「...驚いた?」

レイは驚きのあまり何も答えられない。
自分と同じ顔をした女の子がそこには写し出されており、その写真から二人の仲が伺える。
妹と言っても、その少女のシンジを見る目は自分と同じだと気付いた。

(このコもきっと先輩が好きなんだろうな...)

自分が想い描いてやまなかった願いがそこに写っていた。
好きな人の笑顔の傍に自分が居るから。

「驚くよね...自分と同じ顔をした人が写っているんだから...
 僕だって驚いたよ。
 綾波と初めて出逢った時、自分の目を疑ったから。」

シンジの言葉にレイはその光景を思い出す。
その時、確かにシンジは 「レイ」 と言っていた。

「綾波と妹のレイが重なったんだ...そんな事は絶対に無いのに...」

レイは黙って聞く。
自分と同じ顔の少女が妹。
だが話はまだ続く。

「でもね、その妹ももう居ないんだ...」

なんとなくは判っていた。
しかしどんなに辛い言葉かは判っていたのに、本人の口から聞くまでは信じられなかった。

「二年前に母さんと一緒に死んだ...
 まだ14歳だよ...たったそれだけしか生きられなかったんだ...
 僕はレイを護り切れなかった...
 そんな大切な事さえ忘れていたんだ!」

その時になってようやく涙が溢れてきた。
自分の好きな人の為に何度流してきたかは最早判らない。
それでも流れ、想いが深ければ絶対に枯れない事を知った。

「妹を護りたかった、僕はレイが好きだったんだ!!
 ...それなのに護れなかった...
 大切な人も護れない僕に人を好きになる資格なんて無いんだ...その事を忘れていた僕には生きる価値も無い...」

涙で視界が遮られ、視覚が封じられる。
だが効かなくなった視覚を補う形で、残りの四感が働く。










近づいてくるのを音で感じる。










自分を優しく包み込んでくれるのを肌で感じる。










鼻を撫でるような甘い香りを感じる。










そして唇には涙の味がした。















大切な人への想い

第四拾六話 ぬくもりを、貴方に











「え〜〜〜と、冴羽、冴羽...あったあった。」

電話ボックスの中で手帳をパラパラめくってアドレスを探す。
この時代にもなると携帯電話や携帯端末を持つ者が大半なのだが、ヒデユキはそういう部類には入っていなかった。
デジタルよりもアナログが好きなのである。
辺りの喧騒には気を取られる事無く、受話器を取ってカードをスリットに入れ、アドレスに書かれている電話番号を押す。
そしてコール音が五回ほど鳴るとお目当ての人物が出た。

「もしもし、槙村ですが。」
「槙村? おお、久しぶりだな。
 どうだよ、新婚生活は?」

受話器の向こう側から元気な声が聞こえ、ヒデユキは相変わらずだなと笑う。

「ま、ぼちぼちとな。
 それよりもリョウ、そっちの方はどうだ?」
「ったく相変わらずせっかちなヤツだなぁ。
 彼らだろ? 全く持って問題ナシ。
 明日が決勝でな、去年の覇者という訳で間違いなく勝つというのが大方の予想だ。」

兵庫県の東雲高校である。
ヒデユキは先月までその近くにいたので大抵の事は知っていた。

「まあそんなところだと思ってたよ。
 それよりもあのコはどうだ? この時期になると心配だ...」
「今のところは心配いらん。 友達が傍にいるからな。
 あとな、高知県の彼も決勝に上がったようだ。
 そっちの方もそうなんだろ?」
「ああ、先日めでたく決勝に進出した。
 それからな、実際に逢って話をしたよ。」

ヒデユキは準決勝が終わってからの事を話す。
受話器からはリョウの相槌が優しく聞こえてくる。
何も変わっていなかったのが嬉しかった。

「...今年は荒れるな槙村。
 あの3人が敵同士になるなんて、あの頃は思いもよらなかったからな。」
「そうだな。
 ま、なんにしてもそっちの方は任せる。
 オレはこっちで忙しいからな。」
「オウ! 任せろって。
 じゃ、カミさんによろしくな。」

電話を切るとカードが電子音と共にスロットから出てくる。
それをピッと抜き取り、無造作に胸ポケットの押し込む。

「忙しい...か。
 確かにこれからそうなるな。」










☆★☆★☆











そこにはシンジとレイの二人しか居なかった。
シンジの夢、野球を再び始めた理由は親友との再会を果たす為に−−−
だがそれ以外にも理由はあった。
かつて妹と幼馴染みに話した自分の夢の為に−−−
それは辛く哀しい刻を過ごし、これからも泣きながら生きて行くのだろうと思ったから、せめてそれだけは叶えたかったのかもしれない。
だが刻の流れは残酷であり、家族の死すら記憶の奥深くに眠らせ、忘却という事実はシンジに自責の念を植え付ける。
だがレイは暖かい温もりで優しくシンジを包み込んだ。
首にまわした両の腕。
黒き髪からフワリと香る匂い。
触れ合った唇には心地良い刺激が走った。

「綾波...何故?」
「一人で全部背負わなくてもいいんですよ。」

唇は離したが首にまわした両腕はそのままで、知らぬ間にレイも涙を流していた。
流れた涙が頬を伝い、白い肌に一筋の道を描く。
レイはシンジの目を優しく見詰める。

「あなたの傍には必ず私が居ます...だから、分けてください。
 苦しみも辛さも、全て...」

レイはシンジの過去を受け止めようとする。
助けてあげたかった。 後悔はしたくなかった。
今シンジを支えなかったら二度と自分の願いが叶えられないと、傍に居る資格すらないと思った。

「ダメだよ綾波。
 僕にはできない...これは僕だけの問題なんだ。」
「人はそんなに強くありませんよ。
 でも一人じゃなければ、傍に誰か居れば、強くなれるんじゃないですか?」

確かにそうだった。
ソウを失った時はユミとレイが居た。
だから強くなれたし、強くなろうとも思った。
不意に首に廻されていた腕がほどかれ、温もりを失った。

「あ...」

突然レイの存在を感じられなくなり、不安に駆られる。
二年前と同じ−−−
目の前にちゃんと居るのだが、今のシンジにはそんな考えしか思い浮かばなかった。
だがレイはそっとシンジの右手を取る。
そして取った右手を自分の左胸に当てた。

「感じてください...私を。」
「あ、綾波...」

シンジの右手に乳房の柔らかい感触が走り、動揺する。
だがそこからレイの温もりを感じ、心を落ち着かせてくれた。
綾波レイが確かに目の前で生きている事を教えてくれていた。

「あ、あの...はしたない女だと思わないでください...
 こんな時に、こんな事をする女なんて...
 でも、感じて欲しかったんです...私という存在を。
 いつでも貴方の傍に居るという事を...」

レイは潤んだ瞳を向ける。
シンジは自分に触れた手が震えていた事に気付いた。
そして右手からは早鐘のような心臓の鼓動も感じられる。
自分だけが苦しんでいるのではない事を知った。

「私じゃ頼りないかもしれませんけど、お手伝いさせてくれませんか?」
「綾波...」
「...ね?」

目を閉じても傍に綾波レイの存在を感じる。
二度と消える事の無い温もりを与えてくれた。

「...ありがとう。」

シンジの心の壁が崩れ去った。

「シンジ...さん...」

レイの呼び方が変わった。
その昔、一度だけ聞いた事のある呼び方だった。

「変、ですか...今の?」
「何故そう思うの?」
「だって...なんとなくですけど、哀しい目になった...」
「...妹が、一度だけそう呼んだんだ...」

今までであったならば言わなかったのに隠さず打ち明ける。

「...ごめんなさい。」
「いや、いいんだ、もう。
 綾波は綾波、妹は妹だから...けど、ちょっと恥ずかしいかな。」
「ダメ、ですか?」

レイは僅かに首を傾ける。
その仕草がとても愛おしく思え、恥ずかしそうに笑う。

「構わないよ、綾波がそう呼びたいんなら...」
「良かった。
 でも、私の事はまだ 『綾波』 なんですか?」
「...ゴメン。」

まだ気持ちの整理が着いていないのをレイは判っていた。
でもいつかきっと自分を名前で呼んでくれるとも思っていた。
時間を掛けてゆっくりとでも前に進んで行けるなら、二人で歩いて行けるならそれで良いと思った。

「だったら私のワガママを聞いてくれますか?」
「何?」
「...キスしてください...貴方から。」
「え?」

いきなりの事で戸惑い、同時にレイの言葉を思い出す。

(ホントは唇にしたかったんですが...
 やっぱり本当のキスだけは先輩からして欲しいんでほっぺにしました)


今は二人だけ。 それにレイがまだ不安なんだと気付いた。
自分の気持ちすら伝えずに今まで過ごしてきた。
今のシンジには、伝えるその言葉を口にするのには、すごく勇気が必要だった。
だからせめてその願いだけは叶えてあげたい。 そこから自分の気持ちを伝えたかった。

「目を閉じて...」

優しい顔になり、白い頬に手を添える。
レイは静かに瞼を閉じ、微かにおとがいを反らす。
薄く塗られたリップに引き寄せられるかのようにシンジは自分の唇を近づけ、そして重ねた。

「ん...」

二度目のキスは心が溶け合うような味がした。










☆★☆★☆











明かりを求めてやってきた虫が闇を照らす外灯に集まる。
その下のベンチにヒデユキは座っていた。

「...綾波レイか。
 嫌なくらい生き写しだな。」

以前に受け取った資料の中から、今のシンジに近い人物を調べていた。
渚カヲル、榛名ムサシ、東ケイタ、霧島マナ、野球部のメンバーときて綾波レイに辿り着いた。
資料に添えられた顔写真を見れば見るほどシンジの妹のレイと重なる。

「歳も一緒、違うのは髪と瞳の色だけ。
 ...でも彼女はキミの妹ではないんだぞ、シンジ君。」

考えれば考えるほど迷ってくる。
サエコにはシンジを引き取りたい、と言ったがそうなれば今の生活に必ず影響が出る
どちらがシンジにとって良い方向に進むかが判らなかった。
だが時間が迫っているのも事実であり、迷ってはいられなかった。

「時間はあと少ししかない。
 ...ん?」

自分の視界に入る影があった。
長く伸びた髪を無造作に後ろでまとめ、ヨレヨレのネクタイに腕まくりしたYシャツ。
外灯に照らし出されたその姿を記憶から照合していく。

「加持さん、でしたね。」
「ええ、覚えてくれてましたか槙村さん。」
「職業病ってヤツなんですかね。
 一度見た人の顔と名前は忘れないんですよ。」

別段変わった挨拶でもないのだが、何故か周りの空気が重くなってくる。
音も立てずヒデユキがベンチから立ち上がり、加持と対峙する。
身長、体重はほぼ同じ。
両者とも自然体になり、どんな事にも即座に対応できるよう間合いを取る。

ビュッ!

一陣の風が流れ、ヒデユキの前髪が風になびく。

パラパラ...

一瞬遅れて前髪の先が舞い落ちる。

「なんのつもりですか?」

殺気交じりの目でメガネのレンズ越しに加持を睨む。
睨まれた加持の頬には冷や汗が流れ、蹴りを放った体勢のまま止まっていた。
風は加持が放った回し蹴りだった。
蹴り上げた右足を静かに地に着け、再び自然体になりヒデユキと対峙する。

「ちょっとしたテストですよ。」

いつも通り笑いながら答える。
だがカンが働いたのか鳥肌が立ち、間合いを調整する。
回し蹴りを僅かな動きで見切った目と技量、留まるところを知らない威圧感。
現役という言葉がよぎる。

「そうですか。
 ま、結果には興味無いのでこれで失礼しますよ。」

だが次の瞬間には一転して気さくな人間に変わっていた。
殺気など感じさせない、初めて逢った時と同じヒデユキだった。
ヒデユキは脇を抜けるようにしてすれ違う。
だが加持はずっと気を抜けず、姿が見えなくなった途端にどっと疲れが出た。

「ふぅ...寿命が縮まるかと思ったよ...」
「ったく、だらしないわねアンタわ!」
「そりゃないだろ葛城、あっちは本職しかも現役なんだぜ。
 一介の教師に過ぎないオレに期待するなよ。」

ベンチにドカッと腰を下ろしてホッと一息着いたところにミサトが入ってきた。
加持の隣にミサトも座りヒデユキに関する資料を広げる。

「何にしてもただ者じゃないって事か...」
「そりゃ経歴を見れば判るだろ。
 まったく貧乏クジしか引けないのかなオレって。」
「槙村ヒデユキ、シンジ君の父親の部下。
 経歴は、現場からの叩き上げの見本ね。
 でもなんで碇理事長はこんなの調べさせるのかな?」
「シンジ君絡みって線ならそれだけでおつりが来るぞ。
 あれでも親バカみたいだからな。
 それよりもリッちゃんにも連絡はいってんだろ?」
「ええ、MAGIを使って全力で調べ上げてるわ。
 行けば何か掴んでるかもしれないわね。」
「じゃ、行きますか。」

加持は重い腰を持ち上げるようにゆっくりと立ち上がる。
何故に教師である加持、ミサト、リツコが探偵まがいの事をしているかというと、理事長にしてシンジの養父であるゲンドウからの依頼があったのだ。
もちろんプライバシーにも関わる事なので、興味はあったが最初は断っていた。
だが 「報酬ははずむぞ」 の言葉にあっさりと陥落したという。










☆★☆★☆











「お邪魔しました。」
「いえ、こちらこそお構いできなくてごめんなさいね。」

玄関先でレイとユイが挨拶を交わす。
心なしかレイの雰囲気が上気している。
ユイはそれを微笑ましく見る。

「それではこれで失礼します。」

ペコリとお辞儀をして碇家を後にするがユイに呼び止められた。
今までとは打って変わって真面目な顔をしており、その表情からどれだけシンジを心配しているかが判る。
甥としてではなく、本当の我が子のようにシンジを想っていた。

「レイちゃん、これからもシンジ君の傍に着いていてあげて。
 あの子は...」
「判ってます。
 どれだけ辛い思いをしてきたのか...」
「...知っていたの?」

レイは黙って首を振る。

「まさか...」
「シンジさんが話してくれました。
 ご両親の事、妹さんの事を...」

家族の死、それはシンジの心の弱さに繋がる。
それを自分の後輩、ましてや妹に良く似た女の子に教えるとは思ってもいなかった。
そこまで弱くなっていたのか? ユイの頭にそんな考えが浮かび上がる。
だがレイの目を見るとそうではない事が判った。
幼さは消え、シンジの過去を受け入れるだけの強さが見える。
大人の自分でさえできなかった事を目の前の少女はやってのけたのだ。

「あの子を、シンジ君をよろしくね。
 それから何か困った事があったらなんなりと言ってね。
 私達はアナタ達の味方だから。」

肉親の愛ではなく、他人の愛でシンジを救ってくれると思った。
シンジに必要なのは目の前の少女、綾波レイである。

「ハイ!」

レイは屈託の無い笑顔で答える。
ユイは次第に小さくなるその背中を見送り、蒼い光りを放つ月に願いを掛ける。

「困った事...か。
 でも耐えられるかしら...
 いえ、あのコを信じなくちゃ...信じてあげなくちゃ...」

辛いのはこれから、シンジとレイの二人の闘いは始まったばかり。
この先、二人がどうなるのかは判らない。
だが今この瞬間だけはシンジを愛していて欲しいと願う。










☆★☆★☆











月明かりに照らされた夜道をレイは一人で歩く。
足取りは軽く心も弾んでおり、自分の唇に手を添えると頬は桜色に染まった。

「ファーストキスは涙の味だったか...フフフ♪」

ほんの数十分前を思い出し、幸せいっぱいの顔になる。
夢でしか叶えられなかった本当のキスが現実のモノとなった。

(目を閉じて...)

目を閉じて耳を澄ますと、その時のセリフが聞こえてくる。
頬にはシンジの手の温もりがまだ残っているかのように暖かい。
おとがいをかすかに反らし、永遠にも思えた刻の中を待った。
やがて唇に触れた柔らかい感触と心地よい刺激。
その瞬間、あの時の願いが叶った事を知った。

「...ふぅ...
 優しかったなぁシンジさん。」

うっとりとした表情で思い出し、ため息を着く。
あの後に会話は無かった。
傍に居る。 傍に居てくれる。 それだけで心が満たされた。
そしてレイが帰る間際、最後にもう一度だけ口付けを交わした。

「...信じていいんだよね、シンジさん。」

シンジを想うだけで今までで一番の笑顔になる。
気が付くとシンジとの初めての出逢いの場所であるT字路に差し掛かった。
そこは既に思い出の場所に変わり、数ヶ月前までは思いもよらなかった今という時間がとても楽しく思えた。

「そうそう、ここでぶつかったんだっけ。
 しかも思いっ切り。
 私も急いでたからなぁ、こんな感じで!」

その時を再現するかのようにレイは走り出した。
走ってみると確かに曲がり角の方はちょうど死角になっているので何も見えない。
シンジの言い分ももっともだ、と思いながら曲がり角に差し掛かったその時...

ガツン!!

シンジとの出逢いと全く同じように誰かにぶつかった。
違う点があるとすれば、身長体重ともに上の相手の方が転ばなかったぐらいだろう。
レイは頭を右手で押さえながら、しりもちを着いた方を空いた左手で押さえる。

「アイタタタ...」
「大丈夫かいキミ?」

暗くて良く判らないが、手を差し伸べられた。

「スイマセン...あ、槙村さん!」
「レ、レイちゃん!?」

ぶつけられたのはヒデユキだった。
意外な人物との出会いに驚くがヒデユキの方が驚いていた。
シンジに加え、妹のレイにも深く関わりがある為に見間違えたのである。
なんとか平静を保とうとするのだが、一度顔に出た表情は消せなかった。

「どうしたんですか槙村さん?」
「あ、なんでもないんだ。
 それよりもキミはこんな時間まで出歩いているのかい?」
「え、もうそんな時間なんですか?」

慌てて腕時計を見る。
針は既に10の数字を通り過ぎ、11に到達しそうな場所を指していた。

「ダメじゃないか、こんな時間に出歩いちゃ。」
「スミマセン、今日はちょっと...ポ。」
「???」

何故か赤くなる。
意味が判らないヒデユキだが、すぐさま頭を切り替えた。

(これは好都合だな、どんなコか知る必要がある...)

綾波レイがシンジをどう想っているのかを知りたくなった。
こればかりは資料からではなく本人の口から聞く必要がある。
そして必要ならば綾波レイを試さなければならなかった。

「とにかく送っていくよ。」



第四拾六話  完

第四拾七話を読む


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