どこまでも長く高く続く階段。
振り返れば街が一望できるぐらい高くまで登ってきた。
それでもまだ階段は続いている。

「大丈夫、綾波?」
「ハイ、大丈夫です。」

心配そうなシンジの言葉に笑顔で答えるレイ。
傾いた太陽により辺りはオレンジ色に染まり、影が遠くまで伸びる。
石の階段には歴史を感じさせるように角が削られ、日の当たらない場所にはコケが生えていた。

「もう少しだから、頑張って。」

シンジがそっと手を差し伸べるとレイは嬉しそうにその手を取る。
そしてシンジの後ろには頂上に建つお寺の門が見えた。

(多分、あそこにはシンジさんの家族の...)

手に持った花束とこれから行く場所。
誰にでもシンジの行きたいところがどこなのかが判る。

「二年ぶりだな...」

門前で見上げる顔は懐かしさと哀しさが入り混じっていた。
門をくぐるとシンジは他のところには目もくれず、一直線に歩いていく。
元々お寺というのは寂しいところなのだが、目的の場所はさらに寂しい。
石の柱が立ち並ぶ景色はお世辞にも良いとは言えない。

(お墓か...やっぱり...)

シンジのあとを黙って着いていく。
そのとき、数匹の鳥が翼を羽ばたかせて飛び立った。










「誰や...」










声がした。










「誰だ...」










誰もいないと思っていた場所には先客がいた。










「誰...」










1人、2人、3人とシンジとレイを見る。










「...まさか...
 シ、シンジ...ウソ...」










そして4人目が2人を見たとき、シンジの顔が凍りついた。










「なんで...オマエが...
 オマエがここにいる...」










シンジの心が壊れたとき、レイは初めて見た。










「ぅ...あぁ...
 うああああああああああああああ!!!」
バキ!!










誰にでも優しかったシンジが、本気で少女を殴り飛ばしたところを。











大切な人への想い

第伍拾六話 癒されぬ想い












「こ、これが甲子園か...」

誰もが思い、そして口にする。
挨拶に行った加持とタツヤ、別行動のシンジとレイ以外は、一足先に甲子園を見に来た。
高校球児たちの憧れの地である甲子園を見上げ、何も言えなくなる。
歴史を感じさせるようにツタが壁を這い、新緑に染まる甲子園に感動する。
後ろに下がって全体像を眺める者や、甲子園の壁をペタペタと触る者、仲間たちと一緒に記念撮影する者など、各自思い思いの行動を取る。

「ハーイみんな、今度は中に入ってみよっか!」

ガイドさん顔負けの笑顔を見せるミサト。
引率用の旗でも持っていたら完璧である。

「入れるんですか?」
「新東京区の代表校なのよ、大丈夫大丈夫♪」
(((きっと何も考えてないな...)))

いきあたりばったりなミサトに不安を残しつつも後に着いていく部員たち。
先頭を歩くミサトは入り口付近にいた係員を呼び止めた。

「スイマセーン、そこのお兄さん、ちょっちいいですか?」
「なんでしょうか?」
「甲子園の中を見学したいんですが。」
「け、見学ですか?」

突然のことに驚く係員。
アポも取らないから当然である。
しかしそんなことで諦めるミサトではない。

「そこをなんとかお願いします!
 私たちは新東京区の代表校で、一足先に見てみたいんです。」
「出場校なんですか?
 う〜〜〜ん...今はグラウンド整備をしていてそこには入れませんが、それでも構わないんでしたら...」
「「「やったぁ!」」」

そして彼らはこれから始まる甲子園で見ることのできない観客側からの視点で甲子園を見学した。










☆★☆★☆











重く鈍い音がした。
トウジもケンスケもヒカリも、レイですら自分の目を疑った。

「なんでオマエがいる...!」

誰が聞いてもシンジのその言葉に憎しみが込められているのが判った。
憎悪の色に染まった目は、殴られたところを押さえてうずくまるアスカを見下ろす。

「な、なんでって...」

力のない声。
アスカの目はシンジに合わそうとはせず、地面を見つめる。

「誰がここにきて良いって言った!」
「そんな...」

今度は目を合わせられた。
だがその蒼い瞳は涙で濡れていた。

「だって...アタシのせいだから...」

助けを乞う咎人のように怯えた目でシンジを見る。
だがそれがシンジをさらに苛立たせ、普段からは考えられないほど激昂していた。

「オマエにそんな資格があると思っているのか!!」
「ぅ...」

アスカの目から涙が零れる。
憎まれている、恨まれている、そんなことは始めから判っていた。
だが心のどこかで赦されるという淡い思いがあったのかもしれない。
それが面と向かって情け容赦ない言葉を聞かされ、これが現実だと思い知らされた。

「...ゴメンナサイ...」

抜け殻のようにアスカは力なく立ち上がり、俯いてシンジの横を素通りした。
蒼い瞳は曇り、栗色の髪は輝きを失う。

「二度とここにはくるな!!」

憎しみのあまり歯を食いしばり血が滴る。
優しかった目は憎悪の念に駆られ、負の色に変わる。
それだけアスカを憎んでいた。
そしてその豹変振りにレイはただ体を震わせることしかできなかった。

(な、なんなの...これ...?
 ...本当にシンジさんなの...)

恐怖のあまり後ずさる。
そのとき目の前を横切る影があった。
影はシンジをめがけて走り、そして...

バキ!!










☆★☆★☆











ここは第3新東京市の第壱高校。
その一室、理事長室で受話器を片手に話すゲンドウがいた。

「...そのことはこちらでなんとかしましょう。
 ではよろしく頼みます...」
カチャ...

静かに受話器を下ろす。
それを見ていた冬月が話しかける。

「で、どうだった碇。
 老人たちはかなり渋っていたみたいだが?」
「いくら大会本部から滞在費が支給されるといっても微々たるモノですからね。
 資金面に関しては第3新東京市の委員会が一考するそうです。」
「ふむ、なんとかなりそうだな。」

野球部の甲子園入りには結構お金もかかるのである。
しかも問題は他にもあった。

「野球部の方はそれでいいかもしれんが、応援チームはそうもいかんだろ?」
「試合の日程が決まってないのでまだ判りませんが、一回戦は希望者全員でバスで向かわせるというのが旅行代理店の案です。
 しかし勝ち続ければさらに問題が出てきますが...」
「勝てば勝つほど台所事情が苦しくなるか、皮肉なものだな。」

ゲンドウはいつものポーズで、冬月は将棋を指して考える。

「そう言えば、冬月先生はどうなさるんですか?」

思い出したようにゲンドウが尋ねる。

「学校の方は教頭先生がいるからな。
 ...久しぶりに古巣に帰るのも悪くはない。」










☆★☆★☆











シンジたちが泊まるホテルからそれほど遠くない場所に風早高校はあった。

「ここが冬月校長が紹介してくれた風早高校だ。」
「綺麗な学校ですね、監督。
 それにかなり大きい...ウチと比べても負けないんじゃないんですか?」

加持とタツヤは風早高校の正門をくぐる。
正門から本校舎まではイチョウの並木道が伸びていた。
秋にもなると今の新緑から黄色に彩るのだろう。

「あれですね、野球のグラウンドって。」

タツヤが並木道から見えるグラウンドを見つけた。
校庭の隅に高く張られたネット、そして土のグラウンドと、どこの学校にもありそうな設備であった。

「ここの野球部もなかなかの強さらしいんだ。
 だがいかんせん、なんと言っても東雲高校が同じ区内にあるからな。」
「昨年の優勝校...
 地元だから人気はかなりなんじゃないですか?」

歩きながら校庭を眺める。
そのお陰で前方不注意となり、並木道からいきなり出てきたジャージ姿の少女にぶつかってしまった。

ドン!
「キャッ!!」

だが男と女。
体格の差から少女が転んでしまう。

「イタタタタ...」
「ゴメン!
 大丈夫かい、キミ。」

尻もちをついて痛みを堪える少女に手を差し出す。
この場合はどちらも悪いように思えるのだが、被害にあったのは少女であり、しかも女のコである。
男として謝らずにはいられなかった。

「ゴ、ゴメンナサイ!
 急いでたので...ホントにゴメンナサイ!」
「あ、あ...ちょっとキミ...」

少女はかなり急いでいるのか、特徴的なポニーテールを左右に振りながら走っていった。
タツヤを行き場のない手をワキワキと漂わせる。

「元気のいいコじゃないか。
 それよりケガがなくて良かったな。」
「ハイ...あれ?」

手帳が足元に落ちていた。
表には学校名と校章が書かれており、パタッと裏返すと生徒証が。
写真を見るとさっきの少女に間違いなかった。

「1−Gの...鈴原...ミユキ...」
「ミユキちゃんって言うのか、さっきのコは。」
「どうします?」

生徒手帳を返そうとしても、肝心の 『鈴原ミユキ』 はすでに影も形もない。

「これから教頭先生に挨拶にいくんだ。
 そのときに渡せばなんとかしてくれるだろ。」
「そうですね。
 ...それにしても...浮かない顔してませんか?」

タツヤの言う通り、加持は普段あまり見せない困った顔をしていた。

「これから会う教頭先生を考えるとな、ハハハ...」
「確か冬月校長先生の教え子って言ってましたよね。
 どんな方なのか知ってるんですか?」
「...知りたいか?」

何故かその言葉には聞いてはならない意味が含まれている予感がした。
だが数分後には会うという現実と、前もって知っていた方が良いのでは、という考えが思い浮かぶ。

「...是非とも...」
「そうか...」

神妙な顔つきのタツヤと遠い目をする加持。

「...『赤木ナオコ』 って言うんだ、教頭先生は...」
「赤木、ナオコ...
 ぐ、偶然ですかね、リツコ先生と同じ苗字なんて...ハハハ...」

引きつった笑いしかでないタツヤだった。

「ちなみに、リッちゃんのお母さんもナオコって言うんだ...」
「...ど、同姓同名なんて初めて見ますよオレ...」

その数分後、彼らは校長室で赤木リツコの母、赤木ナオコ教頭と対面した。










☆★☆★☆











バキ!!

シンジが吹っ飛ばされた。
数メートルほど後ろに転がったあと、起き上がろうとするが視界がグニャリと歪み大勢が崩れる。

ザ!

寸でのところで手をついて堪える。
口には血の味がしたがそんなことは問題ではなかった。

「...ケンスケ。」

キッと見上げたところには拳を震わせているケンスケがいた。
その目はシンジ同様に憎悪が篭められている。
ズンズンと足を鳴らして倒れたシンジの胸倉を掴んで無理やり起こす。

「シンジ!
 オマエ惣流になんてことするんだ!!」
「ケンスケには関係ない!」
ザワ...

その一言がケンスケの神経をさか撫でる。

バキ!!

渾身の力を篭めて殴る。
シンジの唇が切れて血が飛び散った。

「関係ないことはないだろ!
 オレたちがどれだけオマエら2人を心配したと思ってるんだ!
 オマエはそんなことをするために戻ってきたのか!!」

倒れたシンジに叫ぶ。
ケンスケは激情に流されるままに感情をぶつけ、シンジは切った唇を手で拭い、赤い血を見て吐き捨てる。

「ケンスケに一体なにが判るって言うんだ...」
「判らないのはオマエだ、あれは事故だったんだ!
 そんなことも判んないのか!
 ...レイは確かに可哀想だったけど、仕方ないだろう...惣流を赦してやれ...」
「...やっぱりなにも判ってないね...」

下あごを殴られた影響で、足取りがしっかりしない。
それでも立ち上がり、ケンスケを見るその目には哀しさや悔しさが入り混じる。
かつて親友と呼んでいた頃が懐かしかったのかもしれない。
だが次の瞬間には、それらは総て憎悪の対象に変わる。

バキ!!
「なにも判らないくせに!!」

今度はケンスケが吹っ飛ばされた。
メガネが転がり落ち、地面に倒れ込む。
四肢に力を入れて立ち上がろうとしてシンジを見上げた目は、すでに親友を見るそれではなかった。

「判らないのはオマエだシンジ!!
 オマエは惣流のことを一度でも考えたことがあるのか!!」

痛みを感じないのか立ち上がると、すぐさま殴りかかろうとする。
だが今まで動かなかったトウジがケンスケを止めた。

「落ち着かんかい、ケンスケ!」
「離せ、トウジ!
 このバカに思い知らせてやる!!」

トウジを振り解いて自由になると一直線にシンジに殴りかかる。
一方のシンジはダメージが抜けきれないのか、立っているのがやっとで避けられない。
シンジはやがてくるだろう痛みに目を閉じて備える。
しかし痛みはなかった。

ピッピピッ...

その代わりに白いYシャツに水滴が当たった。
手で拭うと水滴は鮮やかな赤−−− 血だった。
レイとヒカリは動けず、ただシンジの足元を見ていた。
足元には唇を切って倒れたアスカの姿が、そして目の前には信じられない顔をしたケンスケとトウジがいた。
特にケンスケはアスカを殴った拳を震わせ愕然としていた。

「...もうやめて...」

うずくまったままのアスカがしゃべった。
その声を聞くと今まで昂ぶっていた気持ちが急速に萎えていく。
アスカは誰にも目を合わせず、静かに立ち上がり、その場を去る。
去り際に言葉を残して...

「もう二度とこない...
 さよなら、シンジ...」

それはたった1人のために告げた別れの言葉−−−
誰もあとを追えなかった...いや、追うことはできなかった。
今まで何度もトウジたちはあとを追った。
だがその声も、差し伸べられた手も、アスカには届かない。
追うことができるのは彼女がただ1人待ち焦がれていた人、シンジだけだから。










「...チキショウ!!」

ケンスケが吐き捨てる。
握り締めた拳は怒りからであった。
それが追おうともしないシンジに対してであり、或いは目の前の少女1人も救えなかった自分に対してでもあった。

「なんでだよシンジ!
 オマエはなんで惣流を追わないんだ!
 どうしてオレじゃあダメなんだよ!!」

シンジを睨みつける。
だがシンジはシャツについた血を見つめるだけだった。

「聞いてるのか、シンジ!」

ケンスケは再び掴みかかった。
それを慌てて後ろからトウジが抑える。

「やめんかいケンスケ!」
「トウジ!
 オマエはシンジを許せるのか!!」
「オマエもええ加減にせぇ!!
 と、とにかくシンジ、早ゥ惣流のヤツを追わんかい!!」

力づくでケンスケを遠ざける。
だがその瞬間ケンスケの目に血のついたYシャツの校章が焼き付いた。

「...第壱高校...」
「なんや、ケンスケ?」
「クッ...クックックック...
 やっぱりオマエだったんだな、シンジ!」

一変して凄絶な笑みを浮かべる。
だがその目は依然として憎悪の光が輝く。

「帰ってきたんだよなシンジ...マウンドに!」
「ホ、ホンマか...?」

トウジがシンジを見る。
ヒカリもまたシンジを見るが、判らないところが一つあった。

「でも、第壱高校には六分儀君の名前は無かったはず...」
「...六分儀...?」

レイがヒカリの言葉を拾った。
そして近くの墓石にも同じ名前が彫られていたのを、自分と同じ名前が彫られていたのを見つけた。

「!
 六、分、儀...ソウ、ユミ...
 ...レイ...!!」










その昔、3人の仲間が想い描いた夢。
それは甲子園で闘うこと−−−
一時はその夢も潰えたかに思えたが、その3人が二年という歳月を経て、再び合見えた。



第伍拾六話  完






落書き

続いちゃいました。
前回からあまり進んでない...しかも綾波レイの存在に気づかないトウジたち...
もっと周りにも気を配りましょうね。
再会のお話は次回で終わらせますので、あとちょっと我慢してください。



―――予告―――



綾波レイは知ってしまった

変わったのは成長した体と碇という姓だけ

シンジの心は二年前と何も変わらなかった

少年たちは袂を別ち、それぞれの道を進む

やがてくる激戦を予感させるかのように





次回

大切な人への想い

「別れの言葉」



注) 予告はあくまでも予定です




今回の新キャラ
赤木ナオコ教頭先生、鈴原ミユキ
赤木ナオコは本文で説明があった通り赤木リツコの母で、京都の大学で冬月の教え子にあたります。
で、鈴原ミユキは苗字が示す通りトウジの妹であり、シンジの妹のレイとは親友の関係です。



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