドから歓声が上がる。
相洋学園スタンドからも歓声が上がる。
どちらも自分達のチームの勝利を心から信じ、応援していた。
そして相洋学園の最後の攻撃が始まった。

ここで逆転しなければそこで終わり−−− その想いが相洋学園ナイン全員にあったので士気は天をも突き抜ける勢いであった。
しかしシンジの豪速球はそうそう打てるモノではない。
7回にワタルにホームランを打たれてからは、更にそのボールにキレが出てきた。
例え当てたとしても鉄壁の守りによって出塁する事は出来ない。
故に二番、三番が一塁のベースを踏む事は無かった。
そして最後の打者として松田ワタルが打席に入り、マウンドのシンジと対峙する。
前の打席ではフォークボールを狙われホームランとなってしまった。
しかしそれ以後のシンジはフォークを捨ててストレート一本で投げてきた。
ストレートでの勝負はシンジの方に軍配が上がっている。
そのシンジと最後の対決を迎えてワタルは不思議な気分になっていた。


(...オレが打てなかったらそこで終わり...なのにオレは落ち着いている)


肩の力を抜き、足を肩幅に開いて自然体の形でシンジを見据える。
無駄な力が入らず精神的にも落ち着いていた。
一方のシンジもワタルと同様に落ち着き、先程のホームランは最早気にもしていなかった。


(最後の最後で四番の登場とは...とにかくこれで終わりにしようか、シンジ君)
(うん、この打席で終わりにするよ。
 今まで通りで小細工は無し。 じゃあいくよ、カヲル君)


ランナーが出ていない為、シンジは大きく振りかぶりボールを投げる。
次の瞬間にはキャッチャーミットに突き刺さり、主審がストライクを告げた。
その言葉が響くと第壱高校スタンドから歓声が上がり、シンジの投球を称える。
1球目は外角高めのストライクで、リツコのスピードガンは145km/hを記録する。
試合は9回まで来ているのにそのスピードは衰えを知らない。
それに対し、ワタルは微動だにしなかった。
シンジが2球目のモーションに入ると球場は静まり返り、二人の闘いを黙って見届ける。
2球目は内角のストライクゾーンに切り込んできて、またもワタルは動かない。
だがワタルの眼光は衰えるどころか鋭さが増し、それに呼応するかのように闘気も増大する。
ワタルは追い詰められたのでは無く、ワザと自分を追い込んだのだ。


(生半可な事ではアイツのボールを打つ事は出来ない。
 ならば自分を追い込み、限界まで力を出すしか道は無い!)


背水の陣−−− ワタルは最後の賭けに出た。
しかしその事をカヲルは当然の如く見抜いていた。
その事から取り敢えず、間を外す為にカヲルはボール球のサインを出した。
だがシンジは首を縦に振ろうとはしない。
それどころかワタルに触発されたのかシンジの闘気も増大していた。
そしてシンジからのサインを見た時、カヲルの表情が固まる。


(シンジ君、そのサインは本気なのかい?
 だってそのボールは...)
(これでいいんだよ、カヲル君。
 それに後ろにはみんながついているんだよ。
 僕はみんなを信じてる...だからこのボールを投げる)


シンジにそこまで言い切られてしまい、カヲルはただ頷くしかなかった。
そして腹を決めてキャッチャーミットを構える。
ワタルは静かに投げるのを待っていた。
その目はシンジの動きから離さない。 僅かな仕草にも反応するように過敏になっていた。

やけに球場が静まり返っていた。
応援に来ていた筈の観客達は知らぬ間に二人の闘いに魅了されていた。
誰も口をきく事無く、黙ってその闘いを見る。


ザザ...


緊張が高まる中、シンジが動いた。
それに合わせてワタルも動き、シンジの動きをその目に捕らえる。
このボールで決まる−−−
その事は第壱高校ナイン全員が分かり、シンジのフォローをする為にワタルの動きを捕らえる。




















ビシュッ!




















シンジの手からボールが放たれた。
スピードは今まで同様に速く、コースは低めの内角、もちろんストライクゾーンに入っている。
しかしワタルはそのボールを捕らえた。




















(内角低め!)




















自分の持てる能力を限界までに高め、バットを振り抜く。
そのバットの芯の先にはシンジの投げたボールが見えた。
バットの軌跡は正しくボールを捕らえている。
しかし




















フッ

(え?)

...スパーン




















ワタルには信じられなかった。
呆然と目を見開き、スイングの余波によってかぶっていたメットが地面に落ちる。
コースとタイミングは正確だった。
それなのに何故当たらなかったのかを考えると簡単にもその答えは出された。


「変化球...しかもフォークボールか...」
「ええ、それもただのフォークじゃありません。
 スプリット・フィンガー・ファストボールです。」


カヲルが最後に投げたボールの正体を明かした。
スプリット・フィンガー・ファストボール(以後SFF)とはストレートとフォークボールの中間に位置するボールであり、ストレート並みの速さとフォークボールの変化量には劣るものの縦方向の変化を合わせ持つボールである。
しかも変化が遅い為に決め球としては最適なボールである。

ワタルは前の打席からシンジが変化球を投げてくるとは予想していなかった。
しかしシンジはその想像を遥かに上回り変化球を投げた。
それは自分が想い描くエースの像よりもチームの勝利を選んだのである。


「あの状況で投げるとは...想像以上に柔軟な頭を持っていたんだな。」


ワタルは落ちたヘルメットを拾い、打席から去っていく。
試合はこの瞬間、終わりを告げた。
第壱高校スタンドのあちこちで歓声が上がり、涙を流して喜ぶ者や、抱き合って喜ぶ者など、第壱高校の勝利を祝っていた。
レイは涙で目の前が見えなくなり、喜びのあまり何も言えなくなった。
それはマナも同じであった。
ただこちらは恥ずかしいのか、涙を流さないようにして喜んでいる。
自分の好きな人が成し得た事−−− その事に感動を覚え、その心に焼き付いた。










「3−2で第壱高校の勝利、ゲームセット!」


両チームとも整列し、主審の宣言と共に挨拶を交わす。
闘いは終わり互いの敢闘を称え握手を交わす。
ワタルはキャプテンであるタツヤとの挨拶を終えるとシンジの所にきた。
シンジもまたそれに気付き、握手をする為に利き腕を差し出す。


「敗けたよ、碇シンジ。
 キミの冷静な判断力には完敗だ。」


ワタルは差し出されたシンジの手を堅く握り握手をする。
闘いは終わり、そこにはただの球児が居るだけだった。
二人はお互いの強さを認め合う。
そして勝ち残ったものはこれからも闘い続けなければならない。
自分達の夢の為に、そして敗けていった者達の為にも闘わねばならない。
闘って、闘い続けてその遥か先にある日本一の称号を手にする為に...
そしてワタルは去年その称号を手に入れた学校の名前と、自分がライバルと認めた者の名をシンジに伝えた。


「碇シンジ、キミ達になら出来るかもしれない。
 去年の覇者である東雲高校に勝つ事が...」
「...去年の夏の優勝校...」
「オレ達は去年、そこに敗れたんだ。」


シンジはその名前に驚く。
だがその事には構わず、ワタルは更に続けた。


「キミ達のチームには信頼という絆がある。
 それは何よりも大切なもの...オレ達の敗因はそれだ。
 一人の力で勝てる筈も無いのにな。
 それを教えてくれたのはキミ達と、そして鈴原トウジだった...」
「!」


シンジはその名前に驚愕した。
何かを言おうとしても鈴原トウジという名前によって何も言い出せない。
ただ唖然としてワタルを見ているだけだった。
そしてワタルはシンジに別れを告げる。


「碇シンジ、これからも頑張ってくれよ。
 キミなら勝てるかもしれないな...鈴原トウジに、な。
 じゃあな。」


ワタルはグラウンドから去っていく。
シンジはそれを止めようとしたが足が動かず、差し出された手が虚しく宙に浮く。
親友の名がまさかここで語られるとは思いもよらなかった。
そしてシンジの顔が暗く沈んでいく。
苦楽を共にした仲間が敵として自分の前に現れる予感が走る。
それも昨年の優勝校として自分よりも先に夢を叶えた者として...


「トウジ...」


グラウンドに最後の一人になったにもかかわらず、シンジは青く突き抜ける空を見てその名を綴る。










☆★☆★☆











数日後−−−
場所は第3新東京市よりも遥か西へ−−−
高知県にある十六夜高校学生寮の電算室で一人の少年が端末に向かっていた。

カタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタ...

慣れた手つきでキー入力を繰り返し、ネットワークへと接続する。
次の瞬間、少年の調べたデータがディスプレイに文字通り流れていく。
その流れていくデータは各地区の予選の結果である。 少年はメガネを光らせそれを眺める。
だがある高校の名前が表示された途端にキー入力を再開し、更にその高校を調べていく。
そして調べ終わりそのデータが表示された瞬間、少年は信じられないと言ったような声を出す。


「相洋学園が初戦敗退?
 ど、どうなっているんだ...相洋は甲子園ベスト4だぞ。
 オレ達を準々決勝で負かした実力は一体どうしたんだ?」


この十六夜高校は昨年の夏の甲子園準々決勝で相洋学園と闘った。
そして相洋学園が勝ち、準決勝へと駒を進めたのだ。
その実力は実際に去年やり合ったこの少年が良く知っている。
だが事実は事実で、相洋学園は初戦敗退になった。
少年はただ呆然とし、そこに表示されたデータを見る。


「...第3新東京市立第壱高等学校...
 この学校が相洋学園を?」


そして少年はそこに表示されている勝利投手の名前を見つけた。


「碇...シンジ...」


少年はその名を呟く。
その少年こそがシンジのかつての親友であり、同じ夢を持っていた相田ケンスケという球児である。
ケンスケは一年の時からトウジと同様に、十六夜高校のレギュラーとして甲子園出場を果たしていた−−−


第参拾六話  完

第参拾七話を読む




後書き

最後まで読んでいただきありがとうございます。
ようやく一試合終了...まさかこんなに長引くとは。
まあこの試合のお話ではシンジ君の過去について少し触れてみるという意味合いも持っていましたから。
そして最後にケンスケ君の登場...けど本格的な出番はまだまだ先ですね。

それにしても試合のシーンを書くのはものすごく疲れましたネ。
何度も同じようなシーンを使い回してしまい、自分の力の無さを改めて知りました(トホホ)
...とまあ愚痴ばっかり言ってもしょうがないので次回の予告に行きましょう。






緒戦突破を果たした第壱高校

それによりシンジ達は夢、甲子園に向けて一歩踏み出した

甲子園出場−−− それは遠い昔に交わしたムサシとマナの約束でもある

マナを甲子園に連れて行く、その為にムサシは闘い続けてきた

そしてムサシの言葉に涙したマナは、陰日向にムサシを支えてきた

二人の約束はいつ果たされるのか...








という具合で話を進める予定でので、よろしくお願いします。
それから次の更新は4月頃になる予定です。
年度末なんで結構忙しくなってるんですよ、これが...






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