シンジたちが泊まっているペンションの外観は、木の格子のついた窓がアーリー・アメリカン風というか、オールド・ブリティッシュというか、かなりメルヘンチックな感じだった。
ゆるい土の斜面に割った丸太を埋めただけの素朴な造りの階段と、傍にある看板には英語で 「星降る里高原・ペンション・ブルーフォレスト」 と書かれいている。
土の斜面にはレンガで組んだ花壇があり、春先には花でいっぱいになる光景を容易に想像させる。
入り口は 「玄関」 なんて言い方は似合わず、やはり 「エントランス」 とかそんな横文字系で言うべき造りである。

外観がこんなだから内観も同じであり、リバティプリントの壁紙やドライフラワーなどが到るところに飾られ、オーナーの趣味が伺える。
しかし間取りは広く2階にはツインルームが6部屋あり、1階はリビングや食堂、キッチン、露天風呂など大勢で騒ぐには十分過ぎるスペースがある。

今、そのペンション・ブルーフォレストにはオーナーはいない。
従って六分儀家、惣流家、ヒデユキ、サエコ、以上8人で貸し切りの状態にある。
ちなみにこのペンションはアスカの父、アベルが知り合いのツテで格安で借りることができたのだ。
すると当然炊事洗濯掃除などは自分たちでやらなければならない。
という訳でキッチンにはレイとユミが立ち、朝食の準備をしていた。

「ふんふ〜ん♪
 お母さん、コショウ取って。」

ご機嫌な顔で料理をするのはレイ。
久しぶりに母娘でキッチンに立てるのが、よほど嬉しいらしい。
常日頃からの自分のポジションなので動きにムダがない。
フライパンでは目玉焼きがジュージューとおいしそうな音を出して焼け、それをテーブルで聞いているシンジとアスカ。

ぐぅ〜きゅるるる...

早くゴハンとお腹のムシが自己主張をする。
誰のムシかというと、バリバリの成長期にあるシンジであった。
それに加えて早朝から練習に励んでいたから、お腹の減り具合は尋常ではない。

「まだぁ、レイ?」
「もう少しだから待ってて...よっ!」

フライパンをひっくり返して目玉焼きをお皿に盛り付ける。
ユミはその間にトーストとサラダを作り、テーブルに持っていく。

「朝早くから練習なんて大変ね。」
「僕だけ遊んでるわけにはいかないからね。
 でも大変なのは練習じゃないんだ...」

テーブルに突っ伏すシンジ。
ユミは毎度のことながら騒々しい子供たちを微笑ましく見る。

「アスカちゃんも手加減してあげてね。」
「フンっ、シンジが悪いのよ。」

顔が赤くなってそっぽを向く。
露天風呂で全裸を見られたシンジ、見てしまったレイ、その場に出くわしたアスカ。
なんだかんだ言っても、露天風呂に沈んだシンジを引き上げる際にアスカも見てしまったのだ。
シンジは 「なんで見られた僕が悪いんだ?」 とブツブツと呟きながらテーブルに置かれていく朝食を眺める。
そのとき、スっと朝の日差しが遮られた。
見上げればいつものエプロン姿のレイが目玉焼きを持ってきた。

「今朝はゴメンね、兄さん。」

面と向かっているのだが目だけは合わせられなかった。
色白の肌が桜色に染まり、もじもじ、そわそわしている。
レイがそうだと見られた本人としては余計に恥ずかしくなってきた。

「い、い、いいんだよレイ、気にしないで!
 レイが入ってるのに気づかなかった僕が悪いんだから!
 そ、それにさ、小さい頃はよく一緒に入ったじゃないか、ははは...」

どう対処していいのか判らず、昔のことを持ち出すシンジ。
懐かしさが湧き上がり、レイの顔に笑顔が現れる。

「ふふ、そうだね。
 ...じゃああの頃みたいに一緒に入ろっか?」
ガタン!ズルっ!

シンジはイスから滑り落ち、横で頬杖をついて聞く耳立てていたアスカがズッコケる。

「「な、な、な...」」

信じられないような視線を向けるシンジ。
アスカに至ってはキレる寸前だった。
それを楽しそうに見たレイは舌をペロっと出して...

「ジョーダンよ、ジョーダン。
 それよりも、温かいうちに食べてね♪」










大切な人への想い

第六拾伍話 過ぎ去った夏(其ノ八)











「フッ!」
ズバァン!

ミットに突き刺さるボールの音とシンジの声が高原に響いた。
ペンションの近くの広場で投球練習に勤しむシンジ。
野球の設備などなく、雑草が生え、小石が散らばっているところだが、なぜか調子が良い。
シンジの相手にしているのはヒデユキだが、理由はそんなモノではない。

「なかなかボールが走ってるじゃない。」
「調子良いみたいだね、兄さん。」

アスカとレイが横で見ていた。
木陰を陣取り、高原の涼しげな風を受けて応援している。
夏の日差しの下で練習するシンジたちとは大違いであった。
そのさらに横にはサエコの姿もあった。

「槙村、しゃんとなさい!」
「そんなこと言ってもだな...シンジ君のボール受けるのって相当なモノなんだぞ。」

グラブを外して痺れる左手を振る。
朝食が終わってから今の昼近くまでずっとシンジの練習に付き合っていた。
最初は運動不足解消などと言っていたが、次第に本気にならざるを得なくなり、ついには根を上げるに至ってしまった。
槙村も20代の後半で、そろそろ体力も落ち始めたのだろうか?





「あの、大丈夫ですか、槙村さん?」

心配になったシンジが無理やり練習に付き合わせてしまったことを申し訳なさそうに謝る。
それもそのはずで、ほとんど休憩も取らず、ぶっ通しで続けていた。
それでもシンジは疲れを見せることなかった。
そんな2人を見比べてアスカがからかう。

「槙村さんもそろそろトシなんじゃない?」
「な、なにを言ってるんだよアスカちゃん!
 オレはまだ28だぞ!」
「でも四捨五入すると30の大台に乗っちゃうのよねぇ〜。
 体力が落ちるのも無理もないわ。」

ケタケタと笑っていたが、横にいるサエコをすっかり忘れていた。
ゆらりと気配を消してアスカの背後に回るサエコ。
その目は妖しく光っていた。

「ゴメンなさいね、アスカちゃん。
 私もそうなのよ。」
「あ...別にサエコのことじゃないんだけど...」

ニッコリと笑っているがこめかみの辺りがヒクヒクしていた。
ちなみにレイは事前に殺気を感じ取り、シンジの傍に逃げている。

「兄さん、休憩にしたら?
 槙村さんが壊れちゃうよ。」
「まだまだ行けるよレイちゃん、心配無用!」

すっくと立ち上がって見せるが、いまいちキレがない。
そんなヒデユキを思ってか休ませようとする。

「槙村さん、休憩にしましょう。
 でないと止める人がいないんです...」
「...そうだな、サエコを止めなければ...」

見ればアスカをいじめているサエコの姿があった。
相当怒っているらしくネチネチと攻め立てる。

「ちょっとサエコ、どこ触ってんのよ!」
「あらま、少し見ないうちにずいぶん成長したじゃない。
 でもまだまだね、にじみ出る大人の女の色気は出せてないわ、ふっ。」

その一言にカチンとくるアスカ。

「でかけりゃいいってモンじゃないわよ!
 サエコなんてもう垂れるだけじゃない!!」

負けじと言うが、普段レイに言っているのとはまるで違う。
となるとレイの立場がなくなり、しゅんとしてしまう。
かけてあげる言葉が見つからず、呆然と立ち尽くすシンジ。
とそこに現れたアベルが一言...

「やれやれ、相変わらずだな...」

いつもと変わらぬ光景に、高原にきていることを忘れてしまうほどであった。










☆★☆★☆











タッタッタッタッタ...

シンジたちは今、木漏れ日が溢れる道 「星降る里自然道」 を走る。
始まりはいつも通りに唐突で、練習に一区切りつけて昼食を取っているときのことだった。

「ねえ兄さん。
 行きたいところがあるんだけど...一緒にきてくれる?」

上目遣いで言う。
こんなことをされては断れない...というよりもシンジはレイのお願いを断れない。
しかもダメ押しにアスカも加わってきた。

「もしかして昨日見つけたところ?
 うん、いいわねぇ...
 シンジ、練習ばっかりじゃ体に良くないんじゃない?
 休憩も兼ねて行くわよ!」
「でも練習しなくちゃなんないし...」

毎度ながらのささやかな抵抗。
だがシンジにとっては親友たちとの大切な約束であった。

「もちろん、ちゃ〜んと考えてあるわよ。」

ニヤリと不敵に笑うアスカ。
あの笑いが出ると、よからぬことが身に降りかかるのを知っているシンジは身じろぎした。

「アンタは走って行くこと!
 アタシたちは自転車に乗ってくから、ちゃ〜んとついてくるのよ!」
「そうね、湖までは結構距離あるから、ランニングするにはいいかも。」
「あ、あの〜...」

この2人にかかるとシンジの意思は尊重されない。
そのことを知っているので深くため息をしたとき...

「「じゃ、決定ね!」」

2人の天使が満面な笑みを浮かべて、そう言った。










両サイドに立ち並ぶ木々、その真ん中に伸びる自然そのままの遊歩道。
それらの風景は後ろに流れていく。

「ねぇ、まだなの?」
「アンタ何回同じこと言えば気が済むのよ!」
「ふふ、もう少しだよ兄さん。」

ステレオのように両方から聞こえてくる。
道を挟んで並ぶ木々のようにシンジを挟んで自転車をこぐ2人。
大抵はこんなポジションにいる。

「それにしても良くこんな道、見つけたね。」
「このアタシにかかればどんな道だって見つけられるわよ。」
「ウソばっかり。
 お土産屋さんの人に聞いたんだよ。」
「レイ、余計なことは言わなくていいの!」

シンジを挟んで口喧嘩が始まった。
白樺の梢をすかしてくる木漏れ日に、自然道の空気まで緑色に染まり、その中を走る3人の体を抜けていく。
脇を見れば小さなつぼみや実をつけた草がある。
こんな雑草みたいな草でも花が咲くんだな、と優しい気持ちになれた。

「どうしたのよシンジ、ニヤニヤしちゃって?」
「いいところだなって...」

土の上を歩いていると、落ち着くような、安心するような気持ちになってくる。
じっと見ていると、森に吸い込まれそうな感覚に陥る。
人がその昔、森と共に生きていた証拠でもある。
アスカやレイもここへ初めて訪れたとき、同じことを感じた。

「でも、これだけじゃないのよね。」
「そうそう、この先を抜けたら絶対に言葉をなくすわ。
 ほら、見えたわよ。」

どこまでも続くと思われた自然道の先から、眩しいくらいの光が見えた。
近づくにつれて木々の匂いだけでなく、冷たい風や水の匂いを感じる。
やがてシンジの視界いっぱいに光が溢れた。

「つっ...まぶし...」

光を遮るように手をかざして目を守る。
視覚を補う形で他の感覚が研ぎ澄まされる。

「...冷たい風だ...それに水の音もする。」





クェークェーッ!!

やがて目も慣れ、水鳥の鳴き声が聞こえた。
シンジは目を薄っすらと開け、徐々に視界が開ける。

バサバサバサっ!!

鳥の羽ばたきが起こり、数枚の羽が不規則な軌跡を描いて地面に舞い落ちる。
その羽の向こうに、目の前には唐突に湖が開けていた...

「うわぁ...」

立ち止まり、視界いっぱいに広がる湖を見渡す。





「どうかな、兄さん?」
「ダメよレイ、ボケちゃってるわ。」

シンジは言葉をなくし、自然の創り出した景色に圧巻する。
耳にはさざなみの音が響き、肌には冷たい風を感じ、目には湖の深い蒼色が見えた。
いつの間にかレイはシンジの横に並ぶ。

「ここっていつも白鳥がいるんだよ。」

そう言って笑うレイの顔はとてもまぶしかった。
風になびく空色の髪からは、やわらかな花の香りが鼻腔をくすぐり、シンジはまぶしくてレイの顔をまともに見れなかった。




















「ねえ、兄さん...今、好きな人いるの?」

唐突に爆弾は落とされる。
しかしレイは狙ったわけでもなく、自然に口に出たのだ。

「す、好きな人!?」
「うん...」

焦るシンジを追い詰めるように平然と答え、シンジの答えを急かす。
アスカに至っては心臓が高鳴り、答えを聞くのを躊躇われた。
多分、怖いのだろう...

「ちょっとレイ、なに言ってるのよ!」
「聞きたくないの、アス姉は?」
「う゛...」

答えに詰まる。
チラリとシンジを見ると、返答に困っていた。
やがてアスカは沈黙し、それをレイは肯定と受け止めた。

「だって、アス姉も聞きたいって。」

答えを求めるレイの顔は、ある種の決意が篭められているのか、凛としてとても綺麗だった。
どんな答えを聞いても、受け入れる自信があるのだろうか...
そして長い沈黙の後、シンジはレイとアスカの視線から逃れるために後ろを向き、口を開いた。

「いないよ...」
「ホントに?」
「...うん、多分...」

今のシンジに言える総てだった。
言ってしまえば、今ある総てのモノが音を立てて崩れてしまいそうな気がした。
だから言えなかった、今の関係を失いたくなかった。
だがその答えに不満があるのか、レイはさらに続ける。

「ふぅ〜〜〜ん。
 そうなんだぁ...なんか意外。」
「そ、そう?」
「ちょっと、ね。
 でも...それって不幸だと思うよ。」
「「!」」

シンジとアスカは言葉を見失った。
驚きを隠せず振りかえると、そこには逆行で表情の読めないレイがいた。

「好きな人がいるのって、すっごく幸せだよ。
 それにね、そういう想いを抱いているときって、頑張りがきくもん。
 ...この人のためなら...ってね。」

穏やかな口調で、幸せそうに言う。
だがシンジには、レイが 「自分には好きな人がいます」 と言っているように聞こえて焦る。

「ま、まさか...レイには...好きな人いるの?」
「えっ、わ、私?
 うん...」

そこで僅かなタメと、恥ずかしそうに頬を染め、最高の笑顔をシンジに向ける。

「目の前に立ってる人が好き、かな...」
「...えっ!?」

突然の告白に言葉を失う。
アスカはただ黙って聞くしかなかった。
「先を越された」 「自分の目の前で」 と最悪な条件が重なり、自分の想い人が奪われると思い、胸が締め付けられる。
レイの一言により、空気が重くなる...と思われたが、まだ続きがあった。





「クスっ...
 それとね、アス姉も好きだしお母さんも好きだよ。
 おじさんやおばさん、槙村さんにサエコさん、それからノゾミにミユキにヒカリさんも好き!
 あとトウジさんとケンスケさんも、みーんな好きだよ☆」

ケタケタと笑うレイを見て、初めてからかわれたことに気づく2人。
よく考えたら好き=LOVEではなかった。

「「レイ!!」」
「本当のことは内緒よ♪」
「げっ、ズルイ...」
「女の子だから大目に見てよ。」

片目をつぶってウインクする。
そんな言い訳があるかとシンジは思ったが、レイだから許すことにした。
本当に幸せそうな笑顔だったから...

「ね、そろそろ帰ろう。
 夕飯に間に合わなくなるよ。」










☆★☆★☆











時は流れて夕食も滞りなく済み、リビングで騒ぐ3人。
ただちょっと違うところは、テーブルに軽いカクテルやワインが置いてある点だった。
ちなみにほとんど空けられ、辺りに散乱している。

「兄さん兄さん、これ甘くておいしいよぉ。」
「ちょ、ちょっとレイ、判ったから抱きつかないでよ!
 あ、アスカ助け...げ...」
「ん〜〜〜、なによシンジぃ...
 それよりもこのワイン飲みなさい!」
「明日も練習あるから...
 そうだ、おつまみを取ってくるね、じゃ!」
「待ちなさいシンジ!!」
「ハ、ハイ!」
「に〜いさん♪
 だっこしてぇ。」
「あ、レイ!
 自分だけズルイわよ!!」
「へっへへへ〜〜〜、早い者勝ちぃ。」
「なんだなんだ、結構飲んでるなオマエら。」
「パパ、聞いてよ!
 シンジがいじめるのよぉ...」
「なんだ、普段の逆だな。
 いいんじゃないか、帳尻合わせるには?」
「なに言ってんのよ、カワイイ娘のピンチなのよ、ちったぁ慰めなさい!!」
「ぐぇえっ!!
 ア、アスカ、チョークだチョーク...」
「キャハハハ、アス姉が怒った怒った☆」
「アスカが怒るのはいつものことだよ。
 ...レイ、いつまで膝の上に乗ってる気?」
「ん〜〜〜、ずぅっと!
 いいでしょいいでしょ♪」
「アヒャヒャヒャヒャ!
 くすぐらないでよレイ!」
「あれぇ...槙村さんとサエコのヤツはぁ?」
「ああ、あの2人なら外に飲みに行ったぞ...ゲホゲホっ!」
「ひょっとして 『イーグルネスト』 ですか?
 ウェスタン風の造りの。」
「なんだ知ってたのかシンジ君。
 練習ばっかりかと思ったら、色々と見て回ってるんだな。」
「いえ、今朝走ってたら迷子になってしまって...
 そのときに見かけたんです。」
「相変わらずドン臭いわねぇ、ガキじゃあるまいし。」
「む〜〜〜、兄さんドン臭くないもん!」
「ハンっ、シンジなんていつまで経ってもそうじゃない!
 小さい頃から方向音痴で苦労したわ。」
「違うもん違うもん違うもん違うもん違うもん違うもん違うもん違うもん!」
「アスカだって同じようなもんだろ...
 散々連れ回したあげく迷子になって、いつも僕のせいにしたクセに。」
「やはりそうだったのか...
 迎えに行くのは苦労したよ。」
「納得するなぁ、そこ!!」
     :
     :
     :





などとやってる内に時間は流れ、宴は終わる。
その後に残ったものは...

「やれやれ、お年頃の女の子が大の字になって寝ないで欲しいよな...
 なあシンジ君?」
「...僕に振らないでくださいよ...」
「世話のかかる娘だ...よっ!」

アベルはアスカを抱き上げ、2階の部屋に運んでいこうとした。

「おじさん、手伝いましょうか?」
「それには及ばんさ。
 キミにはレイちゃんがいるじゃないか。」
「そういえば...」

気がつけば、うつらうつらとするレイが自分に寄りかかっていた。
そして辺りにはカクテルの空き缶やワインの空き瓶が何本も転がっている。
ちなみにカクテル類はレイが、ワインはアスカが、その大半を飲んでいた。

「にゃはははは〜ぁ...ひっく!」
「レイ...大丈夫?」

結果がこれである。
アスカは寝てしまってKO、セコンドのアベルがおぶって退場。
レイはドクターストップがかけられ、リビングに残っていた酒類はユミとキョウコによりキッチンに運ばれている。

「世界がぐるぐるぅ〜〜〜...
 あれれ、兄さんが2人いるぞぉ?」
「僕は1人しかいないよ。」
「2人とも私の!
 ...って言いたいけどアス姉が怖いから1人あげよっと。」
「ハイハイ、レイは優しいね。」

いつになくはしゃぐ妹の姿を見て心が和む。
レイが微笑むだけで嬉しくなる自分を感じるシンジは、今が幸せだというのを実感した。

「レイ、今すごく幸せでしょ?」
「う〜ん、私は大概幸せだよ♪」
「そうだね、幸せそうな顔してるもんね。」

足元がおぼつかず、ふらふらして危なっかしい。
昔からレイはアルコール類がからきしダメで、ほんのちょっと舐めただけでもこんな幸せな状態になってしまう。
それどころかウイスキーボンボンだけでも酔っ払える。
本人も自覚は多少なりともあるのだが、今日ばかりは嬉しさが勝り飲んでしまった。
そして今、レイの頭の中はトロトロに溶けている。

「お酒って気持ち悪くなるけど、幸せも運んでくれるねぇ。」
「真っ赤な顔してなに言ってんだか...」
「大丈夫、大丈夫♪
 まだ酔ってないから。
 うん、レイちゃんは元気だよ〜☆」

あやしいもんだと思いながら、レイが倒れないように支える。
睡魔からか心地好さからか、レイのまぶたが閉じられ、シンジの体温を感じようと接触面積を広げようとする。










「ねぇ兄さん...今、幸せ...?」

不意にかけられたレイの言葉に驚く。
だがそれは一瞬であり、シンジは微笑む。

「うん、幸せだよ。」
「良かった...」

小さいがシンジの耳には届いていた。
いつも自分を励ましてくれる幼馴染みのアスカ、自分を頼りにしてくれる妹のレイ、親友のトウジとケンスケ、父はもういないが溢れるばかりの愛情を注いでくれる母のユミ。
沢山の人に見守られ、夢を追うことができる。
これを幸せと言わずになんと言うのか。





「あら、レイも寝ちゃったの?」

物思いに耽っていたとき、ユミの言葉に我に返る。
見ればレイは静かに寝息を立て、幸せそうに寝ていた。
その寝顔はその昔、見たことがある。
いじめられていたレイをシンジが助け、その胸の中で安心して眠ってしまったときの顔−−−
安心しきった、自分の大切な場所にいるときの顔だった。

「シンジ、悪いんだけどレイを2階の部屋までおぶってくれないかしら?」
「うん、判った。」

レイを起こさないよう、気を配りながら背負う。
背中に柔らかく暖かいレイを感じ、シンジは微笑みかける。
昔もこうやっておぶっていたな、と。
ユミは階段を登るそんな兄妹を目で追う。





「アナタ...シンジとレイは今、幸せですって...」

優しい目でそっと呟いた。










☆★☆★☆











「シンジ〜、起きなさい、朝よ...」

どこからかシンジを呼ぶ声がする。
だが心に染み渡る声が心地好く、シンジを更なる深い眠りに誘う。

「うぅ...ん、むにゃむにゃ...うるさいなぁ...」
「シンジ...シンジ...」

ゆさゆさと体を揺さぶられ、しかもどこかで聞いたことのある声。
なにかとても大切なことを忘れているような、と夢うつつで考えたとき...

「っきゃろーーーー!!
 早く起きなさい、シンジ!!」

部屋全体、というよりペンション全体に響いた。
耳がキーンと鳴り、寝起きに見たモノは栗色の髪に蒼い瞳の少女、いつも見慣れたアスカだった。

「ふぅーっ、やっと起きたわね。」

何事もなかったように装っているが実は深く怒っているようで、こめかみの辺りが引きつっていた。

「ボーっとしてないでさっさと起きなさい!
 朝の練習があんでしょ!」
「耳が痛い...」
「そりゃあそうよ、耳元で叫んだんだから。」
「普通そんなことやんないよ、女の子ってさ。」
「あっ、今の発言ムカついた!
 あのねぇ、いま何時だと思ってんのかな?」
「何時って...あれ?」

時計を見てみると秒針が動いていなかった。
コツコツと何回か叩いてみても時計はシーンと静まり、止まったまま。
針は3時半の辺りで止まっていた。

「...いま何時?」
「知りたい?」
「うん...」

不安げな表情をアスカに向けると、さっと差し出される白くて細いアスカの手。
手首にはオシャレな文字盤の腕時計がついていた。
ちなみにこれは誕生日にシンジに買わせたモノである。

「...ウソ...」

信じられないのか、目をゴシゴシとこすってもう一度見る。
しかし時間は変わらなかった。

「何時かお判りですかな、シンジ様?」
「...うん...多分、8時...」

そのときプチっとなにかが切れる音がした。
スパイクの紐が切れたときと同じ音がしたと、後にシンジはそう証言する。
そして次の瞬間、アスカの態度が豹変した。

「だったら早く起きんかい!!」
ドカぁ!!

スリッパの裏が見えたと思ったら星が見え、その後シンジの意識が飛んだ。



第六拾伍話  完

第六拾六話につづく





落書き

え〜、これでようやくお膳立てが揃い、あとは話を進めるだけとなりました。
いつの間にやら過去のお話も8話と続いてしまい、現代のお話が久しくなってしまいました(やれやれ)
でもまだまだ続くと思います。
なにしろ六分儀から碇と名字が変わり、第3新東京市に引っ越すまでですから...気長にお待ち下さい。

それから次回は1回休みで、次の更新は11月になります(だから2話更新したのか)
予告としては、シンジとレイのお買い物のお話です。
まだ原案の段階なんで、かなり変わるかもしれませんが一応...




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