pipipipi...パチッ

目覚ましが朝の訪れを知らせ、その主、惣流アスカが目を覚ます。
緩慢な動きで上体を起こし、栗色の髪をかきあげる。
目の下に僅かにクマができており、寝起きはどうやら良くないようだ。

シャッ!

ベットから出ると、勢い良くカーテンを開ける。
昨日までだったら朝日を浴びて目が覚めるところだったがそうもいかなかった。

「...雨、か...」

窓を閉めているにもかかわらず、雨音が聞こえる。
風が吹けば窓にバチバチと当たり、雨足はかなり強いようだ。
雨は心を憂鬱にさせ、寝起きの悪さも手伝い、アスカの気分は下降する。
しかしそれ以上に彼女を憂鬱にさせるモノがあった。
それが昨日のレイの誕生日だ。
昨日のパーティーの後、シンジとレイは2人だけで出かけた。
2人だけの、父親との想い出の場所へ−−−
そのことを考えると無性に苛立ってくるのだ。
自分だけが知らない、シンジとレイだけが知っている。
3人一緒とはいってもアスカは2人の間に入っていけない場所があった。
産まれたときから一緒だったのが、いつの間にかズレ始めた。
一体なにが原因なのかと考えると、すぐに思い至る。
レイの存在であった。

「あのときのことは忘れない...」





初めて逢ったのは小学校の2年生の夏だった。
アスカはその頃、夏休みを利用してドイツの祖父のところに家族旅行に行った。
そこから家に帰ると取るものも取らずに早速シンジの家に行った。

「シンジ、帰ってきたわよ!」

いつもだったらすぐに走ってくるのになぜか来なかった。
そのことはアベルもキョウコもすぐに気づいた。

「あら、おかえりなさいアスカちゃん。」
「おばさま?」

現れたのはシンジではなく、ユミだった。

「シンジいます?」
「リビングで遊んでいるわよ。」
「なによシンジのヤツ!」
「ア、アスカ。
 ごめんなさいね、ユミ。」

アスカの背中に聞こえるキョウコの声。
だが家に居るのに一向に現れようとしないシンジに腹を立て、アスカはリビングに走った。

「せっかく帰ってきてあげたのに!
 ムーーー、シンジのくせに!」

廊下をドタドタと走る。
リビングからシンジの笑い声が聞こえた。
ドイツに行って逢えなかったので、実に1週間ぶりの声だった。

「バカシンジ!!」
「アスカ!?」

大声で怒鳴りつける。
リビングにはシンジとソウと見知らぬ空色の髪をした女の子が居た。
その3人は驚いてアスカを見る。

「...シンジ、その子だれ?」

アスカの声は不機嫌極まりなかった。
しかしシンジはいつもの笑顔をしていた。

「僕の妹のレイだよ。」
「妹...レイ...?」
「ほらレイ、アスカに挨拶して。」

シンジは自分の背中に隠れるレイに優しく促す。
レイは顔を少しだけ覗かせて恐る恐るアスカを見た。

「...ろくぶんぎ、レイ...」
「僕の後ろに隠れてないで、ちゃんと挨拶しなきゃ。
 ゴメンね、アスカ。」

シンジが謝るのはいつものことだが、アスカは苛立ちを感じた。
謝ったことにではなく、シンジがレイのために謝ったことに対してである。





そのときからアスカとシンジとの間にレイが入ってきた。
それ以来、シンジはレイを優先していった。
新しくできた家族、護るべき妹として、そしてアスカとシンジとの壁として...











大切な人への想い

第六拾弐話 過ぎ去った夏(其ノ伍)











体育館からグラウンドを眺める3人組がいた。
通称3バカトリオである。

「...雨やな。」
「やだね、雨は。」
「仕方ないさ、いつも晴ればっかりって訳にはいかないだろ。」

朝から雨だったのでシンジたちは体育館で体力作りであった。
腕立て、腹筋、背筋、ect...
どれも必要なものなのだが単調なのでつまらない。
それでも午前中はずっと頑張ったのだ。
で、今は昼休みと。

「やっぱグラウンドに出れんっちゅうのは辛いワ。
 体育館じゃやることが限られてかなわんしなぁ...」
「そうだよな...他の部活も使ってるんじゃ思いっきりできないからな。」
「でも体力作りも大切だよ...って言っても気が滅入ってくね。」
「は〜ぁあ、全天候型のドーム球場が欲しいな。」

全ては雨が悪いと言わんばかりに外でずっと降っている雨を恨む。










「ねえアスカ、あそこに見えるのって...」
「間違いないわ、3バカよ。」

アスカとヒカリが教室の窓から3人を発見した。
3人並んで外を見ているので結構目立っているのだ。

「ったく、なにやってんのよアイツらは。」
「行ってみる?」
「そうね、ヒマだし。」

いそいそと体育館へ移動を始める2人。
で、あっという間に体育館−−−

「イタタ...」

突然体の痛みを訴えるのはシンジだった。
最近は肩が痛むのか、グルグルと腕を回してほぐす。

「どないしたんやシンジ?」
「うん...ちょっと肩が...
 たいしたことはないと思うんだけどね。」

痛みの原因は投げ過ぎにあった。
なんで投げ過ぎかと言うと、先日の東雲高校の試合で見た1年生エースである。
なんだかんだ言っても対抗心というのがシンジにもあった。
そのことはトウジもケンスケも知っていた。

「大丈夫か、オマエの場合、肩は大事にしないといけないからな...」
「ま、今日は投げれないから大丈夫だね。」
「その意味じゃ今日はありがたいっちゅうこと、休みも必要や。」










「バカシンジっ!」

体育館の入り口から聞こえる大声。
シンジのことをバカ呼ばわりするのは、世間広しと言えども1人しかいない。

「アスカ?」
「腕なんかグルグル回してなにやってんのよ?」
「...ん〜〜〜、ちょっとね...」

言葉を濁すシンジ。
しかもなるべく視線を合わさないようにする。
だがアスカを前にしてそんなことは通じないのだ。

「...ひょっとして、肩が痛むの?」
「いやっ...そんなことないよ。
 ほら大丈夫だよ。」

体全体を使ってアピールする...のだが今一つキレがない。

「痛むのね。」
「だから、大丈夫だって...」
「痛むんでしょ。」
「う...」

普段とは違って実力行使に出ず、ただじっと見るだけ。
精神的重圧を受け、結局根を上げて素直に話すのだった。
ケンスケ曰く 「ムダな抵抗だね」 である。

「うん...投げ過ぎ、だと思うんだ...」
「投げ過ぎって、アンタどうしちゃったのよ?」

野球に限らずスポーツをやる者ならば、自己管理は重要である。
特に投手の場合、肩は消耗品といってもおかしくないので、おのずと肩を大事にしなくてはならない。
それなのにシンジは肩を痛めてしまった。

「と、とにかく肩を温めておきなさい!」

手近にあったタオルをシンジの肩に掛けた。
そして同時になぜ、という考えが浮かぶ。
今までだったらこんなことは一度もなかった。
特待生の試験のためにとも思えたが、県大会のときですらそんなことはなかった。
アスカには思い当たる節がなく、トウジとケンスケを見る。

「東雲高校のエースさ。」

ケンスケが答えた。

「岩瀬トシフミ、一年にしてあの東雲高校のレギュラーの座を勝ち取った。
 あの時田シロウがわざわざ隣りの県からスカウトしてきたほどの実力の持ち主さ。
 それからシンジとタイプが似てたろ...彼も速球派なんだ。」
「そう言えばそうね...
 で、アンタはそれで対抗意識を燃やして肩を痛めたって言うの?」

再びシンジを睨む。
鏡に映った自分を見るカエルの如く脂汗が出てきた。

「ア、アハハハ...
 でもさ、今日は雨だから投げられないね...」
「なに考えてんのよ、バカシンジ!!
 いい、アンタは今日練習ナシ!!」

窓ガラスがガタガタと揺れるほどアスカは怒っていた。
と、いう訳で今日の練習はお預けとなってしまった...










☆★☆★☆











「いつまで待たせる気なんだろ...」

シンジは校舎の玄関で1人待ち惚けを食らっていた。
練習は大事を取って休みにしたのだが、突然アスカが買い物に行こうと言い出したのだ。
本来ならばじっくりと休養を取らねばならないのだが、なにしろアスカの命令には逆らえない。
基本的に尻に敷かれるタイプなので逆らったとしても結果は同じ、シンジの抵抗はムダなのだ。
過去に幾度となく経験しているので諦めモードが入っているのだが、自然に愚痴が出てくる。

「アスカっていつも急なんだから...あれさえなければなぁ...
 こっちの身にもなって欲しいよ。」

ふ〜っとため息を一つつく。
いないのをいいことに言いたい放題である。
いたら絶対に言えないので仕方がない...が、そうは問屋が卸さない。

「なんか文句でもあるのかな、シンジ?」
「...あ、いたの?」
「ええ、最初からしっかりと聞かせてもらったわよ、シンジの気持ち。」

ニコニコと笑顔でいるのだが漂う雰囲気はまったく違う。
怒気というか殺気が感じられた。
シンジはこの後、自分に降りかかる仕打ちを頭の中でシミュレートする。
結果32768通りものパターンが導き出されたが、どれもこれもがズタボロになるモノばかりだった。
だが一つだけ肉体的な痛みを伴わないモノがあった。

「...××屋のアイスクリームでどう?」
「そうね...3段重ねならいいわよ。」

笑顔でビシッと指を3本立てる。
それは財政を圧迫する案だった...

「...判ったよ...」
「じゃ、早く行きましょ♪」

街へ向かうアスカの足取りは軽く、シンジは足を引き摺るほど重かった。










☆★☆★☆











ちょうどその頃、傘をさしながら駅前の商店街を1人歩くレイは...

「雨の日とはいえ、やっぱり買い物には行かないとね。
 え〜と、最近お肉ばっかりだったし...」

お年頃の女の子なのに、少々考えるズレていて家庭的であった。
そこにいきつけのお店のご主人が声をかけてくる。

「いらっしゃい、レイちゃん。
 雨の日なのに大変だね。」
「んふふ、そうでもないよ。
 さてと、今夜のおかずはなんにしよっかな...」

今はシンジが良く食べるために買出しのペースが上がっていたのだ。
それでも美味しく食べてくれるのでレイは忙しいと感じるよりも嬉しかった。

「今日はなにがあります?」
「お薦めはコイツ、鱧(はも)だ!
 白身魚で味は淡白なんだけど、今は産卵期だから脂が乗ってて美味しいゼ。」
「へぇ〜〜〜、どんな料理にできます?」
「そうだね、鱧のあらいなんかは良く聞くし、土瓶蒸なんてモノもあるよ。
 まあ土瓶蒸は秋にやった方がいいけどね。」

このように色々とアドバイスを受けてレイの腕は上がっていくのだ。

「鱧のあらいか...
 うん、これください。」
「毎度あり!
 いつもありがとね、レイちゃん!」










「ねえシンジ、あれ素敵じゃない?」

ショウウィンドウの中にある赤いドレスを指した。
見惚れてしまうようなデザイン、アスカのイメージにピッタリ。
思わず飾ってあるドレスを着たアスカを想像してしまい、ボーッと眺めてしまう。

「ふふん。
 1人の少年の心を奪うなんて、アタシも罪作りな女ね。」
「な、なんだよそれって?」
「ボーッとしてたじゃない。
 想像してたんでしょ、ドレスを着たアタシを。」

ポーズを取って決める。
今は見慣れた制服だがつい先ほど想像した姿を思い浮かべる。
その姿は少女ではなく1人の女性であり、唇にはドレスと同じ色の口紅が塗られていた。
いつもの勝気なアスカではないアスカが自分にだけ微笑んでいた。

「う...うん、すごく綺麗だろうな...」

いつもらしからぬことを、いつもの微笑を浮かべて言った。
一方、アスカは一瞬にして耳まで真っ赤に変色させる。

「き...ききっき、き...きれい...?」

うろたえているのが手に取るように判った。
だがシンジにはそうなった理由が判らない。
しばらくの間そんな状態で2人仲良く突っ立っていた。










一方、こちらは体育館で練習に励むトウジとケンスケ。
一段落ついたのか、今は体を休めて外の雨を眺めていた。
そのときのケンスケは珍しく無口で、浮かない顔をしていた。

「どないしたんやケンスケ?」
「...なんでも...ないよ、トウジ。」

上の空で生返事をするだけのケンスケ。

「なんかあったんやろ?
 ワシらは親友や、いくらでも相談に乗ったるで!」

バシッと自分の胸を叩いてケンスケを正面から見た。
熱血硬派なため、親友を向けた目は純粋に心配していた。
その目を見てケンスケはため息を一つ吐いて話す。

「...実はな...親父が転勤で四国の高知県に行くことになったんだ。
 で...」
「なんやて!
 じゃあ特待生の話はどうすんのや、ワシら3人で行くっちゅうたやんか!」
「話は最後まで聞けって、ったく...
 四国に行くのは親だけ、オレはこっちに残るの。
 東雲高校には学生寮があるからな。」

得意満面な笑顔で言うケンスケのメガネは光っていた。
思わず後ずさりするトウジ。

「クックック...
 寮住まいとはいえ親元を離れられるんだぜ、いちいち文句を言われなくて済むんだ!
 思う存分あ〜んなことや、こ〜んなことができるんだ、親父の転勤様々だぜ!!
 遂にオレの時代がやってきたんだ!!!」
「そ、そら良かったな...」

メガネを光らせ狂喜乱舞するケンスケだった。
だがそれは特待生のテストをパスしなければならないのを忘れていた...










ゲームセンターの一角にシンジとアスカがいる。
2人は仲良く並んでUFOキャッチャーで遊んでいた。

「もう少し右よ!」
「そんなこと言ったって...あ、行き過ぎた...」

目の前ではシンジが操ったクレーンがなにも取ることができず、虚しく動く。

「あ〜あ、ホント、ドジなんだから。」
「アスカは見てるだけじゃないか...
 難しいよ、実際...」
「ふふん、このアタシに不可能なんて文字はないわ!
 お手本を見せてあげる。」

早速お金を入れてクレーンを動かす。
獲物をガラス越しに見る姿は真剣で、蒼い瞳が捕らえたモノはどうやらサルのヌイグルミだ。
ボタンで慎重にクレーンを操作しながら目標の真上まで移動させ...

「ホラ、ごらんなさい。」
「すごい...」

クレーンは見事サルを持ち上げ、帰ってくる。
が、最後の最後でヌイグルミを落とす穴には、素直に落ちてはくれなかった。

「なんでそこで足が引っかかるのよ!」
「や、やめなよアスカ...」

今にもケースを破壊しそうな勢いだった。
その後何回かトライして、ようやくお目当てのモノを手に入れ、シンジのやる様を見ていた。
野球をやっているかのように真剣な目でクレーンを見る。
目標はどうやらウサギのヌイグルミ。
だがヌイグルミの隣りにはガチャポンに入った小さなウサギのキーホルダーが並んでいた。
そして取ったのはキーホルダーだった。

「...ここでボタンを押して...やった!
 って、ああ...キーホルダーだ...」
「腐らない腐らない。
 取れただけでも良しとしなさい。」

しゅんとするシンジの頭をポンポンと叩く。

「...それもそうだね。」
「でも何回もやって、取れたのがこれじゃあね。」

そんなことを言っているが、嬉しそうな顔をするシンジを見て自分も嬉しくなってくるのが判った。

「ははは、結局あれから5回もやったんだけ...
 でも良かったよ、これでお土産もできた。」
「.........」

その言葉にピクリと反応する。
あんなに頑張っていたのが実はレイへのお土産だったのだ。
昨日、誕生日があったばかりなのに、レイばかり見ているシンジに苛立つ。

ググ...

手に持ったサルのヌイグルミを握り締める。
一緒にいるはずなのにシンジが自分を見ていないと感じ、アスカはどうしようもない心の渇きを覚えた。
そのときシンジがアスカの気持ちも知らずに、嬉しそうな声で聞いてくる。

「アスカ、次はどこに行こうか?」

だがなんの反応も示さない。
自分に向き、俯いたままのアスカを不思議に思うシンジ。
だがそこで、そんなアスカを最近よく見るようになったことに気づく。

「どうしたの...?」

心配になり、アスカに触れようと手を伸ばす。
しかし触れる瞬間、伸ばされた手はパシッと叩かれた。
何が起こったのか判らず、呆然と立ちつくすシンジ。

「...アスカ?」
「アタシ、帰る。」

いつもの元気さはなく、今の声は暗く沈んでいた。
くるっと踵を返し、走ってその場から、シンジから離れる。
まるで逃げるかのように...

「アスカ、待って...うわっ!」

いつの間にか現れた人だかりに阻まれ、走り去るアスカを見失う。
最後に見たアスカの背中が、一瞬泣いていたように見えた。

「まさか...ね...」

浮かび上がった考えを払いのけるように否定の言葉を口にした。










それよりも少し前、レイは両手に荷物を抱え買い物を終えた頃だった。

「おいしいおかずも手に入った♪
 今日の晩ゴハンの買い物は済んだから...」 

ホクホク顔の主婦レイは、何か足りないモノが無いかと考えながら歩く。

「そうそう、シャンプーが切れてたんだっけ。
 マツ○トキヨシによってこっかな。」

道路を挟んだところにマツモト○ヨシがあり、レイは早速行くことにした。
化粧品がほとんどなので、店内には若い女性でごった返し、品物を吟味している。
その中にスーパーの買い物袋を下げたレイが入っていく。

「え〜と、いつものヤツはどこかな...あった。」

「お徳用」 などと書かれた水色のシャンプーを取り、そのままレジに向かう。
ふと立ち止まって良く見ると、自分と同じ年代の女の子が色々と見ていた。
その女の子は化粧品を手に取り、真剣な表情で見ていた。
レイは思わず女の子の姿に目を奪われてしまう。

(もっと綺麗になれば兄さんも振り向いてくれるよ...)

女としての自分がそっと囁き、一瞬だが買い物袋を持っている自分がバカみたいに思えた。
近くを見渡せば、自分だけが違うように見える。
同じ女であるのになぜ自分だけが...
そんな考えが頭によぎったが、次の瞬間にはいつものレイに戻っていた。

「なに考えてんだろ私って...
 さ、早く帰ってそうじと洗濯しなくちゃ...って雨降ってるのよね...」

レジで清算を済ませ、お店を出た。
だがそこで、いるはずのない人物を発見した。

「...兄さん...」

そして近くには嬉しそうな顔をしたアスカの姿があり、2人はブティックのウィンドウ越しにあるドレスを見て話している。
アスカがあたかもそのドレスを身にまとっている仕草をシンジに見せて微笑むと、シンジもその姿を見ていつもの笑顔で何かを話す。
するとアスカの顔が赤くなった。

「.........」

自分の目で見ても2人がただの幼馴染みではなく、恋人のように見えた。
いたたまれなくなり、レイは足早にその場を去った。










☆★☆★☆











さて時間は流れて晩ゴハンの時間。
どこの家でも食卓を囲んで楽しい時間となる。
...はずなのだが。

「あ、あの、レイ...?」

ここ、六分儀家では、いつもと違った空気が支配していた。
テーブルには1人分の、レイのゴハンしかなく、レイは黙々と食べていた。

「僕のゴハンはどこかな...?」

聞こえているはずなのにレイはシンジに一瞥もくれずに食事を続ける。
居たたまれなくなるシンジ。

(完っ全に怒ってる...)

過去の経験上、レイがこんな態度をとるのはそれしか思い浮かばなかった。
その後どうなったかも経験済みで、かなりの精神的ストレスがかかるのだった。
レイは終始無言で食べつづけ、後片付けも口をへの字につぐんだまま手早く終わらせる。
その間、何度もシンジのお腹が鳴ったのだが、何の変化もない。
シンジの胃に穴が開くかと思われたとき、遂に動かざること山の如しなレイが動いた。

「...兄さん...」
「ハ、ハイィィ!」

普段聞いているような明るい声ではなく、地獄の底から聞こえてくるような低い声だった。
シンジはレイを怒らすようなことをしたかと自問するが何も思いつかない。
だがレイに問われたとき、冷や汗が滝のように流れ落ちた。

「私、今日、駅前で、兄さんを見かけたんだけど...」
「う``...」
「練習もやらないで、なにやってたの?」
「いや、それは...その...」

必死に言い訳を考えるが、今のレイになにを言ってもムダだと判っていた。
それどころかヘタに言い訳すると、余計にレイが怒ってしまい、手に負えなくなるのだ。
従って今のシンジにできることはただ一つ。

「ごめんなさい。」

深々と頭を下げるシンジ。

「まったく、謝るくらいなら練習サボらないでよ。」
「そ、それはアス...はっ!」

言ってはならないことだったのだが、ウッカリ口を滑らせてしまうドジなシンジ。
それに対してピクリと眉毛を吊り上げて反応を示すレイ。
ネタはしっかりと握っているので、あとは追い詰めるだけだった。

「...そうそう、アス姉も一緒だったね...ん?」

だがそこで、レイはいつもと少し違うシンジに気づく。
右肩を庇うような感じで動かしていた。

「...兄さん、右肩...どうしたの?」
「な、なにを言ってるんだよ...
 ホラ、なんともないって。」

アスカ同様に僅かな変化も見逃さない妹に、毎度のことながら驚かされる。
そしてムダだと判っていても抵抗を始める。
やはり弱いところは見せたくないのだろうか。
しかしレイとしては、少しでもいいから頼って欲しかった。

「...ウソばっかりついてると晩ゴハン、ホントに抜きだよ。」
「だからそれは...」
「兄さん!」

言い訳ばかりするシンジに大声で怒鳴る。
そして光の粒が落ちて弾けた。

「レ...レイ...」

ギョッとなって顔を上げるとレイの頬を涙が伝っていた。
レイはぐしぐしと手の甲で拭い、本気で怒った。

「兄さんのバカ!!」
「レイ!」

シンジの制止を振り切り、ドアを閉めて部屋に閉じこもる。
当然、カギはかけるので中には入れないシンジはドアを叩いて呼び続けることしかできなかった。

「レイ、僕の話を聞いて!
 確かに今日の練習は早目に切り上げた、それでアスカと遊びに行ったよ!」
「やっぱりそうじゃない!
 兄さんなんて大っ嫌い!!」
「でもそれはサボった訳じゃないんだ!
 右肩の調子が悪かったから大事を取って休んだんだ。」
「じゃあなんでアス姉と遊びに行ったのよ...
 大事を取るんだったら家で休めば良いじゃない!」
「そ、それは...」

まさかそこで逆らえなかった、などとは口が裂けても言えない。
となると言える言葉はただ一つ。

「ゴメン...」

毎度毎度のことながら、最終的にはその言葉が出てくる。
しかしいつも一緒にいるレイには今までみたいなうわべだけでなく、本当に謝っているのが判った。
そしてその言葉は兄妹喧嘩の終わりを告げるいつもの言葉だった。
ドア一枚挟んだ部屋の中で、レイは深く息を吐く。

「...反省してる?」
「うん...」
「もうウソつかない?」
「うん、つかない...」
「これからはちゃんと話してくれる?」
「話すよ...隠さない。」
ガチャ...

ようやく天岩戸が開き、レイが出てきた。
目を真っ赤に腫らせていたので、シンジの胸が痛くなる。

「それから、兄さん...」
「ま、まだあるの?
 なんでも言うこと聞くから...」

困り果てたシンジの言葉にレイは微笑んだ。

「デート。」
「は?」
「今度私とデートして。」
「えええっっ???」

予想外の言葉にうろたえる。
その反応がおかしかったのか、レイは機嫌を良くして自分の願いを告げる。

「特待生のテストが終わってからでいいから、デートしてね。」
「レイ...」

シンジは自分を見上げて微笑む女の子が愛おしく思えた。
喧嘩してもすぐに仲直りできる。
自分に向けてくれた笑顔がとても綺麗だった。
だからシンジも優しい笑顔を向けながら答える。

「判ったよ、レイ。」
「忘れないでね。」

レイは嬉しさのあまりシンジに抱き着いた。

「レ、レイ...
 しょうがないかな。」

突然で驚いたがシンジも今回だけは悪いことをしたと思っていたのでレイの頭を撫でてあげる。
心安らかになるレイはシンジの胸板に頬を当てたそのとき...

「あれ、ポケットになにか入ってるよ?」
「そうだった、レイにお土産があるんだったよ。」

シンジは胸ポケットからウサギのキーホルダーを取り出した。

「キーホルダー...」
「UFOキャッチャーで初めて取った景品なんだ。
 安物だけどね。」

ちょっとだけ困った顔をするシンジ。
まだ先ほどの喧嘩の原因を気にしているらしい。
しかしレイはもうそんなことは忘れていた。
それに安物とは言え、自分を忘れずにいてくれたのが嬉しかった。
そんなシンジの気持ちが感じてレイは目を細める。

「ありがと、兄さん。」










☆★☆★☆











プルルル...プルルル...プルルル...

部屋の外から電話のコール音が鳴っている。
しばらくするとキョウコが受話器を取り、コール音が鳴り止む。
その間、アスカはベッドの上で寝っ転がって考えていた。

「...なによ、バカシンジのくせに...」

考えることはただ一つ、今日のシンジの態度である。
せっかく2人っきりのデートとなったのだが、シンジの頭からはレイが離れず、嬉しそうに話す姿が許せなかった。
そしてそれ以上に、今の自分に嫌悪感する。



今でこそレイは明るく良く笑う女の子になったが、初めて逢った頃は表情が無く、人形のような女の子だったのをはっきりと覚えている。
それでもシンジから片時も離れようとはせず、シンジとの壁として立ちふさがった。
そこから微妙に関係がズレてゆき、その頃はまだレイについて詳しく知らず、ある日アスカはレイに当たってしまった。

そのときの脅えたレイの顔と、シンジの本気で怒った姿は今でも忘れない。
今まで何一つ見せなかった表情を変え、泣き叫ぶレイ。
その頃のシンジも良くアスカに泣かされていたが、それとはまったく違うのが幼かったアスカにも判った。

レイが泣かされた光景を見て、怒りの感情を初めて見せるシンジ。
急速にレイへの苛立ちは萎えていき、やってはならないことをした罪への意識が芽生える。
その後、キョウコからレイの生い立ちを聞いた。
親も兄弟も友達さえもいない可哀想な少女、それがレイ−−−

だから怒った。
シンジがレイを、なによりも優先にする大切な妹として心に決めたから。
新しい兄として、護らねばならない人を護るために−−−

それ以来シンジはレイを想い、強くなっていく様を見て、シンジへのアスカの気持ちは変わっていく。
頼りなかった弟がいつの間にか成長する過程を一番近くで見てきたからだ。
諦めず、敗けることなど考えず、レイを護れるだけの強さがほしいと願った姿に心を惹かれた。
逆に言えばレイがいなければ今でも出来の悪い弟だったかもしれない。

「アタシってシンジの役に立ってるのかな...?」

実際にはアスカもシンジの成長に大きくかかわっているのだが、一旦考えが悪い方向に走り出すと止まらない性格のようだ。
そのとき部屋の外からキョウコの声がした。

「アスカ、電話よ。」
「は〜い、ママ。」

誰からだろうと思い、考えるとヒカリの顔が浮かんだ。

「ハイ、もしもし。」

不機嫌そうに電話に出る。
しかしなんにも返ってこなかった。
ヒカリだったら、いかにアスカの機嫌が悪いときでも 「しょうがないわね」 という感じで許してくれる。
不審に思ったアスカは今、自分にかけてくる人物を推測してみると、すぐに浮かんだのはボケボケっとした顔のシンジだった。

「...もしかして、シンジ?」
「うん...」

頼りない声が受話器から聞こえる。

「どうしたのよ?
 電話じゃなくて会って話せばいいじゃない、隣りなんだから。」
「ホントはそうしたいんだけど...時間が時間だから...」

時計を見るとそろそろ日付が変わろうとしていた。
いつの間に−−−
アスカがそう思った矢先に、受話器から聞き慣れた言葉が飛びこんできた。

「アスカ、ゴメン!」
「...はぁ?」

いきなり謝られて訳が判らなくなる。
しかしすぐにピンときた。

「先に帰ったこと?」
「うん...1人で帰ったから...」
「あれね、大したことじゃないわ。」

本当はアスカにとっては大したことなのであり、帰ってから今までずっと考えていたことである。
しかしシンジの声を聞いた途端に、沈んだ気持ちはどこかへ吹き飛んでいく。
そして自分をこんな気持ちにさせた報復に、意地悪してやろうと考えた。

「それよりもシンジ、アタシがなんで先に帰ったのか判ってんの?」
「...判らない...
 とにかくゴメン!」
「理由も判らないのに謝られてもねぇ。」
「ホントにゴメン...」
「その謝りグセは直しなさいって言ってるでしょ。」

いつもいつも謝ってばかりで、アスカ自身に否があるときでも謝ってしまう。
小さいときからそうだった。
なにも成長してないのかと思ったそのとき、シンジの言葉に驚く。

「だってアスカ、あのとき泣いてたみたいだったから...」
「!」

言葉を失った。
普段は超がつくほどの鈍感なのに、妙なところで鋭い。
あのとき涙は出ていなかったが確かに泣いていた。
しかしシンジはそんな自分に気づいてくれた。
レイだけでなく、ちゃんと自分も見てくれているのが嬉しかった。

「あの、アスカ?」

自分を気遣うシンジの声が優しく耳に響く。
今まで1人で落ち込んでいたのがバカらしくなった。

「なんでもないわよ、シンジ。
 心配性なんだから。」

深く息を吐き、いつも通りの自分でいられるように、努めて明るく振る舞う。
シンジもアスカのいつもの声を聞き、ホッとして笑顔を取り戻す。
だがシンジの笑顔もすぐに凍りついた。

「それよりもシンジ、許してほしいんだったら、それなりの覚悟はできてるんでしょうね?」



第六拾弐話  完






―――予告―――



時は流れ、世間では甲子園が閉幕した

一夏の闘い、球児たちの夏は終わりを告げ、シンジたちは次の夏に備える

そんな中、以前から楽しみにしていたキャンプの日がやってきた

しかしシンジは自分の想い描いた夢のため、1人残ることになる

そのとき子供たちなにを想うのか...





次回

大切な人への想い

「過ぎ去った夏(其ノ六)」



注) 予告はあくまでも予定です




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