303号室。
野球部の主だったメンバーはそう書かれたドアの前に立っていた。
そして神妙な顔つきでムサシ達がその部屋から出てくる。

「どうだった、ムサシ?」

キャプテンのタツヤが聞く。
無論シンジについてである。
レイは肺炎を起こして入院となり、今は静かに眠っている。
それに対してムサシが力無く首を横に振る。

「ありゃダメですよ。
 完全に目が死んでます...決勝は多分無理ですね。」
「参ったな、よりにもよってこんな大事な時に...」

タツヤは頭を抱える。
甲子園出場を賭けた決勝は明日に迫っていた。
天候は回復の兆しが見え、当日は晴れと予報されている。
エースの不在というモノがどれほど影響するかは判らないが、決勝まで残ってきた相手校の実力を考えると試合は苦戦を免れない。
しかしそれ以上に問題なのはシンジである。
去年の秋に入部して以来、こんな事は初めてだった。

「そもそもシンジはどうしたんだ?」

事情を掴みきれず、イライラしていたヨウスケが入ってくる。
だがここに居る面子で、その理由を知る者は居ない。
知っているのは303号室に居るレイ。
だがレイとて総てを知っている訳ではない。
総てを知っているのは本人と、そしてこの場には居ない大人達だけであった。











大切な人への想い

第伍拾話 届かない声











正面玄関から入ってすぐのロビーには大人達が居た。
ゲンドウ、ユイ、ヒデユキ、サエコ、加持、ミサト、そしてレイの両親であった。
その場、と言うよりもユイとヒデユキの間の空気はピリピリと張り詰めている。

「どういうつもりですか...」

最初に口火を切ったのはユイであった。
怒りと憎しみ、負の色に輝く目でヒデユキを睨み付ける。

「今回は確かに私の不注意でした...申し訳ありません...」

ヒデユキは顔を上げずに答える。
自分の愚かさに憤りを感じているのか握った拳が微かに震えていた。
だがそこにユイの白い手が飛び、パシィッと乾いた音がロビーに響く。

「不注意で済むと思ってるのですか!
 貴方のお陰でレイちゃんまで危ない目に遭ったんですよ!」

頬を叩かれた勢いでヒデユキのメガネが床に転がる。
だが痛みを感じないのか、叩かれたままであった。
そんなヒデユキに更に怒りを感じ、ユイは我を忘れて激昂する。

「貴方が来てから全部が狂った!
 一体何をしにここに来たんですか!!」

二年前にあった光景に良く似ていた。
その時を知らない加持達はユイの迫力に押され、ただ見ているだけであった。

「何か言ったらどうですか!」
「...」

ヒデユキの口が微かに動いた。
しかし何を言っているか判らずユイが聞き返す。
するとヒデユキはハッキリと言う。

「アナタにシンジ君を任せておけなかったからです!」
「な、何を言ってるんですか?
 今回の事はアナタのせいなのに、良くそんな事が言えますね!
 殺す気ですかあの二人を!」

殺す。
仮にも刑事という職に就いているヒデユキに対し、その言葉は彼のプライドを傷付けた。

「そんなつもりは無い!
 オレは刑事だ! 絶対にするもんか!!」
「だったら何故シンジ君を追いつめようとしたんですか!
 あの子が思い出したくないぐらい判らないんですか!」
「何も判ってないのはアナタだ!
 遅かれ早かれこうなるのは判っていた...甲子園に行けば同じだ!
 結局アナタは何もしない、何もしようとも思わなかったんだ!!」
「やめるんだ槙村さん!!」

激情に任せて詰め寄ろうとする寸前で背後から加持に止められた。
だが一度出した刃を収められない。

「アナタは何も判ってない!
 逃げてばかりの臆病者だ!!」
「そうやって自分のした事を正当化しようとするアナタはなんですか!!
 シンジ君はあの時にもどってしまったじゃない!
 あの子の心を壊したアナタは人殺しよ!!」

その言葉を聞いたヒデユキは何故か冷静になった。
そして笑いながら口元を歪ませる。

「人殺し、ですか。
 だったらアナタも同じですよ。」
「なんですって...?」
「いや、何も知らないアナタの方がもっとタチが悪い...」
「何を...言うの...」

あまりの変化に警戒するユイ。
だが言葉とは裏腹にユイには心当たりがあった。

「アナタも人殺しだって言ってるんですよ!
 自分のエゴの為に 『あのコ』 から生きる希望を奪った!
 アナタも立派な人殺しだ!」










☆★☆★☆











「みんな集まってくれ!」

決勝戦に向けての練習の途中、タツヤが切り出した。

「集まってもらったのは他でもない、明日の決勝の事だ。
 みんなも知っての通りシンジについてだが...
 ほぼ無理だろう。」

部員達は予想していたとは言え、その言葉を実際に聞くと動揺し出す。
エースという精神的な支えが失われる事への不安がそうさせた。
だがやるべき事を判っている者は違う。

「だがオレ達のやる事はたった一つだけだ。
 明日の決勝に勝って甲子園に行く、それだけだ。」

タツヤの断固たる決意が部員達の動揺を抑える。
キャプテンの決意は一時的にしろ部内の士気を高めた。

「先発はフジオ、オマエだ。
 スタメンは...」

タツヤが一人一人の名前を挙げ、呼ばれた者は威勢良く返事を返す。
そして最後にもう一度、自分達が成すべき事を部員全員に確認させ、練習を再開させた。

「ふぅ、取り敢えずはこれで良いか。」

一気に疲れが出たのか、肩を落としてため息をつく。
色々と気苦労の絶えないのがキャプテンの運命であるが、それを部員達の前では出してはならない。
そこにタツヤの幼馴染みのリュウスケがきた。

「お疲れさん、色々と大変だな。」
「今が一番大変な時期だってのに監督は居ないし...一体なにがどうなってんだか。」

タツヤの言う通り加持はここには居なかった。
それどころか学校内にも居ないらしい。

「エースも監督も不在か...
 決勝、どうなると思う?」
「そりゃ苦戦は避けられないさ。
 フジオだけで押さえられるとは思ってない、となると...」
「となると?」
「オレ達が頑張るしかないだろ。」

結局はこれである。
なんの打開案も持てないまま、時間だけが過ぎて行く。

「シンジのヤツ、どうしちまったんだろうな。
 綾波がああなっちまったから責任感じるのは判るが、アイツを見たとき自分の目を疑ったぜ。」
「オレだってそうさ、いまだに信じられねーよ。」

あの後、タツヤ達も303号室に入った。
レイの傍を離れようとはせず、ただじっとイスに座っているシンジ。
存在すら感じさせなかった。
そしてその目を見た瞬間、ゾクッと背筋に感じた悪寒が忘れられない。

「ムサシ達も知らない 『何か』 か...」

昨日の雨と打って変わって晴れ渡る青空。
照りつける太陽の光が恨めしかった。











☆★☆★☆










その照りつける太陽も傾き始めた頃、街の大通りを歩く少女が一人。
その少女は病院を目指す。
かと言ってその少女が病気にかかってるのではない。
その事は彼女が持っている花から簡単に推測できる。

「シンジ君大丈夫かな...」

野球部のマネージャーである霧島マナだった。
とそこにクラクションが鳴る。
振り返ってみると青いルノーの窓から身を乗り出すミサトが居た。

「マナちゃんもお見舞い?」
「ミサト先生。」
「乗ってかない?」

二つ返事でOKして乗り込むマナ。
シートベルトをちゃんとするところは懸命な判断であろうか?
とはいうモノの場合が場合なのでキチンと法定速度を守るミサト。
それを訝しげにマナは見る。

「なぁ〜にマナちゃん?
 そんな目で見なくても今日は安全運転だから大丈夫よん♪」
「でもこの前は...」

思い出しただけで顔が真っ青になってくる。
だが心配事はすぐにシンジに変わった。

「...シンジ君、一体どうしちゃったんですか?
 ミサト先生は知ってるんですよね...」

カンが働き痛いところを突く。
ミサトは内心ドキッとしながらも彼女なりに何かを感じているのを知った。

「ムサシ君達も来るんでしょう?」
「はい。」
「だったらその時に話すわ。」

気が付けば病院はもう目の前にあった。
車はウインカーを出して病院の構内に入っていく。











☆★☆★☆










303号室の中、シンジはレイをじっと見ていた。
そして後ろにはゲンドウとユイが居る。

「シンジ君、少し休んだ方がいいわ。
 昨日から一睡もしてないじゃない。」

そこにユイが控えめに声を掛ける。
だがシンジにその声は届かない。
何も聞こえない。 何も見えない。 今のシンジには目の前で寝ているレイしか見えなかった。

「...決勝はどうする気だ?」

ゲンドウが加わった。
それでもシンジは答えない。

「オマエ一人の体ではない。
 今のオマエには野球部のエースという立場がある。
 明日はどうする気だ?」
「.........」

何も反応を示さないシンジ。
あの時、妹と母親が死んだ時と同じだった。
レイとユミが安らかに寝かされた部屋の中でシンジは一人だった。
誰も寄せつけない沈黙、心の壁を造り、総てを拒絶したあの頃。

「...答えられないのか?」
「...」

微かに聞こえた。
だがその言葉はゲンドウやユイが望んだ言葉ではなかった。

「シンジ君のせいじゃない。
 だからそんなに深く考えないで...」

ユイはガラス細工を扱うように優しく接しようとする。
だがそのガラス細工は傷だらけであった。
その中でも昔受けた傷は深く、そして昨日も深く傷付いてしまった。
いつ砕け散っても不思議ではない。

「レイちゃんは大丈夫よ。
 明日は大事な決勝戦なんだから休みなさい。」
「僕にとってはレイの方が大事です。」

明日の決勝戦よりもレイ、夢よりも現在(いま)を選ぶ。
説得は無理だと思い知らされ、ゲンドウとユイは病室から出た。











☆★☆★☆










面会時間終了−−−
そんな立て札を見て話し合う4人が居た。
ムサシ、マナ、カヲル、ケイタである。
いざお見舞いだ、と来てみたのだがミサトとマナに呼び止められ、そこで話を聞かされた。
そして話が終わった頃には立て札通り面会時間は過ぎていたのだ。

「どうするムサシ?」

ケイタが聞く。
するとムサシは何事も無かったように歩き始めた。

「オレは何も見てないし、何も聞いてない。
 行くぞ!」

ズカズカと立て札を無視して突き進む。

「まったくアンタは...」

ため息を着きながらマナもムサシに従う。
それを見送る2人。

「どうするカヲル?」
「この際仕方ないんじゃない?」
「...だな。」

結局4人は立て札を無視して303号室を目指した。





「けど信じられなかったね...」

階段を登る途中、カヲルがミサトの話を思い出しながら呟く。

(シンジ君には綾波レイちゃんとそっくりの妹が居たの。
 けどそのコは二年前に亡くなった...そして今回の一件がその時の光景と重なったのよ。
 シンジ君の妹が死んだ時のように綾波レイちゃんが危険な目に遭って入院した。
 護れなかった自分が許せないのよ、シンジ君は...)

「シンジ君、綾波さんを自分の妹と重ねて見ているのかもしれないね。」

カヲルは珍しく、やりきれない、といった表情を浮かべていた。

「カヲル、綾波がシンジの話をする時の顔、知ってるだろ。」
「うん、知ってるよ。」
「綾波はシンジが好きなんだ。
 そんな事になってみろ、綾波が可哀想じゃねーか。」

先頭を歩いているムサシはカヲルに話しているのに振り返らなかった。





ムサシ達は303号室の前に着いた。
だが入るのを躊躇う。

「い、行くぞ。」

みんなに言ったのか、はたまた自分に言い聞かせたのか。
とにかくムサシは何か言わなければ中に入れなかった。

コンコン...

控えめにノックする。
だが返事は返ってこない。
ある程度予想していたので思い切ってドアを開ける。

「...元気かシンジ、綾波?」

恐る恐る声を掛ける。
誰も居ないような感じの病室。
そこの空気は凍り付いていた。

「シ、シンジ?」

そこに姿はあるのに気配は無い、存在自体が希薄であった。
虚ろな目でレイを見詰めるシンジを見てゾッとする。
マナとケイタは怖さのあまり病室には入れない。

グッ...!

ムサシは強く拳を握り、不退転の決意で病室に入る。
明日の決勝の為では無く、自分の親友を助けたかった。

「明日の試合、出るんだろうな。」
「...」
「オマエはエースなんだぞ、決勝に出ないでどうする。」
「...」
「聞いてんのか!」

病室だというのに大声を上げ、肩を掴んで振り向かせようとする。
だがシンジの虚ろな表情を見た途端に先程までの意気込みが消え失せた。
そしてシンジが静かに話す。

「...レイが寝てるんだ、静かにしてくれ。」

イスに座り直し、再びレイを見詰める。
その背中がやけに寂しく見えた。
だがそれが却ってムサシの心に勇気を与える。

「行くぞシンジ!
 明日勝てば甲子園に行けるんだ、すぐそこまで来てるんだぞオレ達は!
 それだけじゃない...」

ムサシはいかに自分達が恵まれた状況に居るかを教える。
参加校は4000校を遥かに超え、甲子園の土を踏めるのは僅かに49校。
その49校にあと一歩の場所まで来た。

「明日の試合に絶対に勝たなければならないんだ、オレ達だけじゃなく敗けていったヤツらの為でもあるんだ!
 だからこそ闘わなければならない、オレ達とアイツらの夢を叶える為にな!」

敗けていった親友のヤマトを思い出す。
しかしそれでもシンジの耳には届かない。

「綾波レイ−−−
 今のキミを見たら、彼女はなんて思いかな?」
「!」

カヲルの一言にシンジは反応する。

「綾波さんが望むモノはなんだと思う?
 明日は大事な試合だというのにキミに傍に居てもらう事かい?
 ...それは違う、それを望んではいないよ。」
「...じゃあ何を望んでるんだよ...」
「明日の試合の結果...予選突破の知らせだよ。
 綾波さんはキミの野球をやっている姿に惹かれたんだ、夢を実現させようとするキミにね。」
「そうだシンジ!
 綾波の喜ぶ顔が見たいだろ!
 だったら明日の試合に勝って、優勝旗を見せてやろうぜ!」

カヲルの話にムサシが加わる。
シンジの目には静かに寝ているレイが居る。
微かに上下する胸から確かに生きているのが判る。
だがそれでも信じられなかった。

「...けど、行けない...」
「なんでだよシンジ!
 見たくないのか、綾波の笑顔?」
「そうじゃない...いやなんだ、離れたくない...」

野球を再び始めてから、今まで一度たりとも見せたことの無い弱さが現れた。

「このまま目が覚めなかったら...もしそうなったら僕は...」
「なに言ってんだよ、大丈夫だって。
 綾波だってきっと明日の優勝の知らせを聞いたら元気になるって。」
「そんな事判らないよ...」

ムサシの説得も虚しくシンジは心を閉ざす。

「明日の事なんか誰にも判らないんだ!
 一体何が保証してくれるんだよ?
 何も判らない、判る筈がない...判っていたらこんな事にはならなかった。
 判るのは、今、この瞬間だけだ...!」

泣き崩れ、次第に小さくなる声。
この瞬間、ムサシ達はシンジが妹を失ったときの哀しみが判った気がした。
哀しさ、後悔、絶望...今のシンジにはそれしかない。
すぐ近くに自分達の親友が居るというのに、その距離は果てしなく遠い。
ムサシ達の言葉はシンジに届かなかった。
説得は諦め、背中を向ける。
だが最後に一言だけ伝えた。

「...待ってるからな、グラウンドで。」

いつか聞いた事のある言葉−−−
自分の親友を信じているからこそ贈った想いだった。



そしてドアが閉じる音がした。











☆★☆★☆










日は移り、決戦の日がやってきた。
グラウンドに両チームが並び、開会の挨拶をする。
だがそこにシンジの姿は無かった。

「...居ないな。」

柏陵のキャプテン、水上タケシが呟く。
もちろんシンジである。
チラリとベンチを見ても居なかった。

(動揺を誘おうとしているのか?
 それとも本当に...いや、関係無い。
 居なければ好都合だ)

一打者としては勝負をしたかったのだが、チームを率いるキャプテンとしては勝利が何よりも優先する。
そしてシンジの不在は柏陵にとってはチャンスでもある。





「プレイボール!!」

試合は開始された。
先攻は柏陵であり第壱高校は守備に散っていた。
そしてマウンドにはシンジではなくフジオの姿が。

(碇先輩が居ない時はオレがここを護らなければならない!)

自分を奮い立たせ、投球モーションに入る。
だがその想いとは逆に第壱高校は窮地に立たされた。
柏陵は初回で2アウトながら、一三塁のチャンスを手に入れたのだ。



第伍拾話  完






後書き

伍拾話をお届けしました。
遂にというか、ようやくここまで辿り着き、そろそろ書き始めてから一年というのが見えてきた...
じゃあそろそろ終わりも見えてきたかな? と思う今日この頃。 みなさんどうお過ごしですか?
嗚呼、書き始めようと思ったのは夏の甲子園だったのに、またその季節が到来してきたから早いものですよ。
その間あった春の選抜は我が母校が甲子園初出場という嬉しい事件もありました。 結果は初戦敗退でしたが...
その選抜からたった4ヶ月で夏の甲子園が始まるんですから時が経つのは早いですね。
そして沖縄と北海道では予選も始まり、一番に甲子園に名乗りを上げるのはどうやら沖縄だそうです(7/18)
などと書いていると延々と続きそうなのでここまでにします。







次回予告



試合はシンジの居ないまま始まってしまう

だが第壱高校ナインは自分達がすべき事を判っていた

奮闘する第壱高校を迎え撃つ柏陵高校

そしてエースという支えを失った第壱高校は窮地に立たされた

一方、303号室ではレイが目を覚ます

その時、レイは何を想うのか...





次回

大切な人への想い

「成すべき事」



注) 予告はあくまでも予定です




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