第3新東京市のとある喫茶店。
そこにゲンドウがドアを開けて入る。
カランとドアに着けられた鐘が鳴り、来客を店内に知らせる。

「いらっしゃいませ。 お一人様ですか?」

ウェイトレスが元気良く笑顔(営業スマイル)を見せる。
だがゲンドウはそれを手で制して店内を見渡す。
すると奥の方で自分を見る視線に気が付いた。

「キミかね?」

ゲンドウはそこで場違いな気配を漂わす男の席に近づき問う。

「ハイ、そうです。
 わざわざご足労願いまして申し訳ありません。」

テーブルの上には温くなったコーヒーとA4サイズの封筒があった。
ゲンドウを呼び出した男は席を勧め、飲み物を注文する。

「コーヒーでよろしいですか?」
「構わん。」

ゲンドウは短く、素っ気無く言う。
その態度に動せず、その男は席に着く。
互いに自分の心を探らせないように表情を消し、相手を値踏みするように観察する。
だがゲンドウの眉が僅かに上がった。

「...ようやく思い出してくれましたね。」

その僅かな変化を見逃さず、男が喋る。
毅然とした態度を崩さずにゲンドウは答える。

「久しぶり...そう言えばいいかな、槙村君。」
「ええ、二年ぶりですね...碇ゲンドウさん。」

そこに居たヒデユキは昨日とは打って変わり、殺気にも似た気配を漂わせていた。
数多の修羅場を経験した刑事だけが持つ鋭い眼光をゲンドウに浴びせていた。











大切な人への想い

第四拾四話 過去を知るモノ











「いっかりセ・ン・パ・イ!」
「うわぁ!?」

放課後の野球部の練習の最中、レイがシンジに背後から抱き着いた。
もちろん体全体を使った愛情表現なので、シンジの背中には柔らかい感触が二つできる。
お陰でシンジは耳まで真っ赤になる。
健全なる男子たる者、反応しなければ失礼というものである(笑)
けどレイはそれが狙いだったので、すかさずからかう。

「どうしたんですか、碇先輩?
 顔、真っ赤ですけど♪」
「あ、あのさ、綾波...
 その...なんて言うか...当たってるんだけど。」

さりげなく言うシンジ。
それは過去の経験上、回りくどく言うのを躊躇われたからである。
遠回しに言うとレイは調子に乗って更にからかってくるので、最近は学習しているのである。
だがそれでもまだレイの方が強かった。

「当たってるって、何がですか?」

ボッとシンジの顔が更に熱くなる。
それを見たレイが悪戯っぽく微笑む。

「先輩のH。」

耳元でそっと呟く。
やり場の無い手を宙に漂わせ、血液が頭と他の一部分に集中する。
その時のシンジはいつも通り、と言うよりもいつも通りからかわれているシンジに戻っていた。
準決勝が終わってからと言うもの、シンジは日に日に暗く沈んで行く。
となると周りは当然心配する。
こうした事があるが故に、レイは事ある毎にシンジを奮い立たせる(何を?)為に体を張る。

「綾波、みんなが見てるよ。」
「元気になりました?」
「!」

ここでようやくシンジを解放する。
レイの心に気づいたシンジは、済まなそうな表情で自分を心配してくれる人を見る。

「ゴメン、綾波。」
「あと一つで甲子園なんですから頑張って下さいね。」

好きな人にはいつも笑っていて欲しいと願う。
あと一つ、その試合は次の日曜日。 そして相手は水上タケシ率いる柏陵高校。
実力的には昨年の代表校である相洋学園と同等と評価されている。
エースであるシンジが力を出し切らなければ、油断は許されないのだ。
その為にレイがシンジを元気付ける。
一見健気な女の子だなと思うのだが、本人も楽しんでいるので周りは当てられているというのが現状であった。

「全く、あんなんで大丈夫なのかな?」

二人を見ていたキャプテンのタツヤが心配そうに言う。
ヒデユキに逢ってからと言うもの調子が落ちているのがはっきりと判っていた。
上の空という具合に、練習に集中できていない。

「そうだな、決勝も近いというのに...
 ハイこれ。」
「お、やっとあがったのか。
 サンキュ、ススム。」

ススムから渡された相手校のデータノートに目を通す。
攻守ともにバランス良く仕上がっている。
それが決勝の相手である柏陵高校のデータであった。
特に四番の水上タケシの調子が上がってきているのが書かれていた。

「これと言った弱点は無いみたいだな。
 総力戦かな、決勝は...」
「加持先生じゃないですか。
 今まで何処行ってたんですか?」
「野暮用があってな。
 それよりもシンジ君の方が心配だよ。」

投球練習をするシンジを見る。
力が入らず、勢いの無いピッチングしかできていなかった。

「ですよね。
 それに準決勝では完投でしたから、ここはフジオが良いんじゃないですか?」

タツヤが進言する。
試合ではあまり動かないのだが、選手の決定権は最終的には加持が握っている。
キャプテンはあくまでも助言までしかできない。
とは言うものの、ほとんどの場合はその助言が通ってしまうのも現状なのである。

「そうだな、フジオ君も最近調子が上がっているようだし...
 先発は彼で行くべきかもしれないな。」

加持は腕組みをしながら考える。










☆★☆★☆











...「どうやらキミとは分かり合えそうもないな。」

ゲンドウは表情を崩さずに席を立ってヒデユキに話す。
あれからどれだけの時間が経ったのだろうか。
コーヒーは一滴も飲まれていないのに、湯気は出ておらず冷たくなっている。

「ここは私が持とう。
 キミとはこれっきりにしてもらいたいものだ。」

伝票を持ってレジに向かう。
ヒデユキはその向けられた背中をただ見ているだけだった。
メガネのレンズを通して何を見ようとしているのか。
だが不意にゲンドウが立ち止まった。

「ああ、それからそこに居るお嬢さんにもよろしく伝えてくれ。
 なんでも結婚したそうじゃないか。」
「...ご存知だったのですか?」
「左手を見れば判る。」

それだけ言うとゲンドウは清算を済ませて出た。
それを確認してからサエコがヒデユキの席につく。

「...相変わらずすごいわね、あの碇ゲンドウって人は。
 まさか私の事に気付くなんて。」
「そんなに驚く事は無い。
 報告書にも洞察力や状況分析に長けていると書かれている。
 何があっても不思議じゃないさ。」

ゲンドウに関する報告書を改めて見る。
その目は既に犯人(ホシ)を追う刑事(デカ)の目になっていた。

「ヒデユキ、今のアナタの目。」
「...仕方が無いだろう。
 自分でも良くここまで抑えたと感心しているんだ。
 これぐらいは勘弁してくれ。」
「ごめんなさい...」

いつもは絶えず目を細めて笑っているのだが、いざ仕事となると今の目になってしまう。
サエコはヒデユキの今の目が好きではなかった。
その目をするようになったのは昔の事だった。
ヒデユキとサエコが初めて逢って間もなくしてからするようになった目。
ソウが殉職してからするようになったのだ。
その原因を作ったのは誰でもない、サエコ自身でもある。

「それにしても、今日はこれで良かったの?
 あっさりと引き下がって...」
「始めから上手く行くとは思ってないよ。
 これは宣戦布告さ。」










☆★☆★☆











時間は経ち、碇家−−−

「おかえりなさい、アナタ。
 今日は遅かったんですね。」

ユイが今帰ってきたゲンドウを迎える。
時計は既に21時近くを指している。

「ああ、ところでシンジはどうした?」
「何言ってんるんですか。
 いつもの練習に決まってます。」

シンジはムサシ達との特訓に行っていてここには居ない。
別にゲンドウはその事を知らなかった訳ではない。
そしてユイはゲンドウの言葉の裏に気付く。

「...今でしか話せない事なのですか?」
「ああ...」

嫌な沈黙が現れる。
絶えず笑顔を見せるユイなのだが、暗く沈んで行く。
いつかは来ると思っていた。
ただ問題を先送りにしているだけだった。
思い詰める。 それでも立ち向かわねばならない。

「シンジ君...いえ、彼が来たのですか?」
「そうだ。」

短く言い放つ。
今のユイは二年前の出来事を思い出していた。
シンジの母親と妹が死んだ時に、シンジを巡って起きた事を。










「シンジ君は私達が引き取ります!」
「お気持ちは判ります。
 ですが本当にそれがシンジ君にとって最善だと思っているのですか?」

とある一室で議論が交わされていた。
シンジの母親と妹の葬儀が終わり、残った問題としてシンジのこれからの事が持ちあがった。
父親は既になく、母親と妹を亡くし、家族が全て居なくなってしまった。
そこにシンジの叔母にあたるユイが引き取ろうとしたのだがヒデユキが反対してきたのだ。

「私はあの子の叔母にあたります!
 私達が引き取るのが筋と言うものでしょう!」

普段とは違い、熱を帯びて説得するユイ。
だがヒデユキは猛反対する。
こちらもかなり熱を上げていた。

「血筋が問題ではありません!
 ここには彼の全てがあるんですよ!
 それを捨てろと言うんですかアナタは!!」

双方ともに一歩も引かない。
だが時間は数時間にも及んでいた。
ユイはシンジに新しい道に進んでもらいたく、ヒデユキは残された夢を叶えてほしかった。
どちらも立ち直るキッカケにはなる。 どちらも間違ってはいない。
しかし二人は両極端であった。
ユイは全てを忘れさせるが、辛い今から解放させる。 ヒデユキはその反対。
時間はやがて冷静さを失わせ、議論を泥沼に誘う。

「...シンジ君の為だと言っても、実はご自分自身の為じゃないんですか?」
「どういう意味ですかそれは?」
「アナタ達夫婦には、お子さんができなかったそうじゃないですか。」
「!」

普段だったら絶対に口にしない事を言ってしまった。

「ちょっと槙村、アナタ何言ってるのよ!」
「野上さんは黙ってて下さい!」

それを聞いたユイもまた普段からは考えられないほど逆上する。

「それを言ったらアナタ達もそうじゃないですか!
 シンジ君のお父様のソウさんが亡くなったのだってアナタ達が!!」
「何故ここで先輩の名前を出す!
 今は先輩は関係無い!」
「関係無い筈はありません!
 ソウさんが健在ならこんな事にはならなかった!
 ...野上さんでしたね、確か...
 アナタが来なければソウさんは死なずに済んだ、違いますか!」

いきなり矛先をサエコに変更して攻め立てる。
サエコが追いかけて来た事件にソウを巻き込んだ。
その為に深入りしたソウは殉職した。
結果論ではそうなる。
だが刑事と言う職に就いた以上、そうなる事を本人も家族も覚悟せねばならない。
故に当時ソウが殉職した時もシンジ達は責めはしなかった。

「な...サエコは関係無い!
 アナタは自分が何を言っているのか判っているのか!!」
「...いいのよヒデユキ...その通りだから。」
「あら、名前で呼び合えるなんて仲がよろしい事。
 アナタは憎くは無いんですか?
 ご自分の面倒を見てくれた恩人を、間接的にとはいえ殺した人なんですよ。
 それとも忘れてしまったのですかアナタは?
 ...そんな人にシンジ君を任せられるモノですか!!」

ユイの顔は醜く歪む。
一方ヒデユキは最愛の人を侮辱された怒りを抑えきれなくなる。
握られた拳が震え、何処か遠くから声が聞こえる。 殴れと。
だがその時、乾いた音が鳴り響いた。

パーン!

時が凍り付いたように誰も動けない。
そしてヒデユキとユイの熱は一気に冷めていった。

「いい加減にしろ、ユイ。」

ユイの頬を叩き、二人を止めたのはゲンドウだった。

「あ...ごめんなさい...」

ユイは赤くなった頬を押さえ、酷く疲れた顔を見せる。
失っていた冷静さが戻り、今までの自分に驚いていた。
普段の自分ではあり得ない。 だがそれもまた自分だと気付く。
自分の奥深くにある醜さに驚愕していた。

「妻の非礼は私が謝ろう。
 済まない...」
「いえ、私の方こそカッとなってつい...
 申し訳ありませんでした。」

その場を支配していた険悪さは消え、二人に冷静さが戻った。
そしてゲンドウが議論を続ける。

「キミがシンジを想っているように、私達もシンジを想っている。
 それだけは理解してもらいたい。
 だがキミは本当にシンジを支えて行けるのか?」
「あ、当たり前です!
 私はシンジ君が小さい頃から見てきた。
 アナタ方より近くに居たのです!」

ゲンドウ達から見ればまだ若いが、ヒデユキはそれなりの人生を経験していた。
それに刑事という職業柄、シンジのような子供達も沢山見てきた。
だからこそ今のシンジを助けてあげたかった。
恩人である人の為にも、そして刑事という職業の誇りの為にも。

「それは私達も重々承知している。
 だがキミはシンジの傍に着いていてやれるのか?」

刑事という職業柄、家を留守にする事が多い。
ゲンドウはそこを危惧していた。

「できないだろう。
 ソウですら傍に居られた事は少なかった筈。」
「た、確かにそうですが...」

ゲンドウの言う通り、ソウが家族と一緒に居られた時間は決して多くは無かった。
その事は一緒に仕事をしていたヒデユキが一番良く知っている。

「だが私達ならば傍に居られる。
 今のシンジに必要なモノは、傍で支えてくれる人間だ。」

確かにその通りであった。
今のシンジは生きる希望を失っている。 最悪の場合、後を追う可能性もあった。
だが、なおもヒデユキは食い下がる。
自分がダメでもここには支えてくれる人間は他にも居る。
自分よりも、ゲンドウ達よりも、そして死んでしまった家族達よりも近いと言える親友がここには居るのだ。
彼らならばシンジを救ってくれる筈−−− ヒデユキは確信していた。
だがゲンドウはその希望さえも突き放す。

「シンジも私達と来ると言った。」
「な?」

ヒデユキの顔が凍り付く。

「これでこの話は終わりだ。
 シンジは私達が引き取る。」
「...き、汚いぞ!
 勝手に話を進めるなんて!!」

一方的な展開に逆上し、ゲンドウに掴み掛かる。

「落ち着きたまえ槙村君。
 これは本人の希望でもあるのだ。
 それを止める事は誰にもできない、そうだろう。」
「くっ...」










そして全てが終わった。
ゲンドウの言う通り、その時のシンジはここから離れる事を望んだ。
今までの自分を捨て去る事を承知の上で選んだ道だった。
だがヒデユキはそれでも諦めなかった。
その昔、シンジが自分に話してくれた夢の事。
自分よりも年下であるのに、ちゃんとした目標を持っていた。
その時に見せた笑顔が他でもない、シンジの父親であるソウと重なったのが今でも目に焼き付いている。
その時に一緒に居た空色の髪、紅い瞳の少女と栗色の髪、蒼い瞳の少女が優しく微笑んでいた事も。





ヒデユキは自室の窓から月を見ていた。
優しくもあり哀しくも見える目で、暗闇の中で蒼い光りを放つ月を見ながら呟く。

「シンジ君は知っているかな...今のあの子、あれからの事を...」



第四拾四話  完

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