第3新東京市のその日の夜は雨だった。
それに加えて風もあり、台風並とまではいかないが窓にバチバチと雨が当たる。

<...第3新東京市には大雨、洪水、暴風、波浪警報が出されました。
 この雨は翌朝まで続くでしょう...>

テレビには天気予報が流れ、ヒデユキはそれを困った風に聞いている。

「やれやれ、梅雨も明けたかと思えばこの雨か。
 ...雨には良い思い出がないな...」

ヒデユキは昔を思い出す。
とその時、呼び鈴が鳴った。
するとその家の主であるヒデユキがインターホンを通して話し掛ける。

「ハイ、どなたですか?」

しかし返事は無い。
怪訝に思い、もう一度確かめてみるが反応は無かった。

「イタズラなの?」

サエコが聞いてきた。
それを少し肩を竦めて答える。
その時、もう一度だけ呼び鈴が鳴った。
ヒデユキとサエコは互いを見合わせ、インターホンで呼び掛ける。
だが返事は無い。
静かになり、テレビの音と雨音が嫌に響く。
そして意を決したヒデユキは玄関に向かい、ドアの前に立つ。

(一体誰が?)

そんな想いを篭めてドアを開く。
その途端に唸る風に驚きながらヒデユキは辺りを見る。
完全には開けないドアから見えるのは荒れ狂う雨と風、そして時々鳴り響く雷。
だが僅かに開いたところに人影が見えた。
目を凝らすと見覚えがあるその影。

「シ、シンジ君?」

そこに居たのは雨に濡れ、悄然と立ち尽くすシンジだった。











大切な人への想い

第四拾九話 雨の記憶











こんな雨の日に槙村邸に意外な来訪者。
だが心の何処かではこんな事を予想していたのかもしれない。

「さ、飲みなよシンジ君。」

温かいシャワーを浴び終わったシンジの目の前にコーヒーを差し出した。
それをシンジは大事そうに両手で持つ。
少しだけノドに通し、体を温めた。
やがて訪れる沈黙により雨の音しか聞こえなくなる。

「...何を信じればいいのか、判らなくなりました...」

シンジの口が小さく開いた。
その目は親からはぐれた子供のように寂しかった。
ヒデユキはただ黙って聞く。

「練習が終わって、叔父さんに呼ばれたんです。
 けど叔父さんは居なかった...その代わりにノートがあったんです。
 最初は槙村さんやサエコさんについて書かれてました。
 ...そしてレイ、委員長、トウジとケンスケ...」

シンジの声は弱くか細い。
だが次の言葉にははっきりと憎しみが篭められていた。

「それにアイツの名前があった...!」

カップを持つ手が憎しみにより震える。
ヒデユキはそれを冷めた感じで聞き、そして考える。

(彼女についてはまだダメか...)

「彼女」 については二人にしか話していない。
綾波レイと加持である。
そして 「彼女」 の事は、レイからではなく加持から伝わった事を判っていた。
一方のシンジは裏切られた事をに対し怒りを露わにし、それをなだめるようにヒデユキは諭す。

「みんなキミが心配なんだよ。」
「だけど...いくらなんでも隠れてやらなくてもいいじゃないか!
 ミサト先生も、叔父さんも...」

声が涙混じりになる。
だがそこでシンジに疑問が浮かんだ。

(叔父さんは僕を知っている...少なくてもあのノートに書かれてあった全員を知っている筈だ。
 ...だったらなんであのノートが?)

極力ムダを省くゲンドウの性格。
そこから察するに知っている事は調べない。
しかし槙村は別格であった。
シンジは槙村とゲンドウ、ユイが過去に自分を巡って争ったのを知っている。
となると自然に考えれば調べる対象になるのは槙村である。
だがノートにはそれ以外の人物が調べられていた。

(となると他にも理由がある...それ以外にあの五人を調べる理由がある筈。
 ...けどこんなに早く調べられるモノなのか?)

理由は自分絡みである事はすぐに気付いた。
だが槙村と再会したのは準決勝、という事は調べ始めてからまだ1週間も経っていない。
ゲンドウが教えるはずも無い、となるとミサトが自力で調べた事になる。
ではどうやって?
そしてゲンドウとユイ以外に自分を詳しく知っているのは、目の前に居る槙村だという事に気付いた。

「まさか...」

シンジの視線がヒデユキに向けられる。
自分の予想が合っていて欲しくなかった。
しかしヒデユキはそれを肯定する。

「...そうだ、オレが話した。」
「何故ですか!
 そんな必要は無い!」

シンジは我を忘れて怒鳴る。
それを軽く受け流すようにヒデユキは静かに返す。

「その人を知りたければ、その人が何に対して怒りや悲しみを感じているかを知れ。
 知ってるだろ、キミのお父さんの言葉だ。」
「とうさんの...」

父という言葉に反応する。
確かにその言葉には覚えがあった。
遠い昔、その広い背中を見ながら聞いた言葉を−−−

「オレが一番最初に教わった言葉だ。
 先生方はキミを本当に心配している、だから教えた。」
「僕の事を...」
「そして綾波レイ、あのコにも話した。」
「綾波にまで!?」

一番知られたくない人に知られた事実に驚愕する。
知られた事により自分を見る目が変わってくる、それを一番恐れていた。
シンジの顔にはハッキリと不安の色が現れる。

「それでも彼女はキミを愛している、そう言ったよ。」
「え?」

信じられない顔でヒデユキを見る。
それを見たヒデユキは優しく声を掛ける。

「良いコじゃないか、彼女は。
 どうやらオレやキミが思っている以上にあのコは強いみたいだね。」
「綾波が...」
「今時居ないぞ、あんな一途な女のコ。」

からかうように言う。
だがそれもすぐに変わり、真面目な顔になる。

「だが、『彼女』 はどうする気だ?」
「!」

その言葉にシンジは過剰なまでの反応をする。
戸惑いと動揺が襲い、シンジの心をかき乱す。

「今でもキミの帰りを待っているよ...甲子園でね。」
「.........」

複雑な感情が現れる。
怒りや憎しみだけでない、他の感情。
だがシンジはそれを強く否定する。

「アイツは...アイツは関係ない!」

目を固くつぶって言い切る。
それは自分の気持ちを無理やり閉じ込めているようだった。

「関係ない事はないだろう。
 『彼女』 はそこでずっと待っているんだから...」
「あんなヤツなんか知らない!!」
「逃げるなシンジ君!」

時間は流れ、いつの間にか雨脚は更に酷くなっていた。










☆★☆★☆











「いつまで続くんだろ、この雨...」

窓際で頬杖をつきながらレイは外の雨を眺める。
甲子園出場を賭けた決勝戦は明後日と差し迫り、選手の健康状態と共に天候もまた重要になってくる。

プルルル...

部屋の外から電話が鳴るのが聞こえる。
しばらくするとそれは鳴り止み、レイはする事無く暇を弄んでいたが突然部屋にある子機が鳴った。

「何、お母さん?」
「碇さんから電話よん♪」

母親のレイカはいかにもからかうように伝える。
思いも寄らなかった電話にレイは完全に浮き足立つ。

「シンジさんからなの!?
 早く繋いで!」
「ふふ〜ん、ちょっと違うわ。
 お・か・あ・さ・ま・よ。」
「え? おかあさま?
 何言ってんの?」

意味が判らず聞き返す。
だが母親の次の言葉を聞いた途端に素っ頓狂な声を上げた。

「シンジ君のお母様。」
「えええ??!」
「じゃ、よろしくね♪ Pi☆」
「ちょ、ちょっと母さん!」

レイカは返事も待たずに電話を繋いだ。
慌てて気持ちを切り替えるレイ。
だが何故ユイが自分に電話を掛けてくるのかに心当たりが全く無かった。
取り敢えず落ち着かせる為に深呼吸をし、電話に出る。

「もしもし、レイですが。」
「レイちゃん? 碇ユイですが...」

心なしか声のトーンが低い。

「どうしたんですか、おか...おばさま。」

思わず 「お母様」 と言いそうになるのを慌てて言い返すレイ。
などとほのぼのとしそうだったのだが、ユイの言葉を聞くと気持ちもすぐに切り替わった。

「...シンジさんが帰ってないんですか?」
「今日は雨が降ってるから早く帰ってくるのに...」

ちなみに今日の神社での特訓は雨によりナシとなった。
更に言うならばシンジは練習が終わると理事長室に呼ばれている。
故に帰りは一緒ではなかった。

「...という訳なんです、スイマセン...
 私、心当たりを調べてみますので何か判りましたら連絡します。」
「ありがとうレイちゃん、よろしくね。」
「ハイ。」

ユイからの電話を切ると真っ先にマナに連絡を取る。
その次にカヲル、ムサシ、ケイタと順に連絡を取ったのだが、いずれも答えは 「知らない」 であった。
仲間の所には居ない。
となると次に思いつくのは学校、つまりは理事長室であったが、ゲンドウは既に帰宅しているとユイは言っていた。

「一体何処に...?」

やがて思いついた場所は神社と槙村の家だった。
しかも可能性が高いのは後者の場所。
だがレイはそこが何処にあるのか判らない。
部屋の中を右往左往し、そしていてもたっても居られずに雨が降りしきる外に飛び出した。










☆★☆★☆











「どうした葛城、浮かない顔して。」

今日もまたミサトは加持の部屋に転がり込んでいた。
そして加持の言う通り、今のミサトは珍しく考え込んでいた。

「加持ぃ、アンタは何も想わない訳?
 ...あんな事をしておいて...」
「シンジ君の事か?
 仕方ないだろ、それが交換条件だったんだから。」

理事長室にシンジを呼び出したのも、あのノートを置いたのも、加持とミサトの仕業だった。
それはヒデユキの考えでもあった。
尚も考え込むミサトに加持は諭す。

「オレ達は知ってしまったんだ。
 だったら最後まで見届けなければならない。」
「...それがどんな結末を迎えようとしても...?」
「そうだ。」

壁一枚を挟んで雨が激しく降りしきる。
知ってしまったシンジの過去。
だからこそ加持は自分の信じる道を選んだ。
たとえそれがシンジにとって辛い選択になると判っていても...

「今は辛いかもしれない。
 だが逃げ出してばかりでは前には進めない。
 シンジ君にとっても、レイちゃんにとっても、『あのコ』 にとっても、だ。」

ミサトの肩に手を優しく置きながら加持は自分の考えを伝える。










☆★☆★☆











「やっぱりここにも居ない...」

ばしゃばしゃと階段を駆け登って神社の境内に来てみても、レイの予想通り誰も居なかった。
しかも雨脚や風は強くなる一方で、持ってきたカサは既に使い物にならず、ずぶ濡れだった。

「やっぱり槙村さんのトコなのかな...」

次第に不安になってくる。
そこに追い討ちを掛けるように雷が鳴った。

ピシャ!! ズガーン!
「キャッ!!」

慌ててうずくまるのだが、運の悪い事に近くの大木に落雷した。
バリバリと音を立てて倒れる大木を目の当たりにしたレイの目が恐怖に怯える。

「イ...イヤァァ!!」
バシャ!
「キャッ!」

怖くなり一目散に社に逃げ込もうとするのだが足を滑らせ地面に転んでしまう。
泥だらけの水溜りに倒れ込み、痛みを堪え、綺麗な白い肌は汚れ、口にはジャリが入り嫌な感触がする。
だが無情にも雷は鳴り続ける。

ピカッ!
「キャァァッ!!」

ワラにもすがるように社に逃げ込んだのだが、鍵が掛けられ中には入れない。

「なんで、なんで鍵が掛かってるの?
 中に入れて!!
 ......イヤァァ!!」

激しくなる雨と風と雷。
それを避ける為にレイは床下へと逃げ込んだ。
薄暗くホコリまみれだったが、少なくとも雨や雷はしのげられた。
レイは膝を抱え、怖さから目には涙をためていた。

「ウゥ...シンジさん...」

レイはただ身を小さくしてシンジの名を呼ぶだけだった。










☆★☆★☆











「逃げてばかりじゃ前に進めないぞシンジ君。」

叱責するヒデユキの声がシンジに突き刺さる。
二年前に逃げ出した事が今になって降りかかる。
野球を再び始める時点でその事は判っていたのだが、今まで先送りにしてきたのだ。
だが今のシンジにはまだ過去に向かい合うほどの強さは無かった。

「なんで思い出させるんですか!
 ...折角忘れてたのに...」
「忘れてたんじゃない、ただ考えようとはしなかっただけだ!」

ヒデユキは容赦せずに責める。
甲子園に行く為に必要なモノは支えてくれる人、そして過去に立ち向かう勇気だった。
支えてくれる人は現れた。
残るは勇気だけ。

「だってアイツのせいでレイは...アイツがレイを殺したんだ!!」
「シンジ!」
バキッ!

壁に打ちつける雨の音がやけに響く。
自分の弟と呼べる少年をヒデユキは殴った。
シンジは殴られた場所を押さえ、歯を食いしばり、キッとヒデユキを見返す。
そこには憎しみが色濃く現れ、その目はヒデユキではなく 「彼女」 に向けられていた。
それを見たヒデユキは冷ややかな目を向ける。

「あれは事故だった。
 そんな事も判らないのか...」
「だったらなんでアイツだけ生きてるんだ!
 なんでレイと母さんが死ななければならなかったんだ!!」

あの時を思い出し、泣きながら怒鳴り散らすシンジ。
だがそこにサエコが入ってきた。
本当ならば入るべき状況ではないのだが...

「シンジ君、ユイさんから電話よ。」
「叔母さんから...?」

神妙な顔で電話を受け取る。
だがユイから告げられた言葉にシンジの顔が凍りついた。

「綾波が、帰ってこない...?」

外から聞こえてくる雨音はやけに響く。
それは忘れもしない、忘れられない記憶を呼び起こす。

「レイ...」

そしてシンジは外に飛び出した。










☆★☆★☆











「ハァッハァッ...」

シンジは暴風雨と化した中を、護るべき人を探し求めてひたすらに走る。
バチバチとアスファルトに打ちつける雨が足取りを重くするが、シンジは何かに取り憑かれたように走った。
学校や初めて出逢った場所など考えられる場所を探し回り、最後に思い付いた神社へと向かう。





あの刻と同じように雨が降りしきる中を全力でレイの元へ走った。

(レイ!)

あの刻の光景が鮮明に蘇る。
ぬかるんだ地面をバシャバシャとドロをはじきながら走る。
雨と風と雷のせいで視界はまったく開けないが、遠くで助けを求めるレイの声を拾った。

(...レイ?
 今からそっちに行く!!)
(兄さん...?)

一瞬レイの顔に安堵の表情が見えた。
だがそれもすぐに変わる。

(来ないで、兄さん!!)

自分が置かれた状況が判っていた為、兄であるシンジを巻き込みたくなかった。
その事はシンジも知っていた。
だが頼れるモノは自分だけ、だから危険は百も承知でもレイを助けたかった。





(いやだ! あんな事はもう沢山だ!!)

その想いだけがシンジを突き動かす。
容赦無く降りしきる雨と風と雷は周りの木々を倒せと言わんばかりに荒れ狂う。
あの時と同じように...

「レイ!!」

階段を駆け登り、何度つまづいてもシンジの想いを挫く事は無かった。
激しい雨の中、自分の想いを乗せ叫び続けながらレイを探す。

「ハァッ...ハァ...
 レイ!!」

神社の境内を見渡し、今一度その名を呼ぶ。
そこには落雷を受けた大木が無残にも倒れ、シンジに嫌な予感をさせた。

「まさか...
 どこだ! レイ!!」
(...シンジさん...?)

社の床下でレイは雨の音に混じって自分を呼ぶ声を拾った。
待ち焦がれていたその声、不安しかなかった表情に希望が差し込む。

「シンジさん!!」

レイは震える体に力を入れ、床下から飛び出した。
シンジは自分を呼ぶ声に気付き、振り返るとそこには自分の護るべき人がいた。

「レイ!」
「シンジさん!」

互いの温もりを求め合い、きつく抱きしめる。
失いたくないモノ、愛しき人を感じ、自然に涙が流れる。
だが急にレイの体から力が抜け落ちた。
シンジの背中に廻した両の腕が、糸が切れたかのように落ちて膝から崩れるようにシンジにもたれかかる。

「レイ...?」

返事は返ってこない。
温もりが薄れ、次第に冷たくなってくる。
シンジは何度も揺さぶり、レイの名前を呼び続ける。

「シンジ君!!」

そこにヒデユキとサエコが現れた。
シンジの姿を確認するとすぐさま傍に駆け寄る。

「槙村さん、レイが...レイが...」
「落ち着くんだシンジ君!
 とにかく診てみないと...」

ヒデユキは激しく降り続ける雨にも拘わらず手際良くレイを診る。
一緒に来ていたサエコはそんな光景を見てボソリと呟いた。

「同じね、あの日と...」



第四拾九話  完





レイの容態はなんとか大事には至らなかった

だがシンジは自分を責め立てる

好きな人を護るどころか危険にあわせた自分が許せない

仲間達の声も心配してくれる人の気持ちもシンジには届かなくなってしまった

そして時は流れ、遂に決勝戦の日を迎える


次回

大切な人への想い

「届かない声」



注) 予告はあくまでも予定です。




sugiさんの部屋に戻る/投稿小説の部屋に戻る
inserted by FC2 system