「「「ありがとうございました!!」」」

兵庫県のとある球場で、甲子園出場を賭けた最後の闘いは終わった。
敗けたチームはその場に泣き崩れ、あるいは愕然としていた。
12−0の圧倒的な力の差を見せつけた試合だった。
勝った方のチームは、勝つ事が当たり前のように振る舞い、ベンチに帰って行く。
スタンドに掲げられた常勝の御旗。
他のチームとは一線を画したチーム、それが去年の優勝校である東雲高校であった。
その中でも別格の存在として知られる球児、鈴原トウジがベンチに入ろうとした時、スタンドから呼ぶ声が聞こえた。

「トウジ!」

聞き覚えのある声だったので、姿を見なくても判る。
自分を誰よりも見てくれている人、洞木ヒカルである。

「なんや、ヒカリやないか。
 どやった、このワイの勇姿は?」

胸を張って誇らしげに言う。
普段はこんなお茶らけた事をしないのだが、心を許せる者だとこうなのである。

「な、何言ってんのよトウジ!」

恥ずかしいのか顔を真っ赤にして怒鳴る。
二人っきりの時はそうではないのだが...
このままにしておけば延々と二人の掛け合いが続くと思われるのだが、場は急転する。
ヒカリには連れの女の子、栗色の髪と蒼い瞳を持つ少女がいた。

「...勝ったようね、取り敢えずはおめでとう。」

感情の欠片も無い冷たい女の声だった。
気配も表情すらも無く、在るのはただ冷たく暗い印象だけだった。
トウジが彼女を見る。

「ホームランが2つ、長打も2つ、楽勝や。」
「当たり前よ。
 アンタを倒せるピッチャーは一人しかいないんだから...」

その時になってやっと感情と呼べるような思いが口にした言葉に篭められていた。
それでも悔しさや哀しさと言った感情であり、泣きそうになるのを唇を噛んで堪える。
それに気付いたヒカリが彼女を連れて行く。

「あ...ゴメン、トウジ。
 私達そろそろ帰るね。」
「判った。
 スマンがそいつをちゃんと送ったってや。」
「さ、行こう。
 最近眠れないんでしょう...今日は一緒に居てあげるから...」

その二人を見送り、トウジは頭上に広がる青い空を眺める。

「なあシンジ...オマエは知っとるか...」











大切な人への想い

第四拾八話 動き始めたモノ











「あ〜〜〜、もう思い出しただけでも腹が立つわ!!」

ミサトが怒りを露わにビールを一気飲みする。
その周りには既に空になった缶が何本も転がっていた。
その横でリツコもこれまた不機嫌そうに飲んでいる。

「...ヤケ酒はやめろって前から言っているだろ。」

と、そこにこの部屋の主である加持が取り敢えず注意する。
言って聞くような相手じゃない事は重々承知しているのだが...

「これが飲まずにいられるかっての!!」
クシャッ!

飲み終えた缶を握りつぶす。
既に怒り心頭に達し、アルコールが入りまくっているので、目が据わってかなりヤバめな状況だ。

「一体どうしたって言うんだ?」

加持が隣のリツコに訳を聞く。
こちらはまだ大丈夫だと判断したのだろう。 だがあくまでもミサトと比べたらだ。

「会ったのよ、彼女に。」
「オ、オレに彼女なんて居ないぞ!」

何を間違ったのか慌てて言い訳する加持。

「...槙村サエコよ...
 加持君、アナタなんだと思ったの?」
「ア、アハハハ。
 なんだ、彼女ってそっちの彼女だったのか。
 あ〜ビックリした...」

何故かホッと胸を撫で下ろす加持。
怪しいと思ったのだが目下の問題は槙村サエコであるので取り敢えず置いておく事にした。

「今日の帰り...と言うよりもここに来る前に会ったのよ。」










「はぁ〜〜〜、やっぱ最高ねぇ、賭けに勝った後のお酒は♪」
「でも意外ね、アナタが賭け事に勝つなんて。」

仕事の帰りにミサトはリツコを誘って飲みに行ったのだ。
もちろん臨時収入の入ったミサトの奢りである。
その帰り道、上機嫌のミサトは加持に差し入れをしようと思い立ち、進路を変更した。

「こうして同僚に差し入れをするなんて、私ってば優しいわぁ。」
「加持君は今が一番忙しいのよ。
 だから邪魔はしない事ね。」

聞いた試しは無いのだが、一応注意はしておく。
ミサトは差し入れのお酒を入れたビニール袋を嬉しそうに振り回していたのだが、突然真顔になった。

「さっきから付け回しているようだけど、何か用?」

その時点で酔いは完全に飛んでいた。
くるりと振り返り、暗闇にもう一度声を掛ける。

「気配を消しているようだけど、まだまだね。」

リツコも別段驚いたりもせず、ミサトと同じく暗闇を見る。
彼女の懐にある怪しげな機械は、目の前の暗闇に反応が一つある事を告げていた。
そして観念したのか、女性が一人暗闇から出てきた。

「...知っていたんならもっと早く言って欲しかったわ。
 こんばんは葛城ミサトさん、赤木リツコさん。」
「槙村サエコ、さん...」
「お見知りおき、感謝します。」

ニコッと微笑む。
だがその笑顔が逆にミサトとリツコに警戒心を植え付けた。

「こんな時間に一体なんの用ですか?」
「少し貴女方と、お話がしたいと思いまして。」

依然と変わらぬ笑顔で答えるサエコに押されたのか、ミサトの手に汗が滲む。
そして3人はそこから少し行ったところにある公園に入り、外灯の明かりの下でサエコは始めた。

「葛城ミサトさん、確か碇シンジ君の担任でしたね。」
「そうですが、それが?」
「貴女はシンジ君をどれだけ知ってますか?」

いきなり問われたミサトはどう答えていいのか判らなかった。
だがサエコの次の言葉がミサトの心を逆撫でた。

「私は貴女方よりもシンジ君を知っています。」
「...どういう意味ですかそれは?」
「言った通りです。」

会った事は一度だけ、それなのに相手を見透かしたような口ぶり。
嫌な沈黙が辺りを包み込む。
だがそこにリツコが割って入った。

「確かに貴女は昔のシンジ君を知っている。
 ですが私達は今のシンジ君、貴女の知らないシンジ君を知っています。
 それでも貴女は私達よりも知っている、そう言えますか?」
「そ、そうよ!
 シンジ君を見てきた時間はそっちの方が長いけど、どれだけ成長したのかは時間では表せないわ!!」

一度捨てた野球を再び始める。
その時、様々な葛藤があった。
しかし今まさに夢が叶う寸前まで来ている。
その間にどれだけの壁を乗り越えてきたのだろうか。
それを見ていないサエコに自分達が劣っているとは思いたくなかった。
だがサエコは微笑む。

「失礼しました。
 貴女方がどれだけシンジ君を想っているかを知りたかったんです。
 申し訳ありません。」
「へ?」

拍子抜けしたミサトが間の抜けた声を出す。










「...という訳なのよ。」
「ハハハなるほど、要するにからかわれたって事か。」

加持は笑いながらビールをあおる。
その横でミサトは何本目になったか判らないビールをまた開けた。

「笑い事じゃないのよ!
 この私ともあろう者が手玉に取られるとは...
 あー腹が立つわ!!」
「まあまあ、落ち着けって。」

やれやれといった表情でミサトを見守る。

「けどね、それだけで終わりじゃなかったのよ。」
「どういう事だい?」

リツコの言葉に反応し、緊張が走る。

「その後、彼女が深く頭を下げて、シンジ君をよろしくお願いいたします、って言ったの。
 そして別れる間際にね、『事はシンジ君一人の問題じゃない』、そうも言ったわ。」
「...シンジ君一人って、なんなんだ?
 まだ役者が居るって意味か?」
「判んないわよ!
 あの女狐は教えてくれなかったんだから!!」

今だ怒りが収まらないミサトが激情に任せてビールをあおる。
最早無理だと確信した加持は、しょうがないのでリツコに答えを求める。

「加持君の言う通り、他にも登場人物が居ると思っていいわね。
 シンジ君はここに来る前から甲子園を目指していたから、その仲間かもしれないわ。」
「そうかな?
 シンジ君は昔の仲間に逢う為に甲子園を目指してるって話だ。
 その仲間が敵になるのはシンジ君が良く知っている...それが問題になるか?」

加持の疑問に二人は答えられない。
しばらく考えた後、加持の口が開いた。

「いまいち良く見えてこないな、槙村ヒデユキ、サエコ...
 聞いてみるしかないか、理事長に...」










☆★☆★☆











「はぁ〜〜〜あ、シンジもとうとう綾波とくっついちまったな。
 ...お陰で賭けには負けたけど良しとするか。」

タツヤと一緒に帰るヨウスケが愚痴交じりに話す。

「そうそう、収まる所に収まった訳だからな。
 見てるこっちがイライラしてたぜ。」

横を歩くタツヤはそんな事を言うが、まるで自分の事のように嬉しかった。

「ん? ...ヨウスケ、あれって監督だよな?」

ふと立ち止まったタツヤが公園の方を見て聞いた。
その言葉を聞いたヨウスケが見てみると、確かに監督である加持が公園に居た。

「こんな時間に何やってんだろ?
 カンっむぐぅ!!」
「待て、タツヤ。」

加持を呼ぼうとしたタツヤをヨウスケが止めた。
そしていきなり物陰に隠れて観察を始める。

「どうしたんだよ?」

小声で話し掛けるタツヤ。
するとヨウスケは無言で指差す。
その先にはヒデユキが居た。

「...確か槙村って人だよな、シンジの知り合いの。」










「奇遇ですね加持先生、こんなところで会うなんて。」
「まさか貴方から会いに来るなんて思いませんでしたよ。
 でもちょうど良かったです。
 聞きたい事があるんで...」

ミサトとリツコを送った帰り、必然なのか偶然なのかヒデユキと会った。
その二人は距離を取って対峙する。
会話こそなんの変哲も無いのだがタツヤとヨウスケにはそうは見えない。

「聞きたい事...私とシンジ君、そして碇ゲンドウの関係ですか?」
「ええ、どうしてもそこが見えてこないんですよ。
 理事長はシンジ君の叔父に当たる、貴方はシンジ君の小さい頃からの知り合い。
 それから貴方と理事長はどうやら面識があるみたいですし...」
「...もう二年も前の事です。
 シンジ君の親権を巡って争ったのは。」

ヒデユキの言葉に加持の眉が僅かに動く。

「私はシンジ君に産まれ育った地に留まる事を勧め、碇夫妻はここ第3新東京市に移る事を勧めました。
 ですがシンジ君はここに来る事を選び、そして今に至ります。」
「なるほど...で、貴方は何がやりたいのですか?
 まさかここに来てまで親権を争おうとでも?」
「ええ、あの二人には任せておけません。」

加持の問い掛けにヒデユキは即答する。
次の瞬間、二人の顔から笑みが消えた。

「何故そう思えるんです?
 シンジ君はここに来たからこそ仲間達に出逢え、夢を再び見る事ができ、そして愛する人に巡り逢えた。
 違いますか?」
「確かに貴方の言う通りです。
 ...ですが同時に失ったモノもあります。」
「それがシンジ君一人の問題ではないと?」

ミサト達がサエコから聞いた事を聞く。
するとヒデユキは驚いた表情も見せずに肯定する。

「そう言う事です。
 いい機会ですから話しておきましょうか...
 かつてのシンジ君に近い人は五人居ました。
 先ずは妹のレイちゃん。
 彼女の事は知ってますよね?」
「ええ、理事長から聞いています。」
「次は 『鈴原トウジ』、『相田ケンスケ』。
 シンジ君はこの二人に逢う為に甲子園を目指しています。」
「...名前は知りませんがその事は知っています。」

鈴原トウジと相田ケンスケという名前は知らないが、今はそれほど問題では無い。
残りの二人が気になった。

「さて、残りは二人となりました。
 この内の一人は 『洞木ヒカリ』 残る一人の友人です。
 ...ですが最後の一人を教えるには条件があります。」

ギブアンドテイクという訳である。
だが逆に考えれば、それだけ重要なのである。
そう結論付けると加持はその条件を聞いた。










☆★☆★☆











時は流れて翌日の放課後−−−

「...てな訳でよ、一体何がなんだか判らなかったぜ。」

部活も終わって部室ではヨウスケがリュウスケとススムに昨日の事、加持とヒデユキの事を話していた。
シンジ絡みというのはなんとなく判っており、いささか心苦しいところもあるが、好奇心には勝てなかった。

「見損なったぞヨウスケ、なんでシンジの昔の事に関心を持つ。
 確かにオマエは態度は軽薄で頭も悪い...だが決してそれが全てでは無い、そう思っていた。
 なのにそこまで堕ちたとは正直思わなかったぞ。」
「オマエさりげなく失礼な事を言うな...
 それにシンジの昔の事だぜ、興味が無いと言ったらウソになる。
 オマエらだってそうだろ?」
「そ、そりゃぁそうだが...」

痛い所を突かれるススム。
だがリュウスケは違った。

「オレ達は同じ夢を見る仲間だ。
 そんなモノは関係無い。」

純粋な言葉だった。
シンジが居なかったら野球を再び始める事は無かった。
だからこそリュウスケは感謝し、信頼していた。
その清冽なまでの態度のお陰でヨウスケとススムの好奇心は萎んでいく。

「そうだ、アイツが居たお陰で今のオレ達が在るんだ。
 今のシンジで十分じゃないか。」
「タツヤ...」

いつの間にかタツヤまで話に入ってきた。
夢にまで見た甲子園。
それが自分の代で叶う時が来るかもしれない。
そのきっかけとなったシンジには感謝のしようもない。

「アイツが話さない限り、オレ達も何も聞かない。
 それも優しさってヤツだろ。」
「そうだ、シンジの事はムサシ達に任せておけば問題無い。」

タツヤの考えに同意するリュウスケ。
だがヨウスケはその考えに反論した。

「ムサシ達じゃなくてレイだろ。」
「? なんでそこに綾波の名前が出てくるんだ?」
「...リュウスケ、それ本気で言ってるのか?」
「なんだよススムまで?」
「「オマエってホントに鈍感なヤツだな...」」

ヨウスケとススムは頭を抱え込んだ。

「「「お疲れ様でした!!」」」

そこに元気の良い声が響く。
ムサシ達が帰るところだった。
だが良く見るとシンジの姿が無く、気になったヨウスケが聞く。

「シンジはどうしたんだ?」
「理事長室です。
 少し前に呼ばれて...」
「ああ、親父さんのところか。」










理事長室のドアの前で佇む少年が一人。
碇シンジである。
自分の保護者に会うだけなのに何故か緊張する。

「そういえば学校で会うなんて初めてだ。」
...コンコン

恐る恐るノックをする。
だが返事は返ってこなかった。
何度試しても結果は同じ。
呼び出しておいて来てみれば留守なので、不思議に思ったシンジはドアのノブに手を掛けた。
すると呆気なくドアは開いてしまった。

「...失礼します。」

迷った末、シンジは中に入った。
案の定ゲンドウは居ない。
整然とした部屋には人の気配は感じられなかった。

「どうしたんだろ叔父さん?
 ...これは...」

ぐるりと部屋を見渡すと、机の上に一冊のノートが置かれていた。
表紙には何も書かれていないノート。
だがなんの変哲も無いノートなので逆に違和感を覚えた。
こんな重苦しい理事長室には似つかわしくない安っぽいノート。
シンジは好奇心に駆られてノートを開いてしまった。

「...槙村ヒデユキ...槙村サエコ...
 なんで二人の事が?」

更にページをめくる。
しかもこの筆跡には見覚えがあった。

(ミサト先生がこれを...でも一体どうして?)

突然シンジの手が止まった。
そのページには鈴原トウジと相田ケンスケの名前が書かれていた。
二人については詳しくは書かれていないが、しっかりと二人の名前が明記されていた。

(.........)

信じていた人が知らないところで自分を事細かく調べている。
裏切られた感じがして目の前が一気に暗くなる。
しかも二人の後にはまだ続きがあった。

「ま...さか...」

嫌な予感が働き手が震える。
シンジは意を決してページをめくった。

「!」

その瞬間、シンジは理事長室を飛び出した。










☆★☆★☆











日は沈みかけ、辺りを茜色に染める。

「また夏が来たわね、レイ...」

栗色の髪、蒼い瞳の少女はある墓の前に立ち、哀しそうに呟く。
墓は清められ、花が添えられていた。

「今年こそ来てくれる...帰ってくるかな...アイツ...」

一瞬、彼女の顔が優しくなる。
だがそれもつかの間で、自虐的に笑う。

「ダメね、たとえ帰ってきてもアタシには会う資格が無い...」

やがてその笑いは嗚咽に変わる。
唇を噛んで必死に堪えようとするが、それでも涙が溢れてくる。

「ゴメン...ゴメンね、レイ...アタシのせいで...」

恥も外聞も無く少女はただ墓石に泣き崩れる。
二年間泣き続けてきたのだが、それでも責め立てる罪の深さに枯れる事は許されない。
そして耐え切れず、自分の待ち焦がれてやまない想い人の名を呼ぶ。

「...シンジ...逢いたいよぉ...」



第四拾八話  完

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