カラカラカラ...
「明日か...アイツと闘うのは。」

部屋の窓を開け、サンに腰を下ろして夏の夜空を見上げてムサシが呟く。
空には数多の星が明滅し、様々な想いが星の数だけ涌き出る。
かくいうムサシもそうであった。
中二の頃にヤマトに問われた事が頭から離れない。
当時、一笑に付した自分の幼馴染みである霧島マナへの想い−−−
彼女への想いが初めて変わったのは7年前、彼女の夢が否定された時であった。
「女」 その一文字だけで彼女の夢が潰えた時、ムサシは彼女の涙を初めて見た。

(オレが連れてってやるよ! 甲子園に!!)

ムサシはマナと約束した。
その時の想いは今も変わらない。 それは自分の夢でもあるのだから。
だが移り行く想いもあった。
それがマナへの想いである。

昔から兄妹のように育ってきた二人だが、突然訪れた男女の差により変わり始めた。
ムサシはマナの夢を護れる強さがほしいと願い、マナはその強い想いに惹かれる。
そして再び訪れた男女の違い。 それがヤマトの言葉−−− マナのムサシに対する想いだった。
当時とは違い、その言葉は今のムサシに大きく圧し掛かる。
単純に好きか嫌いかと聞かれたのなら、それは好きである。 但し口には絶対にしない。
だがその想いが異性に対するモノなのかどうなのかがムサシには判らなかった。

「オレは一体......」

夜空に瞬く星に問い掛けるが答えは出ない。
しばし星空を眺め、過去へと想いを馳せていたところに聞き慣れた声が聞こえた。

「...眠れないの?」
「ああ...ちょっとな。」

物心が着く以前から聞いていた声なので顔を見ずとも誰かは判る。
ムサシの部屋の向かいはマナの部屋だった。
マナは夜空を見上げたままのムサシをじっと見る。

「明日だね、ヤマト君との試合...
 その事を考えているの?」

だが答えは返ってこない。
ムサシはただ遠い星空を見詰めたまま動かない。
マナはそんなムサシの横顔を見て微笑む。

「...きれいだね、ムサシ。
 この夜空って昔と変わらない...どこまでも続いててきれい...」

星空を見上げたマナのその顔は優しくて純粋な笑顔だった。
彼女もまた遠い昔に想いを馳せる。
今の二人はその昔兄妹のように育った頃を思い出していた。
そして思い出は思い出を呼び起こし、二人が変わり始めた時に辿り着く。

「...マナ、覚えているか、あの時の約束...」
「うん、覚えてるよ...」

静かな問い掛けと答えだった。
星々が照らし出す淡い光に包まれる中、ムサシは昔と変わらぬ想いを伝える。

「今年こそ連れてってやるからな...」

昔から聞いていた想いであり口にしていた言葉だが、今までとは違っていた。
今年こそは想い描いていた夢が、手を伸ばせばすぐそこにあるのだ。
多くの仲間達と色褪せぬ想いが夢を現実にしようとしている。

「うん、待ってるからね。」

待ち続けていた夢を叶えてくれる大切な人を信じて、マナは自分の想いを篭めて伝える。
明日の正午に準決勝の闘いの火蓋が切って落とされる。
ムサシはマナの為に、マナはムサシの為に満天の星に願いを掛ける。
幼い頃から願い続けていた、甲子園出場を目指して...











大切な人への想い

第四拾話 男の闘い(前編)











「プレイボール!!」

主審が試合の開始を告げる。
準決勝ともなると双方のスタンドには応援に駆けつけた人数は今までの比ではない。
残り2試合を勝てば甲子園に出場できるのだから各チームの応援の熱も留まるところを知らない。

ザ...

シンジがマウンドを慣らし終わり投球態勢に入る。
準決勝は第壱高校が後攻であった。
スターティングメンバーは変わらず、バッテリーはシンジとカヲル。
内野はヨウスケ、フジオ、ケイタ、タツヤ。
外野はリュウスケ、ムサシ、ススム。

ビッ!
スパーン!!

初球が内角低めに決まりスタンドから歓声が上がる。
シンジのボールは相変わらずの速さで打席に立つバッターを震え上がらせる。

「...なんて速い球を投げるんだ...」

立ち上がりだというのに余裕で140km/hオーバーのボールを投げる。
それに加えて球質も重い。
今までの5回戦の中で完璧にシンジの投げるボールを打てたのは、相洋学園の松田ワタルただ一人だった。
残りは打てたとしてもシングルヒットのみで、ツーベース以上の成績にはならなかった。

ガキ!

鈍い打撃音が生じた。
打球はセカンドのフジオの定位置へと飛んでいく。
それを落ち着いて捕球してから一塁に投げる。

「アウト!」

一番バッターはファーストを踏む事無く自軍ベンチへと戻り、これで1アウト。
次の二番、その次の三番も外野にボールを飛ばす事はできず3アウトとなり、試合は第壱高校の攻撃へと移る。

「3者凡退、調子良いじゃないかシンジ。
 このまま押さえてくれよ。」

キャプテンのタツヤは嬉しそうな表情でシンジの背中を叩く。
打席には一番のケイタが立っており、第一球を静かに待つ。

(総武台のエース...変化球を軸にして投げるピッチャー。
 けど相洋学園のエースには及ばない筈!)
キン!

初球狙いでコンパクトにスイングする。
打球は二・三塁間に飛び、そのまま外野に抜けて行こうとする。
だがショートが横っ飛びで待ったをかけた。
バシッ!
打球はグラブに収まり、すばやく体勢を整えて矢のような送球を一塁へ投げる。

「アウト!」

僅かな差で出塁する事は出来なかった。
ケイタは大きく息を吐いて内野の守備陣を見据える。

「鉄壁の守りか...データではエラーの数も少ないし、ちょっと難しいな。」

総武台高校はエラーが少ない。
他の高校に比べてみると守備の評価はダントツで県下一であった。
ピッチャーの人数も他と比べると多く、1試合平均で3人もしくはそれ以上をかけていた。
少ない得点でも隙を見せる事無くそのまま逃げ切る。 これが総武台高校のスタイルであった。

カキン!

カヲルの打球は内野と外野の中間に落ち、シングルヒットとなる。
しかし三番のタツヤは変化球を打たされショートの真正面、セカンドがベースカバーに入り6・4・3でダブルプレーに打ち取られ3アウト。
例え塁に出たとしても、守備は分厚くそれ以上の進撃を許さない。
その守備を第壱高校スタンドでマナとレイが見ていた。

「やっぱり守備が堅いですね。
 けど攻撃力はそれ程でもありません。
 問題は...」
「ええ、この回で出てくるヤマト君ね。」
「ハイ。
 彼の打率は3割を軽く超えています。
 特にチャンスになると8割に達しているんです。」

総武台高校のデータを見ながらレイは答える。
その問題のヤマトの打順は五番で、既にネクストバッターサークルに控えている。
しかしヤマトが見ているモノはピッチャーのシンジではなく、センターに居るムサシだった。

バシィ!
「ストライク、バッターアウト!」

一方シンジは四番を三振に打ち取っていた。
三球三振、無駄なボールは投げていない。
そして四番は去り、五番のヤマトが打席に入る。
シンジはヤマトというバッターとしての才能を知らないのでムサシ達から聞いていた。

(実力はムサシと同等かそれ以上、特質するべき部分は彼の打率...か。
 確かに異常なほどの打率を誇っている...
 ムサシ達は彼のカンによるモノだと言っているけど、それってそんなにアテになるモノなのかな?)

リュウスケにしてもカヲルにしても、投手の癖や投げる球種の傾向を知り、試合の状況を把握して打席に立ち、それで初めて打っているのだ。
シンジは読みというモノは信じていたが、カンというモノが信じられなかった。
しかし彼の打率だけは事実なのでピッチングも慎重になってくる。

「ボール!」

主審の声がグラウンドに響く。
シンジはカヲルからの返球を受け、ヤマトを観察する。

(結構際どいコースに投げたんだけど全然動かないな。
 カンを頼りにしているから、タイプとしてはチェンジャー...なのかな?)

ここで説明するが、バッターのタイプとして大別すると二種類ある。
一つが先程のチェンジャー。 そしてもう一つがウェイター。
チェンジャーとはその都度打つ球種を変えるため、臨機応変な対応が求められる。
ウェイターは打つ球種を決め、ただひたすらにそのボールが来るのを待つ。
これは読みがモノを言うので、ちょうどリュウスケやカヲルがこれにあてはまる。
そこからするとヤマトは一球毎にカンを働かせるのでチェンジャーという事になる。

ザザ...

シンジはマウンドを足で馴らし、ロージンバックですべり止めをつける。
カヲルとサインのやり取りを行い、次のボールを決める。

(うん、じゃあそれで...)
(けど気を付けてね、彼の事は読めないんだ。 何を狙っているのか、どこが苦手なのかが...
 だからストレートの球速と球威で押してみようと思うんだ)

慎重に球種とコースを決め、シンジは投球モーションに入った。

ビッ!

オーバースローから投げられたボールはカヲルのミットへ一直線に走る。
コースは内角の高目、ストライクゾーンには入っていないがヤマトの顔面近くに突き刺さるコースだった。

ズバァン!

ボールがミットに突き刺さったがヤマトは顔色一つ変えず、鋭い目でシンジを見る。
カウントはボールが二つ。
知らぬ間にシンジの頬に冷汗が流れる。

(なんてプレッシャーを掛けてくるんだ...)

ヤマトが放つ威圧感を受け、シンジは押され気味になる。
ムサシと同等かそれ以上の実力の持ち主−−− それを改めて認識する。

(...だけど、彼に勝たなくちゃ甲子園には行けない!)

返球を受けたシンジはボールを握り、闘志を呼び起こす。
そして流れるフォームからボールが放たれ、ヤマトの目が更に鋭くなった。

ガキン!











☆★☆★☆











時は遡り三年前の第壱中学−−−

「ようムサシ。」
「なんだオマエか、ヤマト。」

大会が近いせいか、部活のハードな練習により、疲れた切った顔でヤマトの方を見る。
この二人は何か事がある度に競い合う。 二人の対決が無かった日が今までに一日とて無かったくらいだ。
従って今回もヤマトが何か挑んで来るのではないかとムサシは推理した。
だがヤマトの目に何故だか今までにない何かを感じた。
言動や行動には多少問題があるのだが、それは全てヤマトの想い人であるマナを気を引くという正当なる(?)理由がある為に彼自身は結構真面目である。
その真面目な彼が何か思い詰めている事がムサシには感じ取れた。
重苦しい空気が二人に纏わり着く。

「どうしたんだヤマト...まさかまた何かやらかそうって考えてんのか?」

この嫌な雰囲気から抜け出そうとしてムサシが砕けた口調で話す。
だがヤマトの雰囲気は依然変わらない。
言いようの無い重圧に押しつぶされそうになり、焦ったムサシは答えを急がせる。

「何か話があるんだろう?
 だったら早く言ってくれよ、オマエらしくもない。」
「...らしくないか...そうかもしれないな。
 どうだムサシ、これからバッティングセンターに行かないか?」
「あ、ああ、いいけど...」

ヤマトの態度に少し戸惑いを覚えるが、なんだかんだ言っても友情には厚いため、ムサシは付き合う事にした。
第3新東京市の中心部にはアミューズメント関係専用の施設があり、バッティングセンターもそこにある。
ちなみにその施設は1階はゲームセンター、2階はボーリング場、3階はビリヤード場、屋上はバッティングセンター及びゴルフの打ちっぱなしとなっている。

カキーン! カキーン!

ボールを打つ音が二つ鳴り響き、飛距離はほぼ同じ。
二人とも左打ち、スイングのスピードも大して変わらない。

カシャ!

バッティングマシーンからボールが投げられた。

カキーン! カキーン!

またも同時に鳴り響き、高く張られたネットに突き刺さる。
二人の力はほぼ同じ。
初めて逢ったその時からすぐ隣に居て、互いに競い合ってきた。
目指すモノは同じ。 マナの為に甲子園を目指す事−−−
だがそんな二人にも違う点がある。 それがマナに対する位置関係であった。
ヤマトは中学に入学してから出逢ったのに対し、ムサシの場合は産まれた時から隣に居た。
ヤマトは自分の気持ちを公言しているのに対し、ムサシはただの幼馴染みという言葉で終わらせる。
だがマナの気持ちが加わると話は変わってくる。
マナの場合は言っている事はムサシと同じなのだが、心の奥ではムサシだけを想っている。
それがヤマトの悩みのタネであった。
マナはムサシが好き。 では本当のムサシの気持ちはどうなのか?
それを考えるだけでヤマトは落ち着かない。

カキーン! ガッ!

ヤマトの打ったボールは前に飛ばなかった。
心の乱れがバットに伝わったのだろうか...
それでも次のボールに備えてフォームを整える。

ガシャン!

バットには当たるのだがまたも前には飛ばない。
しかしヤマトは興味が無いのかフォームを整えて次を待つ。

「オイ何やってんだヤマト、もう終わりだぜ。」
「え? あ、ホントだ...」

ムサシに言われてようやく終わっている事に気付いた。
結局あれからはまともに当たらず、気持ちはモヤモヤしたままであった。
先にバットを片付け終わったムサシは、近くにあった自動販売機で冷たい物を買う。
カシュッ! っとプルタブを起こし、ノドを潤す。
その頃になってようやくヤマトが出てきた。

「...で、なんか話があるんだろ?」
「ああ。」

ムサシは近くの椅子に座り、少し間を置いてから本題に入った。

ピッ...ゴトン

ヤマトも飲み物を買い、ムサシの横に座る。
辺りにボールを打つ金属バットの音が鳴り続ける中、ヤマトは話し始める。

「...来月だよな、大会...
 ムサシはスタメンに入れそうか?」
「う〜ん...3年の先輩が結構居るから難しいかもしれない。
 先輩達はこの大会で最後だから監督はそれを優先すると思う。 監督は優しいからな...」
「だよな...けどケイタの話じゃ第弐中では1年でレギュラーになれたヤツがいるらしいぜ。」
「ああ、聞いた聞いた。 速水フジオって名前だ。
 あっちは実力が全てなんだとさ。」

ムサシは第壱中と第弐中の違いを恨めしく思っていた。
野球にしろ何にしろ、こう言った競い合うスポーツでは、上を目指すモノとそうでないモノに分けられる。
第弐中は当然上を目指すモノ。 だから実力さえあれば認めてもらえる。
だがムサシ達の第壱中は後者であり、ムサシとヤマトは1年の頃はレギュラーに選ばれる事は無かった。

「実力じゃオレ達の方があるのにな...って愚痴ってもしょうがないさ。
 それに夏が終われば3年生は引退、オレ達は晴れてレギュラー入り。 めでたしめでたし。」

ムサシは諦めている為に半ばいい加減に答える。
しかしヤマトは違った。

「...オマエはそれでいいと思ってんのか? 大会に出たくはないのか?
 オレは出たい...出たいんだ。」

ヤマトは思い詰めたような顔で自分の正直な気持ちを話す。
それは気持ちはムサシも同じだった。

「そりゃあオレだって出たいさ。
 けど先輩達の事を思うとそうもいかないだろう。
 オレ達には次がある。 だけど先輩達は...」
「そんな事で甲子園を目指せるとでも思ってるのか!
 レギュラーになるっていうのは他人を蹴落とすって意味だろう!
 それだけじゃない。 甲子園に行くには沢山の学校を蹴落として初めて行けるんだ。
 同情や哀れみなんかじゃ意味がないんだぞ!」

ヤマトは立ち上がって力説する。
目は真剣で、口にした言葉は本気である事がムサシには判った。
確かにヤマトの言う事には一理あるとムサシは思う。
しかし同時に間違っている所もあると思っていた。

「オマエの言う事は判る。
 だけどな、レギュラーになるって言うのはそうじゃないとオレは思うぜ。
 レギュラーになるという事はナインに入るという意味でもあるんだ。
 他人を蹴落としてきたヤツを他のレギュラーが認めてくれると思うか?」
「レギュラーに選ばれるって言うのは認めてくれたっていう事じゃないのか!?
 百歩譲っても、なんで他のヤツらに認めてもらわないといけない!」

まだ興奮の冷めないヤマトはムサシに食って掛かる。
しかしムサシは冷静だった。

「何も判ってないんだなオマエは。
 ナイン...と言うよりもチームと言うのは 『人の和』 が大切なんだ。
 野球は一人でやるスポーツじゃない。 チーム内の信頼関係を築かないと勝つ事は出来ないぞ。
 オマエは他の人を信頼しているか?」
「ぐ...」

痛いところを突かれヤマトは言葉に詰まる。
ムサシはそんなヤマトから自分の言葉が伝わった事を感じた。

「どうやら判ったようだな。
 オマエの気持ちは理解しているつもりだ。 オレだってレギュラーになりたいからな。」
「だったらどうして...?」
「信用されてないからだろ。」

ムサシはしれっと言い、その言葉を聞いたヤマトは自分の耳を疑わずにはいられなかった。

「信用って...オマエそれ本当かよ?」
「ああ、そうだ。
 だからこそ、オレ達はもっと強くならなくちゃいけない。
 先輩達が 「これなら任せられる」 って言われるくらいにな。」

ムサシの目には迷いはなかった。
他人を蹴落とすのではなく、他人に認められる事でレギュラーになれるとムサシは思っていた。
その考えにヤマトは惹かれる。

「...ったく、お人好しなヤツだな。
 けどそうかもしれない...もっと強くならなきゃいけないもんな。」
「そ、オレ達はまだまだ弱いんだ。
 甲子園なんて夢のまた夢、現実は厳しいぞ...よ!」
ガコ、カラン! カラカラ...

ムサシは飲み終わったジュースの空き缶をクズカゴに投げ入れるが外れてしまう。
そこへすかさずヤマトの激が飛ぶ。

「ムサシ、そういう捨て方はするんじゃない!
 空き缶はちゃんと手で入れろ! ...なんでこんなヤツにマナさんは...」
「悪い悪い...これで良し。」

どうやら最後の方はムサシには聞こえなかったようだ。
ムサシは外れた空き缶を言われた通り、ちゃんとクズカゴに入れる。
日はとっくに暮れており、人工的な光によって辺りは明るく照らされていた。










☆★☆★☆











場所は移ってヤマトの部屋−−−
彼の机にはしっかりとマナの写真が飾られている。

「先輩達に認めさせる程に強くなる...か。
 アイツの考えには恐れ入ったぜ。
 マナさんが慕っているのは伊達じゃないって事だな。」

机に向かい、マナの写真を見ながら、先程のバッティングセンターでの事を思い出す。
自分には足りなかったモノが今になってようやく判った。
容姿や実力はほぼ同じだが、考え方に大きな違いがある。 そこにマナの想いの違いがあった。
今回だけは自分の敗けを素直に認める事ができた。
だがしかし、それが返ってヤマトの闘志に火を着けた。

「榛名ムサシ、オマエは大したヤツだ! 相手にとって不足無し!!
 必ずやオマエを越えて見せるぞ!
 そして...そしてその時こそマナさんはオレに振り向いてくれる筈!!
 マナさん! オレは野球だけでなく、人としても...いや、男としてもムサシに勝って見せます!!」

新たなる決意を胸に秘め、ヤマトは夜空に浮かぶ月に向かって叫ぶ。
だがドアをノックする音が彼を現実の世界へと連れ戻した。

「あれ、どうしたの父さん?」
「ヤマト...話がある。
 ちょっとリビングに来てくれ。」

父親の言う通り、素直にリビングへと向かう。
そこには母親も居た。
しかし何故かいつもと違う雰囲気だった。

「母さんまで...」
「オマエを呼んだのは他でもない。
 実は...日本を離れる事になった。」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ父さん。
 日本を離れるって、一体どうしたんだよ!」

突然の事にただ驚くしかなかった。
ヤマトの父と母は息子がこうなると予想していたので、ヤマトとは反対に落ち着いていた。

「ストラスバーググループの事は知っているな?」
「確か香港のじっちゃんが会長だよね...」
「そうよ。
 ...そのおじい様が倒れたの...」
「う...そ...」

ヤマトは次々に告げられる事実に言葉が詰まる。

「会長はもうかなりの御歳だ。 既に隠居するとも言っている。
 となると直系の家族であるウチは香港に戻らなければならない。」
「そんな勝手な...
 オレは日本を離れる気は無い! ここに居たいんだ!」

日本と言うよりも、本当は第壱中から離れたくはなかった。
野球部という仲間達、マナという初恋の人、そしてムサシというライバル。
それら全てを手放したくはなかった。
だが家庭の事情もあり、ヤマトの母親が現会長の一人娘であり、後を継ぐという形で祖父の元へ帰らなければならない。
しかも後継者問題としてヤマトの話が出ていたのも事実であった。
親から子へ、子から孫へと世代が移るように、ゆくゆくはヤマトに後を継がせる話で、それ相応の教育が必要になってくる。
その為には日本を離れなければならないのだ。
そして帰れば恐らく二度と日本へは戻って来れない。
ヤマトの両親は息子の気持ちを痛いほど理解していた。

「野球部の事だな。」

ヤマトは無言で頷く。
そこでヤマトの父親が条件を出した。

「ならばこうしよう。
 もしオマエが次の大会でレギュラーに選ばれたのならば好きにするがいい。」
「本当か? 父さん!」

その時の表情は今までに無いくらいに喜んでいた。
それを見た母親は優しい笑顔になる。
親の都合で自分達の子供を不幸にしたくはない。 それがヤマトの両親の出した答えだった。

「そうだ。
 だが無理だったら香港へ行かなければならない、それが条件だ。」
「ありがとう、父さん!
 必ずレギュラーになって見せるよ!
 ...それから大変だったんでしょ、じっちゃんを説得するのって。」
「子供は余計な心配などしなくていい!」
「ハハハ。」

顔を赤くして怒る父を見ながらヤマトは感謝した。





そしてその翌日の部活で、夏の大会のレギュラーが発表された。
だが選ばれたのは、3年生だけであった。


第四拾話  完

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