第壱高校控え室−−−
部屋の中には第壱高校野球部のメンバーが揃っていた。
だがそこにはシンジの姿は無い。

「...あ、あのぉ...
 ちょっとトイレに行ってきます!」

ソワソワしていたフジオが急いで部屋から出て行く。
それを見ていたムサシが呆れる。

「ったく、これで何度目だ?」
「確か...4度目、かな?」

その近くで体をほぐしていたケイタが答える。
スタメンの連中もやれやれといった具合に呆れていた。

「無理ないんじゃないか、こんな大舞台を任されたんだからな。
 ...しかも甲子園出場を懸けた試合じゃあな。」
「責任重大だな。」

ヨウスケとススムが軽く会話をしているが、内心では緊張をほぐそうとしているのは見え見えだった。
だがそれはここに居る全員がそうであったに違いない。
なにしろここに居るメンバーで、ここまで勝ち上がって来たのを経験した者は一人も居ないのだ。

「みんな準備は出来てるか?」

控え室のドアが開き、監督である加持が入ってきた。
加持はそのまま部屋をグルリと見渡すと、一人足りない事に気付いた。
その時、後ろからフジオがようやく戻ってきた。

「あ、スンマセン!
 トイレに行っていて遅れました!」
「大丈夫かフジオ君?
 今日は先発なんだからしっかりしてくれよ。」
「ハ、ハイ!!」

威勢良く返事をする。
だがガチガチに緊張しているのは誰が見ても明白であった。
加持は 「こんなんで大丈夫なのかな」 とは表情には出さず、取り敢えず最終確認をする事にした。

「あ〜、みんな聞いてくれ。」











大切な人への想い

第伍拾壱話 成すべき事










一番 遊撃手 東ケイタ
二番 捕 手 渚カヲル
三番 三塁手 若槻タツヤ
四番 中堅手 榊リュウスケ
五番 右翼手 榛名ムサシ
六番 一塁手 望月ヨウスケ
七番 左翼手 麻生ススム
八番 二塁手 美和サトル
九番 投 手 速水フジオ

「以上がスターティングメンバ―だ。
 最後にオレからの言葉だが...もうここに至ってはくどくど話す事はない。」

加持はレギュラー全員の顔を見て満足する。
一年前とは全く違う精悍な顔をしていたのだ。
だが不安が無いといえばウソになる。
エースであるシンジがここに居ないからである。

「...シンジ君はどうなったんですか?」

誰もが気になっていた事をカヲルが聞いた。
今までバッテリーを組んでいた仲なので当然である。

「今はまだダメだ。」
「そうですか...」

加持の言葉に落胆する。
それはここに居る全員が思っていた。
その空気を感じ取り、加持が言うよりも早くキャプテンのタツヤが全員に檄を飛ばす。

「全員落ち着け!
 シンジが来れない事は予想していただろう。
 それを踏まえて今日のメンバーは決めたんだ、自分達の力を信じろ!
 それにシンジの名前は入ってるんだ、いつでも合流できる準備は整っている。
 その時アイツに苦労をかけないようにオレ達が成すべき事をするんだ!!
 いいな、みんな!!」
「「「「「オウ!!」」」」」

タツヤの檄に全員が緊張しながらも応える。
そして加持が締めの言葉を全員に贈る。

「では、幸運を祈る。」










☆★☆★☆











「よーし、みんな準備はいいな!」
「「「「「ハイ!!」」」」」

第壱高校スタンドでは開校以来の歴史的瞬間を一目見ようと生徒達が応援に駆けつけてきた。
青葉は吹奏楽部の顧問である為、部をあげての応援に余念がない。
その一方日向は、このように大事な試合には目がなく、こちらも自分の担当する陸上部全員を引き連れて応援に来ていた。

「ようシゲル、そっちの方も気合が入ってるな。」
「当ったり前だマコト!
 こういう時こそオレ達吹奏楽部の腕の見せ所だ!!
 オマエのトコこそ今日は声が枯れるまで応援してやれ!」
「へへ、判ってるって!」

日向はハチマキを締めてメガホンを両手に持って万事抜かりは無かった。
見れば薄っすらと汗までかいている。
それを見た青葉は天高く昇る太陽を見上げる。

「それにしても今日は良く晴れたもんだ。
 おとといまでの雨がウソみたいだな。」
「夏はやっぱりこうでなきゃな!
 照りつける太陽と流れ落ちる汗!
 ああ、くらくらしてくるぜ。」
「...大丈夫か?」

イッちゃいそうな日向を言葉では心配しつつも、長い付き合いなので多分大丈夫だろうと判断する。
いつの間にかグラウンドでは後攻の第壱高校が軽く守備練習をしていた。
そして青葉はシンジの姿が無い事に気付く。

「どうしたんだ?
 ...先発はシンジ君だと思ったんだが...」










スコアブックを片手に体操服姿の少女が一人で座っている。
言わずもがなマナである。

「となり、いいかしら?」
「あ、リツコ先生、どうぞ。」

リツコはマナの隣に座る。
マナがグラウンドを心配そうに見詰めていたので落ち着かせる為だった。

「そう言えば彼、ムサシ君は大丈夫なの?
 準決勝で足を痛めたじゃない。」
「それはもう大丈夫です、アイツの回復力は人並み以上ですから。
 それに榊先輩と守備位置を交代したみたいですから最後までいけますよ。」

マナは何事も無かったように言うが本当はそうではない。
あれからずっとマナはムサシのケガを診ており、かいがいしく世話をしていたのだ。
そして今回もまた内心ではフル出場は反対していた。
リツコにはその事を同じ女なので手に取るように判った。

「大丈夫よ、今回はマヤも道具を持って来ているわ。
 準備万端よ。」
「ホントですか!」

ムサシがケガをした時はロクなものを持ってきてなかったので心強い援軍が嬉しかった。
その事に気を良くしたリツコは更に続ける。

「それにいざとなれば私も出るわ。」
「せ、先生も、ですか...」

自信満々に胸を張るリツコに対し、マナの顔に縦線が入る。
どうかみんな無事に、とマナは切に願う。
そしてリツコが思い出したかのように大事な事を話す。

「それからシンジ君なんだけど、ミサトが病院にいるから大丈夫よ。
 いつでも合流できるように準備をしてるわ。」
「ミサト先生が...」

そこで更に心配になってくるマナ。
どうか事故に遭いませんように、と神に祈る他はなかった。










グラウンドでは第壱高校が守備練習をしていた。
そして外野ではムサシとリュウスケが軽くキャッチボールをしている。

「スンマセン、先輩。
 守備位置変更してもらって。」
「気にするな。
 それよりも本当に大丈夫なのか?」

いくら大事な試合だとはいえ、ケガ人を出場させるわけにはいかない。

「大丈夫ですって...ったくマナのヤツだな...」
「ムサシ、心配してくれる人を大切にしろよ。
 もしオマエが霧島の立場だったらどう思う?」
「そ、そりゃ...オレだって...」

痛いところを突かれてしまった。
それに良く考えればマナのお陰で試合ができるまで回復したのは判っていた。
感謝こそすれ、無下にする事はできない。

「...シンジは来ると思うか?」

キャッチボールの最中、なるべく考えないようにしていた事をリュウスケが聞いてきた。
だが何度考えても答えが出る筈が無く、ムサシもその問いに答える事はできなかった。

「判りません。」
「...だよな...」
「だからオレ達は、自分がするべき事をするまでです。」










マウンドではフジオが投球練習をしていた。
第壱高校は後攻で早くも出番があるのでフジオは肩を暖める。

ビュッ!...スパーン!

調子が良いのか、球足は悪くはなかった。
だが不安の色が隠せないのか落ち着きが無い。
その心は投げたボールにしっかりと現れていた。

「落ち着きなよフジオ君。
 練習通りにやれば問題無いよ。」
「で、でも...オレなんかにこんな大切な試合を任せられるとは...
 それに碇先輩だって来れるかも判らないし...」

考えるほどドツボにはまるのが判ってないフジオ。
そしていつも冷静さを失わないカヲルが諭す。

「シンジ君もそうだがキミだって実力はあるんだ、もっと自信を持っていいんだよ。
 それにここまで登ってくる間、みんなで頑張ってきたじゃないか。
 打たれてもみんなが守ってる。
 だからキミは自分がするべき事だけを考えればいいと思うよ。」
「...ハイ!」

気を取り直して、フジオは再び投球練習を始めた。










一方柏陵高校ベンチでは水上タケシが練習風景を眺めていた。

「ふむ、先発は速水フジオか。
 碇シンジは連投してこないんだな。」

メンバーの中にシンジの名前があり、事情を知らないが故である。

「去年の練習試合とは全く違うな、タケシ。
 覚えてるか、あの時の事?」
「忘れたくても忘れないさ。
 ああまで恥をかかされたのは初めてだからな。」

去年の事を持ち掛けたのは清水ダイスケ。
タケシと共に柏陵で三年間闘ってきたピッチャーである。

「それにしてもあの速水フジオが第壱高校に行っていたとはな。
 打てそうか?」
「誰に向かって言ってるんだダイスケ、オレは四番だぞ!
 中学と高校の違いというのを見せてやらぁ!」
「なにを言ってるんだ、タケシ!
 寝言は寝てから言え!!」
「「カ、蒲原監督?!」」

後ろを振り向くと柏陵高校の監督である蒲原ヒロユキが仁王立ちしていた。
球児達と同じように日に焼けた肌と年齢を伺わせる顔のしわ。
今までこのチームを指導してきた貫禄が現れている。
従ってタケシ達はこの蒲原監督に頭が上がらないようだった。

「いいかオマエら!
 あの速水フジオは碇シンジと同じくこの予選を投げてきたんだ!
 過信は禁物だ、油断するな、気合入れてけ!!」
「「ハイ!!」」

直立不動の体勢で答えるタケシとダイスケ。
蒲原監督はそれを見てフンと鼻を鳴らして二人の元を去った。

「ったく相変わらず心臓に悪い人だな、なあダイスケ。」
「三年間あの人の元でやってきたけど慣れないよな...」
「だが、あの人のお陰でここまで来れた。」
「その通り!
 今年こそはその期待に応えなけりゃな。」

三年目という事で今年が最後。
タケシ達にも敗けられない理由があった。










「はぁぁ...
 シンジ君来るかな...?」

病院のロビーで大きくため息をついたのはミサトだった。
シンジがいつでも試合に合流できるように待機しているのだ。

「申し訳ありません、葛城先生。」
「あ、アハハハ、いいんですよ槙村さん。
 私が好きでやってるんですから。」

ヒデユキがコーヒーを差し出す。
それを受け取ると再び心配な表情が浮かび上がった。

「でも...本当に私でいいんですか?」
「ええ、アナタでなければならないんです。
 立場としては中立ですからね。」
「それは判ってるんですけど...本当に来るんでしょうか?」
「...来なければ、甲子園にはやれませんね。
 でなければシンジ君も綾波レイちゃんも、そして 『彼女』 も前に進めませんから...」
「今のシンジ君を説得...か。」

今のユイとヒデユキには出来ない事だった。
故にその大役が第3者であるミサトに白羽の矢が立ったのだ。










☆★☆★☆











「両チーム整列!」
「「「「「オウ!」」」」」

主審が号令をかけると両チームが走って整列する。
ホームベースを挟んで一塁側が柏陵高校、三塁側が第壱高校である。
互いに自分が闘うチームを見据える。

「...居ないな。」

タケシがそこで初めてシンジが居ない事に気付いた。
選手として登録はされているのだが姿は見えない。

(動揺を誘おうとしているのか?
 それとも本当に...)

タケシに迷いが生じる。
だが開会の号令が響くとその迷いもすぐに無くなった。

(いや、関係無い。
 居なければ居ないで好都合だ)

シンジは柏陵にとって驚異的な存在である。
それが居なければ、それだけ勝つ確率が上がる。
キャプテンでもあるタケシは余計な事は考えないようにした。

「プレイボール!」

そして試合は始まった。





一番 中堅手 市木ユウサク
二番 遊撃手 勝柴ナオユキ
三番 一塁手 太田コウイチ
四番 捕 手 水上タケシ
五番 投 手 清水ダイスケ
六番 二塁手 三上ヒロタ
七番 右翼手 原カズヌキ
八番 左翼手 鈴木ヒロトシ
九番 三塁手 桜井マサト





以上が柏陵高校のスターティングメンバ―である。










☆★☆★☆











開いた窓から入る風にカーテンがなびき、夏の暑い空気を部屋に吹き入れた。
そして耳にはセミの鳴き声が聞こえ、シンジはそれを静かに聞く。

「...レイ...」

それは目の前で眠る大切な人。
そしてかつて護りきれなかった人の名でもあった。
今でもそれを深く悔やんでいる。

「ゴメンよ...レイ。」
「...ん。」

呼ぶ声に応えるようにレイが寝返りを打つ。
だが呼吸のリズムが早くなり、額に汗が滲んでくる。
パサ、と掛け布団から白い腕が投げ出された。
シンジはその手を優しく取り、そっと元の位置に戻し、黒い髪をすくう。

「汗で濡れたのか...」

シンジはタオルで壊れ物を扱うように優しく汗を拭く。
その間、時計の秒針の音しか聞こえない。
それほど部屋の中は静かだった。

ピピッ

時計の電子音が時報を鳴らした。
ハッと気付いたシンジは時計に目をやると決勝が始まる時間だった。
それをしばしの間ボーっと見詰めていた。

「...時間、ですね。」

僅かにレイから目を離した時だった。

「...気が付いてたの?」
「うん...」

横になりながら小さく頷いた。
力の無い返事、その途端に咳き込む。
シンジはすぐに駆け寄る。

「大丈夫?」
「...何をしてるんですかシンジさん。」

弱々しい声だが怒っているのがハッキリと判った。

「何って、傍に着いて居たかったから...」
「何考えてるんですか!
 シンジさんはウチのエースなんですよ!!
 こんなところに居る場合じゃないのが判らないんですか!!!」

傍に居てくれるのは嬉しい、だがシンジにはやらなければならない事があるのだ。
その想いを篭めて声の限りに叫ぶが、その直後に襲ってくる咳や発熱に苦しむ。

「でも、心配だったから...」
「...ん...」

心配そうに自分の背中に廻されたシンジの手が心地良かった。










☆★☆★☆











カキン!

打球はセカンドの真正面に転がる。
セカンドのサトルは落ち着いてボールを受け止めてファーストに送球してアウトになった。

「よし、これで2アウト...この調子だ。」

返球を受けたフジオは自然に口にでた。
1人目は三振に打ち取り、2人目はセカンドゴロ。
快調な滑り出しに気を良くしたフジオは早くこの回を終わらせたいのか気が焦る。

「ボール、4ボール!」
「クソ!」

悔しがるフジオを余所に三番バッターは一塁に着く。
その途端に湧き上がる柏陵高校スタンド。
水上タケシの打順が回ってきたのだ。

(さてと、どうするフジオ君。
 歩かせるという手もあるけど?)
(まだ始まったばかりですよ。
 今の内に様子を見ておかないといけませんし...)
(決まりだね)

フジオとカヲルはサインを出し合ってコースを決める。
その空気を感じ取った守備陣に緊張が走る。
無論、タケシにも。

「ボール!」

際どいコースに投げるフジオに対し、タケシは動かない。
シンジに比べるとフジオのコントロールは見劣りするが、それでも普通のピッチャーと同等かそれ以上のモノを持っている。
なのにそれを見分けるタケシの目。
カウントだけは確実に進み、2人はその選球眼に感心した。
そしてこのままでは埒が開かないと判断した2人は変化球で勝負を挑む事にした。

カキン!

快音が響き三塁線を走り抜ける。
サードのタツヤが反応し、横っ飛びでボールを捕まえた。

「ファール!」
「なに?」

タツヤが一塁に送球しようとした時、審判の声がした。
タイミング的にはアウトであった為に悔やまれる。
その後カウントは進んで1ストライク3ボール、フジオは追いこまれてしまった。

(ここはスライダーで勝負しかないか...)

自分の最も得意とするボールで打ち取るしかなくなりサインを送ってボールの握りを返る。
カヲルも賛成らしく構え、第壱高校に緊張が走った。

(コースは外角に流れる球!)
ビュッ!!

渾身の力を篭めて投げた。
コースはやや低めで思った場所にボールは走る。
そして外側に流れるところでタケシはバットを振り抜いた。

ガキン!
「ウワッ!」

ファーストとセカンドの間を走り抜け、ライト前に打球は転がった。
チャンスとばかりに一塁に居たランナーはセカンドを蹴り、サードを狙う。
ライトのムサシが捕球後すばやく三塁に送球するが、ボールが届いたのはランナーがスライディングで既に入った後だった。

(データ通り、頼るボールはスライダーだったな)

一塁に陣取ったタケシは内心ほくそえむ。
柏陵高校も第壱高校を徹底的に研究していたのだ。
ランナーは一・三塁、2アウトながら柏陵高校は最初のチャンスが巡ってきた。










☆★☆★☆











「しゃべらないで...」

シンジは落ち着かせるように優しく接する。
病気になったレイは気弱になっており、シンジの心遣いはとても嬉しかった。
何も無ければそのまま傍に居て欲しいのだが、今日はとても大事な決戦の日である為に、そうも言ってられない。

「...行ってください。」
「綾波をこんな目に遭わせたのは僕の責任なんだ。
 だから、行けない...」

確かに負い目を感じている。
そしてそれ以上に自分を好きと言ってくれた人の為に傍に着いていてあげたかった。
レイは嬉しくもあり、哀しくもあった。
自分がこれほどまでに想われ、好きな人の足を引っ張る事しかできない。
だがそれだけではない。

「...妹さん、ですか...?」

その存在を知った時から気にしていた事。
ひょっとしたら自分は妹と重ねられているのかも、と何度も思った。
口では違うと聞いたが心の奥までは判らない。
だが今はまだそれでいいとも思った。
いずれ時を重ねれば本当の自分を見てくれる筈と思ったから...

「な、なに言ってるんだよ綾波...」

今回の一件は二年前の惨劇と重ね合わせていた。
それを裏付けるようなシンジの薄っぺらい答えが決定的だった。

「バカ! シンジさんのバカ!!
 なんの為に決勝まで来たんですか!
 みんなはどうでもいいんですか!!」
「だ、大丈夫だって。
 みんなは強いんだ、僕が居なくても勝ってくれる。
 僕は信じてるから、みんなを...」

取り繕うようにシンジの口から出る言葉は説得力を持たない。
それどころかレイを怒らせる結果となった。

パン!

乾いた音と共に時間が止まった。
左頬に痛みが走り、呆然とするシンジ。
それ以上に痛かったのは、レイが泣いていたのを見てしまった。

「何考えてるんですか!
 そんな事で勝って嬉しいんですか!?」
「でも、綾波...」
「バカバカバカ!
 今のシンジさんなんか大ッ嫌い!!」

手近にある物をシンジに向かって投げつける。
シンジは避けようともせず受け止める。
だがレイの言葉が胸に突き刺さった。

「出てって!!」

愕然とした顔を見せ、シンジは病室から出ていく。
そして誰も居なくなった病室でレイは激しく咳き込み、胸が痛くなった。










☆★☆★☆











キン!

五番打者の打球は運の悪い事に内野と外野の中間点に落ち、ライト前ヒットになる。
その隙に三塁ランナーはホームを力強く踏む。
1−0、柏陵高校が先制点を上げた瞬間であった。
そして一・二塁とまだピンチは続き、第壱高校の内野陣は早くもマウンドに集まる。

「気にする事は無いぞフジオ。
 決勝まで来た相手なんだ、強くて当たり前だ。」
「はぁ...」
「取られた点は取り返せばいい。
 オマエはいつも通り投げろ!」
「ハ、ハイ!」

キャプテンのタツヤの励ましにフジオは力強く答える。

「まだ始まったばかりだ。
 気合入れてけ!」
「「「「「オウ!」」」」」

グラブでフジオの背中を叩き、守備に散っていく。
炎天下の夏の日差しにより、陽炎が立ち込めるグラウンド。
その暑さにより、体力が徐々に削られる。
敵は柏陵の他に存在するのをフジオは実感した。





コン!

だが流れは依然と柏陵に傾いたのか、六番は初球からバントを決行した。
ボールは三塁線を転がり、サードのタツヤが拾いに走り、右手で直接拾ってそのまま一塁に投げる。

「しまった!」

しかし送球は僅かにズレてしまい、ファーストを守るヨウスケの足がベースから離れてしまった。

「セーフ!」

塁審の判定と共に沸き上がる柏陵スタンド。
2アウトながら満塁のチャンスを手に入れた。

ガキン!
「クッ!」

だが幸運の星は第壱高校にも輝いた。
七番の打球は天高く舞い上がり、キャッチャーのカヲルが落ち着いてボールをキャッチした。
結局、柏陵高校は三者残塁となり、1−0で1回の表が終了した。
ピンチを凌ぎきったフジオは胸を撫で下ろす。










☆★☆★☆











...時は緩やかだが確実に流れる。

「...うん、判ったわ。
 じゃ。」

ミサトは病院内の公衆電話でリツコと連絡を取っていた。
そこに横で待っていたヒデユキが聞く。
その近くにはユイも居た。

「どうでした?」
「4回の裏の攻撃が終わって、今のところは5−3で第壱高校のリード。
 ですが...」

最後のところで言葉を濁すミサト。

「流れは徐々にですが柏陵に傾いてます。」
「マズイですね...」

ミサトの言う通り、流れは確実に柏陵に傾いていた。
第壱高校は1回の裏で打者一巡の猛攻を見せ、5点もの大量点で逆転に成功した。
だがそれ以降ランナーは殆ど出ず、4回の裏の攻撃まで終わってしまった。
それに引き換え柏陵高校は、毎回得点圏にランナーを出して遂に2点差まで縮めた。

「私、シンジ君のところに行ってきます。」
「葛城先生。」

心配そうな顔のユイが呼び止め、そして深々と頭を下げる。
ユイの手は、何も出来ない悔しさの余り震えていた。
子を想う母親の気持ちは、なんとなくではあるがミサトには判った。
喩えそれが他のモノを犠牲にしてでも。 それが過去のユイである。

「シンジ君を、よろしくお願いします。」
「...判りました。」

同じ女として、そして教師として、我が子を心配するその願いを叶えてあげたかった。










「とは言ったモノの...どうやって説得する?」

303号室に向かう途中、ミサトは考える。
なにしろ今までありとあらゆる手段を講じて説得を試みたが、いずれもシンジの心に届くことは無かった。
ゲンドウ、ユイの家族。 ヒデユキ、サエコの昔馴染み。 そしてムサシ達、野球部の仲間。
ミサトは真剣な顔をしながら3階に登り、レイの病室へと向かう。

「.........」

ドアの前で佇み、時間だけは刻々と過ぎて行く。
大きく息を吸い込み、ドアのノブに手を掛ける。
そしてミサトはドアを開けた。

「レイちゃん、シンジく...」

ミサトが見たモノは荒れ果てた病室とベットでは泣き崩れたレイの姿だった。
そして更に異変に気が付く。

「...シンジ君は?」

どこを探してもその姿は無い。
ミサトはレイの元に走った。

「レイちゃん、大丈夫? シンジ君は?
 それにこの部屋は一体...?」
「ミ、ミサト先生...ぅ、うわぁぁぁ...先生、先生...」
「ど、どうしたのレイちゃん...?」

ミサトの姿を見るや否や、レイは声を上げて泣き始め、ポツリポツリと先程のシンジを追い出した事を打ち明ける。
レイの真っ直ぐなまでのシンジへの想いがミサトの胸に突き刺さり、何も出来なかった自分自身への怒りと何もしようとしないシンジへの怒りが沸き上がった。





...やがてレイは泣き疲れ崩れるように眠りにつく。
ミサトはレイの涙の痕を優しく指でなぞり、慈愛に満ちた笑顔を向ける。

「女のコを泣かすなんて...
 安心してレイちゃん、シンジ君は必ず連れて行くから。」

そして不退転の決意を胸に秘めて病室を後にした。



第伍拾壱話  完









次回予告



回を重ねる毎に追い詰められる第壱高校

留守を任されたフジオは限界に来ていた

そして現実から逃げ出した少年

総ては最悪のシナリオに沿って進んでいた

しかし少年の前にミサトが現れた

果たして彼女は少年に何をしてあげられるのか...





次回

大切な人への想い

「目醒める刻」



注) 予告はあくまでも予定です



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