「帰ってきたんだよなシンジ!」

ケンスケが叫ぶ。
かつての親友としてではなく、憎悪の対象としてであった。

「ホ、ホンマかシンジ!」

トウジは正直に喜ぶ。

「でも、第壱高校には六分儀君の名前...」

腑に落ちないヒカリ。

(なんなのこの人たち...
 それに六分儀ってまさか先輩の...?)

事情をつかめないレイ。
そこに残った全員がシンジに注目する。
シンジは悄然と佇み、全ての思考が止まったままだった。

「シンジさん...」

レイが答えを求めるように近づき、シンジを庇うようにトウジたちを見る。

「レイ...」

ヒカリの言葉にトウジとケンスケが反応する。
それ以上にヒカリは自分の言葉と目が信じられなかった。

「な、なんでアナタが、いるのよ...」

存在を否定するような言葉。
だがそれも事実であり、トウジ、ケンスケ、ヒカリの知っているレイは目の前の墓の中で永遠の眠りについているのだ。

「ど、どないなってんのや...?」
「そうだよ、レイは死んだはずじゃ...」

何も判らず混乱する2人。
そのときになってレイは気づいた。

(...私とシンジさんの妹と間違えている。
 ひょっとしてこの人たちがシンジさんの...え?)
グ...

レイの肩に力強い腕がまわされた。
不思議に思ってシンジを見ると、その目はトウジたちを睨みつけていた。
普段の優しい目ではなく、凍りつくような目。
レイは戦慄を覚えた。

「...紹介するよ、この子は綾波レイ...」
(これがシンジさん...?)

ゾッとするような声だった。
レイですら感じたのだから、言われたトウジたちも感じたに違いない。
憎しみや怒り、恨みや哀しみ、言葉では表せないくらいの闇を感じさせる。

ググ...

シンジの手に力が篭められる。
レイの肩に指が食い込み、シンジに対する恐怖が増幅される。

「...僕の...恋人だよ...」

レイはこのとき初めてシンジを怖いと思った。











大切な人への想い

第伍拾七話 別れの言葉











「あやなみレイ...?
 妹とはちゃうんか?」

トウジの言葉は震えていた。
ヒカリもまた同じように動揺していた。

「そ、それに、六分儀君...さっき恋人だって言ったよね...
 それ、本当?」

2人の質問に対してシンジは口元を歪めて答える。

「トウジも洞木さんも何度も言わせないでよ...
 この子は僕の妹じゃない、綾波レイだ。
 そして僕の恋人だよ。
 ね、綾波。」
「ハ、ハイ。」

正直言って今のシンジは好きになれなかった。
自分が好きなのは誰にでも優しいシンジであり、今のシンジではなかった。

「待てよシンジ...」

ノドの奥から搾り出すような声だった。
声のした方を見るとケンスケが拳を震わせている。
そのときの目はシンジ同様に負の色に染まっていた。

「じゃあ惣流はどうすんだよ!
 アイツはずっと待ってたんだぞ!!」

そのとき僅かだがシンジの表情が曇る。
しかしその変化に気づいたのは近くで見ていたレイだけだった。
いや、トウジもケンスケもヒカリも近くにいても気づかないであろう。
それだけ小さな変化だった。
もし気づく人間がいるとしたら妹のレイか、或いはアスカだけであろう。

「シンジさん...」

心配からか、レイは小さな声で想い人の名前を呼ぶ。
だが純粋に心配だけではなかった。
ひょっとしたら嫉妬という感情が芽生え始め、自分以外の人を見て欲しくなかったかもしれない。
アスカという少女を見てほしくなかった。

「知らないよ...!」

だが、シンジにとってはその一言だけで十分だった。
綾波レイの存在が妹のレイに結びつき、アスカに対する憎しみが沸きあがる。

「誰があんなヤツなんか!」
「シンジ、オマエ本気で言ってるのか!!」
「だってそうじゃないか!
 アイツが...」

レイの肩を抱く力がどれだけアスカを憎んでいるかを表すように大きくなる。
シンジの手は震え、レイを抱き寄せ、その存在を確かめる。
今のこの絆が消えてしまわないように。
そして昔の絆を断ち切るかのように叫ぶ。

「アイツがレイを殺したんじゃないか!!」

レイはその叫びを意外に冷静に聞いていた。










☆★☆★☆











...「では甲子園、頑張ってくださいね。」

風早高校の校長室で加持とタツヤが畏まってその言葉を聞いた。
校長室にはその他に部屋の主である校長先生と 『赤木ナオコ』 という教頭先生がいた。
ちなみに先ほどの言葉はナオコが言ったのである。
普通だったら校長が言ってもいいのだが...

(あ、相変わらず、すごい視線だ...石にされちまうぞ...)
(赤紫の髪、紫色の口紅...金髪のリツコ先生もスゴイけど...グワッ、香水の匂いがハンパじゃない!)

加持とタツヤは粗相でもあったら命は無いと思い、終始直立不動で聞いていた。
校長はセリフをナオコに取られたらしく出番がまったく無い。
そのナオコは値踏みをするような視線で加持とタツヤを見る。

「そう言えば野球場はご覧になられました?」
「あ、遠くから見た程度で...」
「でしたらご案内しますわ。」
「え...教頭先生が、ですか?」

その言葉で更に緊張感が増す2人。
加持は滝のように冷や汗が流れ落ちる。

「冬月先生の生徒さんと先生ですから当然です。
 それに...」
「それに?」
「娘のリツコがお世話になってるんですから。
 ね、加持先生。」

ニコニコと笑顔を振り撒いてはいるが、漂う気配は違った。










「専用のグラウンドとまではいきませんが必要なモノは全てそろってますよ。」

ナオコが先頭に立って野球場まで案内する。
場所は先ほど遠くから見たのだが設備も整っていて、これならいつでも試合が始められるほどだった。

「良く整備されてますね。」

実際にタツヤはグラウンドを足で回ってみた。
芝はないが小石などは取り除かれ、トンボで丹念にならしてある。
マウンドのプレートも各ベースも土やホコリは払われ白さが浮き出ていた。
そしてグラウンドの脇には50名ばかりの女の子の集団があった。

「あれ、なんですか?」

タツヤは不思議に思って聞いてしまう。

「彼女たちはね、入場行進のプラカード持ちよ。
 今年はウチの学校が甲子園のお手伝いに抜擢されたの。」
「お世話になります。」

遠巻きに彼女たちを眺めていたら、見たことのあるポニーテールを発見した。

「あのコだ。
 加持先生、さっきのコがいますよ。」
「おお、確か鈴原ミユキちゃんだったな。」

何気ない一言だったがナオコの眉がピクリと動く。

「あら、さすがは加持先生ね。」
「ち、違います!
 ほらタツヤ、手帳手帳!」
「ハイ!」

ミユキとの一件を話して誤解を解いてもらうと、落し物を返すために3人は女の子の集団に向かった。
ついでに挨拶も兼ねており、ナオコが女のコたちの前に立つと加持とタツヤを紹介する。

「みなさん、紹介するわ。
 新東京区の代表校、第3新東京市立第壱高校のキャプテンの若槻タツヤ君と監督の加持先生です。」
「あーーーーー!!」

突然上がる声。
声の主はもちろんミユキだった。
驚きのあまり指を差したまま硬直している。

「ハイハイ、鈴原さん、アナタのことはお2人から聞きました。
 それから落し物だそうです。」
「手帳!
 あれ、あれれ...ナイ...」

生徒手帳を探すために体中を叩いて確かめるのだが、お目当てのモノはナオコが持っているためにあるはずがない。

「以後、気をつけるように。」
「すみません...」

バツが悪そうに受け取る。
そして軽い会釈をして加持とタツヤにお礼をして戻った。










「初出場ですか、頑張ってくださいね。」

ミユキが元気いっぱいに激励する。
挨拶も終わり、お礼がてらにタツヤたちと話していたのだ。

「全力は尽くすよ。
 でもなぁ...」
「でもって、どうしたんですか?」
「オレたちの評価って低いんだよ...
 やっぱ聞いたことのない学校だから。」

ガックリと肩を落とす。
新幹線でのことで、たまたま見た雑誌に甲子園出場校の分析した記事があり、そこにはABCDランクで 『D』 と書かれていたのだ。
しかしミユキは優しかった。

「他人の評価なんてアテになりませんよ。
 バシッと勝って、そんな記事書いた記者を見返してください!」
「ありがとミユキちゃん。
 そうだよな、オレたちだって去年のベスト4を倒してきたんだから!」

グッと拳を握って気をとり直す。

「それって相洋学園ですよね?」
「知ってるの?」

意外だな、とタツヤは正直に思った。
確かにココは甲子園に近くて、今回は開会式の手伝いをする。
それでも一介の女子生徒が去年の成績を知ってるとは思えなかった。
だがミユキの口からは意外な名前が出てきた。

「だってその学校って去年の優勝校の東雲高校に敗れたんですよ。」
「なるほど、地元だからか。」

加持が、さも納得したように頷く。

「気がつきませんか?」

ミユキはニコニコと笑顔で聞き返してくる。
気づけといわれても何も心当たりが浮かばず、?マークが2人の頭に漂う。
それを見てガックリとする。

「はぁ...お兄ちゃんもまだまだマイナーなんだね...」
「お兄さん?」
「鈴原トウジって言うんです。」
「鈴原トウジ...東雲高校の四番バッター...!
 す、鈴原!?」
「ハイ、東雲高校の四番打者、鈴原トウジは私の兄です。」

ポカンと開いた口がふさがらなかった。
意外なところに繋がりがある。
しかしそれ以上の繋がりがあるとは、その時点ではまだ気づかなかった。

「ハァ...シンジに頑張ってもらうしかないな。」

何気ない一言。
だがミユキの目が見開かれた。

「...シンジ?」
「ウチのエースさ、碇シンジ。
 ...そういやアイツも同じ2年だな。」

タツヤは独り言のように呟く。
そしてミユキもまた...

「碇、シンジ...
 ... 『六分儀シンジ』 じゃないのか...」










☆★☆★☆











「シンジ!!」

ケンスケが殴りかかる。
とっさにシンジはレイを庇うように身構える。
しかしケンスケの攻撃はシンジには届かなかった。

「トウジ、何故止める!」
「オマエも頭冷やさんかい!」

ケンスケの拳は途中で止まっていた。
それを止めたトウジの顔も今までと違い、真剣な目でシンジを見る。

「見損なったで、シンジ。
 結局は変わらんかったんか...」
「...なんで変わる必要があるのさ...?」

シンジはトウジの目を見て話せない。
あまりにも純粋すぎたのだ。
親友の帰りを信じて待ち続けた日々。
それが長ければ長いほど裏切られたときの落胆は大きかった故、トウジは哀れむように見ていた。

「変わったんは姿だけか...ホンマ哀しいで...」
「姿だけじゃないよ...
 今の僕は碇...碇シンジ。
 六分儀シンジはもういないんだよ...」

哀しい声で告げる。
それは昔の自分と親友に別れを意味する。
しかしレイにとっては違う意味を持っていた。

(六分儀シンジ。
 じゃあやっぱりこのお墓にはシンジさんの家族が...)

シンジは流れ出ようとする涙を堪える。
グッと拳を握り締め、キッと意を決してトウジとケンスケに向き直す。

「僕は新東京区の代表校、第壱高校のエース、碇シンジだ!」

決別の言葉であり、トウジとケンスケはその言葉を受け止める。

「オレは十六夜高校、トウジは東雲高校、シンジは第壱高校。
 ガキの頃からじゃ、思いもよらなかったな。」

昔を懐かしむようにケンスケが呟く。
だが、心なしか嬉しそうな表情が現れている。

「せやな...だがワイの前を歩くヤツは絶対に許さへんからな。
 それがシンジ、ケンスケ、オマエらでもな!」
「オレだってそうさ!
 あれから一年...敗けるためにやってきたんじゃない!
 特にシンジ!
 オマエにだけは絶対に敗けないからな!!」

この瞬間、かつての親友という絆は断ち切れた。
名門にして昨年の優勝校であるトウジ、四国にその名を知らしめたケンスケ、無名校を甲子園に導いたシンジ...
その3人が六分儀の墓の許での、ごく短い再会。
だがそれは来るべき闘いの幕開けにすぎなかった。
かつての願い、何もかも焼き尽くすような熱い闘いの...










☆★☆★☆











カナカナカナカナカナ...

六分儀の墓の前にはもうシンジとレイしかいなかった。
シンジは黙って墓の前に立ち、レイはその後ろにいた。
辺りの空気は先程までとは打って変わって寂しさが漂う。
しかし場所を考えるとそれは当たり前だった。

「...ゴメンね、綾波。
 変なことになっちゃって...」

謝っているのだが、じっと墓石を見たままだった。

「いえ...
 けど、良かったんですか、あれで...」

背中にかけられた言葉は今のシンジにとっては何の意味も持たない。
目の前に本当の家族が眠っているのだから。

「構わないよ。
 トウジとケンスケとは敵同士になるのは判ってたから。」
「そう、ですか...」

本当はそんなことを聞いたのではない。
アスカという少女−−−
彼女のことを聞いていた。

(惣流アスカ...
 あの人がシンジさんの帰りを待ってた人なのね...)

シンジが殴った少女であり、シンジの言葉を借りれば妹を殺した少女、そして憎悪の対象。
それでもシンジをこの二年間ずっと待ち焦がれていた。
シンジと再会したとき、アスカの顔に涙と笑顔がレイには見えた。
けど自分を見たとき、その顔は恐怖に変わっていた。
好きだからか、贖罪か、或いは両方では...
多分そうだとレイは思う。
しかしシンジは?
幼馴染み、一番近くにいた他人、妹のレイよりもシンジを理解していた少女。
自分の知らないシンジを知っている。
それを考えるだけで胸が締めつけられる。
ふと気がつくとシンジは振り返り、レイを見ていた。

「...綾波には話しておいた方がいいね。
 僕の家族、トウジとケンスケ、洞木さん...
 そして−−−」

不意に訪れる沈黙。
シンジは少し躊躇ったあとに口を開く。

「...アスカのことを...」

シンジの口からこの二年間、一度も出なかった名前が綴られた。



第伍拾七話  完







―――予告―――



シンジがまだ六分儀の姓を名乗っていた頃の話

家族、親友、幼馴染み

幸せと呼べる総てがそこには在った

だが始まりと終わりもまた、そこに在る

二年前−−−

物語はひとたび過去に遡る





次回

大切な人への想い

「過ぎ去った夏(其ノ壱)」



注) 予告はあくまでも予定です




sugiさんの部屋に戻る/投稿小説の部屋に戻る
inserted by FC2 system